明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



TVで『ブラックレイン』を観る。あまり感心できない映画である。残念だが、松田優作は何度見ても『ドラキュラ』のクリストファー・リーのようである。 その他大勢のヤクザの中に、懐かしのプロレスラー、プロフェッサー・タナカを発見。サングラスをかけていても、日本人には見えない。ニューヨークはMSGなどで活躍した、自称日系レスラーである。戦後のアメリカマット界では、悪役として商売するには、なんといってもドイツ系や日系人である。日系レスラーといえば、見よう見まねで相撲の四股を踏んだり、白人女性を従え、かしずかせて下駄を履かせたりして、観客の憎悪をかきたて、最後は白人レスラーにやられるという役回りで、同じころ日本では、まるで逆のことが演じられていたわけである。タナカは大阪工業大学出身で博士号を持っているという触れ込みだったが、TVで、“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノに「俺は日本人をよく知っているが、お前は日本人じゃない」と乱闘になった。実際はベトナム人である。大事なことは簡単に忘れるのに、小学生の時に知った、こんなことは忘れない私である。あの撮影現場にいてサインを貰うとしたら、若山富三郎の次にプロフェッサー・タナカであろう。 というわけで、人間発電所とかプロフェッサー・タナカとか、ただ書きたかっただけなのであった。

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世田谷文学館では、会期中に会場を背景に撮影するということで、3月からスライドを流すが、荷風像は初日から展示することになった。1体は新作だが、テーマからして畳の上で七輪で煮炊きする荷風。これでいくことにした。荷風は市川の居候先で、高い家賃を払っているのだから構わないと始めたようだが、家主としてはたまったものではない。荷風先生をお迎えしたつもりの家主も、出ていってもらうことになる。もっとも、それ以外の問題もあり、一つには、先生の○き癖があったようだ。それも家賃の内とでもいうのであろうか。私はかつて乱歩が屋根裏の穴から下を覗く画を作ったが、その背後に寺山と荷風を立たせるのは簡単である。 散らかり放題の独居の様子が何カットか残されていて、荷風は孤独な最後だったといわれるが、生活態度に、荷風と共通のものを漂わせているといわれる私としては、それは莫大な財産あってこそではあろうが、楽し気にみえる。 “男らしい”死に方という意味では、真反対ではあるが、三島と双璧であろう。

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訃報  


『不良日記』『不良ノート』 プライドのプロデューサーだった百瀬博教さんが亡くなった。 初めてお会いしたのは私のジャズシリーズ最後の個展に来ていただいた時であった。辺りに響く声で、画廊の女性に缶コーラを箱で買ってこさせ、画廊にいた見ず知らずの客に「みなさんで」と配ってくれた。百瀬さんは下戸だった。 その後作家シリーズの個展にも、様々な編集者など引き連れて来ていただいたが、印象に残っているのは「あなたは、怖い人ばかり作る」という言葉である。ピンと来なかったが、百瀬さんがいうのだから、そうなのかもしれないと思った。合掌。

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私が深川に越してきて20年以上になるが、何年目のことだったか、8ミリビデオに洲崎パラダイス赤信号を入れ、ロケ地を探索したことがある。洲崎川は埋め立てられ、パラダイス入り口の、轟由紀子営む千種のあった場所には、不動産屋がある。あきらかにパラダイスの痕跡を感じさせるタイル張りの建物など残っていた。面白かったのは、両目を開き、片目でビデオのファインダーを覗くと、完全に重なる場所があった。つまり川島雄三は、その場所、その位置から同じ画角のレンズで撮影していたことになる。現在の風景とモノクロの昭和30年頃の映像が混じり、その中を河津清三郎のスクーターの後ろに乗った新珠美千代が遠ざかっていった。 一通り探索した後、パラダイスの入り口に戻った。見るとアーチがあった向かって左奥、ちょうど芦川いずみが哀しげに川面を見つめたあたりに碑が立っている。謂れなど書かれているだろうからと向かうと、驚いたことに、碑の上に乗っている銅像は、5、6年前に私がアルバイトで作ったものであった。 友人の紹介で、川口の鋳物屋から頼まれたのだが、鋳物屋からすれば、安い原型代で作れるという腹づもりであったろう。こちらはそんなことは関係なく、面白い経験だと引き受けたわけだが、これがひどいことになった。完成させたものを持って帰る鋳物屋。ところが数日後には美大を出たてだという、都の担当者の女の子からダメをだされたと持ってくる。言われたとおりに直すと数日後にはまた持ってくる。何度繰り返しただろうか。これが最後と念を押した数日後、担当者が自分で手を加えようとして収拾が付かなくなり、バラバラにしたまま帰ってしまったと、泣きそうな顔をして土下座までする鋳物屋であった。というような経緯で、まったく妙な物になり、どこに設置されるか聞く気にもならなかった。 見つけた以後、そこを通るたび眺めると、寒い季節にはマフラーをしたり毛糸の帽子を被っていたり、時にはお菓子が置かれたりしていて、場所柄か、水子地蔵化しているかのようである。まあ、それならそれでいいのだろう。 後に鋳物屋は、3万だか5万だかの不渡りを出して、ちゃんと潰れたそうである。


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虚実  


印刷で青い色を出すのは難しい。アダージョ6号は全体に青いので色見本を慎重に作った。この人物は顎をひいた伏目がちな人物なので、下からあおって撮るのは初めから決めていたが、なにしろそんな写真は残されていないので、あまり本人に見えなくても仕方がない。しかしここが立体の利点なのだから、写真をトレースしたようなことはしたくない。ここだけの話であるが、私の作品を見て「誰それにソックリ」などといわれても、私は概ね喜んでいない。それは単に作業の領分である。 なんとか終わったので、世田谷文学館『永井荷風のシングル・シンプルライフ展に出品する荷風制作に入る。シングル・シンプルライフということで荷風の独居生活がテーマである。   火星に人影が見つかったらしい。たしかに「見つかっちゃった」と驚いている人のように見える。この手の話は大好きだが、そのわりに、実際見たり感じたりしたことないものを在ると信じてる、などというタイプではない。有名なネッシーの写真は偽造だったことが判ったが、あんなものは子供の頃から嘘だと思っていた。水の波紋とネッシーの縮尺が合っていない。なにしろ、あの円谷英二ががんばって、水の処理に関してはあの程度だったのである。

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一日  


数日撮影その他に集中し、アダージョ6号用の制作。今回は実景はあまり登場せず、もちろん主役は人形と、嘘ばっかりの私の大好きなパターンである。何度も言っているが、まことを写すという写真という言葉は本来、光画と訳すべきと言われるが、まことなんかこれっぽっちも写したくない私である。今回は、やっているうち、SFファンタジー調になった。そんなこともあるだろう。 ぎりぎりまで作業し、新宿御苑のデザイナーWさんの事務所にデータを届けるが、何故かCDR自体が開かないという。時間はまだあるので良かったが、これだからデジタルは怖い。ウインドウズビスタの何がしかの設定だろう。その後近所の店に場所を移し、恒例の企画会議。といっても私が参加できたのは、2回目だろうか。今後の人選その他について話し合う。途中脱線し、懐かしいプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックの‘鉄の爪’などで盛り上がる中年男達。私の向かいは意味が判らないであろう若い女性編集者。こんなことで盛り上がってはいけないと思いつつ、根が好きなものでつい。 近日配布されるアダージョは増刊号ということである。これは私は手がけていない。

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古石場文化センターのシネマフェスティバル期間中に映画を観たいと思っているうち、ようやく『たけくらべ』五所平之助監督を観る。音楽が芥川也寸志だが、なんだかよく知っている音楽である。美空ひばりが美登利役であり、イメージがどうかと思ったが、なかなか達者。松本幸四郎が染五郎でおそらく十三、四歳か、嫌味なガキ役で出演。途中でちょっと寝てしまったが、花魁役の岸恵子が綺麗だし、山田五十鈴も好演。後半は目が覚め最後まで。終演後、職員のNさんに「この音楽、有名な物に、使いまわしされてると思うんですけど?」「確かにあまり合ってない気がする」 今日中に作っておきたいものがあるが、景気付けにT屋に飲みに行く。忘れないうちにさっきの音楽を口ずさむ「たとえばNHKの大河ドラマの忠臣蔵の討ち入りみたいな曲なんだけど」どうかんがえても『たけくらべ』という音楽ではない。しかし誰も知らない。勘定を払おうとしたら樋口一葉の5千円札。 帰宅後ネットで検索したら、まさにNHK大河ドラマ昭和39年『赤穂浪士』と同じ音楽であった。いわゆる長谷川一夫の「おのおの方」である。ラストにも流れたが、初潮を迎えた美空ひばりが勇壮にも、廓の世界に討ち入り、という風にしか聞こえなかった。

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池袋で田村写真の田村氏と待ち合わせ、『月刊とれいん』の平井憲太郎さんのお宅に向かう。乱歩の件でお邪魔して以来である。 田村さんを含め、私の世代には鉄道ファンから、カメラマンや写真関係の仕事に就いた人が少なからずいるようである。私は汽車の煙がたなびいてきたり、電車で揺れるような場所で育ったせいで、鉄道ファンになることはなかった。田村さんは高校生のころ、とれいん編集部で平井さんにお会いしているというし、鉄道模型にも詳しいので付き合ってもらった。応接間には乱歩が使ったであろう、戦前の長火鉢。その横で貴重な鉄道模型を撮影させていただいた。想えば私の作家シリーズも、乱歩が屋根裏部屋に潜んでいる姿を思いついてから始まったわけで、久しぶりに旧乱歩邸を眺めて、感慨も深かった。乱歩に関しては、まだまだいくらでもイメージが沸くが、キリがないので我慢している私である。

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家で制作していて、知り合いが来ると判ると会場に向かう。行くたび展示品を眺めているが、今日は坂妻が撮影に使った竹光などを観る。久しぶりに会った職員の方とロビーで話していると、ニッポン放送の中継。今回のシネマフェスティバルは、古石場文化センター10周年、小津コーナー開設5周年らしい。話の中で、小津安二郎の産毛を展示だか収蔵だかしていると聞こえたが。結局、私の展示中、映画は一本も観ず。明日は一本ぐらい観たい。会場には地元のボランティアの皆さんに常駐していただいていたので、挨拶などして片付け。芳名帳に岩崎宏美の名が。K本にはたまにみえると聞いていた。帰ると川島がムニョスに判定負けしていた。 

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一日  


お願いしていた物が届いたと平井憲太郎さんよりご連絡いただく。まさにこれだと喜ぶ。感の良い人は誰を作っているか想像がつくかもしれない。添付されていた画像でテストしてみると、まさにイメージ通り。本番のために楽しみは取っておくべきだが、つい熱中してしまう。 同じマンションの映画関係者でK本の常連Yさんと連れ立って文化センター会場へ。映画の話などする。お互いシラフでこれだけ話したのは始めてだと笑いあう。 写真の人形が人間大にみえるので、被写体の人形を同時に展示しても、同じ人形だと思われないことは良くあるが、今回は展示している写真を参考に、人形を作っていると思う人が多く、人形が写真にソックリだと感心している人を散見。面倒なので、聞かれない限りはそのままにしておく。人の思い込みというのは、なかなか強固であり、その点を大いに創作に利用させてもらっている私である。3時すぎに拙著2冊のデザイナー北村武士さんがみえる。2人で話していると、来場者は、どうしても北村さんの方が作家に見えるらしい。キリのいいところで2人で新年会。 

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初日  


昨日、明日が初日だというのに、展示に思ったより時間がかかり、終わった後T屋で深夜まで飲んでしまう。 サインをした拙著を会場に運ぶ。一度帰り、探していた部品が出てきたので急遽一体追加することにした。着彩をやり直し、手にべったり絵の具が付いたまま午後再び会場へ。早い時間に江東区内にお住まいの歌人、藤原龍一郎さんに来ていただいていた。江東区長がみえていて手を差し出されたが、絵の具は乾いているからいいやと握手。近所の方々も来てくれる。ふたたび帰宅、制作を続ける。旧知のTさんが来てくれると聞いていたので会場へ。一緒にK本へ行こうとしたら、先日自転車で荒川でハゼ釣りをしたKが来たのでK本にて合流。世間の薄い焼酎を飲みつけてる人はホッピーを半分しか注がないが、そこらのホッピーとは違うから全部注ぐよう言うことにしている。酒の相手はできるだけ生かしておかないとならない。 2件目にT屋へ、さっきまで一緒に飲んでいたようなご主人と再び。Tさんの40キロ減量した話や、コブラの姿煮入りスープを飲んだとたん子供ができた話などで夜も更ける。

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出品予定作品は映画の原作にかかわる人物ということだが、コクトーは雰囲気に合わないので、アダージョ用に制作した作品で、写る部分しか作っていないチャップリンを出品することにした。 昔、ジャズの人形を制作していたころ、岡山のビルの口開けのイベントに依頼され展示したことがある。東京では散々展示していた作品だったが、岡山ではまさかと思っていたら、東京の個展会場で観たという人がいた。それ以来、出品の機会あれば(展示会の趣旨にもよるが)それまで観ていただいていた人のために、できるだけ未発表の作品を出品したいと心がけている。特に今回は、私の作品でなければ、まったく興味がないであろう近所の焼き鳥屋の親仁や、K本の御常連、Tラーメンなど来てくれるだろうから、せめて顔は知っているであろう、現在配布中のアダージョの手塚も展示できればと考えている。これも撮影用にパースをつけて作っているので、こんな機会でなければ展示するようなものではない。夏目漱石も札に使われた人物だから出品しよう。

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撮影  


中央公論アダージョ用の撮影で、ようやく撮影許可が下りた都内某博物館へ。私は思いついたイメージに基づき、あそこでこうしたいと言うだけだが、交渉は難航したらしい。ありがたいことである。閉館後の静まり返った中でシャッター音だけが響く。閉館後の博物館に閉じこもりたいというのは私の夢であったが。 アダージョは当初、制作した人物像を特集される場所へもっていき、ただ撮ることを考えていた。過去の人物を、あえて現代の風景に持ってきて、それはそれで面白い場合もあるが、その場に立たせるだけでは、連作の中の一作ならともかく、表紙としての説得力に欠ける。特に今回の人物は、一般的には、東京にそれほど深いかかわりのあるイメージが無いので、その分、印象的な状況を作っていかないとならない。今回は創刊号の江戸川乱歩に続き、実景を一切使わない予定だが、地味に生きることを、わざわざテーマにしているような人物を、生身の人間ならありえないシチュエーションに引っ張り出し、いかにカッコよく見せるか、と考えている。顎を上げるな、という教えを守り続けるボクサーのようにウツムキ加減の人物に、あえて空を見上げさせる予定である。 肝心の頭部はすでにできている。これで安心して胴体制作に突入である。

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第1回KOTOシネマフェスィバル(12日~18日)の一環ということで、近所の文化センターで、人形と写真を展示することになっている。私の展示は12日から3日間、第3研修室。写真を十数点に人形数点の予定。近所のことゆえ油断していたら期日が迫っていた。近所であることと時間の進み具合には何の関係もないのであった。 現場をもう一度見ておこうと出かけたが、何かの講座だか何かで使用中で見られず。担当のNさんとは、江東区の別なセンターにいたときからの付き合いで、ジャズ関係の写真の展示をしたこともある。展示会場は殺風景な部屋なので、黒い布でも敷いてもらうようお願いする。明日、小津安二郎愛用の文机を鎌倉に借りに行くそうである。帰りに1Fフロアーの小津安二郎コーナーを覗いて帰る。仮に小津像を作るとしたら、かたわらに‘キャメラ’まであると画になるのであろうなどと、余計なことを考えた。

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新しいパソコンにメールの内容をインポートしたら、メールの調子が変になり動かなくなってしまった。別のパソコンを使っていたが、不便なのでメーカーのテクニカルサポートに電話する。 今までプロバイダやメーカーには何度も電話した。だいたいうまく事は運んではいたが、ジャンクフードの店員のマニュアルのように、くどくどと何十回も無駄なせりふを聞かされたり、洟をすすりっぱなし等、耳障りな場合もあり、そもそも何か差し障りがあって連絡しているのだから、楽しいものではない。しかし、そうも言っていられないので一夜明けて連絡してみると、ネットにつないで先方の言うとおりにしていると、向うから私のパソコンを見ながら操作できるようで、カーソルが目の前で勝手に動き、瞬く間に解決。どうやらセキュリティソフトが邪魔をしていたらしい。これは便利と感心したが、そうと判っていたら、デスクトップの画像をもうちょっと別のものにしておいたのだが・・・。

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