ここ数日、不思議であると書いていたことについて。『貝の穴に河童が居る事』には女の顔をしたミミズクが登場する。そんな物どこで撮れば良いのだ、と散々検索し、(上野動物園は金網越しでうまくいかず)そろそろ撮影しなければならない、と思っていたら、息を止めたままでもたどりつけそうな所に、世界最大クラスのミミズクがいる猛禽類のいるカフェが開店したのが数日前である。 制作するに際し、引きが強くなる、と確信したのは震災の年である。知人に展示ができると聞いていた場所があった。仮にTとしておく。 『中央公論Adagio』終刊後、まずやることを決めていたのは『三島由紀夫へのオマージュ展』である。三島の制作開始直後に考えたのは、三島に様々な、三島好みの人物になってもらって死んで貰うことである。私には作者に作品を見せてウケたい、という願望がある。ところが資料で入手した古本の芸術新潮の三島特集号に、三島が自決の直前、自身が様々なシチュエーションを考え、様々な扮装で死んでいる様を篠山記信に撮影させて『男の死』という写真集が企画されていたことを知った。未だに発表されていない。これは“本家”が発表される前に発表する必要ができたわけである。『中央公論Adagio』を続けながら、常にハラハラしていた。なにしろタイミングの天才、篠山記信である。よってアダージョ終刊後、寝床の寝心地を悪くしてまで、無理して昨年決行したわけである。 その過程で個展会場を探さなければならない。ところが事件当時の週刊誌を読んでいて、前年教えられたTの先代が、三島の首を切り落とすことになる、名刀“関の孫六”を三島に譲った人物であったことを知った。こんなことがあって良いのであろうか。私はゾッとしながら、ここ以外にオマージュ展に最適な会場はどこにもない。と思ったのであった。しかし事が事だけに色々なことがあったのであろう。三島とのつながりには触れてほしくない、という先方の意向で断念せざるを得なかった。『関の孫六』と三島との縁に関しては本人が著書に詳しく書いているし、研究書にも書かれていることであるが、そのあたりの事情を考慮しTとした。こういうことがあると、私自身が何か芝居にでも出ているような、作られた世界で生きているような気がするのである。
昼食のついでにミミズクでも見てこよう、とマンションを出ようとすると、入れ違いに入ってきた老婦人に「新聞見ましたよ」。といわれた。多摩版だと油断していたら、翌日に都内全域に配られたらしい。しかし私も「どうもすいません」。謝ることはない。 本日は舞台俳優の今拓哉さんと、以前同じマンションに住んでいたYさんと飲むことになっていたが、どうしても必要な物を、アマゾンのお急ぎ便で届くのを待っていて合流がおそくなってしまった。これなら通常配達でよかった。これで寝てしまっては、お待たせしてしまった意味がない。帰りに暖簾を仕舞ったT千穂で2、3杯ひっかけ朝まで仕事。
※ギャラリービブリオの展示が終了しました。お出でいただき有難うございました。
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