いつだったか江戸時代のお金持ちの旦那集が買うような春本は、顔料を使わない、エンボスのような立体感を出すためだけの版を使い、それは現代のような天井からの光では効果がなく、寝床で行灯の低い光源からの光で初めて効果が出るのではないか、という話を書いた。その時代に応じた光があるわけだが、たとえば怪談話も低い行灯の光で行えば、子供の頃懐中電灯でやった“お化けだぞ〜”の効果が出る。昔だろうと現代だろうとお天道様は上から来る。下からの光といえば、常態と違う、異界の世界を想像させるわけである。江戸川乱歩も自らの表情を下からの光で8ミリ撮影している映像が残されている。大映や新東宝他の怪談映画でさんざん使われた手法であるが、せっかく行灯を入手したので試すべきであろう。そういえば、深川江戸資料館の個展のチラシやポスターに使った気球にぶら下がった江戸川乱歩『帝都上空』だが、唯一下からの光で撮影したのを思い出した。夜の帝都を脱出する乱歩。それを追うサーチライト。しかし結局昼間版ほど面白くならなかった。 中学生になり講談社版の乱歩全集の配本が始まり、最初に感銘を受けたのが資料館の朗読ライブでも上映した「白昼夢」である。浮気者の女房を嫉妬のあまり殺害したドラッグストアの経営者。遺体をバラバラにして樽に詰め、数百日水を流し続け、脂肪が石鹸化した死鑞にして、経営するドラッグストアに飾っているという。その話を真に受けずゲラゲラ笑っている人々(警官さえも)連中が笑えば笑う程、真っ昼間であればあるほど怖い、ということを初めて知った。
河本の女将さんがたまに店に出ると帰ってこいよー、と泣いていた猫のモッコが亡くなった。何日も餌を食べないと聞いていた。兄弟らと煮込み鍋の下で生まれたが、いずれも短命であった。気難しい猫であったが、私には逃げることなく撮らせてくれた。霊園の骨壺は歴代の猫の遺骨であふれ、蓋が閉まらないらしい。 合掌。