格闘家の山本“キッド”徳郁選手が亡くなった。 交通局発行の『中央公論adagio』の表紙を担当していた当時、2008年、“三島由紀夫と馬込を歩く”という特集が決まった。『風流夢譚』事件で中央公論は三島由紀夫をよくぞ、と思ったが。 馬込には三回ロケハンに出掛けたが、三島の家だけが三島的で後は変哲もないただの商店街と住宅地しかなく、三島を配する背景などどこにもなく困った。ところがその月に、馬込に山本一家のジム『(ヤマモトスポーツアカデミー)、KRAZY BEE、』がオープンするという情報がたまたま耳に残っていて、空手等格闘技をやった三島とキッドと共演してもらおうと考えた。 当時山本キッドはスピード切れ共に世界レベルにあったろう。発行直後にキッドのカムバック戦があるのでタイムリーでもあった(最終的にはその試合も確か流れた)しかし、なかなか内部的に賛同を得られず。ようやく了承を得たが、撮影当日キッドは都合がつかないといわれた。 しかし私は必ず現れると確信していて、そしてやはり現れた。実は三島と共に市ヶ谷に突入した楯の会のメンバーを密かにイメージしていたのだが、キッドからセコンドが四人はおかしいといわれ、それはごもっとも。隠しテーマ上四人が譲れない私は道場破りが来た、ということにしてもらった。また宣伝にもなるし、とジムのロゴ入りTシャツを着てもらった、これは“制服”のイメージだったが、同じ色では目立たない、とマネージャーからの意見で“森田必勝”だけは黒に。まあしかたがない。右側の外国人がいくらいってもカメラを見るので黒目を動かした。練習生の一人の顔に文字が乗っかっているのをデザイナーにお願いして、若干移動してもらった。この子は郷のお袋に知らせるに決まっている。 今だからいえるか、密かにこんな隠しテーマを入れたのは、前号の『五代目志ん生と本所を歩く』で古今亭志ん生といえばお銚子にコッブと決まっているのに、交通局から飲酒表現はまかりならん、と湯飲みに換えさせられたことが影響していた。今思うとよくこんなことが出来たと思う。三島とキッドは共に身長163センチであった。合掌。
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