明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



明治時代、建造当時の再現を目指していたが、数回の移築により細かな点が変化している、色もモノクロ写真を元に推理するしかないが明らかに塗り替えられている。人着写真の色など参考にはできないが、モノクロ写真を見る限り建造当初は白だったろう。塗り直すといっても一晩かかった。時計台も白の可能性が高いが絵的に冴えないので白は止めた。この前に立つのは陰影がない人物である。よって現実ではない。整合性云々はどうでもいいはずではなかったか。つい今までの要領でリアルに考えてしまう。 1つミスに気付いた。この人物はT屋で貰った使い古しの菜箸で作ったサーベルをブラ下げている。せっかくなのでそれは見せたい。となると右を向いていないとならないが、そうなると背景に入るスペースがない。そこで奥の手。背景を左右反転することにした。シンメトリーな建物なので、時計台の文字盤さえ反転しなければ問題はない。 それにしても資料を調べたり、邪魔な大木を取り除いたり色々やっても、散歩がてらカメラぶら下げ撮って来ました、くらい自然に見えなくてはならない。背景で感心されてもしょうがないのである。その分、訊いて下さいとばかりに、ここでああだこうだ書いて、あげくに個人タクシーのMさんにブログがつまらない、といわれてしまうのである。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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建物を作ったといえば、江戸川乱歩では先日工事現場から煉瓦が出て来て話題になった浅草十二階こと陵雲閣が最初だったか。フォトショップで線ををひいては色を塗るという原始的な方法で作った。子供の頃“いろはにこんぺいとう”ではじまり“光るはオヤジのハゲアタマ”で終わる言葉遊びがあったが、バナナは高い、高いは十二階、十二階は恐い“”というのがあって、十二階が何故恐いのかが判らなかった、それが中学生になり江戸川乱歩を読んで陵雲閣を知った。中で恐ろし気な絵が飾られていた、という話しを聞いたことがあるから、お化け屋敷的な恐さだったのか、高いから恐いのかは知らないが、関東大震災以前から口伝えで伝わってきたと思うと面白い。 同時期に乱歩が弟等と経営した団子坂にあった『三人書房』も作った。当時HPのアンケートで撮影に適当な古書店を答えていただいたが、乱歩が簡単なイラストを残しており、エッセイで蓄音機を置いただの書き残していたので、アンケートに答えていただいた方々には申し訳なかったが、それを再現することにした。これは明智小五郎初登場作品『D坂の殺人事件』で明智がコーヒーを飲みながら眺める殺人現場の書店としても使った。明智小五郎は俳優の市山貴章氏。若き乱歩のつもりの人物はすでに人形と人間の合成をしていたのを思い出した。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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昨日撮影した背景は、肝腎の建物に枝がわさわさした大木がじゃましており、取り除くだけで数日覚悟していたが、朝5時半にはすっかり取り除き、昔は無かった池を埋めた。それでも旧い写真と比べてみると、大分形や色が違う。移築といっても昔のままとは限らない。三島の背景に使った市ヶ谷駐屯地のバルコニーもコンパクトになっていて、そのままでは感じが違ったので修整した。宮沢賢治を屋根に立たせたニコライ堂は、賢治の頃とは建て替えられているので、江戸東京博の模型を閉館後に撮らせてもらった。今回もどうせならある程度までは近づけたい。乱視が酷くなって来ているが一日中モニターを見つめていても疲れないのが有り難い。 昨日は肝腎な所でカメラがいうことを利かなくなり往生したが、中古で入手したデジカメの取り説をまともに読んでいないからこういうことになる。昔はむしろ取り説、解説書の類いは好物で、電気製品はもとより薬の効能書きまでなんでもかんでも読んだものだが。その頃は女性がろくすっぽ取り説を読みもしないで判らないなんていってるのを、しょうがない連中だ、と呆れていたが、取り説が楽しみでなくなったのはデジタル時代になってからである。まったく馴染めなくなった。知りたいことを探し出すだけでうんざりして放り出してしまう。つまり私も歳を取ったということであろう。 この建物はアンバランスなくらい大きな時計台が特徴だったはずだが、今では申し訳程度の出っ張りが乗っているだけである。夜中には捏造した大きな時計台を屹立させた。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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昨晩飲んでいると、トラックドライバー連中がまた業界の話しをしている。他にする話しはないのか。しまいには経済効率なんて特殊で耳障りな用語まで。酒場ではいってはならない言葉というものがあるだろう。少なくとも私の耳に届く所で発するんじゃない、と文句をいっておいた。 そして本日マラソンの折り返し地点周辺で飲んでいると連中から電話。折り返す前にすでにロレツが回っていない。放っておいて背景の撮影に出かける。背景は決めていたのだがいざ行ってみると目的の建物のド真正面に大木が植えられている。よりによってこんな場所に。しかたなく撮影を始めると、カメラの設定がいうことを効かない。先日少々雨に濡れたせいだろうか。よりによって。設定はできないが記録はされている。とりあえず撮影した。閉園時間にはまだ早かったが、今日は日が悪い。入り口に戻りトイレに入ると鏡に映ったカメラが何か光っている。そこを押してみたら元に戻った。なんだよ。慌てて7百メートル先の現場に戻り撮り直した。 閉演時間に出ると方向音痴の私は、どちらから来たかすら判らなくなったので職員に帰り道を聞く。丁寧に教えてくれて申し訳ないが私の場合、角を2回曲がったら後はもうただ聞いているフリである。しばらく歩いてベビーカーを押すお父さんに訪ねると、今来た道を指すではないか。そして撮影地を過ぎて向こうへ行くという。こいつは親子連れのムジナではないのか?すると園内で見かけたおばあさんの5人連れを見つけた。駅に向かっているに違いない。しばらく着いて行くと急に路地を曲がり一軒家にゾロゾロ入って行った。友人に電話して最寄りの駅を調べてもらい、向かっていたはずの駅とは違う駅へ。 すでに脚は棒である。地元に帰り喉を潤す。勘定をしようとしたらあるはずの札がない。ポケットに小銭が随分あった、と思って格闘したらまさにギリギリセーフ。レジへ向かいながら振り返ると椅子の下に落ちていた。なんて日だ。これもすべて正面に生えていたあの木のせいに決まっている。こうなったら何日かかっても必ずどかしてやる。私の辞書に経済効率の4文字はない。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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拍車  


もともと寝覚めは良い方で、目が覚めてしまったら二度寝ができない方であったが、ここ1週間ちょっと、どんよりとした目の覚め方で、今日はだるくてもう一度寝てしまった。しばらく面倒であった雑事の先が見えたとたんこうなった気がする。ホットして疲れが出たのだろうか。昔、インスタントラーメンばかり食べていて、これではいけない、と炊飯器を買ったは良いが、白米ばかり食べ、目が覚めると寝る前よりくたびれており、これではいけない、とビタミン剤を飲んだら物凄く効いてビックリしたことがある。あの時と似ているがちょっと違う。創作者としては様々追い込まれていた方が、たとえ逃避だろうと作品としては出来は良い。展示の予定はないが『蛸と画狂老人葛飾北斎』を長辺170センチのプリントにしてみよう、と近所のピアノのようなプリンターをお持ちの方にお願いしてみた。この作品はもともと私の“感心されるくらいなら呆れられたい”願望を満足させるための作品であり、この大きさなら、しゃぶしゃぶにして成仏させた瀬戸内海産蛸は大迫力だろうし、北斎の身体用に、酔っぱらう前に撮影した爺さんは、実物より拡大されるだろう。そしてもう、こんなことになってんだからしっかりしろよ、とこの辺で私自身に拍車をかけようという寸法である。ちなみに25日発刊の『タウン誌深川』の連載第7回で本作について書いている。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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それにしても私がやることは実物の人間に見えたり絵に見えたり、自分がそうしているのに係らず、私自身は騙すつもりで制作している訳ではないので、よく見れば粘土でしょ?なんで判ってくれないの?と不満を洩らす。考えてみると実にタチが悪い。当ブログで散々写真という用語に対して“まことを写す”なんて妙な日本語訳しやがって、と罵声を浴びせておきながら、その写真のイメージのおかげで恩恵を被っていたのは実は私であった。これからはもういうまい。 陰影を消しても立体感を表してくれるレンズというものにも感心し見直した。肝腎な陰影を排除し、平面的なぺったんこな作品を作り始めたのに係らず、今までで一番写真、カメラが好きかもしれない。紆余曲折とはまさにこのことである。 俳優大杉漣の急死で思ったが、私が去年の今頃死んでいたら、「裸電球1灯の下でながらく作ってきたので、コントラストの高い照明を好んで、写真の悪口言い続けていたよな。」とお通夜の席でいわれていたかもしれない。反省、転向、宗旨換えが出来るのも生きている間である。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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先日近所で、映像関係の仕事をしていた人と話していて葛飾北斎の新作映画の話しが出た。間もなく発表されるということだが、それはすでに別な人からも耳にしていて、主役も聞いている。今の日本で、北斎をやれる人といったらまあ限られるだろう。たまたまそんな話しになったので、北斎2作品をメールした。陰影が出ないよう撮影して、ただ配置したと。ところが電話をもらい「石塚さんが自分で描いたの?」私が人形を作っていることはご存知で、深川江戸資料館の個展にも来ていただいている。 ジャズ・ブルースから作家シリーズに転向したのは、最後のジャズブルース展で始めて人形の写真を、被写体の人形と共にならべたのに人間の実写と間違えられたことがきっかけであった。作り物でないと撮れない物を作らなければ。小金井の東京たてもの園で、たてものを背景に作家の人形を撮影し、人形と共に展示した時、観ていたカップルの会話を耳にした。男性が「いやこれは違うよ」。被写体はこれだ、と横に書いてあるのに違う、という。当時良く作品の保管が大変でしょうといわれたものである。つまり実物大だと思われた訳である。私はこういう時、それだけリアルに見えるんだ、と喜ぶより、これは私が作ったのに何故判ってくれないんだ、と釈然としない気分になったものである。粘土臭さを残しているのは理由の1つであり、リアルに見えるように作ろうと意図したのは古今亭志ん生の一度だけである。 しかし今思うと、私がそう見えるようにして来た訳で、“真を写す”という意味の写真という言葉を蛇蝎の如く嫌い罵声を浴びせながら、その思い込みを一番利用して来たのは私なのであった。その矛盾にずっと気付かない所が私らしく、本来“写真”に感謝すべきであろう。となると今回は、立体には陰影が在る物だ、という思い込みを利用していることになるのだろうか?当ブログをお読みの方々はご存知であろうが、たいして考えている訳ではなく、行き当たりばったりなのだが。個展会場では熟考の末みたいにいってしまうかもしれないけれど。

『古今亭志ん生』

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

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たまたま発達障害に関する番組をユーチューブで観たら、発達障害で苦しんだ人の子供時代の再現VTRが出て来て、呆れる程身に覚えのあるエピソードが出て来た。今でこそ出不精で、トイレ以外は一度も立上がらず一日が終わってしまったりするが。子供の頃は落ち着きがなく、多動症に近かった気はしていた。授業中はさすがになかったが、自習時間は教室から出てしまうし、家族で旅行に出かけたときなど、混んだ電車の停車時間の長さに耐えられず、ひょいと下りたらドアが閉まったりした。それでも鉛筆やクレヨンまたは本を渡しておけばいつまでもじっと大人しくしていたし、授業中は悪戯描きを欠かさずすることにより耐えた。 発達障害は空気が読めないという特徴があるらしいが、下町の、窓から手を伸ばすと隣の家を触ってしまい、また通りを一歩超えてテリトリーから外れると危険が一杯だった地域では、人の顔色、空気が読めないとロクな目に遭わない。そのせいなのか人間関係での失敗はない。その分、人との距離間には慎重で、人見知りが激しく、例え酒場でも、そう簡単には打ち解けることができない。 そんな訳で私は発達障害と共通点が多いものの発達障害もどきで収まっているようだが、それにしては随分身に覚えがあったので、高校時代の友人の精神科医に会った時に聞いてみようと思ったが、止めておくことにした。彼こそ高校時代シラケのAと呼ばれていて、空気が読めないこと甚だしく、みんなの輪に混ざるとシラケてしまうので、そんなあだ名がついていた。医者に成り立ての頃、患者といる方が楽だといっていたのを憶えているが、そのおかげで、受け持ち患者の自殺率の低さを誇るという成果につながったのであろう。お互いまあ良かったな、ということで。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

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一昨年の深川江戸資料館の個展で数年ぶりに会った高校時代の友人Aが、真空管のギターアンプを作ってくれるといったが、部品がそろったと連絡が着た。リバーブを付けてくれるよう頼んである。 私は中学生の頃からエレキギターを作ろうとデザインしていたが、実現したことはない。60年代の国産ギター、いわゆるビザールギターというのが好きなのだが、他人の作った、自分の辞書に載っていないスタイルだから良いのであって、自分の中からは、自分にとって意外な、そんな物.は出て来ない。絵描きの物まねしている芸人のように左手で描いてみたり、眼を瞑って描くぐらいでないとダメだろう。それを数十年かけ悟って熱が冷めた。といいながら、只の板にフレットの代わりに見当のラインををひいてピックアップを着けるだけで良いスチールギターなら、とホンジュラスマホガニーの板は入手済みだが、放りっぱなしである。 口ばっかりの私に対し、Aは、だったら俺が作る、とたいした工具も使わず数台のギターを作った。初代が完成した時ウチに見せに来たが、ダブルネックの様々な機能の付いた異形のギターで、ボデイには形代(かたしろ)が埋め込まれている始末で、横にいた友人が「患者が作ったギターじゃねえのか?」。Aは担当する患者の自殺率の低さを誇る精神科の医師である。送られて来たアンプの画像を見る限り、神霊が依り憑くようなものが封入されている気配はないが。


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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

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昨年の2月17日のブログで「裸電球1灯の下でながらく作ってきたので、コントラストの高い照明を好む。」なんて書いていた。直後にこんなことになるなんて思いもよらず。ここまで自分のことを裏切ることが出来たのは実に愉快痛快である。昔、嫌だ嫌いだといっていたカメラやパソコンが重要なツールになってしまった段階で、自分はこういう人間である、なんて口にしないことにした。何がどうなるか先のことは判りゃしない。 蛸と北斎では、本物の蛸のリアルさとのバランスを取るため、北斎の頭部以外は実物を使った。あの時、これが出来るなら今後もこの調子でいいんじゃないか、と一瞬よぎった。つまり頭だけ作って、後は近所でフラフラしてる連中を使えば。“イメージを自分の中から取り出すためならどんな手でも使ってやる、それがたとえ卑怯な手でもな”なんて悪役レスラーみたいなことをいっていたものだから、ホントによぎったのだが。 頭部を作ること自体はつらいばかりだが、それが完成し、それを生かすために身体部分のポーズを考え作り出す時が醍醐味である。よってせっかくの所をフラフラした連中で代用する訳にはいかない。よぎったのは一瞬である。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

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森鴎外の背景を撮影に行きたいのだが思ったような天候にならず。そうなるとまた虎のことを考えてしまうが、本来作るとしても寒山と拾得の二人の予定であり、豊干まで作るとしたら、とつい余計なことを考えてしまって虎の制作方が浮んでしまった。時間的に3人はどうか。虎が出来ても、画面に虎一匹だけということになりかねない。そうなると、そこで次に私の考えそうなことは凡そ想像がつく。龍を作って『龍虎図』にしようと企むだろう。土俵をはみ出るのもいい加減にしろという話しである。 龍といえば何回か作った覚えがある。小学校の学芸会で、古事記の中から八岐大蛇の人形劇をやることになり、龍の頭を一匹作った。それがどういう人形劇になったのか、ならなかったのかまでは記憶がない。キングギドラの絵などは随分描いただろうが、陶芸の学校では四角い酒器に龍の頭が付いているのを作った。同級生が今も持っているかもしれない。注ごうとすると龍が大量の涎を垂らしているようであった。 三島由紀夫は『仮面の告白』で幼い頃繰り返し読んだ物語の話しを書いている。ドラゴンに噛み砕かれて死ぬ王子の話しなのだが、幼い三島は、王子が生き返るのが気に入らない。生き返る描写の部分を隠して読んだ。まさに“三島根っからエピソード”である。『三島由起夫へのオマージュ男の死』で、王子の様子などそのまま作ってみた。本当は兜を被っていた気がするが、三島のヘアスタイルと状況の違和感が薄くなるので被らせなかった。これは小学生以来の怪獣制作であったが、屋上でドラゴンを手持ちで撮影しながら、「私はいったい何を馬鹿なことをやっている」。すると幼い頃からおなじみの快感物質がジュワーッと。


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最近の手法は、手漉き和紙にプリントすることで命を得た。最初の円朝ができてラボにカラーの銀塩プリントに出しに行こうとした直前。これがまたホントに直前であったが、田村写真の田村さんから手漉き和紙がありますというメールが届いた。さっそく麻布十番に向かったのだが、出来たプリントを見たら、作った私が絵にしか見えない。絵に見えるようにしよう。と考えていた訳ではなかったが、手法との相性のせいで思わぬ副作用であった。 これからは人間にも応用して行きたい。その第一号が『牡丹灯籠』のお米とお露であった。幽霊は陰影がなくて当たり前、それどころか透けていて当たり前という訳で、実にぴったりであった。 手透き和紙には私にとって、もう1つ大きな利点がある。“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”が信条というよりヘキである私の作品の、過ぎたる部分が2ランク程落ち着いて見えることである。それが例え蛸に襲われている老人であっても。アルコール入りの女性ではあるものの「わあ綺麗!」といわせた落ち着きぶりはたいしたものだ、と思うのだがどうだろう。

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デイアギレフはジャン・コクトーに「私を驚かせてみろ」といった。私が私に驚かせてもらいたいのは私自身である。今日は何をしていても『寒山拾得』に出て来る豊干禅師の乗っている虎のことを考えていた。先日ちょっと思い付いて以来、やりたくてしかたがない。今年の正月に、まさか虎を手掛けたい、と熱望することになるとは夢にも思わなかった。それを形にできたら正月の私はきっと驚くだろう。タコと北斎にしてもそうだった。びっくりしただろう私。ザマアミロ、と。これを続けていけば、私の想定外の方向に行ってしまうがそれで良い。どうせ私の想定したことなどロクな物である訳がない。 そうやって自分のしでかしたことに驚いていられるうちは私は生きている。周辺にヒトダマを浮かべてこちらを見ている三遊亭円朝が、最近の手法の第一作であった。昨年4月の終わり頃だった。それまで随分長い間、頭の中で円朝がこちらを見ていたのを憶えているが、その時はむしろヒトダマを筆で描くアイデアが面白く、その後おかげで作風が一変することになるとは思ってもいなかった。あの前には戻りたくない。私の場合、冥土へ向かう恐怖に打ち勝つにはこれをくり返すしか方法はない。去年の私と今年の私が変わらないなんて、こんな恐ろしい話はない。 亡くなった父が何度か死にそうになり入退院をくり返し、痩せ衰えながらも帰宅した日。TVで水戸黄門を見、スポーツ新聞を読んでいるのを見て心底ビックリした。



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午後、麻布十番田村写真へ。出来たばかりの赤富士の北斎をプリント。手漉き和紙へのプリントは、普通のプリントとは発色が違い彩度が上がりにくい。その辺りの調整をお願いする。私自身が昨年初めて見た手法である。ようやく眼が慣れて来たので、再度プリントしてもらうカットも出て来た。会期までにはすべてベストのプリントで揃えたい。個展直前にバタバタしないよう、今から一点づつ順次プリントをお願いしている。 昨日完成したばかりの赤富士の北斎は、手漉き和紙にぴったりであった。北斎の赤富士を背景にしたのでなおさらだが、被写体が人形で、カメラで撮影した写真である証拠がどこにも見当たらない。 これを含めて現在18点。すべてが最近の手法ではなく、手漉き和紙のプリントで見てみたい、という作品も選んで出品する予定である。オイルプリントのスキャニングデータを手漉き和紙に、ということも試してみる予定である。 相変わらず耳を澄ますと踏切の信号機としか思えない音がずっと聴こえている。

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休日  


北斎2作目が朝までに完成したので、連休最終日、飲み仲間のトラックドライバーと早いうちから集まる。たまにはなにもしない日があっても良いだろう。完成していなければ、今家で作業していたら上手くいったかもしれない、という想いに苛まれてしまう。 先日、昭和60年代に買った浮世絵の雑誌を読み返してみたら、驚くくらい北斎に関する研究が進んでいないという気がした。昨今の北斎ブームはどういうきっかけだったのだろう。シーボルトが注文した西洋画調の作品が北斎作と認定されたあたりなのか。正直言うと、北斎が言い残したように、もう10年も生きていれば判らなかったが、西洋画に対するアプローチは今一つ届かずの感が強い。 写真を陰影、遠近感まで見たまま描ける画法と考えると、私はそこからわざわざ陰影を引っぱがし、遠近感を歪まそうとしていた訳だから、北斎と真逆の方向に向いていたことになる。北斎を作る気になったのは、そのすれ違い方に縁を感じ、面白くもあった。 そもそも私が浮世絵に感心を持ったのは、九代目團十郎の1体目を作るために調べていて、みんな同じ顔に描かれているように見えた役者絵が、役者によって実は個性を描き分けられている、と気付いたあたりからだった。今の時代から見たら同じように見えるそんな微妙な味わいを、当時の庶民は感じ取っていたと思ったら、たいした文化であるな、と。

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