先日書いたばかりのような気がするが、無意識のまま作品が変化していることに気づいて、なんで?と考えるうち、そこから道に変化を生じて行く。そんなマイナーチェンジの繰り返しをずっと続けて来た。最近気付いた異変?は、陰影を出さないように撮影し、切り抜いて貼り付けたら日本画調になったので日本調ビクトリアリズムなどと言っていたのだが、その挙げ句に現在のモチーフに至ったはずだが、何故か、あまり日本画調には見えなくなっている。最初に手掛けた三遊亭圓朝と、一休宗純と比べると明らかだが、ディテールがより出ている。何も変わらずやっているつもりなので理由が全く判らない。しかしそれが嫌か、というとそうではないので、悩んでいる訳ではない。こんな時は、田村写真の田村正実氏に聞くに限る。それもまた写真を発表以来のパターンである。こうして気が付いたら、予定と違う所に立っている。 阿弥陀如来像を撮影。これに虎に乗った豊干禅師を並べれば、寒山と文殊、拾得と普賢合わせて3点で『三聖図』が完成である。
※寝たり起きたりしていてボケたのか、ブログを2回アップしたのに気づいて削除したが、すでん見て頂いた方がいたので再アップ。