明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一度だけ、ほんの遊びで試したのが、どれだけリアルに作れるか。それが都営地下鉄のフリーペーパーの表紙の古今亭志ん生だった。しかし想像した通り、私が作りました、と私を知らない人に見せても、作ったというけど、この何を作ったというのか?と黙るだけで、せいぜいただのカメラマンになってしまう。カメラマンだとしても、私がいつ火焔太鼓を背負った志ん生を撮ったというのだろう?まあそれは想定済みだったので、一回きりの試みである。いくら最高作だ、という人がいても、そもそも人を撮った実写と間違われて以来、作り物と判るように、人形にサインを彫り込んで撮ろうか、と本気で思ったくらいで、やろうと思えばやれることさえ証明出来ればどうということはない。 もう一つ。初めていうが、山藤章二以外の方法で、志ん生を描く方法はあるぜ。というのが個人的な隠しテーマであった。



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野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である“ 『大燈国師遺誡』 人間も草木同様自然物、肝心なことはあらかじめ備わっていると思っていた。考えるな感じろで打ち込むことさえ出来れば、自動的に自分とは何か?解明に向かうことになるのではないか。そんなところに、己の中にこそ仏はある。という禅宗モチーフに至るべくして至ったと感じていた。 そもそも他人と自分を比較することなく、需要も関係なく、やって来たが、野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て過ごしたとしても〜。七百年前の禅師の表現が妙にリアルで言い得て妙と笑って良いものかどうかよく判らない。

 



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橋の下で乞食を二十年したという禅師は「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」と説いているそうである。思わず付いて行きますといいたくなった。七百年前の人だけど。 長い間、単に行き当たりばったりのつもりでいたが、実は自分とは何か、という一点に向かっている自覚が明らかにある。特に寒山拾得以降「これで良いのだ。」の意を強くしている。 一休からまた一人、重要な人物に枝葉を伸ばすことになりそうである。そろそろ大根煮てみよう。



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先日書いた『一休和尚雨宿り図』。橋の下辺りで、一休と横並びに乞食や夜鷹、当時なら遊女、白拍子というところか、と野良犬など横並びに並べたいと考えているが、昨日書いた、一休が尊敬した二十年橋の下で乞食をしたという禅師、そのメンバーにどうか、と調べると、一休は禅師の没後の生まれであった。以前制作した古来より画題となって来た、三教一致の禅の精神を表したという『虎溪三笑図』も仏教の慧遠、道教の陸修静、儒教の陶淵明の時代は合っていない。 ここに居るマクワウリを食ってる乞食はあのお方では?なんていうのが洒落ているかもしれない。その場合、禅師の頂相はふくよかだが、乞食らしく、なんて余計なことをすると誰だか分からなくなってしまう。ここまで来ると某禅師の制作はすでに決めているようだし、どうせ私のことだから、完成まで内緒のまま作るなんてことはあり得ないだろう。



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幼い頃から伝記、人物伝が大好物で、夏休みなど図書室から本を出来るだけ借り出し、隣家のいちじくの木の木陰の縁台で本を読み耽ったものである。まあ当時の小学校の図書室の伝記などというと戦前からの嘘っぱちが多い訳だが、見てきたように書いてあるので、現場を見た人が書いていると思い込んでいた。もう目も悪いし、制作に関係のない本は買わない読まないことにしているけれど、この期に及んで、未だに人物伝の類は読んでいる。人物を作る時、ビジュアルイメージの重要性は実は氷山の先っぽくらいといっても良い。 小四の時に読んだ一休禅師を今作ることにより明らかになることがあるかもしれず、それほどインパクトがある人物だが、その風狂僧一休が尊敬したという禅僧がいる。師から悟りを得たことを認可された後、師の命で、橋の下で二十年乞食をしたという。四十二年人物を作って来た私に、これは第一級の人物の予感。



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こう見えて私自身は、地道に枝葉を伸ばすように今に至っている、と考えている。あるいは思い込んでいる。唯一、発表する気などなく、ただやってみたい、とヒートアップしたのは、野島康三のピグメント技法に一目惚れし、オイルプリントを独習したことで、枝葉が伸びるようにとはいえなかったが、結果的に、現在の手法、陰影のない一種のピクトリアリズムの遠因となったのは間違いがない。 一休宗純を作っていて、その枝葉の連なりとして、ある禅師が気になっている。実に興味深く魅力的な人物のわりに、墨蹟などは残されているが視覚化されている要素が少なく、手掛けるべきモチーフが私に向かって両手を広げているように見えている。考えないようにしていても、一休が佳境に入った隙を狙って縦列に並んだサメの歯のように、次は俺の出番だ、と出っ張って来るのであった。



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一休宗純は、女色男色飲酒あからさまな告白をしている。まさに自他共に認める風狂僧である。以前本物の蛸と格闘する葛飾北斎を作った。その調子で七十過ぎの和尚が、本物の女性と絡んで。なんて私なら可能である。蛸より女性の方が話が通じるし。しかし可能だからといって、どこで発表するのか?もっともかつて、発表などせず、遊びに来た友人だけに「どう?良いだろ」なんて生きて行けたらどんなに良いか、なんて考えていたし、実際未発表に終わった作品はかなりある。私が生きてる間は公開せず、といい残して、という趣向も、そろそろ考えておくのも良いかも知れない。十返舎一九は死ぬ前に身体に花火を仕込んでおいたというし。

 



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最近の怪獣映画がずっと気にいらなかったのは、近代兵器に対応させるためだろう、巨大になり過ぎ、宇宙怪獣ならともかく、地球上の成分で出来ている以上、あの大きさ、動きはありえないだろう。なので過去の話にするしかないと思っていたので、戦中の話にしたゴジラは納得であった。ところで。 最近の大谷翔平の打って走る姿を見ていると、巨大怪獣と同様のことを感じてしまう。特にこちらは地球上でも日本の成分で出来てる生物なので、その大きさスピードに、余計違和感がある。しかしこちらはノンフィクションなので、しょうがないから、ただ唖然として笑っているけれど。



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先の制作のことを考えないことが、あれをこれを作れば良かった、と寿命が尽きる時、途中挫折の可能性を低めることになる、と心得ているが、出物腫れ物ではないが、浮かんでしまうのは仕方がない。 制作の順番が逆になったが、これから作る雲水姿の一休がその晩、髑髏枕に酔い潰れている『一休和尚酔臥図』は江戸の絵師であり太鼓持ちの英一蝶の同名作をヒントに制作したが、他にも背中の火炎を濡らさぬように傍に置いて滝に打たれる不動明王など、その着想が好きである。中でもいくつか同種の作があるのがあり秀逸なのが『雨宿り図屏風』である。ある屋敷の軒下で、様々な職種の人々、馬までが雨宿りしている。禅の精神を表しているかのようだが、これを一休を真ん中に、橋の下あたりで乞食や夜鷹、傀儡師、野良犬などでやりたい。そのため用済みで処分してしまうべきものの中から、使えそうなキャラクター、布袋尊、豊干禅師など首引っこ抜いてとってある。布袋尊は一般人として再出演も良いが、布袋尊として並んでもらうのも一興だろう。そんなことを考え出すと半僧坊まで並べたくなり、趣旨が違って来るのでこの辺りで。



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お寺というものは一年中何かしら催事があるので、いまだに展示の会期が決まっていないのだが、予定していた作品は一休宗純で終わる。臨済宗の僧ではあるが関東には縁がなさそうだし、すでに2カットは制作済みなので、なくても構わないのだが、雲水姿の一休はおおよそ出来ているし、なんといっても有名人である。それでもトンチ小坊主のイメージしかない人も多いだろう。最初の作家シリーズの個展に稲垣足穂を出品したが、髪の長い美少女が「これイナガキタルホなんですか?」と指を刺しいった。お星様キラキラのイメージでもあったのだろう。困惑の表情にサディスティックな気分になった。

 



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ここ数日、画像制作している夢で目が覚めるのだが、これがあまりにリアルである。元々私の夢では登場人物、シチュエーションは出鱈目でも、私自身はいかにも私らしいことしかしない。いかにも私らしい死体の隠し方だったりする。なので朝から飲酒してリズムを変えようとしたが、すぐ覚めていまい効果がない。特に本日は夢から覚めたと思ったら大谷、6打数6安打3本塁打2盗塁10打点51/51。夜の夢より現世の夢の方がウソ臭い。 次の一休和尚は、これまでの人形制作者としての来し方を顧みるにつけ、江戸川乱歩と並んで重要な人物となるのではないか、と考えている。グヤトーンを久しぶりにアンプに繋いでを横に置いて弾いたりしてのんびり最後の修正をする。



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紙幣に人像が使われるのは、偽造防止のため人の顔の違和感に人は気付くからだそうだが、確かに花鳥風月では、多少違っていようと一般人は簡単には気が付かないだろう。 建長寺の開山(初代住職)を斜め45度の肖像画をもとに作ったのは、その頂相が師であり教えそのものである、という思いに打たれたからである。しかし没後七百数十年の間に作られた全国の禅師像を見ると全国に残された像を見ると、噂話、あるいは噂話さえ聞かずに作られたとしか思えない像ばかりである。つまり造幣局と違い、信じることが肝心であり、鰯の頭でかまわない、ということなのだろうか。私は私の渡世上の義理?としてどうしても我慢ができないでいる。



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母が読んだって判る訳ない、と反対したのに、私が何回か用いた策、買い物帰りに母が書店の店主と立ち話ししている、拒み難いタイミングでねだったに違いない大人向け『一休禅師』。何故読みたかったのか、その理由が不明であったが、おそらくこうだったろう。産休の代用教員だった田中○子?先生が、私があまりに伝記、偉人伝の類を貪り読んでいるので、3年が終わり、退職の際に、書店の袋に入った『世界偉人伝』を内緒で下さった。そこにおそらくトンチの小坊主とはイメージの違う一休が載っていたのだろう。これしか理由が思いあたらない。 先生は学校という漢字の覚え方についてこういった「点、点、点カンムリ子、木六バッテン 好き?嫌い?」大きな脂身の入っおかずと脱脂粉乳の給食さえなければ好きなんだけど。脱脂粉乳を現在の低脂肪乳だと思ったら大間違いである。



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一休  


小学生の頃、年寄りはもうすぐ死んじゃうのに、なぜ平気で笑ったり、買い物かごぶら下げて歩いているのだろう?と思ったが、そんな頃、母にねだって大人向けの『一休禅師』を読み、“門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“という言葉にホントだ!と驚いた。 毎年大晦日のブログで昨年思い付かなかったこと、出来なかった物ができたか、を振り返ることにしている。何も変わらなければ、ただ一年、死に近づいただけであり、こんな怖いことはない。その恐怖に打ち勝つには、変化を続け、先週にすら戻りたくない。となるしかなく、変化してこそが生きているということだ、とモチーフから手法から長い旅路の果てに変化を続け今に至っている。私を支配続けてきたこの思いは、小四の時に目にした“門松は~”が原因ではないか、と寒山拾得を手掛けて以來薄々感じており、今回予定した最後の一作で、あのとき私の頭に浮かんだ竹竿にシャレコウベ、雲水姿の一休その物が立ち現れることになる。



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目が覚めパソコンのモニターを確認し、昨日の出来事はホントだった、と確認し顔を洗って飲酒を始める。雷鳴轟く東シナ海の揺れる船の帆柱の先端に立ち、霊力を発している天狗みたいな異人を完成させた知人がいたなら聞いてみるが良い。翌日は朝から飲酒すべきだ、と必ずいうだろう。 次々に新作を完成させているようだが、ずっと被写体制作だけに専念し、そのために弓の引き絞り効果、というものが効いている。本来なら作っては撮影し、と繰り返したいところであったが、我慢をし、より快感を高めよう、という企み、というのは半分だけ冗談だが、出所後の高倉健が飲む一杯のビール同様の効果はあった。 予定している最後の一作は、雲水姿の一休宗純である。



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