明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



アダージョ8号の志ん生は、いつもよりリアルに作った。それは宮沢賢治、手塚治虫と、高所のSF調が続いたので、次はリアルにつくってみよう、という単に思いつきだったのだが、人の感覚というものは面白いもので、常になにかを基準として物事をとらえているものなのであろう。人形がリアルだと、それに対して背景の店内が作り物めいて見えてくるものらしい。背景は作ったのか?という質問を電話やメールで、すでに5人の方から同様のご意見をいただいている。私は考えもしなかった反応なので非常に興味深い。こういった話は、荒俣宏氏の著書の中でも、もっとも面白く読んだ『帯をとくフクスケ』(中央公論新社)の中に数々のエピソードが書かれている。中でも好きな話が、帆船時代。白人の船がある島に到着するが、原住民からすると、白人や大きな船など、頭の中にないので、原住民にはそれらが知覚できないというような話であった。私はかつて廃れてしまった技法、オイルプリントを神田の古書街に通いつめて習得し、個展を催した。私の場合、花や風景など、観る側にあらかじめ“成分”を知られたものを手がけることは少ない。これは一体なんだ、という来廊者の横顔をみていて感じたことは、“伝わらないものは、無いと同じ”ということであった。あれから時間も経った。この志ん生を、オイルプリント化したら、どんなことになるだろうか。なんてことを考えている今日この頃である。 一方興味や違和感を感じない人にとっては、志ん生が実物だと思って終わりであろう。中には年寄りに大きな太鼓を持たせて、無茶をしゃがる。なんて人もいるかもしれない。それもまた良しである。ここがこうなっていると、これは人間であって作り物では無いと、人が感じるポイントがある。私はそこをイタズラしているに過ぎない。見る人が未開地の原住民ではない、というのが前提であり、都営地下鉄線は、そういう人は、あまり利用しないと聞いている。

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ドイツ系ユダヤ人と黒人の間に生まれた娘を作っていると、川口のKから仕事が早く終わったので、自転車で荒川まで来ないかとメール。キリのいいところで向かう。永代通りで信号待ちをしていると、横に来たタクシーの運転手に「すいません」と声をかけられる。方向音痴の私が信号待ちの間に、タクシーの運転手に答えられることなど一つもないので、私の定番の、この辺の人間ではないフリをしようとしたら、「その自転車、どこで売ってますか?」と訊かれた。質問が想定外だったので、自転車屋ですよ、と間の抜けたこといってしまう。われに返って、インターネットで買ったこと、さらに訊かれるまま乗り心地など答えた。「16インチですか?14インチくらいかと思ったんですが?」というので、それは、乗っているのが私だからでしょう。などと、運転手を軽く笑わせたところで信号が青。タイヤが小さい分、路面の影響が直に身体に伝わるので、サスペンション付きのシートピラーに換えたのだが、それがすこぶる調子がよい。荒川の川風をしばらく楽しんだあと、いつものように木場で飲む。 自転車で釣りに行くなら、餌釣りよりルアー釣りの方がむいていると考え、数年ぶりに再開しようと、シーバス釣りが高じて船まで買ったKに相談。木場を流れる川でも、昔はよく、スズキの一つ手前のフッコを釣ったものだが、このあたりのフッコは臭いのなんので止めた。キャッチ・アンド・リリースというのがどうも私には向いていなかった。 帰宅後、寝ていて、できもしないのに今年中に、2ヵ所の画廊で個展をやることを決めてしまい、画廊の人に責められるという嫌な夢で目が覚める。ここ数年、個展をやっていないよな、という気持ちが見させた夢に違いない。

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今号は、リアルさにこだわってみた作品である。笑いを仕事とする芸人、特に一流に限ってそうなのだが、古今亭志ん生も顔が怖い。その顔でニコリともせず、とぼけたところがたまらないわけだが、しゃべらなければただ怖いので、志ん生を表現するのに頭の大きい、デフォルメしたイラストばかりなのであろう。そこで志ん生の18番にちなみ、老人には無理のある、大きな火焔太鼓を背負ってもらうことで、可笑し味が出ないかと考えてみた。志ん生の長男、金原亭馬生は、調べてみたら、火焔太鼓が風呂敷で背負えるような物ではないと、噺を大八車で運ぶことに変えたが、志ん生は「だからお前は駄目なんだ。大きさなんてどうでもいいんだ」といったそうである。馬生の大ファンで同じく長男の私は、いたく同情したものである。父親というものは、往々にして反面教師となるものであろう。 志ん生は“一々注ぐのは面倒くせェ”とコップ酒専門であった。当然目の前にお銚子とコップを置いたのだが、飲酒をイメージする表現はいけないというお達しで削除。私の作品のせいで飲酒運転が増えてはいけないし、そのせいで惨事が起きたのに、私もついに左甚五郎の域に、などと自惚れてしまってもいけない。湯飲みなら良いというので、あとから合成したのだが、なるほど、これなら酒ではなく、水カステラに見える・・・。
 
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私の雑記にたびたび登場する蕃茄山人氏が Tarzanの“今こそ腹を凹ます”特集に、42キロのダイエットに成功した人物として紹介されている。お会いするたび風船がしぼむように小さくなっていたが、ウエストマイナス36センチだそうである。 私は逆にタバコをやめたことをきっかけに増量したが、もともと痩せていたわけではないので始末が悪い。さらに自転車で転んで以来膝の調子が悪く、さすがに限界を感じて、先日、体脂肪も計れるヘルスメーターを買ってきた。山人氏曰く、サラリーマンは数値目標を決めると頑張れる、ということだが、この数値目標というのが私の辞書にはまったく載っていないので困る。メーターに乗ることぐらい私にもできるので、とりあえず毎日乗っているが、しばしばエネルギーの法則に反した、神秘的ともいえる現象に出会う。今日は飲酒に耽ることもなく、たいして食べていないし、と期待して計ってみると、逆に1キロ増えていたりするのだ。この1キログラムを“天使の分け前”というそうである。(嘘)

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中央公論アダージョの編集長、ライターのFさんと、企画会議と称して特集予定の駅に集合。私はすでにカメラを持って2度訪れている。 内部的に物議をかもした、できたばかりの8号を前に、苦労話に花が咲く。 私が手がけるのだから、誰も見たことのないようなものにしたい。私のチャレンジ魂炸裂の9号の表紙アイディアを披露する。炸裂しすぎか、不安視?する意見もでたりしながら、本日も盛り上がるのであった。木場に着き、ちょいと御酒が足りないと昨日に続きT屋へ、昨日同様気がつくと朝。

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一日  


配布を数日後に控えたAdagioだが、背景にさせていただいたK本に、飾っていただくための写真を額装しに、新宿の世界堂に行く。2時間かかるというので、紀伊国屋で時間をつぶし、戻ってみると、となりに、新宿でマリオット(スティーブ・マリオットにちなむ)というロック・バーをやっている本間さん。最後にお会いしたのは何時だったか、アナログ人間の私がデジタルで作品を制作していることなど知らなかったであろう。それにしても東京は狭い。 K本に行ってみるとアド街ック天国の撮影をやっていた。私にも出演依頼が来たが、妙なものを作っている街のお調子者になってもと、この手の類のお話は遠慮することにしている。常連席には見たことのない客もいたが、常連客はというと、飲みかけのホッピーを残したまま、別の店などに逃げてしまい、撮影が終わったころ戻ってきた。東京出身者は、こういう場合、まったくだらしがない。飲もうとしたところで待たされたので、亀甲宮を炭酸で流し込む。少々飲み足りないとT屋へ。気がついたら朝になっていた。

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一日  


TVで木村カエラのライブを観る。先日TVでやっていた土屋アンナもそうだが、実にカッコ良い。実際ライブなど観て見たいものだが、人ごみが嫌いだし、かつて伝説の爪先だけでも触ろうと、マディ・ウオーターズのステージの前でジャンプしていた元気はすでに無い。 それにしても彼女たちのような人材が、私の中学、高校生ごろに出ていたら大変なことになっていたはずだが、陸上競技の記録と同じく、時代を超えるのは、そう簡単なことではないようである。

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来月文化放送で昭和30年代、大阪拘置所制作の、死刑の実況テープが放送されるそうである。遺族の了解をとっているということだし、死刑囚が未だにロープで吊るされることを知らない人も多いので、意義はあるだろう。法務省はテープの存在の真偽を確認できないといっているそうだが、おそらく、この録音から起こしたものを雑誌で読んだことがある。読み返してみようと探したが、室内の山々の、どこにあるか判らず断念。これから数分後に死ぬ人と、殺す側の人間が雑談している。読んでいても異様な雰囲気であった。煙草を薦められたり、饅頭がでるようだが、消化されずに終わる饅頭を、食べられる人はまずいないようである。執行官の座談の様子も読んだ覚えがあるが、妙にほがらかで、陽気にしていなければやってられないということなのであろう。中には行きがけの駄賃に、一生残るような嫌味を言い残して死んでいくものもいる。執行した日には何がしかの金が出るようだが、みんな飲んでしまって家に持って帰る人はいないらしい。 被害者の肉親がスイッチを押すアダ討ちなら納得できるが、死刑というものが今どき存在していることが理解できない。釈放無しの終身刑採用が待たれる。

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ドイツ系ユダヤ人の物理学者の男を作る。地球上には、掃いて捨てるほどいそうな人物である。 昔黒人ばかり作っていて、ある日突然日本人、それもあろうことか渋澤龍彦を作り始めたときは、随分勝手が違って戸惑ったものである。しかし、もともと黒人など3人くらいしか話したことがなく、(挨拶程度)日本人ばかり見てきたので、ほどなく要領をつかんで今に至る。 3人の黒人といえば、あろうことか、スティービー・ワンダーと、BBキングと、シュガー・ブルーである。と書いたところで、そういえばツアーでNYに行ったとき、友人の友人の恋人とかいう黒人と話したのを思い出したが、私は黒人でも、グラミー賞を受賞していないと口をきかないことにしている、というほうが面白いので、なかったことにしよう。 ドイツ系ユダヤ人だが、○○バーグ先生というような雰囲気がなんとなくでてきたので、夕方から深夜まで、なんとなく祝杯をあげる。

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買い物に出掛けると、運悪くお昼時。永代通りにサラリーマンの集団がウンカの如く湧き出ている。それにしても、みんな連れ添って昼食にでかけるのが、私には奇妙に映る。よほど気の合う仲間らしいが、Gメンじゃあるまいし、なぜこうも横一列に道をふさいで歩くのであろうか。目の前に並ぶ2つのハゲ頭を見て、『山田君。僕おトイレに行くけど、君もどう?』『さっき済ませたばかりだけど、部長にそういわれると、また行きたくなっちゃった!』などと想像してイライラした。 かと思うとIDカードを首からさげ、二列縦隊で見事に歩く集団もいる。 明治政府は富国強兵に、農民も徴兵することにしたが、西南の役で使い物にならないことが判る。外国武官に原因を調べさせると、左手と左足、右手と右足が出る農民の“なんば”では、鉄砲をかまえて走ることと、ほふく前進ができない。さらに農民はリズムをもっての集団行動、行進ができないことが判明する。そこで義務教育に取り入れられたのが、日本人固有の“間”を捨てさせる唱歌教育と体操というわけだが、その結実を、昼時のサラリーマンに見ることができる。

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一日  


打ち合わせに新潮社に出掛ける。小説にも色々あるが、大家族が登場する物語より、孤独な独身者の物語の方が、作る方にとっては有り難いが、なかなかそうはいかない。 ついでといっては父に申し訳ないが、少々脚を伸ばし、日本出版クラブ会館前の親戚の寺へ墓参り。死んでしまったものは、いまさらどうということもないが、私のような人間でも、墓に花と線香をを供え水をかけてと、やってみれば悪い心持のものではない。もっとも誰も見ていないのに、手を合わせている自分の嘘臭さに恥ずかしくなり、ついまったく関係ないことを考えてしまうのであった。叔母にお茶とドラ焼きを御馳走になり、しばし世間話。志ん朝が、新潮社の近くに家を建てたので観にいったというミーハーな話を訊く。古今亭志ん朝はとっくに亡くなったと教えてあげた。 本日もK本へ。閉店近くに歌手のI崎宏美が来店。

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母にパソコンのメールのやり方、ネットの検索を教える。ネックとなるのはマウスの使い方である。知らないうちに表示の仕方を変えてしまったりする。携帯メールはマスターしているが、パソコンの方は、上手くいったりいかなかったりである。それはさっき教えたばかりだろうと、うるさいくらいに言わないと覚えてくれない。もっとも、80も近い老人と考えれば良い方であろう。母よりチャレンジ精神が欠如した友人はいくらでもいる。 今日はこのぐらいにしてと、世田谷文学館の搬出へ。荷風像にかぶせてあるアクリルケースをはずすと、妙な臭い。荷風を載せたイグサ製の小さな畳は、搬入した当日、館内で、ライターや蝋燭で焼け焦げを作った。それが臭うのである、畳の焦げだけではなく、先に染み込ませた木材用の塗料のせいであろう。荷風がアマチュアカメラマンに追われて、帽子で顔を隠したポスターを数部いただき、タクシーでK本に急ぐ。天候のせいか、客は少ない。ひとしきり呑んで帰ろうとすると、サラリーマンのFさん。この人とは、よくこういうタイミングになる、顔を見たとたん帰るというのも、ともう一杯。帰宅するが、どうも手持ち無沙汰。さらにT屋で、もうちょっと。二日酔いしない体質のおかげで、反省する機会を失し続ける日々。

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午前中、自転車で中央公論新社に出かけ、用事を済ませ帰る。エレベーターに向かうと、エレベーターからドカンと派手な音がして、中からベビーカーを押した、若い綺麗なお母さんが出てきた。軽く会釈してすれ違うと、今度はガラスのドアにドカン。急いでいるようでもなく、血相を変るでもなく、ごく平然としているのだが。ベビーカーには子供が乗っている。大丈夫かと振り返ると、ドアを手で押さえるでもなく、ベビーカーでこじ開けるように出て行った。随分乱暴なと呆れていると、最後に鉄の門扉でガンと派手な音が。まったく、どうかしている。確かに公園などで若い主婦が集っていると、並んだベビーカーは『ベン・ハー』に出てくる戦車のように見えるのだが。

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一日  


永年の付き合いであるイベント屋のSが、たまには出て来いというので、荻窪で待ち合わせる。一軒目。いかにもサラリーマン御用達という風で、良い感じの店である。いつもは夜更けにかかって来る、Sの奥さんから初っ端に電話。S_の様子を見ると、相変わらず、電話の向うにいるのはパットン将軍か?という感じである。Sが携帯を差し出すのでしかたがない。電話をかわり、確かに現在、お宅の二等兵と呑んでますよ、と。実に面倒である。Tさん合流。 2軒目、小さな寿司屋にはいる。80を過ぎた、懐かしの浪曲師、広沢瓢衛門のようなご主人が、ノンストップで喋りっぱなしで握る店。伊藤道郎から会議は踊る、彰義隊まで内容は多義に渡るが、30台の女性であるTさんが、アームストロング砲がどうだと、老人と盛り上がっているのが妙である。トイレが店内になく、外で済ますのだが、手を洗っていないSが寿司を半分、こちらによこすので、腹中をアルコールで念入りに消毒。 昔、このあたりでS等と呑んで、ピンク映画館で寝たのはいつだったろうか。寒さで目を覚ます度、毎回同じ場面であった。友人5人と朝まで話そうと泊まった旅館『西郊』は、現在賃貸マンションだそうである。 最後に、遅くにかかわらず、繁盛している立ち飲み屋で仕上げ。なんだかんだとよく飲んだ。乗り換える必要がないのに、茅場町で降りたりしながらも帰宅。

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今年の桜はいつまで持つのか判らないので、木場公園まで出かける。自分を棚に置いて、平日から、この連中は何をしている、というほど花見をしている。間を縫って写真を撮っていたが、幸い何が気に入らないのか、相手にされていない桜があったので撮る。歩いていると、人のいない広い道で、自転車を置いてぼんやりしている中国人のオジサンに話しかけられる。私に写真を撮って欲しいという。去年上野で撮ってもらったら胸から上しか写っていなかったそうである。お安い御用と、年季の入ったズームつきインスタントカメラを受け取るが、オジサン渡すときに、ズームを思いっきり伸ばして渡す。まずそうやってから写すものと思い込んでいるらしい。これではよほど遠くに行かないと全身は入らない。珍しく、私よりカメラについて知らない人とカメラの話をしたので、ここぞとばかりズームについて説明する。国の友達に送るので、この木の前で撮ってくれというのだが、それがただの杉である。何もこの季節に杉じゃなくても、と桜は良いのかと訊くが、興味がないらしい。別れて5メートルくらい行ったとき、国に送るにしてはシャッターのタッチが怪しかったので、念のためもう一カットと振り返ったらもういず、唖然とする。タヌキに化かされたかのようであった。 K本で今日の話をMさんにしたら、杉じゃなくてメタセコイヤだったんじゃないの?といわれた。

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