明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



1957年公開、松竹の木下恵介監督、佐田啓二、高峰秀子版。レンタルショップに行き、別店舗から取り寄せてもらうことになったが、女の子が電話に向かって「~悲しみもイクツキ」といっている。電話の向うでなおされたらしく「あ、イクサイゲツですか」。 目的は海上保安員の制帽の帽章を確認するためである。昭和三十年代がどうだったか知りたかった。海上保安庁が協力しているので間違いはないだろう。若干かもめの羽の形が違うようにも見えるが、仮に違っていたとしても、私の作品の中では全く問題はない。国際信号旗を三十年代仕様にしたのに、帽章が違っていたら台無しである。 私の作品は関節で動くわけではないので、ポーズごとに作らなければならないが、例えば銃撃される灯台守の、後ろにのけ反った状態を、写らないところまで作る理由がない。なるべく省エネでいきたいわけだが、切腹している明治のラストサムライを作るに際し、肝心なのは露出している胸と腹のはずだったが、調子に乗って全身の裸の状態を作り始めてしまった。裸は着衣と違って仕上げに格段の時間がかかるのだが。そうすると作った物は見せたくなるものである。この上から粘土で装束を着せ、撮影後それを剥がして、別バージョンを、というのを考えている。 今頃何を悠長なことを、ともう一人の私がいっている。

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一日  


なぜこんな時に、という感じでパソコンの調子がおかしくなり、ネットにも一日つながらなかった。幸い外付けのハードディスクに何かといっては放りこんでいたので、別なマシンで作業は続けられた。外付けハードディスクは私のもっとも好きな周辺機器である。嫌いなのはプリンターで癇癪のもとでしかない。それはともかく『金閣寺』完成。もっとも告知に使用している炎上する金閣寺の前の三島と、聖セバスチャン状態の二点で、特に小説の内容とは関係がない。明日は『船の挨拶』の仕上げにかかる予定であるが、こちらは内容そのまま。
三島が被写体となった未刊の写真集『男の死』は撮影者の篠山紀信が、映画のスチールを撮っているようでつまらなかったとくり返し述べている。撮影者のいわれるがままオブジェに徹した『薔薇刑』と比べて、三島主導で撮影された、ということもあろうが、おそらくそこにはただ無名の男たちが無惨な死に様を繰り広げているはずで、文学性など排除されたものに違いない、と私はふんでいる。三島はそういったものをやりたかったはずで、だからこそよけいに、あの事件のあとに見た者にインパクト絶大のはずであった。企画者の内藤さんには、あえてどんな内容かは伺っていないが、今度の個展会場では是非伺ってみたいと思っている。

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大変有名な三島扮する『聖セバスチャンの殉教』は、数年前にニューヨークで別カットが発見された。三島が手紙と共に送ったものだそうだが、それはぼかしてあったが腰の布も着けていない。両カットとも苦しそうだが、殉教の図なのだから、もう少し恍惚として嬉しそうでも良かったのではないかと思っている。 一方私のセバスチャン?は、というと、燃えさかる金閣寺の二階の柱に縛られている。西洋の聖人が日本のお寺で、というのはおかしな話だが、面白ければ整合性などどうでも良い、と少年の私に教えてくれたのは、かの偉大な江戸川乱歩先生である。そんなことを気にしているようでは健全な大人になれんぞ、と。 私は確かに、小学校の木造の図書室でその声を聴いた。

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三島は映画『憂國』において、帝國陸軍将校として腹を切った。先に本人にやられてしまっては、同じことをしたところで面白くない。そこで『奔馬』のなかの『神風連』の一人としてやってもらうことにした。昔の雑誌には烏帽子に鎧姿で挙兵したとあっだが、『嵐の時代明治9年』大坪草二郎著(1932年)によると、鎧を着た者もあったが、烏帽子に直垂や、久留米絣の筒袖に袴という者もあり、どうやらバラバラだったようである。考えてみると明治も9年経っているし、敵が鉄砲や大砲で向かってくるところを、わざわざ刀や槍で戦おうと考えた連中である。死ぬつもりなのだから防御に関しては無頓着である。登場人物は断髪令に廃刀令、と侍の魂を奪われてまで生きていたくない。なにしろ死にたい、死なせろ、いつ死なせてくれる、とまるで腹をすかせた子供の如しである。三島一人の割腹に衝撃を受けた昭和の時代とは訳がちがう。 しかしこの乱の雰囲気を出すとなれば、烏帽子を被らせ鎧を着せたい所だが、腹を切るなら、鎧は脱いだろう。脱ぐとなれば被った烏帽子も脱いだろう。だったら手足を防御する具足類だけにするか、これに陣羽織を着せるかにしよう。 何も制作上頭に浮かんだ細かいことを書く必要はないが、Kさんと飲んでいる話より良いだろう。と思うのは私だけなのか、アクセス数は減る。

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三島は切腹願望が強く、そういった自身の写真を撮らせたり、同好の志との交わりも明らかにされてきている。明らかにされなくとも著作を読めば判ることであるが。三島で『男の死』となれば触れなければならないであろう。 私は以前、どこでも血だらけにする方法を考えた、と書いた。だが実際はある条件が必要で、どこでもというのはいいすぎであったが、大変上手くいき、披露した人をたじろがせるには充分なできであった。三島は映画『憂国』の撮影現場でもそうだったように“もっと血を”という人であった。舞台に僅かな傾斜を作り、流れ広がる工夫もしていたという。そんなこともあり、流血の背景画像に満足していた私だが、今になって考えてみれば個展会場を探すにあたり、まだ完成作がなかったとはいえ、先方にそれを披露していたのが断わられ続けた原因でもあったろう。私の作戦ミスであった。私としては『だってそういう人なんですから』。と単純に思っていたわけである。 告知ページにも書いたが、制作にあたっての私の発想は、たとえ故人であっても本人にウケたい、という想いであるが、結局三島以外の方々に披露することになるわけで、作者の私にしても、プロレスの流血がせいぜい、という実状もある。悩みどころであったが、本日、制作中の背景がピッタリということに気がついた。それは夜の屋外シーンであり、明るさの按配によって、仮に血以外の物まで出てしまっても加減できるというわけなのである。

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『船の挨拶』の燈台守の海上保安員が、密航船に銃撃されるクライマックスシーンの制作。すでに開け放たれた見張り小屋、旗柱にたなびくW・A・Y『汝の安航を祈る』の国際信号旗、上空を飛ぶトンビなどすべて制作済みである。以前ブログに書いたかもしれないが、芝居がかった調子で撃たれ、芝居がかったようすでヒラヒラと落下する制帽、というのをイメージしていたのだが、まてよ?撃たれるからには血しぶきが不可欠であるが、時間的に考えて、しぶきが飛んだ時点では、まだ制帽はヒラヒラと落下はしていない。落ちる制帽で画面に動きを与えるつもりでいたのだが。では一瞬後の、撃たれて崩れ落ちるところはどうか。いややはり当たった瞬間のヒット感には換えがたい。 ここで『中央公論Adagio』で松尾芭蕉を制作した時のことを想いだした。“蛙飛こむ水の音”は普通想像するのはポチャンであろう。ところが小石を投げ込んでみれば判るが『ポ』でしぶきがあがり『チャン』で波紋ができる。そこで実際ありえないが、両方をあわせて『ポチャン』のしぶきを捏造したのである。今思うと何もそこまで、と思うのだが。 今回はどうするか。血しぶきははずせない。となれば制帽は衝撃で頭からわずかに浮いている程度に留めるべきかもしれない。

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それにしても三島と黒蜥蜴、乱歩の共演を思いついて、やること山積の中やってみたら肝心の乱歩が入るスペースがない。まったく私としたことが。以前だったら、もっともっとと過剰に走る私であったが、渡辺温の場合も人物が入らないほうが良い、と画を尊重して入れなかった。私も少し大人になったということか。 そもそも急に思いついたアドリブゆえこういうことになる。気に入った作品になったから良いが、実際、黒蜥蜴と三島は映画で共演を果たしているではないか。作りものでないと出来ないことを、と制作しているのに。実にくやしい。 そう思うと私など、せいぜい粘土をこねて写真を撮って満足しているが、生身の自身を使って様々なことを実現していった三島由紀夫という人物はまったく偉い。誰がなんといおうが偉い。なんといっても人間皇道だ、いや行動だ。 だがしかし、粘土をこねるだけの私ではあるが、いずれこのリベンジは果たすつもりである。それはおそらくこんな物になるだろう。乱歩が黒蜥蜴に対し、「緑川夫人、もういい加減そこまでにしておいたらどうだね、これでは三島君があまりにも・・・。」しかし嬉しそうな三島。もうこの辺にしておこう。こんなことを書いていたら、また思いついてしまう。

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今頃何を考えているのだ、という話だが、予定していなかった『黒蜥蜴』をラインナップにいれてしまった。しかもそれを作り始めてしまった。思いついたのが最近なだけに自分にとって新鮮だ。というのが暴挙に出た理由らしい。ただ当初、剥製の三島を黒蜥蜴と乱歩が眺めている画を考えたのだが、用意した背景の画角がせまく、乱歩をいれると煩雑になってしまう。三島と乱歩の共演は今回見送ることにした。 さらに。時間的なこと、バランスを考えラインナップから削除していたはずの作品の、別な扱い方を思いついてしまい、よせばいいのに一眠りしたら、それを作ることにしてしまった。思いついたのが一昨日だから、さらに新鮮だ、というわけなのだろう。これまで作ってきた背景が、主役の登場を口を開けて待っているというのに。 しかしこういう時にこそ、作りたいという欲望は利用価値がある。こんな時私は早い。この辺りの自分の扱い方は良く判っており、作りたくてしょうがないのを、あえて焦らし、腹ペコの状態にしてやおら首かせをはずすことを良くやる。  確実に出品することになった作品は、告知のページに足していくことにした。

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一日  


三島が好きなタイプの男に扮し様々な死に方をしている。三島にはドンピシャに決まっている。私は当然そう考えたが、今から42年まえに、そんな写真集を企画したのが、薔薇十字社の社主であった内藤三津子さんである。三島を3度にわたって説得したのが内藤さんだと知った瞬間から、人見知りの私が絶対お会いしたいと思った。連絡先が判り、お手紙をお出しして、明日会えるという日にK本に飲みに行き、当時同じマンションに住んでいたフリーの映画プロデュサーYさんにその話をした。するとYさん、若い頃に映像の仕事で横尾忠則さんについて助手をしたことがあり、篠山紀信撮影の三島が聖セバスチャンに扮したカットを参考に、絵を描いている現場にいた、という。しかも今日、横尾さんの事務所に数十年ぶりに電話をしたところだという。 『男の死』はもともと雑誌『血と薔薇』に三島が聖セバスチャンに扮した物と海辺での2カットが発表され、それが発端となり横尾さんと三島の二人の写真集として企画された。横尾さんの体調の問題で三島の分だけが撮影を終え、その一週間後に亡くなる。 そしてYさんは現在横尾さんのドキュメント映画を制作しており、私は内藤さんに個展のDM用に一筆いただいたところなのである。

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やるべきことがあるのに、他のことをせずにいられない。こういう人間を怠け者という、といったのは遠藤周作だったろうか。私がまさにそれで、これは生まれつきのことなので、例によって私に責任はない。 しかし、単なる怠け者とちがって、何かはやっているわけで、一概に悪いこととはいえないのではないか。私の場合は、陶芸作家になるはずが本分を逸脱し人形を作っている。なのに、一時人形の制作を中断し、発表するつもりもないのに、廃れた写真の古典技法『オイルプリント』の研究を始める。その他細かいことなど数え上げたらキリがない。この場合、本分が大事であればあるほど、やっちゃいけないとハラハラしているのに熱は燃え上がるようにできている。そして血が妙な支流に流れ込んだと思ったら、その血管が太くなって主流になっていく。どこへ延びていくのか判らないのが欠点であるが、一応前には進んでいるから良いとしている。 ところで先日の鮎川哲也賞の会場で思いつき、この期に及んで何を馬鹿なことを、と我慢していたのは、剥製にされた三島を黒蜥蜴と江戸川乱歩が美術品を鑑賞するかのように眺めている、というものであった。何か一点減らしてでも作りたくなってしまった。などといいながら、すでに初めてしまった。つくづく弱い人間である。などといいながら、悪魔の誘惑に乗り続けることをとっくに決めている私であった。間違いなくそのほうが結果が良い。ただしそれは作品に限ったことだ、といっておかなければならないが。

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朝メールで「喉が痛くて寒気がして体が痛い」。とお馴染みの筋書きどうりに寝込んでいるKさんだが、こんな人物と撮影にでかけ、撮影の邪魔にならないのか、という向きもあろうが、それは違う。私からKさんに、撮影上重要な役目をお願いする場合があるのである。たとえばもっとも貢献してくれたのが、先日完成したばかりの『潮騒あるは真夏の死』である。三島を囲むように流れる水流。このためには、ここに人間、もしくは人間みたいな物が転がっていないとならないわけである。Kさんには、ここに寝てもらうためだけに房総にきてもらい、そしてどいてもらった。 三島より背が3センチ低いだけの160センチというところがポイントで、浜松ではF104の操縦席に着座してもらい撮影した。というわけでむしろ私は大変お世話になっているのである。たしかに房総でも、昼間から酔っ払って何度もコケたり藪に突っ込んだり、一日中女性の話を繰り返し聞かされれば、なにもKさんじゃなく、人間みたいな物で良かったのではないかと思ったが。

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昨日風邪で数日寝込んでいたので今日は早めに帰る、といっていたKさんだが、二軒目で顔をあわせた某店の女性とハグしたおかげで風邪が治った、といってはしゃいでいた。以前浜松の自衛隊にF-104戦闘機を撮影に行く前の晩。たまたま彼女に「アラKさん!」と初めてハグされ、翌日、東京駅へ向かうバス、新幹線、私が撮影している時以外は寝るまで彼女の話である。「いや結婚はしないよ」。一回のハグで、なんでそうなる?そして朝、案の定T屋で飲みながらのメールがきた。私が今日一日、川口の知人の工場。というと、「夜の作戦会議があるので早く帰ってきて」。彼女の勤める店は、客は二人一組が基本のシステムなのである。テーブルには“当店では女性は隣に座りません”と貼ってある。「これKさんが来るようになって貼られたんだろ?」。それにしても、まったく私の今の状況を判ってくれないオジサンである。そしてこれがいつものパターンなのだが、前日に楽しいことがあって体調が良くなった気になって、酔いが覚めないまま朝からT屋で飲んでしまって、実はなおってないことに気がついていない。これほど学習能力がなくて、よく62になれたものである。川口に頻繁にメールが来るので、知人にこういう人だ、と説明すると、「そういう人は長生きするよ」。確かに。みんなそういう。周囲に心配だけさせて、自分が一番長生きするタイプである。 作業終了。これで制作の準備は完了である。ここから怒涛の追い上げを開始し、背景だけ準備してあるカットを、次々仕上げていく。一番の醍醐味であり、面白いところに入る。 Kさんからのメールは時刻と共に語調が変化してきた。そして帰りの京浜東北線の車中には「熱がでてきました。今日はだめです。家で寝ます残念」。知ってたよ。

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昨日ようやく『男の死』の一カットができて告知のページを作ったが、何故『男の死』なのか判らないので、短文を付け加えた。 身辺雑記を調べたら三島制作を開始したのは7年前で、今やろうとしていることをすでにポツポツ書いている。なかなかしぶとい。というより、私には三島でやりたいことは今も昔も一つしかないのである。 告知ページで触れたが、まさか三島自身が様々な死に方を演じ、亡くなる一週間前まで撮影していたとは思わなかった。つまり最期にやりたかったこと、ということになる。あの壮絶な死の直後に、包丁で腹を刺され、魚をぶちまけて死んでいる魚屋の三島を大衆が見るときの驚きを想像し、大喜びしていたことであろう。“直後”に刊行される効果を考えていたことは間違いがない。 トラックに轢かれていたり、リンチ死であったり、斧で頭を割られたりしているようだが、それは当人が演ずるから興味深いわけで、作り物を制作する私は、あくまで三島がやらなかったことをしなければならない。本来、普通の作家であれば、ご本人にハラキリをしてもらおう、と喜々として企む私に違いないのだが・・・。

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『真夏の死』が完成。房総に背景を撮影に行ったのは随分前のことのように感じるが、海女の磯着だ磯メガネだ、桶だタライだズロースだと随分ドタバタしたものだが、完成してみると、始めに浮かんだ画そのままとなった。私の場合浮かぶのは一瞬なのだが、いったん浮かんでしまうと焼きついたようになってしまい、構図を途中で変えようにも変えられない、という困ったところがあり、アイディアスケッチなど一切やらないことにしているのだが、今回もただひたすら、それに近づけていったわけである。『男の死』が一つ完成したところで告知のページを作ってみた。最初の画像にポインタを持っていくと「ボンッ」と音がするような気がするが、別に音は出ない。

告知ペ

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告知用のページを作り始めた。なにしろ個展のやり方をすっかり忘れてしまって、まだ何もできていない。そこでとりあえず告知のページを制作の合間に作ることにした。想えばそもそもこのHPも営業用に作ったのである。突然作家の人形を作り始め、写真を撮ってそこそこの枚数になったとき、文芸誌だかの編集者に見てもらおうと考えたが、編集部に電話をかけ、「作家の人形を作って写真に撮り-」と自分で説明しながら、『実につまらそうだ、俺だったらこんな奴相手にするもんか』。と思った。たまに会えたとしても、このくらいの人形を撮って、と説明しても人間大に見えるので相手はボンヤリしている。当時は人形が手前にあるから大きく写っているだけの単純なものなので、見れば判るだろうと思っていたのも間違いであった。そうこうして、たまたまインターネットの画面をみて、これにみんな入れておいて、暇なとき見てもらえれば良いではないか、と考えたわけである。当時、更新しないと誰も見てくれない、と散々いわれたので身辺雑記~ブログを始めたのだが、おかげで私の人形作家としての神秘性は壊滅することとなった。 それにしても個展のタイトルが『男の死』なのに、肝心の死の場面が一点もできていないので載せようがない。そろそろ爆発的に肝心の場面の制作に入らないとならない。ただほとんどのシチェエーションが、背景がなければナニしてんの?という状態になるはずなので、展示のしようがなく、写らない所を作る意味がないので、その分、制作時間はかからないことになる。そして男の死の第一作目はもう今日、明日にも完成するはずで、Aちゃん扮する宮田初江が登場する『潮騒あるいは真夏の死』ということになるだろう。

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