明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



河童の甲羅、色を薄く塗り重ね、ようやくイメージどおりになった。初代は日本の普通の石亀のように固くて黒っぽかったが、完成作はスッポンと普通の亀の折衷型というか、一部亀甲を残している。こんな甲羅は実際は存在しない、という意味でも良かった。色はというと、おそらく私の頭の中にあったのは青磁であろう。ほぼ満足であるが、あと一色、薄くかぶせたいところ。背負わせてみると、体色も甲羅に近い色に変えたくなってきた。亀はスッポンも含め、甲羅と体色はそう大きく違わないものである。 本日も手に絵の具を付けたまま、なんとかK本に間に合う。そのままT千穂へ常連と流れる。私の作品に旅館の番頭役をやってもらっているTさんが先日激怒した話を聞き耳を疑った。おしゃべりのピッチャータイプが多い常連の中で、貴重なキャッチャー役で、穏やかを絵に描いたような人物だからである。相手は自分の勤める会社のビルに、妙なヒレみたいな物が付いているのに、その下を歩いて25年間気付かないK村さん。(あのKと一緒にされたくないと苦情がくるのでイニシャルKの場合だけ何か付ける)それにしても日頃の立ち振舞いは大事である。可哀想なことに、Tさん本人が何故怒ったか覚えていないのに、Tさんを怒らせたのだからきっとK村さんが悪いに決まっている。ということになっていた。翌日には二人仲良く飲んでいたらしい。それはそうである。なんで言争ったか覚えていないのだから、後をひきようがない。 先日来、孫の誕生が遅れていると心配していたT千穂のマスターに初孫が生まれた。みんなが帰ったあと一人残りお祝いをいう。娘が心配?していたマスターと誕生日が一緒になることも回避された。人が喜んでいるのを見ているは実に良いものである。こちらも嬉しい気分のまま店を出た。私の中にはベンケイガニのような顔が本当に喜ぶとどういう風になるか、というデータが蓄積されたはずである。

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生臭くてベトベトしている河童。いよいよ以前入手したさるローションの出番だが。どうせヌルヌルしているなら、とテカテカした塗装も考えたが、ローションをはじいてしまってうまくいかないような気がして結局、いつものように艶消しにした。この方がローションが表面に保持されるであろう。いずれ雨でも降ったら、草木の陰で撮影したいが、ローション片手にカメラを持っての河童の撮影である。できるだけ許可を取らずに済む所で撮影したい。ローションはあらかじめ水に薄めて粘度を調整したものを、別のボトルに移し替えておくのはいうまでもない。 河童の撮影には晴天の房総で、梅雨の曇天の景色を撮らざるを得ず、かろうじて助けてくれた東ドイツ製の古レンズを使うことになるだろう。フラットな光線で撮ると実に陰鬱に写る。それでいて緑は美しいという、河童の撮影用に東ドイツが開発したと思われるレンズである。逆に画面に強い光があるとフレアーが噴出し、絞ったら余計出て横でサンマを焼いているようであった。なんでこんなことになるのか解らない。つまり駄目レンズの典型だが、道具は使いようである。マクロレンズなみに寄れるところも人形用として有り難い。今後こんなレンズが作られることは永久にないので、飛び道具として念のためもう一本確保しておきたい。 人形用の頭髪も届いた。皿に貼付けておけば、数枚の皿の使い回しですむだろう。河童の皿は水を溜めるため凹状でなければならない。顔かたちを優先するため凸の皿の河童も見かけるが、あれではいけない。 一息つきK本へ。最近またTVに取り上げられたらしく、見かけない顔ばかりである。私の指にこびりついたままの緑色を見て常連が「河童?」。

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甲羅を改造して見違えて良くなったが、以前より一回り大きくなった。三郎は姫神様に会いにいくのに、カカシのボロをはいで着ていく。冒頭、とぼとぼと階段を上る後ろ姿から始めるつもりであるが、そう思うと背負った甲羅が邪魔である。それがあったので改造中、ボロを着ると甲羅が目立たないくらい、背中にフィットした大きさにしようかと迷ったが、なにしろ妖術を使う妖怪である。マテ貝の小さな穴にも隠れられるくらいであるから、身体の大きさも小さくするぶんには自由自在である。甲羅を目立たなくするぐらいできるだろう。甲羅を気にしなければポーズも自由になる。鉄腕アトムにしたって、飛ぶ時赤いブーツはどこへいってしまうんだという話である。 三郎は疣々(えぼえぼ)が立って、と書かれている。ただでさえ可愛らしくないので、そこまでしていなかったが、アップになることもある。疣々を立たせた。

どういうわけだか、パソコンからネット上に書き込めるようになった。こういうところがこのいい加減な機械のよく判らない所である。今までも、何もしていないのにある日なおっていた、ということも随分あった。起動したら何事もなく。ということもあり得るのではないかと昨年まで使っていたウインドウズマシンも未練がましくそのまま置いてある。

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制作  


柳田國男の翁は揉み烏帽子という物をかぶっている。柔らかい布製のふにゃふにゃしたものである。粘土で作ってみたが、ふちが薄いので、とったりかぶせたりしているだけで壊れる。撮影用なので壊れようとかまわないが、柔らかいものということで、場面によっては形を変えるべきではないかと思い出した。また余計なことを、と思うが、三郎が始めて目にした姿と、いったい何事じゃ、と見つめ合った横顔の場面では、いくらか烏帽子の形を変えたくなってきた。歩くたびに形が変わるほどの物ではでないにせよ。粘土で製作中に、鉄腕アトムの角ではないが、どっち側に傾けたら様子が良いか、と幾度か迷った。何個か作るのはかまわないが、額に接する部分は所詮粘土で、いくら薄くしても縮尺から見れば厚ぼったい物になってしまう。そこで和紙で作ってみることにした。私は実は器用でないので、なんでも粘土で済ませたいところなのだが。 河童の三郎の甲羅、スッポン調に柔らかい感じになった。あまりに亀の甲羅じみていたことと、固い甲羅がポーズに制限をあたえそうだ、ということで、スッポンのような柔らかい甲羅にしようというわけである。しかしただスッポンも芸がない。亀甲模様を全部削り取らず、真ん中の一列を残してみた。 今の所身体は、座っているのと立っている2体だけなので、各場面に合わせたポーズを作る必要があるが、とりあえずこの2体に表情の違う頭部を取り付け、ある程度のカットはこなすであろう。人形用の頭髪が届き次第、撮影に入ることにする。 それにしても制作中の独り言のようなつまらない話は、読んでいただいて申し訳ないので、河童のリニューアルした姿をできるだけ近いうちにアップしてみたい。 周囲にもこんな話は興味がなく、Kという文字を探して読むという輩がいる。当ブログ内で馬鹿な人物といったらKに決まっているので、できるだけKと書かずにすませたいところである。

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家のパソコンはメールの受信はかろうじてできているが送信はできず。ブログの更新その他、書き込みもできず、調べ事もあるのでネットカフェへ。ついでに『へルタースケルター』を観てしまい朝の6時。 T屋で朝食。柳田國男の手と足用に、常連の80過ぎのMちゃんと、タクシー運転手のTさんの手を、携帯で撮ってくれるようかみさんにお願いする。帰宅後いったん寝て目が覚めると風邪をひいている感じで節々が痛い。そこで寝床の中に布団乾燥機を導入。ダクト部分を抱えて寝る。 何度か着信があったようだが、起こされると母である。思いっきり寝起きの調子で風邪引いて寝ていたといっているのに、長話。しかも今じゃなくても良いだろう、という話である。どれだけ寝こんでいる息子に話す話でないかは書かないが、風邪で寝込むことがない婆様なのでこの辺は無神経である。いい加減にしてくれと電源を切る。 が目が覚めてしまった。制作の続き。だいぶ良くはなったが、このままではまずいと1時間ほどで再びダクトを抱える。昼に目が覚める。完治。布団乾燥機による荒療治は、風邪ひきの場合の最終兵器である。 宅急便で、ヤフオクで落札した柳田國男の翁が持つ油差しが届く。真鍮に銅の持ち手を継いだ20センチほどのもので、イメージ通りである。当初、行灯に使うようなポットのような持ち手の物をを想像していたが、燈籠は背が高い。ひしゃく型でないと油は注ぎにくいであろう。酸化して黒錆や緑青が良い感じでふいている。当然洗ったり磨いたりせずこのまま使うことにする。そこへT屋のかみさんからさっそくMちゃんのシワシワの手の画像が送られてきた。 使え使えとやかましいKさんだが、日本民俗学の祖、柳田國男の手である。読者の中には人の手を見ただけで品性を見抜く人がいないとも限らない。女性の胸や太腿を触る意外使い道のない手など、どうしても使う気になれないのである。

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石の鳥居のあるカット。作中木製と書いてあるのをすっかり忘れていた。過去撮影したデータをひっくり返し、なんとか木製の鳥居を見つけて上からかぶせる。すぐ横に木製であるという文章がくるだろうから、石でもいいや、というわけにはいかないのである。 柳田國男演ずるところの禰宜いでたちの翁。常夜灯に油を注す、灯ともしの翁である。手には油差しと白髪のような灯心の束を持っている。油差しは柳田像にあわせて粘土で作ろうと思っていたが、たまたまヤフオクで緑青じみた、時代がかった味のあるものを見つけ落札した。そこで立ち姿の柳田にただ持たせるだけでなく、油差しを持った手のアップを撮りたくなる。80に近いという翁だが、実際の老人に持ってもらい撮影したらどうか。そこで再浮上したのが、俺を出演させろ、とうるさかった人物である。顔は使い物にならないが、日頃の不摂生がたたり、62歳ですでにしなびた腕をしている。いつも、これじゃ枯れ木じゃないの?というと反論をするが、本当の80過ぎの爺さん使ったほうがいいかな?というとほら皺だらけでしょ?と、いつもと違うことをいうから可笑しい。 今回、作者の泉鏡花は登場しない予定であるが、せっかくあるし、と思っていて、登場させる場面を思いついた。さてどうするか。 午後二時、昨日と同じ喫茶店で、都内某区のミュージアム担当の方とお会いする。数年後の完成を目指しているらしい。河童や妖怪、江戸川乱歩について長話をする。帰りに小津安二郎を展示している古石場文化センターに御案内する。

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一日  


パソコンの不具合によるようだが、ブログその他、ネットへの書き込みができなくなった。よってネットカフェにて。 元横綱の大鵬が亡くなった。先日二所ノ関部屋消滅に対してのコメントを見たばかりなのに。私は子供の時に、一度だけ千秋楽の大鵬を観た。柏戸を破り優勝。パレードでも手を振った。子供が見ても白くて美しかった。白系ロシア人というのは黄色系ロシア人にたいしての白ではなく、共産系ロシア人の赤に対しての白だと本日知った。結構驚いた。かつての日活ロマンポルノで私のひいきは田中真理であったが、巨人のピッチャー、スタルヒンの孫というのは本当だったのであろうか。 甲羅以外河童の三郎の着彩終わる。どんな河童にしよう、と考えた時、まず考えたのは、可愛らしくしない、ということであった。私とすると、気持ち悪い物や不気味なもののほうが可愛い物より作っていて楽しい、ということもあるが、鏡花の河童に対する描写が肺が腐れたような呼吸音に生臭くてベトベトしているという。これで可愛いとしたら、相当なものである。 時間をかけて制作した風景。私の読み違いで、実際と違う風景を作ってしまった。時間をかけて制作した分、ショックも大きい。編集者は雰囲気があるからいいのではないかという。私も未練がましく、しばらくそのままにしていたが、やはり我慢ができず改造。結果、さらに良くなった。失敗して良かったと思えるまで私は必ずやる。 幼稚園児の頃、同級生に、失敗するたび“失敗は成功のもと”という子がいた。始終失敗しては涙目でいうのだが、成功したためしがない。親が気が利いたことを教えたつもりなのであろうが、とんだ与太郎であった。 と書いていて急に想いだしたのだが、あの頃、私はフルスピードというのは古いスピードだと思い込んでおり、新しいスピードと古いスピードの違いを頭の中で確かにイメージしていた。もっともニシキヘビは二匹蛇であって、頭が尻尾にもある蛇をイメージしていた頃の話である。 いつも打ち合わせに使う、近所のビジネスホテルの喫茶店で、出版社の方と単行本の装丁の打ち合わせ。関西の某企業の社長の自伝ということであるが、社長の御指名らしい。有難いことである。関西の会社をあげよ、といわれても私は関西電力と、その会社しか想い浮かばないのであった。

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今年に入り、PCに関して色々あり、PCからのメールを一切受け取っていない状態である。よって返事が来ないという方もおられるだろう。申し訳ないが、メールソフトに何か引っ掛かるらしく、一時間かかってもプロバイダには原因が分からない。昨年まで使っていたウインドウズも、壊れたのはインストールが原因であった。近日中になんとかしたい。 先日近所の猛禽類カフェに撮影のお願いに行った。『貝の穴に河童の居る事』は異界の住人が多数登場する。鏡花には妙な物の怪を造形してもらいたいところであったが、ほとんど姿形はカラスやウサギ等の普通の小動物である。主役の河童に関しても、鏡花は特に独創的な造形を試みるわけでもなく、存外そっけないが、唯一独創的といえるのが女顔のミミズクである。千里眼で、旅館に宿泊する人間と、鎮守の森の異界の住人との橋渡しのような役割をになう。よってセリフも多い。早い時期に一匹仕上げていたのであるが、人間部門が当初の予定よりレベルが上がってしまい、上野動物園の金網越しのさえないミミズクでは使い物にならなくなってしまった。時間も経ち、どこまで出かけて撮影すればよいか、と思案していたら、よりによって近所に猛禽類が来てしまった、というわけである。 そこで始めてミミズクの声を聴いた。作中鏡花は“ぽっぽぽっぽ”と鳴かせている。実際聴いてみたらギャアというような声であった。私は岐阜の陶器工場にいたとき、狐の声を一度聴いた。昔のことで記憶は曖昧だが、やはりギャアという感じだったように思う。少なくともコンとは程遠かった。動物というもの、特に美声の持ち主でなければ、とりあえずギャアと鳴いておくものなのであろうか。

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『貝の穴に河童が居る事』は当初『貝の穴に河童が居る』であった。鏡花は何故変えたのだろうと思っていたが、昨年暮れに出た『怪』に理由が書かれていた。特集が『河童の最前線』『文豪と妖怪』『柳田國男没後五十年』という私の都合に合わせたような号である。東雅夫さんの『文豪たちの妖怪小説』によると昭和6年。佐藤春夫主宰の文芸誌『古東多万』創刊号に載るさいに、同時に掲載される谷崎潤一郎の『覚海上人天狗になる事』との重複を避けるためだったそうである。先輩の鏡花が譲ったことになる。 河童の三郎の体色が、あまりにただ緑というのも芸当がない気がしてきたので塗り替える。いくらかスッポンじみたかもしれない。甲羅もスッポン調にしようと思ったが、それも芸がない。一部亀甲を残しつつスッポン調にしようと考えている。 正月に制作した三郎の表情違いの頭部は5種。喜怒哀楽にプラス、人間のステッキで腕を折られた瞬間の表情である。“怒”をもう一種作るつもりだが、これに基本の原型である普段の表情が加わる。立体は角度、光線状態で表情が変わる。よほどの事がなければこれですべての場面をカバーするはずである。 夕方銀座の伊東屋に画材を買いにいくついでに山野楽器でギターのピックを買った。長いこと一人で遊び程度にポロポロ弾くだけだったので、ピックを使わず人差し指で弾く、というまるでゲイトマウスブラウンのような妙な癖がついてしまい、ピックが手に付かず。ゲイトマウスはあの長い指で弾くから画になるのである。

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積雪  


これでは止んでも明日は凍るであろう。明日も外へでないつもりで早々に酒や食料を買い込む。トラックが永代通りの緩い坂を上れず人が押していた。 雪で電車が止まっていると母から電話。この雪の中、神楽坂の寺にお参りに行くという。80過ぎの年寄りが何をしているという話だが、いうと止められるから黙って出てきたという。叔母と連絡がとれないので、従兄弟の住職に連絡をとって欲しいという。神楽坂など、この雪でタクシーが上れるわけがない。私がおりん婆さんを歩かせたのは雪のない平らな場所である。しかも粘土だし。 結局両国で降り、歩いていた相撲取りに近辺の状況を訊いて、大江戸線で神楽坂に向かうという。駅からはそう遠くはないとはいえ、23区でもっとも標高の高い寺である。杖をついた足の曲がった老婆が雪降る急坂を上がって行く。妹に買ってもらった雪用の長靴を履いているから大丈夫だ、といくら止めても無駄である。結局墓地内は積雪で断念し、門前で拝んできたらしい。昨年の猛暑時、この炎天下、80過ぎの婆さんなんか、どこも歩いていないぞ、といくら止めても歩き回っていた。結局叔母と恒例だというどこかの新年会に出て、帰り飯田橋に6時。電車が止まり4時間かけて帰ってきた。親のいうことを訊かない、と散々いわれてきた私だが、それはいったい誰の血だ、と改めていったやりたいところである。

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一日  


T千穂の常連は六本木にベンチャーズを聴きにいった。11時に集合と聞いていたので随分帰りが遅いと思っていたら、出かける前から飲んでいて、公演自体は二時間もなかったらしい。その間私は河童の甲羅の改造。着彩のイメージも決まった。 帰ってきたSさんYさんとMで打ち合わせ。Yさんは前日新しいギターが届いたという。来月スタジオで三人で始めて練習をする。まずはビートルズの曲を、ということになっている。中学から高校生時代練習した覚えのある曲で、その時も3人だったので、私はベースかドラムをやったが、その経験からSさんが担当のベースは簡単だよ、といっていたのだが、今回改めて聴いたら、物凄く省略していたことに気がついた。ジョンも認める名手のポール。簡単なことはしていなかった。Sさんは音程を変えずにテンポだけを変えられる機材を持っているという。スローにして聴きながら、コピーをしようというわけだが、私のいい加減さに間もなく気付いてしまうことであろう。たまたまベースを持っていたSさんが悪い。 高価なギターを汚い手で触りたくない、と白い手袋をはめて弾くというSさん、それもどうかと思うが、アンプから機材から、箱から出さないままのものが随分有るようで、おそらく説明書を読んだだけで満足してしまうのであろう。説明書が見当たらない、とよく聞く。カメラマニアでも開封しないままのライカを後生大事にしている人がいる。ライカが入っていなかったどうする、という話であるが、男という物、誰しも少年時代経験があるだろうが、見たこともない物にさえ興奮できる、という芸当を持っている。その想像力、妄想力は女性には及びもつかないであろう。トラックドライバーのSさんには、そんな物は運転に邪魔なだけだが、私はそれを利用して河童など作っている。今回も書いているうち、予定と違うところに着地してしまった。

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昨晩は以前同じマンションにいたYさんから飲酒の誘いがあったのだが、手が空いたら連絡します、といいながら結局午前5時まで制作。朝方夢を見た。 髪を真ん中から分けたロングヘアーの女の子と過ごす夢である。南沙織か重信房子か、私の少年時代はいくらでもいたが、最近めったにみない。そういえば、私にこれを読め、と万引きした澁澤龍彦集成の1冊『エロテイシズム』を押し付けた娘もこのタイプであった。人生を変えた一冊といえばまさにこれで、陶芸作家を目指していたはずが、実は頭でそう考え行動していただけであったことに気付いてしまった。表層の脳の性能が悪く、直感で行くべきだ、とまだ気付いていない時代である。紙コップで十分という私は所詮陶芸作家には向いていなかった。 ところでその娘は見覚えがなかったが、何しろ夢のことであるから相当楽しい。肝心なことがハショラれていたのは残念であったが、一度帰って30分くらいでもどる、と部屋を出ていった。私はトランジスタラジオを着けっぱなしで寝てしまっていたが、永六輔の番組であろう。野坂昭如の『黒の舟歌』がかかった。それはいいのだが、櫓をこぐキイキイいう音が効果音に使われていて、これが実に嫌な音で、キイキイいう度目が覚めてくる。高校の時、担任にお前等現国の点数が悪いから、となぜか野坂の『エロ事師たち』を放課後全員朗読させられたことを想いだした。前の年は石川達三の『四十八歳の抵抗』だったらしい。当時通信販売の野坂の自主制作レコードは、たしかバージンレコードと洒落ていたか、紙製のレーベルに穴がなく、ターンテーブルに乗せる時に...。という物であった。野坂が大島渚をマイクで殴るシーンから、予備校で生徒に腹を殴らせたアントニオ猪木が、反射的に生徒をビンタしてしまうシーンが浮かんだ頃には、彼女が帰ってくる前にすっかり目が覚めてしまった。天井を眺めながら「のーさーかー」。と恨みがましくつぶやいた記憶があるから、今こうして書いている以上に悔しかったようである。

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浜辺の松の木の下でせんべいを食べビールを飲む三人組。すでに完成していたカットを、見開き用の横長の構図に変更する。ロケ地の海岸には都合よく松の木が生えていなかったので、都内で撮影した松を移植した。松の木を移動したら、はるか向こうにサーファーがいた。三島の背景用に灯台を撮影し、作業を大半終えたところで、上で若い男女が抱き合っているのに気づいたこともある。背景を決めるときは、ざっと見てピンとくるぐらいでないと使えないので、すぐに決めてしまうのであるが、こういうことがあるので気をつけなければならない。 先日撮影したカットで、場面の解釈に関し、決めかねているカットがあった。鏡花は読者に任そうと、あえて触れないでいるのであろう。だったら私も余計なことをせず、と考えないでもなかったが、私のやっているのは小説のビジュアル化という、そもそも最初から余計なことをしている訳である。それに迷った場合はやってしまう方を選ぶことにしている。やりすぎて後悔したことは一度もない。 作者の鏡花は極度の潔癖性である。なので当初は考えもしなかったが、ここへきて鏡花の筆の走り方は、完成度より、むしろ生臭くベトベトして幼稚な河童の気分で書いているように思えてきた。こういう作品は、おのれの顔をフィリピンパブのフィリピーナに「苦労ガ足リナインジャナイ?」と評されてしまうような、幼児性を保持した私のような人間こそ手がけなければならない。堀辰雄は『こんな筆にまかせて書いたやうな、奔放な、しかも古怪な感じのする作品は、あまりこれまで讀んだことがない。かう云ふ味の作品こそ到底外國文學には見られない、日本文學独特のものであり、しかもそれさへ上田秋成の「春雨物語」を除いて他にちよつと類がないのではないかと思へる。」と書いている。

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先日撮影したカット。全6カット仕上がる。踊りの師匠の瞬き、さすがに今回はパッチリと見開いていた。踊りの師匠は近所のカミさんK子さんだが、人間どもの撮影は、このカミさんが最初にハードルの高さを決めたといってよい。 河童は自分の腕を折られた腹いせに、三人が宿泊する旅館の部屋に、大魚イシナギを上から放りこんで欲しい、と異界の姫神様に願い出る。しかし異界も人手不足である、と断られてしまう。であるから実際は実現しなかったシーンだが、画として面白いので、最初に制作を決めていた。そこで、このあたりにデッカイ魚が落ちてくるから、といって一二の三!で驚いてもらったのだが、これが実に見事にやってくれ、笑いのうちに数カットで終わってしまった。それを横で見ていた主人役のMさんは、カミサんがそこまでやるなら、とこれもまた運動神経を発揮し、数カットで決めてくれた。 イシナギを運んでくる赤フンドシの漁師二人組は、Mさんの町内会の神輿担ぎの若者を紹介してもらった。その彼に、誰か調達してもらおうと思ったのだが、本人の顔が良いので、出てもらうことにした。Mさんは子供の頃から知っているという。撮影当日、『このMさんがこれだけのことをしてくれているのだ、君等もそれなりのことをしてくれなければ困るな』。とばかりにMさんの出演カットを見せ、それが効いたのかどうか、冒頭、物語中唯一河童と顔を合わせる人間として十分過ぎる結果を出してくれた。 結局人間の皆さんの想定外の演技に、全体のイメージの再考を迫られる、という嬉しい結果になった。河童の毛や甲羅に、今頃になって不満を感じ、作り変えることになってしまったのも、実は踊りの師匠が最初に決めたハードルの高さのせいである。というのが本当のところであろう。



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昨年梅雨時の房総に、撮影に出かけたつもりが一滴も雨に降られず、梅雨時らしくするために夕刻に限って撮影することになってしまった。出発が遅れたのは、岩陰や茂った夏草の中に河童を直接置いて、合成を使わない撮影をするため、せめて2体を、と作っていたせいである。しかしなんとか撮れたのはほんの数カットであった。原因は頭の皿にある。原型となる一体目の頭部は、内部のくぼみに目玉をはめて、ポーズごとに視線を変えられるようにしてあった。ところがあまりに強い浜風に、うっかり瞬間接着剤で皿を固定してしまった。そのとたん目玉が内部で外れた。皿をはずしてやり直すにしても、植えた人毛を皿で押さえ込むようにしていたので、はがせば毛が酷いことになる。河童を作っていて梅雨を逃し、あげくは河童も撮れず、踏んだり蹴ったりであった。 しかし先日書いたが、人毛だと縮尺的にいくら細いものを使っても、針金のような剛毛になってしまう。それよりこの哀れな河童は、雨に濡れた顔面に、毛をべっとりと張り付かせてみたい。もう一つ。甲羅が亀の甲羅に近いのが気に入らなくなってきた。亀の甲羅だと、背負っていればポーズに制限がある。それよりスッポンの甲羅のように、薄くゼラチン豊富で柔らかい物に作り替えたくなってきた。これならポーズがかなり自由になるであろう。 房総で河童の撮影が巧くいっていたら、作り変えるかどうか、ここで私はもだえ苦しむところであった。“良かった、河童の撮影巧くいかなくて” 私は悔しいので、失敗しても都合良く、失敗して良かったというところまで持って行く。

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