明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝起きてギターの弦を一斉に張り替える。来年はもうちょっと腕の方をなんとかしたいものである。

『貝の穴に河童が居る事』の今まで完成しているカットをサービスサイズでプリントしてみた。これを原稿のコピーに貼付け眺めてみる。挿絵やダイジェストでなく、たとえ短い作品とはいえ、一作品を全編に渡りビジュアル化するというのは思いの外大変な作業であった。 本来鏡花作品は、具体的な写真という手段で再現するタイプのものではないのかもしれない。本作を私ほど回数読んだ人間はいないだろうが、未だ解釈、表現に悩んでいる場面がある。それでも鏡花の幼児性が滲み出ているような、ビジュアル化して面白い場面も数多い。マイナーな作品ではあるがなんとか完成へ持って行きたい。 来年『貝の穴に河童』が完成した次は、どうせやらなければ済まないのだから、谷崎潤一郎で個展を、と考えなくもないが、昨年の『三島由紀夫へのオマージュ展 男の死』のダメージ?が癒える間もなく『貝の穴に河童』を始めてしまった。返す刀で谷崎を、というのも口でいっている分には良いのだが。 この流れとは別にもう一冊、出版にいたる可能性がある企画がある。本日実家に帰るが、元旦から河童の頭を作りながら考えてみることにする。作るべき物が元旦からある、というのは喜ばしいことである。

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S運輸のSさんと3時半に門前仲町で待ち合わせ、お茶の水へ。先日出てきた2000年の日記に、高校時代の友人に付き合ってもらいギターを買ったことが書いてあった。誰かと楽器店にいくというのはあれ以来であろう。高校時代を想いだす。  昔と比べると韓国、中国製の楽器が増え、1万円台で売っていて、それが見た目に安い楽器には見えない。良い時代といっていいのだろうか。エフェクターなどの周辺機材も何がなんだか判らないほど溢れかえっている。楽器を試奏する若者はヘビメタばかりでやかましい。Sさんも実はそんな物が好きな一人であるが、その話を聞いている私は意識して嫌な顔をしてやる。「そんな顔しなくたっていいじゃないですか」。 正月早々の新年会用に、映画『ウッドストック』を観た事がない二人のためにDVDを買った。時間をかけ、私の趣味の方向に持って行こうと企んでいる。高校の修学旅行の出発前の上野駅。『モップス』が乗り込んできた。長髪の鈴木ヒロミツに握手をしてもらったが、直後に他のメンバーが通った。星勝が「なんでも一人で決めちゃうんだからなあ」。といかにもな愚痴をいっていた。鈴木ヒロミツはたしか親に頼まれ、受験を控えた弟のバンド活動やめさせるために出かけて行って、結局は自分がリーダーになってしまったのではなかったか。 他の二人を懐柔するには急いてはいけない。せいぜい物わかりの良い人物みたいな顔をしておこう。Sさんは小型のベースアンプを買い、私は弦や接点復活剤を買った。T千穂は本日最終日である。最近深夜まで飲んでいても、暗いうちに目が覚めるようなサイクルになってしまい、12時前に眠くなるが、昼間はずっと寝ているKさんはそのままでは帰れず、もう一軒付き合った。しかしKさん、あきらかに昨年よりダメージが残りやすくなっている。酒量も目に見えて減った。それをこのオヤジ、自分でコントロールして酒を控えていて偉いだろうという顔をしている。

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午後、古石場文化センターに音楽スタジオの予約にいく。二月から三月にかけて3回、計14時間。T千穂の常連のトラックドライバー2人と借りることに。私がぐんと年上なのでリーダーなどと呼ばれたりするが、リーダーがただの使いっぱしりであることは良くあることである。15の時好きだったものは一生好きだという話を訊いたが、私は確かにそうであるが、周りを見渡すと卒業者ばかりである。以前10年ぶりに会った友人は、10年の間に様々なものを背負い、作り上げてきた自分という物がある。そこへ昔のままの私が現れ、会うのは1週間ぶりみたいな顔をしているので、いきなり対処できなかったと後で訊いた。スタジオでは、ビートルズの大ファンであるYさんをボーカルに、まずビートルズをやることになっている。ポール・マッカートニーは解散後に、ギター1本持ってジョンのアパートを訪れた。するとジョンに、今は195○年じゃないんだから、来るときは電話してからにしてくれという。怒って帰るポール。これが2人の最後だった、と何かで読んだ気がする。昔読んだので正確ではないかもしれない。考えてみると、周りから見れば私もポールのような振舞いで、実は呆れられているかもしれない。卒業者のフリぐらいできなければならないだろう。そうこうして卒業真近の年下の2人を捕まえスタジオへ、というわけである。私には二人がかつての同級生に見えてしまっている。
T千穂にて恒例の専門学校時代の連中と忘年会。Sさんはもうシリコンで河童の頭の型を取り、三つ作ってきてくれていた。 私以外は金工科である。陶芸科の連中は沖縄から岩手まで散らばっていて簡単には集まれない。途中母まで来てしまい、畳に座れないのでカウンターでドライバーのSさんやKさんに挟まれ楽しくやっていた。一応私にも演技プランというものはある。子供の頃の余計なことを喋ってくれては困る。それにしても年寄りの相手をしてくれる人ばかりで有難いことであった。忘年会は一本〆にて今年も無事に。



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明日忘年会予定の専門学校時代の金工科の先輩に、河童の頭を送りつける。型を取ってもらい、それを元に複数の表情を作る。Mさんは岩槻で鋳物の原型を作っているので型取りは専門である。私でもできないことはないが、新聞読めばクシャクシャになるし、プラモデル作れば接着剤がはみ出るし、こういったことはプロに頼んほうが良い。正月に河童の表情違いの頭部を作るつもりでいる。今まで作ってきた場面は、この河童の表情のため、というくらいにしないとならない。当初より姫神と河童は人毛を植えようと決めていたが、いくら細い毛だとしても、なにしろ河童の頭部は小さい。縮尺的に針金並みの剛毛になってしまう。雨に濡れ顔にべったり張り付いて、という表現は無理である。人毛ならではのリアルさは捨てがたいが、河童は別素材に換えよう。仇討ちに燃える恨めし気な表情を優先したい。
夜12時。酒を控えめにしているKさん。昨年の本日、お母さんの命日に酔っ払っておでこをへの字に23針縫っている。同じ月に鎖骨も折ってるし。酔っ払って何回救急車に乗れば気が済むのか。私は念のため、ビリビリになったお母さんの写真を修整してあげた時の、目の部分を携帯の待ち受けにしてある。スズメよけのタカの目のマーク状で、いざとなったらイエローカードのように目の前に突き出すつもりである。本日は怪我をしたそもそもの原因といえるR子さんとの忘年会である。なにもかも、たまたまR子さんにハグされただけで、舞い上がってしまったのが始まりである。これほどチョロイ人は見たことがない。こんなことを繰り返してきた63歳である。しかし幸いなことに、R子さんとともに現れたのは、長身のKちゃんであった。Kさんに遠慮なく剛速球を投げる天敵である。南砂町のスナックでカラオケ。土地柄なのかどうか、私と違って苦労が顔に出るタイプの人が多いようで、あの爺さんとKさん以外はみんな年下だろう、と思いながら飲んでいた。波乱もなく無事に終わる。

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工事中はカーテンを閉めっぱなしでうっとうしかった外装工事が、ようやく終わって足場が取り外された。足場を解体する作業員のリズミカルな掛け声は、様々あって面白く。その弾んだ調子は仕事納めだといっているようであった。 6時半にT千穂。当ブログでは、かみさんと電話してるのを見ていると、電話の向こうにいるのはパットン将軍か?でおなじみのイベント屋のSの声掛けで忘年会。総勢5人。会うのは数年、十数年ぶりの懐かしいメンバーである。造形家のKさんは、87年に文化シャッターのTVCMのとき、アニメーションのコマ撮り用の粘土素材に置き換えていただいた。他に音響のKさん、マーケティングの専門家I君。珍しい取り合わせだと思っていたら、どうやら還暦過ぎて未だニワトリ並みの音響のKさんが、サラリーマンでバツ1、子供3人で、なお様々な女性と付き合い続けるI君の手法、哲学を拝聴しよう、ということらしい。訊いてみるとさすがに分析能力はマーケティングのプロ。品位を保ちつつここに書く筆力を持ち合わせていないのが残念だが、すでにある境地に達しており、聴いていて生々しさがないところはさすがであった。ニワトリ並Kさんも脱帽。 I君は05年に自殺した見沢知廉のファンで、手紙を書いたら鉛筆書きの返事が届いたという。また後に関係者から、もらった手紙を公安に読まれてしまい、それはこちらのミスであった、と詫び状が届いたそうである。私も最近仕入れた話を披露。これを書いたら、サングラスに黒尽くめの男2人が、玄関先に現れかねないのでこれも書かない。 I君の話は我々の背後のカウンターで飲んでいるKさんの、日頃聞かされ続けている女性に対する戦略とは、小学校の校庭の三角ベースと大リーグほどの差があった。Sは一緒に房総へいってウンザリし、もういいからあっちへ連れてってくれ、といったKさんの頭を酔っ払って撫で回していた。家が遠い二人と別れ、立ち飲みで一杯飲んでお開き。

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日が暮れると急に冷え込んでくる。運送会社勤務のSさんは休日にもかかわらず洗車で一日。そういう決まりらしい。休みにやらされ後日チェックも入る。今ワックスを拭き取っているので5時には空くとのメール。Kさんからも連絡。どの店も一杯で、結局このメンバーで昨日と同じMということになった。 洗車中、隣からの水を頭から浴びたSさんは風呂に入って暖まってからくるという。 クリスマスイヴだからといって筋金入りの独身者同士。Kさん以外は寂しいのなんのと爪の先ほどもない。それにしても目の前の顔は見飽きている。Sさんが来たら、Kさんに寝たふりをしてもらうことにした。せっかく急いで来たのに寝ちゃったんですか?ということにしようと。私は学生時代は良くやったものである。酒を抱えた友人が、飲み会に着いたと思ったら、みなつぶれて寝ている。がっかりさせておいて乾杯。というわけである。特に久しぶりの友人だと、普通に顔を合わせるのが照れくさいのでやるのだが、付き合いが長い友人は、私のやることを知っているので、ひとしきり騙されたふりをしてから乾杯になる。 この寝たふりで失敗したのは、高校の試験中である。この日に寝ていたら母は鬼の形相で起こすのは間違いないのだが、その日に限って何故か毛布をかけられてしまい、そのまま寝てしまった。翌朝目が覚め後悔しても遅い。 Sさんが来たら合図することにすると、程なくSさん到着。「あれっまた飲みすぎ?」そこで私は見世物小屋の呼び込みの気分で、この62歳の男が、何の因果でここまで飲まずにいられなかったか講釈を始めた。顔を上げられないでいるKさんに、ここぞとばかりにいいたいことをいってやろうという企みもあった。ところが私が話し始めたらニコニコしながら起きてしまった。「えっまだ早かったの?」この人は間が悪いというより、物事には“間”というものがある、ということを理解することなく62歳になってしまった。それを解らせるのは猿の次郎に教えるより困難であろう。 しかし直後にこの企画自体に無理があることに私は気付いた。Kさんが寝ていてガッカリする人など何処にもおらず、むしろ静かで良い、と喜ぶであろう。クリスマスイヴ唯一の企画を滑らせ、ひとしきり飲んでラーメンを食べて帰った。

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一日  


冒頭の海岸シーン。東京から来た芸人3人組みである。女性2人が可愛らしい羽織を着ているが、直後に足首あたりまで海に入る時は旅館の番頭に羽織を預けて、という設定である。暗くなって旅館から外出するシーンで再び羽織を着て出かけても良かったのだが、昼と夜で着物が違うし、何しろ今年の酷暑の中撮影したので、ただでさえ着物を着てもらっているので、さらに羽織を、という考えが浮かばなかった。結局羽織は海岸を歩く、初登場シーンの1カットだけになってしまった。それがどうにも残念で、もう1カット作成した。見開きという設定である。おかげで出番が1カットしかなかったタクシー運転手の○さんが再登場。私が出演をお願いして回るのが丁度7人で、『七人の侍』の志村喬や『荒野の七人』のユル・ブリンナーみたいだ。といったら「じゃ、俺はジェームス・コバーンね」。という。確かにコバーンが1カットでは申し訳なかった。同じ脇役の番頭は計4カットでている。だからというわけではないが、番頭より前に立ってもらった。 ○さんはKであるが、もう1人のKさんと混同されては大迷惑であろう。山登りをするのでK2としたが、私は良かれとしたつもりが、それでもKさんの2番目みたいで嫌だという。Kさんの日頃の不行状を見ていれば無理はない。
5時にMへ。日曜のMといえば本来T千穂の常連が、パチンコや競馬の後集まって飲んでいたのだが、そちら方面は不調法な私も仲間に入れて貰っている。そんな私から見ても、博才があるのはYさんの奥さんM子さんただ1人に見える。他は“判っちゃいるけど”の口であろう。 YさんとSさんは来春一緒にスタジオを借りることになっている。とりあえずビートルズを一曲やることに決まり、各自練習をしておくことになっている。 M子さんがフルートをやれるというので、2曲目はキャンド・ヒートの『ゴーイング・アップ・ザ・カントリー』はどうか、といってみたが、二人は映画『ウッドストック』すら観たことがない、というのでYさん宅での新年会で観ることにしよう。これから初めて観るなんて実に羨ましいことである。

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先日展示が終了したギャラリー・ビブリオには堀ゴタツがあった。さすがに中身は電気化されていたが。コタツは室内全体が暖かくない時代の物であり、エアコンで暖かいと、入る人は少ない。それはそうである。私の実家にも昔あって、季節になって畳をはずしてコタツを設置するのが楽しみであった。コタツといってもやぐらコタツで、今のような折りたたみ式ではない。私は設置していないやぐらの中に入って遊ぶのが好きだったらしく、何が楽しいんだか遊んでいる写真が残っている。 先日の早朝、ラジオで確か鈴木杏樹がいっていたのだが、堀ゴタツを考えたのはバーナード・リーチだという。リーチは日本で活動し、民芸運動にも影響を与えたイギリスの陶芸家である。日本式に座るのが苦手で考え出したらしい。掘ゴタツというと、もともと古くから日本にあったものだと思い込んでいたので、寝床でボンヤリしながら『本当かよ?』と思ったが、そういわれれば、いかにも下半身がギシギシときしみそうな人物である。しかしそんな状態で聴いた話なので、本当かどうか責任はまったく持てない。 ロックンロールという言葉は、アラン・フリードという米兵が日本に進駐していた時に陶芸の里を見学し、ロクロが回転しているのを見て思いついた。という話。もっともこちらは私が飲んでいる席で思い付いた冗談である。普通私はでまかせをいって相手に信じられてしまった場合、耐えられずにすぐ白状してしまうのだが、この時は、それをしなかったのかどうだったか。専門学校の連中に話した話を某県の陶芸の里の飲み会で、陶芸家の卵から聞いたのは数年後である。あの先輩が喋ったなら、この話がここに伝わっていてもおかしくないな、と納得したが、デマというものは伝わるものだと驚いた。もちろん私は良いことを聞いて、この飲み会に参加して本当に良かった。くらいの顔をしたであろう。だいたいその中で感心していたのは私だけだったので、他の連中はすでに聞かされていたことは間違いがない。その話が彼の宴席上の十八番になっており、話すたび相手に喜ばれていたとすれば、発案者冥利に尽きるというものである。アラン・フリードは実際に発案したDJであるが、今思うとバーナード・リーチにしておいても良かった。いやそれは陶芸家の卵には可哀想すぎる。

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久しぶりに自作の乱歩作品を眺めたおかげで、頭の中に新たなイメージが沸いてしまうので、なるべく考えないようにしている。何度か書いているが、子供の頃、自分の頭の中に浮かんだイメージは、いったいどこへ行ってしまうんだろう、と思っていた。間違いなく在るのに。それを取り出して、やっぱり在ったと確認したいというのが、そもそも私の制作する動機になっている。そしてすでに亡くなっている作者ではあるが、私はあなたのおかげで、こんな物が浮かんでしまったんです。と見てもらうことを夢想するのである。とにかく乱歩は頭の中にちゃんと在るから今は考えるのを止めろ。と自分を抑えている。いずれ『青銅の魔人』は作るけど。 しかし作りたい物は、たとえばスケッチブック(ほとんど描くことはないが)を広げて、次は何を作ろうか、等と考えてから浮かんで欲しいのだが、こればかりは棚からぼた餅のように、突然落ちてくる。そういう時私は、昔の漫画の表現の、電球が点いた時のような顔をするそうだが、とにかく今は鏡花の河童に専念するべく、他の創作について考えないようにしている。そうはいっても浮かんでしまうものは仕方がないが、私は創作について考えないで済む方法を一つだけ持っている。Kさんというカワウソ風の人物である。この人が横にいる間はぼた餅は落ちてこないは、電球は点かないは、私の創作能力を消してしまう力を持っている。こんな人には生まれて始めて出会った。さらに河童を制作中の私のためにモデルになってくれようと、自らの頭に皿上のスペースを作ってくれようとさえしている。それなのに恩着せがましいことはいわない。私は完璧な皿になることを楽しみに、毎日横目で観察しながら感謝している。

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ギャラリービブリオより柱時計入り夢野久作が帰る。今回は予定通り、時打ちのゼンマイをできるかぎり緩めに巻いてもらい、ようやく制作当時に企んだとおりに時を打ってくれた。作中のぶーーんという表現は、むしろこれから打とうという時に小さくするが、普通に考えればボーン、という音のことであろう。久作のこと、多少なまっているのかもしれない。 六世中村歌右衛門の色紙届く。これで市川右太衛門とそろった。 夕方KさんがR子さんのためにビブリオで購入したプリントをKに届けるというが、ここは二人以上でないと入店できないので付き合う。早めにいって一時間で帰る、といっていたのだが。 先日T千穂で飲んだ後、おとなしく帰れずR子さんが店を終わって来ているのではないか、と永代通りの向かいの店内をじっと眺めて立ち尽くす後姿は、帰らぬ息子を岸壁で待つ二葉百合子の如しであった。その熱心さを他のことに使え、という話である。8時にKに行くと、この時期混んでいる。Kさんは先日来、どういうわけか飲む割には平静を保ち、乱れることがない。ところがシラフだとただシナビタ小父さんで面白くも可笑しくもない。どれだけつまらないかというと、パチンコの景品の小さなサラミをポケットから取り出し齧りながら「外は寒いけど中は暖かいな」。なんだそれは?しかしそれでも周囲からすれば、大人しいほうがまだマシである。結局一時間ということにはならず居続けることに。だったらカラオケでも、ということで久しぶりにKさんの『兄弟舟』。必ず“胸の谷間に”と歌う。私はKさんのあまりに気持良さそうな歌いっぷりに、大嫌いであったカラオケが好きになった。私は『回転禁止の青春さ』。とくに一番は本気で歌う。“俺の選んだこの道が 廻り道だと云うのかい 人の真似してゆくよりか これでいいのさ このままゆくさ ゴーゴーゴー レッツゴーゴー ゴーゴーゴー レッツ ゴー 回転禁止の青春さ”3番は“俺はゆくのさマイペース ひとり唄って ひとりでほめて”昔友人に、せめてお前らだけでも俺の作品をほめろ。と強要したのを想いだす。 結局三人でKへ。このあたりから本来のKさんに戻ってしまった。欲望を限られた貧弱なボキャブラリーで恥ずかしげもなく吐露し続ける62歳。おそらくKさんは“男”高倉健のどこが良いかを解することなく死んでいくのは間違いがない。

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先日から原稿に合わせ、今まで完成しているカットを並べて全体のバランスを考えている。 河童の造形からスタートし、梅雨雨をあてこんで房総に撮影に行き一適も雨降ららず。次に芸人の3人組を撮影したが、撮影に向かおうと歩いていると黒雲が湧き出し、帰りには晴れ間、という、どう考えても誰かがわざと電気を点けたり消したりしているようにしか思えず。結局2回に分けて撮影した。何度も書いているが、これが私の想定より面白く撮れ、全体の底上げをすることになり異界の物共は後回しにし、最後に仕上げることにした。そして実に良い素材を撮影できた漁師の若者二人。 原稿の進行にあわせ配置していくと、芸人3人のシーンに隙間があるように感じられてきた。来年早々、3度目の撮影をすることに。私のほうも、ハードルを上げられてしまったおかげで、そう見えてきたのであろう。それに笛吹きの妻の踊りの師匠が、河童に化かされて踊らされたり、上から飛び込んできた大魚にビックリしたりの表情は最高なのにかかわらず、澄ましていたり、普通にただ座っていたりするカットが、ことごとく目をつぶっている。当初はあれだけ撮ったのだから、とたかをくくっていたら、目をちゃんと開いているカットが1カットしかない。その場のノリばかりを優先し、チェックしなかった私が悪いが、こんなことがあるとは思わなかった。当人はつぶってはいけない、と意識しているにもかかわらずである。撮影現場をビデオにとって、どれだけすごい瞬きを始めるのか確かめてみたいものである。前回の撮影では、全員が知り合いであることを利用し、普通に談笑しているところを撮影したが、漁師の若者二人に使った、表情を作る方法で一人づつ撮ってみようと思う。 K本に行き、笛吹き役のMさんと話していて、来年の干支が蛇だと知った。そういえば年賀状をまだ作っていない。作中に赤背黄腹の蛇が出てくる。実際に蛇を撮影したカットを元に制作したが、なんだか赤い透明なゴム製で、中から発光しているようになってしまった。まあ堅気?の蛇でなく、異界の住人ということでかえって良いだろう。 この蛇は、脚にからまりどこへでも連れて行ってしまう能力があるようである。しかし行動は迅速だが、結局、お前らはいらない、ということになり、活躍する場面はないが、絡まったらこうなる、というカットを制作してある。河童が見初めた娘のふくらはぎに絡まる蛇である。堀辰雄はこの作品を「なんと色つぽいのだらう」と評した友人の話を書いている。かなり想像力の発達した友人のようだが、色気といったら、作中、お転婆だから行き遅れているのだ、といわれてしまうこの娘が担当するしかない。この作品を手掛けなければ、娘のふくらはぎに蛇をからませる機会はなかっただろう。十二分に食い込ませてある。無言でこんな年賀状が送られてきても、と考え、台詞を横に抜書きしておくことにしよう。

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ここ数日、不思議であると書いていたことについて。『貝の穴に河童が居る事』には女の顔をしたミミズクが登場する。そんな物どこで撮れば良いのだ、と散々検索し、(上野動物園は金網越しでうまくいかず)そろそろ撮影しなければならない、と思っていたら、息を止めたままでもたどりつけそうな所に、世界最大クラスのミミズクがいる猛禽類のいるカフェが開店したのが数日前である。 制作するに際し、引きが強くなる、と確信したのは震災の年である。知人に展示ができると聞いていた場所があった。仮にTとしておく。 『中央公論Adagio』終刊後、まずやることを決めていたのは『三島由紀夫へのオマージュ展』である。三島の制作開始直後に考えたのは、三島に様々な、三島好みの人物になってもらって死んで貰うことである。私には作者に作品を見せてウケたい、という願望がある。ところが資料で入手した古本の芸術新潮の三島特集号に、三島が自決の直前、自身が様々なシチュエーションを考え、様々な扮装で死んでいる様を篠山記信に撮影させて『男の死』という写真集が企画されていたことを知った。未だに発表されていない。これは“本家”が発表される前に発表する必要ができたわけである。『中央公論Adagio』を続けながら、常にハラハラしていた。なにしろタイミングの天才、篠山記信である。よってアダージョ終刊後、寝床の寝心地を悪くしてまで、無理して昨年決行したわけである。 その過程で個展会場を探さなければならない。ところが事件当時の週刊誌を読んでいて、前年教えられたTの先代が、三島の首を切り落とすことになる、名刀“関の孫六”を三島に譲った人物であったことを知った。こんなことがあって良いのであろうか。私はゾッとしながら、ここ以外にオマージュ展に最適な会場はどこにもない。と思ったのであった。しかし事が事だけに色々なことがあったのであろう。三島とのつながりには触れてほしくない、という先方の意向で断念せざるを得なかった。『関の孫六』と三島との縁に関しては本人が著書に詳しく書いているし、研究書にも書かれていることであるが、そのあたりの事情を考慮しTとした。こういうことがあると、私自身が何か芝居にでも出ているような、作られた世界で生きているような気がするのである。
昼食のついでにミミズクでも見てこよう、とマンションを出ようとすると、入れ違いに入ってきた老婦人に「新聞見ましたよ」。といわれた。多摩版だと油断していたら、翌日に都内全域に配られたらしい。しかし私も「どうもすいません」。謝ることはない。 本日は舞台俳優の今拓哉さんと、以前同じマンションに住んでいたYさんと飲むことになっていたが、どうしても必要な物を、アマゾンのお急ぎ便で届くのを待っていて合流がおそくなってしまった。これなら通常配達でよかった。これで寝てしまっては、お待たせしてしまった意味がない。帰りに暖簾を仕舞ったT千穂で2、3杯ひっかけ朝まで仕事。

※ギャラリービブリオの展示が終了しました。お出でいただき有難うございました。

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毎年この時期になると、昨年までできなかったり思いつかなかったことをやっただろうか、と考える。昨年と同じでは、ただ年取って、冥土の旅に一歩近づいただけ、ということになる。そして、いくら若返ろうと、制作上、あれができなかった頃には戻りたくない。ということであれば、死の恐怖もいくらか緩むという仕組みである。 今年は人間でない妖怪を始めて作ったし、人間を作中に、より積極的に取り込むことで、表現に広がりを持たせる可能性もみえた。そこで昨年の三島、今年の鏡花とくれば、来年は谷崎、と行きたいところである。しかし一方で、そろそろオイルプリントの再開ということも考えないではない。2000年代の中頃までは、オイルプリントによる個展を連発していたが、当時は古典技法の用語など覚えたところで、話し合う相手がいなければ意味がない、と苦笑する有様であった。クラシックカメラの雑誌に“最近はフイルム、ペーパーなど製造中止になることがあるようだが、光と陰を定着する事にかけての先達の苦闘の歴史を垣間見て一度体験してしまうと、仮にすべてが製造中止になっても、ハンコをもって薬品問屋にさえいけば、なんとかなるような気になるものである ”と遠慮がちに書いたことがあるが、その後の写真界のデジタル化は、遠慮もなにもなく、想像をこえたスピードで進んだ。 オイルプリントに関しては、当時ある程度技術も習得したところで乱歩本の制作、ついで2冊目になる『ObjectGlass12』。そして隔月で4年間続いた『中央公論Adagio』ということになったが、その間に、世のデジタルネガの技術も向上し、今こそアナログだ、古典技法だ、と国内外を問わず、古典技法を手掛ける人口が増えている。 すべての作品データは、オイルプリント化を前提に考えてきたが、人物像を制作して撮影し、そこからデジタルネガを作りオイルプリント化する。 いくら良い作品を制作しても、私の代わりがいるなら意味がない。馬鹿々しいから誰もやらない。そんな理由で結構。これは長年にわたり考えていた、地球上に私ただ一人になる方法である。

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『貝の穴に河童が居る事』の原稿を持って、パソコン内の完成しているデータと照らし合わせる。展示会場で仕事。忙しい作家のようにみえる。 ただシャッターを切っただけのカットはわずかであり、1カットに数日かけてきた。ここまでくると無駄にはできないし、無駄になるカットを作ってもいけない。今回つくづく思ったのは、読書は読むためにするものであって、“作る”ために読むものではない。特に鏡花は鏡花独特のリズムがある。あまりディテールにこだわって読んでいると、せっかくのリズムの味わいを阻害することになる。逆にいえば、けっこう勘違い、読み間違いをしていたことが判った。読み間違いの結果、作中ありもしない山道を作ってしまった。これがなかなかのできで、未練がましく消去できないでいる。編集者は雰囲気があるからいいではないか、というが、私は基本的に作者にウケることを想定して作っている。やはり違うと知ってしまって使うことはない。 画の多さからいうと、挿絵というより絵本に近い。某社の解説者でさえ、頭の中に事実と違う画を浮かべているくらいである、今回、普段鏡花など読んだことがない一般人に出演をお願いしたわけだが、事前に読んでもらっても、何をいっているのか判らない、という声が多かった。本来、そこまで描いてはダサい、という場合も、それらの理由からそうはならないであろう。 今回会場には、九州帝国大学医学部の卒業アルバムを展示している。重量もかなりある大判のボロボロである。国立にお住まいの西原和海さんにご来場いただいた。夢野久作を作るにあたり著作を拝読させていただいた。写眞帳を熱心にご覧になっていた。貴重であることは確かのようである。制作中、ときたま枕にしてしまって申し訳ない。正木教授のモデル下田光造を見て『ドグラマグラ』の桂枝雀にそっくりなことに、見た方はだいたい驚く。 今回の展示は、数年前に発表したものであり、わざわざ来ていただいて、見たことあるよ、では申し訳なく、私からはあまりDMを送っていない。芳名帳をみると、それでも来ていただいた方があり有難かった。やはり一度観ていただいている新保博久さんにも来ていただいた。前回『白昼夢』の亭主に殺され、バラバラにされ、死蝋化されてショーウインドウに飾られてしまった女房。私は首とトルソとして描いたが、制作後に五つに解体されているので首は切断されていないないことに気付いた話をさせていただいた。講談社版の横尾忠則さん以降、私の知る限り6つに分けるのが通例となっている。 地元へ帰り、来年スタジオを借りて音を出そうといっているトラックドライバー2人と飲む。何故か関係ない小さい爺さんが横にいる。ドラムを叩くメンバーがいないが、酒も飲まず、酔っ払うこともないドラムマシーンで済ませることに衆議一決。

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国立  


昼過ぎにKさんとR子さんと国立へ向かう。昨日R子さんと飲んだが、大ファンのKさんは、そばでパチンコをやっていたらしい。残念がっているが、一人でしゃべり続け、うるさいだけだから呼んでない。Kさんを中心に、何も回っていないことを教えないとならない。 酔っ払っていたら連れて行かないつもりであったが、うるさくいったおかげで今朝は飲んでいない。おかげで借りてきたカワウソ。ただ寒くて震えるしなびた小父さんである。口数も少なく無表情。酔っ払って虎に変身する連中は、普段はだいたいこの調子である。 国立到着。食事を済ませ先にビブリオに行っているところにワインを買って来てくれた。コタツに入っていただく。 2006年に世田谷文学館で、私の乱歩作品をプロジェクターに映し、それに合わせてジャズピアニストの嶋津健一さんの演奏と、田中完さんの朗読を催したが、その時の映像を観る。『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)の中から『屋根裏の散歩者』『白昼夢』『人間椅子』。それと手首を切断したピアニストのアルコール漬けの手の指が動くという『指』を上映した。これは前日に嶋津さんを主人公のピアニストに見立て、文学館の関係者、アルバイトの女の子を撮影した。嶋津さんには昨日と同じ服装をしてもらい、看護婦役の女の子には、上映前にうろちょろしてもらった。つまりその日に観に来ていただいた方限定の演目というわけである。文学館の看板は『目羅医院』に。 飲酒したわりに珍しく酔わないKさん等と帰る。例の撮影の必要のある生き物がいる店が本日開店ということでいってみた。世界最大という種類もいたが、それなどガラス越しに眺める我々より、よっぽど貫禄がある。K本へ。閉店間際、持ち歩いたパソコンを家に置きに行くのも面倒と、3人でT千穂へ。このうち2人は作品に出てもらっている。正月に数カット追加撮影を予定しているが、笛吹きの妻の踊りの師匠は、ほとんど目をつぶり、もしくはつぶる寸前で、どれだけ瞬きすればこうなるのか、今後のためにも次回の撮影で確かめるつもりである。瞬きしないで、といった瞬間から瞬きを始めるのが素人である。

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