朝、曇天なので、中国風石橋を撮りに行こう、とカメラの充電。このまま、一回切りの充電で、個展作品を完成してしまう訳には行かないだろう、と思いながら2回目の充電をした。なんでフイルム代その他かかったあの頃に思い付かないで、デジタルの時代に、こんなシャッターを切る必要のない手法をやっているのだ。もっとも、その場で結果の判るデジタルだからこそ、ではある。結局陽が出て来たり出なかったりて撮影は止める。 この充電しながら思った事が、のちに影響したようである。 昨日、上手く行くかどうか、と思っていたら達磨大師が面壁9年、坐禅の挙句に手足が腐ってダルマとなったしまう。その岩窟の制作、当初、房総の洞穴を撮って、と思っていたのが自分で作ることに決めてしまった。頭の中では、30年前、高橋幸宏さんのアルバム『EGO』(東芝EMI)のジャケットで、で石膏を削って岩肌に見立てた経験を思い出したのだが、あれだけ時間をかけ達磨大師と慧可禅師を作ったのに、一晩で洞窟内岩壁が撮影まで完成してしまった。そこで充電時の気持ちが。 昨晩のデータを見直し岩壁をもう一度作り直し、まったく良くなった。
結び紐のすぐ下の部分。
杖との間の空間にあるべき一部が消えています。
修正を乞う。 燐拝