明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




躰が動き、球が走り過ぎる時は注意を要する。実在の人物なので参考資料も必要なく、形になるのも早い。相撲でも、自分の得意な型に持ち込み、してやったりと出て行って負けると”喜び過ぎた“なんていうが。 たまたま高橋是清に似ているとしても、別に問題はない。また似ているといっても、いわれてみれば、という程度で、ハゲ頭にアゴ髭で、あまり怖い顔にして達磨大師にならないようにしていたくらいである。だかしかし、シーズン初登板でもあり。私にすると喜び過ぎ、土俵を割ってしまった感が拭えず。 我が家の金魚水槽内も、豊干の乗る虎役の虎柄が消えてしまい、ベランダに出向になり、主役の寒山が調子悪く、大きさも追い越した拾得を寒山に、三番手のオランダ獅子頭を拾得に、と考えているように、今回の豊干禅師を寺のその他大勢の僧侶の一人、もしくは、ひょっとして『虎渓三笑図』を手掛けるとしたら、三人の一人に、と降格?処分にすることにした。豊干禅師は拾得を拾って来た人物だし、虎に乗ったり、寒山拾得と虎と共に眠りこけ『四睡図』となる予定である。まあまだ始まったばかりだが、最初が肝腎であろう。



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昼間、豊干禅師の頭部、細部を残し完成。とフェイスブックに画像をアップした。実在した人物と違い完成は早い。今日中にも完成を、と考えていたのだが、一つ軌道修正をした。 これから三百年も生きたような老人を何体か作りそうである。そう思うとこの豊干、私のイメージする仙人調である。ここであまりにもイメージを注ぎ込んでしまうと、後が続かないのではないか?そこで仙人然としたヤギ髭の形をアゴ髭に変え、長い眉毛をカットした。すると何だか見たことがあるような顔になった。高橋是清である。昨日のブログに是清のことを書いたことと無関係であろうか?確かに眉毛アゴ髭を短くするまでは似ていなかったのだが。実は昔似たようなことがあった。それも『貝の穴に河童の居る事』である。 潔癖症の鏡花がベタベタと生臭い、と書いた河童の三郎は、絶対に”カワイイ“とはいわせまい、と考えながら作っていた。河童が完成してみると、当初イメージした河童と大分顔が違ったな?そのちょっと前、たまたまネット上のやり取りで、かつてのハリウッドの悪役俳優リチャード・ウイドマークについて書き込んだ。どうもそのせいで、ウイドマークのサッドフエイス的要素が入り込んでしまったようなのである。日本語の吹き替えでは、ネズミ男の大塚周夫がやっていたが、本人もヘンな笑い方をするウイドマークが好きだった。それしか原因が思いあたらない。頭の中のイメージは、いつ何時、何が紛れ込んでくるのか判らない。



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某誌表紙の打ち合わせ。使う人物は決まったが、どの作品が手元にあるか記憶が曖昧である。また怪我?をしていないか、チェックしないと判らない。一度作って写真を撮ってしまうと私は冷たい。作っている時はああだこうだいってるが、一度頭の中から取り出し、やっぱり存ったと確認し、私にはこの人物はこう見え、こういうつもりで作った、と”念写“を済ませてしまうと、先代猿之助の如き冷たさである。 本日は2月26日。これは拙著『貝の穴に河童の居る事』泉鏡花作の一場面である。房総の海に遊びに来た芸人達。たまたま日なたぼっこに来た河童が娘の尻に触ろうとして大怪我をする。逆恨みをした河童は鎮守の杜の姫神様に仇討ちを願い出る。宿の連中の上に大きなイシナギを頭から降らせようか?しかし結局、鎮守の杜も人手不足、と構想だけに終わった場面である。この家は高橋是清の旧邸で、是清はこの隣の部屋で青年将校に惨殺されている。

 

 



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一日  



豊干禅師の頭部を作り始めたが、写真資料を見ながら制作してきた作家シリーズと違って”私がルールブック“である。髭や頭髪は人形用の毛髪を使う予定だが、細部を残し、すでに目の前に転がっている。 家の水槽内の寒山拾得劇団は、豊干が乗るはずの虎の縞模様が消えてしまい、ベランダに出向となった。肝腎の寒山が転覆病となり、拾得役の金魚を寒山に昇格させ、後に控えるオランダ獅子頭を拾得に、ということも考えている。そう思ったら、目の前の豊干禅師も、もしもっと面白いのが出来たら、寺のその他大勢の僧侶に降格しても良い。 寒山拾得展は昨年の5月の三島展の二年後ということであったが、来年の秋開催となった。となると、うっかりすると『寒山と拾得』に加えて『蝦蟇仙人と鉄拐仙人』コンビ、さらに『虎渓三笑図』まで手を出してしまいそうである。



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テレビで発達障害を特集していた。私も自分を疑ったことがあるのだが、どうも違う気がする。特に気になってきたのは、小学校低学年の通知表に”掃除の時間に何をしてよいか判らずフラフラしています。“と書かれたが、これがどうにもならない。三十年住んだマンションから引っ越しする時も、何ヵ月片付けしているのだ、という話しで、「翼よあれが床だ。」などとつぶやく始末である。もう一つは子供の頃から衰えない集中力。等々怪しんでいたのだが、そのたびにいや違う。と思う。小学校で始業のチャイムが聞こえているのに図書室から出て行かないことを繰り返し、図書室出禁になったり、写真の素人が人形も作らず、独学で廃れた古典技法オイルプリントに熱中したり。しかしいずれも、こんなことをしていてはいけない、と内心ハラハラしていたのである。図書室では椅子の上に正座し、本を読むのを止めなければ、とお尻は浮いていた。オイルプリントもただやりたいだけだったので画が出てすぐ止めた。そう思うと、遠藤周作がいうところの”やらなければいけない事があるのに、他の事をせずにはいられない人を怠け者という。“さらに植木等がいうところの”判っちゃいるけど止められない。“単なるこれの複合ではないか。つまり空気は読めてはいる。 私の高校時代の親友に精神科の医師がいるが、今は、患者の自殺率の低さを誇る医師となったが、高校時代、友人の輪に彼が入ってくると空気が読めないので白けてしまうので”白けの⚪⚪“と呼ばれていた。最近は大分治ったが彼の話には多くが主語がなく、しばらくは大人しく聞いていないと「お前今いったい何について話しているのだ?」。その代わり普通の人間が気にもしないところを心配し、気を付かってくれたりする。医師になり立てのころ患者といる方が気が楽だといっていた。優秀な医師であることは間違いないが、今度会ったら自己分析を是非聞いてみたい。 空気が読める人間が寒山拾得などやるか、ということについては、植木等のいうとおりである。いや青島幸夫か。



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伝統的日本画の世界では、先達の作品を写すことは普通に行われて来たことで、私の育った葛飾は某所のように”真似っ子マンジュー豆屋の小僧♪“などと貶まれることもない。(何で饅頭なのか豆屋の小僧なのかは不明)独学者の私が博物館に行き、親から子へ、師匠から弟子へ、連綿と学び継がれて来たわりに、必ずしも右肩上がりとは限らず。だったら独学でも良いや、と思った。 ある絵師に影響を受けたほぼ同じ構図の絵師の作品を見ていて、その師匠格の作品を上書きするかのように、洗練させているのが判るが、代わりに何か失われた物が間違いなくある。一歩進んで二歩下がる。伝統と一口にいっても、単純な物ではないらしい。 寒山拾得的なモチーフの面白さは、人間臭く、かつ、実際はこんな人間いないだろ?という造形が可能であることであろう。豊干禅師を作るべく、一掴み粘土を手にした。



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陰影を削除しただけで、日本画調になるのは、たまたま私の人形の作風のせいであろう。なので作業台の上に制作予定の中国は天台山などの山々はともかく、実景を撮影した背景は、いくら陰影のない曇天で撮ろうと日本画調にはならない。むしろそこを生かしたい。昔のアメリカのテレビアニメは登場人物はマンガ調なのに背景はリアルだった。水木しげるもある意味そうである。肝腎の頭部には7~8割の時間をかけるが、着衣は勢いで作る。日本画でも着衣の衣紋線は、人体部分とは違う調子で描かれている。 本日もいつ考えに変化があったか、などと後日確認するための物である。つまり、何だか良く判らないが、やりたくなった。から、始めから計画通り、判ってやっていたのだ、という顔をするための備忘録である。なので、当ブログを読んでる方だけが、始めは何も判らず、金魚ばかり眺めていたくせに。と思われるのだろう。読者数を考えると全く気にならない。



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転覆病にかかったのであろう水槽内の金魚寒山は、腹を上に底に沈んでいたわりに、餌になると必死に体勢を戻し食べている。それを見ると、それほど重篤ではないような気がしている。転覆病の原因は様々らしいが、運動不足なんて説もあり、フィルターを換えて水流を強くしてみたのだが、それが良かったのか、ひっくり返らなくなった。それでも絶好調とは言い難く浮き袋の不調か、尻が上がり気味ではあるが。転覆病は治らないとも聞くが、長時間ひっくり返っていたことを考えると気が楽である。 本日眺めていて、私が制作を始めるのを待っているように思えてきた。それまでは死ねない、と。であれば、作り始めた途端死んでしまったりして。明日、ようやく粘土を手に取ってみようと考えている。しかし金魚の寒山には悪いが、最初に手掛けるのは豊干禅師に決めている。豊干は当初、寒山と拾得とコントラストを付けて禅師調にしようと考えていたが、そもそも虎に乗っている奇妙な人物であり、寒山拾得同様、にすべきだと考えている。乞食坊主だと思っていたら、その実態は菩薩であった、なんて話しが多い。



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古典的な東洋、日本画を見ていると、写し、描き継ぎながら、変化を続けてきたことが判る。 40年前、架空の黒人ミュージシャンで個展を始めた。私が頑なだったのは、楽器はカタログなど参考にしたが、肝腎の人形部分は好き勝手に制作した。人体デッサンなどやったこともなく、人間は本当はそうなっていないかもしれないが、そう思い込むには理由があり、それが私の個性である、と考えそれまで自分の中にあるものだけで制作することを貫いていた。私が怖れたのは、一度入った物は出て行かない、ことであった。今に至れば、半分当たっているが、半分は大間違いであったが。 例えば盲目のギタリストがいる。他人と比較出来難いせいで、とんでもなくユニークな弾き方をする人がいる。盲目でなくても個性的な弾き方をする人もたまにいるが、いずれもその奏法が音に表れ、その弾き方でなければ出ない音がする。 何でも学べば良いという物ではなく、身に付いてしまって取り返しが付かなくなった人は多いだろう。特に今の時代身を守るのは大変である。もっとも自分の内側だけを相手にしていると、気が付いたら寒山拾得などを手掛けるハメに陥ったりする。個人的にはなるべくしてこうなった、と感心しているけれども。

 



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長い年月の間に描き継がれて行くうちに、伝言ゲームのように微妙に変化して行くこともある。伝統とはそういうものであろう。痩せている、と寒山詩集の序に書かれているのにかかわらず、何故唐子じみた肥満体として描かれ続けて来たのか。私にしてもその序文を読んでいなければ、当然のようにそうしていただろう。しかしそれが伝統だとしても、原点である寒山詩の序に一言そう書いてあれば、私は変えることは出来ない。曾我蕭白の痩せてみすぼらしいバージョンの存在は、やっぱりそうだよな、と私には心強い。そう思って以来、蕭白は無頼な奇人というより真面目をこじらせた人に見えてしまう。 研究者に聞いて見たいことは沢山ある。今はネットのおかげで、質問出来る可能性もある。九代目團十郎制作時、明治時代にコロタイプにより制作された写真集の大冊がある。しかしお家の芸である睨みのカットが一つもなく、国立劇場で團十郎親子の写真を撮っている方にメールしたら十二代目に電話で聞いて貰ってしまった。長時間露光のせいではないか、ということであった。他にも某大教授にも別の疑問を答えていただいた。だがしかし、それはせめて頭部でも出来ていれば、の話である。作品の欠片もないのに、私のやりたいことを説明出来る気はしない。寒山拾得に至ってはなおさらである。制作開始迫る。



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同じ顔に見えた役者絵が、その役者を知らない現代人には判りにくいが、幕末の、かろうじて写真の残っている役者の写真と絵を見ているうち、実は特徴が描かれていることに気付いたのが浮世絵を見直すきっかけであった。むしろ、そんな微妙な差異を嗅ぎつけブロマイドのように買い求めた江戸庶民に感心したのだが。 中国由来の禅画、道釈画は日本の絵師達の手本になり、写され描き継がれていった。構図もほぼ一緒で描かれたりするが、ある絵師の画を見ていたら、手本から微妙に変えている部分がある。そのまま描くより、多少工夫を加えたかったんだな、ぐらいに眺めていたのだが、実はその違えた部分にこそ、先達を一歩超えよう、とする意志、工夫が表れていることに気が付いた。日本の絵師は昔から、ただコピーし、それで良しとはしていなかった。そこに注目すると、その絵師の人間観まで見える気さえする。考えてみると、この私でさえ、作家を作る際、参考にする写真はあくまで撮影者の物であり、ある特定の写真を参考にしたような作り方、撮り方はしなかった。



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作業机をようやく予定していた位置に設置した。昨年まで使っていた文机は天板が欅の一枚板なので、引き剥がして掛け軸の下に敷くか、引き出しが一つ開かないことを除けばしっかりした作りなので、道具屋に引きと取って貰うか。 これから壁に向いっ放しの達磨大師の如き日々が始まる訳である。幸い集中力だけはあいかわらずであるし、モニターをいくら見ていても目の疲れを感じない体質である。そんな生活も、コロナ禍の中推奨される有様で、あまり嬉しそうではいけないが、それに乗じて拭いがたい罪悪感も感じないですむ。 しかし改めて考えてみると、寒山拾得も、今だから良いようなもので、一歩間違えれば、いや間違えなくとも、親不孝の元だったろう。最近、様々な物や事が大きく一回転しているのを感じる。先日思い出したのは小学4年だったろう。学芸会の出し物で、大国主命が主人公の紙芝居を作ったが、学芸会用なので、休み時間に描いていても叱られることなく、堂々と描いていたのを思い出したのであった。



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ああだこうだいいながらも、結局禅のモチーフを手掛ける面白さは、人間臭いキャラクターを作れる点にあるのではないか。しかも、その容貌は怪異であることが推奨される? また例えば三本脚の蝦蟇蛙を肩口に乗せているような人物は、作ってつまらない訳がない。顔輝がオリジナルなのか、伝統的に同じような構図で描かれ継がれて来た蝦蟇仙人は片手で蝦蟇の脚を掴んでいるが、いわれないと後ろ脚が一本の蝦蟇だということは判らない。しかし作ってしまえば、何処からでも撮れる私は、思う存分、三本脚の蝦蟇蛙を鷲掴んで頭もしくは肩口に乗せた容貌怪異な人物を、斜め後から撮ることが出来る。 本日は、蝦蟇蛙もネットで入手可能なのは判ったので、どうせなら本物の蝦蟇蛙を使って蝦蟇仙人を作るかのようなブログになってしまった。



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一日  



今月出る『タウン誌深川』は浮世絵と渋沢栄一のミニ特集だそうだが、そこにも書いたが、浮世絵は月や行灯がなければ昼か夜か判らない場合がある。陰影がないのでそういうことになる。その代わり、月夜の晩だろうと蠟燭一本の室内だろうと、明確に描かれる訳である。しかしそれも良いけれども、私が良くやる、明るい昼光の下撮影し、青い月光風景に変えるのも良いだろう。 近所の定食屋で小皿の梅干が出た。前半生で嫌いな物が好物に変じた私だが、これだけは駄目だと思っていた最後の難関、梅干し。酸っぱさにもレベルはあるだろうが美味しく食べた。これでレモンを丸齧りさえしなければ。


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寒山拾得制作のための外堀が埋まりつつある。頭で解らなくとも内なる声を優先することにしている私だが、そうはいっても長年続けたモチーフから転向するのだから、いつまでも何だか判らないけどやらずにはいられない、では、行き当たりばったりの私もさすがに心許ない。それがようやく、実に私ならではのモチーフに自然にたどり着いた、良く出来たシナリオだ、なんて思うようになった。

寒山拾得なんて水墨画調にモノクロでやるべきだろう、なんて友人もいるが“モノクロ写真は被写体にあらかじめ色が着いてる物用であって、写真が撮影者自らが着彩、塗装した物を撮る行為だとしたら、モノクロ写真撮ろうなんて人間いねェよ。“



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