明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



父が真言宗から宗旨替えして浄土宗の墓に入っているので、永代供養をお願いに、母と共に、奈良の長谷寺に向かう。母は始め一人で行くといっていたが、長谷寺を調べると400段近い石段などがある。まさかそこを上り下りはしないだろうが、膝が悪く、杖をつくことが多い80の母を一人で行かせるわけにはいかない。おかげで私は親戚内では、すっかり孝行息子ということに。 近鉄線の長谷寺駅は、数駅手前に江戸川乱歩の生誕地名張がある。せっかくそこまで行くので、私だけ名張で下車し、夕食時に母と旅館で合流することにした。『名張人外境』の中相作さんとは『大乱歩展』のオープニング、翌日の大宴会とお会いしたばかりであったが、名張まで行って黙って通り過ぎるのも愛想がない。お知らせすると、赤目四十八滝をご案内いただけることに。名張駅は数年ぶりだが、多少変わったような変わらないような。目立つのは『魚民』があることだったが、まさか翌日、ここに入ることになるとは思ってもいない。中さんには駅前で、名物の『なばり饅頭』を土産にと買っていただいた。  滝は入り口‎の日本サンショウウオセンターを通って行くようになっているが、保護色だわ動かないわで、水槽には水と砂利以外、何も‌入っていないように見える。紅葉にはまだ早かったが、滝の姿はバラエティに富んでおり、観光客も多い。いくつかの滝を巡りフィルムに収める。土産店が並ぶあたりでお茶を、というと中さんの顔でお茶と団子がサービスで出てくるので、もう十分であったが、車の中さんはコーヒー、私は、軽くアルコールをいただき街中へ。『リバーナ』に駐車し、ちょうどお祭りの街の中心部へ。まだ日中だが、屋台はすでに店じまいの様子。人通りはまばら。普段、これだけ人が集まることはないそうで、缶ビールを飲みながら、これはこれで贅沢な旅のような気がしてくる。初瀬街道沿いの、旧い酒屋で試飲をさせてもらっていると母より電話。乱歩に関心がある人と会った話をするので、てっきり旅館の主人の話だと思っていたが、後で聞くと、すでに長谷寺に連れて行ってもらっており、そこで会った、若いお坊さんを指導する立場の方が、名張市はもう少し乱歩の扱に対し云々といっていたという。その後我々も車中にて、乱歩の扱い云々その他あれこれ話しながら、中さん宅へお邪魔し、ビールをご馳走になる。壁の作り付けの本棚を拝見。整然と整頓されているが、すでに他の本が入る余地はないようである。奥さんに駅まで送っていただき長谷寺駅へ向かう。駅前は真っ暗で何も見えない。タクシーを呼び、ワンメーターで旅館へ。母と鴨鍋を食べる。3人前を平らげたが、旅館の人は、ほとんど私が食べていると思い込んでいるに違いないが、そんなことはないのである。翌日6時起きということで10時に就寝。

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背景  


12月配布のアダージョはアイディアを3つ考えたが、人を4人配する案は、先方のスケジュールその他により断念。4人揃わないなら意味がない。  三島号では山本キッド選手に登場してもらったし、太宰では、酒も煙草もNGなので、知人の女性に登場してもらった。小津安二郎の場合も、佐田啓二の代わりに息子の中井貴一を、と考えないではなかった。小津が佐田にしたように、中井を演出する小津。考えただけで面白い。しかし仮に先方の了承を得ることができたとしても、小津の言葉に耳を傾ける中井貴一を先に撮影し、それにあわせた小津を作らなければならない。今のところアダージョは、ひとつが終る頃、次の特集が決まるので、前もって制作に入ることが出来ない。人形制作から写真撮影、合成作業まで1人で行う私には無理ということで、ものいわぬ赤いヤカンとの共演ということになった。 というわけで、そろそろ特集場所にロケハンに出かけ、二つの案のどちらかに決めなければならない。私の撮影は、人が来ると慌てて物陰に隠れる、ということはしょっちゅうであったが、交通局のフリーペーパーとなれば、正々堂々、公明正大でなければならない。その代わりポケットに入り、シャッター音が小さいカメラを、などと気にする必用はない。
『大乱歩展』の会場写真を2点アップ

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門前仲町近辺に、私の高校時代の友人に後姿がそっくりな男がいる。仕事がら、私が人の容姿についてそっくり、といったならば、それは一般人がいうレベルでなく、とんでもなく似ていることを意味する。(筈である) その男を5年程の間に3回目撃している。2回は門前仲町の交差点で見かけた。交差点を渡った後、どの道に入っていくかも知っている。友人は、現在精神科の医師をやっているが、男は彼の高校時代の姿で現れるのである。実に不思議な光景で、振り向いて、本当に当時の友人だったら、と不安になるくらいなのである。この交差点では、土砂降りなのに、雨に濡れない女も目撃している。(某日2雨に濡れない女)もう一回は永代通り沿いにある古書店の店先であった。その時は真後ろでなく、斜め後ろをこちらに向けていた。私は3メートルまで迫り、頬も見えているのに、依然として彼にしか見ない。くどい様だが、私がそう思ったなら、全くそうなのである。これで鼻さえ見えれば間違うことはない、友人はかなり特徴的な鉤鼻だからである。ところがもう少しというところでに店に入られてしまった。私はそのままスピードを緩めることなく通り過ぎた。そんなことは有得ないし、ドキドキしている自分もどうかしている、という思いが店内まで追いかけることを躊躇させた。  午後2時過ぎ、Tやんラーメンに寄る。ここでは元力士の御主人と、相撲の話や観賞魚談義をするのを楽しみにしている。拙著『乱歩 夜の夢こそまこと』を出版社から始めて受け取った日、帰りに寄って初めて購入してくれた人でもある。アダージョが出るたび届けている。 自転車を止め店内に入ろうとすると、こちらに背を向けラーメンを食べていたのが件の男であった。今日こそは躊躇するまでもなく、椅子に座れば自動的に男の顔を見ることになる。結果はというと、5年間のオチがこれか?ここのラーメン代は貴様が払うのが筋というものだろ!といっても許される程の結末であった。それはそうである。私もこんなことを、なに長々と書いているのだ。“たいしたことが一つも起こらない日常など読まされても迷惑だろうから”と書いたのは昨日のことだったではないか。

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配布されたばかりのアダージョの横溝正史は、顔形が捉えられずに難航してしまった。完成したと思ったら、修正を加え、ということはよくあることではあるが。この雑記には、芸能人じゃあるまいし、たいしたことが一つも起こらない日常など読まされても迷惑だろうから、できるだけ制作に関することを書こうと心がけている。完成、と書いてしまったら、数日のことであったら、とぼけて何もなかったかのようにしているが、連休をすべて潰した今回はそうもいかなかった。そんなこともあったし、別のシリーズも開始したい、ということもあって、今回の人物は少々早めに制作に入った。実はこの人物を作るのは2度目である。おかげで資料は手元にあるし、イメージは頭に染み付いているわで、スムーズにことが運んでいる。そんなわけで、早々に一山越えたという気分で、早い時間にK本に出かけた。台風云々ということもあり、客はまばら。誰もいない常連席に坐ろうとすると、カウンターの上で、小さな段ボール箱に収まっていた猫のオシマが私の顔に頬を寄せてきて、8センチの距離で見つめ合う。『クシャミするなよ』私の膝に前足をかけ、下に下りようかと躊躇している。私には猫の齢は判らないが、最近は流動食を食べさせている、という話も聞いていているから、数十センチの高さを躊躇する状態なのだろう。同じ動作をもう一度くりかえした。人に慣れないオシマにしては珍しいことをする。長いことはないのかもしれない。  結局常連は誰も現れず、そこそこ飲んで帰れば良かったが、私の順調な時の癖で、ポケットには制作中の人形の頭が入った状態である。立ち飲み屋に寄り、T屋に寄り、帰宅してさらに・・・。 明け方目が覚め、メールをチェックすると『誰か死んだの?』というメール。何のことだろうと、送信したメールを見ると『俺は生きるぜ』と送信している。なんのことやら判らない。こんなことは初めてである。もしかすると、オシマの今日の様子を想ってメールしたのか?それにしても件名が『どいつも こいつも』というのは、いったいどういうことなのであろうか。

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横溝というと未だに研究本が出されているように、金田一耕介のイメージが強い。金田一の頭を掻き回すしぐさは、もともと横溝自身の癖であり、作中の設定では背も低いので、いっそのこと横溝を金田一にすることにした。撮影場所は作家、映画関係者が好んで使用したことで有名な旅館『和可菜』の前である。といっても、左側に黒塀がわずかに写っているだけだが。  大正時代、乱歩に誘われ神戸から上京した横溝が住んだ牛込神楽館は、乱歩が住んだ築土八幡からわずか数百メートルの距離で、お互い頻繁に行き来したようである。その丁度真ん中あたりに位置するこの細い路地を、徘徊好きの乱歩が利用しなかったはずがない。散歩ブームの昨今、この路地も人の通りが激しい。当初、平日の人が少ない時刻に撮影しようと考えていたが、ここを『悪魔の手毬歌』で金田一とすれ違うおりん婆さんが、歩いていたら面白いだろうと作り始めると、ただでさえ楽しそうでない横溝と、杖ついてうつむいた老婆では、都営地下鉄のフリーペーパーの表紙としては、妙な空気である。そこで予定を変え、できるだけ横溝世界とは違和感のある、携帯片手に路地を探索中の女の子を入れて、婆さんとのバランスを取ることにした。今の神楽坂と横溝世界の融合という、かなり“腕力”のいる作業であったが、出来てみると、婆さん女の子、どちらがいなくても物足りないような気がするから可笑しなものである。
『中央公論Adagio17号 横溝正史と牛込神楽坂を歩く』

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紀田順一郎先生の記念講演『江戸川乱歩と少年探偵の夢』。スライドを使い、時に笑いを交えてのお話し。テーマのせいもあるが、雨に濡れた眼鏡レンズ越しに拝見していると、志村喬が紙芝居をやっているようである。そういえば、お会いするたび、幼い頃の少年探偵団や、二十面相体験を伺う。 昔図書館に講演に行ったおり、本を整理しているので聞いてみると、少年探偵団は科学的ではない、と子供からのクレームがあり、排除することにした、と。ついでにルパンまで。その日の紀田先生の講演は、その行為に対しての攻撃に終始したそうである。無粋な図書館があったものだが、クレームつける子供も判っていない。きっとプロレスなんて八百長だ、なんていって、学校の廊下で4の字固めを掛けられ泣かされるタイプであろう。大人になって、『俺だったらこうする』なんて勘違いして、乱歩映画作って失敗していないだろうな?  展示会場では『D坂の三人書房』は初日になかった、ショウウインドウの部分をアップにしてトリミングしたパネルが置かれていた。そこには、当然まだ出版されていない乱歩全集や『ドグラマグラ』『虚無への供物』が置かれているのが判るようになっていた。三大奇書のもう一つ『黒死館殺人事件』も置いたつもりだったが、当時の実物を見たことがないので、怪しいかもしれない。 会場で南陀楼綾繁さん内澤旬子さんご夫婦にお会いする。『D坂の三人書房』は初め、それらしい実際の古書店に、作った看板を合成するだけのつもりで、南陀楼さんを含め、『D坂の殺人事件の似合う古書店アンケート』をお願いしたのだったが、乱歩のスケッチを見ていて、正確に再現したくなり、結局アンケートは無駄になり、申し訳ないことをしてしまったのである。当時白梅軒から明智小五郎が古書店の店先を眺める『D坂の殺人事件』の1シーンを作りたい一心であった。  帰りに荒俣宏さんにご挨拶し、明日配布の『横溝正史と牛込神楽坂を歩く』を含め、何冊かアダージョを差上げる。

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一日  


午前9時過ぎ、いつも採り立てのピーマンを届けてくれるSさんが迎えに来る。真向かいの小学校でSさんが育てている菊を撮影して欲しいと頼まれている。声だけ聞いていると坂上二郎にしか聞こえない78歳のSさんは、30年もの間、小学校の植物やウサギその他、ボランティアで面倒をみている。毎年小学生がSさんに感謝状を送ることになっているそうだが、この小学校の図工室でお見合いだか結婚式だかをしたと聞いているから、よほどの縁である。Sさんの案内で校庭に入り、生徒が育てた菊を撮り、学校の裏にある、30年の間、拠点としている手作りの小屋に案内される。プレハブ製の納屋には、様々な道具に溢れ、手製の階段をミシミシと上がっていくと、工事現場用のパイプで組まれ、床に板を張ったビニールハウスになっており、丹精をこめた菊が整然と並んでいる。作業スペースには、熱さ対策の大きな扇風機まであり、不思議な空間。まるでオペラ座の怪人だが、ここに巨大な鐘がぶら下っていれば、ノートルダム・ド・パリである。ロープに飛びつき、満面の笑みで鐘を鳴らすSさんを想像してしまった。 撮影も終わり、屋根裏の散歩者の慎重さで階段に向かうと、私の体重で床がベキッと不吉な音。幸いSさんには聴こえなかったようで、内緒にして階段を降りる。裏庭には、30年にわたる成果、ピーマン、茄子、苦瓜、ヘチマ、枇杷、黒松の植木などなど。懐かしい風呂用ヘチマを土産にもらって帰宅。

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中央公論新社よりアダージョ17号届く。人物を2体作って画面に入れる、というのは初めから決めており、1体は当初、江戸川乱歩を予定していた。しかし、画面の中に背景の情報をいれ、後から文字も入ると思うと、乱歩を脇役として登場させるのは断念した。脇役に乱歩を使うのも粋だと思ったが、誰がみても判る顔ならともかく、ただの通りすがりに見えても残念だし、様々な要素の中で、乱歩を配してバランスを取るのは難しいと判断。老婆に変更したのである。毎回、できるだけ、初めての試みをしたいと考えているが、2体にしようと決めた理由は自分でも不明である。  私はそもそも、理由も判らないまま、何かに突き動かされてしまうタイプである。人間も草や木と同じ自然の物なのだから、内側から何か湧いてくるなら、それに委ねた方が良いと考えており、事実下手な頭を使うより結果は必ずよい。ところがそれに反して、あくまで頭で考え、計画通り進めて目的に達っする人、と見られたい見得のような物があり、理由を後付し、初めから判って作っていた、という顔をしてしまうところがある。雑記においても、後から、私はどうも、こういうことをやろうとしているな、と気付いたあたりで、当初から計画していたことである。と書いてしまう。何故そんなことになるかというと、本能優先で生きているような男が、私自身、大嫌いだからである。人に迷惑かけるのは、大体そんな輩であろう。私のアントニオ猪木嫌いのジャイアント馬場好きも、そんな所に由来しているに違いない。“嫌いな物には、必ず自分の要素がある”と教えてくれたのは友人の精神科医である。こんなこと正直いってどうする、という話だが、今日は乱歩の誕生日。  大乱歩展は未だに隅々まで観ていない、次、いつ行こうかと思っていたら、荒俣宏さんが、10/19会場で写真を撮っていた。後ろには、煙草をふかし寝転がる乱歩像。

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最近、妙なことが気になっている。男がお喋りになっているのではないか。ということである。それも、相手がその話に興味がある、なしに関係なく、そこに何人いようが関係なく、一方的に自分の話ばかりする男達である。酒場においては顕著だが、中には一滴も飲まずに話し続ける輩もいる。周りに話を譲る気もなく、人の話は腰を折り、さえぎり、空間恐怖症のように1人で喋っている。それは若かろうが中年だろうが関係なく増えている。また多くが一生懸命話すほどの内容ではないので、傍から見ると頭がおかしいように見えることさえある。自分で自分を褒め、如何に自分がよくやってきたかを話し続ける。ピストルを自分に向け、俺を見ろ、とTV中継を要求する男がでてきたのはダーティー・ハリーだったろうか。 先日T屋で常連のサラリーマンに挟まれ、両側から大きな声で互いのしたい話をするので、我慢できずに退散した。翌日、初対面の男が隣りに坐った。ビールを注文しながら「煙草吸ってよろしいですか?」物腰柔らかで感じも良い。ところが10分後には、何処の生まれで、奥さんと離婚した理由まで聞かされていた。私は見合いの相手か?私は自分をアピールするのは下品、という30年代の下町で育っているので、気持ち悪くてしかたがないのである。(おかげで表現者としては苦しむのだが)  かつてお喋りは女性の代名詞であった。世界のミフネは「男は黙って~」といっていたし、藤竜也はカウンターの端で黙って飲んでいたものである。喧しい男共はチリトリで集めて、青木ヶ原樹海にでも捨てて、樹木相手に喋っていてもらいたい。

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加藤和彦が首吊って亡くなったそうである。昨日アップした画像がおかしな物に見えてくるが。 『帰って来たヨッパライ』がヒットしたのは、私が小学校の高学年の頃で、子供にはあの逆回転がたまらなく、大人気であった。ヒットが続いたが、誰か1人音痴が混ざってるような気がして、あの危なっかしいところが独特であった。中学生になると、可愛らしいイデミツコというミニスカートの音楽教師が赴任してきて、授業で生徒に『イムジン河』とか、『友よ』を合唱させては悦にいっていた。おそらく学校帰りには、オドオドした寺尾聡や、前髪かき上げる山本圭のような連中と議論していたことであろう。男子生徒には指揮をするたびのシミチョロが評判であった。その頃学校にギターを持ち込むことなど出来なかったので、誰かが壊れたガットギターからネックだけ外した物を持って来て、覚えたコードなどをおさらいしていたが、黒人がボトルの首をカットして、スライドさせて、という話は、加藤和彦のラジオで初めて聞いて、皆で首をかしげた。高校生になりT・REXの武道館コンサートでは、アリーナ席の沢田研二、鈴木博三などとともに覚えているが、ド派手な格好は、対面のC席からも目立っていた。
一度書いたような話だが、9年近く続けてるとこういうこともある。 それにしても首を吊られたホテルはいい迷惑であろう。死ぬのだから後のことは、どうでもいいだろうが、ちょっと気を使うだけで印象は違うものである。何しろ加藤和彦なのだから。

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国立劇場で“人間椅子”佳子、こと義太夫三味線の鶴澤寛也師匠と待ち合わせる。話題の乱歩歌舞伎である。ロビーには乱歩コーナーがあり、『大乱歩展』のポスター。図録まで販売していた。 何度か書いていることだが、乱歩作品を読むと、たちどころにイメージが頭の中に沸き起こるが、これが実にやっかいで、食虫植物の甘い香りに引き寄せられる昆虫のように、様々な人が映像化を試み、多くの場合失敗し、底なしの沼の蜜の中で、うつ伏せになって浮かぶのである。それを養分にして、乱歩の鮮度は保たれ続ける。おそらく決定版が作られることなく、永遠に続いていくだろう。乱歩作品は辻褄がどうの、整合性がどうの、という人もいるし、子供っぽいと評する人もいる。ガードがガラ空きに見えても、それを含め、すべて乱歩が仕掛けていった罠なのである。私はすべて承知しているので、乱歩作品を手がける場合は、乱歩に乗せられないよう気をつけている。私の場合、作中に乱歩本人を登場させるため、本人に似合わないことはできない、という、私だけが持っているブレーキがある。それでもつい、たとえば“絵のように美しい”と書かれた『目羅博士』の首吊りシーンなど、死体役の友人が通風で足が腫れ、撮影が一度延期になったのにも係わらず、誘惑に勝てなかった。  そんなわけで、乱歩作品は、いっそのことミュージカルや、歌舞伎にするくらいで丁度良いと考えている。『京乱噂鉤爪』は前作と違ってほぼオリジナルとして制作されたようである。ええじゃないか、と踊り騒ぐ群衆に、突如襲い掛かる人間豹・恩田乱学。迫力がある。明智小五郎が元人形師だった、という設定には、乱歩を人形化した、私だけが感じるであろう妙な気分。歌舞伎史上初、という人間豹の旋風宙乗りは前転後転するというもので、見応えのあるものであった。明智と恩田の対決をもう少し観たかったし、美女の登場も欲しかったが、今後もさらに期待できる。乱歩は、まだいくらでも歌舞伎化可能であろう。

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一日  


最近は老人のように暗いうちから目が覚めるが、あいかわらず寝たいときに寝て、目が覚めたら起きる。毎日人間は条件が違うのだから、規則正しい生活が良いとは思えないのである。人はなるべく酸化を避けるために、安静にしているのが一番に決まっている、と信じてきたが、ある程度の運動は必用なのは確かなようである。しかし、やはり安静が第一。以前『太陽』の人形愛特集のアンケートの特技に「二日酔いをしない」と書いたが、おかげさまで未だにしない。というわけで、今日もおおよそ元気に、6時になるのを待ってT屋で朝食。 主人のHさんが二日酔いで、人を刺し殺したばかりような顔で、住まいから店に降りてくるのは10時ごろ。それまでは、おそらく“諦め”を由来とする美貌の奥さんと世間話をしながら朝定食。今日は近所の新聞配達の青年が、同僚にかなりの暴力を振るったとかで、茶髪を坊主にしてきた。クビになるかもしれない、とか、務所に入ることくらい云々と、自己顕示欲ばかりの頭の悪いのが横にいると、朝御飯が不味くてしょうがない。いつも数十メートル先の職場の愚痴ばかりだが、東京は狭いので、そんな大きな声で喋る必要がないことを、今度教えてあげよう。
アダージョ次号が出る頃は、すでに12月配布号のロケ場所を考えるため、ネットで検索を繰り返している。3つほど考えたうちの、交渉が必要な案をメールで編集部へ。まあ駄目もとで、ということで。 夕方になり、丸善本店の『人・形展』搬出。タクシーでとっとと帰れる距離なので、実に楽である。玄関に荷物を置き、K本に行くと、森下賢一さんがいらしたので、森下さんに以前から伺っていた『ホイス』を門前仲町で初めて飲んだ話をする。千住辺りでは昔から飲まれているらしいが、味気のない甲類焼酎に、なんとなく味をつけて飲もう、という類のものである。森下さんからウイスキーの話など伺い飲んだあと、スーパーに寄って泡盛『瑞泉』を買って帰る。メールをチェックすると、アダージョの営業サイドからロケの交渉の条件について質問が着ていたので、“その4人”が必用で、一人欠けても駄目。ややこしいようなら、即断わって結構。と返事。

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写真  


先日アービング・ペンが92歳で亡くなったそうである。私のように写真を始めたのが遅い人間が、ペンの作品を始めて見た時、素晴らしくもあったが、日本のコマーシャル・フォトは、どれだけペンの影響を受けてきたか、と驚いたものである。ペンが手を伸ばした、広いジャンルのたった一つにターゲットを絞っていっても、日本ではカメラマンとして生きてこられたに違いない。
先日松涛美術館で観たばかりの野島康三。彼のピクトリアリズムは、大正から昭和に入ると、台頭してきたストレート写真の作家からすれば、サロン的で、老人の古臭い作品だということになっていく。野島は結局、油性顔料を使うような古典的技法をすて、時流に乗った、ストレートなモノクロプリントに移行していくが、ピクトリアリズム時代の力は、明らかに失っていく。戦後、多数の雑誌が創刊され、グラフジャーナリズムの華やかな時代には、ピクトリアリズムは忘れ去られるが、ピクトリアリズムの写真家が、その多くが金持ちのアマチュアであったことも、隠居を早めた原因であろう。 以前、なにかのおり、誰かが「オリジナル写真ってなんなんだ」というのを耳にした。つまり彼は、印刷とプリントの違いが判らないのである。かくいう私も、写真に関心のなかった頃は似たようなものだったが、戦後の焼け跡から今に至るまで、写真家は雑誌に殺到し、写真は印刷媒体のものになってゆき、オリジナルプリントの良さを知らしめる活動を、あまりにもないがしろにしてきてくれた、と後から写真を始めた私には思えた。(バブルの頃、オリジナルプリントが一時注目されたが)写真展を開いたと思えば、ただ仕事を増やすためのクライアントへのアピールであり、プリントを売る気もない。 デジタルの時代になり、写真を撮るだけのはずだった人達が、パソコンに齧りつき、心ならずもアイドルの鼻毛を抜いたり、睫毛を足し、毛穴を消すことを強いられているのは、先達のツケというよりバチが当たっているように私には見えるのである。

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久しぶりにオリンパスXA4を引っ張りだす。85年発売、広角28mm。これは江戸川乱歩シリーズを制作していたた当時、ヤシカエレクトロ35各機種とともに、おおいに活躍してくれたカメラである。ピントこそ目測だが、しっかり写り、シャッター音も小さく、30cmまでの近接撮影が可能である。『大乱歩展』展示中の『D坂の三人書房』も、それを構成する百数十カットのうち、おそらく3分の1はXAで撮ったものである。 ヤシカエレクトロ35は電池が現行の物が使えない機種が多く、アダプターを使う必要があったり、壊れたら修理をするより、数千円で中古を入手する類のものであり、使うには多少覚悟が必用であったが、発売当時、床に落としても壊れないと、その信頼性をアピールしただけあって、撮影中壊れることはなかった。各社大口径の明るいレンズを競い合っていた頃の製品であり、たいていの場面で手持ち撮影が可能である。むしろ心配なのはしまいこんでいた場合で、一台ずつテストしながら現役に復帰させることにする。  発表が可能か未定の連作、結局単なる徒労に終る可能性も大きいので、詳しいことは書かないでおくが、10点前後の連作を予定している。しばらく背景用に、XAを持ち歩くことになるであろう。しかし思えば、このハードな?連作に着手する決心が付いたのも、『中央公論Adagio』の表紙を手がけ、『乾物屋の親父と火星を歩く』でも作れそうな気になったからであり、開始時期は、内藤三津子さんにお会いしてからと決めていた。

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深川不動の『元祖あげ饅頭』にて饅頭を買う。渋澤龍彦、相撲見物のおり、富岡八幡の横綱碑などを見た後、買って帰ったという。携帯電話で時刻を確認すると、すでに待ち合わせの時刻になっていて一瞬焦る。良く見ると日付が3月になっている。修理に出した際、時刻をめちゃめちゃにして返してきたわけだなソフトバンク。待ち受け画面がなぜか、房総で撮ったT屋のHさんが蝦蟇蛙をつかんだ手のアップだったのを、ただの花に換えてくれたのは感謝しているが。  2時の約束で、元薔薇十字社社主、内藤三津子さんにお会いするため新宿に向かう。私は面識のない方に、お会いしたいと手紙までだして会っていただくなど、初めての経験である。事前になぜお会いしたいか、お伝えしてあったので話は早い。雑誌『血と薔薇』の話を中心に、三島、寺山、渋澤、中井などの話を伺う。しかし主題はなんといっても三島である。なにしろ三島自決の数日前に出版契約をかわしていた方なのであるから。  急所を一突きの介錯ならともかく、首を落とすことまで他人にさせようと考えた場合、例え親友にだって頼めるものではない。三島が時間をかけ制服まで作って準備した、あの方法しかない、と思うのですが、というと内籐さんも頷いておられた。伝説に尾ひれ葉ひれは付き物である。「ある人も見たというけれど、それは絶対にない。企画し現場にいた本人の私がいうのだから」。 さてこれで私の気持ちは決まった。発表できるできないは問題ではない。私は作りたかったら誰が止めたって作るのである。小学校の授業中先生に呼び出され、迎えに来た母と向かった某施設。そんなところに連れて行かれたって私を変えることなど出来ないのだ。生まれた時からクレヨンや画用紙、ハサミや粘土、そんなものさえあれば、人に迷惑をかけずに何時間でも大人しくしていただろう。ほっといてくれるだけでいいのだ。クレヨンを握ったまま寝てしまい、シーツを汚してしまったのは、あれは私が悪かったのは認めるけど。

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