明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



有名なテクニカラーのバレエ映画『The Red Shoes』(英アーチャーズ)(1948)日本初上映時のパンフレットを入手。監督マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー 。カメラ:ジャック・カーディフ。出演:モイラ・シアラー、アントン・ウォルブルック 、マリウス・ゴーリング 、ロバート・ヘルプマン、レオニード・マシーン 。 当初ニジンスキーの伝記映画として企画されたようであるが、アンデルセンの、赤いバレエシューズを履いた女の子が踊りはじめたら永久に踊り続けなければならなかった、という童話『赤い靴』に基づいたストーリーとして制作された。ウォルブルック演ずるレルモントフバレエ団のレルモントフは、あきらかにディアギレフのイメージである。才能を見込んだ若き作曲家と、モイラ・シアラー演ずるバレリーナが結婚すると聞き、バレエ団がお祝いムードの中、一人眉をひそめ、すぐに作曲家をクビにする。一緒に旅立とうとするシアラーを、ダンサーとして一流になる道を捨て、ただの主婦になるのか、と説得するがシアラーは去っていく。このあたりは、ディアギレフに黙って結婚して即クビになったニジンスキーのエピソードを思わせる。『赤い靴』では踊る機会を失ったシアラーがバレエを選び、戻ることになるが、出番の直前、男を追い転落死する。バレエ・リュスのディアギレフの場合は、スターであるニジンスキーが不在では評判も芳しくなく、しぶしぶ一時雇い入れるが、許すことなく結局は縁を切る。ニジンスキーの後釜として入団し、ディアギレフの寵愛をうけることになるレオニード・マシーンが、ダンサー兼振り付師役で出演している。美しい40年代のモンテカルロの風景など見所は多いが、なんといってもハイライトは、14分に及ぶ圧巻のバレエシーンである。 パンフレットには、諸名家として、双葉十三郎、大黒東洋士、岡俊雄、野口久光、飯島正、植草甚一、谷桃子の賛辞が寄せられている。辛口で知られた評論家も絶賛しているが、植草などは「私がいちばん強く感じたことは、バレエの世界にとびこんだら、一生のあいだ、足が洗えなくなってしまうだろう、ということだった」と書いている。広告には少女時代の鰐淵晴子の顔で大東紡織株式會社『てまり毛糸』、アルサロNo,1銀座2丁目電停東入ル『赤い靴』、英国リンガフォーン協会日本代表者 日本語学学校教育協会など。

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アダージョ次号用作品完成。今回は背景その他を先に終え、主役の人物が最後になった。今回の脇役は動物である。ジッとしているような物ではないので、先に撮影しておいて、すべてをそれに合わせるほうが間違いがない。仮に動物を撮影した日が曇天なら、背景も、最後に加える人物像も、曇天の調子で撮影しなければならないからである。 脇役といっても、今回は主役クラスの扱いだが、問題は、この“純毛”である。 太宰治の時、すぐ隣りに本物の女性を配したので、太宰の頭髪があまりに粘土なのが目立ち、入稿日の朝、急遽ベランダから頭を突き出し、デジカメで自分の髪を撮影して移植した。今回は人毛ではないが周囲に毛が多い。 特に日中の日が高いときの撮影は光線の加減から避けるべきだが、アダージョの場合、どうしても昼の明るい時間が多くなる。人間の髪の質感というのは、こんな条件では、粘土では難しい。特徴的なヘアースタイルでもあるので、今回も奥の手を使うことにした。 自分の髪など、わざわざフィルムを使うほどの物ではない。こんな部品を撮影するため買ったコンパクト・デジカメだったが、花見で失くしたので、アナログで撮るしかない。三脚をそえて撮ればよいが、階下に住むYさんが在宅なら軽く撮ってもらおうと電話してみた。「また自転車倒れた?」自転車が倒れて玄関を塞ぎ、救出してもらったことをいっている。屋上に出て、あとで切抜きやすそうな背景で、数パターン撮ってもらった。 今回は画面が賑やかなので要らないと思ったが、ネガを時間かけて探し出したので、こっそり目立たぬところに鳥を一匹配した。 私は常にやりすぎの傾向があり、できるだけ薄くしたいのだが、今回は、このぐらい違和感を導入しないと、このテーマの違和感は埋められなかった。と改めて思ったのであった。

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一日  


アダージョ9号の『三島由紀夫と馬込を歩く』は今制作中の作品と並んで難題であった。なにしろ馬込の三島邸付近を歩いても、住宅と商店街があるばかりで、三島を配して画になるところなど何処にもない。そんなとき、山本スポーツアカデミーが開設されたニュースを思い出したのであった。この作品は現役の格闘家、山本キッド選手の存在感が画面に化学変化をもたらしてくれるに違いないと期待し、そのとおりになった。憂○忌運営団体がメルマガで読者プレゼントにしていたのも驚いた。 配布中に、キッド選手の復帰戦があることも私の念頭にはあり、絶好のタイミングだと思ったが、残念ながら直前の怪我で参戦はならなかった。そして26日『DREAM9』で、待望の復帰戦が行われる。是非ともフェザー級最強を証明していってもらいたい。ささやかながらエールを送りたいと、1カットプリントする。
某文学館から秋に人形と写真の展示依頼が来る。こちらには1体展示したことがあり、レセプションで安岡章太郎と並んで写真を撮ってもらったのを覚えている。 拙著『Objectglass12』に書いたことだが、現在は芦屋の谷崎記念館で催される残月祭は、以前は京都の渡辺千萬子さんが経営される喫茶店で催されていた。『瘋癲老人日記』の颯子のモデルといわれる渡辺千萬子さんに、撮影のために持ってきていた人形を、お見せしたらと勧めたのが、この某文学館学芸員であった。概して女性の関係者は点が厳しいのを知っているので、私が渋ると、せっかく京都まで来たのだからという。お見せすると「あら、似てないわね」。そのセリフにツンとくる私も立派にマゾヒストの素養があるようだが、まさに作中の颯子そのものが抜け出たようで、貴重な“文学体験”と感じた私であった。谷崎が自ら老人役になり『瘋癲老人日記』を朗読した録音を聞いた事があるが、颯子役は淡路恵子で、この役ばかりは、大映映画における若尾文子ファンの私も、淡路恵子に軍配を上げたのであった。

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『中央公論Adagio』次号用作品も佳境に入りつつある。背景はすでに完成している。いつもと違い、主役の人物像が最後になった。先日オカダヤで購入した布地をズボンにする。都営地下鉄駅に置かれるフリーマガジンなので、当然背景は都内ということになるが、都内でこんな特殊なズボンを穿いてる人間などいるわけがない。 アダージョの場合、特集人物にちなんだ都営地下鉄駅周辺が背景になるが、ちなんだ場所といっても、中にはたった3ヶ月住んだだけ、とか、その場所の天麩羅屋でエビ天を何十本食べただけ、などという場合もある。昔は人の集まり住む場所も今より限られており、ちなんだ場所を選ぶにも苦労するわけである。 亡くなって年月が経っている人物は、現代の風景に立たせること自体が難しい。そのためには、違和感を緩衝させる物、あるいは違和感に違和感を上塗りし、違和感をもって違和感を制する方法があるだろう。この人なんでここに?というところから目をそらそう、という企みともいえる。もっとも次号の人物は、妙なズボンでも穿かせないと本人に見えない、という理由もあり、当然、本人が穿いていた物を参考にしている。今回の脇役、というより準主役は、すでに背景の中に収まっており、御主人様?の完成を待っている。

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今回もまた、平日に空いてるのはイベント屋のSしかいない、ということで、演舞場前で待ち合わせる。今頃4時といえば明るく、作業に熱中していて、気がつくと開演20分前。あわててタクシーで向かった。
1『鬼平犯科帳』狐火
長谷川平蔵(吉右衛門)密偵おまさ(芝雀)狐火伜又太郎(錦之助)同弟文吉(染五郎)小房の粂八(歌昇)瀬戸川の源七(歌六)相模の彦十(段四郎)  子供の頃は、歌までヒットさせる兄の幸四郎にくらべ、不細工に思えた吉右衛門が、今ではまったく格好良く。長谷川平蔵といえば、先代の松本幸四郎より、吉右衛門のイメージがすっかり馴染んだ。舞台では、まあそのままのイメージ。小房の粂八の中村歌昇は私が小学生の頃、『天と地と』石坂浩二の上杉謙信、子供時代や、獅子文六の『胡椒息子』での名子役、中村光輝のイメージが未だにある。虚弱な小倉一郎が、ゴンズイというジャイアンのようないじめっ子役ででていたから、随分昔の話である。密偵おまさの中村芝雀、狐火伜又太郎の中村錦之助と文吉の市川染五郎の兄弟が良かった。 女性と男性では額のアールが違うが、歌舞伎のカツラは、そこを隠すようにできているようである。そのため実際だったら不自然な生え際だが、男を隠す最大のポイントであろう。それでも隠しようもない娘が一人、でかいわごついわの失笑物であった。
2『於染久松色読販』(おそめひさまつうきなのよみうり)お染の七役
油屋娘お染/丁稚久松/許嫁お光/後家貞昌/奥女中竹川/芸者小糸/土手のお六(福助)鬼門の喜兵衛(染五郎)女猿曳きお作(高麗蔵)油屋多三郎(桂三)召使お勝(歌江)船頭長吉(錦之助)山家屋清兵衛(歌昇)百姓久作(段四郎)  中村福助の七役。早替りが凄い。数えてみると、移動も含め、10秒~13秒で替わっていた。やりすぎの声もあるようだが、七役ともなれば、中にはやりすぎがあって丁度良いと思うのだが。奥女中竹川、芸者小糸が綺麗だったが、個人的には悪役、土手のお六が良かった。女形は綺麗でも、声がイマイチの場合が結構あるが、福助に関しては声も良い。お染と下女が客席を歩いて回るサービスも。小島よしおのギャグはいまどき旧いが、客層を考えるとしかたがない。

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一日  


昼過ぎに新宿へ。オカダヤへ行き、アダージョの特集人物の履くズボンの生地を探す。特殊なズボンを穿かすので、粘土で作るよりいいと判断。子供の頃、生地売り場は目に沁みるので嫌でしょうがなかったが、今は何故か沁みない。今回使うのはほんのちょっとだが、少ない単位で買えるのが良い。生地をカットしてくれる女の子も感じが良かった。 大江戸線に乗り、牛込神楽坂へ。袋町にある親戚の寺へ父の墓参り。本日で丁度五周忌である。良いんだかどうなんだか、父のいいそうなことは大体判るので、父が生きていたら、どういうだろうとか、相談したいことなど一切ない。おかげで、亡くなってはいるが、という感じである。私との共通の話題はプロレスくらいであり、入院中、スポーツ新聞をもって行き、話題が尽きると、間が持たず、ただ黙って背中をさするしかなかった。保守的な人間にありがちだが、父はアントニオ猪木派であり、反対に私は馬場派であったが、話が終ってしまうので、私も猪木派ということにしておいた。よって父は私が馬場派と知らずに死んでいった。 従兄弟の副住職は10年以上ブルースハープをやっていると最近知ったので、本堂にて、彼のブルースハープと私のギターで軽くセッションする。彼は副住職以外にも別な顔があるのだが、そこが面白い、とかいわれたらしく、檀家の出版社から自費で本を出すことになったという。以前、本を2冊しか読んだことがないと豪語してたような男なので、苦戦しているようである。牛込城跡に立つこの寺には、永井荷風が訪れたことが『断腸亭日乗』に出てくるし、種村季弘もサライの『東京《奇想》徘徊録』で、便々館湖鯉鮒の墓を観に来ている、と教えてやっても通じない。そういえば2人で長く話したのは、父の亡骸を横に、蝋燭を絶やさぬよう朝までついていた日以来であった。 眠くてしょうがないが、K本に寄り、キンミヤ一杯で眼は覚める。80近いのに頭髪真っ黒、癌も克服、やたら元気なSさんが今年もピーマンを植えたと教えてくれた。Sさんのもぎたてピーマンを塩ふって齧ったら、他所では食べられない。

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昨日は一晩がかりで、先日アダージョ用に、埼玉まで撮りにいったものを合成するため切り抜いていた。なにしろ毛深いので厄介である。厄介なのは毛深いことより、どこにも在るというものではなく、後回しにしたら面倒なことになるので、主役ができる前に撮影しておいたのである。  ようやく晴れたので、背景の撮影に出かける。都営線某駅を降り、やたらと長い商店街を歩く。スピーカーから流れるハンク・モブレー。目的地に到着。事前に調べておいた通りの場所だったので、フィルム1本で終ってしまった。帰りがけ、商店街のいかにもな喫茶店でチキンライスの昼食。店内でロケをしたときの、上戸彩がウエイトレス姿の写真が貼ってある。ご主人に今回の特集人物が住んだ場所を知っているか聞いてみると、駅の近くに蕎麦屋があり、そこが実家だという。イヤ違う違う!実家は兵庫県である。帰りにK本で少々ひっかけ、作業の続き。そろそろ主役の仕上げにかからないとならない。  『ルビゴンの決断』という番組でホッピー・ビバレッジの再現ドラマをやっていた。K本に度々顔を出す女社長が主人公であった。K本は日本で一番ホッピーが出る店だとビバレッジの社員がいっていた、と誰かから聞いたが、延べで数えればありえるだろう。なにしろ女将さんから、昔瓶が足りなくなり、インク瓶まで使ったが、洗浄が足りずに青いホッピーが出てきた、という話を聞いたくらいである。女将さんは、焼酎だけを「中だけ」と注文する客を嫌がるが、あれは近所にあった洲崎遊郭をナカといったからだ、というのが常連の間ではもっぱらである。キンミヤ焼酎の社長も来るそうだが、あれだけ出れば、ご機嫌伺いにも来るであろう。70超の女将さんは小学生の頃から注いでる、というのだから、間違いなくギネス級である。

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アダージョの表紙に、何匹か鳥を使いたくなった。上野動物園に行けばいるのが判ったが、行けば他の物も観たくなり、一日が潰れるに決まっている。使うとしてもほんのちょっとだし。などとつらつらしていると、拙著『乱歩 夜の夢こそまこと』の中の『目羅博士の不思議な犯罪』で、上野動物園(某日10)に撮影にいったのを思い出した。雑記を読み返していると、この頃は乱歩一色。まさに乱歩漬けの日々で実に楽しそうである。あれは何に近いかというと、行っちゃ行けないとか、食べてはいけない、といわれてるのを、親の留守中にやりまくる子供の気分である。こんなことを大人になってもやらせてくれる江戸川乱歩は素晴らしい。作品集を作るにあたり、それまでの、人形とカメラを手持ちで撮る方法では、人形が必ず手前に来るので、全頁それではしょうがないと、慣れないデジタルで合成作業をしたのだったが、今思うと、独学の妙な方法でやっていたので、それがかえってアナログ臭いものになった。作中、明智小五郎を演じていただいた市山貴章さんは、現在NHKの『つばさ』で西城秀樹の部下役を、コミカルに演じている。主人公の女の子は、なんだか、つげ義春の『ねじ式』の主人公のような顔である。使う携帯電話がイヤに大きいと思ったら、顔が小さいのであった。  それはともかく、当時のネガの中に目的の鳥を発見。これで上野動物園まで行かなくてすんだ。とはいうものの、なんだか動物園に行きたくなってしまった。進行具合によっては行ってもよい。 K本にて久しぶりに『乱歩地獄』のプロデューサー宮崎さんと会った。

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次号のアダージョ。特集人物を街中に立たせた表紙にするには、どうしてもこれがいる。と私が考えた物の撮影許可が下りた。 いつもなら背景を始めに撮影し、その光線具合にあわせて人物像を撮影する。しかし今回は、本日撮影する脇役を後にまわすと厄介なことになると考えたので、今回ポイントとなる脇役を先に撮り、その光線に近い天候を選んで背景を撮影し、最期に主役の人物像を撮影すべきだと考えた。善は急げと昨日連絡すると、休日にもかかわらず、本日でも良いとの返事をいただいた。 私の意図通りに撮るには助っ人も必要と、“それ”好きのTさんに同行をお願いした。午前中出発。池袋から東武東上線に乗り、東松山で下車。念を入れすぎて1時間早く到着。1時間後Tさんと合流。昼食をとり、さらにバスに乗って埼玉県某郡へ。バスを降り連絡すると、わざわざ車で迎えにきていただいた。  現場に到着すると、私がイメージしたとおりの素晴らしい“それ”と出合えた。しかも沢山。さらに持ち主の方に協力いただいたおかげで、撮影はスムースに進み、30分程で終了する。帰りも東松山駅まで送っていただいた。車中、“それ”に対する難しさ、こだわりなど、様々な話を伺った。  予定では昔住んだ下赤塚で降り、数十年ぶりに、蓮の台座が今どきの風呂桶と同じFRPの東京大仏を眺め、蕎麦でも食べて帰ろうと思ったが、たった30分だったが、初めての経験に少々疲れたので帰ることにした。 現像してみると、良い雰囲気に撮れていたが、自分の発案とはいえ、仕上げにはうんざりするような作業が待っている。重要な脇役が済んだので、主役の人物像を完成しないとならない。

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私が人物を作る場合、重要ポイントとしているのが額である。前頭葉の内容が形に滲み出しているかのようで、ここをないがしろにすると人物のニュアンスが現れてこない。と私は考えている。撮影時にライティングで表情を出すにも額の造形は影響する。 ところがアダージョ次号用人物は髪が長く、額の状態が判らない。額を隠すというのは、シャイな性格をあらわしているように思えるが、ひょっとして機能性を考慮しているのかもしれない? 今回は人物像を何とか完成させたとして、ただ街中に立たせても、まったく華がなく、画にもならない人物なので、工夫が必要である。なんとも厄介な撮影になりそうである。実際の人物を撮るのであれば、本人に華がないのだから、といえるだろうし、とりあえず特集場所に立たせて撮れば目的も果たせようが、私の場合、私が人物まで作るので、本人のせいばかりにできない事情がある。 それにしても実在した人物にたいして華がない、とは随分ないいようのようだが、私は“街中に立たせると”といっているのであり、今回の○○と○○を歩く、というテーマを聞けばうなずけるはずである。というわけで、今回も難題に頭をひねったわけだが、最近は慣れてしまって、むしろ難題が快感になっている。私は一計を案じ、編集長に、某県某所での撮影依頼をお願いした。許可が出なかった場合の次の手は、今のところない。
夕方窓の外を見ると虹が見える。これは珍しいと屋上で写真を撮った。階下のYさん、今頃部屋かK本で飲んでるなら見られるな、教えてあげようと電話をすると、仕事先であった。「今ヨーカドーの上に虹が出てたんで」。あとでTVのお天気ニュースで巨大な虹が出たといっていた。なるほど、虹はヨーカドーの上だけに、こじんまりと浮かんでいたわけではなかった。

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一日  


連休最終日、田村写真に出かける。田村さんにebayで落札してもらった写真集『Seymour on Ballet』を受け取る。1940年代に出版されたものでセピア調の印刷が美しい。撮影モーリス・セイモア、監修レオニード・マシーン。 セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)はディアギレフ亡き後分裂し、アメリカの津々浦々、相当な田舎にまで興行に出向いていく。おかげで特にアメリカでは、バレエ・リュスといえば、むしろディアギレフ以降の方が有名だそうである。その残党がハリウッドに進出し、ミュージカル映画に貢献するわけである。モーリス・セイモアはアメリカのカメラマンで、バーレスクのストリッパーからサーカス芸人、マジシャン、その他ありとあらゆるショービジネスの世界の人々をスタジオ撮影している。中からバレエ・ダンサーをまとめたのがこの写真集である。1910年代~40年代に撮影されており、当時のバレエを衣装もそのままに、スタジオでバレエ・リュスの演目を再現撮影したようである。索引に演目、振り付け家、デザイナー、使われた音楽まで記載されていて資料性も高い。  田村さんにはデジタルによる合成を使わない、ネガフィルムによるモノクロ、カラーをすべてプリントしてもらっているが、いずれプリントの管理、販売までもお願いしたいと考えている。久しぶりに古典レンズの話などしているうち、5×7インチのモノクロネガフィルムが、コダックより再発されていたことを聞く。5×7インチは密着プリントでも見られるサイズで、縦長の比率が好きなのだが、以前フィルムが製造中止と聞いてがっかりしていた。カメラは現在3台持っていて、どうしようもない、とほったらかしにしていたが、近々手入れをすることにしよう。巨大な木製1眼レフ『グラフレックス』はレンズを向けられれば後ずさること間違いなしの迫力である。ひさしぶりに大判用古典レンズを着けて覗いてみると、覗く部分の革製フードが独特の匂いがするのだが、『Seymour on Ballet』も本のくせに、なぜか同じ匂いがする。旧いアメリカ製品の匂いということか?ゴシック・ホラーのフランケンシュタインの服や、ドラキュラのマントなど叩けばこんな匂いがしそうである。 田村写真のHさんに貸していたビデオ『徳川いれずみ師 責め地獄』(監督・石井輝男/1969)を受け取ったので、炊き込みご飯のお礼にYさんに貸すことにしよう。

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『高度成長期の大プロジェクトだった黒四ダム建設を描いた小説「黒部の太陽」の誕生45年とテレビドラマ化を記念し、舞台になった長野県大町市で、焼酎を赤ブドウ酒で割った爆弾酒「破砕(はさい)ロック」が復刻された。発破をかけると大量の地下水が噴き出す「破砕帯」にちなんで命名。難事業に挑んだ作業員たちは「早く酔って疲れを忘れたい」と、アルコール度数が強い爆弾酒を好んだ。』(毎日jp) いわゆる爆弾だが、ただ焼酎に赤ワインを混ぜるだけだから復刻も何もないと思うが、これはなかなか素敵な発明である。私の場合は赤ワインを申し訳程度しか入れないが、ちょっとワインをいれただけで焼酎が赤く染まり、少々だろうが沢山だろうが、違いが判らないところがミソである。よって白ワインではいけない。どうも悪用されそうな酒であるが、かくいう私も今年の花見で、このおかげでデジカメを無くした。  私にその飲み方を教えてくれた階下のフリーのプロデューサーYさんから、K本にもらったおでんの出汁で作った炊き込みご飯ができた、とお裾分けをいただく。足立区生まれのYさんは、飲むと茹で上がったベンケイガニのようで、時に足立区には儒教が伝来しなかったろ、と思わせるが、実際は神経細かな気配りの人で、人望も厚い。いただいてみると実に美味しく、労働者階級なら物足りないくらいの上品な薄味で、別にいただいた大根と厚揚げの煮物など、京都か!と突っ込みたくなるような味であった。

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数字  


先月この雑記で、来月80になる母が、といっていたら母は8月生れであった。5月というと父が亡くなった月である。というくらいであるから両親の誕生日も知らない。だいたい人の誕生日など、聞いたって覚えられないので無駄である。世間の、特に女性は記念日の類に敏感なようだが、私には理解ができない。たまたまその日であってそれがいったいどうした、という感じなのである。そもそも数字自体が苦手で、頭に入っていかないようにできている。  小学校1年生の時、算数の時間、足し算と引き算の計算問題を、できた人から廊下に出てお互い計算あわせをする、という授業があった。一度私が一番早く計算を済ませ廊下にでたことがある。それが私の算数におけるピークであった。なにしろたった一回の出来事を未だに覚えているくらいである。細かいことをいえば、そろばん塾で、2度や3度、まっ先に手を上げたことはある。それにしたって最下級のクラスで、相変わらず足し算引き算であった。加減から乗除の授業になったとたん、別室に隔離状態になった私である。 数字が苦手なのは方向感覚の欠如とならんで私の2大欠点であろう。 だから、その下には3大、4大と連なるわけで、私が特に選べばその2つかな、思っただけで関係各位異論はあろう。いいではないか2番でも3番でも、と私は誰にいっているのか判らないのだが。 そんな欠点を私は隠しもしないが、興味がないので、恥ずかしさをいっこうに感じないわけなのである。

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忌野清志郎亡くなる。私は当然フォーク時代の『ボクの好きな先生』から知っている。 その先生とイメージが被るのが小学校時代の図工のK先生である。私は小学校低学年当時、なんでみんなが筋肉がない棒のような手足で地面に倒れている、平坦な人をを描くのか理解できなかった。太陽から出ている放射状の線も。私の描く絵は同級生は認めてくれていたが大人は違っていて、これは子供の絵ではない、というのが決まり文句であった。私の絵だけ忘れたといって、コンクールに出品してくれないことさえあった。4年生になり専科の図工の先生として出会ったのがK先生である。先生には放課後や夏休みに、図工室に来るようにいわれたが、怖かったので、不良に絡まれた、といってサボったりした。私には不良より怖かったわけである。児童の版画教育では、それなりに知られた存在だったらしい。あるときお前の絵が国語の教科書に載るかもしれない、といわれたことがある。しかし結局青森の女の子に決まった。そのとき聞いたのも、やはり“子供の絵ではない”であった。子供が描いているのに子供の絵ではない、とはどういうことなのであろうか。私は中学に入り美術部に入ったが、生徒に組合のプラカードを作らすようなボンクラ教師で退部した。高校に入っても美術部に入ることはなかった。18の時、K先生にガード下の屋台に連れて行ってもらった。そのとき初めてチューハイを飲み、煮込みを食べた。私がホッピーで有名なK本でホッピーを飲まず、チューハイを飲み続けるのは、ひとえに、あの時K先生と飲んだチューハイの味と同じだからである。先生はボケた末に亡くなった。
5時に先日岩崎宏美さんと入籍した今拓哉さんを囲んで飲み会。今さん含めて7人、K本の常連が集う。古今亭志ん生ファンの今さんには、K本が背景の火焔太鼓を背負う志ん生のプリントをプレゼントする。今さんの指に光る指輪を前に、ああだこうだと。お祝いといいながら、いつもと変らぬ馬鹿話で終始する。2次会は相撲甚句で有名な元力士、大至の妹の店へ。大至がカウンター内に。塩ちゃんこが美味かった。

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以前から釣りに行こうと行っていた編集者Sさんとでかける。私の自転車を貸して木場から出発。いまどきこのあたりは、せいぜいシーバスくらいだといったのだが、ノンビリできればいいというので、途中でビールを買い、今まで何も釣れたことがない豊海埠頭へ。月島の釣り道具屋で餌を買うも、釣れるのはスズキ(シーバス)くらいだと先制パンチ。だからいったろう。 ここはTVドラマで夜景のラブシーンに多用されるが、後ろは冷凍倉庫が並んでおり、常時大型トラックが出入りしている。釣り人はルアー釣りの一人だけ。  Sさんとは『月刊 美術の窓』のタルホ特集で知り合ったが、その後会うたび出版社が違い、2度目の取材はニジンスキーの個展であった。その後パロル舎で、彼の編集で1冊目の作品集『乱歩 夜の夢こそまこと』を作った。今思うと、よくあのような物がと思うが、今の出版事情では、とても無理だと彼はいう。取材で始めて会った時、私がデジタルなどまったく興味がない、といっている某雑誌のインタビュー記事を持ってきたが、その雑誌が出た時点では、黒人ミュージシャンの人形から転向し、渋澤に次いで、2体目の谷崎を制作中であった。 私がまだ何も始まっていない気がするというと、大口開けて大笑いするSさんだが、私は相変わらず模索中であり、本気でそう思っているのだが。ある人には、私が時間の有限性に気付いておらず「子どもは、ただ今にだけ在る」などといわれる始末だが、それはまったく逆であり、変り続ける間だけ、中学生の時に、母方の祖父の亡骸を見て以来の恐怖が薄れるのである。その点、技術系の仕事は良い。社会の事情その他、外側の諸々とは関係なく一人研鑽できるからである。あれだけ死ぬのが怖い私が、1年だって後戻りしたくないと思えるのは、昨年できなかったことを今年はやれるよう、心がけているからである。私にとって去年と同じ私ということは、寿命が1年縮んだだけ、という恐ろしい状態なのである。子供ができて嬉しそうなSさんであったが、その子が小学校に上がる頃には、私も随分変化しているはずだ、と思うのであった。  案の定、釣果なし。餌のイソメは齧られもせず。木場に戻って、ヒマそうにしてるK越屋で飲む。Sさんが同い歳って誰がいるか聞くので、千代の富士は2つくらい上だし、柔道の山下かなあというと、Sさんは貴乃花だそうである。なんだよ、ついこのあいだ「アドデ~、ボクデ~、大キクナッタラデ~」なんていってたんじゃねェか。

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