先日近所で、映像関係の仕事をしていた人と話していて葛飾北斎の新作映画の話しが出た。間もなく発表されるということだが、それはすでに別な人からも耳にしていて、主役も聞いている。今の日本で、北斎をやれる人といったらまあ限られるだろう。たまたまそんな話しになったので、北斎2作品をメールした。陰影が出ないよう撮影して、ただ配置したと。ところが電話をもらい「石塚さんが自分で描いたの?」私が人形を作っていることはご存知で、深川江戸資料館の個展にも来ていただいている。 ジャズ・ブルースから作家シリーズに転向したのは、最後のジャズブルース展で始めて人形の写真を、被写体の人形と共にならべたのに人間の実写と間違えられたことがきっかけであった。作り物でないと撮れない物を作らなければ。小金井の東京たてもの園で、たてものを背景に作家の人形を撮影し、人形と共に展示した時、観ていたカップルの会話を耳にした。男性が「いやこれは違うよ」。被写体はこれだ、と横に書いてあるのに違う、という。当時良く作品の保管が大変でしょうといわれたものである。つまり実物大だと思われた訳である。私はこういう時、それだけリアルに見えるんだ、と喜ぶより、これは私が作ったのに何故判ってくれないんだ、と釈然としない気分になったものである。粘土臭さを残しているのは理由の1つであり、リアルに見えるように作ろうと意図したのは古今亭志ん生の一度だけである。 しかし今思うと、私がそう見えるようにして来た訳で、“真を写す”という意味の写真という言葉を蛇蝎の如く嫌い罵声を浴びせながら、その思い込みを一番利用して来たのは私なのであった。その矛盾にずっと気付かない所が私らしく、本来“写真”に感謝すべきであろう。となると今回は、立体には陰影が在る物だ、という思い込みを利用していることになるのだろうか?当ブログをお読みの方々はご存知であろうが、たいして考えている訳ではなく、行き当たりばったりなのだが。個展会場では熟考の末みたいにいってしまうかもしれないけれど。
『古今亭志ん生』
銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」
HP
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