明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



丸の内のフジイメージングで行われた、織作峰子さんの二人展の様子がBSで放映され、オイルプリントが映し出された。これは何ですか?と私にはミミタコの言葉が。良いですね。とも。何より安心した。大坂に巡回するそうである。 2000年のオイルプリントによる、第一回『ピクトリアリズム展』の出品作を友人のカメラマンに複写してもらったブローニーのポジフィルムが出てきた。私は昔から作ってしまうと熱が急速に覚め、何らかの形で残しておく、という発想が希薄だったが、おかげで残された。最初期作ではあるが、私の想いは既に溢れていたように見える。8×10インチフィルムと、35ミリフィルムからのイメージセッタの印刷用フィルムによる。パソコン入手から1年あまり、随分斬新なことをしていた。江戸川乱歩の背後には、緊縛されたヌードを合成している。思い出したが、ゼラチンをもっともっとと厚くしたお陰で、この乱歩は波打ったまま売ってしまった。後にはブラシの毛が着いたままの作品さえ。それでも当時の私は、デジタルと毛が着く程の超アナログ技術の融合だ、大正時代の爺ども恐れいったか、カンラカラカラと高笑いをしていた。(勿論心の中で)こんなことをしでかすのは、こんな人間なのであろう。 来年オイルプリントを、手漉き和紙に拡大プリントしてみたい。


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1999年に、アーティストが一人一日づつ個展をするという展覧があり、初めてオイルプリントを発表した時のビデオが出てきた。翌2000年の『ピクトリアリズム展』の予告編のような物で、人形ばかりを被写体としたら、何だか判らないだろうと、解り安くただ撮った、みたいな作品も敢えて出品した。この時重要な出会いもあった。会場にパソコンが置いてあり、会場の様子をネット配信するという試みであった。初めてインターネット画面を見た。ワープロすら触った事がなかったが、翌年の個展では、フォトショップで合成したデータで、印刷用フィルムをネガに、オイルプリントを発表している。人形も作らないでこんな事に熱中している罪悪感から、大正時代のピクトリアリスト(多くは富裕なアマチュア)を倒す位の気概を持ってやったものである。連中と同じ事をしても勝てない。ゼラチンを厚くして階調を出やすく、デジタルも使ってやったぜ!と。デジタル時代の昨今、その反作用か、古典技法花盛りの現在であるが、二十年前にド素人が一人、孤軍奮闘、爆走していた訳である。いずれYouTuberで公開しよう。

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本日も田村写真。昨日に続き焼き鳥を用意いただいてしまったので、ポーランドの、魔除けまた風邪に効果的な薬液を少々。十代の頃、金がなさすぎて、薬局で二回買ってしまった物を思い出した。あれも胃にも傷口にも沁みた。
オイルプリントの技法公開のために2000年にHPを作った。その前年(正確にはそのまた前年に1日だけ披露)のオイルブリントの個展で、初めて見る物に対して良い悪い、好き嫌いの前に、これは何だろう?と、比喩でなく、実際に目に灯りが灯らない来廊者を見て、人のやらないことをするだけなら簡単なことだが、灯りを灯すのは容易なことではないと思い知り、マニュアル本を腹を立てて投げつけながら作ったが、全く反応が無かった。あとで聞くと、試した人もいたようだが、ウンともスンともであった。 その後改良点もあったが、反応があるならまだしも、一人で相撲取っているなら、次のことをやって行こう、とどうしてもそうなる。もし、ゼラチン紙を自製し、試みようという方がおられたら、ゼラチン層を厚く、を心がけていただきたい。'石塚式'オイルプリントとは、単にゼラチン層を厚くしただけであり、結果誰でも画が出るようにしたものである。試みる人が増えれば田村写真でも、ゼラチン紙を作っていただけるだろう。何しろ昔某所でワークショップやった時、当時は寒い時期に作っていたこともあり、ゼラチン紙制作で何人も脱落してしまった。 そういえば、改良点として披露する機会がまだないのが、乾燥後に加える修正法がある。これこそ石塚式だが、実に簡単かつ効果的で、これを早く思い付いていたら、何十枚の作品をゴミ箱から救い出せたことであろう。アトリエシャンテーヌのワークショップの時乾いた作品がなかったので口で説明したが、目で見ないと忘れてしまうだろう。
新HP
旧HP
『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube

『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』深川江戸資料館

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』


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それにしても今回の風邪は長引いている。これが年というものであろう。風邪で医者に行く習慣がないが、以前同じような状態で薬貰ってみたが効かなかった。ただやたら寝ている。8時間以上寝るなんてことは普通ではありえない。効かないといえば、銀座リコーイメージングの個展以来、コンビニでブラックコーヒーを良く買うが、カフェインに関しては全く効かない。体調悪いなか田村写真へ 。オイルプリント。 昼食の時間、弁当を買いに行くというのて、焼き鳥弁当でもあればとお願いする。ご飯はあまり要りませんけど、といったら、のど飴と、焼き鳥を買ってきてくれた。それを見て名案浮かぶ。田村写真には写真用品として、ヨードチンキを常備しているが、ポーランドの、悪魔払いに使いそうなス○リタスという薬液もある。悪魔払いに使えそうなら、風邪にも効果があるに決まっている。新HP
旧HP
『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube

『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』深川江戸資料館

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』


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もし再びオイルプリントによる個展をするようならば、制作のマニュアル本をオンデマンドで作るのもいいかもしれない。本体オイルプリント制作法を公開するのが目的で立ち上げたHPであるが、当時は画像は軽く、といわれていたし、その後の改良点もある。プリント用紙、道具など潤沢に出回っていた時代のマニュアル本と違って、今の時代に試みる、ということを踏まえたつもりである。入手し易い道具、材料を使って私自身、個展を何度もやっている。 私は写真を始めたのがおそかったが、1つには写真がカメラその他、製品に依存している割合が大きい、というところも抵抗があった。それをああだこうだ、と使う側が採点したりしている。他のジャンルを思うと、あまり様子の良いことのように思えなかった。 古典レンズやカメラに詳しい人を訪ねた際に、「いつか写真用品店ではなく、薬品問屋などに通って写真をやる人が現れると思った」。といわれた。そうやって使う薬品にしても製品には違いないが、写真用品と違い製造中止を危惧する必要はまずない。 私のやってきたことに人の役に立つことなど1つもないが、あるとすれば廃れていたオイルプリントという技法を蘇らせ、より容易に画を出せるようにしたことであろう。
現在オイルプリントを制作する場合、ゼラチン紙制作をお願いしている田村写真にて、明日14日、オイルプリントのワークショップがある。私も顔を出すつもりでいる。
プリントの様子はこちら

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

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個展まで約1ヶ月というのに本日制作があまり進展せず。 久しく展示していないモノクロプリントは、田村写真で今は製造していない、エクタルアという印画紙でプリントしてもらった作品がほとんどだが、震災の時に上から落ちて酷いことになった。出品できるプリントがどのくらいあるのか、チェックしないといけない、と思いながら人形の制作と私事のドタバタで、なかなか気持ちが向かえないでいる。 人形制作を放ったらかしてほとんど写真の素人だった私が、昔の文献を集めながら制作をしたのがオイルプリントである。今思うと熱に浮かされたようであったが、ようやく訪れた古典技法花盛りの状況は喜ばしい。これをなんとか知ってもらいたいと2000年から技法を公開して来たが、なかなか後に続く人が出てこない。この技法は他の技法にくらべ、写真の教養はあまり必要ではない。そこも私には合っていたが、普及しないのは実はそこが理由であろう。暗室作業がまったく合わなかった私が写真を手がける人達を見ていてそう思うのである。

『朗読、音楽、スライドで味わう 乱歩と鏡花』予約受付中

深川の人形作家 石塚公昭の世界展

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回 

 

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台湾よりラボをやっている方とスタッフ2人ということで、できるだけ見てもらおうと、作品を持っていく。私が大正時代の文献をたよりに実験を繰り返していたとき、何よりブラシによるインキングの動作を、活字からイメージするのが困難であった。田村さんが私のインキング映像をアップしてくれたものを観てくれ、興味を持ったという。ブロムオイルに比べると、石塚式は、ゼラチン層を厚くした分像を出すのが容易で、ゼラチン層が厚い分、柔らかいブラシでソフトに扱う必要がある。 台湾には、いわゆるピグメント(絵具)法によるによるプリント自体がなく、若い人は関心を持つだろうとのことであった。2000年に技法をHPに公開して以来(リニユーアル準備中)質問のメール一つ来なかった日本でなくて良いから、試みる人が増えて欲しいところである。楽しかったといってくれ、有意義な一日であった。

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一日  


麻布十番で田村写真の田村さんと合流し初台へ『小林美佐子新作展ー陰獣』。ここのところ雑事で展覧会、個展に出掛けることがなかったが、小林さんは、私のオイルプリントの個展に来てくれ、さらにワークショップに参加して、個展タイトルが江戸川乱歩の『陰獣』となれば行かないわけには行かない。会場の『Zaroff』は一階が喫茶店でマニアックな雰囲気。 作品は複合技法によるヌード作品で、オイルプリントはというと、ワークショップ一日での第一作と二作ではないか。しかも初日に一点売れている。文献をたよりに開始から初披露まで何年もかかった私としては唖然とするばかりであるが、小林さんがすでに複数の技法を経験していること。“石塚式”にゼラチンを厚くした田村写真謹製ゼラチン紙が貢献しているのはいうまでもない。それにしても、私がやってきた物が人に伝わり、しかも売れている、というのは思った以上に格別なものがあった。次回のワークショップには台湾から複数人参加するらしい。台湾にはオイルプリントをする人はいないそうなので、伝わっていけばいい。

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転写  


オイルプリントその物を版とし、用紙に転写すれば、今の感覚でいえば写真ではなく版画ということになり、面倒もなくなるかもしれない。 大正時代の技法書によれば、プレス機がなくても、湯飲み茶碗の尻の部分でこすれば充分などと書いてある。もともと昔の人にできて、私にできない訳がない、と奮闘していたので、茶碗でもかまわなかったが、何しろすべては手作りの手探り。不確実なことが多すぎ、せめてプレス機は入手することにした。 ヤフオクで落札したのは木枠に入ったままのデッドストックで、届いてみるとローラー部分は約50センチ。木枠には『内田洋行』とあった。こんな物も作っていたのか。板が欠けていたのでアルミ板で自作し、厚いフェルトも用意した。技法書には三回インキングを繰り返し、プレスせよ。とあったが、石塚式は厚いゼラチン層がたっぷり水を含み、その上にリトグラフ用インクが乗っているせいであろう。一回で充分転写された。

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日本カメラ172Pに飯沢耕太郎さんによる、オイルプリント制作の取材記事を載せていただいた。『次はピクトリアリズム?』作品は江戸川乱歩と黒蜥蜴である。 HPのトップには長らく“ピクトリアリスト石塚公昭のHP”としていたが、通じそうにないので止めたが、いずれリオニューアルの際には復活させることも考えよう。そもそも最初はオイルプリント技法の公開を主な目的として立ち上げている。 様々な技法が淘汰され、写真といえば銀塩という時代に、油性絵具で印画されたオイルプリントを写真と称すのには無理があった。制作した方からすれば、まず感じて欲しいところであるが、“成分”がなんなのか解らず眼に灯りがともらない人達を個展会場で随分見てきた。ならば成分を明かしておこう、という訳である。もっとも読んでもわからないとはいわれるが。 この技法の最初のハードルは紙にゼラチンを塗ることである。それは私も使用している田村写真製ゼラチン紙を使う方法もある。あとは子供でも画が出せる。しかしそれはピアノは鍵盤叩けば誰でも音が出る、ということであり、弾けるようになるには修練を要する。他の技法とは少々使う所が違い、向き不向きはあろう。 ブロムオイルの場合、海外には横着というか合理的というのか、ジグソーを改良し、ブラシでズドドドとインキングする人がいて笑ったが、特にゼラチン層を厚くした石塚式ではゼラチンが壊れてしまう。オイルプリントはむしろ手首の柔らかさがものをいうだろう。そんな技法である。

※6月27日には田村写真にてワークショップがあり私がお待ちしています。

※6月28日まで鵜の木のハスノハナに3点出品中

個展『ピクトリアリズムⅡ』のレビュー artscape

オイルプリント制作法

インキング映像

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私の家がただいま差し障りのある状態なので、麻布十番の田村写真にて飯沢耕太郎さんの取材を受ける。大正時代でさえ手がけた人が少なかった、このいささか冴えないネーミングのオイルプリント法が、活字になること自体が珍しい。『芸術写真とその時代』の著者の前でプリントするのは少々緊張したが、どちらかというと縁日で怪しい実演をするオジサンと、それに見入る少年という趣であった。 このあいだの個展のDMに村山槐多を使ったが、私がオイルプリントを手がけるきっかけになった野島康三は、数えるほどしか画廊が存在しなかった時代に『兜屋画堂』を作った。そこで村山槐多の遺作展を開催していたことを伺って驚いた。

作者名を伏せて読んでも、誰が書いた文章なのかわかる。それが文体だ。と『虚無への供物』を書いた中井英夫はいった。写真の場合も同様であろう。文体さえあれば、書いた文字が例えたどたどしく下手糞であろうとかまうことはない、と私は考えている。もっとも最近は道具が便利になり、最低限の文字は誰にでも書ける。より文体にこだわれる時代になったということになろう。

オイルプリント制作法

インキング映像

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油井昌由樹さん来廊。高校一年の時、まだどこにも売っていなかったバンダナを、油井さん経営の『スポーツトレイン』に買いにいった。金属探知機で遊んでいると「UFOの写真見せてやるよ」。コールマンの部品を放り投げた写真であったが。後に油井さんは大学出て間がない頃と聞いた。その10年ほど後だろうか。油井さんが司会の美術番組に出ることになり、その時の話をしようとしたら直前に、黒澤明『影武者』のオーディションに受かって徳川家康になってしまった。再会したのはさらにずっと後である。 司会を代わったのは榎本了壱さんであったが、その番組のおかげで『ブルータス』のジャズ特集の表紙に使われ、撮影していただいたのが長濱治さんである。当時写真に対して撮影者は誰?と気にしたこともなく、愛蔵する写真集『地獄の天使たち ヘルズエンジェルス』を撮った方とは露知らず。それがオイルプリントの個展に来ていただくことに。嬉しい言葉もいただいたが減ってしまうので書かない。 写真という“まことを写す”という用語を蛇蝎の如く嫌い、画面からまことを排除することに努める私は、人形を作りデジタル処理。場合によってはさらにオイルプリントへ。虚構に虚構を重ね、一周して私なりのまことになれば。と考えている。今後この傾向はエスカレートするであろう。“及ばざるくらいなら過ぎたるほうがマシ”これは当ブログタイトルの第2候補であった。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

オイルプリント制作法

インキング映像

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先週に続き、またやってしまった。今日は3時開廊のところ12時に到着。1時半まで多摩川の土手をブラブラするも間が持たず。まだ仕込み中の焼き鳥屋へ。 飯沢耕太郎さん来廊。私がオイルプリントの試作を始めたのはまだ20代であったが、技術的に参考にした大正、昭和のはじめの文献とは別に、当時の日本の芸術写真の状況を知るに最適だったのは飯沢さんの『芸術写真とその時代』(筑摩書房)であった。リアリズム写真の波に押され、姿形もなくなってしまった世界である。知りたかったことが書かれており夢中になって読んだ。当時住んでいた板橋の図書館に、講座かなにかで見えるのを知り、自転車ででかけ、ドアの丸い窓からご尊顔を拝して帰ってきたことがある。 当時まだたいした画が出ず、相談する人もおらず、一人苦闘していた。当時のことを覚えている友人に今回会うことができたが、感慨深げであった。 人形制作を放って、ただやってみたいというだけで始めたオイルプリント。こんなことをしている場合ではない、と思いながら止められなかった。人は頭に浮かんだことは作らずにはいられない。といったのは脳科学者の養老猛氏だったか。思えば私は幼い頃から、この仕組みに苦しめられ続けている。 長い付き合いの編集者と飲む。私は人形制作を含め、とりあえず必要な技術はおおよそ身につけた。これからだよ。というと呆れて笑っていだが、彼はまだ私のことが良く判っていないようである。会期は9日6時まで。 

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

オイルプリント制作法

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GW中  


フットボールの試合を観たあとは赤い色が違って見える。みたいなことをいったのは寺山修司だったろうか。オイルプリントは手技の要素が多く、データ通りやれば上手くいく類の技法ではない。プリント時の作者のコンデションが反映される。むしろそんなところが面白いと思っているが、細かくデータを取り写真制作をしてきた写真家にとっては勝手が違うかもしれない。 当初大正時代のテキスト通りやっているつもりなのに上手くいかなかった。今にして思うと、文章だけで解説しても、手技の微妙な部分は伝わってこなかったのであろう。それでもなんとか画が出たときには、画用紙を使うとか、ゼラチンを厚くひく、とかすっかり“石塚式” になってしまっていた。よって下部にインキング映像がリンクしてあるが、これも見る人が見ると、かなり変わった様子のはずである。 こういう技法であるが、だからこそ当てずっぽうではいけないだろう。私がかつて目指した陶芸の世界は、窯の中の炎の偶然が作用していたとしても、前提には技術があってこそであった。ここへきてようやく私も“運天まかせ”から脱却しつつあり、撮影の時点で完成作をイメージし、そこまで持っていくこともできた。それでも何故そうなったか、判らない作品もある。水と油の反発作用といえば簡単なのだが、そんな簡単な作用も、解明しきれたとはいえない。しかしそれは頭でなく、むしろ身体が解決する領分であろう。 画廊には連休中も、時間こそ適当ながら毎日顔を出している。人形を出品している県立神奈川近代文学館の『没後50年 谷崎潤一郎展』も鵜の木からだと近い。あわせて是非。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)
 

オイルプリント制作法

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女性の刺青師彫S嬢来廊。昨年のグループ展に来てもらったのにハスノハナの前を通過。呼び止める。私も今まで2回通過している。駅前の焼き鳥屋夫婦にいわせると「段ボールでいいから看板書いとけばいいんだよ」。「こんどいってあげようと思ってさ」。大丈夫。看板のかわりにそばに交番を設置してある。 彫Sは若いのに師匠宅に住み込みで修行。和風と古典的な墨を得意とする。刺青といっても、少女マンガのような弁天様など散見する昨今。こうでなくては。と感心している。プロでもあるし彫Sでもないのだが、いずれヌードを撮らせてもらう予定であるし、念のため。 本来彼女を被写体とする予定であったが、自身の背中は未完成で、プロとしてこれを残すわけにはいかない、と、彼女のお客を仕事場で撮影することになった。テーブルの上の物も、床に置いたものも、片付ける必要なし、と撮影した。案の定、なんだか解らない雑物にもオイルプリントならではの味が出た。今回同じネガを使った別バージョンを含めて4点出品しているが、実際の風景からどれだけ変化したかは当事者は面白いであろう。 彫Sはオスの蛇を2匹飼っており、いずれ彼女と共演してもらう予定である。彼女の蛇好きは呆れるばかりで、“結婚したいくらい”と悪戯っぽく笑うのだが。お望みなら、私なら結婚させることも可能である。と蛸に絡まれた女の作品の前で真顔の私。 “写真”はマコトを写すという意味であろうが、ホントのことなどどうでもよい私は画面からできるだけマコトを排除したい。人形を作り、写真に撮り、オイルプリントにする。嘘に嘘を重ね、1周したら私なりのホントになっていた。これが私のイメージしているところである。理由も判らず熱中したあの頃。何故オイルプリントだったのか。今頃になって合点がいっている。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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