明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



大伸ばしにするプリントは、どんな画が合うのか考えている。そろそろデータを用意しないとならないことになっている。 質屋から出てきた樋口一葉は、何も大きくする必要ははないだろう、と思うのだが、かといって当初からプリントしようと思っていた、フンドシ姿で複葉機に乗り夜空に浮かぶ稲垣足穂が向いているか、というとこれも良く判らない。迷う原因の一つは私が本来、感心されるくらいなら呆れられた方がマシ、という性質であることがあるだろう。作品どうの、の前に円谷の蛸かでかくなったら面白いだろう。と思ってしまうのである。 私の作品は粘土の質感丸出しである。肝心なのは“佇まい”であり、それさえあれば、むしろリアルな質感にこだわる必要が私にはない。この佇まいが、大きく引き伸ばされどうなるか。佇まいまで拡大しないだろうか。 かといって、蛸がでかくなったところを見てみたい、というのは抑えがたくはある。蛸で呆れられたいなら他にもあるが、これでは人形作家でもなんでもない。

深川の人形作家 石塚公昭の世界展

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回 

 

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82年から95、6年の間は架空の黒人ミュージシャンを制作しており、写真にも興味がなかったので、写真で残しておくという発想もなく、雑誌、広告の類いが残っているだけで会場写真すら撮らなかった。写真は96年に制作しながら二ヶ月間撮影したジャズ、ブルースシリーズを久方ぶりに展示したいところである。この時代の人形も手元にはほとんどなく、お借りする分も含め何体展示できるだろう。そんな写真だけ、あるいは人形だけ出品する作品も、思い出しながら加えていったら、闇市の煮込みのようなラインナップになってしまった。 そういえば以前クジラ肉を食らおう、という飲み会をやった時、どじょう汁を持って来た人がいて、今、クジラとドジョウ が胃袋に収まっているのは、地球上で我々だけではないか、と思ったのを思い出した。

深川の人形作家 石塚公昭の世界展

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4月23日からの『深川江戸資料館』の個展の概要が決まった。タイトルは「深川の人形作家 石塚公昭の世界」展ということである。深川といったってただ住んでるだけなのだが、深川というのはアピールするのだと担当者はいう。確かに私の名前ではアピールはしない。石塚公昭の世界、というのもなんだか偉そうだが、催事を多く手がけた担当者のいうことを聞くことにした。 そういえば二冊目の拙著『Objectglass12』もタイトルはデザイナーにまかせてしまったが、未だに私には意味不明である。私が責任を持てるのは作った所までであり、何度個展をやっても飾り付けの際には、小学校の通信簿に書かれた「掃除の時間に何をしてよいか判らずフラフラしています」状態になってしまうのであった。今回は会場が広いので、特にフラフラしてしまいそうである。 

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回より見開き2Pに

深川の人形作家 石塚公昭の世界展

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昨年来、いやここ数年といって良いだろう。私事でバタバタしており、それをかいくぐりながら制作を進めている。いつ頃からだったか、どこからか水漏れか雨だれの音が昼夜問わずしており、それが実は自分の心臓の音だった、ということがあった。まさにエドガー・ポーの『告げ口心臓』である。この調子だとずっと聴こえ続けるのか、と半分覚悟し、まあ気になる程の音量でもなし、とも思っていた。しかし面倒なことの出口が開けそうだ、となってからはパッタリと聴こえなくなった。あれは何かの警告だったのだろうか。奇妙なことは起こるものである。 しかし幸いといって良いのかどうかは判らないが『潮騒』の初江が周りの海女が、半裸状態なのにかかわらず、乳首一つ透けていないのはおかしいだろう、と透けさせたり、三島由紀夫の背中に『唐獅子牡丹』を入れるために日本刀持たせてサラシを巻いたりさせていると、制作中は私事のバタバタから一時逃れることができ、せいぜい自分の心臓の音が聴こえてしまう程度に収まっている、とはいえそうである。

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『深川江戸資料館』には今のところ、こんなところが出品可能と伝えてあるが、場所柄から、まだリストに入っていない徳川慶喜、坂本龍馬、九代目市川團十郎を出品して欲しいとのことである。となると、この辺りで一人くらい片付けておかないとやっかいなことになりそうである。坂本龍馬にする。どんなポーズをさせて良いか浮かばなかったので、馴染みのポーズにしたが、当時の長時間露光では写らなかったであろう、着物が風にたなびいているところにした。この人物をこう解釈した、というところを見せたいわけで、写真は撮ったその人の解釈も入っている場合もあるので、そのまま乗っかりたくはない。せめてスタジオ内の龍馬を軍艦の舳先か高台から太平洋を望ませたい。 不鮮明ながら龍馬の真正面の画像をネットで見た。スタジオのちょっと下から撮った顔と違い、顔の下半分が長く見えた。

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幼稚園児の頃、新聞のチラシに『キングコング対ゴジラ』のチラシが入っていた。父にせがんで観に行ったのは良いが、キングコングの顔のアップが怖くて耐えられず、父の背中に隠れた記憶がある。大きなスクリーンで怪獣が怪獣大であることの怖さであった。おかげでしばらくどこかへ隠れ、小さな隙間から覗いても、キングコングと目が合ってしまう、という悪夢に悩まされた。 怪獣映画ならともかく、ラブシーンを巨大なスクリーンで観る必要はないかもしれないが、中学生の時に東映系映画館で観た“緋牡丹のお竜”こと藤純子のアップの大顔面の美しさに圧倒されたことがある。それは週刊誌のグラビアとはまるで違う、巨大な美しさであった。 『深川江戸資料館』に展示するテストプリントをチェック。といっても細かいところなどまったく見ず、全体を眺めてただこれはデカイ。と呆れつつ喜ぶのみ。普段4、50センチの人形を作っているが、私こんなことしてたの?という自作品の新たな見え方ができそうである。

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あっちをやったり、こっちをやったり平行して進める方が、気分も変わって良い。村山槐多とエドガー・アラン・ポーの顔の微調整も始める。徳川慶喜も頭部しか残っていないがどうするべきか。このときは徳川家御用達の写真機を私の所有するカメラ(スピードグラフィック5×7アニバーサリー型)を使い捏造するのが面白かった。実際の慶喜は、こんな華美?なカメラを使うような人物ではなかった。カメラもなく、ただ立っていても良いのかどうか。 私の場合、制作した後の展示のアイデアがまったく浮かばない。これはこことあちら、どちらに置いた方が良いか、ときかれれば答えられるが、空間を把握する能力に欠けているようで、最初からほとんど関係者におまかせしている。野球のフライが取れなかったし、ノートパソコンで地図を見るときはパソコンを回転させずにおれないところも関係しているのであろう。頭を悩ませているのは会場の広さもそうだが、多目的ホールで文化祭や絵画教室の発表会のようならないためにはどうすれば良いか、である。大きなプリントが沢山あればそうならない気がしているのだが、どこまで実現できるだろうか。

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次は誰にしようか迷っていたが、手塚治虫にした。これは気球にぶら下がった乱歩同様、造形の段階で遠近感を強調して作ってあり、しかも写る所しか作っていない。当然一カ所からしか見ることができない。乱歩の場合、出品の際は木の箱に入れて見える所を限った。 手塚は子供の頃の少年漫画誌の表紙をイメージしてみた。手塚漫画のジェット噴射はロウソクの灯のようだが、実際ロウソクを撮影して使ってみたら、あきらかに出力不足なので、噴射に勢いを加えた。 こういう場合ちょっと角度を変えたら楽屋裏が見えてしまうくらい裏は何も作っていない。試しに後ろを作り足してみたら、つじつまが合っていて、このまま完成に向かいそうである。つまり前面だけ作った物に背面を作り足した、という訳である。三島の場合は上半身に下半身を作り足したが。まったく他所ではいえない作り方である。 自己流で制作を始めた頃、集中しすぎて前面ばかりが完成に向かってしまい、翌日からは後ろ姿を、ということがしばしばあった。そんな過去の“ヘキ”がこんなことをさせてしまうのであろうか。そういえば長らくコタツで作っていたせいか、離れてバランスを見るという習慣もない。

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一日  


志ん生無事に、ただ座っている状態に。撮影用と展示用では作り方が違う。撮影用は写らないところは作らないし、こういうことをしている所、として作る場合があるが、展示する作品は、できるだけ具体的なことをさせない方が良く、その日の気分によって見え方が変わるぐらいの方が良い。 伊集院静、三島由紀夫、古今亭志ん生の仕上げを同時に進めながら、次に手がける人物を考える。見える所に坂本龍馬の首が転がっている。写真が長時間露光の時代の人物であるから、それこそじっとした姿しか残っていない。そうなると前述の話と矛盾するが、何かしている所を作りたいが浮かんでこない。作るかどうか微妙なところである。村山槐多は初期作品にかかわらず、色々な場所で撮るつもりで撮影用にしか作っておらず、首しか残っていない。写真作品はずいぶんあるので人形も出品したいところ。九代目團十郎は衣装を考えると、今の段階では負担が多すぎる。迷う。

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志ん生制作中に手が止まる。私からすると人形はできるだけ無表情が良く、動作もほとんどない方が良い。見る側からすれば想像力の働く余地があるだろうし、被写体として考えても、どうこうしているところより、撮影のしようが広がるからである。志ん生は多少表情があるが、晩年の病気で倒れた後の志ん生で、高座で膝の上に両手をただ置いている。という予定であった。しかし志ん生といえば酒である。酒を口に運ぼうとしている格好をさせたい、という気が押さえがたくわいて来る。作りたいのを我慢し、髪を切ったりして、時間をつぶしながら胸に手を当ててみると、どうやら志ん生のCDを流し、酒を飲んでいる志ん生を眺めながら酒を飲んでみたい、という“邪念” が迷わせているようである。そんな趣味に作品を付合わせるわけにはいかない。初志貫徹。ただ正座している怖い顔のお爺さんでいくことにする。

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多少の手直しを含む作品もあるが、ほとんどすぐにでも展示可能なのはざっと。江戸川乱歩、横溝正史、泉鏡花、寺山修司、三島由紀夫、永井荷風、ジャン・コクトー、円谷英二、柳田國男、宮武外骨、向田邦子、森鴎外、松尾芭蕉、谷崎潤一郎、ロバート・ジョンソン、ブラインドレモン・ジェファーソン、夢野久作、オスカー・バルナック、『古石場文化センター』から小津安二郎。『町田文学館ことばランド』からは日影丈吉を借りる。  制作中なのが伊集院静、古今亭志ん生。神奈川近代文学館の漱石展と展示期間が重なるので、できれば夏目漱石をもう一体作りたいし、手塚治虫、村山槐多、九代目市川團十郎、エドガー・アラン・ポー、セルゲイ・デイアギレフ、ヴァスラフ・ニジンスキーも完成させたい。そんなことをいっていられるのも、一番時間がかかる頭部がすでにあるからである。目標は30体。乱歩、コクトー、荷風、三島など複数体展示できる可能性のある作品もある。 これを機会に以前からいっていた、ビートルズの『サージャントペパーズ』のジャケットのように、作って来た連中を一同に集めたカットを作ってみたい。脈絡も何もないので発表する予定はないけれど。

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『河本』を背景に撮影した志ん生は店内に飾っていただいている、もちろんお銚子にコップバージョンである。そういえば女将さんに、中尾彬と池波志乃夫婦が来たことがあると聞いた覚えがある。昔ドラマで中村嘉葎雄が志ん生を演じた時、志ん生の孫の池波志乃が奥さん役をやっていた。圓生や金語楼も誰か役者がやっていた気がするが、中村嘉葎雄のん生が実に良かった。 私は長男の十代目金原亭馬生が大好きであった。まだ二十代の頃、初個展は作品が溜まってから決めたのでなんとかなったが、翌年の二回目の個展はプレッシャーから生意気にもスランプみたいなことになり、これは酒を飲んでる場合じゃない、と一年近く禁酒をした。その間はTVで馬生の顔を見たらチャンネルを替えていた。俳優がドラマでいくら飲酒していてもどうということはなかったが、馬生がシラフからだんだん酩酊していくところはとても見るに耐えられるものではなかった。馬生は『火焔太鼓』がかついで運べるような物ではない、と大八車で運ぶ噺にしたが、志ん生いわく「だからお前は駄目なんだ。大きさなんかどうでもいいんだ。」といったらしい。 引退して久しい晩年の志ん生に小沢昭一がインタビューに行った時、読んでいたネタ帳をコタツの下に隠したという。こんなエピソードに私は弱い。

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三島の仕上げをしながら伊集院静の乾燥が終わり、こちらも仕上げに入る。次は気分を替えて古今亭志ん生にしようと思う。いつもは粘土感丸出しで作っているが、気まぐれにリアルに作ってみようと試みた作品である。これは『中央公論Adagio』用に作った作品だが、特集場所の本所に再開発により適当な場所がなく、特集場所でない木場の『河本』を使わせてもらった。志ん生の十八番『火焔太鼓』の甚兵衛さんが太鼓を届けに行く途中で飲んでしまっているの図である。これも志ん生、火焔太鼓、共に写る部分しか作っていない。 志ん生は湯のみに手を伸ばしているが、本来下に載せたお銚子にガラスコップであった。入稿後ホッとしていると編集長から電話。発行元の交通局から飲酒表現はNGだと連絡が来たという。編集長は担当相手に頑張ってくれたようだが、しまいには都知事の判断を仰ぐ、という笑い話のような話になった。こいつは面白いと内心思ったが、当時銀行問題でそれどころではないという結末に。湯のみにしたところで志ん生がお茶を飲んでいると思う人はいないだろうが、替えさせた、ということで収まったのであろう。これに懲りてNG表現はなんなのか、事前に聞いておきたいとお願いしたが、具体的にはウニャムニャ、と要領を得なかった。

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神奈川近代文学館で3月15日~5月22日『100年目に出合う夏目漱石』がある。私も漱石像を出品するのだが、制作当時から、漱石の鼻筋について一人でああだこうだいっていた。漱石のトレードマークといっても良い高い鼻は、眉間から真っ直ぐ伸びている。銅像その他、漱石像はみんなそうしている。しかし写真をじっと見ていたら、もやもやと修正の跡のように感じられる部分があった。当時はネットで検索してもデスマスクを真横から写した画像はなかったが、『夏目漱石デジタル文学館』の遺品ほかにデスマスクがあり、真横から撮影したわし鼻を見ることができる。背景の鼻筋まっすぐ漱石と比べると面白い。名前は忘れたが、撮影者は私がオイルプリントを手がけるきっかけになった野島康三の弟子だったと思う。巧妙な修正にも私は引っかからなかったぞ、と喜んだ。以前も書いたが、写真師が被写体に対して無断で修正するはずがないだろう。まして相手は有名作家である。 たかが鼻筋ではある。こんなことに関心を持つのは私くらいかもしれないが、しかし写真師に命じてたかが鼻筋を修正させるような人物だと思うと、神経衰弱や胃病に苦しんだのも判る気がするのである。

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一日  


三島の首の向きを少し変えたので、顔が真横の状態で“背なで泣いてる”唐獅子牡丹がかなり見えるだろう。これは創作物だし、まさかとは思うが刺青を入れて日本刀を持っている作品が展示不可という可能性はないだろうか。担当者は作品が出来ていないせいもあるが、まだ明確には答えてもらっていない。ヌードは毛が出ていなければ大丈夫と聞いているが。現在刺青に対する風当たりはかなり厳しいようである。TVでは清原の刺青も規制がかかっていたし、昨年末の格闘技戦では山本キッドが着衣で戦っており、試合後のインタビューでは、脱いだ着衣をあきらかに着させられていた。その時は何か放送禁止用語でも彫っていたのか、と思っていたが、刺青自体がいけないらしい。 海外はともかく、日本では羽織の裏の柄のように、本来見えないところに彫るものだったろう。深川の祭りでも現在は刺青を見せてはいけないらしいが、昔は深川のいかだ職人は水死した時、刺青で身元が判った、とTVでやっていた。 個展も迫っているというのに、ひょっとして展示できない作品に時間をかけるのもどうだろう。早々に仕上げて次に行かねばならない。

 

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