明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




久しぶりに図書館へ。何年前だったろう、図書館へ行っては浮世絵を含む日本画ばかり眺めていた。作品の参考になることがあるとは考えてもいなかった、それが今は“石塚式ピクトリアリズム”などとでっち上げ。さらにあろうことか寒山拾得を、と口走る始末である。しかし、性能の悪い表層の脳で下手な事さえ考えなければ、いずれ寒山拾得に引っかかる理由もわかる時が来るだろう。考えているフリをして待てば良い。 北砂の図書館は美術関連は申し訳程度にしかない。よって主に取り寄せに使ってきる。引っ越しに伴い本を五分の一に減らしたので、”本は積んだら終り“といいきかせて通うことにしている。昔から人形のために人形の勉強はしてはならず、写真のために写真を勉強すべきではない、と考えていたが、それにしても。浮世絵からある時期までの日本画は知らないことだらけで興味深い。 子供の割に、甘い物はそれほど好まず特に和菓子が苦手であったが、健康診断で意外な悪い方の高得点をもらい、冗談じゃない、とやけくそで食べたお菓子が美味く、子供の頃どら焼きのあんこを捨てていたのに目覚めてしまい、コンビニのお菓子でこんなに美味いのに、銘菓となれはどれ程。と思った状況に実に似ている。本日は、金ピカの御用絵師等、とあなどっていた狩野派について、食わず嫌いはいけなかった、と反省した。スポンジは乾いているほど吸い込みが良い。画集を眺めるなら本物を観るべきだと人はいうだろうが、私はそうは思わない。小学校の図書室で読んで空想したあんな世界なんて、実際出かけたって存る訳がない。

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いつの間にか、ブログを毎日書くようになってしまったが、読む方には迷惑であろうが、同じようなことを書きながら、考えをまとめていき、個展の際に、なんだか判らないけど、やりたくてやってしまいました、なんて言わずに、熟考の末の結果であります、という顔をするためには必要なので仕方がなく、お付き合いいただくしかない。寒山拾得の場合は、恐れ多くも伝統あるにも程がある、禅宗のモチーフである。横溝シリーズのへっぽこ刑事のように「よしわかった!」と軽々しく言うわけに行かない。しかし、何故私がこのモチーフに惹かれるのか。その位は私の問題であるので解明してみたい。タイムリミットは二年。三島の経験があるので、貴重な時間を無駄にせず挑みたい。だがしかし、今のところは、寒山と拾得、豊干に見立てた金魚を飼うにあたり、豊干の乗る虎に見立てる魚をどうするか、友人に相談して、それじゃ虎という感じじゃないだろ?もうちょっと、どうだこうだ、とつまらない話ばかりで、こんな調子で大丈夫なのか、という状態である。

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先日浮かんだ暗い室内の陰影の中に浮かぶ松尾芭蕉、蝋燭一本又は油に灯芯の灯りに飛び回る蛾。シャッターを押したように瞬間に浮んだ。それは良いのだが、ここから構図など変更出来ないのが玉に瑕である。この後にいくら工夫してもファーストインプレッションを超えることはない。超えられないのなら、すぐに浮かぶのなら結構なことかもしれないが、私もスケッチブックにああだこうだ、と試行錯誤をして生み出したいのである。しかし、最初のイメージを超えられずに苦しむことになる。紙に何気なく悪戯描きをし、結局それ以上の物が浮かばず、ゴミ箱をあさって以来、もうスケッチなど止めた。いくら試行錯誤しても落ちてきたボタ餅には絶対勝てない。このせいで、個展会場では、熟考の末こうなりました、という見栄を張ってしまうのである。 しかし、さすがに人形と違ってそうは行かないのが芭蕉庵の制作である。飲み仲間には、大手ゼネコンの元部長もいる。いくらでも知恵は借りられるだろう。しかし高層ビルの工法を取り入れる訳にもいかないので、く例によって、人にはとても見せられない非合理なやり方で挑むことになるのであろう。そういえば昔、建築事務所に入って結局、挫折した友人がいる。彼くらいに知恵を借りて程よいかも知れない。



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なんだか記憶が薄れて行くように、日々三島の面影が薄くなっている。次の私に会いに行くには、こうでなければならず、そのためには、コロナ騒動の真っ只中ではあったが、決行は必要であった。10月にニューヨークで出版される『男の死』も、椿説男の死を先に発表出来たことにより客観的に思えるようになった。 事件直後に発表されず、五十年後のという三島の無念を想うのは相変わらずではある。生前も積極的に嘲笑をあえて受けるようなことをして来たが、ここへ来て再び世界的作家のコスプレ写真は様々な憶測を生み、笑う人も多いであろう。私が想像するに、おそらくそこには文学的死は描かれてはいないであろう。死の前年に演出した椿説弓張月のような悲劇の英雄や、市ヶ谷の三島のような、また三島作品のドラマチックさは、おそらくそこにはなく、むしろ市井の魚屋やヤクザ、兵隊の死に様が並んでいるのであろう。だからこそ、あの劇的な死の直後に出ることの効果を三島は狙っていたのだろう。 話は違うが、異性愛者の私は対象が自分と違うからこそ良い訳だが、三島は私が彼になりたい、彼でありたい、と対象に近ずこうとする。ある時から、ヘアスタイルも、それこそ魚屋、寿司職人、のようにし、中身は叶わずとも、外面的に近付こうとする。ある初期のプロレスラーと、昭和の歌謡界の大作曲が出来ていたという話を聞いたことがある。耳を疑ったが事実らしい。接点も確かにある。実は私は、幼い頃、二人は似てるな、と思っていたのである。ウエーブがかった髪、ブロータイプの眼鏡にチョビ髭。自己愛と何か関係関係があるのか、私の伺い知れぬ世界である。 個展を済ませ、気分もようやく落ちつき、という話をするはずが、良くあることだが、風に流され、着地点がずれた。

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昼に知人と待ち合わせ、泰明小学校近くの蕎麦屋、泰明庵で食事。刺身、天ぷら日本酒と少々食べ過ぎ。山野楽器でギターのストラップ、シールドを買おうと行った。入り口で初めて体温を計られるが、エレキギターの階は閉鎖中。森下の芭蕉記念館に向かう。 2階の展示室へ。十二月の『芭蕉サミット』に向け、9月17日より『深川芭蕉庵』という催事があり、芭蕉庵を作らなければならない。私の芭蕉像のサイズに合わせると、かなりの大きさになってしまう。芭蕉庵は八百屋お七の火事で焼失したり、売却したり、と三軒の存在が確認されているようである。それも一部屋だっり三部屋の場合もあったという。スペースのことを考えると、一棟丸ごとは厳しいので一棟の後ろ部分をカットせざるを得ないであろう。芭蕉の木は必要不可欠であるが、そうなると池も欲しくなる。まあ、やれることとやれないことはある。庵まで作るとなると石塚式ピクトリアリズムと、もう一つ本物の芭蕉の木や池、背景を合成して、それこそ深川の芭蕉庵を再現してみたいし、またさらに欲が出てきて、暗い庵内に燭台の蝋燭一本の灯りに浮かぶ西洋画調陰影の芭蕉の姿。蝋燭の周囲には飛び交う二、三匹の蛾。 段々私の過剰の虫が湧いて来た。何しろ江東区に依頼されているので、こういう渡世で生きる上での拭いきれない罪悪感は感じないですむ。

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引っ越ししてすぐ用意した水槽、ようやく水を入れる。小学生の頃に熱帯魚を始めたが、再開は5、6年ぶりだろうか。いくつになっても楽しいものである。 コロナによって、様々な変化があったが、私個人としては、元々家に閉じこもる仕事であるし、飲みに出歩けないことを除けば、正月やお盆の東京のようで静かで良かった。まあ、あまり他人事みたいな顔をしていると顰蹙を買うことがあることは、既に小学生時代に学習しているから、その辺りは心得ている。もっとも、他人事みたいな顔に対して厳しいのは女性だということを知るのはずっと後であるが。 こういう時期は、元に戻ることを期待するより、むしろこの期に乗じて新しいことを始めたり、変化のチャンスだという気がする。みんなコロナのせいにしてしまえば良い。ブログではここ何年も寒山拾得を始める可能性について、なんとなく匂わせていたが、拾得の正体普賢菩薩から名付けたというふげん社での二年後の個展も決まった。これも考えてみれば無観客で行われた飯沢耕太郎さんとのトークショーで口走ったことなので、コロナが作用しているといえなくもない。来週にも金魚をいただいてこようと思う。子供の頃から指だけは柔らかかったが、かなり硬くなっているのに気付いた。キーボードの練習を始めることにした。
 


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長年写真に関しては、私ならではのジレンマを抱えていた。最初に写真を発表した時には、それはジャズ、ブルースの人形を撮影したものであったが、某ファッション誌の編集者が、被写体と共に写真を展示しているのに、写真は人間を撮った写真だと勘違いした。わざわざ人形を作って、既存のジャズ写真を再現したい訳ではない。思えば最初に写真を発表したときから、ジレンマは始まっていた。それならば、作り物でなければ出来ないモチーフを、と十数年続けたシリーズから一年後に、作家シリーズに転向した。もちろん書斎の作家など、いくらでも残っているような物は作らない。本当のことなどどうでも良い、と真を写すという意味の写真という言葉にあらがい続けることになる。江戸川乱歩にピストル持たせて気球にぶら下げてみたが、それが乱歩の書斎の机に置いていただいていて、その机が、雑誌の表紙に使われたが、編集者はあろうことかを実写と思い込み、慌てて私のところに挨拶に来た。私は作品のフレームの中にはまこと、など写してなるものか、とファイトを燃やし続けてきたが、その後も、たとえ、この人形を被写体にしました、と作品の横に書いてあっても信じない人もいる。ことさら人間に見せたい訳ではないので、人形は粘土感丸出しなのは、ごらんになった方はお判りだろう。しまいには作り物だと判るように、写る所にサインを彫ろうかと思ったのは本当の話である。 しかし、よく考えてみると、そんなジレンマを抱えていながら、無意識に、人の思い込みを利用していたのは私自身でなかったか?本人はそこに気付かず、こんな老人がこんなデカイ太鼓を背負う訳がないだろ、と口を尖らせていた。 そんな訳でジレンマを抱え続けてきた訳だが、私の大リーグボール3号こと石塚式ピクトリアリズムは、何しろ陰影がなければ、艶も空気感もない。つまり写真の写真たるところを排除して、作り物にしか見えない手法にようやく至り、私が抱き続けたジレンマからようやく解放されたのでああった。これがいかに目出度いことか、被写体制作と撮影の二刀流ならではの物語?である。

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一日  


昨日某運送会社のドライバーとギターの話などしたこともあり、ようやく気分が元に戻りつつある。雨降るこんな日には、全方向的に方向音程の私は、これから暑くなるのだったか寒くなるのだったか、一瞬だけ考えたりする。 それにしても、実在した人物を新たに作らないと決めて気分は楽である。正直いって作る前に、これは間違いなく上手く出来るな、と思ったことは一度もない。ひたすら完成を祈るだけであった。そうやってなんとか完成まで持ってきた、だから今度も、ということだけを作ることを支えに、ただひたすら時間をかけるだけであった。ノウハウもなく、祈るだけだったというのは比喩でも何でもない。首さえ出来たら、後は楽しいことが待っている。最近は写真作品在りきであり、写真作品としてのイメージが湧かなければ作ることはなかった。そして最後まで年に六体が限度であった。であるから頭部が既にある人物については、一番苦しく、時間のかかる部分がクリアしているので、むしろ楽しみはここから、ともいえる訳であり、ついもう作らない、というつもりになってそういってしまうが、そういう人物については作るのは止めない。 寒山拾得については、まず寒山から作り始める。拾得とどこが違うのかといわれても判らないが、とりあえずは。いや二人とは別に、豊干から始めるべきかもしれない。書きながら今そんな気がした。まあ、このようにブログを書いていても考えが行き当たりばったり変わるのだからどうなることやらさっぱりである。こんな調子で良い、という気だけはする。

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昨日、以前の住まいの近所の居酒屋に久しぶりに顔を出す。消毒用アルコールのボトルがある以外は、コロナ対策がなされているように見えない。マスクしている人が私以外いただろうか。密に並んだカウンター席の椅子を見ただけで怖気をふるう人がいると思うが、まったく気にしない人達が集う店である。見えない物は無いと一緒。お化けを信じる人は一人もいないであろう店内。 以前、何度も楽器を持ち寄ってスタジオに集った運送会社ドライバーの一人と久しぶりに会い、本日改めて二人で昼間から飲んだ。考えてみると三島好みの理知に犯されぬ肉の所有者である。五十は過ぎているけれども。たわいのない話で終始したが、おかげで一日、三島由紀夫の薄皮が剥がれ全く三島のイメージを忘れた。どうしても係わっている間は、三島というフィルターに覆われて生活することになり、それ越しに世界が見えている、という有様なのだが、この理知に犯されぬ肉の所有者のおかげで、ようやく我に返ったような心持ちがした。なるほど、普段考えもしないが、他人というのはこういう効力があるものだな、と。この二年、もちろん太宰や北斎、芭蕉を作ってはいたが、十年前の、三島をやり切れなかった、という私の怨念も加わって集中してきた。そう客観的に考えると、一人修行に明け暮れていたような気もするが、この間の幸福感というものは、何物にも代え難い物がある。それだけのモチーフを得たということであろう。そろそろ新たなモチーフに向かっていかなければならない。

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私は携帯スマホなどすこぶる相性が悪い。しょっちゅう修理に出している気がする。酷いときには携帯のボディがボロボロと崩れだしたことさえある。 朝起きたら画面が立ち上がらない。仕方がないので、携帯ショップへ。前回までは、以前の住まいの近くだったショップへわざわざ出掛けていたが、考えてみると、ここは修理のたびに、アドレスその他、何かしらデータの移行が出来ずに、悩まされてきた。私がついパスワードなど忘れてしまうのも悪かったが、それにしてもロクなことがなかった。そこでちょっと手前のショップに初めて行ってみた。 また代替機か、とウンザリした。 手続きが終わり、代替機の設定など、別のブースの担当者に回された。腕章をつけているので、見習いなのか、風采もパッとしない青年ではあったが、これが実に懇切丁寧。特にデジタル関連のことになると、教える側が、判らないということが判っていないことが多い。この青年はその辺りを心得ており、忘れたパスワードも、一緒に探ってみましよう、と様々な可能性について考えてくれた。ただ見習いとも違うようで、何かと他の店員が聞きに来る。さらに別な客と私を相手に交互に進行する手際の良さで、おかげで休眠していたアドレスも復活した。そのせいで前回のデータが移行できなかった4月からのメールがどどっと入ってきた。返事も出来ずに申し訳ないことであった。というわけで、初めて携帯ショップでイライラしないで済んだ。私に婚期の遅れた娘がいたなら、この青年に押しつけたいくらいであった。

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材木を見に新木場のもくもくに行く。そのうち松尾芭蕉が納まる芭蕉庵を作らなければならない。 金魚をくれるという人は鯉でも何でも水質管理と酸素の供給であっという間にデカくしたりする。新潟に鯉の池を借りている専門家だが、あくまで趣味に徹し、鯉では絶対商売をしないと決めている。準備が出来たら、早速貰いに行きたいが、3匹の金魚で寒山と拾得に豊干というのはどうだろう。金魚に名前を付けてはいけない、というのは金魚の飼い方に書いてあるが、金魚に限らず、ペットに死なれること考えると判る気もする。夏目漱石は結局飼い猫に名前を着けなかったらしい。話しは違うが昔、スーパーで魚の切り身のパックに”お魚“と書いてあるのを見た。これなどは本名を知らない方が良い、というパターンであろう。熱帯魚のナマズに近い魚にプレコというのがいる。これを水槽に入れておくとガラス面を綺麗にしてくれ、丈夫で金魚との混泳も可能なようである。これに縞模様のタイガープレコというのがいて、豊干が乗る虎に見立てるのはどうか?中国の断崖を模したレイアウトも悪くないかも。個展までの二年間、風にそよぐ洗濯物を眺めているならば、こちらの方が良いような気がするのだが。
 


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何する気も起きずダラダラしてしまったが、とにかくいくらでも寝られる。本日田村写真に出来上がったプリントをようやく引き取りに行く。 今回椿説弓張月でやり過ぎたことにより、寒山拾得も可能だ、と思えた。勿論私を過剰にさせたのは、過剰の人三島由紀夫である。モチーフとしたのは劇中に聖セバスチヤンの殉教図を見出したからだが、それは三島好みの残虐な死の場面ではあるが、それよりも死の前年に悲劇の英雄鎮西八郎為朝に自らを見立てていたのだろう。演出しながら自分の最終場面の演出も同時に考えていたのではないか。 よく言われる当日三島と同じ釜の飯を食った説得すべき前線部隊は、富士の演習に出払っており、後方部隊しかおらず、調査ミスのようにいわれるが果たしてそうだろうか。三島が”招待客“を間違えるとは思えないのである。悲劇の演出に野次は必要だし、何より恐れたのは三島の説得に立ち上がる隊員があわられる事であろう。エンディングが台無しである。どうもまだ三島のこととなるとつい。それはともかく。 私のモットーの一つ“及ばざるくらいなら、過ぎたる方がマシ”であるが、常にこの過ぎたる部分に、次の可能性を見出してきた。自分でいうのも何だが、エスプリのようなものがそこに含まれる。そう考えると寒山拾得は、それを制作すること自体が、とくにその手段が写真であることを考えると、すでにやり過ぎなモチーフといえよう。そういう意味からも、ただ制作することが大事であろう。

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何でこんなことをしようとするのか判らなくとも、制作を通じて段々理解してきて、個展会場では全て予定通り、判ってやって来ました。という顔をするのが常だが、寒山拾得も今判らなくとも、きっとそうなるだろう、と昨日まで考えていた。しかしこれに関してはそうはならずに終わる気がしてきた。またそれで良いような気も。 私がもし二年後にふげん社で全て判ったみたいな顔していたなら失脚したグルメ野郎のような胡散臭さであろう。おそらくこのモチーフは、ただ手掛ければそれで良い、という、私にとって初めてのものではないか。制作することにより正解を得ようと考え、それが常にモチベーションになってきたが、今回はどうもそうではなさそうである。本日も洗濯物眺めていたらそんな気がしてきた。バットを強振したら絶対打てない。それこそ本家大リーグボール3号のようなものかもしれない。どうもそんなモチーフのようだ。強振したくとも体力その他、出来なくなった今こそ、止まって見えるボールもあるのではないか。 座禅を組まずとも、私の場合は寝転がって洗濯物を眺めていると何かと教えてくれるようである。

 



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窓を開けたまま寝てしまい、ここ数日腹の調子が悪く、三島もやることがなくなってしまって何だか三島ロス的気分が続いている。他の作家とは違い、テーマはたった一つしかなかった。ベランダの洗濯物を眺めながらぼんやり寝転がっていると田舎の道端の日陰で昼寝しているようていくらでも寝られる。私には三島が大変過ぎて、かつ面白過ぎた。 それに比べて次に手掛けよう、という寒山拾得が捉えどころがなさすぎる。一気に始める気分になれるモチーフでもない。捉えどころがない所が肝腎なのであろう。その間、今ままで作って来た人物を一通り、石塚式ピクトリアリズムに置き換えることも続けなければならない。 難しいのはこれは陰影をなくせば良い、という撮り方を言うものでもない。十年は手掛けていない寺山修司など、どうもこの試みに協力的な感じがしない。陰影を出さずに撮影して切り抜いて配置する。まさにそれだけであり、技術的には簡単だが、ただ方法が簡単なだけで肝腎なのは絵作りである。 寒山拾得は、数メートルに渡る絵巻物として考えている。決まったフレーム内に作るのと違い、続いているため各場面をつなげる岩山などいくつも作る必要がある。そう考えたら、額装する作品は巻物からトリミングしてではなく、それぞれ配置を考えて個別に作品としよう。一歩前進。今日の所はこんな所で。

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金魚  


窓を開け放して寝てしまい。朝から腹具合が悪い。 新たに始めるといえば、引っ越しそうそう始めるはずであつた金魚の飼育である。金魚坂での個展室生犀星の蜜のあはれに赤井赤子役に使った琉金をいただくはずだったが、なにしろ引っ越しを控えていたので待って貰っていたが、準備が出来た、と思ったら、琉金の調子が悪くなり、待っているウチに死んでしまった。熱帯魚は長らく飼っていたが、もう気分は金魚になってい。 そうこうして、知り合いに、江東区の、例えば、文化センターや、富岡八幡宮の池に鯉や金魚を寄付し、餌代だけでボランティアで面倒をみている人がいて、金魚をいくらでもくれる、というので近々文化センターで待ち合わせていただくことにする。文化センターでは7月に写真のグループ展に参加するのだが、金魚が何処にいるのか見たことがない。金魚は腰振って鈍くさい、と好きではなかったが、あれが良いことが撮影して判った。判らなかったことが判ったなら何でも良い。


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