明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日は途中でねてしまい、目が覚めたら圓朝にうっすら明け方の光が。私の場合、月光さす夜の場面も日中に撮ったりウソばかりなので、遮光カーテンなど何十年も使っておらず、どこにあるかも判らない。よって本日。 明治の寄席風景は、手前に圓朝、背後に牡丹灯籠のお露とお米と考えていたが、いっそ牡丹灯籠を中空に漂わそうか、と決めかねている。お露が決まらないせいもあるが、このコンビは後にまわす。 今回の手法は、手書きの鬼火を背景に配したが、その平面的な背景に、普通の陰影の人物像が入ってくれない、というところから始まった。ところが3カット目にして今度は逆のことで困った。大正、昭和と、浮世絵のように彫師、刷師との分業を復活させた新版画というものがあり、川瀬巴水が代表する夜景が素晴らしく、屋内から漏れる灯りをやってみたい、と背景を作ったが、ところが陰影のない人物像に漏れる灯りが当たる、という矛盾が生じることになる。新版画でも美人画などはまったく陰影がないし、巴水の人物は背景の一部で小さい。夜景で知られる北斎の娘葛飾応為の作は、ほとんど西洋画法である。どうもこれはアンタッチャブルなゾーンだったようである。しかたなく、昔からやっていたように、ここに圓朝が立っていたらこういう光が当たっていただろう、よりはフラットだが、寄席の灯りは当たっている、というような、苦肉の策を取ることになった。避けるべきモチーフを3カット目に持って来てしまった。初めたばかりである。試行錯誤はいたしかたない。



鏑木清方作三遊亭円朝図へのオマージュ」出品中
「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
2017.05/20(土)~2017.06/02(金)
平日11:00~19:00 日祝12:00~18:00 

HP

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撮影時に書いたが、陰影を消して撮影してみたら、着彩のムラが見た目以上に出てしまい、せっかく顔や手は下地と上塗りとやったのに、べた塗りしなおすことになった。陰影を消してべた塗りならそれこそ日本画のようだが、実は身も蓋もなくて不自由だ、と悪口?をいっているカメラ、レンズが、身も蓋もなく、ちゃんと立体感を描写してくれている。つまり最初に造形した立体感は、陰影を消したからといっても写っており、由来はやはり立体なのであった。でなければ絵で描け、という話である。 それにしても様々な感想をいただくが、まことを写す、という意味の写真という用語を蛇蝎のごとく嫌っている、と常々いいながら、実はこうなっているからまことのはずだ、という錯覚を利用しているのは実は私自身なのである。つまり写真はまことが写っているものだ、と思い込んで貰っている方が都合が良い。さらに写真とはこういうものだ、というイメージがあればあるほど圓朝は写真に見えない。 なんだか手口を明かしている詐欺師の告白みたいなブログになってしまったが、結果としてそうだな、という話で、たんに後付けに過ぎない。その手口の一つであるオイルプリントは、先日のワークショップに参加していただいた方々にも楽しんでいただけたようである。詐欺師冥利?に尽きるというものであろう。 本日中に圓朝3作目の明治の寄席の前に立つ圓朝の撮影を済ませたいところである。


「鏑木清方作三遊亭円朝図へのオマージュ」出品中
「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
2017.05/20(土)~2017.06/02(金)
平日11:00~19:00 日祝12:00~18:00 

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酔っぱらってケガして救急車に8回、パトカーに2回乗った懲りない人物がいることを書いたのはつい最近のような気がするが、9回目の救急車となった。目の上を縫い、激闘後のボクサーのように腫れている。このオヤジのいうことを信じるならば、アパートの階段でこけた、ということで地面にはおなじみの血溜まりができていたそうだが、今年になって引っ越しを手伝った際、急で浅い階段に、間違いなく蒲田行進曲やるぜ、と予言しておいたが案の定、という訳である。しかし以前階段で転んで、とべそかきながら夜中に電話があったが、実はコタツの角だったことがあるから、酔っぱらいの記憶は怪しい。この人物には恥という感覚がなく、もう救急車には乗らない、パトカーには乗らない、と67歳になっても繰り返している。それが健康診断で再検査、といわれただけで泣きながら、そこらじゅうに死にたくない、と電話しているのだから笑止千万である。私だったら恥ずかしくて救急車2回目あたりで郷に帰っているが、こういう人は田舎と東京は違うと思い込んでいるから始末が悪い。どこでも一緒である。 家の中で酔っぱらってコタツの角に額をぶつけて大流血。数十針縫って“へ”と刻印されている。何年も前なので、もう判らないでしょ?というから、いつか粘土を額に押し付け、コタツの角だけに見事に直角なへの字を突きつけてやろうと考えている。

「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
2017.05/20(土)~2017.06/02(金)
平日11:00~19:00 日祝12:00~18:00 5/28(日)休廊

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オイルプリントは祈ることが必要と書いたが、その気持ちが左右し、案外比喩でもない。インクを着けるのも剥がすのも、ブラシで叩くのは同じである。おそらく高速度撮影でもしない限り、見ていても違いが判らないだろう。着けようと思って叩くのと、剥がそうと思って叩くのでは、手先の神経に微妙に伝わるものである。これは丁度コックリさんが動いて欲しい、と思うことが微妙に指先に伝わる、ということに似ているかもしれない。できるようになってみると、テキストでは表現はなかなか難しく、過去に文献のみで再現に挑んだ難しさを改めて感じる。 その代わり知らない分、独自の手法となり、初めてネットの動画でブロムオイルの老作家が大きな剛毛ブラシを逆手に持ち、乱暴に叩いているのを見て仰天した。モノクロ印画紙を漂白してプリントするブロムオイルと違い、ゼラチン層の厚い石塚式オイルプリントでは剛毛ブラシであんなことをしたらゼラチンが破壊されてしまう。その代わり、画材店で容易に入手可能な染色用ブラシは、代用品のはずであったが、その毛先の柔らかさが功を奏し、最後の仕上げで触れるか触れないか、というフェザータッチのブラッシングで、コントラストが上がり微細な調子が現れる。石塚式独自の醍醐味は実はここにある。一人奮闘していた時は、ブラシの使用法には様々用語があるが、話し相手がいなければ用語など意味をなさないことに気付いて苦笑したものだが、今後ブラッシングの用法を伝えるには必要になってくるかもしれない。

「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
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自分の人形すらまだ自分で撮影していない頃、オイルプリント制作を始めた。本業の人形制作を放ったらかしにして、廃れた技法の再現に挑んだ。写真家になるつもりもなく、こんなことをしている場合ではない。と思いながら止められなかった。であるから画が出たら即止めようと決めていた。当時を知る友人は何を血迷ったか、と呆れるばかりであった。実際、ただやりたくてやっていたので画が出始めて封印した。それがそのうち自分の作品を自分で撮影するようになり、個展を開くようになった。だったらあれでやってみよう、と数年経って封印を解いた。 それ以来である。何か突き動かされ、やらずに居れない場合、性能に難がある表層の脳で判断するより、まずやってしまえ。人間も樹木と同様、自然物。内から湧き出る声を聴いておいて損はない。よって新たな手法により制作した三遊亭圓朝像も、私はいったい何をしようとしているのか、ブログを書きながら少しづつ検証しているわけである。 ゼラチンを厚く塗布した用紙を使う“石塚式オイルプリント”は、始めての人でも、おそらく子供でも画が出る。参加者の方々全員、それぞれのプリントを制作されていた。私はそのように画が出るには数年かかっている。もっとも、ピアノは誰でも音は出るが弾けるというのとは別、というところも体験していただいたろう。この技法を公開するのが、2000年にHPを立ち上げたそもそもの理由だが、それでも普及しない理由といえば、写真愛好家が写真制作を愛するのは、何を何グラム、何が何分によって起こる化学的変化の妙ではないだろうか。そう考えるとオイルプリントは写真技法の中では珍しい、写真的教養はあまり必要でないかわり、ひたすら完成を“祈る”ことが重要な技術である。



「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
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オイルプリントワークショップ
終了

2017年5月27日(土)13:00~
アトリエシャテーニュ・オルタナティブスタジオ
オイルプリントについてはHPをご覧下さい。
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西洋の陰影、遠近法を日本人は日本人的勤勉さで取り入れて行ったが、何かを取り入れたら、代わりに何かを失うということはあるだろう。私のハードデイスクは容量に問題があることもあり、それを恐れて要らない物を見ない学ばないことに昔から結構気を使ってきた。情報過多のこの時代、自分の身は守らなければならない。それはともかく。 逆に印象派の画家たちは浮世絵の影響を受ける。日本人より冷静な受け入れ方のように見えるが熱狂的なのがゴッホである。弟への手紙でも書いている。「たとえよそより高くつくとしても、南仏にとどまろうというのは、そうだろう、みんな日本の絵が好きで、その影響を受けている。これは印象派画家ならみんな同じこと、それなのに日本へ、つまり日本に相当する南仏へ行こうとしないだろうか。だから、なんといっても未来の芸術はやはり南仏にあると僕は思う。 君がここでしばらく過ごすといいのだが、そうすれば、このことがよくわかるだろう。しばらくすると見え方が変わり、もっと日本的な目で見るようになり、色も違った感じがしてくる。』 そういえばあんたの絵もどちらかというと陰影無し派だな。

「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
2017.05/20(土)~2017.06/02(金)
平日11:00~19:00 日祝12:00~18:00 5/28(日)休廊

オイルプリントワークショップ参加者募集中。残り1名。
2017年5月27日(土)13:00~
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度々書いていることだが、こう見えて私は不器用である。今回鏑木清方へのオマージュということで清方の円朝図と同じ構図で制作したわけであるが、そこで同じ位置に、筆でサインとハンコを押そうと思い、ハンコを自分で彫ろうと試みた。清方の作品はかなり大きいが、私の作品の縮尺にあわせるとハンコも小さく上手くいかない。印材は柔らかく、失敗すれば、紙ヤスリで削ってやり直せば良いのだが、どんどんチビていく。それでもなんとか作り画廊に向かった。ところがサインの墨がへんに滲み、それに動揺し、ハンコも曲がった。なれないことはするものではない。一カットは買っていただいているし、そもそもカッコ悪くて、そのまま展示する訳にもいかず、直前に来てくれた田村写真の田村氏に再プリントを依頼、Fさんが届けてくれ事なきを得た。鉛筆だろうとなんだろうと本日はサインを入れる気にならず。  近所の老舗飲み屋にクーデターが起こり、絶縁の貼り紙とともに常連が出禁となった。ところが現女将は常連がボイコットをしてうちを潰そうとした、と客にいっているという。自分で書いた貼り紙をすっかり忘れてしまったらしい。前女将は隠居状態だし、有名だった煮込みもない。残るは防空壕が残る店の風情であったが、そこにもついに手がはいり、木に竹を継いだようなブラックジャックの顔調な様相になってしまった。本日は落武者となったかつての常連に集まってもらい、乾杯の後はこれで諦めもついたとばかりに盛り上がった。芋焼酎に馬づくしを堪能し、カラオケまで。

「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」刊行記念展Ⅰ
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先日、頭の中のイメージに陰影がないのに気付いてビックリしてしまったが、つまり江戸川乱歩先生曰くの“夜の夢こそまこと”の私のまことには、そもそも陰影がないということになる。頭の中のイメージを取り出すのが私の創作行為だ、などといっておきながら実に不誠実であった。せっかく石膏デッサンも十代の頃に30枚くらいしかやったことがないのに、そんな私ともあろうものが、ここがこうだったらここにはこんな陰影が、などと常識顔して長年やっていたことになる。 アンリ・ルソーが正確に陰影を描けたなら、あの世界はなかったろう。“あんたの頭の中にも陰影がなかったんだな”。よってたまに影を描いたと思ったら興味なさ気に申し訳程度である。陰影がないからこそ浮世絵同様、遠近感からも開放されている。これは整合性云々言われながらも、独自の世界を築いた江戸川乱歩の世界のような物で、陰影、遠近感を云々していたら乱歩の世界は理解できない。私は浮世絵師やルソーの絵筆と違い、まず立体を作るので、あくまで“身も蓋もないツール”であるカメラ、写真という手段でやるところに面白さを見いだしたい。間もなく人物写真でもこの手法を試すことになろう。そもそも陰影がないのだから不自然もクソもない。いよいよ私の念写も正確性が増してきたといえよう。
(明日夕方前には青木に出向く予定です。)

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HPを開設してからながらくトップページに“ピクトリアリスト”とうたっていた。しかし、今でこそ古典印画法を試みる人が増えたが、当時は誰にも伝わらないだろう、といつか消してしまったのだが、復活させよう、と思っている。ウイキペデイアで、ピクトリアリズムの項を久しぶりに見たら、『アルフレッド・ホースリー・ヒントン は、写真がリアルなものを写している、という考えへの異議申し立てとして勃興した印象派絵画の理論を導入して、逆に写真そのものを本来の事物に近づけるためにそれらの手法を用いようとしたのであり、単に古典名画から構図を借りたという類のものではないという反論を行った。』今見ると、私がいっていることとほぼ同じである。写真は真など写さない。 思えば写真を始めて以来、人形という虚構にさらに虚構を重ねて、私なりのリアルを表現する、ことをずっと続けてきた。そういう意味ではオイルプリントが最強の最終手段だと思っていたが、圓朝により成功した新たに得た手法により、重ねることと一味違う手段を得た気がしている。単に被写体から陰影を消しただけだが、いずれ何か手法に対する名前を考えたい。  先日オイルプリントの早回しの動画を公開していただいたが、海外からあんたの秘密はなんだ。随分簡単じゃないか、と書き込みがあった。石塚式の秘密はゼラチン層を厚くしたことにある。簡単に秘密を明かしてたまるか、といいたいところだが、単に英語が出来ないだけなのさ。17年間もHPで方法を公開しているのだ、あんたらもたまには日本語訳しなさい。

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鏑木清方の圓朝図と同じところに筆でサインとハンコを押すはずが初日に間に合わず。 青木画廊の歴史がつまった『一角獣の変身 青木が郎クロニクル』本日のオープニングには皆さん集まるだろうから、と各掲載ページにサインを貰おう、と金のペンを持って行ったが、面識がある方が少ないので、アーテイストと客の区別が付かず。それでも随分いただいた。本書の記録を見て解ったのが青木画廊で初めて観たのは83年の四谷シモンさんの『解剖学の少年』が四谷シモンさんが自らゼンマイを巻くのを目撃したのがそうだったらこれが初だろう。だとしたら次は84年の「杉原玲子遺作展」か。これが酒を飲んでる人等に背を向け、壁面を二周して帰った展覧であった。その中に御本人がいたつもりでいたが、今見ると遺作展となっている。シモンさんは会場を出たら向こうから黒いロングコート姿でユラリというイメージで歩いていらして、慌てて戻って著書にサインをもらった。人見知りの私は一緒に行った友人に頼んだのだが。 私の作品は147Pの江戸川乱歩『盲獣』。合成ではなく、ヌードに乱歩を置いて撮影した。工夫といえば、太腿のカーブに合わせるため乱歩のそでは布にした。今回はもしかしたら、今後作風を変えるかもしれないきっかけとなる『鏑木清方三遊亭円朝図へのオマージュ』を急遽出品した。周囲でもこの手法を理解してくれているのは田村写真の田村さんくらいしかおらず、単に日本画調にしただけのように思われるか、と懸念していたが、さすが青木画廊に集ったアーテイストの方々。何人かに適切な反応していただき喜ぶ。来廊者の中には画材は?という人がいたが、すべてカメラで撮影した写真である。いわれなければ私でも画だと思うだろう。次回顔を出すのは火曜日の午後の予定である。

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立体を作る、ということは陰影を作り出すことにほかならず、撮影時にはその陰影を生かすために光の状態をああだこうだし続けてきた、何しろ陰影こそが立体の特徴、生命といえるだろう。それが自ら作り出した陰影を排除することになろうとは思わなかった。 ここ数年、浮世絵、日本画の発想、自由さなどが気にかかり、羨ましくてしょうがなかった。身も蓋もなく写ってしまう写真という手段の不自由さに制作を諦めることも多く、少々辟易としていた。そこで自ら作った陰影を排除したら、西洋絵画、写真などの不自由さがなくなるのではないか? 子供の頃に、頭に浮かんだイメージはちゃんと在るのに、これはどこへ行ってしまうんだろうと不思議に思っていたが、そこで頭に浮かんだイメージを取り出し、やはり在ったな、と確認することが私の創作行為となった。ところで本日、永代通りを歩いていてふと、私の頭の中のイメージには陰影がない!ということに初めて気付いて、危うく持ってる荷物を落としそうになった。そりゃイメージの中に陰影がないなら、取り出して陰影付けちゃダメだろ?

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27日のオイルプリントワークショップの準備とデモンストレーションのために八丁堀のアトリエシャテーニュ・オルタナティブスタジオへ。オイルプリント紙(ゼラチン紙)は田村写真謹製のを使えるのでハードルが低くなり、小学生でも絵が出る。ただしピアノは誰しも音は出せが、上手く弾けるかは別の話である。この技法は、デジタルで拡大ネガを作ることを別にすれば、写真的教養はたいして必要がない。素人同然だった私はよくこの技法に出合った、と未だに感心するのだが、逆にいえば何が何パーセント、露光時間、露出が、という写真的教養を持って制作する人にとっては、教養があまり役にたたない。つまり写真的でないのが手がでないところだろう。もう一つ、細江英公がある講演でいっていたが、印刷での再現性が悪いので絵の具を使うピグメント法は伝搬力に乏しい。大正時代はやったのは、写真展で実作を見れたからであろう。2000年に技法公開のために開設した当HPだが、当時は今とはネット環境も違い、とにかく画像は軽く、という時代でなおさらモニターでは伝わらなかっただろう。メール一つ来ず、私に続いて始めた人も聞かない(試した人は結構いるようだが)一時はオイルプリントでの個展を連発したが、出版やフリーペーパーの表紙を担当してしばらく休んでいたら、その間に時代はデジタル全盛となり、その反作用で古典技法花盛りとなっていた、久しぶりにオイルにより個展を開催し、作品を見てもらうことができた。広沢虎造もいっている「待てば海路の日和あり」。ところで今回のワークショップはどこかの財団が主催のようだが、アトリエを提供している方に挨拶したら、1999年九段下の画廊でオイルプリントの個展をしたとき、朝から晩まで同じ質問をされ、受付の方が笑いをこらえていたが、その中でも特に熱心に質問され、私にホームページ制作を決心させた方々のお一人であった。

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青木画廊に合いそうな作品はエドガー・アラン・ポーぐらいしかない。二時に到着し、できたばかりの「一角獣の変身-青木画廊クロニクル 1961~2016」を見る。青木画廊の歴史が詰まっており読み応えがある。私が初めて訪れたのは70年代の終わりか80年代の初めだったが、出不精もいまほど重症ではなく、情報誌を持って画廊巡りをしていたころである。作家が関係者と酒をを飲んでいるのに背を向け、壁にかかつた作品を一、二周して帰ったものである。 高松潤一郎さんがみえたので本にサインをいただく。第3世代/新世代などに分かれており、編集者が拙著『貝の穴に河童の居る事』の編集者でもあったので、「タッチの差で新世代じゃなく第3世代に入れやがったな」。とメールをしておいた。もっとも三遊亭圓朝が引退した歳だから新世代は無理があるが。あちらは脳病が原因であった。 今回は新手法による、できたての「鏑木清方作三遊亭円朝図へのオマージュ」も出品する。今後これ以降、すべてこの手法で行くのかどうか。まずは初披露である。

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季節はまだ早いが扇風機を引っ張り出す。牡丹灯籠に仕込んだライトを着け、扇風機で扇ぎ、空中を浮遊させる場合にそなえてユラユラと。足がないということになっている幽霊に下駄を履かせ、カランコロンと登場させる演出は秀逸である。これがなかったらゲゲゲの鬼太郎の主題歌も変わっていただろう。 このカランコロン♪だけでいいから圓朝の声で聴いてみたい。アメリカから録音隊が来日したおり、便宜を計ったのが、元祖“ヘンな外人”イギリス人の快楽亭ブラックだが、圓朝の晩年、関西から乞われて、弟子等をつれて興行した中にブラックも混ざっていた。圓朝を差し置いてクセのあるヘタクソな録音を残している。自分はいいから、まず大名人圓朝師匠の録音を、となぜいえない。九代目團十郎はぎりぎり菊五郎と映像に残されているが、自分が生きている間の公開は許さなかった。圓朝は旅行の際に、当時珍しかったヘルメットを被っていた、というから新し物好きだったに違いない。気が利かないブラックが悪い。

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ずっと寝っぱなしだった母は食欲ももどり、送迎車に同乗しショートステイへ。私と同居を始めた時はげっそり痩せていたが、同居以後相当太り、床に座ると自分ではなかなか立てない。このまま食べたいというものを食べさせつづけていたら大変なことになるだろう。本日もなんだかんだと小競り合いを続け、ホームに着いたら身体チェックで低温火傷がみつかる。本人はけろっとしているが明日また来て、皮膚科に連れて行かなければならなくなった。 鍵盤の間にブルースがある。というが、本日のブログの行間には、そのままはとても書けないブルースがある。唯一良いことといえば、そのブルースから逃避するため集中力がいやおうなしに高まり、アイデアは冴え、目はランランと輝き、想定していたより作品が良くなってしまったことである。これを母のおかげ、といって良いものかどうか。また上手くしたもので、相手が幽霊だヒトダマだ、と現実から逃避するにはもってこいの対象である。 青木画廊用に額装した作品を受け取り、月末のオイルプリントワークショップの準備などし、母との前半戦のこともあり疲れた帰りの車中。ショートステイの担当者から母が熱を出し、足の火傷やむくみもあるので、病院へすぐ行った方が良い、との連絡を受け、行くとそのまま入院となった。母が点滴を受けながら「私がいないと寂しいでしょ?」というので「俺を笑わそうとしていってんのか?」付いて来てくれたショートの担当者が私の代わりに笑った。
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