明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



眼鏡を作ろうとしても、つけてもつけなくても結果が変わらない。眼科でも検査したが、眼鏡は役に立たないことになってしまったようである。乱視も年々酷くなり、左右の度が違うのがまた厄介である。手元用はまだ効き目はありそうだが。しかしまあ何年も眼鏡は単なる伊達となってしまった。現にこのブログも小さめのスマホで細かな文字で書いており、しばしば、ばとぱなど間違うが。 これは慣れとしかいえないが、見えているような気になっているのだろう。身体というものは大した物である。私の場合、江戸川乱歩いうところの〝現世は夢夜の夢こそまこと”タイプであり、まことを写すという意味の写真という用語にずっと抗い続けている。これが十代や二十代なら大問題だが、ここに至れば。そういえば最近、こんな世の中で、十代や二十代ならえらい事だが、すでにここに至っていて良かった、と視力だけでなく思うことが多い。見方を変えれば、子供の頃に思い描いた、何処かの王様に石の塔に幽閉され、算数も宿題もやらないでここで一生好きな事をやっておれ状態に近いような気がしないでもない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


作りたい物が浮かぶ時、今晩○○を食べたい、と鼻の奥にイメージが湧くのとそっくりである。作るべき物がどうが浮かぶのか、と聞かれれば、そう答えている。その時は構図も決まっている。食べたくなる物は、育ち経験、その日の体調など、様々な物が影響しているのだろう。子供の頃大嫌いだったアンコやちくわぶなど平気で食べており、現に冷蔵庫にはちくわぶが2本入っている。であれば、作る物が変わって当然である。昔好きでも今もっと好きな物があれば、そうでもない物をいつまでも食べるのはまっぴらである。 ところで死刑囚は刑を執行されると、しばしば射精すると聞いたことがある。種の保存本能なのだろうか?そう思うと、年齢と共に、作れる物は作っておこう、という気分が募るのも、同じ仕組みかもしれない。だがしかし、種の保存と関係ない物も出てしまうようだから、単なる〝お漏らし”と思えなくもない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




快楽はなるべく長引かそう、というのが人情であろう。しかし今回に限れば、そうも言っていられない。この人物の場面には、相手役が必要で最低1名。または2名。もっと居ても良いくらいである。そんな理由もあるけれど、展示出来ない可能性を考えると、ズルズルと創作の快感に浸っている訳には行かない。 90年代、オイルプリントに熱中していた。写真の素人が廃れた古典技法の再現など出来る訳がない、人形制作を放っておいて、何をしている、と周囲にも反対されていた。もっとも一番そう思ったいたのは私かもしれない。どれだけカメラや写真に興味がなかったかを一番知っている。何でこんなことをしている?と内心ずっとハラハラしていた。そんな経験もある。 それまでの作品を作品をオイルプリント化して生涯を終えるものだとずっと思っていた。そのためにあの頃熱に浮かされていたのだと。しかしそれは間違いであった。あの時欲望を抑えてオイルプリントを途中で辞めていたなら、様々流れは変わり、陰影をなくす手法に至らなかっただろう。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ここ数年現世の人間より室町や鎌倉の人等との交流の方が密な気がしないでもないが、夜の夢こそまことな人間としては、コロナ禍を隠れ蓑にして好都合と言っては不謹慎であろうか。しかし考えてみると、私が寒山拾得的世界に没入するために用意されたかのようなここ数年の状況である。 前回、寒山拾得以外にポイントとなったのは、小学校四年で読んだ『一休禅師』で、その時浮かんだ画そのままの物が出来た。頭に浮かんだ物はどこに消えて行ってしまうのか、と思っていた当時の私にここにまだ存ったぞ、と教えてあげたい。その本には曾我蛇足の描いた一休像が描かれており、子供向けの挿絵に辟易としていた私は印象に残っていた。師の克明な姿を残すのが、禅宗でも臨済宗の特徴と知らなかった私は気になる像が臨済集ばかりなのを勝手に縁と感じてしまった事が方向を決めることとなった。知らないからこそ出来ることがある。己の無知さえ都合よく解釈し、挙句に快楽のために制作している、と恥ずかしげもなく。人間も草木同様自然物、肝心なものはあらかじめ備わっており、後は考えるな感じろで良い。ここに至って、禅モチーフを手掛けているのも、偶然ではないことぐらい私にも判っている。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




不動明王の頭部を横にどかして、資料を整理し、明日よりまずは頭部の制作から始める。この禅師は鎌倉時代の木像が残っている。禅宗、特に臨済宗の肖像彫刻の迫真性は驚くばかりだが、当時、東洋には、どんな修行法があったのだろうか。資料があるのなら見てみたいものである。肖像画も残っているが痛みが激しい。木像は2体知っている。2体目は、オリジナルを参考にしたらしいが、別人くらい違うので、こちらは無視。オリジナルはおそらく漆仕上げで全体が黒い。完成し、肌を人肌に塗れば趣も変わり新鮮だろう。 今この人物を作ろうなんて地球上で私だけだろうし、この人物のエピソードをモチーフに描いた人間はおそらくおらず。そう思うと格別である。名場面はおおよそ作品化されているものである。それはともかく。発表出来るか判らないのに我慢出来ずに作り始める。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




作った物を友人だけに見せて「良いだろ?」なんて言って生きていられたらどんなに良いか。なんて思っていた頃と違い、ネット上はともかく、発表の機会を得られない物を作るべきではないだろう。しかし快楽を貪るために作っている、と天真爛漫にいってしまった私は、ここに至ればもう良いだろう。 昨年の『寒山拾得展』ではキャラクターこそオリジナルを創作したが、モチーフは伝統に準じた。これから制作しようという人物に関しては、名場面であるにも関わらず、どうも作品化された気配がない。理由を考えてみるに、梅原猛が栄西についていった〝栄西を祖師として尊拝するのは、彼が創始した鎌倉の寿福寺及び京都の建仁寺を本山とする寺などにかぎられ他の禅寺には彼の頂相(肖像)すらない” 臨済宗には14派あり、血筋違えば栄西ですらこうであれば、件の禅師のエピソードも、ある派のある寺に伝わる、ある人物のエピソード、という事もあり得るだろう。逆にいえば、中国から来て帰化した鎌倉時代の禅師のエピソードの、初作品化の可能性がある。もしそんな快楽が得られるならば、友人に見せて「どうだ良いだろ?」でも良いという気もする。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




わかっちゃいるけど止められない物や事を抱えている人間は、私のように、努力や苦労の自覚もないまま続けられる、と思う人がいれば、それが原因で苦しんでいる人もいるだろう。 昨日のブログで展示の可能性が明らかでない物は作れない、と躊躇していたが、作る事に決めた、と書いた。何しろ他の事が手に着かない。これのいくつかの単語を入れ替えれば、猟奇犯罪者が理性で抑えていたが、ついに欲望に負け、犯行を決意した!そんな話に変換可能である。そう思うと小学時代、始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出てこないような私の行く末を案じ、母にはさぞ気苦労をかけたであろうことは、寒山拾得を手掛けながら様々振り返り思い出した。遅きに失したが、母の生きてる間に間に合ったのはせめてもであったかもしれない。作りかけの物を一旦横に置き、より作りたかった物を作り始める事に。〝俺の邪魔をする奴は誰でも噛み殺す。たとえそれが俺のお袋でもな” 子供の私には、力道山と戦った〝噛みつき魔”フレッド・プラッシーのセリフの怖さは今一つ伝わらなかった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ある意味で昨日の続きである。養老孟司曰く〝人は頭に思い付いた物を作るように出来ている” この仕組みに従い続けて来た私は、一休禅師の迫真的肖像を描いた、曽我蛇足の描いた肖像画を元に、表情の面白さに臨済宗の開祖、臨在義玄を無邪気にも作った。作りながら義玄像を不思議なくらい目にしない事にクビを傾げ続けた。文革の影響だろうか?と思ったり。であれば今度は臨済宗を日本に伝えた栄西なら、と作ろうと思ったら、梅原猛曰く〝栄西を祖師として尊拝するのは、彼が創始した鎌倉の寿福寺及び京都の建仁寺を本山とする寺などにかぎられ他の禅寺には彼の頂相(肖像)すらない”ことを知った。 そうこうして、鎌倉時代のある禅師のエピソードを知る。名場面なのに作品化されていないようである。資料を集め、いつでも着手出来るが梅原説により、作っても展示の機会はないかもしれない。と〝ルールを覚えているような顔を”して躊躇していたが、欲望に勝てずに作る事に決めた。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




子供の私をチック症にしてまでも、うるさく母が伝えようとしたのは〝ルールが覚えられないなら、せめて覚えているような顔をしろ” 極端に要約するとそう言うことだったかもしれない。確かに今に至って寒山だ拾得だ蝦蟇仙人だ、といえているのは、世間の空気抵抗をいくらかでも減らせたため、という気がしないでもない。  小学生の時、少年飛行兵の話を読んでいて、父も志願すれば戦争に行けたではないか!椅子を蹴立てて、父の前で「何で戦争行かなかったんだよ!」大学の工学部に行ったのもそのためだろう?「大学行ったのは戦後だよ。」父はその一件をしつこくずっと覚えていて、後年親戚の前でバラされ大恥をかいた。〝自分がしたことは必ずされることになっている” 娘のいる友人にそう言っては、その不愉快そうな顔を見るのが大好きだが、私に息子でもいようものなら目の前に仁王立ちされ「何のルールも、知ったかぶりで誤魔化しやがって。」なんて言われたかもしれない。そして親戚の前で息子に一矢報いる機会もないまま終るだろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




本日は朝からWBCの実況を観て、昨日当たったバチの傷を癒すことだけがテーマであった。子供の頃はそれほど野球に興味はなく、季節になると父が野球ばかり観ているのでウンザリした。後楽園で巨人阪神戦を一度観ただけである。阪神はバッキーが投げていた。 スポーツは世界レベルに無いと興味が湧かず、野茂の登場によりようやく。アメリカの子供が野茂のフォームを真似しているのを観て感激した。日伊戦を家族で観てきた友人が、俺等が生きている間、サッカーがこうなるのは無理だろうな、というので大谷とボクシングの井上で良しとしようぜ、と。本当は藤井聡太も、と言っても良いが、私は将棋のルールを覚えないまま死ぬだろう。 昔母は高校野球など観ては親御さんはさぞ喜んでいるだろう、としょっちゅう涙ぐんでいた。あの居心地の悪い空気を思い出すと、当時、親孝行がユニフォームを着ているような大谷がいなくて良かった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




朝目が覚め、書きそびれた昨日のブログを書いた。私は素晴らしい作品を作りたい訳ではなく、快楽を貪るために制作している、と。そこまではお調子者で済まされるだろう。しかし世界のスーパースター大谷を、同じ穴のムジナの如く、幼い頃から野球をする快楽に取り憑かれ笑っているのだ、と。直後にバチが当たった。   すぐ準決勝メキシコ戦が始まる時間ではないか。リモコンを手にすると何故か濡れている。テレビが反応しない。  乾燥機で乾かすが駄目。リモコンを買うにも店は10時からである。検索するとスマホのアプリがある。インストールするが、設定がああしろこうしろとややこしい。そうこうすると10時である。面倒くせェ止めた! 私の場合、将来ロクな事がないだろうから、思ったことを顔や口に出すな、と私に教えた母も今は施設だ、なんてついでに書いたのも良くなかった。 ネットで日本の逆転勝利を知る。夕方、買い物ついでにリモコンを買うか、と思ったら治っていた。バチは確実なコントロールをもって当たるようである。教訓としてはブログはちゃんと目が覚めてから書けという事だろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨年の寒山拾得展は長年の友人をも後退りさせた。2000年の、写真の素人なのに古書街に通い詰め挑んだ廃れた技法オイルプリントによる初個展を思い出した。一度書いてしまったし、余計な腹の中を晒すなと私を心配した母は施設にいる。私は素晴らしい作品を制作する事を目指している訳では全くない。単に快楽を貪るためにやっている。なのであの頃の手法や作品が良かった、といくら言われようとも、快楽が味わえなくなれば止める。三島由紀夫が死んでいる所など、と周囲に止められても、あんな私に快楽をもたらすモチーフはなかったし、これ以上私に快楽をもたらす作家はいない、と思えば何十年やって来た作家シリーズも止めるのである。そんな趣旨の物を見ていただくのは失礼という向きもあろうが、それを観て、呆れたり微笑んでもらうのが私の役割、渡世だと信じている。なのでその妨げになることは一切しない。 明日はやはりそんな快楽に幼い頃から取り憑かれ、結果スーパースターになってしまった男が観られる。彼はストイックだ努力だ、などのトンチンカンな常人の分析は無駄である。快楽に陶酔していつも笑っている。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




元ボクサーの袴田巌事件は、まったくひどい話である。アメリカにも同じ66年の事件で冤罪で終身刑となったルービン〝ハリケーン”カーターがいた。ボブ・ディランが歌にしたし、後にデンゼル・ワシントンで映画化もされた。いつも思うのだが、無茶な取り調べをし、証拠をでっち上げだ警察官は何故罪に問われないのであろうか?   普段肝心であるはずの頭部だが、不動明王は良くある表情でむしろ良い。そこに新味を出しては、面白さが薄れる。そのかわり濡れて貼り付いた衣の効果をより出すために、不動明王としては、かつて無いタルタルのだらしのない身体にしたいと考えている。老けた梅宮辰夫調か?最終的に普通にフォトショップで画像処理をすることになるが、被写体が粘土でチマチマと作っている物である限り、デジタル臭くなりようが無い。フィギュアと違って粘土丸出しの作り方がかえって良かった。昔、背景ソフトを使い、それでオイルプリントという古典技法のプリントをしていたこともある。例えばロシアの大地、と想定した背景にニジンスキーが垂直に浮かんでいる、とか。当時は大正時代のアマチュア作家に対してひたすら対抗心を燃やし、昔の連中が出来なかった事を、と考えていた。それはザマアミロと思った時点で満足した。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




貴景勝の休場により昭和以降初めての横綱・大関不在となった。貴景勝は、髷を引っ張られての審議中に、髷を触っていかにも引っ張られたとアピールしているのを見て嫌いになった。宇良は、花道を引き上げる時に、落ちてる客のパンフを拾ってわたしている所がたまたま写り、以来ファンである。私だけでなく、人はこのぐらいのことで好きになったり嫌いになったり誰しもするものだろう。 未だに初期のジャズ、ブルースシリーズが一番良かった、作家シリーズでも、人形とカメラを手持ちで街で撮り歩いていたフィルム時代が良かった、と言われるが、人間変われるウチが華であるし、審議中に髷を触っていたぐらいで嫌われる事があるのだから、気になどしてはいられない。 昔、母が最も恐れ、治らないならせめてそういう余計な事は口にはするな、と思っていたであろう事を当ブログでつい筆が滑って書いてしまった。〝快楽のために作っている”それも今に至ればたかだか人形作って喜んでいるのだから母はホッとしているだろう。だがしかし、こう見えても、背中の火焔が濡れる事を気にしてかたわらに置いて滝に打たれる不動明王の衣が、ピチピチに濡れて貼り付いていたら面白いだろう、とウケる事を考えながら作ってはいるのである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




寝る前にベランダで小動物が走って横切る気配がした。そういえば江東区にも、ハクビシンが目撃されるとの注意書きを見たことがある。昔、友人二人と南房総の親戚の別荘に行った時、知り合いの民宿に食事に行った。舟盛りが楽しみだったのだが、そこの主人がタヌキを獲ったと、たぬき鍋を出してくれた。一人は占い師に山の四つ足を食べてはいけないと言われたなんていうし、もう一人も箸もつけない。ウケると思って出してくれた主人を思うと、房総の舟盛りを横目に私一人で食べた。すき焼き仕立てのせいか、雑食性の臭みもなく、ほろほろ肉が解ける感じで悪くはなかったが。 また10年くらい前、『貝の穴に河童の居る事』の撮影で、同じ別荘に行った。当時、運送会社を定年のオヤジを撮影の手伝いに連れて行ったのだが、酔っ払ってばかりで自転車でコケて流血したり、ほとんど役に立たない。夜酒を飲んでいると、そのオヤジが「あっカワウソ!」とベランダを指した。普段から河童だカワウソだ、と言われていた自分の姿がガラスに映ったと言いたい所だが、私の中でイメージするカワウソらしきものが一瞬で消えた。東京に帰り一週間後、ニホンカワウソの絶滅が発表された。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ