明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



以前構想を書いたが、様々な人達が一緒に雨宿りしている英一蝶『雨宿り図屏風』をヒントに、一休と乞食や芸人などが、橋の下で雨宿りしている『一休和尚雨宿り図』を考えた。その直後、一休和尚つながりで、二十年五条大橋の辺りで乞食生活をした大燈国師を知った。雨宿り図は、たまたま軒下でなく、橋の下を考えていたのでイメージ設定が被ってしまう。 『一休和尚雨宿り図』は様々な人物を橋なりに横に並べようと考えており、ロールペーパーを使って横に数メートルというのも良い。二人は時代的にズレているので、背景は同一、メンバーが違う、という二作品も可能であるし、いっそのこと、その中に一休禅師、大燈国師もいて、単に『雨宿り図』としても良い。中に布袋尊など紛れ込ませて、イメージ作品である、とするのも良いだろう。



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やれることはやれる所までやっておくと、後悔がない、というのは初めての入院で証明された。作り残しに対する恐れの原因が、一休和尚の門松は〜目出度くもあり目出度くもなしで、なので無理すれば完成したはずの和尚の完成は退院後にしよう、という余裕もあった。 最近加わった策は先の予定を立てず、中途に終わる可能性を低めることで、せいぜい3人までと考え3人はすでに決まった。一人は一休の尊敬する大燈国師。20年乞食生活をしてしたという、白隠禅師が『乞食大燈像』を残しているが、私は国宝の頂相を元に、もっとリアルな乞食大燈像を目指す。それに備えて人形用ムシロを風雨天日に晒すため、ベランダに放り出した。結局これでは足りないと番茶や紅茶で煮込むことになるだろうけれど。



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昔からお馴染みの奇妙な現象である。部屋を片付けよう、と頭の隅に、ちょっとよぎっただけで、創作意欲が溢れ出し、作り始めずにいられなくなる。これは生まれついてのもので、鼻が低いとか足が短いと同様、私にはまったく責任はない。粘土を切らしたタイミングで部屋の片付け。よって粘土購入を我慢し注文せず。 来月は浄土宗の寺のために法然と、臨済宗の大燈国師の頭部を同時に作り始めようと考えている。2人ともふっくらした人物である。目が慣れるのを防ぐためにも複数の人物を並行して作った方が良い。となればもう一人、流れから作ろうと思ったばかりの僧侶ではない人物も考えたい。風に吹かれて思わぬ方向に行きがちだが、それもまた良し。考えるな感じろである。



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先日の初入院、オペ室に向かうエレベーター内で看護師に「検査ですか手術ですか?」と訊ねるくらい呑気であった.死の床で、あれを作れば良かった、これも作れば、と苦しむことを長年恐れていた。その策として日頃変化を続け、先週にさえ戻りたくない、となるよう心掛けて来た。その恐れの原因が、小四で読んだ大人向け『一休禅師』の〝門松は冥土の旅の一里塚〜”であったことにも最近気が付いた。その時イメージした雲水姿の一休が完成直前で、これで何かあったらあまりに話が出来過ぎている。と完成させずに入院した。 2年前の40周年記念『Don’t Think, Feel!寒山拾得展』(ふげん社)以降〝私とは何ものであるか“という命題に急速に向かっている実感がある。入院はあと2回を要する。

 

 



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いずれ作ることになるであろう大燈国師は「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で野菜の根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」そう思うと、需要などお構いなしに、ボロ小屋で野菜の根を煮るように、やっては来た。独学我流でやっているうちに、人間も草木同様自然物、肝心な物は備わっている。考えるな感じろで行くことに決めていた。禅の修行は外から教えてもだめで、その人の内側から目覚めてこなければ本当の力にはならないという。禅の修行も坐禅もする気はないけれど。 初めての入院を期に、ギアを一段上げることは決めていた。反省すべきことさえも禅の修行同様、外から教わるより己の内側からの声の方が効き目があることを知った。

 



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坐禅もしたことない私だが、大燈国師に対し、日々興味がつのっている。白隠禅師が『乞食大燈像』を描いているが、臨済宗中興の祖に対し失礼だが、文人画的な絵画作品は私の好みではない。禅画の味わいというのは判るのだが、ホントのことをウソのように描きたい私としては、まずは何を置いても、実像にこわりたい。となると、蘭渓道隆の時と同様、国宝の頂相を立体化して、リアル版乞食大燈像こそ私の出番だろう。ちょっと汚な過ぎではないか?との意見が出たなら、その時は、白隠禅師の作を示し、だって中興の祖がこう描いているのだから、といっておこう。



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小四で読んだ大人向け『一休禅師』は朧げながら風采がやたらが汚いというイメージが残っている。一休が尊敬する人物に大徳寺の開山、大燈国師がいる。五条大橋の辺りで乞食の中で20年暮らした人物で、一休は中身は偉大だったり高貴なのに、敢えてそんな境遇の中で生きるような人物が好きである。あの汚さは憧れの国師に準じたのではないか。横目の肖像画の謎も、先日書いたようにおそらく大燈国師の横目の頂相をミーハー的に真似したと思しい。 そんなことを考えていたら、ラインが見えて来て、もう一人作るべき、僧侶ではない人物が浮かんだ。何んでも後回しにグズグスしているのに、こんな決断だけ瞬時に決まる。こうして枝葉を伸ばし、気が付くと予定と違う知らない街角に一人立っている、という私の人生上、お馴染みのことになりそうである。初の入院経験をきっかけに以後一休を軸に作り勧めるのが、入院前に立てたプランである。
 


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『一休「狂雲集」の世界(柳田聖山 人文書院)に達磨大師が少林寺の巌窟で、面壁坐禅をしていると、雪積もる中、後に第二祖となる慧可が弟子入りを志願する。しかし達磨大師は相手にしない。そこで慧可は、自分の左腕を肘から切断し、決意のほどを示す。この話は普通は慧可の側から見るのだが、一休の受け取り方は違い、雪の中に一晩中立ち尽くす弟子の求道心の厳しさ、その清潔さよりも、寒い岩壁に座り込んで、慧可が来ても振り向きもしない、この男はなんという冷血漢だろうといっている。に笑った。私も雪舟の『慧可断臂図』を見て、同じことを思い、達磨大師を振り向かせたからである。さらに慧可は、その場で己の腕を切り落とす決意の割に泣き出しそうな顔をしているのも納得がいかなかった。 一休は一方で開祖達磨大師に尊敬の念を表している。

 

 

 

 



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実景とフィクション を織りまぜてうたうのが一休禅師の詩の特色だそうである。私が初めてギャラリーで写真を発表した時、人間の実写と勘違いした編集者がいた。そこからまことを写すと称する写真に対して、長い時間をかけて抗い続けることになった。紛らわしい物を作っていると思われているかもしれないが ウソをホントのように試みたのは、洒落でやってみた古今亭志ん生一度キリである。やってみた本人にも人間の実写に見えるが、そんなことは大したことではない。陰影を排除するようになりハッキリ判ったのは、私の目指すところは〝ホントのことをウソのように描く‘’ことである。そう考えるとAIなど実に野暮なものである。



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人生初の入院。最初に身長が縮んでいてショック。一人の爺さんが部屋を変えて、大部屋に私一人。 検査入院のつもりでいたが、診療計画書を見たら『労作性心筋症』。治療になっている。症状の脚の浮腫は看護師が二人見に来た。間違いなく、パソコンの前に椅子座って作業を始めた翌日からなのだが。検索して出てくる胸の痛みなどの症状はまったくなかった。症状が出なかったから進んでしまったのか、早く見つかり良かったのか、はなんともいえない。 一休宗純の、女性に対する独特な思慕や中身は立派なのにあえて過酷な境遇に身を置くボロボロな人物好き、などについて考える。消灯時間も迫り本日は早めにお開き。



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一休  


一休宗純、あと塗り直しのところで止める。完成させて入院『狂雲集』を読み一皮剥けた顔して退院、というプランを立てていたが、完成させておくと、妙な覚悟をしてるようなので、退院してから完成させることにした。背景の撮影場所も決めてある。一休完成で、展示予定の作品は終わる。その後、浄土宗の寺のために法然の制作に入る。しかし、臨済宗の頂相のような解像力?のある肖像は残されていない。もっとも古い、全ての肖像画の元になった肖像を私も参考にすることになる。極楽など私はまったく興味がない。画像まで制作する予定はない。



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肖像  


尊敬すべき人物の、大事な頂相が何種類もあり、顔がまちまち、立体像にしても同様。何百年間もそうしてきたのだろうけれど。信じることこそ大事なのだ、ということなのか、真実は人の数だけあるというし。しかし、師の面影、姿形を教えそのものである、という意志のもと、克明に制作した絵師、画僧の想いは?と思うのである。そこに打たれて、禅宗の頂相が人像表現の究極、と考えるようになった。 鎌倉の円覚寺の開山無学祖元は木像を一目見るなり、その説得力に、これが無学祖元だ、と他の頂相の類を一切見ることなく参考に制作した。つまりあくまで私の主観でしかないのだが、私としても40数年作って来た渡世上の決め事というものがある。私としては、あくまでそれに準じるしかない。



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92、3年頃、初めて写真作品を発表するために、自分の作った人物像を撮影していた。それは盲目のブルースマン、ブラインド・レモン・ジェファーソンだった。外光が三角形を描き面白い。念の為、人形三脚全てそのままにして、翌日同じ頃に、同じ自然光の入り具合で撮ろうとファインダーを覗いたが、何も変わっていないはずなのに何かが違う。初心者の私は理由が判らず首を傾げた。そして、あれから食事もしたし酒も飲み、テレビも観たし風呂にも入り就寝もした。つまり昨日と変わったのは私自身だ、と気が付いた。シャッターチャンスも外側になく自分の中にある。写真を始めた最初の段階で、すでに何かが芽吹いていた。 そうこうして作家シリーズに転向した頃には、外側にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想、と何十年もいい続けることになった。しかしそこまでいっておきながら、モチーフが他人だったために、探究の対象が、実は自分自身だ、と気付いたのは、つい先日である。今後気付いて作るのと、そうでないのとでは違ってくるはずである。

  



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一日  


母のいるホームは病院を併設している。先日ワクチン接種の予約のメールが着ていた。それまでは自動的に打つことになっていた、しかし打っても何回か陽性になった。無症状ではあったが。ところが理由は判らないが、そこの病院はワクチンを扱わないことになったので、打つ人は他の機関で、なんてメールが着た。 シャレコウベを竹竿の先に掲げる一休、京の街をご用心ご用心と歩き回り、門の間から突っ込んだりしたらしい。正月に迷惑な話である。背景の撮影場所を決めた。今後作家シリーズでの江戸川乱歩のような立ち位置になりそうである。しばらく一休和尚を軸に制作を進めることになるだろう。



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小学校入学以来、始業のチャイムを無視して図書室を一時出禁になってまで人物伝の類に夢中になり、その挙句に人物を40数年作って来たけれど、常に対象は他人だったから気が付かなかったが、結局は“自分とは何か?”が知りたかったんだ、と思うに至った。それもこれも今のモチーフを手掛けるようになり、先日大燈国師の言葉を知っての話である。 死にそうになってガリガリになって退院して来た亡父が、スポーツ新聞を手に水戸黄門を観ていた時の違和感、ショックは、自分とは何か?などどうでも良さそうで、某漫画ではないけれど、それではまるで幽霊ではありませんか?という恐怖に近かった気がする。



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