明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


2000年当時に制作したオイルプリントを久しぶりにみて、ずっと気になっていたことがある。出来の良い作品が、原板は実は平凡で、オイルプリント以外の方法ではたいした結果になっていなかったのではないか。と思う点である。これは元のポジやネガを見ていっているので間違いない。当時、私が何かの意図をもって選んでいるはずだが、それがいったいなんなのか良く判らないのである。一つだけひょっとして、ということがああるが、さてどうであろうか。 2000年当時、すでにデジタルによる合成を使ってネガを作っている。このウエス・モンゴメリーの煙草の煙は描いている。男ばかり作っている私は、ずいぶん煙草を持たせたり銜えさせたりしてきた。自分で撮影するようになり、線香を銜えさせてみたが、水しぶき同様、縮尺が上手く合わない。人形サイズからしてみると、もうもうたる煙になってしまうのである。こればデジタル加工によるしかない。 撮影の後飲み会。気がついたら夜中の3時。タクシーを降りた所に、近所の飲み屋の主人がコンビニにいく所に鉢合わせる。酒はもうたくさんであったが、一杯だけ飲んでいけば、と。私はうっかりしていた。この主人、日曜に長女の結婚式があるのだ。いいかげん観念しなさい。したことはされるという仕組みになっているのである。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

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海外では、被写体が人形だろうが実物だろうが関係なく、ただ良いか悪いか好きか嫌いかなのだろう。といって喜んでいたのだが。 昔、人の紹介で、ある雑誌の編集長に作品を見てもらったことがある。私は人形を撮影していることは伝わっている、と思い込んでいたので、たいして説明する訳でもなく向かいあっていたが、妙な沈黙が流れた。先方はこの作品がなんだか判らず戸惑っていたのであった。あるグループ展に出品したことがある。出品の条件は古いレンズをつかって撮影された新作である。私は永井荷風を出品したが、昔のネガを引き延ばしたと思った他の出品者からクレームがついた。というように、ことあるごとに説明を要してきた。ところがあまりにもすんなりスルーされてしまうと、例えばロバート・ジョンソンはとっくの昔、女をめぐって毒殺された人物であることを知らないのかな?などと思ってくる。それはそれでなんだか座り心地が悪い。何故なら私がただ写真を撮ったりプリントした人なってしまうからである。よって我慢ができず本日は被写体を作って撮影したと書きそえて画像をアップした。 何かとああだこうだいっているが、やはり人に何が伝わっているか気になるわけである。長年HPにアップし続けたオイルプリントであるが、認知度が急に上がり、通じることにこしたことはない、と改めて思った次第である。

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フェイスブックの『Alternative photographic processes』に昨日に続き投稿した作品。こういったものは海外の方が良いのか、80人以上がイイネと。撮影したのは20年程前であろうか。8×10インチのカメラで撮影した作品である。オイルプリントが廃れた原因は感度が低く作品大のネガが必用で、後に引き延ばしたプリントにオイルと同様のインキングをするブロムオイルに取って変わられた。私は当初35ミリフィルムで始め、次にブローニーサイズ。しかしどうにも小さい。知人から借りた4×5インチのネガで試した後、タチハラの工場まで8×10インチのカメラを買いにいった。しかしこの欠点も、製版用フィルムに出力することで拡大ネガが容易に得られるようになり、現在はインクジェットによるネガ制作が可能である。 私がオイルプリントに魅かれた理由は、私が写真に興味がないド素人であったことが大きい。つまりこのぐらい特徴的な画調でないと、写真であるかぎり興味を持つことはなかったであろう。 今回外国人を魅了したらしいこのジャパニーズ・ビューテイーは、気圧の変化により機嫌が上下した。

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昨日、海外の古典印画法のフェイスブックのグループがあると訊いて投稿してみた。1カットは『At the crossroads waiting for the devil 』。2002年制作の十字路で悪魔と取引したといわれるブルースマン、ロバート・ジョンソンが十字路で悪魔を待っているところである。 先日亡くなったジャック・ブルースが、クリーム時代、エリック・クラプトンと共にレパートリーとした有名なナンバー『クロスロード』の作者でもある。本人の写真は2カットしか残っていない。もちろん十字路でジョンソンが悪魔と取引した事実はなく、実際は我がマンションの屋上であるし40数センチ程度の人形である。 多くは古典技法の実作者達が集っているのであろうが、海外の人達はイイネを押してくれながら、いったいこれはなんだ?と訊いて来る人は誰もいない。何が写っていようが、まず良いか悪いか、好きか嫌いかなのであろう。イイネ。

本日は晴れのはずが曇ってしまった。午前中、実家にて野暮用を済ませた後、都内某所へ。被写体に水に濡れてもらいながらの屋外撮影は本日が限界であろう。残りは室内にて。“海女モノ”というとまるで昔の新東宝や大映作品のようである。“尼モノ”というのもあったが。

2度程インタビューいただいた枝川公一さんが亡くなられた。最近は車椅子で取材されていると聞いていたが。合掌。

 

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外付けハードデイスクの中をチェックしていたら、『三島由紀夫へのオマージュ 男の死』で制作した『神風連の乱』の完成一歩手前のデータが出て来た。三島最晩年、明治政府に対する士族の反乱『神風連の乱』の取材に九州まででかけている。三島が喜びそうな死に方の一つに、乱の際に割腹する武士、というのを考えた。 三島は自ら主演した『憂国』において割腹時、腹から溢れ出すハラワタに豚の内蔵を使用した。匂い消しに香水を振り撒いたというから、想像し難い臭いになったであろう。そしてもっと血を、と血の量を増やした。そういう人である。私もそれにならい撮影には豚の内蔵を使用した。もちろんすぐ調理すれば食べられる処理済みのモツである。この完成直前のデータには、色鮮やかに写っている。しかしギャラリーに展示されることを考慮し、暗く落として内蔵がよく判らないようにした。三島本人にウケたい、という妄想のもと制作するという趣旨とは反してしまっている。初志通りの作品に作りなおした。 先日女性の写真家に、私は“美しくしてしまうので、もっとえぐく、正視するのにドキドキしてしまうようなのができたら面白い”といわれたのを思い出した。あの作品の元ネタはピカソも絶賛した、いわずとしれた葛飾北斎『蛸と海女』である。ちょっと面白がってみたので、元々あんなことをする為に撮影したわけではなかった。 私は朝ドラ『あまちゃん』放映の1年前に本物の海女着を入手し、三島の『潮騒あるいは真夏の死』を制作している。久しぶりに引っ張り出して洗濯したのであった。明日はどうも晴れるらしい。

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田村写真にて石塚式『オイルプリント』のワークショップが開かれた。家元?としてアドバイスをと参加した。 私自身、02年に京都造形芸術大学のワークショップ、翌年だったか西武百貨店の美術講座でおこなった。いずれも1日目がゼラチン紙制作。これが冷たいばかりで面白くも可笑しくもない。西武百貨店の場合、制作したゼラチン紙の保管ができないので、次回までに自宅で自製してくる宿題としたが、おかげで3人が脱落。ゼラチンを塗布する用紙によって風合は変わる。田村写真のワークショップに参加するような人は、いずれゼラチン紙を自製するであろうが、取りあえず田村写真製作のゼラチン紙を使えるのは何よりである。最初から画面にへばりついたブラシの毛を取りながらという、写真制作とはいい難い作業が味わえる。“石塚式”は諧調が出しやすく、すくなくとも画を出すだけなら小学生でも出る。 私は91年に実験を開始した。ゼラチン紙に重クロム酸アンモニウムを塗布し、露光すると“鳶色” になる。この文字情報だけで焼き付けの度合いを想像するしかなかった。また当然、肝心のブラシで叩くインキングの動画などない。しかし自分がやれるようになると、当時のテキストは、秘密を隠しているわけではなく、文章では表現のしようが無かったことが判るのである。私はそれを踏まえ、2000年にHPを立ち上げ、文字情報と粗雑なモノトーン印刷から制作していた立場から、不足分をできるだけ補ったつもりであったが、先日アップされた私のインキングの動画の説得力は別物であった。 西武百貨店の講座には、田村さんも自製の紫外線露光機を携え参加してくれた。現在社員のHさんも参加していて、それが田村写真入社のきっかけになった。そして本日、若い社員の2人がワークショップに参加の年配の方々にアドバイスしている様子を聴いていて、感慨深いものがあった。 初個展『ブルースする人形展』が82年。私もずいぶん長く制作してきた。独学ゆえ進歩も遅々として進まずではあったが、かってに風に流され私なりの場所に立っている気がする。“石塚式オイルプリント”はその典型であろう。そろそろ人形制作や、人形の撮影方法、合成法など、人に伝えられることがあるのではないか、と考えている。しかし人形の撮影方法はともかく、人形制作は私の場合、作るのはほぼ100パーセント男性である。そんな偏った人間に教わろうという人がいるものだろうか。

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昨日、フェイスブックに画像の部分を投稿した。以前、葛飾北斎をパロって?みた物であるが、ふざけるんじゃない、といわれても、と事前に、ある女性の写真家にこんなのありだろうか、と訊いてみたら美しい、という想定外の意見をいただいた。さらに私は美しくしてしまうので、もっとえぐく、正視するのにドキドキしてしまうようなのができたら面白いといわれた。これを見てもっとえぐく、正視するのにドキドキしてしまう作品ってどんな状態のものか、具体的かつ詳細に聞きたかったが、そこまでは答えてくれなかった。なんなら電話で直接聴いてみたかったくらいであったが、自分で考えろ、ということであろう。 こんな時、私は対アンドレ・ザ・ジャイアント戦で、リング下のスタッフに問いかけた前田日明のセリフをいいたくなる。「やっちゃっていいんですか?」しかし、だったらやってしまおう、とやってみたら件の写真家も「そこまでやらなくても」。と引かれてしまう可能性は大いにある。度々そんなことがあった。その辺のさじ加減が私には判らないのである。

※2カット目は先日オイルプリント用に撮影した作品である。

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今まで撮影してきたヌードをチェックしている。考えてみたら、谷崎や乱歩で使った他は、人形をオイルプリント化したら見る人が混乱するだろう、とせめて被写体だけは判りやすくしようと風景や人物写真をオイルプリント化した2000年ぐらいである。チェックはネガ、ポジフィルムまで至っていないが、この時点で個展をやれるだけの量は充分にある。先日撮影した分でも数カットは使えるから、たった1カットのために人形を作る、人形を使っての制作とは別な世界である。 人形撮影の場合は人形が完成する頃には構図が決まっているので、わずか数カットで終わってしまう。その点人物撮影は特に被写体が素人なので、ポーズを解いた時に良い感じになったりするので気が抜けない。近いうちに人物でオイルプリントの個展をやろうと考えているが、男性のポートレイトを撮るかどうか決めかねている。普段男ばかり作っているので、撮影するのは逆に作らない女性のみとなるのか。こういう事は例によって考えずにやっていたら自然にそうなっただけの話である。

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田村写真で今週の土曜日にオイルプリントのワークショップが開かれる。なんと“石塚式オイルプリント”と銘打たれている。石塚式といっても私が選択した水彩画用紙を使い、塗布するゼラチンを厚くしただけである。だけではあるが、ここが単に廃れた技法を掘り起こしたにとどまっていないところである。 91年に野島康三のピグメント印画、特にブロムオイルに一目惚れしてしまった私であったが、大正、昭和初期の文献を元に調べてみると、現在の印画紙は硬膜処理されているので、ゼラチンが吸水しにくく、ブロムオイルは出来ない、と思い込んでしまった。そこで一段階さかのぼってオイルプリントをやってみることにした。 昔の処方通りやってみたが、なかなか画が出ず、出たところで諧調の幅がせまく中間調がでない。当時のオイル、ブロムオイリストは諧調を出すため、暗部、中間部、明部の三段階のネガを作り、プレス機による転写をして諧調を出す工夫をしていた。しかし私の性格上、そんな煩雑な作業をしていては集中力が保てない。そこで一度に諧調を出すため、ゼラチン層を厚くしていった。それが功を奏し、諧調が表現できるようになっていった。 オイルプリントが短命に終わった原因は感度が低いため、自然光による密着焼きになる。つまり作品大のネガが必用になり、使用するカメラは大型になる。そこで小型カメラで撮影し、引き延ばした印画紙を使用するブロムオイルにとって替わられていった。しかし現在はデジタルのネガを拡大することにより容易に拡大ネガが得られ、その欠点はクリアしている。ワークショップの参加者は“石塚式”により、大正時代の人々より容易に諧調が出せることであろう。

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数日前、パソコンのキーボードに液体をこぼして不調となり。ブログも書けずキーボードを本日新調し。ノートパソコンも寝床でその液体で何台か駄目にしている。以来寝床用は中古パソコンにしている。 数日にわたったヌード撮影終了。今回はオイルプリント用を前提として撮影した。個展やグループ展への出品は、会場で自作について客観的に考える良い機会である。普段は通過点とばかりに、完成してしまえばまじまじ眺めることなどしない。十年振りの再開ということで、何故オイルプリントなのか改めて考えたし、これからの方向についても考えた。さらに2000年の旧作を見て、オイルプリントに適した作品について考えてもみた。あえてオイルプリントをするからには、そこに何かがあるべきであろう。すくなくともここ数日の撮影は、それを踏まえて撮影した。ではオイルプリントに適した作品とはどういうものか。それはここでは書かない。なぜならオイルプリントについて話し合う相手がまだいないからである。相手に伝わるか伝わらないかを考えずに延々と喋る人がいるが、それは酒場だけで充分であろう。

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都内某所。地下鉄構内の地図でおおよその場所を確認。けっこうな雨の中方向音痴は行く。例によって迷う。道路沿いの地図を見るが、駅で見た地図と上下逆さま。私の場合、左右逆なポートレイトを見ながら人物の顔を作れさえするのに、地図はどっしりかまえて微動だにしない。それが45度傾いている程度なら、頭でもかくフリして首をかしげれればすむが、180度ではどうしようもない。方向だけ確かめ、結局交番で尋ね、びしょ濡れで到着。 紅茶をご馳走になり、一休みの後さっそく撮影開始。まずは自然光。かなり暗いがデジカメのため問題なし。最初は使用レンズ、撮り方など、探りながらの撮影となる。なにしろたった今、始めてみた裸であるから、事前に考えてもあてにならない。まずは一通り。 ハスノハナで久しぶりに見た2000年頃制作のオイルプリントを見て、色々なことを思い出した。ある一点はカラーポジで撮影したものから制作したが、はっきりいってたいした作品ではなかったが、オイルプリントにしたらかえって良くなってしまった。会場でどういうことが起きていたのか観察しておいた。判ったような判らないような。そんなことも頭の中にありつつ撮影を続ける。夜になりライトによる撮影をして一日目終了。

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母が宅配便で小包を送るが、スペースが空いているので、炊き込みご飯でおむすびを作っていれるという。忙しいのが判っていたので要らないといったが、私の好物でもあるし、まあそれでは、ということになった。明日午前中に届く便に間に合わせるから、すぐ炊かなくては、と母は電話を切った。 本日丁度昼の12時に届いた箱を開けると、ラップに包まれた大きめのおむすびが6個入っていた。握力のない85歳の母が握ったので、まるで水害時の土嚢の如き物になっている。まあ形はどうでも良い。さっそくそのままほうばってみたが、どうやら少々痛んだようで酸っぱい。それでも半分ぐらいは食べたが、ただでさえここのところ腹の調子が悪いので止めておいた。そこへ母から電話。ちょっと硬わかったかもしれないけど、どうだった?と聞くのでちょっと痛んでたよ。と答えた。母は急いで炊いたので、充分に冷ませなかったと謝り、すぐ捨てちゃいなさい。といって電話を切った。 だがしかし。親不孝息子としては、いやだからこそ、老母の握ったオムスビは酸っぱかろうと腐っていようと、とても捨てられない。冷凍庫に入れた。 後の世の医学の進歩を期待し、自らを冷凍保存している人たちがいると聞く。このオムスビも食べる方法が判るまで寝ていてもらおう。

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ここのところずっと腹の調子が悪い。何か妙な物を食べた訳じゃなし、神経性の物だとしたら私も案外、普通の神経であるのかもしれない。もともと出不精だから変わらないが、長い距離を出掛ける気にならない。 そんな案配ではあるが、本日オイルブリント用ヌードモデルを確保。例によって知り合いにお願いした。ずいぶん前からの知り合いであるが、ハスノハナの会場で再会し、なんだか“今でしょ”的な気分にかられ、お願いしたらOKが出た。このカンが何が根拠なのかは良く判らないのだが、彼氏が止めろという、私にはどうでも良い理由で一人断られたくらいである。そして、あらかじめ透視していたかのように結果も良い。出来の良くない頭か何故だろうと首を傾げるくらいが丁度良く、結果、初めからの計画通りである。という顔をする私である。

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人物  


頭に浮かんだ程度のことは、なんとか画になるようになった。そうなるには思っていた以上に時間がかかったが。 しかし自分が制作した物でないものを画面に入れる場合、予期せぬことに対処しなくてはならなくなる。近い例でいえば、『大鴉』の場合、室内光と外光という色温度の異なる光が混ざっており、しかたないので床に反射した外光を利用し、暖炉の光にした。本来目の下に影のある、トップライトのポートレイトが有名なポーには下から光を当てたくなかったのだが仕方がない。そういった不確実な要素を画面に入れ、対処する面白さもある。そういう意味でいえば、動物。特に人間であろう。人形と共演させる画面の一要素ではなく、人物その物にも再びトライしてみるつもりである。当然オイルブリントで。

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拙著『Objectglass12』稲垣タルホの項で、子供の頃叱られて、玄関先に立たされいた時見た月のことを書いた。私は天体に関しては殆ど関心がなく、暗い空間にポカリと地球が浮かんでいること自体があまり楽しくない。どちらかというと顕微鏡少年であった。 件の月はまるで古賀春江の『素朴な月夜』のように、ボールが夜空に浮かんでいるように見えた。先日の皆既月食は、そんな訳で知ってはいても見上げることもなかった。しかし盛んにネットにアップされる画像を見て、あれは月蝕だったのだ。と思った。記憶では、あれほと赤くなく大きかったのだが。そういえば、初めて雹(ひょう)を体験したのも、玄関先で同じ状況の時であった。

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