明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



妹が暮れに、サンフランシスコから帰るというので眼鏡のフレームを頼む。どうせ同じものだろう、と妹も心得ている。帰る度に頼んでいるという感じだが、飲んで帰り、ポンとそこらに放り出すか、かけたまま寝てしまって壊してしまう。物に対する愛着が長続きせず、大事にするのは初めだけである。  自分で作ったものにしても同じことで、出来たては嬉しくてしょうがない。アダージョ用の表紙画像。完成させるのがイヤで、時間もないというのにチビチビと。ところが明日が入稿日だと思っていたら、今週中ごろまでに、ということで、これ幸いと、中断してK本に飲みに行く。なにしろ完成させたくないのである。K本でおでんで氷の入っていない正調酎ハイ。どうも腹が減っている、と思ったらT屋で朝食を食べたきりであった。食事をとって、ふたたびT屋へ。完成させたくないのでウチに帰りたくない。飲んでいると眠たくなってきた。朝T屋の奥さんに、昨日から寝ていないといったのを思い出した。気がついてしまったら眠たくてたまらず帰宅。未完成なのを確認し、まだ楽しみは残っている、と安心して寝る。

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午前中、県立神奈川近代文学館より、江戸川乱歩像帰宅。  乱歩は寝床で寝転がって原稿を書いていたそうだが、あの作品は、次にどんな乱歩を作ろうかな、と思った時の私の体勢そのままである。『大乱歩展』では、会場に入って早々、寝転がっていたので可笑しかったが、私の場合は、あの体勢のまま本を読んでは、TV着けっぱなしで本を読むな、宿題しろ、はやく風呂に入れ、などといわれ続けた体勢なわけで、掃除の邪魔といわれても、本を持ったまま、箒ではかれながら、ゴロゴロ回転して移動し、さらに怒られていたわけである。父とTVでプロレスを見ていたら、まったく同じ格好だと、母が笑ったこともあったが、つまり私にとっては、ぐうたらを象徴した姿なのである。そういってしまうと大乱歩には申し訳ないが、きっと三人書房の二階その他で、あんな格好で、良からぬことを妄想していたに違いないと考えたのである。
人は15の時に好きだった物は一生好きなのだそうだが、確かに乱歩と現在制作中の作家は、中学生の時にハマッた二人であり、未だに好きかと訊かれれば1、2を争う作家である。そう思うと、あの頃ぐうたらしながら妄想していたことが、現在も創作のネタになっているのである。だから友人にも、息子が口を開けたまま遠くを見ているようなことがあれば、ロクなことは考えていないのだから、直ちに頭を叩いて、我に返らせないと、取り返しのつかないことになる、といっている。中には、私のように好きなことをやらせたい、などと愚かなことをいう人もいるが、12月になると世間は忙しそうにしているが、その理由が良く判らないまま、この齢まで来るというのは大変な努力が要ることを、なかなか説明できないのである。

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人物  


最新作が一番良いと感じるのは、当然一番良い状態である。もっとも、自分でも始めてみるので珍しくもあり、新鮮なのでそう見える、ということもあろう。よってそんな浮かれ気分もたいして続かないことになる。しかし、私としては好きな作家として、一、二を争う人物だし、2度目の制作ということもあって、作っていても楽しい。久しぶりに、自分の作品と差し向かいに飲みたくなった。
今回改めて思ったことだが、私にはこの人物のこの感じ、という何か基準、ともいうべきものがあり、そこに届いていないと、頭で完成、といっていても、どこかに澱のようなものがあって、そんな時に限ってK本の常連に見せたり、友人にメールで画像を送っていたことに気付いた。自分では自慢げに見せびらかしている、とばかり思い込んでいたのだから呆れたものである。 ある人物を作ったとき、品がある、といわれた。いった本人は、良い意味でいったつもりだったかもしれないが、その人物は、人品はともかく、御面相に品があるタイプではなく、私が無意識に気になっていたのも、まさにその点だったのである。当然、作り変えられ、完成度が上がったことはいうまでもない。人の顔という物は、その人をたとえ知らず、興味が無くとも、こんな顔だなあ、と誰でもいえるものである。人の顔としていえば良いのだから、造形的、作品として、などと関係なく、たとえ酔っ払いのGさんやHさんだろうが、印象ぐらいはいえるものである。本人を知らない分、「似てる」などという面白くも可笑しくもないことはいわれない。そして私が無意識に気になっていることを誰か一言いった時は、数日後には完成度が上がることになるらしい。

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夜、伯父の通夜に神楽坂へ。伯父は『横溝正史と神楽坂を歩く』を見てくれただろうか。つい先日、背景を撮影に来たばかりのような気がするが。  それにしてもダブルのスーツというものは、実に嫌な服である。地球上で最も、といってもいいくらいである。礼服はこれしか持っていないからしかたがないのだが、俺は佐分利信か。着ているうちに不機嫌になってくるのが判る。私にこれを着せないためにも、以後誰も死なないで欲しい。  帰宅後、乾燥機のタイムスイッチを入れ、飲みにいく。なにしろ、乾くのを待つしかない。帰宅後、乾燥機のタイムスイッチを入れ、飲みにいく。なにしろ、乾くのを待つしかない。帰宅後、乾燥機のタイムスイッチを入れ、飲みにいく。なにしろ、乾くのを待つしかない。一日終る。

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乾燥  


本日晴天。乾燥に入る。というかもう乾燥である。我ながら速い。今回は、頭部のつぎに時間のかかる手を作らないので、余計に速い。乾燥には、かなり無茶が効く素材ではあるが、時間に余裕さえあれば、表面が乾くまでは、ゆっくりやるに越したことはない。日が翳ってからは、乾燥機にかける。  今回は今まで作った作品に比べると、かなり大きい。最もそれは頭部の大きさの話で、制作中の人物は背が低いので、驚くほどの大きさではない。人形のサイズは、たまたま粘土を手にして、首を作っていて、なんとなく決まったのであり、それに応じて、全体のサイズも決まっていたのだが、最近は、もうちょっと込めたいニュアンスが出てきて、今までのサイズのままでは、物足りなくなりつつあったので、いっそのこと大きくしたのだが、うまくいったような気がする。  乾燥機にかけながら、昨日Sさんから、向かいの小学校で育てた菊を湯掻いたものをもらったので、ポン酢をかけ、泡盛を飲む。食用菊のような苦味がなく、ほんのり甘く、歯ごたえは菊以外には味わえない独特のものである。

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一日  


昼過ぎにようやく背景に使うカットが決まる。ライトやライトスタンドなど持っていったが、結局何も使わず、部屋の状況そのまま撮影した、ごく最初のカットである。私の場合、そういうことが多い。準備をすればするほど冴えず、頭を使ってあれこれやっていると、さらに駄目になっていく。頭が状況を把握する前の方が良く、把握したと思ったときには、だいたいつまらなくなっている。そこから終日かけて、諸々の修正。ここに主役とはいえ、まったくの作り物が入ってくる。今のうちに地ならしをしておかなければならない。  その主役だが、まだ頭しかできていない。明日から身体を作らなければならないが、ここからは頭部と違い、乾燥させ、仕上げに入る手前まで、無酸素状態で一気に行く。最も快感物質が脳内に溢れ出る場面であり、物心付いたときから、私はこの快楽のためだけに生きている、といってよい。気がついたら出来ているという感じで、飴細工のオジサンか、というくらいの速さである。ここをグズグズしていると、時間をかけて制作した頭部を生かすことができないのである。

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撮影  


朝食にT屋へいくと、主人のHさんが早起きしていた。昨日はKさんが朝から昼過ぎまで、ベロベロに酔っ払っていたそうである。Kさんとしては、昨日の件の真相を知りたいと粘っていたようだが、Hさんによると、酔っ払ったKさんに呼び出されたが、彼女が来るというので、遠慮してすぐ帰ったそうで、とんだ濡れ衣であった。昨日はHさんの名前が出ただけで、Hさんの奥さんも私も、騒動の元はHさんだと思い込んでしまったが、それもこれも、日頃の行いのせいである。そもそもKさんの彼女というのも、Kさんの思い込みらしい。
本日はアダージョ用背景の撮影である。三脚、ライトその他かついでタクシーで向かう。40年前、鹿児島から出てきたKさんが、裸足で歩いて銀座に向かった辺りである。撮影場所は某店室内。現場を実際にはまだ見ていないので、ぶっつけである。今日はライターのFさんにサポートをお願いした。撮影準備をしていると、店の方が床の間の掛け軸の前に一輪の椿を置いてくれた。これにより方針が決まり、ああだこうだと撮る必要がなくなり、障子紙を破くこともなく、予定より早く無事終了。詳しいことはいえないが、今回は準主役ともいうべき被写体が入っている。帰りにFさん、某被写体と、どこかでビールでも、という話が出たが、未だにフィルム撮影の私は現像を終えるまでは気が気ではなく、楽しいことなどすると、その分、何かか減るような気がするので、お茶だけにして現像に向かった。 今日の作品は来月25日配布号だが、実質新春号である。それには相応しくなったような気がする。

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今日も朝食にT屋に行くと、中3まで裸足だったKさん。普段でも滑舌が悪くて、いってることが良く判らないが、酔っているから半分しか判らない。聞くと昨晩、本命の女性を居酒屋に呼んでおいて、帰れと追い返してしまったらしく、何でそんなことしたんだろう、と落ち込んでいる。(顔は笑っているので落ち込んでるように見えない)相手の女性は店で大騒ぎだったらしいが、Kさんまったく覚えていないそうで、「そうとう怒ってたから、俺が横に別な女を連れてたのかもしれない。それしか考えられない」。ずっと同じことを繰り返している。居酒屋の女性を口説いて飲みに行っては、相手の方が強くてつぶされているらしい。60になるというのに、「俺は女にはまだ夢を持ってるんだ」などとヌカしている。カウンターの中の奥さんと、笑いをこらえていた。  「ここのHは酔っぱらうと男でも女でも喧嘩するけど、俺は女にはそんなこと絶対しないんだけどなァ」。「?!昨日ウチのと一緒だったの?」と奥さん。「いたような気がする」。新たな登場人物に、同時に顔を見合す私と奥さん。「今、妙なストーリーが頭に浮かんでるんですけど」と私。「私も」苦笑いの奥さん。「Kさん、横にいたのは女じゃなくて、Hさんじゃなかったの?」「ウーン。そんな気もする」。どうも鍵を握るのはこの店の主人のHさんのようである。10時になると二日酔いで、人を刺し殺してきたばかりのような顔で店に下りてくるが、今日は何故か遅い。二階では鍵を握るどころか、ひょっとして真犯人が二日酔いで寝てる可能性もでてきた。しかし私は、この件の真相解明にまったく興味がないので、お先に失礼したのであった。

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一日  


午前9時過ぎにT屋に行くと、近所の運送会社のKさん。夜勤明けで、このくらいの時間に飲み始める。10代で鹿児島から東京出てきた当時、人形町の寮から銀座まで裸足で出かけ、帰りにホステスにサンダル借りて帰ったことがあるという。その頃すでに酔っ払いだったのか、と思ったらそうではなく、中3の終わりまで、郷里の村では常に裸足だったという。砂利道など平気で走り回っていたというから、さぞかし足裏が鍛えられたことであろう。エチオピアの話ではなく、Kさんはまだ50代である。 私が4キロ四方誰も住んでいないところで、学校の先輩2人と焼き物を作っていた時、他の2人が1週間ほど帰ってこなくなり、退屈のあまり、狼少年のようなノリで、飼っていた犬と一緒に、素っ裸で山道を奥まで行ってみようとしたことがある。5メートルも行かないうちに、砂利が痛くて引き返した。普段靴を履いている人間にできるものではない。銀座で裸足といえば、小学生の私も、歌舞伎座の前を走ったことがある。母が怒って殺気を感じたら、裸足だろうとなんだろうと、家から飛び出し鎮まるのを待ったものだが、その日も靴が脱げても、とにかく逃げた。
アダージョ用の人物、頭部の仕上げも終わり、そろそろ身体のほうに取り掛からなければならない。私が仮にアダージョの読者で、読者プレゼントで表紙に使われた人形をくれるなら、私はこれにする。

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着地  


雑記の間が空くと、幼馴染のTあたりは、私が頭部の完成直前に新たな写真資料を入手したので、触っているうち収拾がつかなくなり、と思ったに違いないが、残念ながらご明察の通り、ということになる。だから電話なんかしてくるんじゃない。  しかし、だいたい予想はしていたし、せっかくここまで作っていたのに、と思っているようではいけない。脱線したら、脱線して良かった、と思うまで私は止めないのである。というわけで無事着地に成功し、こうして雑記を書いている。
『大乱歩展』本日終了である。知人には2回観に行った人もいるくらい質、量ともに充実した展覧会であった。今日観てきた友人によると、寝転がっている人形の乱歩と、ポスターの乱歩が同じ大きさだと思う人はいなかったという。江戸東京たてもの園での展示の時だったか、この撮影に使っているのは、ここに展示してある人形です、とパネルに表示しているのに、それを読みながら「これとは別のだよ」と話し合っているカップルがいて、呆れるよりも逆に感心したことがある。人は経験したことと、目の前のことを比較しつつ、そろそろと生きているわけだが、こう見えるものは、こういう物である、という経験をしてきて、頭が固くなった大人は騙されやすい。私は別に騙すつもりはなく、粘土の質感丸出しで作っているのだが、思い込んだ大人に、いくらいっても駄目なようである。

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午後、中央公論新社に向かう。考え事をしていたら銀座線ではなく日比谷線に乗ってしまい、東銀座で降りて歩く。間違いないと思いつつも病的な方向音痴ゆえ、念のために警官に尋ねると、答えてくれるが自信なさげ。これは何処からかかき集められた警官に違いない。無事ついて写真部に行き、データ化された画像の中から必用なものを選ぶ。この人物、プロのカメラマンに先生写します、といわれると、まず間違いなく、口をへの字に曲げ不機嫌な顔になる。それに引き換え、女優と一緒のスナップは実に嬉しそうである。どれもこれも欲しいところだが、我慢して必要な写真だけを選び、プリントアウトしてもらう。帰りには案の定、右翼の街宣車。天皇在位20周年だそうである。道に迷っても、道端に立っている警官に道を尋ねる気はしないが、前回尋ねた時も警官が道をしらず、昭和天皇を乗せた車が通り過ぎていった。  帰宅後、見たことのない、もしくは見たことのある写真の鮮明版を入手すれば案の定、大改造となり、設定年齢まで変って来てしまったが、肝に銘じていたため大事には至らず。ここでやりすぎは失敗のもと、とインターバルをとることにした。7時にK本へ。今日はお酉様である。豆腐を頼んだら、今日から冷奴から湯豆腐に替わっていた。8時に暖簾を仕舞ったあと、飾ってある熊手をはずし、女将さんのMさんを常連が囲んで富岡八幡に向かう。いつもの店で新しい熊手。竹筒で酒を飲み手締めのあと、K本に戻りご馳走をいただき、最後に関東一本締めにて、今年も無事に終る。

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アダージョ次号用の背景に、と考えた場所は撮影の許可が下りそうである。正式な依頼書を送ってもらうことに。今回は8号の志ん生以来の室内撮影である。撮影に集中したいこともあり、今回はライターのFさんが立ち会ってくれることになった。
頭部が仕上げを残し形になってきている。横溝で完成といっては、やり直しが続き懲りたので、完成したとはいいにくい。この人物、私には中央公論のイメージが強く、さすがに社内に写真が残っているようなので、明後日、中央公論新社に見に行くことにした。しかしほぼ完成というところに新資料、というのはかなり危険である。私のことだから、アレッと思ったら、いじらないわけにはいかないであろう。それがきっかけに、完成目前がもろくも崩れ元も子もなくなる。ということは充分考えられることだし、実際そういうことは、一度や二度ではない。そう思うと、怖い物を見る時のように、薄目を開けてボンヤリと資料を見たいくらいだが、それを押しても見なければならない。私が制作にあたって参考にした写真は、当然360度写されているわけではなく、年代も色々である。その隙間を埋めるのは想像力しかないわけだが、想像力の及ばないところが、出っ張っていたり引っ込んでいたりしている可能性もある。そう思うと見られる資料は見ておかなければならない。 結果、収拾がつかなくなり、この雑記を書いていた時に戻りたい、なんてことだけは避けなければならない。

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『東京人』の永井荷風特集を買う。 日本人の顔で明治からこっち、すっかり無くなってしまったのが、荷風のような耳が大きく長い顔である。食習慣その他、何か理由があるに違いない。この特集にも、江戸ッ子の意地を貫いた旧幕臣・成島柳北という人物が紹介されているが、この顔が、またやたらと長い。九代市川団十郎も、江本明をさらに縦に伸ばしたような顔で、明治期には、この手の顔が沢山あったと思われるが、今ではめったに見ることがない。  映画などで実在した人物を描く場合、本人に似ているに越したことはない。今『墨東綺譚』をやるとしたら荷風は嶋田久作しかいないだろう。もちろん、その芸名の基となったと思しき、地球とあだ名された頭の、夢野久作だって異論はない。荷風ほどではないが、長いといえば三島由紀夫がいる。『MISHIMA』で三島由紀夫を演じた緒方拳のエラの張った四角い顔は興ざめである。海外ではともかく、日本人が、あの顔で三島をダブらせる事は不可能であろう。そもそも鉢巻姿が違いすぎる。三島があの四角い顔であったなら、著作自体にかなりのニュアンスの違いが出ていたに違いない。当初、中村敦夫という案もあったようだが、緒方より数倍良いが、いかんせんデカすぎる。現在でいえば、なんといっても三島は筧利夫である。早くやってくれないと間に合わない。  間に合わないといえば、本人に似ているわけではないが、デロリとした濃厚さが共通ということで、なぜ三國連太郎で谷崎の『瘋癲老人日記』を作らなかったのであろう。『釣りバカ』なんぞに出ている場合ではない。大映の『瘋癲老人日記』(62’)の山村聡は、デロリ感に全く欠けており、老けメイクもむなしくミスキャストであった。中村雁治郎も手を挙げたようだが、谷崎によれば、あれは関西顔だ、ということらしい。雁治郎はどちらかというと女をいたぶる方であろう。 三國連太郎はほとんど引退状態だと聞くが、三国連太郎なら、仮にベッドに寝っぱなしのシーンだけでも、立派に瘋癲老人を演じきると思うのである。

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朝から人物の頭部を制作しながら、どんなシチュエーションで撮影するか、どこを背景にするかを考える。それによって人物のポーズまで変って来るので、早く決めなくてはならない。場所によっては撮影許可がでるまで時間がかかる場合がある。どんな場所でも影響のない、ただ立っているポーズを作っても、背景に準じた光線を人物に与えて撮影し、合成するので、先に背景が用意できないと、鴎外のように、締め切り当日に人形の撮影ということになる。せめて立っているか坐っているかは、早く決めなければならない。
夕方久しぶりに田村写真に顔を出す。以前落札してもらったニジンスキーの4×5インチプリントにようやく対面。裏にこの写真に対する、新聞記事の原稿と思しき紙が貼り付けてある。カルサヴィナ、マシーン、ニジンスキーときて、次はフォーキンあたりのプリントを入手したい。帰りに永代通りの立ち飲み屋に寄る。アルバイトの女の子に、「○○出入り禁止になったそうだけど?」「女将さんとちょっと揉めて」「しょうがねえなァ。客を出入り禁止にしている奴が出入り禁止になってりゃ世話がない」。 狭い店内にはモダンジャズが流れている。パイプや葉巻もそうだが、モダンジャズに醤油などの大豆製品は難しい。近所の古本屋も、黴臭い店内を改装したとたんモダンジャズである。どこかで修行してきた手打ち蕎麦屋の若旦那もやりがちだが、モダンジャズはお洒落ということなのだろうが、ほとんどが貧乏臭いだけである。 女の子がこの曲知ってます?というので、マイルス・デイビスの『ソー・ホワット』。というと、たちまち目を輝かし「やっと判ってくれる人がいた!」。オジサンがこれを知らないでどうする。彼女私物のCDを選んで流しているらしいが、『判ってくれた』のセリフに私が赤面しそうである。「ジャズ博士って呼んじゃおっ」といわれる前に退散した私であった。

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最近、人形の頭部を作っていて、思い出したようにやるのが、粘土ベラを使わず指で作ることである。しかも作り始めのザックリしてる状態ではなく、仕上げの一歩手前のあたりで。これは以前、宅急便かなにかが来て、作業を中断した時のこと。私はこういうとき、無意識にヘラを持ったまま玄関まで行ってしまうことがあり、どこかに置いて、ついでに他の事をして、作業に戻ろうとしたらヘラがない。無意識なので、なんでここにないかが解らない。作りたい気分の持って行き場が無く、カッカしてくる。そこでつい指で作ってみたら、先ほどまで越えられなかった山を、やすやすと越えてしまった。それ以来たまにやるのだが、調子が良い。
調子が良いところでK本に顔を出す。飲み始めてしばらくして店を出た客が、以前から噂に聞いていた“スカート”を履いたオジさんであった。何しろ上半身は普通の男物の服を着て、スカートを履いている中年男なのである。下にズボンを穿くでもなく、靴も普通の男物である。今日は白いスカートだったが、夏にはワンピースを着ていることもあったというから、かなりの“上級者”である。以前誰かが、何でそんな格好をしているのか尋ねたそうで、それが気に障ったか、以来顔を見せなかったらしい。アレを見たら、普通尋ねる気にはならないと思うのだが。  そういえば以前、友人の個展のオープニングに顔を出した時のこと、隣りで作品を観ている男が突然「○○○コ」と差しさわりのある単語を口にした。それも小さいとはいえない声で。ギョッとしたら、連発していた。おそらく自分ではコントロールできないのだろう。 後で聞くと、これがあるため人前には出せないが、仕事は相当できるので、社内に特別に一部屋をあてがわれている人物だそうである。あのオジさんも、スカートさえなければ、とどこかで惜しまれているかもしれない。

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