明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


文豪を作るにあたり、改めて見直したのが岡本太郎の父、岡本一平の戯画である。人形制作の参考にするのは当然写真が一番で、造形的に参考になることはまったくなかったが、岡本の戯画には、写真に欠けた部分が表現されており、ずいぶん眺めたものである。 夕方、日差しもおとなしくなってきたので、自転車で葛飾の実家に帰ることにした。出掛けにポストを覗くと『東京下町おもかげ散歩』(グラフ社)坂崎重盛著を送っていただいていた。〈明治の錦絵・石版画を片手に、時を旅する、町を歩く〉と書かれており、私の行動範囲を網羅していて嬉しい。NYに行ったとき、イタリア人街や中華街から一歩も出ずに一生を終える人がいると聞き、そのあまりの出不精に呆れたものだが、私もあまり連中のことはいえないのである。 自転車に乗っていると怖いのが路上駐車とママチャリである。ヒヤリとする。荒川を渡りながら川風を楽しんでいると、今日は世田谷文学館の植草甚一展のレセプションのだったことを思い出した。今度ゆっくり観にいくことにする。坂崎さんが学生時代バイトしたと伺ったあたりを通り、小中学校の先輩の陶芸家Sさんの家に寄る。庭先で奥さんの手作りの栗のお菓子とお茶をいただく。20年前、隣のJRの敷地内でイベントのTV中継があったとき、2階からみんなで眺めた話になる。窯場のブロック塀のわき道を、稲川淳二と岡本太郎が抜けていったのを思い出した。写真撮っとけば面白い画であったろう。 

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相撲  


双葉山が起こした時津風部屋。入門したばかりの弟子が亡くなり、大変なことになった。双津竜は人は良いが酒癖が悪いらしい。湊親方の豊山が継げばよかったのではないか。理事長はあいかわらず、面倒なことにはかかわりたくないようで、ブスッとした顔しか見せない。理事や親方の現役時代を知っているだけに、駄目ぶりばかりが気になる。朝青龍は、白鵬とそろっての雲竜、不知火型の土俵入りは見たかったが、相撲が単なるスポーツでないのなら、引退させるべきであろう。国際化は当然の流れだが、母屋をのっとられたかのような柔道をみていると、国際化さえしなければレスリングのような柔道を見ないですんだであろう。しかし、日本よりはるかに多い各国の柔道人口を聞けば何もいえない。 来月早々、近所の富岡八幡で、白鵬の刻名式、奉納土俵入りがある。横綱は見ただけで安産になり、足跡からは稲穂が生えるくらいでないといけない。若乃花の時に観にいったが、若乃花はそっちのけで、親方ばかり見ていたのを思い出した。

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入稿  


昨日の夜中に『中央公論Adagio』のデータを完成。ラブレターは翌朝投函せよ、の戒めどおり、朝起きて再度チェック。やはり昨晩の私と今朝の私は違っていて、手を入れる。悪天候のため諸条件が揃わず、締め切りぎりぎりである。 明治時代というと、写真に写るということに対して、現代とは感覚がちがう。おかげでこの文豪、撮られる時はできるだけこっちから、と決めているようである。編集部から送られてきた資料は書籍が一冊だったので、古書を含め、資料は自分で集めることになった。反対側の写真がやっとあったと思ったら、数十年の時間差があり、向こう側とは面持ちが違う。そのギャップを頭の中で埋められず一回作り直した。そしてどうせならと、鮮明な写真を入手できなかった、真正面を向いた姿を使うことにした。 片一方を向いた写真は誰でも知っている有名なものだが、見たことのない真正面を見せ、この人知ってると思ってもらえたら大成功というところであろう。

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そういえば、先日の撮影地は藪蚊が多いところで、編集長が早々にムヒを買いにいったくらいである。しかし撮影に集中していると蚊に刺されにくい。あれはどういうことなのであろう。下見に来るたび刺されまくっていたのだが。これはしばしば経験することで、集中しているから刺されても感じないのではなく、実際刺されにくい。仮に刺されたとしても、撮影が終わる頃には腫れも痒みも消えている。次回は初めから意識してみようと、忘れないよう書いておく。 友人に自転車熱をうつそうとして、逆にハゼ釣り熱をうつし返されている私である。釣り具の上州屋へ行き、帰りに工務店のSさん宅に寄る。昔はハゼ釣り大会に参加していた人で、トロフィーが飾ってある。 下町の子供はだいたいハゼ釣りに熱中したもので、私も随分やってきたが、針を飲み込まれてばかりであった。ハゼは当たりを逃さず、針を飲み込まれる前に手返しよく釣るのが醍醐味なのだが、私はそんな上等な心持で釣ったことがない。Sさんにアドバイスを請うが、威勢は良くても、老人なので要領をえない。Sさん宅は、ビタミンF(新潮文庫)のカバーを撮ったマンションの目の前なので以前上げたのだが、始めは人形と思わなかったらしく、「隣りの鰻屋のオヤジがそっくりでさ、お前んとこ、息子ばかりだと思ってたら、娘がいるんじゃねェかって言ってやろうと思ってたんだ」なんて笑う。「これ娘じゃなくて、カミさんのつもりで作ったんだよ」

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『中央公論Adagio』第4号の表紙撮影。悪天候のために随分遅れてしまった。2時前に現場に到着。夏の夕方という設定だが、今頃は早めの時間で丁度良い。今回は、ファインダーの中に収める要素が多く、ちょっとでも考えてしまうようではうまく行かないので、人形とカメラの手持ち撮影は止めて三脚を用意。 背景には着物姿の女性を使う。着物が背景の緑に映え、これで画面の中に、ムッツリした文豪さえいなかったら、とつい思ってしまうくらいである。 来月25日からの大崎ThinkParkの毎月1体1年間の展示。オープニングがアダージョ4号の配布開始と同じ25日。タイミングが良いので、今回撮影した人物を初披露することにした。 山男でもある編集長から、撮影を終えて心晴れて穂高へ行ってくるとのメール。私も近所でハゼ釣りくらいはしてみたいのだが。せいぜい自転車で亀戸の上州屋に、クーラーボックスを買いにいくくらいであろう。

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一日  


外出する時、下の保育園の様子をつい見てしまう。園児だけが集まっていると、あいかわらず私を見つけては「ケンちゃんのパパですか」とそこらじゅうから声がかかる。子供達をかき分け、一見大人気である。どれほど私がケンちゃんのパパに似ているのか知らないが、まったく迷惑な話である。保母さんや週一で来る、体操のオジサンがいると比較的大人しいのだが。昔、一瞬目が合っただけで、2ヶ月間犬に付きまとわれたのを思い出した。 歩いていると、先日K本で採り立てのピーマンをいただいたSさん。ウチの近所の橋の下に、ハゼ釣り用の竿や道具をしまっているという人である。「ハゼはまだですか?」「これからだよ」 友人のKが、ハゼ用の中通し竿を買ったので、自転車に乗って深川まで来るという。以前は良くやったものだが、そのたびにウチで天婦羅を揚げているうち、揚げてる私が飽きてしまった。わざわざ川口から自転車に乗ってくるというのだから、私も準備していなくてはならない。

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昨日Hは、娘を連れてサイクルショップに行ったそうだが、娘の「パパ、これいいじゃん」の一言で、考えてもいなかったパープルカラーの自転車に決めたそうである。「色といい、形といい、カミサンと子供が気に入ってて、その内に取られると思う」とメールが着た。 彼は仕事場と自宅で熱帯魚を飼っているが、ときおり、とても彼の趣味とは思えない魚を買うことがある。いつもゴツイ魚を買ってきては、カミサンや娘の非難を浴びているので、たまに可愛らしい魚を買っては女性陣のご機嫌を伺っているらしい。様々なバランスを考え撰んでいるようであるが、そんな彼の苦慮を知る私には、「カミサンと子供が気に入ってて、その内に取られると思う」というメールの中に、『これでいずれ2台目を買うことができる。その際は、さらに自分の趣味を反映させた自転車にするぞ』という彼のほくそ笑みが感じられるのである。こうやって相変わらず独身の私は、友人達が大人になっていく後姿を眺め続けているというわけである。 

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一日  


今日は車が少ないし、自転車で実家に帰ってみようと思っていた。図書館で借りた本を返し、朝昼兼の食事を済ませたところで、向こうから焼き鳥のK越屋のオヤジさん。この店は、行けばどうしても長っ尻になってしまうので、最近顔を出していなかった。 ヒマなんだろ寄ってけという。休日はいつも夫婦そろって競馬だが、今日は休みということでまずビール。そんなつもりじゃ、といううち焼酎に。オヤジさんの、大黒さんを悪くしたような顔を見ているとツイ長くなる。さらに食事は済ませたという間もなく、山盛りのソーメン。トリガラでとったスープに素麺汁と決まっていて、これが美味い。気が付くとオヤジさん昼寝。こんな時は、お金は取ってくれない。これだけ飲んだら自転車は無理とあきらめる。 家に帰ると、Hがサイクルショップから何度も電話かけていたようである。車種を決められずに相談したかったようだが、買ってしまい、帰りにロードレーサーに挑んで、結構ついて行けたぞ。と弾んだ調子のメール。私の思惑通りである。Kのほうにもさっそくメールをしたらしい。Kからは中通しのハゼ竿を手に入れたので、今度自転車で釣りにくるとメール。やってることは小学生の頃と変わっていない。卒業することを知らない連中ばかりで、ウンザリといいたいところなのだが・・・。

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再燃  


自転車を車で運んでの何度目かの旅行で、蓼科の友人の別荘から出発そうそうの坂で全員討ち死にし、以降解散状態の自転車クラブ。イタリア帰りで熱帯魚仲間でもあるHの提案で、全員30代ということでトレンタクラブと命名され、サドルに取り付ける銀製のレリーフまで作ったものだが。あれから十数年経ち、私に自転車熱が発症した。 だれかが何かのきっかけで再燃する。そして友人等に、あの頃と今の事情がいかに違うかを語り、道具が格段に良くなったかを語る。俺はもういいよ、などといっている連中も、つい書店に寄り、雑誌を買ってしまう。もともと嫌いではないので、次に会ったときには、すでに最新事情が頭に入っている。というわけで、Hはすでにその気になったようである。そのことについて飲もうと連絡がくる。これは私が彼に、熱帯魚熱を再燃させられた時と同じパターンである。 もう一人のKは、なんでもカタログ集めから始めるというのは10代の頃から変わらない。今のところ、カタログは見ないと抵抗しているが、私の送ったHPの折りたたみ自転車の映像を見てしまった。私は彼が、組み立てる時のカチャカチャいうメカニカルな音に反応する事は判っている。寝ている連中を一人ずつ起こしていく私。志村喬かユル・ブリンナーの役回りであろうか。もっともメンバーは七人もいない。

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最近、そろそろ八十に手が届くという母が、携帯メールをマスターしたようだ。チンパンジーの電報のようだった文章も、そこそこ長文になり、漢字もちゃんと変換されている。 サンフランシスコに住む甥っ子たちとTV電話をさせてやりたいと、実家に帰るたびパソコンを教えている。さっき教えたことを何故忘れる、とイライラしてばかりだが、私がはじめた時を思えば、年寄りが良くやっているといえよう。一番の難関がマウスのクリックであるが、携帯メールを先にやっていたのが良かったか、時間はかかるが、送った画像を見ることができるようになり、本人も面白くなってきたようである。私の厳しい指導のおかげで、などと冗談をいっているが、私が小学生の時、宿題の『お馬の親子』をハーモニカで吹くというのを、滂沱の涙の私を正座させ、特訓したことなどすっかり忘れているのであろう。 この雑記も、本人が見るようになるかもしれないので、ごくかわいげのあるエピソードにとどめておいた。

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ウチの賃貸マンションは下が保育園になっている。屋上でお遊戯などされると、ドタドタやかましい。外出時には時として、園内の子供をかきわけて出て行くことになる。いつだったか、一人の子供が私に向って「ケンちゃんのパパですか?」ときく。否定すると、何日かしてまた聞かれた。次第に色々な子供に聞かれるようになったが、あるとき否定したとたん、みんなでゲラゲラ笑っている。どうやら子供達の間ではやっているらしく、以後私は無視している。園には、20代とおぼしき可愛らしい保母さんが沢山いるのだが、子供の問いかけを無視していく私を大人気ないと思っているんだろうなあ、弁解のための席を一席もうけてくれないだろうかと思いつつ、保母さんの見ていないところで小さく、「うるせェぞクソガキ」と低い調子でいって子供の笑顔を凍りつかせている。それでも、この遊びは依然として流行したままなのである。 子供と犬と酔っ払いとは、目を合わせない方が良いと日ごろ思っている。最近一つ加わったのが、自転車に乗ったオバサンである。見たほうにまっすぐ突っ込んでくる習性があるようだ。

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一日  


朝、木場駅近くのT屋で朝食。天気さえよければ撮影のはずであった。朝っぱらからつい生ビールをやってしまう。 夕方、K本で飲んでいると、昨日、夜中の3時まで飲んでいたという、映画プロデューサーのYさん。一緒に飲んでいたという元バレエダンサーのHさんと、ふたたびT屋へ。Hさんの息子が某相撲部屋に入門していた話を聞く。勝ち越して止めたのがせめてもだと。 それにしても、高砂もだらしないが、理事長の北の湖がだめである。杉山那博の取材証を取り上げるなんて。昔は今と違って入門が早い。ダントツに出世が早い北の湖は、相撲取りの同級生、上級生をアゴで使い、授業サボって屋上で弁当食っていたと、当時同じ中学出身の友人に、ヨタロウ話を随分聞かされたものである。だいたい喋るのが苦手なのだろうが、長いコメントを聞いた覚えがない。理事長としての華がない。 途中Yさんに電話。プロデューサーが俳優に刺されたらしい。Yさんじゃないかと心配した電話。「俺じゃねえよ」刺した方も刺された方もYさんが良く知ってる人物らしい。散々飲んで帰ると多摩美のN先生から電話。江東区のセンターでフェルメールに関する講演があり、その後飲むことになっていて、今日もTさんと場所の相談をしていたのだが、後日の話と勘違いしていた。あわてて自転車で森下へ。

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骨灰  


薄井憲二先生から、スイス在住のポーランド人コレクターのものだという、バレエをテーマにした陶製の像、いわゆるノベルティの写真を送っていただいた。庭園美術館でも、バレエ・リュスをテーマにしたノベルティが何体か展示してあったが、それらはオークションなどでも、たまに出品されているのを見るが、これは見たことのないものばかりで、たいそう品のあるコレクションである。 子供の頃縁日で、安物の動物をかたどったノベルティを買ってもらったものである。買うのは常にリアルな造形のものばかりであった。リアルさが面白かったのはもちろんだが、一番惹かれたのは、裸電球の下でオジサンがつぶやく、この中には骨の粉が雑ぜてあるという言葉であった。この二十面相が変装したかのようなオジサンは、私の猟奇趣味を見抜いていたことは間違いなく、きまって両親の足元にしゃがむ、私だけに聞こえるように秘密めかしてささやくのであった。 十年後、陶磁器の専門学校に入り、ごく当たり前の材料として、骨灰というものが使われることを知ったのであった。

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以前にも書いた気がするが、私はがんばっている人を見て励まされるという事が無い。がんばっているのはその人であって、私にはなんの関係もない。特にスポーツを見ていて、励まされる人の気持ちがまったく判らない。苦悶の表情の年寄りが、何時間も歩いている姿を流し続けるTV番組など論外である。 ついでにいえば、女心を女言葉で歌う男性演歌歌手の歌の次に嫌いなのが応援歌である。いったいナニサマだと思うのだが、しばしばヒットするので聞こえてしまうわけで、実に不愉快である。先日、某所で二人組の若いストリートミュージシャンが歌っていたが、私には、彼等が人様を励ましている場合には見えなかった。しかし、人を励ましている状態は、そうとう気分の良いものらしく、恍惚の表情の彼等は、人を励ましている間は辛いことは忘れられるようである。 そういえば数年前に亡くなった父を病床において、私は励ました記憶が無い。付き合いも長いわけだから、私が励ますようならオシマイだと感じるに決まってると、かってに決め込んでいたのだが、実際はどうだったのであろうか。

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一日  


最近は毎日のように深川のホームセンターに通っている。私がいくらでも居られるという意味では、上野の科学博物館につぐであろう。買うものが無くなるので、明日も来れるよう、つい不足気味に買ってしまう。方向音痴が探し物の場所を店員に尋ねず、見つけるまで無駄に歩き回るのも楽しい。知らない間に出回っていた道具を使う用途もないのに手にとったり、ペットコーナーの犬や魚を眺めたり。 人形を撮影地まで運ぶのになにか良いものはないかと考えたが適当なものがない。ザックにいれて担いだら両手も空くし良さそうである。自転車用にも欲しかった。木場のヨーカドー内のヒマラヤスポーツに行く。キャンプ用品その他豊富で、近所では、ここもついさすらってしまう場所である。30Lのザックを買う。暑いので思わずアイスブルーというカラーを選んでしまった。

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