明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



男女混合競技は初めて見たが、慣れてくるとなかなか面白い。柔道で我が小学校の後輩、ウルフ・アロンが、今回金メダルを逃したとはいえフランスは最強のリネールと対戦。地元の先輩からはラインで「肩が凝って凝って。」しかし残念ながら惜敗。チームも銀メダルに終わる。急にこの先輩から学校の砂場から切断された指が出てきた話を聞いたのを思い出した。先輩は「砂場じゃないよ校舎裏の花壇だよ。」余談にも程があるが。
こちらは指でなく己の腕を切断し達磨に教えを乞うた『慧可断臂図』の慧可は静岡の臨済宗方広寺に中国の元時代に描かれた『二祖慧可図』があることが判った。禿げ具合、こめかみから顎まで髭が繋がり、雪舟はおそらくこの画を見ている。 それまで慧可像は雪舟しか見たことがなく、雪舟も想像で描いたに違いない、だったら私と条件は同じだ、私も想像で作ろう、などと不遜なことを考えていたが、この二点により慧可はこういう人物、ということになっている。で良いのだろう。 これで座禅もしたことないのに禅宗の第一祖達磨大師、第二祖慧可禅師、臨済宗開祖を作るということに。仏罰でも降って来やしないかという気がしなくはないが。

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本日は昭和28年に、力道山の日本プロレス協会が結成されたプロレス記念日だそうである.ここから後に談春と志らく、いや猪木と馬場に分かれることになる。最近のレスラーはみんな一様にビルドアップされていて、体格が真面目でバリエーションが少ない。かつてのキラー・バディ・オースチンや、ディック・マードックみたいな、ちょっと腹が出て、酒浸り調レスラーが見られなくなったのが残念である。 お盆に向けて、制作に集中するため片付けと作業机の移動などししている。少し前にも同じことを書いた気がする。運動不足解消のためのエアロバイクは、未だ梱包も解いておらず。小学三年の通信簿に、すでに”掃除の時間に何をして良いか判らずふらふらしています“と書かれた私である。小学校といえば柔道100キロ級で久しぶりに日本に金メダルをもたらせたウルフ・アロンは、20年前に他校と合併して名前こそ変わったが、後輩だと知った。


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我が家の『慧可断臂図』おそらく雪舟作と同サイズと思われ、作品の部分だけで、横一メートル弱はありそうである。仕方ないので、中村不折の『虎渓三笑図』はしまった。『慧可断臂図』よりさらに大きいのが『琴高仙人図』である。ロデオのように鯉に乗って弾ける仙人。かつて蛸と円谷英二、葛飾北斎同様、本物の鯉を入手して撮影する予定である。安全のため養殖鯉をタコ同様、撮影後食す予定だが、仙人の首を作った時、チラッと検索したら鯉は夏が旬とあったのでそろそろ、と考えていたが、旬なのは洗いの場合で、洗いは、刺身を氷でしめる前に湯で処理をするのにコツがいるようで、さらに落語のらくだのように、死んだ鯉に様々ポーズを付けたり狼藉をはたらくので、鮮度的に洗いは断念。となれば脂の乗った冬に鯉コク、唐揚げ、餡かけが良かろう。そんな理由で撮影スケジュールが変更になった、というお粗末であった。





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昨日、私は暴走中なのではないか?と書いた。山中に暮らす二人の不思議な乞食坊主で個展を、と考えるうち、臨済宗の開祖や一休禅師、仙人や達磨大師にまで手を拡げてしまった。餌を喰らうことしか考えていない金魚を眺めていたせいだ、と金魚のせいにしたいくらいである。 暴走といえば、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。何しろブログのタイトルをもう少しで”及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“にしそうになった私である。“明日出来ること今日はせず”にしておいて良かった、という話ではまったくないが、タイトルで、何かためになることでも書いてありはしないか、と誤解されないように、ということは心掛けた。おかげで、タイトルだけで、読む気が起きない、と某ライターがいっていたと聞いたことがある。

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雪舟の写しである『慧可断臂図』を壁に掛ける。顔が下手くそだが、まあ枯れ木も山の賑わいである。断臂とは腕を切断することをいう。参考にはならないが、こんな物に囲まれていれば、背中を押してくれる。 1回目の三島由紀夫へのオマージュ展に向け、226事件に関する人物の書が集まった。当の青年将校の物など入手は出来ないが、皇道派の陸軍関係者の書で、A級戦犯になったり、処刑された人物も含まれている。直筆の書というのは、この歴史的事件が本当にあった事だと思わせてくれるには、活字を読むのとは違う説得力があり、少しでも決起した若者達にシンパシーを感じていた三島の気持ちを、と考えたが、効き目があり過ぎたか、もうちよっとで、笑いながら処刑されたという北 一輝を作るところであった 。 誰と話し合う訳でもなく、一人集中して制作していると、あらぬ方向に走りがちである。そんな時、制作中の首をポケットに入れ、30年以上通った近所の煮込み屋の女将さんの顔を観に行き、常連と馬鹿話をして、ハッと我にかえる、なんて一度や二度ではなかった.。この女将さんと共にその店も消滅し、コロナ禍で常連と顔を合わせる機会も少ない。ガマ仙人や一休禅師、達磨大師を作っている今の私は、我に返る機会を逸して暴走している状態ではあるまいか?書きながらフト思ったのであった。


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大野将平金メダル。この大野を見たかった。64年の東京オリンピックで、始めてオリンピック種目となった柔道を観た。あの頃は敗者の前でガッツポーズをする選手などいなかった。それがどういう訳か、山下だろうと古賀だろうとガッツポーズで喜びを露わにするようになってしまった。それがずーっと不満であった。そこで本日、待ってましたの大野将平である。勝ってもガッツポーズどころか、畳を降りるまではニコリともしない。敗者に対しての気遣い。これが日本柔道ではないか。白鵬なんてこの青年の気概を見ても何も感じないのだろう。只今知ったのだが、大野は東京オリンピック中量級金メダルの岡野功に指導を受けている。なるほど、これで合点がいった。

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作りたい物は、常にサメの歯のように後ろに並んで順番を待っている。それは何か食べたくなる時、頭で考えなくとも、鼻の奥にイメージが湧くのと一緒である。幼い頃頭に浮かんだイメージは何処へ消えて行ってしまうのか?次に思ったのはそのイメージは何処から来るのか。気の利いた大人でもいれば、「食べたい物は頭で考えなくとも自然に浮かぶだろ?あれと一緒」。とかいってくれたかもしれない。 一昨日テレビで始めて知った『見性成仏』(けんしょうじようぶつ)という言葉。(本来もっている自分の本性・仏心を見きわめて悟ること。すべての人が本来的に仏であることが体感としてつかみうることをいう。▽仏教語。特に禅宗の語。「見性」は自己の本性を見きわめること。gooより) 私は結局、私の正体がずっと知りたかったのであろう。ここへ来て現在のモチーフに至ったのも偶然ではないだろう。

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テレビがなかったせいで、2回のオリンピックを観ずに過ぎてしまったが、カール・ルイスを2度観たくらいで嫌いではない。64年の東京オリンピックの開会式があまりに完璧、鮮烈で、今回シヨボ過ぎて観るに耐えられずほとんど観なかったが、競技となれば話は違う。またこれも年齢のせいか、運営側の不手際続き、コロナのこともあり、残念な結果に終わっても、ご苦労様という気にしかならない。 重量上げの三宅宏美は残念であったが、思い出すのは、父親と叔父の三宅兄弟の真似?をしてTシャツの上に白いランニングシャツを着て歩き回った小学時代であった。ジャークとスナッチで、プレスがなくなっていた。明日は柔道の大野将平が出る。勝っても畳を降りるまではニコリともしない、敗者に対する気遣い。かつての日本柔道が観られる。 私はピストルに撃たれたかのように、寝入りはすこぶる付きに良い。宗教番組をやっていて、達磨大師に付いて語られていた。意識が薄れながら気になる言葉を聞き、何とかスマホで『見性成仏』。身に本来そなわる仏としての本性を見抜いて、悟りを開くこと。

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皆既月食だろうとブルーインパルスが輪を描いていようとわざわざ空を見上げることはない。夜外を歩いていて、今上空は月食かな、とよぎっても見上げないくらいである。随分前に、実演で観てみたいのは、後はジョニー・ウィンターと、春風亭昇太くらいと書いたことを覚えているが、すでに観た。最も好きな画家の一人、クラナッハ展は大きな、しかも長期間展示していたのに、ついに観にいかず。自分でも呆れた。世界の絶景、秘境の類も、子供の頃読んだ探検物でイメージした世界以上の物が実際にあるはずがない。昔ツアーでニューヨークに行った時、イタリア人街や中華街から一歩も出ずに死ぬ人がいると聞いて、そのあまりの狭さに、バカなんじゃないか?と思ったものだが、気が付いたら私がそうなっていた。そう思うとまったく面白味のない、ご隠居のようである。 しかし何より見たいのは、間もなく目の前に現れるであろう、臨済義玄が拳を握って”喝!“という姿であるし、達磨大師に己の腕を切断して差し出す慧可が、立体となって目の前に現れるはずである。幼い頃、頭に浮かんだイメージは何処へ消えて行ってしまうのか?と考え込んだが、あの頃の私に“何処にも行ってないし、ちゃんとここにあるぞ”といってやりたいのである。

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写真が残っているような実在者はともかく、そうでなければ、自分の頭に在るものであれば、ほぼ形になるようになった。長らく実在の作家をやっていて、いつのまにか、自分の頭に浮かぶ程度の物ならば。となっていた。おかげでつい手がすべって、すでに頭が11個である。神は細部に宿るというが、自分の必要とするデイテールさえあれば、それ以上の技術は要らない。むしろ身に付けてはならない、とさえ思っている。一度身に付いた物や事は出て行かない。私は常にそれを恐れ続けてきた。オーバーワークはいいたいことの妨げになる場合がある。私の場合、励んで身に付けようと考えたことが役に立たず、知らない間に身に付いた物だけが役に立つ。なので体が欲していないのに、うっかり知ってしまい、身に付けてしまうと、余計なことをしてしまいそうである。こんな話になると、怠け者が言い訳しているようになってしまうのだが。自分の扱い方は心得ているつもりでいる。

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73代照ノ富士、伝達式で”横綱の品格“と明言した。白鵬を意識してのことに違いない。私は唯一力士と一緒に写真に写っているのが照ノ富士である。といっても、引っ越し前の携帯ショップで、小さな奥さんといたところを私越しに撮っただけだが。白鵬には親方株不認可の声もあるようだが、白鵬が弟子を育てると思うと寒気がする。一体何を教えるというのか。
慧可断臂図』(えかだんぴず)は達磨の教えを請うため、己の切断した腕を差し出す。振り向く達磨大師にしようと思う。雪舟作同様、洞窟状の背景にしたいが、実写にするか、作るか。雪中の場面だがそれをどうするか。それよりもまず慧可の表情、向きである。雪舟同様横向きにするしかないという気がしている。雪舟の慧可断臂図の模写を持っているが、おそらく実物大で、入れ替えないと飾れない。連休中にはぶら下げたい。

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引っ越しを機会に数年ぶりにテレビを買ってよかったが、反面連日、小山田、白鵬と見たくもない物を見せられている。白鵬も何嬉しそうにテレビで喋っている。横審がなめられ機能してない。私はかつて、誰が優勝するかではなく、贔屓の力士だけを観ていたことがあるが、またそうしていこうと思う。相撲協会が襟を正さない限り、白鵬はいずれ戦犯として小山田のように批判される時が来るだろう。 前回の東京オリンピックは夢のような想い出であるが、おかげで東京が一変してし、以来東京の変化には不感症になってしまった。人生の第三コーナーをすでに曲がろうとしている私としては、後は自分がどんな物を作れるのか、それだけに集中していきたい。小学校からの友人は始めっからそうだったではないか、というだろうが、一応これでも演技プランを立て、こっそり生きてきたつもりでいる。一昨日、ついぎようざでも作るかのように粘土を掴んで、達磨大師を作り始めてしまったが、ようやくそんなノリで作れるようになったのかな、と思った。

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一日  


まったく親のツラが見てみたい、と思ったらマヒナスターズらしい。それにしても息子や娘がいるのかは知らないが、父親がいかにバカだったかを知らされるのは、あまりに可哀想である。一方の親は、モンゴル相撲の横綱で、レスリングで東京オリンピックに出ているが、どんな手を使ってでも勝て、と教えたのは、この父親であろう。まあ引退して数十年後、記録は圧倒的なのに、何でこう歴代横綱と比べて評価が低いのだ、と苦しむことになるだろう。 昨日、何の気もなく、粘土を掴んでしまい、そのうち始めるつもりの達磨大師の頭部を作り始めてしまった。あまりこんなことばかりいっているのもどうかと思うが、粘土を手に取りながら、何でダルマさんを作っているのか?と他人事のように考えてしまう。雪舟の『慧可断臂図』では慧可が教えを請いながら達磨に拒絶される。自分の左手を切断、差し出し、ようやく許される。雪舟は壁面に向かう達磨の表情を見せるため真横を向かせている。私は壁の中にカメラがあるように真正面を向かせるか、振り返らせるか、のどちらかにするつもりである。

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白鵬14日の取り組みに、ついに愛想が尽きた。七日目に散々考えたであろう翔猿がやった立ち合いを、俺もあれをやろう、と思ったのだろうか?翔猿がやるのとお前がやるのとは意味が違う。それに加えて、本日の優勝決定戦である。アウトサイダーの試合か?張り手も呆れるが、あの小手投げもヒヤッとした。”進退“の意味も知らずに横綱を続けることが可能であるとは。躾ける能力のない相撲協会が悪い。それに引き換え大谷“ラインを踏まず”翔平の品があのアメリカ人を感心させている。相撲協会は大谷のご両親をアドバイザーとして教えを乞え。 日本の柔道も、いつから敗者の前でガッツポーズではしやぐようになつたのか。この点も前回の東京オリンピック以前に戻し、海外に日本人の勝ち負け以前の品の違いをアピールすべきであろう。東京オリンピックで神永を破ったへーシンクは、日本の師匠に謝ったという。謝る必要など全くないが、押さえ込みで一本を取った直後、畳に上がって来ようとする自国の応援団を手で制しているへーシンクの一カットは今見てもジンと来る。

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無呼吸症候群用スリープメイト一日目。朝、一瞬目が覚め、違和感についスイッチを止めマスクを外してしまった。おかげで二度寝してしまう。しかし午後寝ないでいられたのは久しぶりである。マスクを外さずにいたら、結果はもっと良かったろう。 ふげん社で、二年後に個展を、とお話しをいただいた時、もしや、と計算したら初個展から40周年であった。寒山拾得で、といったものの、さしたるヴィジョンがあるわけでなし、口からでまかせに近いくらいの話であり、しばらく金魚を眺め暮らそう、というのはブログを御覧の方はご存知の通りである。それが足を踏み外す?かのように寒山拾得を放って置いて、禅モチーフに向って行ってしまった。禅に興味があった訳でもないのに。さらに王様が私を石の塔に閉じ込め、ここで好きなことだけやっておれ、と命じたかのようなコロナの状況。また石塚式ピクトリアリズムなければ写真作品にしようがない。これらすべて偶然とは思えない。こういう場合、東洋の魔女の回転レシーブの如く、絶対に逃さず拾うことになる。これは良い悪いの問題ではなく、これが私の渡世だ、としかいいようがないのである。

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