明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



寒山拾得の背景に使わせてもらう物の所有者を知っている知人がいて、場所がややこしいので車でつれていってくれるという。方向音痴には有難い。どうせ地図を持っていこうと、紙切り芸人がハサミを動かさず、紙を動かすように地図を回してばかりだろう。道端に設置されている地図はそうはいかないから首をかしげることになる。撮影の前に1億するという物を拝んでおきたい。 シカゴブルースの大御所オーティス・ラッシュが亡くなった。いつだったかコンサートの後にホテルに尋ねたことがある。ロビーには鮎川誠、シーナ夫妻もいた。BBキングとH・R・ギーガー、前田日明にサインをもらったペンでレコードにサインをしてもらった。ホテルの一室というシチュエーションにあがってしまい、写真を撮るのを忘れた。その時の来日中、一度小さなライブハウスでも観たが、酔っぱらって酷いものであったが。サインといえばスティーヴィー・ワンダーに会った時、目の不自由な人にサインは失礼かと、もらいそびれたのは残念であった。それにしてもブラックミュージックが好きだったせいで、そんな人形を作り始め。あげくに寒山拾得なんていっているのだから、思えば遠くに来たものである。台風のせいで、窓がピーピーピューピューもがり笛がうるさくてしょうがない。新HP
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』



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コーナンに電気コード等買いに行く。そこへ牡丹灯籠で、娘のお露の横でお米や、『貝の穴に河童の居る事』でおどりの師匠役をやってくれたT屋のかみさんから電話。お寺がすぐ近くなのでお参りついでにホームにいる母の顔を見に行ってくれたらしい。有難いことである。「若くなったんじゃない?」とお世辞をいうから、調子に乗るから止めて、といったが遅かった。案の定母木に登る。ホームのスタッフは、おだてておけば木に登って降りて来ないから、扱いは楽ではないだろうか。身内の介護に多少でも関わると、きれいごとではすまされないが、私も母も怒りが持続しない、という共通点があるから、喧嘩しようとすぐ収まってしまう。怒りをぶちまけてのことなので我慢して平静を装っているよりはるかにマシである。牡丹灯籠を手掛けていた時は、ちょうど母と同居していた時で、つくづくお化けという浮き世離れしたモチーフを手掛ける有り難さを感じた。とはいうものの、8年止めていたタバコを肺まで入れずふかすだけとはいえ、再開してしまった。家でお化けなどではなく実利的な仕事をされる方などどうしているのだろう。というわけで毎日一度は読むことに決めている森鴎外版『寒山拾得』である。牡丹灯籠の幽霊は実際は男に焦がれ死にして化けてでる娘で生臭くはある。浮き世忘れ効果は『寒山拾得』の方が高い。新HP
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無いものは撮れない写真は被写体との出会いで勝負は決まるものであろう。であるが、眉間にレンズをむける念写が理想などといって被写体を自ら作るせいで、外側の世界に在る既存の美しい物や風景の恩恵に預かることがあまりない。しかし母に電話で起こされ2秒で思い付いた被写体はどうやら撮影できるようだし、大いに恩恵に預かりたい。 背景のパートは、まずそれを主役として配したい。寒山の住まう洞窟奇岩の類いは石膏を削るか、実際の岩肌を使うか、また両方を使うか。いずれにせよ、寒山と拾得ともあろうものを既存の景色の中に配する、という残念なことだけは免れそうである。そもそも豊干禅師の乗る虎のために、猫を虎に変えることを思い付いて制作した猛虎図だが、猛虎こと猫のモモちゃんがなかなか寝そべってくれず、豊干がソファがわりにして寝て、これに寒山拾得を加えた三人と一匹が寝ている四睡図のためには再撮が必要である。是非マタタビの大量投与を望みたい。そして酔っぱらったところをすかさず。寒山拾得は爪は伸びてるは頭はボサボサである。『貝の穴に河童の居る事』の河童の三郎以来、髪は人形用の毛髪を使うことにする。こうしてのシミュレーションばかりの歯痒い毎日が続く。新HP
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一昨年、谷中の全生庵の円朝祭りの際に、円朝旧蔵の幽霊画と共に私の円朝像を展示いただいた。円山応挙他の大家等と、また百年ぶりに見つかった鏑木清方作のお菊さんが追加展示されたのは、清方作の円朝像が、残された写真と異なって見えることに、惑わされ創作とは何かを学んだ私に対する清方からの褒美だったのは間違いがない。さらに円朝像を持参した際に、全生庵が中国の寒山寺と同じ臨済宗の禅寺であることで、すでに『寒山拾得』が喉元まで出かかっていた私は搬出の際に、「いずれ寒山拾得をやります」。と口走っていた。こういった偶然に意味を感じる私は、これは作れということだ、とかつての東洋の魔女の如くに必ず拾うことにしている。そういう意味では、三島由紀夫が作中、または言及したことがある死に方で死んでいるオマージュ展の会場を探していたら、直前に紹介されたビルの持ち主の先代が、三島が事件当日、市ヶ谷に持参した刀を三島に進呈し、現社長が切腹の作法を伝授したことを知った時は、この展覧は祝福されている、と確信したのは無理のないことである。しかし昨日書いた理由により大空振りとなった。もっともこれには予兆があった。前年、そのビルと三島との縁など知らず会場を見、担当者と会ったのだが、三島との関係を知り、すぐに担当者と連絡を取るはずが、そこに大震災が起こり、主な収入がビルに掲げた何とかビジョンという広告搭で、電力事情により存続さえ危ぶまれる、ということになり、再び担当者に打診できたのは一年後であった。そこでまさかの何をやっても良いが、三島だけはNGという結果に。 ところで『寒山拾得』の背景に使わせてもらいたい物があり、仲介をお願いしたい方に話したら、許可をもらうまでもなく先方にいっておく、とのことであった。小さい人形を作る私には、拡大可能という写真は大きなメリットになる。撮らせていただく物も、わざわざ小さくした物を拡大して使おうというのだから、持ち主も驚くに違いない。
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ある程度部屋が片付くまでは粘土を入手しない、と決めたお陰で苦しんでいるが、そうでもしないと、片付けないからである。作りたければ片付けろ、というはなしである。人物撮影の場合に使っていた部屋は、周辺の建物に光が遮られことなく、遠くからの光が来るので都合が良い。ずいぶん前であるが、二十歳の娘にヌードを撮って欲しいと頼まれたことがあったが、それでも片付けない。これは一種の病気ではないか、とさすがに思った。まあ自業自得しかたがない。 普通に制作している時も、多少マゾ的に作り惜しみし、空腹感を演出し、そして獲物に飛びかかるようにして創作の快楽に浸る、という小細工をしばしばするのだが、それが弓の引き絞り効果となり、大変な集中力を発揮する。こんな空腹状態が続いたら、一体どんなことになるのであろうか。   撮影して作品に被写体として使わせてもらえるか、仲介してもらう人に二、三日中に相談してみることにする。Fさんから電話があったので、そのニューアイデアについて話したら、被写体の持ち主を知っており、行く時は連れていってくれるという。 これは良い状況になってきた、といいたいが、安心はできない。 『三島由紀夫へのオマージュ男の死』を模造刀の関の孫六を振り回しながら制作し、個展会場を探していた時、(右翼が怖いという理由で二ヶ所で断られた) その前年、Fさんにある場所を紹介された。ところが三島が自衛隊に持ち込み斬首に使われた関の孫六を三島に進呈したのが、そこの先代の社長で、切腹の作法を教えたのが現社長だと判明し、三島が導いてくれた!と、大喜び。しかし、何をやっても良いが、三島だけは止めてくれ、といわれた。事件後大変な迷惑を被ったらしい。そんなことがあった。つまり下駄を履くまで判らないのである。
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元トラックドライバーと現役ドライバーと昼にサイゼリヤへ。こんな連中があと何人かいて、なにしろブラック企業だから休みは少ないし、昼飯を食べる時間もないそうで、また毎日がそんな有り様なら他の世界に触れないせいで、寄ると触ると物流業界またはトラックの話しかしない。いい加減にしろよ、といってはみるが多勢に無勢である。そんな連中の中に入る私の方が悪いのだろうが、それにしたって。今日は相手が二人だけだったこともあり、『寒山拾得』の話をしてやった。しかしどんな話か説明したところで、それがどうした、という話であるが。さらに最近思い付いたニューアイデアについてひとしきり。撮影許可がでるかどうか、そこが問題なんだけど、と興味が全くない話を聞かされる気分を充分味あわせてやった。とはいうものの、50過ぎと70手前にまでなって、たとえ興味がない場合でも、聞いてるような顔をする演技ぐらい覚えておけ、といいたい。新HP
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禅の世界についてまったく知らないし、そもそも『寒山拾得』 自体よく判っていない。判っている人がいるなら聞いてみたいくらいだが、その程度でよく作りたいというな、と思わないでもないが、ずっと気になっており、なぜ気になっているのかさえ、実はよく判っていない。けれどだから作る資格はある、ような気だけはする。よくブログには書くが、何故作ろうと思うのかよく判らず、完成したころ、理由を見つけ、その後、初めからそうするつもりだった、という顔をするのが私のパターンである。そういう意味では『寒山拾得』など典型的であり、さっぱり解らないが、そこがまた禅だからこそ、なんて思ったりする。 先日浮かんだ名案は、そこに縁のある知り合いを介して紹介してもらい、撮影、また使用許可を得たい。連休明けにでも相談してみることにする。1億円くらい平気でするそうだが、使えるのならば、大迫力の画面になること間違いなしである。蛸に絡まった北斎以来の思いつきとなるか。
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リコーイメージングに売約済み作品にサインを入れに行く。写真作品はまだ搬出していない。長辺二メートルのプリントが全部置いてあるので来月運んでもらうことになっている。人形の乱歩と荷風だけ搬出。 『寒山拾得』 の背景について考えている。実景を撮影することも考えないではないが、曾我蕭白の奇岩を見と、自分で作ってみたい気がする。石膏を削って、というのは、高橋幸宏さんのアルバムジャケット『EGO』で昔やったことがある。撮影用なら人形に合わせたサイズで作る必要はない。それともうひとつ。朝、母からの電話で目が覚めた2秒後くらいに名案が浮かんだ。スケッチブックを前に考え込んでイメージが浮かぶ、なんてやってみたいが、棚からぼた餅や教室の黒板消しの様に突然降ってくる。スケッチブックに描いたのは乱歩の気球にぶら下がった『帝都上空』と宮沢 賢治の『ニコライ堂と銀河鉄道』だけである。共に最初に描いたスケッチそのままで、あまりにそのままなので、取っておけば良かった。名案に関して。いずれ撮影、使用許可を得なければならない。撮影できるのであれば、迫力の自然の中に寒山拾得を配することができるはずである。新HP
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部屋の片付け中である。小学生の通信簿に掃除の時間何をしていいか判らずフラフラしています、とすでに書かれている。まあフラフラはしているが、せめてもの対策として粘土を買わないことにした。買えば制作に集中して、嫌なことから逃げるのは判っている。結果、片付けなんかしなかったお陰で、こんな良い作品がてきたじゃないか。となるのである。たまたまここ数年、今までしてきたことをを振り返るような展覧が続き、次に行く前に。と考えた訳である。やりたいことは浮かぶのに作れない。食べたい物は浮かぶのに食べるものがない、といえば判りやすいだろう。粘土無くても死なないが、イライラは募る。 オイルプリントのカラー化のためにオークションで入手した版画用プレス機がある。木枠に入ったままの未使用品で内田洋行の焼き印があった。先日書いたが、もうオイルプリントのカラー化からは足を洗った。ただ昔から興味があるものに蔵書票がある。それを作家シリーズを使ってできないだろうか。もっとも澁澤で作ったら澁澤本用に、谷崎を作ったら谷崎本用になってしまうかもしれないが、そんな蔵書票があってもいいだろう。やるならフォトォグラビュールと考えている。おそらくプレス機を手放したら、やらないことになりそうなので、手離さない方が良さそうである。
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格闘家の山本“キッド”徳郁選手が亡くなった。 交通局発行の『中央公論adagio』の表紙を担当していた当時、2008年、“三島由紀夫と馬込を歩く”という特集が決まった。『風流夢譚』事件で中央公論は三島由紀夫をよくぞ、と思ったが。 馬込には三回ロケハンに出掛けたが、三島の家だけが三島的で後は変哲もないただの商店街と住宅地しかなく、三島を配する背景などどこにもなく困った。ところがその月に、馬込に山本一家のジム『(ヤマモトスポーツアカデミー)、KRAZY BEE、』がオープンするという情報がたまたま耳に残っていて、空手等格闘技をやった三島とキッドと共演してもらおうと考えた。 当時山本キッドはスピード切れ共に世界レベルにあったろう。発行直後にキッドのカムバック戦があるのでタイムリーでもあった(最終的にはその試合も確か流れた)しかし、なかなか内部的に賛同を得られず。ようやく了承を得たが、撮影当日キッドは都合がつかないといわれた。 しかし私は必ず現れると確信していて、そしてやはり現れた。実は三島と共に市ヶ谷に突入した楯の会のメンバーを密かにイメージしていたのだが、キッドからセコンドが四人はおかしいといわれ、それはごもっとも。隠しテーマ上四人が譲れない私は道場破りが来た、ということにしてもらった。また宣伝にもなるし、とジムのロゴ入りTシャツを着てもらった、これは“制服”のイメージだったが、同じ色では目立たない、とマネージャーからの意見で“森田必勝”だけは黒に。まあしかたがない。右側の外国人がいくらいってもカメラを見るので黒目を動かした。練習生の一人の顔に文字が乗っかっているのをデザイナーにお願いして、若干移動してもらった。この子は郷のお袋に知らせるに決まっている。 今だからいえるか、密かにこんな隠しテーマを入れたのは、前号の『五代目志ん生と本所を歩く』で古今亭志ん生といえばお銚子にコッブと決まっているのに、交通局から飲酒表現はまかりならん、と湯飲みに換えさせられたことが影響していた。今思うとよくこんなことが出来たと思う。三島とキッドは共に身長163センチであった。合掌。


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一日  


寒山拾得を手掛けるなら豊干禅師を含めて5カットは欲しい。いつものように首一つづつにポーズの違う身体を複数体。古典絵画では顔と着物の表現は別で、衣紋線というのか、ざっくりと勢いをもって描かれている。私も頭部以外は勢いで作る。結果的にそれが肝心の頭部を強調することになる。説話上の人物は、さらに筆ならぬ粘土べらの勢いそのままに作ろうと考えている。こういうモチーフは写真では比喩的に描くしかないが私の場合は連中を作ってしまうので可能である。豊干禅師に寄り添う虎は、勿論猫を虎にする。 背景は実写と作るという2案。説話上の人物には、やはり陰影はあってはならい。当然背景にも。 工芸学校時代の三重県で陶芸家の友人と会う。彼が日本伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞した時、日曜美術館で最初にドンと映った時は感激した。試験もろくすっぽ無いような学校からよくぞ。近代美術館の工芸館にも収蔵されている。現在東海伝統工芸展の審査員を務めているが、今年の日本伝統工芸展は落選したという。その代わり、もう一人の同級生が25年ぶりに入選したと聞き、これがまた嬉しかった。二人ともにそろそろ引退を考えていると聞いていたが、冗談をいうなよ、といいたい。
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偏読  


初個展から40年近く経つが、最初のジャズ、ブルースシリーズから現在まで女性を作ったのは、おそらく十体に満たないであろう。人形作家の多くは女性で、作る人形も少女などが多いが私は一貫してむくつけき男性ばかりである。色々理由はあるだろうが、男女を同じ材料、同じサイズで同じ土俵に立たせられる気がしないのである。よって鎮守の杜の姫神様や江戸川乱歩作品に登場する黒蜥蜴のような、現実離れした登場人物を別にすれば、必要な場合は実物の女性を撮影し共演してもらう。それにより作品上では男女のバランスがようやく取れる気がするのである。 女性作家の作品を何を読んだか、というと、エッセイを別にすると、指折り数えて中学生の時に読んだ樋口一葉『たけくらべ』パール・バック『大地』メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』で止まってしまうのである。そんなバカな、と自分でも思うし、思い出せないだけだと思うのだが、私が男ばかり作ってきた事と無関係ではなそうである。思い出してみると、中学生の時に谷崎潤一郎を授業中にも読んでいたのは、未知の、人生上の秘密が書かれていると考えていたからであろう。でなければ『瘋癲老人日記』や荷風の『濹東綺譚』を繰り返し読む中学生はへんであろう。作家が人生上の秘密を解き明かそうとする人々だとして、私が小説を読むのが未だにそんな理由だとしたら、男である私が女流作家に興味が向かない理由にならないだろうか。
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泉鏡花に触れたのは小学生の時TVで観た、高野聖を原作とした『白夜の妖女』(日活)であったが、最初に読んだ高校生の時から、毒の回り方は最速で、気がついたら一人山深い所を歩いていたり、座敷に妖し気な女が俯いていたりした。 鏡花は言霊の存在を信じ執筆の前に、原稿用紙にお清めの水を垂らした。あらゆる文字を大事に扱い、文字が書いてあると箸袋さえ捨てられない。鏡花の文章には鏡花がなにがしかの術をかけていたに違いなく、毒の回りの早さを考えると、そうだとしか思えないのである。明治、大正、昭和を生きた作家だが、晩年は、時代遅れの古臭い作風と見なされていたことはいなめない。しかしだからこそ、それ以上は古びない。おかげで今でも舞台、映画化されているのだろう。 西洋から陰影、遠近法かもたらされ、そのリアリズムに葛飾北斎を始め、日本人画家は感化され現在に至っているわけだが、泉鏡花は時代にかかわらず自分の小説世界を守りきった。海外から英訳本のオファーを受けた鏡花は「あなた方に解る訳がない」。と断っている。 新HP
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私の作品に登場してもらう人物は皆素人の一般人である。よってどこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知らない所が良い。例えば酒場の見知った常連にお願いした場合、おそらく本人よりも私の方が、こんな時、こんな顔をする、と知っているのは間違いがない。先日5年ぶりに会った漁師役の彼は、それまで全く面識がなかったが、人柄が滲み出ていて、相棒とともに、自分達がどんな目に合うのかも知らず、良い表情を見せてくれた。但し、気を付けなければならないのは、少しでも男前に写ろう、とでも思うのか、直前に床屋でサッパリして来られたのに慌てたり、河童が触ろうとするむっちりとした尻の持ち主の娘のはずが、急に痩せてしまい、それは恋愛事が作用していたらしく、これも慌てたが、おかげで後に 無事二人の子の親となった。先日“谷崎もの”に出てくれることを了承してくれた彼女は、テストで試しに撮ったカットには、実物の良さが全く出ておらず、これは現場で一工夫を要することになるだろう。それで上手く行けば素人ならではのリアル感が出ることになるだろう。素人からオーディションで黒澤映画『影武者』で家康役をやった油井昌由樹さんは、ほとんど一発OKだった、と伺ったが、黒澤と一緒にしてはいけないが、私もほとんど一発で終了であった。素人は繰り返すほどつまらなくなっていく。北野武の『アウトレイジ』で韓国人の大親分の役をやった人は、登場早々すぐに素人だと判った。あの味は演技という嘘を繰り返した人間には出ない類いのものだったからである。 新HP
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来年、久々に人形とカメラを手持ちの“名月赤城山撮法”を炸裂させる機会がありそうである。縁のある土地で人物を撮るのは愉快である。『帰って参りました』。と唱えながら撮影するのは私ならではであろう。今ではスマホを手に誰でもやっているというのは、ぬいぐるみなどの場合で、人形を人間大に見立ててということは少ないかもしれない。これにはコツがある。手前に持ってくれば人間のように大きくは写るが、そこに居るようにするには、角度が大事であり、そこを間違えると地面にめり込んでいたり、脚立に乗っているかのようになってしまう。何も人形に限らず、人間の合成でもしばしば見受けられる。いったいどこに立っているんた、ということが多いが、見ている人には判るものである。背景と主役の角度は重要である。それとムードを出したいがために、絞りを開け、ボカシたくなるが、これにより、対象が小さな物であることが判ってしまう。背景とのバランスを意識して、あくまで人間を撮影しているつもりにならなければならない。というわけで、まことを写すという写真という言葉にを嫌って文句ばかりいいながら、こういう場合にはこう写り、こういう時はこうボケる、という写真の写り方に対する既存のイメージを利用していたのは私なのであった。
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