明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



来場者の話を聞くとはなしに聞いていると、被写体を展示しているにもかかわらず、写真は別だろう、という方がいた。しかし今までは4、50センチのプリントを被写体と共に展示する場合が多かったが、そういう場合に比べると圧倒的に少ない。ほとんどの方が、目の前の作品を被写体にして、と解っていただいている。当たり前だろうと思われるかもしれないが、被写体にしました、と横にキャプションがあってもそう思わない方々が結構いたのである。それが被写体のサイズからさらに遠く、拡大したのにかかわらず、かえって解りやすくなったようである。 拡大プリントは、一度仕舞えば、よほどの事がないと広げて眺める事などしないであろう。今のうちに良く見ておこう、と眺めてみるが、プリントの中の人物が、頭の中で何かイメージしている人のように見える。意思を持っている感じなのである。しかし自分でいうのもどうかと思うのだが、「It's Alive!」と叫んだフランケンシュタイン博士と違って、あんな小さな頭に、そこまで込めて作った自覚が私にはないのである。とりあえず撮影した甲斐があったというべきであろう。

『特別展 深川の人形作家 石塚公昭の世界』

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特別展『百年目に出会う 夏目漱石展』神奈川近代文学館 漱石像出品

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回 



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今回の個展は拡大プリントがメインとなったが、搬入当日に初めて観ることになった。先日、三島に唐獅子牡丹を描いてくれた彫Sが、会場に来た時、すぐに三島の前に行くと思ったらモジモジしてなかなか行こうとしないのが可笑しかった。と書いたが、よく考えてみたら私も同じような気分になったのを思い出した。 飾り付けは一切職員の方々に任せっきりで、作品の配列についてさえ、一言もいわず仕舞であった。その間、片隅にテーブルを出して人形に色を塗っていた。当然目の隅に入って来るし、たまに顔を上げて眺めてもみたが、どうもボンヤリとしか見られないのである。私が作った連中なのにかかわらず、それぞれ私が教えたり込めたつもりがない意思をもった姿で現れた。とでもいえば良いのか、まっすぐ目を見られないのである。ちゃんと見ることができたのは二日目だったろうか。改めて見ると拡大されたことにより、私の想定外のニュアンスを帯びてはいたが、間違いなく私由来の連中である事を確認した。こんな経験は初めてである。 三島に胸毛を描いた後、旧知の友人知人と7人で飲みに行った。連日この調子だが、二日酔いしない体質に感謝。

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今回の石塚公昭の世界というポスター、チラシを見て、気球にぶら下がっている人物が石塚公昭だ、と思った人が少なからずいるらしい。確かに江戸川乱歩の顔を知らない人もいるだろう。というよりたとえ読者であっても、作家の顔など知らなくとも全く不都合はない。 二時に用事があったので、それを済ませて清澄白河に着くと、来ていただいた油井昌由樹さん。何度か書いているが、15歳の時に、当時どこにもなかったバンダナを油井さんの店スポーツトレインに買いにいった。「UFOの写真を見せてやるよ。」コールマンの部品を投げた捏造写真であった。その後日本テレビの美術番組の司会をされており、出ることになったので、あの時の話をしようと思ったら、黒沢映画のオーデションに受かって家康になってしまって降板。司会は榎本了壱さんに。その時音声をされていたのが、現スウインギンバッパーズの吾妻光良さんであった。「サインください」「今仕事中なので」そりゃそうです。 5日目にして重大なミスに気がついた。これはあってはならないミスである。三島由紀夫に胸毛がない。今回前面を撮影する予定がなく、背中の唐獅子牡丹ばかりに気を取られていた。当時長嶋、朝潮と並んで三大胸毛といわれた三島ご自慢の胸毛がないというのは有り得ないことである。といっても鉛筆で書くだけであるから明日描こう。

会場で手を合わせて拝んだ人がいるという寺山修司

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回 



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カセットを聴ける機材が資料館にしかない。5月6日の朗読ライブでは私が映写するスライドの切り替えをするので、控え室を出たり引っ込んだしながらチェックする。『貝の穴に河童の居る事』は義太夫ではなく、あくまで義太夫三味線をバックでの朗読だが、ところどころに義太夫調が炸裂。人間に怪我をさせられた河童の三郎は、鎮守の森の姫神様に仇討ちを願い出るが、色々あった後、機嫌を直し大団円を迎える。そのあたりの畳み掛ける様はほとんど義太夫調で語られる。一部のジャズピアノをバックに語られる乱歩作品とは良いコントラストを生むであろう。 三島に『唐獅子牡丹』を描いてくれた女刺青師彫S来場。真っ先に三島の所に行くものだと思ったが、なかなか見に行けない、とモジモジしているのが可笑しかった。三島の出来に大いに喜んでくれた。こうなると谷崎潤一郎の『刺青』なども可能になってくるだろう。明日は用事があり、行けたとしても遅くなるかも。

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柱時計に入った夢野久作。狭いスペースで振り子を動かしているので初日はうまく動かなかったが、本日は快調に作動。 3日目くらいになると、ようやく客観的に作品、特に拡大プリントを観られるようになる。作家シリーズとしては開始当初の、何も考えずに誰それを作ろう、と浮かんでいたものが、そろそろなくなってきた。乱歩と並んで中学生時代にはまった谷崎潤一郎は、最初期の、ヌードに配しただけの作品以外、ほとんど制作していないから、具体的な作品について描いてみたい気がする。私が作ったのは中年から老年時代の谷崎なので、『春琴抄』の佐助をさせるわけにはいかない。となると『痴人の愛』『鍵』『瘋癲老人日記』のいずれかであろう。川端康成は作っておくべきだろう。などとと考える。プリントに関すると今日の段階では、拡大プリントが面白すぎて、普通のサイズが考えられない。 新聞の取材を受ける。刺青の入った三島を撮影されたが、果たしてあれが載るのか?5月6日の朗読ライブまでには掲載されるという。 昼過ぎに漫画家のうえやまとち夫妻が来場。奥さんとは陶芸学校の18歳の時の知り合いである。私がすっかり禿げた、という誤情報を聞かされてきたらしい。芳名帳に“クッキングパパ”と書いてもらう。 一箱古本市の発案者、南陀楼 綾繁さんと写真家の白石ちえこさん来場。白石さんには、私が密かに人形の佇まいに関して重要視しているところを指摘される。二人目である。 4時も過ぎ、来場者がほとんどいなくなったところに今拓也、岩崎宏美夫妻が来場。母の心配までしていただいたが、夜中に目を覚まして餅食ったりしていることはいえず。

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休館日であったが人形の修正。撮影用で作った物は写る所しか作っていなかったり、作っていても写らない所は色を塗っていなかったりする。これがまた、そこまで塗っているんだったら、もう少し塗ればいいじゃないか、というぐらいギリギリピッタリで止めている。色を塗っている頃にはどう撮るか、アングルからすべて決まっているから、そういうことになるのだが。こういうことになると全く愛想がない。 河本の常連は、志ん生の背景に使った河本の店内がほぼ実物大からちょっと大きいくらいなのを見て驚いている。ちょっと高いが、ほぼ女将さんの目線であろう。地下鉄のフリーペーパー用に作り、交通局から飲酒表現はNGだとクレームが入り、志ん生定番のお銚子にコップを湯のみに替えさせられたことなど話したりして。入稿しホッとして河本に行こうとした時、連絡がきたような気がする。勿論展示作品はお銚子にコップである。 どこに置いても周りの人形と合わないのが新作の三島である。刺青に刀だから仕方がない。プリントは実物大以上である。三島の背景に何故着流しの4人がいるのか。特にキャプションには書かなかった。模造刀の“関の孫六三本杉”といわれる刃紋がようやく生かせた。相変わらずガラケーでの撮影はヘタクソである。 ちなみに人形に関してはお借りしたものもありできないが、写真に関しては撮影可である。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回 本日発売

 

 



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完成した伊集院静氏を持っていく。結局左手にボール持たせず。編集者を通してご本人に出品の許可を貰っておいて出さないでは話にならない。  未だ作業が残っていて落ち着かないが、個展というものは今までのこと、今後のことなど客観的になれる良い機会である。今日のテーマはある人にいわれたこと。私の作品は粘土の質感丸出しにかかわらず、拡大すると、かえってリアルに見えるが、細部まで詳細に作られたフィギュアを拡大しても人形にしか見えない、という。考えてみた。判ったら、知ってて初めからそうしているのだ、という顔をする。 5月6日の朗読ライブは、先日1部の江戸川乱歩作品でピアノを弾いていただく嶋津健一さんがみえて、二回目のリハーサルをすると聞いて楽しみである。2部の泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』 のリハーサル音源が、まさかの“カセットテープ”で届いた。女流義太夫のお二人だが、朗読の竹本越孝さんの河童、姫神、翁(柳田國男)、人間の使い分けが見事。女性の中年男は、中年、老年男専門の人形作家である私には、漫画から宝塚からすべて気に入らないが、姫神の後見人たる柳田が雰囲気満点。トトさんカカさん調の悲劇的内容の義太夫の手法で、珍しくユーモラスな鏡花作品がどうなるだろう、と思っていたが、人間どもに仕返しを、と必死に訴える河童の三郎。越孝さんの三郎はその必死さに笑ってしまう。1部の乱歩作品で『人間椅子』の女流作家役をお願いした鶴澤寛也さんは、鏡花作品なら琵琶か義太夫三味線だろうと思ったとおりの演奏で、時折、打楽器のようなトリッキーなバチさばきが効果音的に使われている。面白い試みになることは間違いないであろう。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回



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昔は個展の中日なのにまだ作っていたこともあったが、永いことやっていて個展開催へ向けてのペース配分には自信があった。しかし久しぶりなことや、テーマを決めて、というのとも違い勝手がちがった。 眠くてヘロヘロ。控え室で作りながら、用事で会場に出ると知り合いがいたりして。まあ良いや、と。本日ざっとだが、ようやく展示された写真を全部観た。色んなことを考え企んできたな、と改めて。私がいうと信じられないという顔をされるのだが、これでも常にウケを狙って作ってきた。はたからはそうは見えないらしい。依頼された良く知らない人物はともかく、最もウケたいのは作る対象の人物である。ちょっとからかいたくなったのは、(まだ会場にはないが)森鴎外くらいである。あまりに文豪なので、もう一つの顔、軍医総監の礼服を着せれば文豪の頭にベルサイユの薔薇みたいになりはしないか、と作ってみたら結局立派になってしまった。軍服とはそういうものである。 何年来希望していた三島の背中の唐獅子牡丹だが、これなどただひたすら三島に見せたいという一心であった。なんでも実現してきた三島も、刺青は時間切れであった。 新聞を見て、子供の頃お世話になった隣にお住まいだった方まで来てくれた。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回

 



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最後のⅠカット、唐獅子牡丹を背負った三島に着流しに番傘の4人組。映画のポスター調。人形を作りながら調整していたが、ほとんど寝ていないせいで、はっと目が覚めるとマウスをどうかしたのかデザインがかわっている。そんなことを繰り返し、なんとか完成。途中でドリルや絵の具を買い会場へ。イベント屋のSと近所に住むHさんが助っ人。私はというと会場の隅にテーブルをだし、人形制作。職員の方も総出で2メートル超のプリントを設置。例によってレイアウト案がまったく浮かばない私は、その件に関して一言も発せず。ニジンスキーと九代目團十郎が隣り合わせなのは意図的であろうか。先日乳輪30センチと書いたが、改めて見たら20センチないくらいであった。 田村写真の田村さんが所有してくれているロバート・ジョンソンの人形を持って来てくれる。本日あがった十字路で取引するため悪魔を待つロバート・ジョンソンのプリントも雰囲気が出ている。 良い悪いはともかく、感心されるくらいなら呆れられたい私としては、その点に関しては合格だと、見回りに来た警備員さんの台詞で確信。しかし人形は、完成していない作品がまだまだ家で待っているのであった。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回



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横150センチ縦2メートル超のプリント11枚が資料館に届いたと連絡くる。あとは横110センチ縦約160センチのプリントを20カットをお願いしている。当初からずいぶん変わってしまって、大きなプリントと人形展というカタチである。 搬入飾り付けは二日間。しかし人形の着彩、修正がまだ終わっていない。そこで窮余の一策。全部運んでしまって会場の一隅で作業をすることにした。助っ人には、カミさんと電話で話しているのを見ると、電話の向こうにいるのはパットン将軍か?と思えるイベント屋のS。というわけで作業続行である

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一日  


朝から着彩。午後近所の喫茶店で取材を受ける。こんな時、どんな人形を持って行けば面白いだろうか。ついそんなことを考えてしまう。初個展がいつだったとか、いつ何をしたか、とか聞かれても、ずっと自分のHPを当てにしていたので、詳しいことが判らない。プロバイダを替える前にデータを移動していなかったので、ネットに詳しい友人の手を煩わせている。とりあえず元に戻してから。リニューアルなど先のまた先であろう。帰りがけに、個展のポスターやチラシを貼ってもらっている近所のラーメン屋に勤める彼とすれ違う。これも展示する作品、と顔の部分を見せる。これじゃ見せてもな、と「外国の作家なんだけどさ」。「ドストエフスキーですか?」。あら当たった。お見それしました。 唐獅子牡丹を背負った三島を市ヶ谷駐屯地のバルコニーに立たせる計画は今回は断念。今のままでは背中を真正面に持って行くと顔が全く見えない。顔が生かされないなら作っても仕方がない。

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彫Sより背中に唐獅子牡丹を背負い、肩から上腕部まで墨が入った状態の三島由紀夫を受け取る。 出来はというと想像以上である。時間さえあればもっと手を加えたいし、リアル感を追求するため、色々やってみたかった。というが、充分である。高倉健の昭和残侠伝シリーズは何作もあり、おおまかな印象でしかないが、小さな人形に描くという条件の悪さを差し引くまでもなく、こちらの方がカッコ良いと思った。見れば誰が描いたか判るらしく、そういったら本人は.謙遜していたが。 これでようやく同じ姿勢で待ち続けた、着流しの四人衆の元に合流することができる。『唐獅子牡丹』と名付けよう。  三島がもっとも好きな制服は金ボタンがならぶ白いエレベーターボーイのものだった、と中井英夫がいっている。そしてあの愛らしさがかけらもない、と盾の会の征服を批判している。エレベーターボーイが愛らしいかはともかく、私も最後の姿があの制服か、とは思う。 あのバルコニーには、大映のからっ風野郎で三島が演じたチンピラヤクザの格好で、すでに立たせている。あの建物はコンパクトに改造されていて、当時を再現するのは簡単ではない。そこで実はすでにあのカットから三島をどかした背景をすでに作ってしまっている。唐獅子牡丹に自衛隊員が唖然として野次が止んでしまうようなカットができないだろうか。こちらは『昭和残侠伝』と名付けよう。しかし担当のNさんには作品数を守るよう釘を刺されているのであった。

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この期に及んで太宰も完成させるか、などといっていた奴は誰だ。無理に決まっていただろう。 田村写真にてモノクロプリントをスキャンしてもらう。ウエス・モンゴメリーやロバート・ジョンソン、ジョン・コルトレーン。架空の女性ボーカリスト。リー・モーガンはリアルに写っているが、そこが引っかかって止める。そもそもジャズ/ブルースシリーズから作家シリーズに転向したきっかけは、個展会場で、人形ではなく人間を撮ったと勘違いされたことであった。そんなことをしたかったのではない。 画塾のアトリエを借りて撮影した村山槐多。金沢で撮影した泉鏡花。それぞれ思い出深い。シャドーボクシングをしながら線路を行く寺山修司。これは刑務所を出た後、線路伝いに返って来たというボクサー、ソニー・リストンのエピソードから着想したが、寺山には単線路が似合う。これを見て元奥さんの九条今日子さんは、「ボクシングなんかやったこともないのに。」確かに写真に残るファイティングポーズは様になっていなかった。この線路は青森とつながっているようだ、といってくれた。巨大な寺山を見て欲しかった。 土曜に彫Sから三島由紀夫を受け取ることに。

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担当のNさんから拡大プリントの展示方法を考えた。とのメール。心強い。彫Sからは腕から胸へ進んだ状態の画像がさらに送られて来る。メールからは、描いていて根もつきてバッタリ。という感じが伝わって来た。面相筆での細かい作業だから大変であろう。腕を上に、といったって上げるような相手ではないし。 近年刺青に対しての風当たりは強い。医師免許が必要になる、なんて冗談のような話も聞こえて来る。公の施設で大丈夫なのか?と少々思ったが、人形に模様が描いてあるだけだし、駄目であれば会場の一隅でそっと、とかつての温泉街方式も考えないではなかった。幸い担当のNさんからはOKをもらっている。これでこのまま順調に進めば、最後の写真作品として唐獅子牡丹が会場で吠える予定である。

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朝から銀行行ったり出張所へ行ったり。何が面倒かというと、本人確認で86の母を連れて行かなければならないことである。さらに何が面倒かというと、母は最近まで一人で仕事をしていたから、世事に通じていると思い込んでおり、何でも自分でやろうとするが、これがまた混乱を呼ぶ。面倒をさらに倍化しているのは、私が世事にうとい役立たずだ、と母が思い込んでいることであるが、しかし実はその通りであることが最大の問題点であろう。そんな時、先日彫Sより届いた三島の“背中で泣いてる”唐獅子牡丹を眺めては現実逃避。これは最後に仕上がる写真作品ということになる。こうなると市ヶ谷駐屯地のバルコニーに立たせるのも可能ではある。しかし、そこには革ジャンに白鞘の日本刀、くわえ煙草の三島を配した作品がすでにある。 背景を撮影したのは事件の11月25日と数日違いであった。何十年経とうが季節の光は変わらない。ただあの建物は移築され、しかもコンパクトに改造されており、そのままでは当時の再現にはならない、桜のマークも取り外され玄関に置かれていた。よって他のカットを使うのも簡単ではない。 5月6日の朗読ライブ。第一部の乱歩作品。田中完さんの朗読に嶋津健一さんのピアノで『屋根裏の散歩者』『白昼夢』『人間椅子』であるが、先日リハーサルをすでに済ませたそうである。昔、世田谷文学館で開催した時の、田中さんの第一声を思い出す。

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