明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一昨日から、深夜同じ時刻にドタドタと屋上がやかましい。安普請なせいで、おそらく鉛筆落としただけで下の部屋では聞こえそうである。 ここに住んで30年余り、いままで何回かあったあれだな、とすぐに判った。しばらく続いたので、そっと覗くと案の定。まさかこれだけ下に響いているとは思いもしない中学生くらいの女の子が縄跳びをしている。これが中年のオヤジや学生だったなら、怒鳴りつけてすぐ玄関の鍵を閉めるところであるが。こう言う場合、見なかったことにし、気付かれないようそっと部屋に戻る。この年頃の女子からしたら、暗い中ダイエットに励んで いるところを、松尾芭蕉より12も年寄りに見られたとなれば恥ずかしいに決まっている。そんな可哀想な事は出来ない。それに一寸の辛抱で済むことを経験上私は知っている。こんな娘達は例外なく三日坊主である。今まで四日続いたためしはない。 案の定、本日は鉛筆一本の音すらしない静かな夜であった。

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 アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭


『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花




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江東区のコミュニティ財団に、小津安二郎像に続いて松尾芭蕉像の買い上げが決まり、芭蕉記念館に収蔵される事が決まった。小津像は古石場文化センター内の小津コーナーに展示されているが、来場者にいつでも、いつまでも観ていただけるというのは格別なものがある。 全国にある芭蕉像は二千体に及ぶ、と聞いたことがあるが、芭蕉の門弟達が肖像画を残しているにもかかわらず、無視され、どこの誰だか判らない芭蕉ばかりである。例えば昔の人物を作る場合、隣に住んでいた子供が描いた絵が一点残されているだけだったとしても、それが事実ならば、無視するべきではない、と私は考える。よって嫌味なくらい門弟達の肖像画のみを参考にした。さらに気に触ったのが、私より年下の芭蕉を枯れ枝じみた老人としているのが多いことである。その脚力から密偵説があるくらいであるから、スタミナ充分の人物であったろう。 ところで先日ジャイアント馬場より年上になったと思ったら、芭蕉は12歳も年下になっていた。まったく納得がいかない。お前は10年間気絶していたのだ、と言われればそんな感じである。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花





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最深部に積まれた雑誌を捨てる。紐で縛ってなど大の苦手でガムテープで縛る。私が新聞を読むと酷いことになるのは近辺の居酒屋では知られている。ペらペらのようで、さすが元材木、腰に来る。徹夜となる。 たまに目にしていたニジンスキーの首見つける。ディアギレフの首は、片付けを始めて、数年ぶりに出て来たが重すぎ、撮影には支障ないものの、私の迷いが原因なので気に入らず胴体は処分していた。昨年亡くなられた前バレエ協会会長だった薄井憲二先生が、少々期待して下さっていたようで、ご自分で撮られた海外のコレクターのバレエ像を送って頂いたりしたが、いかんせん私がフランス人のピエールだったならばまだしも、近所にオペラ座があるわけでもなく。いくら眉間にレンズを当てる念写が理想だと言っても、上手い嘘をつくには、多少ホントを混ぜる必要がある。その前に作るべき物が山積している。 『タウン誌深川』鏡花と歩く深川は、大量の注文があったとかで、在庫が少ないと聞いている。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花




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私が余計なことを言ったせいの『タウン誌深川』の鏡花特集。編集長が締切寸前まで大変だったようだが、そのかいあって、鏡花ファンが深川を訪れる際のガイドブックに最適な物となっている。私が余計な事を言ったのも、昨日書いたように、〝幻想小説家〟の鏡花を、全くの書斎派で、空想で書いていた、と勝手に思い込んでいて、勝浦の神社に行ったら、まったくそのままで、現場で読んでいたら、取材中の鏡花が、石段を上がって来て私とすれ違いそうな気分を味わった。また本誌にも書いたが、『葛飾砂子』を読んでいたら、作中の乗り合い舟が、こちらに向かって来る。実際舟が通る訳でもないのに、本を持ったまま作中〝土左衛門塚〟などと言って出てくる平久橋のたもとの波除碑を見に行った。これらの経験から、現在訪れる人の参考になるような特集号が出来やしないか、と提案だけなら誰でも出来る訳で、鏡花作品の現在を取材は大変であったろう。またこんな特集といえば〝ご存知〟東雅夫さんの『妖しき水辺の誘惑ー鏡花と深川めぐって』。という訳で、深川在住の方は勿論、これから深川を訪れる鏡花ファンにはお薦めの一冊となっている。
『タウン誌深川』A5サイズ/64頁定価300円+税 問(株)クリオプロジェクト03ー3641ー0071

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花




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25日発売の『タウン誌深川』は泉鏡花の特集である。鏡花は深川を舞台に、一連の〝深川物〟と呼ばれる作品を残している。以前、〝房総物〟と呼ばれた晩年の作品の中から『貝の穴に河童の居る事』をビジュアル化したが、作品のモデルとなる勝浦の神社に行ってみて、あまりに克明に現場を描写している事に驚いた。震災、戦災により、道路、川筋など変わってしまったが、鏡花を読んでかつての深川を偲んでみるのも一興であろう。今回は特別に表紙も担当したが、当時の海辺の町深川の雰囲気が出たのではないだろうか。表紙もまだ見ていないが、こういうことは、見る前に書いてしまうに限る。明日は表紙画像を載せられるだろう。 現場に行ってただパチリと撮って来たように見えなければならないが、実際はここをこうして結構大変だったんですよ、といささか格好の悪いマネが出来るのは、当ブログしかない。免許も持っていない私の前で、物流、トラックの話しばかりしているドライバー連中は、たまに私の話しをしても、はなから聞いていない。正月に10歳も年下のくせに、酔っ払って私の頭をペシペシ叩いた男は「好きじゃないとそんなこと出来ませんよ。」とぬかしながら、付き合いも10年になろうというのに私の名前を公彦という。誰だそいつは。好きな奴の名前くらい覚えておけ、という話しである。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり 樋口一葉




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三島の書誌をみると、読んでいない作品が多い。その程度の読者でありながら三島三島もないものだが、私がそうイメージしてしまったことは誰にも消す事は出来ない。そしてある脳科学者が言った〝人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている〟この仕組みに私は子供の頃からずっとさいなまれている。さいなまれている割に楽しそうにしているが。 私が常々、作家本人が、とっくに亡くなっていようと、本人にウケようと考えながら制作しているのは、こんなユニークで面白いイメージを私の頭の中に浮かべさせて頂き、有難う御座います。という感謝の気持ちからそう思うのである。その作品に出会わなければ、そんなイメージが私の頭に浮かぶこともなく、勿論作る事もなかった。感謝の念が生じるのは当然の事であろう。よって自分て書いておきながら、その残酷な描写に辟易とし、時に書き直していた江戸川乱歩は、やれば面白いのは判っていても、単なる挿絵でなく本人が登場する都合上、あまり過激な表現は避けたし、中井英夫が晩年禿げを気にしていたと知れば見て見ないふりもした。禿げていないのが惜しいと言われてしまったけれども。私と作家の間の二人だけの問題であるからそれで良いのである。

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ブログを始める前の身辺雑記時代に、三島の頭部を作っていた頃、小学校3年の時の成田孝君という友人との話しを書いた。二人して色々作ったりして遊んだが、最も熱中した遊びが『忍法死んだマネ』であった。校庭の隅に、滑る部分が取り払われたまま放置された滑り台があった。そこに登ってはピストルで撃たれ、苦しみながら滑り台にぶら下がり、力尽きて落ちて死ぬ。これを飽きることなく繰り返した。 三島を作るにあたり、やりたいことは『男の死』だけであり、資料として入手した芸術新潮のバックナンバーで三島自ら『男の死』をやっていた事を知り、私の思った通りだ、というのと本人にやられてしまっていた、と1勝1敗のような気分であった。何年後かにその頃の身辺雑記を読んだら、三島が篠山紀信に撮らせた『男の死』も(忍法ではないものの)〝死んだマネ〟ではあるな、と可笑しかった。成田君と繰り返し熱中したこの遊びにより、某かの、そこはかとなく甘美な物を感じていたことは間違いないが、ある日女子が先生に言い付け、この遊びは終わりを迎えた。 この舞台が昭和30年代の葛飾区の小学校でなく昭和8年頃の学習院初等科であったなら、平岡君も交え3人で熱中し『仮面の告白』に私と成田君も登場していただろう。そして平岡君がもう少し気の利いた名前を考えてくれたに違いない。

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一日  


昨年母からの電話で起こされ頭を上げた瞬間に思いついた寒山拾得の背景を本日いよいよ撮影、と思ったら晴天。陰影を出さないためには曇天でないとならない。逃げやしない、慌てる事もない 以前同じマンションにいたフリーの映画プロデューサーから電話。ある画家から連絡が着て、近々アトリエに行くという。以前画家のドキュメントを撮るという企画を立て、正式に発表されカメラを回していたが、画家と監督のそりが合わず頓挫したことがある。私の処女出版『乱歩 夜の夢こそまこと』(絶版)を渡してくれ、銀座の個展に一緒に行きサインを貰った時は、金のサインペンが買ったばかりだという画家の靴にぽたりと落ちて本人も慌てたが、私はもっと慌てた。 私の『男の死』を持って、一緒に行かないか、と言うので「それはちょっと…。プリントしておくので、持って行って下さい、」というと「駄目だよ自分で見せなきゃ。」それは怖過ぎる。一度行った時に、こんな奴を連れて来るって言って、それで良いっていったらにして下さい。」 何しろ薔薇十字社版『男の死』は当初、三島と画家の二人の写真集として企画された物だからである。画家が足を怪我している間に、三島はとっとと撮り終え、とっとと逝ってしまった。

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自宅で飲む時は昔から、アルコールは一切割らずにどんな酒だろうと生のまま飲んでいる。特に年齢とともに明け方何度もトイレに行くように
なり水分の取り過ぎは考えものである。 しかし外で飲む場合は、好き勝手にマイペースで飲む訳にもいかず。足並み揃えないとならない。 酒を飲み始めた頃、工芸学校が年上ばかりなことに甘えて、好きにしていたが、仕事を始め、初対面の人や親しくない人と飲むようになったらそうはいかない。そこで編み出した方法は、飲み始めてしばらくすると、メンバーの中で、一番酒の強そうな人は見当が付く。その人をペースメーカーに、付かず離れず飲んでいれば、空気も壊さず、割り勘なのにあいつばかり飲み過ぎだろう、と思われているのではないか、と心配することもない。なんだか集団でケンカする時のコツのようではあるが。欠点は気を使った分、家に帰って不足分を補う必要がある。おかげで一人独走し、恥をかくこともない。そんな訳で人と飲む時は炭酸水やホッピー等で割りながら、周囲と共に歩む事になる。  ところで、かつて〝ブルーホッピー〟があった事を知る人はいないだろう。戦後代用ビールとして登場した時から栓を抜き続け、先年亡くなった煮込みの名店の女将さんに聞いたのだが、瓶か足りなくなり、一時セブンナッブの瓶を代用していたが、それでも足りなくなるとインク瓶(当時大型の瓶があったのだろう)を使ったそうだが、洗浄が足りなくて青いホッピーが出てきてビックリしたといっていた。

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ふむ

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陰影を出さな手法には、この調子で同じように、人物を撮るためにどうしたら良いのか、最初の失敗で判った。失敗はするものである。 外国製のスーパーマット、スーパーフラット、ウルトラピグメント、と書かれた黒色塗料をいただいた。輪郭以外フラットに塗りつぶしたようになる、と聞いていた程ではなかったが、かなりの艶消し効果であり、カメラ内部に塗って反射を防ぐには最適なマットブラックであろう。アクリルなので使いやすい。なんで今、全くたまたま私の手元に現れたかというと、人形の髪にこれを塗れということだ、とすぐに判った。太宰を実物の女性とすぐ横で共演させた際に、粘土と人毛の質感の違いに、自分の髪を撮影し、太宰に貼り付けた事があった。陰影を無くすということは、同時に艶も無くさなければならない。最初は鉛筆、最近は墨汁、ここに来て最黒塗料。こういう偶然、タイミングは決して見逃してはならない。


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酒場の太宰治を考えている。「俺も撮れ」と林忠彦に撮らせたルパンのポーズが自意識満々で、それを含めてそれが本当の太宰治なのだろうが、私が創作する場合はそうはいかない。隠し撮りさながらのカットにしてみたい。しかし太宰の飲み方は陰々滅々とした酒ではあったが絡む事もなく、陽気になることもあった。その代わりに、食い意地が張っていて、その大食らいの様は、見ている人が引く程だったようである。檀一雄は寿司屋で鳥の丸焼きを指でむしって裂きながら、ムシャムシャと食っては飲んだ狂乱の姿を見て「頭髪を振り乱して鶏をむしり裂く姿は悪鬼のようだった。」 また味の素好きで「ぼくが絶対に確信が持てるのは味の素だけだ。」鮭缶を丼にあけ、無闇と味の素を振りかけて食ったらしい。私はこの話を読んでいながら口中にある記憶が蘇った。子供の頃、お隣に勝手に上がり込んでテレビで鉄腕アトムを観ていた。アトムが科学の子供だから、という訳ではないだろうが、ちゃぶ台の味の素を手のひらに高さ一センチほどの三角錐。目はテレビを見たまま放り込んだ。これをかけて美味しくなるなら、当然これ自体相当美味しいに決まっている。その時の一撃は未だに口中の記憶として残っている。もっとも私は何かに当たったとしても、たまたまだと思うタイプで、男によくいるが、二度と食べられなくなる、なんてことは全くない。私は制作において、もっともっと、とついやり過ぎる傾向があるが、物事には程という物がある、と最初に学んだのはあの一撃だったような気がしている。


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『男の死』の個展で、三島由紀夫が最晩年九州に調べに出かけた『神風連』(しんぷうれん)を題材に、神風連の乱を制作した。電線の下を通る時は扇で頭を隠し、すでに鉄砲の時代に西洋文明を拒否し、刀で戦ったような人々である。神風連の乱の場面で三島には切腹してもらったが、映画『憂国』で三島がそうしたように、豚モツを使用したが、ここが写真である。生々しい。展示にはどうか、とその部分を暗くした。その程度で自己規制してしまうようでは、やりたいことを続けるには大リーグボール3号(陰影を消す手法)を編み出さなければ行き詰まっただろう。まさに必要は発明の母である。 陰影のない手法ならば生々しさは消えるだろう。陰影がない代わりにヌメ々の質感も消える。 前から考えていたのは三島や乱歩が好きだった血みどろ絵調で、阪東妻三郎の無声映画『雄呂血』のように捕り的に囲まれ追い詰められる侍、と言う場面である。市ヶ谷の総監室での捕り物にしても良いが、あそこで相手を傷つけたのは三島の方である。ここまでこんなことを考えておいて今さら何を、と言う話しではあるが、こだわりというのはそうした物である。作れば良いという物はではない。俺を汲み取り人にしておいて何を言う、と三島にまで言われそうだが、あなたが彼になりたいなんてお書きになるからですよ。肥桶からこぼれるのを糞尿でなく血にすること、私にしては、思い付くまでちょっと時間かかってしまいましたけど。


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お宮参りの写真が出てきた。私も母もその先に起こることは何も判ってない。 それにしても、あの父と母で何故私のようなのが出来たのか。ブレンドの妙、悪戯としか思えない。この後八年程で私の成長が止まり(完成したともいう)手にする物こそ鉛筆クレヨンから粘土カメラに変わったものの、無段階のまま、こんなことになってしまった。台風で幼稚園が休みの日、佃の渡し船の絵を描いていて、煙突のマークが判らなくて、同じ物がある、と嵐の中止めるのも聞かず、マンホールの東京都のマークを見に行ったという。どうも聞いていた子育てとは趣が違う、という母の戸惑いは今だから解るが、生まれたと思ったらこうなっていたから、私には何の責任もない。 その後父が脱サラするとは思いもよらず、結局父が亡くなった後も母は八十過ぎまで一人で工具屋をやることになった。私は子供の時からそれを見てきているので、もし妻子がいたなら、新しい作風、テーマに挑戦したくても出来ずに悩み、酒場の多くの妻子持ち同様、素面で家に帰る気にならずダラダラと無駄に飲んでいることであろう。工事の音がする、と工事現場で三島由紀夫が死んでいる所を撮りに行く、などとは言い出せず、そんな私に限ってどうせ勘ばかり働く女房を貰ってしまって目ざとくカメラを見つかり、台風の日の幼稚園児のようには行かず。一枚も売れなかった『男の死』をまたやると未だに言い出せずにいるだろう。つまり結局なるようにしかならない、と言うお粗末である。


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昨日服を買いに行ったおり、鏡を見て白髮があまりに増えていてびっくりした。部屋の片付けが私にこれほどダメージを与えていたとは。もともと白髮が少なかったので、まあ年齢並みといったところであろうが、それにしたってツケがまわったということであろう。 これは早急に制作に入らないと、どんな変調をきたすか判ったものではない。片付けが終わった訳ではないが、先が見え、途方にくれる時期は随分過ぎた。律義な泥棒が引き上げた後ぐらいにはなったろう。 室生犀星の頭部、寒山拾得の寒山か豊干禅師の頭部、禅師の乗る虎、三島由紀夫の撮影用身体、太宰治の撮影用と展示用身体。出来れば全部並行に制作したい。自動的に気分転換になり、目が慣れることを防ぐことが出来る。これが始まったなら、黙って私の背後に立つ事は何人たりとも許されない。それが嫌だったら玄関に鍵をかけろ、と言う話しであろう。

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外国製の世界一黒い塗料を頂けるそうである。塗ると輪郭の内側は光を吸収し、ただフラットな黒になると聞いた事があるが。記憶違いかもしれないが新東宝辺りで光を完全に吸収するのと反射するのと研究する二人の博士が出て来る〝透明人間物〟を 子供の頃観たような気がする。ナントカ博士、ナントカ人間物はまず逃さず観ていた。勿論、怪奇、恐怖が付いたら勿論のこと。   そんな癖から入手していた雑誌に大正時代、九州の死刑囚の執行直後に、取ったデスマスクがその罪状と共に、載っていた。私は悪かろうが偉かろうが、何かをやらずにおれない、という人間に興味があり、芸術家も犯罪者も等しく調べていたことがあった。誤解を恐れずにいえば、そんな 連中にしか興味がない。そう考えると三島由紀夫はその最たるものであろう。 ところで  死刑囚のデスマスクを取ったのはドグラマグラのモデルにもなった九州帝大のhttp://kimiaki.sakura.ne.jp/9dai-dogumagu.htm高山正雄(スマホにリンクの入れ方が判らず)であり、こっそり所持していたのを退官のおり役立ててくれと後輩に託したものらしい。東大医学部の標本室を見学したことがあるが、これらが一体何に役立つと言うのか、甚だ疑問ではあった。面白かったけど。

   

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