明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日ロレツがまわらないKさんと、もっとも古くからKさんを知っており、アパートの保証人でもあるMさんと、洲崎の旧パラダイス内の定食屋へ。Mさんに意外な話を聞く。Kさんは昔からこうではなく、昔は物凄く真面目で、それが遊びを覚えて次第にこうなってしまったのだ、という。最後の方は危なかったが、ちゃんと勤め上げ、今は遊んで暮らせる状態である。確かに初めからこれだったら、こうはいかなかったであろう。若い頃、日本橋浜町の寮から、同僚と裸足のまま銀座を抜けて、日比谷公園まで覗きに行った話を聞いていたから、最初からこうだ、と思い込んでいたのだが。足音が心配で裸足なら、靴は現場で脱げばよい話である。つまり、そこまで真面目だった、ということであろうか?真面目な人のすることは、時に不可解である。 アパートの近くまで来たのだから、この際アパートを教えてもらう。これで万が一のことがあっても、干からびる前に発見できるというわけである。この部屋が転んでオデコをコタツの角にぶつけて、23針の現場か、と部屋を見上げる。畳の血の跡は未だ取れないらしい。 その日の遅く、携帯の電源が切れた、と私に伝言を残し、街に消えていった。つまり呼び出されることもなく、何があっても私は知らない。
というわけでKさん不在の本日、T千穂へK本の常連と流れる。 以前同じマンションのフリーの映画プロデューサーのYさんが久々に合流。旧メンバーが揃う。近々このメンバーで花見を兼ねたカラオケ大会の予定である。私は以前はカラオケとなると途中離脱していたのだが、Kさんのおかげですっかり慣れてしまい、現在ではエレキ歌謡炸裂だぜ、という有様だが、この話をしたら母も参加したいなどといい、皆さんも是非、といってくれるのだが、幼い時、ハーモニカで『お馬の親子』という宿題が出て、吹けない私は、泣きながら母に特訓させられた記憶があまりに鮮明で、母の前で楽しく歌える気がしないのである。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




本郷の出版社は小さな出版社だが、晴天の霹靂の如くに、ある書籍が爆発的大ヒット中で、打ち合わせどころかメールの返事もできない状態らしい。というわけで、今のところ制作を始めるつもりはないが、キャスティングの方は端の方から決めておきたい。 旅館の番頭が必用である。配役として浮かんだのが、K本を出入り禁止になった爺さんで、酔っ払って朝だと思ったら夜だった、といって飲みにくるような爺さんである。ただこれはある亡くなった役者に似ていて、その役者が印半纏を着ている役をよくやっていたことからの連想のようである。それに当初イメージしていた旅館が、ひなびた小さな旅館だったのだが、少々グレードアップした場所を撮影に使うことにしたら、番頭というより、どちらかといえば下足番だな。というわけで却下。そもそもこの爺さん、生存の確認が取れていない。となると立派な旅館でも、上手く差配してくれそうな顔が一人あった。近々交渉してみることにする。こうなってくると、私はまるで『七人の侍』の志村喬か『荒野の七人』のユル・ブリンナーだが、本日タクシー運転手役を確保。本人曰く『荒野の七人』でいえばジェームス・コバーンだそうである。  作中重要な役割を果たすのがある魚である。というと、以前円谷英二制作のさい、さすがに活きていたらコントロールできないだろうと、前日活き締めした蛸を取り寄せて使ったのを思い出す。ヌカで揉んでヌメリを取り、撮影が済んだら早速刺身で、などと思っていたが、終るころにはすっかり食欲がなくなり。と案外だらしないことであった。今回の魚はかなり入手し辛い魚である。しかしネットで予約すれば、入荷を知らせてくれる、というサイトを見つけた。これは獲れる時期もあるだろうから、撮影のタイミングを考えておかなければならない。 そうこうして内田百間の頭部が日々完成に近づきつつある。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私が今まで見た人の顔で最も感銘を受けたといえば、84年に最初で最後の来日を果たしたブルースミュージシャンの『ジョン・リー・フッカー』の御面相であろう。これはもうスペシャルとしかいいようがない顔であった。若い頃の写真を見ても貫禄十分であるが、時を経てさらに大変なことになっていた。 来日ブルースマンの中には、普段は自動車修理工などをやっていて、来日したとたん本国との待遇の違いに有頂天になり、張り切りすぎてツアーの後半は声をからして、などという人もいるようだが、ジョン・リーはというと、坐ったままあたりを睥睨し、熱狂する観客にまったく興味を示さず、あたかも餌をくれろと大騒ぎの池の鯉を眺めるお大尽の如し。しかし会場の床は物凄いビートで揺れっぱなしというライブであった。40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て、などというが、はたしてどんなものであろう。フィリピンパブのフィリピン娘に「苦労ガ足リナインジャナイ?」と評された私にはまったく自信がない。  ところで出演料がかからないから、とはいえ、K本の常連客の中から、キャスティングを、などというと、あまりに安易に思われようが、これが妥協した揚句の、というわけで全くない。下町が誇る煮込みの名店には、それなりの顔が集まってくるということであろう。もっとも作中、貫禄に物をいわせ、というような大人物は一切登場しないことは、付け加えておく。

去の雑記
HOME

 



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




江戸川乱歩の時も昨年の三島の個展でもそうだったが、私の場合、人形と人物を共演させることが多い。全部人形にしない理由は色々ある。ストーリー物で登場人物が多いときなど、私の作品は人形劇の人形のように動くわけではないので、場面ごとに全員制作していたら大変である。その点、ポーズを自在に変えられる人間を使うと画面に動きが出しやすい等々。 『乱歩 夜の夢こそまこと』では俳優の市山貴章さんに、私がジャズシリーズを制作している頃から、個展に来て頂いている縁で、明智小五郎役をやってもらい、市山さんの紹介で、女優の仲根映里さんに『白昼夢』で首をちょん切られる女房役をやってもらった。ちょん切られた首が不細工では話にならない。その他人間椅子では女流義太夫三味線奏者の鶴沢寛也師匠にもお願いし、顔を出さない役では友人知人にも出てもらった。  そして今回もキャスティングを考えなくてはならないのだが、今回は手近なところで済みそうであり、水面下では、すでに交渉を開始している。私の作品に登場し、印刷物にまでなってしまって長生きはするもんだ、と思っていただければ有り難いことである。ただ目星だけ付けてまだ話していない人物が、自分のこととは知らず、当ブログを見て笑っている可能性がある。なにしろK本の常連だけで候補者は二人いるからである。私がただ漫然とK本に、アルコール消毒に出かけていると思ったら大間違いである。 登場回数の多いKさんは、主人公に行動パターン、性根が似ていると書いた。しかし主人公まで実物を使ってしまっては、造形作家として怠慢ということになるであろう。

去の雑記
HOME

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




編集者からはその作品で行きたい、とメールは貰っているが、直接会って話していないので、出版が決まったとはまだいえない。すでに在る作品を本にするわけではなく、新たに作ることになるので、慎重になるのは当然である。 今の段階で想定している小説作品は、著作権が切れているので、それなりに古い作品である。そしてこれが偶然といっていいものかどうか、内心数パーセントぐらいは私の頭の中にあったのではないか、と考えているのだが、主人公の行動パターンや性根が、Kさんそっくりなのである。そのものといってもよい。ひょっとしてKさんは、創作の神が私に遣わした妖精なのではないか?と疑いたくなるが、だとしたら神様には余計なお世話だ、といいたい。もしくは取材はもう十分に済みましたので、どうぞお持ち帰り下さい、といいたい。 あんな感じの人が主役の作品だ、などといってしまうと、マイナスにこそなれプラスにはならないのでこの辺にしておく。

以前何度か書いたことだが、制作に集中してくると、私の周囲に、制作中の人物の“パーツ”を持った人物がウロチョロすることがある。たとえば信号待ちの車の、半開きのウィンドウの上に突き出たハゲ頭は、古今亭志ん生そのものだったり、ディアギレフを作っている時は、おそらく中東あたりの人だと思うが、こんな垂れ目で突き出た額は見たことない、という人が前から歩いてきたりする。単にそのことに集中しているので目に付く、というのが本当のところだろうが、そんな時は、私のために参考になる人物を集めて、周りをうろつかせてくれている、と思うくらいである。人が聞けばノイローゼにしか聞こえないであろう。

去の雑記
HOME



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




自分で提案しておきながら、よく考えたらどうやるの?とハードルの多さに焦ったのだが、一場面ですむ話ではないので、各場面を思い描くうち、こんな場面、いったいどうするんだ、と思ったわけである。そのハードルの一つに、ある登場人物の描き方がある。作中に具体的な説明があるわけでもなく、姿から何から、どう扱ってよいか判らず、まったく余計なことをいってしまった、と本日も図書館。半分はもっと他に作品はないか、探しに来たというのが本音である。 しかしどうも自分が普段やっている表現の範疇で考えていたら、打開策はないな、というのが結論であった。こんな結論が出てしまった時はアルコール消毒である。 最近酒場の紹介番組が再放送されたとかで、K本は客で一杯である。まったく余計なことをしてくれる。こうやって押しかけてくる連中を常連間では鳩バスと呼んでいる。 しばらく消毒に励んでいると、Kさんからメールである。もう帰ってきてしまいT千穂にいるという。一杯飲んだら帰ります、といっているが、こういったときはほぼ間違いなく深酒になる。行ってみると坊主になっているわけでもなく、まして私が勧めたように眉毛を片方剃ってもいない。 閉店時間まで飲んで店外に出た時である。本日図書館で悩んでいたイメージが沸いた。こういうことは棚からボタ餅が落ちてきたように、前触れもなくドスンとくる。やはり下手に頭を使わず、これを待つべきである。もっとも私がやっていることと趣が異なる表現なので、やってみないと判らないが、なにしろまずはイメージが浮かばなければ話にならない。Kさんが次に行こうといったところで、運良く、個人タクシーのMさんがKさんを引っ張っていってくれた。泥酔状態のKさんから電話があったのは午前2時。相変わらずである。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


某出版社から、シリーズの中の1冊を私で、という話だが、先方は短編小説のビジュアル化ということで、当初海外の某作品を、と打診されたのだが、私がやっているのは所詮写真である。海外まで背景を撮影にいって、ということならまだしも、また背景を自分で作ることにしても無理があると思われた。また挿絵というよりビジュアルの割合を多く、という意味での短編の選択であったが、編集者の意図からすると作品が少々長めである。そこで著作権も切れている国内作品を提案してみたのだが、どうもそれで決まりそうな気配である。 その作品は今までビジュアル化された話は訊いたことがないので、面白いと思うのだが、良く考えたら登場人物は多いし、“人に非ず”がまた多い。人に出演してもらうにしても誰を使うか、などなかなか大変である。決まれば三冊目の出版となるので、次回編集者と会うまでに、考えをまとめておくことにする。
人の顔は千差万別だが、この人は、ここがこうなっていなければ、この人には見えない。というポイントが必ずある。現在、川端康成と同時に制作している内田百間にも当然それがある。それがようやく解ってきた。人によって、その人のどの部分を特徴と感ずるか。それこそ人それぞれである。あの人は誰に似ている、いや似ていない。と意見に相違が見られるのはそのためである。 いくらか百間が百間らしくなってきたかな、というところである。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日T屋で、近所の川で川鵜が大ウナギを丸呑みしたのを見た、といいはる店主と常連のコンビに、日ごろの不行跡を説教されたKさん。店を出てもう一軒、というときには泥酔状態で、すでに夜中の3時。ここからがこの人の凄いところで、説教されたことや、大ファンのカミさんが留守なのを忘れているのかどうなのか、目が覚めて数時間後の早朝に、当然酔いが覚めないまま、またフラフラとT屋に表れたという。Kさんは放っておかれるくらいなら叱られていた方がまし、という人なのである。また飲んで、旅に出る、といって出て行ったとT屋のHさんから連絡がきた。どうせいつものパターンだから旅といっても門前仲町でパチンコだろう、といっておいた。 ところがその後、青森に向ってます、とKさんからメール。どうやら酔った勢いで新幹線に乗ったらしい。文面をなんとか判読。 青森にはS運輸の後輩で、定年で郷に帰ったSさんがいる。これで少しは静かになるかというとメールで○ちゃん○ちゃんと、マドンナの名を連呼で相変わらずやかましい。昨日K本でもマドンナの話ばかりしていると、旦那の前で暴露されて大恥じかいたばかりである。反省して坊主にしてくるというので、それじゃ代わり映えしないから、修行時代の大山倍達みたいに、是非片っぽの眉毛を剃るよう、いっておいた。 青森のSさんは、数十年来の同僚といっても無骨な東北人。Kさんの馬鹿話の繰り返しを聞く人ではない。夜の十二時にはSさんと泊まったホテルから、腹が減ったけど何処も開いてない。こんな寂しいのは初めてだ、明日帰る。と電話がきた。交通費がもったいない、とかなんとかいい含めて、せめて数日そっちにいるよう説得に努めた。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


幼馴染のTから美人刺青師とはどこでどうやって知り合ったのだ?とメールが着た。かみさんが旅行中とかで、よほどヒマらしい。ノーコメントと答えておいた。妄想に身をよじるが良い。
ここのところ肝腎なことを書かないことによって、Kさんが近所で妙に関心を持たれてしまっていることを、少々反省している。所詮ウーパールーパー的人気である。放っておけばすぐ沈静化するであろう。しかしさすがの私も呆れることがあり、あちらも旅(せいぜい日帰り)に出るというので、少々間を置くべきかもしれない。正直いうと『伊豆の踊り子』『雪国』の作者を制作中の私にとって、Kさんとの付き合いは、日々気分の“大転換”がなされ、存外に制作がスムースに進むことは認めないとならない。  深夜だがもう一軒付き合ってというので、「だったら例の件を口にしたらデコピンね。額のへの字がべになるぜ」。毎日くり返し聞かされるマドンナの話である。それが禁止となるともう話すことがない。カウンターの数席横で泥酔状態の女性に、ちょっかいを出し始めた。女性はぐでんぐでんでいってることが支離滅裂で、連れの男性はカウンターに突っ伏して起きる様子がない。Kさんを何とか止めていると、その泥酔女性には、私が彼女に嫉妬する、Kさんの彼氏に見えるらしい。ここが松の廊下なら、私は殿中だろうと、この女の首をはねて即刻自決するところである。 Kさんはこの日、K本で個人タクシーのMさんに先日の件を叱られ、T千穂では女性客に対する行いを叱られた。それなのにまた。 止める私の腕をかいくぐり、泥酔女性の胸を触った。瞬間、私は押し殺してはいるが声を荒げた。初めてのことで、かなり効いたようである。そして噛んで含めるようにいさめると、深刻な顔で落ち込んでしまった。だがしかし、私にいわせればその顔自体が間違っているのである。居酒屋で横の女性を(Kさんいうところのオッパイ)を触れないことが60過ぎた人間にとってそんな大問題なのであろうか?その深刻な表情は医者に余命一ヶ月です、と宣告されるときのために取っておけ!という話である。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日美人刺青師から名刺をもらったと書いた。私は単に自分に墨を入れている、刺青好きの女性だと思っていたら、プロの刺青師であり、HPを見たら西洋的なタトゥーも手掛けるが、浮世絵由来の古典派であることを知り驚いた。 三島由紀夫は自決直前、市ヶ谷に向うコロナ車中で4人の会員とともに、『唐獅子牡丹』を歌ったというエピソードから、『昭和残侠伝』に見立て、三島の背中に唐獅子牡丹を描いて、と考えたが、昨年の『三島由紀夫オマージュ展』には時間的なこと、刺青の質感の表現の問題をクリアーすることができず断念した。 刺青といえば、何度か書いたことがあるが、東京大学の標本室に見学にいったことがある。私の目的はかつての巨人力士『出羽ヶ嶽文治郎』の骨格標本にあった。青山脳病院の斉藤紀一が日本一頭の良い男と日本一強い男を養子にしようと考え、良い方は斉藤茂吉、強い方が文治郎というわけで、北杜夫の『楡家の人々』のモデルである。 標本室に入ってみると、人間から生えた角だとか、一つ目の胎児その他、故マイケル・ジャクソンが狂喜しそうなコレクションに溢れていた。浅沼稲次郎、夏目漱石、何人かの首相の脳も標本瓶に浮かんでいる。出羽ヶ嶽の骨は未整理のまま、段ボール箱に放り込んであったのが出てきたということであったが、結局見られず、かわりにぶら下がっていたのは、夢野久作の父、杉山茂丸の骨であった。  そういえば刺青の話であった。刺青はなんという人物だったか、ある教授が集めたというコレクションで、キャンバスが生きているうちから、何かと面倒をみて約束を取り付け、亡くなったとたん、ペロリと剥がしてきた物だという。綺麗になめされ、あるものは額装され、あるものはトルソに縫い付けられ、なんとも奇妙なもので、中にはサイコロ模様など、生前の職業がしのばれる物もあった。教授の遺族と大学側が所有権について争っていると訊いたが、大学が返すとは思えない。 現在見学は困難なようだが、どういう目的で集められたのか良く判らない。漱石の脳は重くて有名だが、重さを測ってあとはどうした、という感じでもない。中には関東軍のいかれポンチが、「先生いい満州土産を持って帰りました。これを肴に今晩一杯やりましょう」。なんて物が、一つや二つ、五つや六つ混ざっていそうな感じなのであった。

去の雑記
HOME



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


一日  


川端康成制作、以前好調である。やはり資料にしている毎日新聞流出のモノクロプリントが大きい。印刷とは当然風合いが違うし、正面はもとより、左右の横顔、ちょっとした後ろ姿まである。後ろ姿なのは座敷の黒猫にピントを合わせているからで、ノーベル賞の知らせを持ってきたスゥエーデン大使も脇役に回っていて、当然没原稿であろう。今回まったく必用ない、少年のような笑顔まであるが、やはり川端康成といえば“鷹が豆鉄砲”食らったような表情である。この顔で眠る少女を見つめ、女から預かった片腕をコートの下に隠し持つから効可がある。 制作中の頭部が川端にしか見えなくなってきた頃、再び百鬼園に戻り、しばらくして再び川端へ。こうすることによって目が慣れるのを防ぐ。繰り返すうちに完成ということになる。 腕と来れば谷崎の足がある。谷崎の一体目は、女性崇拝的なイメージを出そうとしていたのであろう。女体の周りに配することしか考えておらず、小さめである。後にアダージョで谷崎を特集したときに新たに作った。初代では小さすぎて、人と並べられるほどのディテールがなかった。谷崎のこだわりは足首から下の、まさに足である。撮影には実際の女性を使うつもりだが、手ならともかく、どうやって探そうか。
ところでKさんは、少々調子に乗りすぎたようで、某店を完全に出入り禁止となった。この人が可愛らしく見えるのもせいぜい午前一時までである。狭い縄張りの中の電柱一本一本に、オシッコを引っ掛けて回るような飲み方をするKさんは、電柱一本の損失が痛手である。馴染みの店すべてアウトになったら東京にいる意味はなくなってしまうだろう。私と行けばドサクサにまぎれて、スルリと入店できると考えているようであるが、私は靴ベラではない。お断りである。Kさんのためにも、寂しかろうが、あまり浮かれないよう気を付けてもらうことにする。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




作家をその作品的世界の中で撮影してきたが、考えてみると、特定のタイトルのもとに制作したのは、江戸川乱歩と三島由紀夫くらいである。泉鏡花にしても、金沢で撮影したが、だからといって特定の鏡花作品をイメージしていたわけではない。 内田百間と平行して川端康成を作っている。睡眠薬によって眠る少女を、あの鷹のような目で見つめる川端『眠れる美女』と、女の片腕をコートの内に隠し持ち街角に立つ川端『片腕』が浮かんだ。 曖昧にでなく、作者を作中の主人公もしくは登場人物の一に人する、ということに決めれば、遠慮なく谷崎自身を瘋癲老人にすることも、三島を『愛の処刑』の教師にすることも可能であろう。そこでこれから特定のタイトルを決め、各作家1、2点づつ作ってみようと思っている。いずれ個展も開催する。
本日はKさんは登場しない予定であったが、昼にすでに会っている。大ファンであるT屋のかみさんが、しばらく店に出ていなかったが、今日は会えたと上機嫌である。「さっきから何回同じ話してんだよ!」。夕方、K本に行く、というのを放っておいたが、川端の頭部の制作がスムーズに進んで私は機嫌が良い。後でKさんとK本の常連とT千穂で合流した。 K本のご常連は当ブログを読んでいただいているようだが、どうも愛嬌のみが先行してしまっているようで、カワウソに角砂糖の如しでチヤホヤしてしまっている。これはひとえに、シャレにならないことは書かないという、私の自己規制のせいである。確かに見た目は愛嬌があるが、模様に騙されるパンダファンではいけない。 K本の常連と別れた頃には、Kさんのエンジンもかかってしまっている。そこから2軒。もう一軒行くというので別れ、私は口直しに別の店へ。そこにKZのコンビ。私は口直しに来ているのだ。他の話にしようといっているのに閉店までKさんの話である。途中店長がKさんが通る、と警告してくれたので、みんなで身を潜めた。 今日も今日とてこの調子であるが、本日良かったことといえば、美人女刺青師に名刺をもらったことである。いずれ谷崎の『刺青』について語り合うこともあるだろう。 実に良い終り方である。

去の雑記
HOME



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




昨日仕事を置いてカワウソの巣を探し出した、個人タクシーのMさんよりメール。「あの野郎のことは今後知らん」「石塚さんもあの野郎は見捨てなさい」。Mさんは私と違ってカワウソとは40年近い付き合いである。この程度のことは腐るほどあったわけで、どうということはない。カワウソは人を騒がせておいて、さっそく携帯の電源を切っている。 一日内田百間の頭部制作。ただ地味に続ける。今回はアップに耐えるよう、ほんの少々大きめに作っている。 やはり特に書くことがない。実際、粘土でああだこうだしている様は、たいしたことは起きない。以前は制作途中の画像を載せたりしたが、今見ると中途半端な状態を公開して、と実に赤面物である。ということで、日常を書く割合が多くなり、そうなると自動的に顔を合わすことが多いKさんがやたら登場することになる。あるとき、Kさん登場日に限ってアクセスが増えることに気がつき唖然とした。以来、Kさんに負けないよう、制作について何か気の利いた事を書こうと考えてはいるのだが・・・。 Kさんとは夜勤明けに顔を出すT屋で知り合った。森鴎外を作ったとき、軍服の肩に着ける飾緒が三つ編み状になっており、こんなことがすこぶる苦手な私は、娘が三人いるT屋のかみさんに助けを求めた。さすがにあっという間に仕上がったが、カウンター越しに、紐の片方を持たされていたのがKさんであった。その後定年を迎え暇を持て余し、というわけである。  私は昔から私と○○さん、なんで友達なの?と組み合わせの意外さを指摘されることが多いのだが、Kさんに限っては、私自身が聞きたいくらいである。

去の雑記
HOME



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




土曜日にカラオケに行ったのを最後にKさんと4日間連絡が取れない。お母さんの写真の修復は終っているので早く見せたいのに。寝ているところをおこされるのを嫌い、携帯の電源を切ってしまうのである。おかげで親類が亡くなったのを、葬儀が終った後に知った有様なので、留守電にしておけば、といってもやり方が判らないの一点張りで相変わらずである。 飲みすぎで数日寝込むことはあったが、これほど連絡が取れないのは始めてである。かといってアパートを教えないので訪ねてもいけない。そこでかつての同僚で、現在個人タクシーのMさんに連絡してみた。Kさんは定年後にアパートを探したら、偶然三十年近く前に住んだ、同じアパートの同じ部屋だった。記憶を頼りに探してみるという。「部屋へ行ったら小さなカワウソが干からびてたなんていわないでよ」。と冗談をいってはみたものの、Mさんが目星を付けた部屋にはKさんの物らしい自転車、しかし反応がない。不動産屋に行ってみるという。電話から伝わるMさんの口調が、事件現場を伝えるリポーター調に聞こえる。 幼い頃、TVでアメリカの戦争ドラマを観た。仕立て屋だったひょうきんな兵隊が、商売道具のミシンをもったまま戦場を逃げ惑う。結局死んでしまうのだが、こういう人物が死ぬから余計に哀しいのだ、と解説の淀川長治はいう。そういうものか、と子供心に思った。 もう仕事にならない。とりあえず向おう、と外に出たとたんKさんより電話。今帰ってきたという。不動産屋から保証人のMさんの所まで連絡が行ったらしい。奥多摩には行ったが、家にはいたという。寂しさが高じて少々落ち込んでいたらしい。以前見たTV番組で鬱病をやっていて、ほとんど当てはまっていた、ともいう。表情を見ると笑わそうとしてるわけでもなさそうである。TVの健康番組も良し悪しである。 それでも12時を過ぎた頃には元気になっていた。震災番組で、幼い少女が親をなくして笑顔で耐えているのを見て、60過ぎてこれではいけないと思ったそうである。心配した兄弟が一度顔を見せに来いという連絡もあった。修正の終ったお母さんの写真をもっていって、驚かせてあげてよ、といっておいた。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




文芸全般に詳しく、散策好きで作家の墓にもよく出かけるMさんに、拙著『乱歩 夜の夢こそまこと』を頼まれていたのでサインをしてK本に持って行く。当時自分で彫ったハンコがたまたま出てきたので押しておいた。 先日、担当編集者だったSさんから、『白昼夢』に使った本郷の薬局が取り壊されているとメールが着た。愛する妻を殺害後、流水に漬けて死蝋化し、自分の経営するドラッグストアの店先に飾っている男の話で、深川資料館通りの洋品店と、どこかの工務店などを合成して作った。薬局の文字と、今時考えられない赤い壁など、その薬局がイメージに貢献してくれた。 そういえば『D坂の殺人事件』で、初登場の明智小五郎が、事件が起こった古書店を、向いの喫茶店から眺める白梅軒に使わせてもらった神田の喫茶店も、とっくにない。夜の風景を昼に撮影するため、編集者何人かで、窓を段ボールで塞いでもらって撮影した。当時の制作雑記を読むと、今だったらこんなことはしない、もしくはできないことが多い。想い出すのは、ようやく校了した日。街を歩く女性が生き々と、馬鹿に綺麗に見えたのを覚えている。あれは昔、山奥で陶芸家を目指していた頃、たまに山を下り、東京に帰ってきた時と同じ感覚であった。 そんな『乱歩 夜の夢こそまこと』もアマゾンその他でも取り扱いが終了したようである。処分を免れた手持ちの20冊ほど、近いうち当HPで販売したいと考えている。 

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ