明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日は朝起きてからずっとモニターの前。電話に出た意外は作りっぱなしである。何時間モニターを見つめていても目が疲れないのが有り難い。背景がほぼ完成していたので数日間、河童と翁をそこに合成する作業を続けている。河童の三郎は、後ろ姿を含めて15カット。予定では、最後の一体を作って撮影すれば、三郎は終了の予定である。1カットのための1体であるから、写らない所までは作らない。 

私はもともと架空の人物ばかり作っていた。子供の頃から、何かを見ながら絵を描くのが苦手で、写生が大嫌いであった。当然デッサンも嫌いで、まして石膏像は数える程しか描いたことがない。そして自己流で架空のジャズマンなど作り始めたが、なにしろ自己流であるから、何処かヘンなのに何処をどうして良いか判らず、しょっちゅう固まっていた。イメージした物がおおよそ作れるようになるまで、これほど時間がかかるものだと知っていたら、もう少し考えたかもしれない。戻っていって教えてあげたいくらいだが、どうせ聞きゃしないだろう。結局は同じことになりそうである。当時は、たとえば私が作る鼻が実際とちがっていても、そう思い込むいは理由がある、と考えており、実在した人を資料写真を見ながら作っては、本当のことが頭に入ってしまい、入ったら出て行かず、好きなように作れなくなる、と長らく信じていた。ところが今は実在の人物ばかり作っている。カメラやパソコンなど、苦手だった物に限ってやることになってしまう私らしい。 依頼された仕事を別にすれば、架空の人物(ではなく河童だが)を作るのは数十年ぶりである。やっぱり作っていて清々しさが違う。何も気にすることなく、水っ洟を垂らしたり、蠅をとまらせたりしている。



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昨日撮影した、ひれ伏し翁を見上げ、敵打をお願いする河童。真剣にお願いさせるつもりでいたが、撮ってみたら、不細工に作ったつもりの河童の三郎が想定を超えて男前に写っていた。お願いしている内容がそもそも自分勝手である。オッツチョコチョイがオッツチョコチョイなお願いをしている。そう考えていたのだが、あまりに純?な眼差しに、予定と違うそのカットを選んだ。一方、柳田國男の翁は、孫を見つめる老人、もしくは愛犬を見つめる愛犬家、みたいなことをイメージしてはいたが、撮ってみたら、いつもの柳田の顔と違って見える。そうイメージしながら撮影しているからそうなる、といえば簡単だが、産みの親であり、その誕生の事情から素材から熟知しているからこそ、そう簡単でない事も判っている。私が寝ている間に演技プランを練っていてくれていたのか?ノイローゼといわれかねない。 たしかに寝不足ではある。寝床を寝づらくして睡眠時間を削る作戦にすでに入っている。夕食は最近T千穂で塩サバという日が続いているが、毎日ラストオーダーの10時半ギリギリである。カウンターの両サイドの常連の声が遠くに聴こえる。制作する河童はあと1匹。 のはず。

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今まで撮影に使って来たマンションの屋上の、2カ所ある出入り口が施錠されていた。1カ所は最上階の一番奥の私の部屋からすぐなので、機材その他、運ぶ手間がかからなかったので重宝していたのであるが。もう一昨年になってしまったが、三島由起夫へのオマージュの『潮騒あるいは男の死』で、海女着の女性に、ヒシャクでじゃぶじゃぶ水をかけながら撮影できたのも、この場所のおかげであった。屋上を一杯に使い、最適な光を求めて動き回ることはできなくなってしまったが、幸い主な被写体は小さな人物像なので、小さなスペースでも撮影は可能である。 雨の様子を見ながら撮影を開始する。柳田國男は濡れては困るので、河童の三郎のみ撮影する。三郎は、だいたい乾かないように霧を吹きかけながらの撮影なので、自分が濡れるだけで問題はない。 土下座して人間への復讐を願いでる河童の三郎。それをしゃがんで聞く柳田の翁である。 私はあくまで好色で自分勝手な河童として描いているが、撮影後モニターでチェックすると、三郎の表情が作者の私が意外に思うほど真剣なまなざしであった。お前はあくまで娘の尻を触ろうとして腕を折られ、筋違いの仇討ちを頼みにきたおバカな河童なんだぞ、と言い聞かせてみたが、まあこういうカットが1つくらいあっても良いだろう。採用。

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3割5分はこの場面を作りたいがため、といって良いであろう。ようやく柳田國男と河童の対面シーンである。私にしてみれば三国連太郎と佐藤浩市の共演を演出しているような気分であるが、両者を同じ土俵に上げる貴重な機会である。本来、柳田登場は出版までサプライズとしておくべきだったかもしれないが、周囲三百メートル程度の範囲で暮らしているような人間のブログである。多少珍しいことでも書いておかないとならない。 私はついにこの日が、という気持ちもあり、生き別れの親子対面のような気分になっていたが、そうではない。河童が娘の尻を触ろうとして、河童の存在を知らない人間にたまたまステッキで腕を折られてしまう。そこで憎っくき人間どもに仇討ちを。勝手なことを願い出る場面である。翁は“こなた道理には外れたようじゃ、無理でのうもなかりそうに思われる”。それは道理からはずれているだろう。しかし翁も異界の住人。河童には甘い。姫神様にお伺いを立ててやろう。ということになる。まず禰宜の出で立ちの柳田國男登場。登場しようとしているところでまだ透き通っている。とうとう私は柳田國男を異界の住人にしてしまった。 私はかつてジャズやブルースの人形を作っており、始めて人形を撮影した写真を展示するにあたり、過去に実在したミュージシャンを作って撮影してみた。なかなか面白かったが、生身のミュージシャンを撮影した写真は腐る程ある。十字路で悪魔と取引するブルースマンならともかく、わざわざ作り物でやったところで表現としての発展性はなかったろう。どうせなら作り物でないと実現しない世界を手掛けたい。というわけで、柳田と河童の対面が始まる。

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本日は天気が良すぎて柳田國男と河童のツーショット撮影は延期。さらに『貝の穴に河童の居る事』を熟読する。

河童の三郎は娘の脱いだ足袋に隠れ、残り香を嗅ぎながら娘をながめ「一波上るわ、足許へ。あれと裳(もすそ)を、脛がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、かとも、翁様。」鏡花が書くとなんとも趣のあるように聴こえるが、ようするに三郎は、浅瀬で遊ぶ娘の、裾からちらちらと見えるふくらはぎがたまらない、といっているわけである。よって翁にいわれてしまう。「ちと聞苦しゅう覚えるぞ。」すると三郎は反論する。「口へ出して言わぬばかり、人間も、赤沼の三郎もかわりはないでしゅ。翁様。」 どうもしょっちゅう似たようなセリフを聞いているような気がする。となるとあの人しかいない。63歳の近所にすむ陸河童のKさんである。T千穂のカウンターで、三郎の表現とは天と地の差がある貧弱なボキャブラリーで品のないことを一くさり。するとT千穂のおかみさんにいわれる。「またKさんイヤラシいことばっかりいって」。陸河童のK公は反論する。「違うの、みんないわないだけで男はみんな女が好きなの!」何十回と耳にしている会話だが、書いていて恥ずかしくなるような63歳のセリフである。二匹の河童は、自分たち以外が何故口に出さないかが理解できないでいる。そう思うと河童の三郎はまだしも、一匹はすでに63歳である。

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朝から翁の被る烏帽子を作る。最初に紙で失敗し、2度目は布の質感がいまいち。結局小津安二郎のマフラーと同じく、またBVDのTシャツである。馬鹿の一つ覚えのようであるが、人形のスケールと布の素材感を合わせるには、どうしても柔らかい布を使うことになる。BVDなら豊富にあるし。というわけである。加えてアクリル絵の具でボテボテと染めることによりごわついて、紙や布に漆を塗るという烏帽子の質感に近づいた。油差し、灯心、火打ち袋はすでに揃っている。 今回は作者の鏡花に代わり柳田國男が河童の三郎と相対する。明日、晴天でなければ屋外で撮影するつもりである。まず見開きページ。横向きで向かい合うカットから始めたい。 河童はニホンザルと蛙と亀が混ざった物、というイメージで作ったが、妖怪は神の零落した姿であると考える柳田が、慈愛の眼差しで三郎と向かい合うのは面白いと思うのだが、一方、極度の潔癖性の鏡花が、小さいとはいえ90センチもある、ヌラヌラベタベタ生臭い河童と向かい合い、慈愛の眼差しで、というわけにはいかないであろう。その代わりといってはなんであるが、先日思いついた、鏡花先生の大っきらいな蠅を三郎にとまらせるというのは本気である。ワンポイント的にどこか可愛らしく見える場面で実行するつもりである。 それにしても先日まで蠅を撮影することになるとは思いもよらなかったが、自分が思いもよらなかった物を作ったり撮影する事態になる。こんなに喜ばしいことはない。私はなんとかして昨年、こんな作品にしよう。などと考えていた私を打倒したいのである。

かあかあ。ひょうひょう。

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河童の三郎の頭部、喜怒哀楽他の表情を作ったのは今年の正月であったが、ここへきてようやく三郎のカットの仕上げに入っている。人間に対する河童の復讐譚であるが、主役の河童より先に、人間パートを済ませておいて良かった。近所の素人役者の方々が、想定外の演技、表情を見せてくれた。 先日編集者と打ち合わせの際、「このタクシー運転手、自腹で帽子まで用意してくれたのに1カットしか出ないから、もうちょっとこっちに」。(※私は計3カット提案したが却下されている。「炎天下、これだけやって使われるのは1カットだったりして」。という運転手の言葉が耳に残る。)アダージョで三島由紀夫を制作したとき、当初一人の練習生の顔に完全に文字がかかっていた。郷のお袋さんに表紙に出ること、すでに伝えているに違いない。デザイナーにお願いして顔が判るよう文字をずらしてもらった。私はそういう人間である。しかし編集者は違う。「もういいじゃないですか。人間部門が濃いので」。という訳なのであります。以上。 もっとも主役が不在のデータなので余計にそう見える。主役は河童の三郎である。あくまで人間達が三郎の喜怒哀楽を引き立たせる脇役になっていなければならない。結果、近所の役者の皆さんにハードルを上げられ、三郎を塗りなおし、甲羅をバージョンアップ、髪も変更することになった。後の素人役者の奮闘を知らずに三郎を先に仕上げていたら、こうはいかなかったであろう。

 

『三保の松原世界遺産に』 富士山に駿河湾。あと足りないのは三保の松原だ、といっていたのだが。

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TV東京の『世界ナゼそこに?日本人SP』でカリブ海のベリーズというジャングルで自給自足の生活をする人が出て来た。私が陶芸作家を目指していた頃、一年一緒に生活した先輩のMさんであった。 Mさんが北関東のイノシシのせいで廃村になってしまった、4キロ四方に人家がない場所で独立するというので、もう一人の先輩と手伝うことになつた。番組では手製の五右衛門風呂に浸かっていたが、当時は私が五右衛門風呂を湧かした。湧き水をFRP製の風呂に貯め、靴下をフィルターに、半分に割った竹をといにして蛇口までひいた。そう思うと電気、ガスがあることを除けばベリーズの生活は驚く程ではない。食用にアルマジロを捕る場面がでてきたが、Mさん現地人をただ見ているだけ。たぶんこの手の作業は苦手であろう。 よく思いだすのは、材料の買い出しに先輩2人が車で出かけた。若い陶芸家の卵がたくさんいる産地で羽を伸ばしていたのだろう。帰ってこない。私は1週間程犬と取り残された。山菜採りが1人登って来たくらいで、その1週間は人にも会うことはなかった。TVもない。いわれた仕事は済ませてしまった。こんな状況じゃないとやれないことを考える。こういう場合、おそらく1割くらいの人は密林王ターザンを試みるのではないか?全裸になり犬と一緒に山の上へ。しかし砂利が痛くて10メートルで挫折。ついでに、生まれてから肛門に太陽光が当たったことはなかったろう?。4キロ四方人がいない所で、1週間人に会わないとこんなものである。 Mさんは当時から自給自足生活にあこがれを持っていたが、インドへ行ってから拍車がかかったようである。止めてから数年後に訪ねていくと、陶芸をやっている様子はなく、陶芸用の窯は薫製窯と化しサバ等がぶら下がっていた。「あんまり考えなくていいんじゃないの?」ニコニコしながら美味しそうなタバコをふかしていた。再婚した外国人の奥さんと理想の生活を手に入れ、幸せそうでなによりである。それにしてもちょっと老け過ぎじゃないの?

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最終ページは前後にカラスをしたがえた河童である。振り返りながら飛び去っていく。それが着彩を残し完成。これで作らなければならないのはあと2体。1体はほとんどシルエットなので小さな物で充分である。週末には、柳田と河童のツーショットや、個々の撮影を始めたい。そのためには翁が被る烏帽子を今日の夜中には作りたいところである。三郎と翁、同時にいっきに撮影したい。 パソコンのある部屋の窓を開けていると、都心方向から遠くの車の音が聴こえてくる。これが房総の波の音とほとんど同じである。潮で空気が煙っている様子が目に浮かんでくる。昨年房総で最初に撮影したのは泳ぐ三郎である。水中モーターは2連にしようとパワー不足で、結局Kさんにテグスで引っぱってもらった。そういえば先日、人物像を作る私の、フランケンシュタイン博士の教訓について書いた。つまり“やり過ぎてはいけない”。であるが、もう一つあった。“助手は選ばなければならない”。である。映画では博士の助手のフリッツがボンクラで、よりによって極悪人の脳みそをもってきてしまって、それがもとで怪物ができてしまう。おなじくKさんはまったく役立たずで、自分の目的を果たすと、テグスを引っぱっただけで東京に帰ろうとする。酔っぱらって一人で同じことを朝まで喋り続け、自転車でこけてケガ。足手まといなだけである。まず自分用の脳みそをどこからか調達してきて欲しい。

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タイトルは『貝の穴に河童が居る事』である。貝の穴に河童が居るカットと、マテ貝のカットは必用だと考えたが、スペースがないので二つを合体させ、穴の中で三郎が諏訪の御柱祭のように、マテ貝に跨がっているカットを考え、ようやく三郎を跨がらせた。マテ貝は撮影直後焼いて食べたが、味が濃くて美味であった。そこらで見かけないのが残念である。 娘の目が穴に蓋をするように覗いている。いくらお転婆だといっても、着物の女性が蓋になるほど浜に伏せて覗くことはありえないだろうが、おかげで面白い画になった。三郎はその目の美しさに見とれているところを、旅館の番頭にステッキで腕を根本から折られてしまう。 鏡花という人は関心の有ることと無いことがはっきりしているタイプなのかもしれない。私も小学校の1年の時から、通知表に延々と書かれ続けた口であるが。たとえば三郎に対して主役であるにもかかわらず、その造形にはほとんど関心を示していない。ただ青くヌラヌラベトベト生臭いだけである。異常といえる潔癖症の鏡花は、姿形はともかく、やたら不潔で嫌な感じの奴だ、といいたいのであろう。舌を出せば“青ミミズのよう”である。ビジュアル化している私としては、肝心の河童を好きにつくれるので好都合ではある。 空を飛んだり、なかなかの神通力の持ち主だが、あとはただ一般に伝わっているような、好色なオッチョコチョイである。この点を柳田國男に「河童を馬鹿にしてござる」。と評されてしまうわけである。 ところで今書いていて一つ思いついた。鏡花はばい菌恐怖症でハエが大の苦手である。キセルの吸い口には紙のキャップをしているし、重箱から料理を取り出す時もそっと蓋を開け、すぐ閉じる。先日三郎に鼻水をたらしてみたが、ハエをとまらせたらどうであろう。不潔感は一発で表現できる。鏡花先生、あなたの河童はつまりこういう奴でしょ?「な、なにもそこまで!」。

「無惨やそのざまよ。我も世を呪えや」

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柳田國男が私にムリヤリ演じさせられる灯ともしの翁は、手に油差しと灯心を持っている。灯心というと何かをよじったものを想像するが、おそらく鏡花がいうのはこれであろう、という物が届いた。い草の芯だそうだが、スポンジのような質感で、油をいかにも吸い上げそうである。しかし思ったとおり、アップで使うわけではないので、私が今日も食べたソーメンで充分代用できた。人には本物にこだわってます。といっておこう。

昨年河童の頭部を制作中に、ツイッターでかつての強豪プロレスラーが映画に出演している話題になり、検索して見つけたユーチューブに、ハリウッドの悪役リチャード・ウィドマークが映っていた。完成の頃、当初イメージしていた河童の顔と着地点が違うな。そういえば、と気がついたのを思いだした。TVでの吹き替えはネズミ男の大塚周夫である。これも何かの縁か? 近所の陸河童のKさんが、私の作った三郎と似ているという人がいる。娘の尻を触ろうとして大ケガするというイメージが重なるだけで、たいして似ているとは思っていなかった。しかしおでこのカーブに二本のシワ。それと特に団子っ鼻が似ている気がしてきた。いや確かに似ている。やはりKさんは私に河童を作らせるために現れた妖精なのかもしれない。役目はもう済んだのでお帰り願いたいのだが。 Kさんがいつだったか風邪ひいて鼻水が出ていたので「脳みそ出ちゃってるよ」。といったことがある。まだあの中に脳ミソが入っていると思っていたのだから随分前の話である。だから、というわけでは全くないが、水から上がった三郎が、プールから上がった小学生のように鼻水垂らしていたら面白いのではないか、と垂らしてみた。本来河童自体がヌメヌメしているし、水に浸かりっぱなしの河童が風邪ひきでもないだろうが、だからこそハナたれ河童は珍しいのではないか?これは別のシーンで使っても良いだろう。鼻水の使用方法は赤塚不二夫とほぼ一緒である。

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私の世代は子供の頃に怪獣、妖怪ブームの洗礼を受けている。これら異形の者達を“カッコイイ”と評した第一世代ではないだろうか。小学校では休み時間に油粘土で恐竜、怪獣を作りたおしたものである。それから幾年月。ようやく河童を手掛けることができた。日頃ただムラっときたからといって作ることは戒めている。発表の機会、依頼がないかぎり余計な物は作らない。ただ作りたいから作っていたら小学生である。もっとも、作ってしまいがちなので戒めているのであるが。 4年続いた『中央公論Adagio』でもお化け妖怪の類いを作りたいがために、小泉八雲、泉鏡花はどうでしょうか、と表紙をただ担当する立場からアピールし続けたが叶わなかった。円谷英二で巨大蛸に勝どき橋を襲わせることはできたが、その方が面白いのでタコは本物を使った。 先日書いたように、河童を作っていても誰にも咎められず、むしろ近所の人や出版社に早く作れ、といわれている。アンドレ戦の前田日明のように「やっちゃっていいんですね?」状態である。河童の撮影に入ってからは至福の日々といってよい。私が加山雄三だったら鼻の横がすり切れ血がにじんでしまうであろう。(意味が判らない人は50過ぎた人に聞いて下さい) 屋上にて河童を直射日光のもと撮影。腹這いになり、横には某ローション。念のためにペットボトルに移し替えてある。河童をベトベトにして撮影。好きなことをしていても罪悪感が拭えない、と先日しおらしいことを書いたが、同時にやっちゃ行けないことは楽しい、という体質であることも書かなければならない。私が馬鹿なことをしているな、と自嘲気味に薄ら笑いを浮かべた時は、快感物質が脳内にわき出している時である。やはり同じく、屋上で瀬戸内海から届いたタコにポーズを付けていた時も相当なものであった。本日失敗といえば、うっかりヒートテックのTシャツで炎天下にいたことぐらいである。

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本日はスタジオを4時間借りていたのだが私は不参加。下手なりに面白くなっていただけに他の2人には申し訳がない。 その間に杉の古木の陰から河童が顔を出し、たったいま石段の下ですれ違い脅かした、漁師2人の様子を伺っているところを制作。下では漁師があわてて逃げ出したくせに、戻って来て河童の姿がないことを確かめると、「畜生、もう一度出て見やがれ。あたまの皿ア打挫(ぶっくじ)いて、欠片にバタつけて一口だい。」と強がって石段を見上げている。河童は青ミミズのような舌をだして「コワイ」。 杉の大樹は母と奈良の長谷寺に行った時に撮影し、三島由起夫へのオマージュ『男の死 神風連史話』で一度使っている。この場面に房総の神社の石段を合成し、登りきったところに杉が生えているという設定である。編集者は河童が小さくなってしまうので、石段をカットし、見開きで使いたいという。これではせっかく作った風景が台無しではないか。憮然とする私。しかし本日、杉の脇に河童を配してみたら、河童の表情が思いのほか可愛い。不細工に作ったつもりが毎日見ているせいだろうか。私としては基本は人形の制作及び撮影である。いくら良い風景ができたとしても、やはり優先すべきは河童の表情であろう。次回の打ち合わせでは、なんなら河童をもっとアップにして、みんな取っちゃおうか?といいたいくらいである。しかし憮然としてしまった手前、君のいう通りだった、と素直にいう気にはなれない。うっかり周りを削除してしまったことにしようか、などと姑息なことを考える私である。まあこうやって、ああだこうだと紆余曲折しながら完成に向かうわけである。 この場面は2人がスタジオに入っている間に完成し、やっぱり今日はスタジオに行かなくて良かった。と無理矢理思い込むことに成功した。

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先日編集者との打ち合わせで、あと2週間でおおよそのカットを完成させることになった。編集者との意思の疎通が今ひとつ。忙しいのは判るが、打ち合わせが少ない。会えば私が何日もかけた作品を平然と没にする。まあそれは良しとしよう。客観的な視点は必用である。それでも作家の制作に対するナイーブな心を少し配慮すべきだと思うのである。バッサリ切るにもいいようがある。だがしかし、河童を作って良い状況を作ってくれたのはこの編集者である。なにしろ“河童を作らなければならない”のである。なんというパラダイスな響きであろう。 例えば私に遊び人の粋な叔父さんでもいて、その人は親類には疎まれてはいるが、小さい頃から私をかばってくれ、後には酒も飲みに連れていってくれて、おまけに余計なことまで教えてくれて。なんてことでもあったら良かったが、そんな人材は皆無であった。周りは普通の人ばかり。偉人伝はその場で見ていた人が書いていると思いこんでいた私は、私には資格がない、とすでにガッカリである。 小学校では子供の描く絵ではない、といわれ続け、コンクールにも私だけ忘れた、といって出してくれない。当時の教育というものがどういうものだったかは知らないが、最も私の好きで得意だと思っていたことが否定され続けた。目がどうかしている同級生のようには描けない。それをそう描いてはいけないというのだから処置なしである。4年生になり、図工の先生に出会う。ようやく認めてくれる大人に会った。この先生とは亡くなるまで付き合いは続いた。先生から私の絵が国語の教科書に採用されるかもしれないという話を聞いた。しかし選評はおなじみの“子供の絵ではない”であった。子供が描いているものは自動的に子供の絵であろう。おそらくこの時点で私の何かがキレた。子供の絵のようなタッチの絵を受け付けないのも、おそらくこのあたりに原因がある。 子供の時代をいかに過ごすかというのは大事である。私は好きなことをやっていても、どうしても罪悪感が払拭できないでいる。そこへ持って来て河童を作らなければならない状況である。河童を作っていながらまったく罪悪感がない。冒頭でああはいったが、結局私にこんな状況を作ってくれたのは編集者である。この2週間、せいぜい面白い河童を作って応えたいものである。

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河童の三郎、快調に撮影進む。曇天の天気がそのまま使えるので有り難い。三郎は作らなければならないのはあと三体程だが、それも遠景で飛び去る後ろ姿だったりマテ貝にしがみ付いていたりと、実物大である必用のない物や杉の古木の陰から顔だけ出し、青ミミズのような舌を出しているところなど、それも全身を作る必用はない。あくまで予定であるが、来週中には柳田國男の翁とのツーショットを、およそ3カットが完成するであろう。 写真作品と違って書籍となると、画像を切り抜いて単色の背景に配し、リズムやメリハリを演出することも必用であろう。特に河童と柳田は背景を用いず、黒バックに切り抜きにして象徴的に扱ってみたい。誰も邪魔されない2人だけの世界である。完成したその日のブログのタイトルは“やっと逢えたね”とでもしてみたい。三郎は柳田に土下座のしっぱなしである。 黒バックの他には編集者の意向で赤を使う予定である。そこで思いだしたのが中学生の時に映画館で見たホラー映画である。殺人鬼を演じたのはジェイソン・ロバーズだった気がしたが、検索しても出てこないので違うのかもしれない。その映画は恐怖シーンの前に画面に警告が出て、警告音とともに画面が真っ赤に点滅した。たとえば捕らえられ列車の手すりに手錠でつながれた殺人鬼が、斧で自ら手首を切断して脱出する。その斧を振り上げた途端、警告が出る。 三郎が貝の穴に隠れていたところを、旅館の番頭にステッキで“カッポジラレ”て腕を付け根から折られてしまう。「痛い、疼い、痛い、疼いッ」。当初暗い穴の中を想定していたシーンだが、警告ではないが、赤バックで三郎の痛さが出ないだろうか。これが事件の発端となり、三郎は鎮守の杜の姫神様に仇討ちを願いでる。

 

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