明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日は一日検査。動脈硬化が見つかり、心筋梗塞などいつ起きてもおかしくない、とのことで、近々再検査。一昨日ネットで過去のドラマ『不毛地帯』で副社長の岸辺一徳が心筋梗塞の発作で倒れたのを観たばかりである。『青春デンデケデケデケ』でも心臓発作で死んでたけど。 それにしても長い時間待たされていると、幼い頃から私を支配するヘソ下三寸に居るもう一人の私が勝手に事を進めているのが判る。まるで妊婦が胎児に早く取り出せ、と腹を蹴られるが如し。〇〇国師と〇〇天皇が対座する、これまた名場面も制作可能だろう。七百年可視化されていないとすれば、私がやらなければ今後もされないだろう。一休和尚の有名な横目でこちらを見る肖像画の横目の理由の仮説を思い付く。
 
 


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いずれ作ろうと考えている禅師は、やはり国宝の頂相が残されている。ところが今回も蘭渓道隆同様(その頂相が事実を伝えているとするなら)彫像はまるで別人である。やれやれというしかない。漫画原作のドラマの主人公がいっていた。真実は人の数だけある。一休像のように頂相と頂相彫刻が明らかに同一人物を前に作ったような例は珍しいのかもしれない。よって再び、斜め45度の肖像画のみを元に制作することになる。結果、数百年礼拝の対象になって来た立体像に対して私如きが異を唱えることになってしまうが、元にするのが、そもそも寺の所有する開山の頂相ということで、もう気にならない。私にも渡世上の譲れない筋というものがある。



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