明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



焼き物の窯がそうだったが、一度温度を下げると上げるのに時間がかかる。三島が完成し、何だか気が抜けてしまった。特に椿説弓張月が大変だったので余計に脱力してしまい結果、太宰をグズグズして予定より完成が遅れた。 当初太宰は、ただ広々とした空を背景に立っている、というイメージでいたのだが、弓張月をやってしまったら、太宰をそんなあっさりと済ます気になれなくなってしまった。 思えばこうやって、三十有余年、日々変化してきた。よって以前の作品、やり方のほうが良かった、といくらいわれても階段を一歩も降りたくない。おかげで超がつく面倒くさがりが、なんでこんなハメに、ということになってしまった。自業自得というものであろう。 以前、足腰立たなくなった時に備え、世の中のパーツを撮り貯めておいて有事の際に、と考えていたことは書いたが、手元のデータが役に立っており本気で再開しようと思う。街中に立つ太宰。ただそこに人を立たせようと想定して撮っていないので、右側に景色を付け足し、太宰を立たせるスペースを捏造。たばこ屋に決めた時点で店番も決めていた。私が三十年以上通った江東区は木場の煮込みの名店、河本の女将、真寿美さんである。亡くなるまで来年二十歳、といっていた。何かの折に登場してもらう機会を伺っていた。供養になる。 あと残るは画室の葛飾北斎と松尾芭蕉の制作だが、北斎の画室は、撮影場所が閉鎖されて諦めることとなった。こういうところが写真の欠点である。やはりパーツを事前に集めておくべきである。明日、明後日から松尾芭蕉二体目制作に入る。





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ウチにいる太宰は当初虫が好かない男で、苦労もさんざんさせられ、おかげで一時は引っ越しに伴い、その首は廃棄寸前に至った。段ボール箱を前に一瞬躊躇した。捨てるのはいつでもできる。それが今ではウチのエース格に躍り出るかもしれない、というところである。作っている私も現金なたちであり、高校の時、耐えられずに映画館から出てきた小津安二郎も、今では好きな監督の一ニを争っている。人は変われるうちが華である。下駄を履かせる予定だが、撮影ではそこまで写らないので後回しにして、着彩を明日にして、とりあえず。うまく運べば撮影も済ませ完成である。 公開から数年たち、監督も亡くなったが11・25自決の日三島由紀夫と若者たちをようやく見た。三島事件を描いた作品。肝心の三島と森田がミスキャスト。学生長が三島より老けている。三島の美ということに爪の先程も触れずに映画を一本作ってしまった。まあ片寄っているという意味では、私に言われたくないだろうけれども。

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一日  


テレビがないので、スーパーの空になった棚など見ないで済んでいる。近所の巨大スーパーは特になんの変化もないように感じられるのだが。個展の5月頃はどうなっているか判らないが、今から考えても仕方がない、ただ作るだけである。 太宰は隣の部屋のちゃぶ台に立っているのを見ると、30メートル向こうに太宰が立っているように見える。インバネスから覗くタバコを持つ左手を作る。下駄を履く予定の足は写らないので、仕上げは後日に。明後日には弓張月の三島、太宰の着彩に入れるだろう。撮影が終わり次第、三島の首を外して、割腹する三島を完成させ、愛の処刑となる予定である。何れも背景はあらかじめ作ってあるので完成も間近である。後は画室の葛飾北斎を完成させ、背景の撮影、最後に松尾芭蕉の制作である。芭蕉は背景は何も凝ったことはせず、平面的な背景にただ居るだけとなる予定である。

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太宰  


食料や制作材料の購入以外ほとんど家を出ない。個展が近いせいもあるが、おおよそこんな感じである。引っ越し以来、三食ほぼ自炊だが、生野菜はキャベツを刻んだもの以外は自分で用意したものは昔から食べる気になれないが、ここぞとばかりに野菜炒めなど野菜をゴリゴリいわせて食べている。店ではそんな野菜炒めは食べられない。 太宰にはマフラーを巻いている。これには実利的理由もある。着物で胸元などはだけていると、首を動かす訳にはいかないが、マフラーを巻いておけば、首の差し込み部分が隠れる。今後、太宰には微妙な角度で微妙な表情を醸してもらわないとならない。 それにしてもあれだけ嫌った太宰だが、久しぶりに部屋に置いておきたい気もする。なんていいながら、そんなことはしたことがない。古今亭志ん生は志ん生聴きながら一杯やって眺めよう、と考えていたが、結局は他人のように見えて、私ゆえんの、私の成分で出来ているのであるから、そんな気にはならないのであった。 森鴎外を作った時、作ったところで文豪調にしかやりようがなかろう、みたいな顔だし、有名な脚気論争のこともあり、陸軍軍医総監の、派手な礼装をさせれば面白いかと思ったが、軍服特に礼服となれば、結局はエライ人になってしまった。あの顔に羽飾りのついた礼帽を被せれば多少面白がれたかもしれないが、せっかく作った頭の形が隠れるのが忍びなく、手に持たせてしまった。 ところで太宰は、女を横に、だらしなく酔っ払わせようなんて企んでいたこともあったが、どうも酒はそれほどのエピソードもなく、むしろ意地汚いのはその食いっぷりだったようで、あまり面白くない。結局隣の部屋のちゃぶ台の上に立っている太宰治は、なんだかスッとして薄ら格好良いじゃぁねぇか、となんだか鴎外に続き、やられてしまった感が残る結果となった。

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出品作をそろそろ選んでいきたい。といっても、私の頭は画廊の図面をいくら眺めたところで何も浮かばないように出来ている。そもそも私にとって、図面や地図は見ているふりをするものである。今回はすべて和紙によるプリントということで、旧作にしても印象が変わるだろう。最近和紙ばかりで、プリント用紙が滑面で艶がある理由が判らなくなっている。 太宰仕上げにかかる。首はどこへ行った?見たら弓張月用に首を外された三島の胴体に突っ込んでいた。切腹中のフンドシ姿の三島の胴体に太宰の頭。ちょっと笑って作業を続ける。ここまで来ると単に作業なので、ユーチューブで落語や映画を聴きながら。マフラーをほんのちょっとなびかせた。裸ではそうは行かないが、多少首には遊びがあって、上下左右わずかながら向きを変えられる。このほんのちょっと変えることにより表情が変わり、案外饒舌となり、撮影のしようがある。立体の、しかも人物像を撮影する面白さ醍醐味がこにある。物にはすべて表情というものがあるが、なんといっても表情といったら人間である。 そう思うと、太宰はやりようが相当ある顔をしている。特に何が浮かんでいる訳ではないが、苦労させられたぶん、ただであっさりと許すことはできない。かつて木場の居酒屋の名店、河本で永井荷風を手持ちで撮影したように、いずれ片手に人形、片手にカメラでちょっと街をうろつきたくなった。

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小学生の頃、漫画やアニメの『巨人の星』が待ち遠しかった口であるが、大リーグボールはまだ一人にしか打たれていないのだから人によって投げ分ければいいじゃないか、と思った。投げ分けることについてのシーンもわずかにはあったが、開発の苦労から初披露で球場が静まりかえり、そこから始まるライバルとの戦いに子供達は熱狂した訳で、新たな戦いこそが面白い。 私は写真を始めて、大まかにいうと三種類の手法をとって来たので冗談で私の大リーグボールなどといっているが、1号は片手に人形、片手にカメラのアナログ撮影で、今ではスマホで誰でもやっているが、90年代の終わり頃、やっている人はいなかった。2号はというと、たいした風景もない都営地下鉄沿線に人形を配さなければならないフリーペーパーの表紙のために、背景を先に撮影し、それに合わせて人物を造形し、背景に合成というもので、創刊2号にして、大リーグボール1号が役に立たないことが判っての苦肉の策であった。そして、ここ数年やっている、陰影のない日本画調の3号である。 私も新たな手法に至ったなら、投げ分けなどせず、それ一本で行くべきだ、と考えるたちであったが、元々が人形制作者の私は“自ら作り出した陰影”である被写体に陰影を与える写真の面白さに抗しがたく、被写体、シチュエーション、つまり対戦相手によっては投げ分けも有りという結論に至った。ところで長々と何でこんな話しになったかというと、作品も人物自体も陰影のある太宰治は、私の大リーグボール3号では効き目がないな、と考えている。対戦するなら1号か2号であろう。

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おおよそ肝腎の頭部が出来ているのに、どうも納得出来ない場合、額が原因であることが往々にしてある。太宰は前回、女性を横に配したために粘土製の頭髪に違和感があり、自分の髪を撮影して合成した。昨年、作り直そうとして傷口を広げ、収拾がつかなくなり、捨てて来ようか、と一瞬考えたが、例え酷い状態であろうと、それまでかけた念だけはこもっている、一から始めるより良いだろう、と団ボールに放り込んでおいたのを作り直し、髪に隠れていた額がまずかったのだ、と気がついて、ようやく生き返った。 酒場の太宰も良いが、晴天の元、一人すっくと立つ太宰というのも良いような気がしてきた。ただ、単純に空を背景に、というのはどうも物足りない。そこで一つアイディアが浮かんだ。カラフルな所がかえって面白そうである。 以前住んでい所であれば、この頃合いで首をポケットに入れ、酒場に出かけた所であろう。見せられる方は、何かいわないとならないだろうし、迷惑な話であったろう。作者とすると、作り続けて目が慣れたところで、ちょっと目を離し、間を置くと違って見えることがある。ポケットの中で、変わっちゃいないだろうな?つい取り出しては確認したくなるのである。まして家に置いて出かけて、帰って見たら印象変わってた、なんて怖くてしようがない、昔は違って見えて慌てることが多く、おかげでそんなことが習慣になってしまった。本当は酔客に見せびらかすのが本意ではなかったが、そのうち世間話のネタにもなっていた。





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織田作之助、坂口安吾、太宰治の無頼派座談会は、織田が大阪から来て、太宰が疎開先から帰えり開かれた。酔っ払ってそれぞれ勝手な事を言い合っていて可笑しい。織田 いま、一銭銅貨というものはないけれども、ああいうものをチャラチャラずぼんに入れておいて、お女郎がそれを畳むときに、パラパラとこぼれたりするだろう、そうするともてる。太宰 どうするの?織田 こいつは秘訣だよ。太宰 一銭銅貨を撒くの?織田 ポケットに入れておいて、お女郎がそれを畳もうとすると、パラパラこぼれるだろう。それがもてるんですよ。太宰 ウソ教えてる。織田 百円札なんか何枚もあるということを見せたら、絶対にもてないね。太宰 ウソ教えてる。坂口 そういう気質はあるかもしれない。 このあと安吾は祇園では七つや八つの女の子を十七、八までに垢すりでヒイヒイ泣いているのをゴシゴシこすって一皮剥かないと美人になれない。渋皮が剥けるというのはきっとそれだろう、なんていっている。太宰は織田作之助とは一月前に初めて会った、と追悼文に書いている。 一九四七年の別の座談会では 坂口 荷風の部屋へ行くと惨憺たるものだそうだ。二ヶ月くらい掃除をしておらんのだ。それでずいぶん散らかっている中に住んでいて、部屋がない、部屋がないといって部屋を探して歩いているそうだ。そういうのは趣味だと思うね。ちっとも深刻でもなんでもない。 坂口安吾は自分自身がこの前年、林忠彦に散らかり放題、ホコリが一センチ溜まった仕事部屋を撮られている。まだ発表されていないのか、されている前提で話しているのか、あんたがいうか、といずれにしても可笑しい。

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ふげん社の個展では、数十年ぶりに、会場に音を流してみようと考えている。一つは映画『憂國』で使われたワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』三島の葬儀の際にも流されたと聞く。もう一つは未聴なのでまだ内緒にしておく。ちょっと面白い物である。もっとも、三島作品は全体の半数と考えているから、流しっ放しにするつもりはない。 写真が残っている実在した人物で新作はもう作らないつもりでいるが、実在した人物を扱う面白さは、私が好きな所で好きな事をさせられるところにある。なので、私の作品としての最終形態は、人形ではなく写真作品だと思っている。肝心なのは顔であり頭部だが、作るにあたってただ忍耐だけを要し、辛いだけである。そう思うと、辛い思いをさせられたまま、見返りの創作の快楽を充分に味合わせてもらっていない人物も多々いる。例えば太宰治は、交通局発行のフリーペーパーの表紙用に作ったので、飲酒は駄目、タバコも駄目であった。檀一雄がいっていたのだったか、太宰の食い気は凄まじく、鶏一羽を引き裂いて貪り食らう様は異様だったそうである。本来なら、写真に残っていない、そんな場面こそ私が手掛ける価値がありそうだが、そんな場面を作って面白そうな気がしない。それよりも、何度も考えながら実現していない、私が最も通い慣れ、今は廃業した酒場に座らせたい。無くなる前に写真を撮ったが、人がいる場面ばかりである。しかし人が居ないところをフィルム時代に一度撮影している。探せばネガはある筈である。つげ義春トリビュート展に、そこを“もっきり屋”に仕立てようか、と考えたくらいの酒場である。太宰が飲んでいて十二分な風情であろう。

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