明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


私の方向音痴は地理的なことにとどまらず、時間的にもかなりのもので、これから夏に向かうのか冬に向かうのか、一年に一回は考える。そんな私でも、長く個展をやってきているので、個展に対するペース配分は身についており自信もあったのだが、隔月の『中央公論Adagio』に4年かかわったおかげですっかり台無しになってしまったようである。告知やDMのことなどすっかり忘れていた。そもそも作ることだけやっていたいわけで、どこかの王様に塔に幽閉され、算数や宿題なんかしなくて良いから、ここから一歩も出ずに好きな物を作っておれ、などと夢見た子供の根性は、そう変わる物ではないようである。 私は今までDMなどに、どなたかに一文を寄せていただこう、などとは考えたこともなかったのだが、今回に限り是が非でも、という方が御一人だけいた。それが快諾いただいた、という連絡をいただく。実に嬉しい。有り難いことである。
5時にO君と待ち合わせT千穂へ。O君には、あるブツの制作を依頼していた。秘策のつもりでいるのだが、イメージどおりにできるのか、こればかりはやってみないとわからない。明日の晩は撮影である。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


怪獣  


今年は昨年の私が考えつかなかった物を作っただろうか、と毎年年の瀬になると思うのだが、怪獣を作ることになるとは先週末まで思いもしなかった。 始めてみた怪獣映画は『キングコング対ゴジラ』で、キングコングの顔のアップにビビッて父の背中に隠れ、最期まで見れなかったような気がする。しばらくどこへ逃げてもキングコングと目があってしまう、という悪夢に悩まされた。巨大なスクリーンはラブシーンより大怪獣にこそふさわしい。小学校の低学年では当時誰しもそうであったが、『鉄腕アトム』や『鉄人28号』のロボットと平行して怪獣に夢中になった。私には力道山とゴジラのフォルムは完璧に見えたものである。はるか昔造形的にさえない『怪獣マリンコング』というTVシリーズがあったが、高学年になり『ウルトラQ』『ウルトラマン』である。そして『ウルトラセブン』で卒業、というのが私の世代には多いに違いない。先月だったか、ネットで猪肉を入手し、思いついて冷凍してあった鯨肉を同時に食し、山鯨と海鯨が腹の中に、とシャレてみたのだが、その話をすると決まって『サンダ対ガイラ』だな、といわれる。 小学生の頃は油粘土で怪獣、恐竜の類を随分作ったが、昔取った杵柄というべきか、西洋風のドラゴンは撮影用に写る所しか作らないが、資料など利用することなく、物足りないほど完成が早そうである。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日間に合わなかったチャーリー・パーカーだが、見ていると色を塗り替えたくなるのが私の悪い癖である。パーカーは私のもっとも好きなジャズ・プレイヤーで、制作したのは2体目である。某有名写真家の元にある一体目はもう少し大きかったような気がする。昔は写真で残しておこう、という発想がなかった。 塗っているうち、老後にパーカー聴きながら一杯やって眺めて過ごすという景色が浮かび、手元に置いておきたいような気がしてきた。そういえば陶芸家を目指していた頃の作品は一つも残っていない。朝になったら一体出品を止める旨連絡しよう。ところがこれから作らなければならない三島のことが頭によぎった瞬間、雲霧散消。雲散霧消。私に老後などない。何を薄トボケたことを。 しかしジャズ・ブルース時代の写真を写真集にまとめておきたい気はする。個展を始めた頃はインターネットのイの字もなく、ジャズ喫茶をまわってはDMを置いてもらったものである。小さな人物像ということが判れば、と人形展としたが、フィギュアという言葉も一般的でなく、人形といえば、女の子というイメージだったので、保守的で頭の硬いジャズ好きにアピールするのは容易なことではなかった。そうこうしてジャズ・ブルースにかかわらず、私の好きなタイプの男のたたずまいを作ろう、そんなつもりで覆面レスラーを作ったのであろう。さて仕事だ、とやおら覆面をかぶる男。スーツ姿でないとならない。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


搬入  


人形を自分で運ぶ場合は段ボール箱に立たせて固定し、上半身は露出したままにして運ぶ。指などは見えていたほうが安全である。タクシーからおり、結局ドクターXと命名したレスラーは、どういつもりで作ったのだ、と再び思いながら頭を布で隠して運んだ。私は先日まで渡辺温を作っていたのだが。もう一体は、黒人ミュージシャンシリーズ最期となった作品。全部で4体の予定が一体間に合わず、明日午前中に改めてということに。
香川照之が市川中車に。これにはびっくり。歌舞伎に出演するのは聞いたが中車襲名とは。こんなことなら、猿之助もあんな身体になる前にそうしておけば良かったのに、という話である。九代目團十郎の銀行員の養子が、團十郎の死後、28歳で歌舞伎役者に転向した市川三升の例はあるが、異例であろう。三升は結局大成はせず「銀行員!」と声がかかったそうだが、香川照之はよっぽど上手くこなすことであろう。 昔母の実家の隣が銭湯で、猿之助のお妾さんが近所に住んでいて、よく来ていたという。おそらく二代目猿之助のことであろう。九代目の関係者ということで二代目市川段四郎の色紙を所有している。師に無断で勧進帳を演じ破門された人物である。後に苦労して重鎮となった初代の猿之助である。こんなことがおそらく詳しく描かれているのが『猿之助三代』(幻冬舎新書)小谷野 敦著であろう。読みたいが、個展までは三島以外、一切読まないことにしているので我慢している。そういえば『ガッツジュン』で主役をやってた藤間紫の倅はどうしているのだろう。

去の雑記
HOME

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




28日から恒例の丸善の人形展が始まる。ここではジャズ・ブルース時代の作品を出品することが多いが、ここ以外に披露する機会がないので、今回覆面レスラーを加えることにした。連れに悪徳マネジャーもいたが、震災で大怪我。それにしても、覆面レスラーをどういうつもりで作ったのか忘れてしまった。ただ作りたかったとしか思えない。現在は発表する予定がないものは、作るのを我慢することにしている。 昔はこんな連中が来日すると、羽田空港で記者会見したものである。いかがわしいという意味ではリングネームは“X”に尽きる。キラー、ミスター、ドクター、何Xするか明日決めよう。メキシコのルチャリブレと違って昔の覆面はたるたるであった。 

次はただちに三島関連の制作に入らないとならない。背景ばかり作って主役がまだなのが少々不安だが、背景にあわせて造形するので、どうしてもそういうことになる。とりあえずドラゴンを作ろう。久しぶりにクイズ“何故、三島でドラゴンなんでしょう?”など面白いかもしれないが、そんなことを考えている余裕はあまりなさそうである。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今年の深川の本祭りが中止になったのは残念であった。こんな年にこそ、と思うのだが。 三島の『仮面の告白』に、神輿について描かれている場面がある。『祖母は仕事師を手なづけてゐて、脚のわるい自分のために、また孫の私のために、町内の祭りの行列が門前の道をとほるやうに計つてもらつた。本来ここは祭りの道順ではなかつたが。仕事師の頭の手配で行列は毎年多少の迂路を敢えてしながら、私の家の前をとほるのが習はしになつた。』 ある年の祭りの日、突然神輿が門内になだれ込み、幼い三島は大人に手を引かれ、とっさに二階に逃げる。『植え込みが小気味よく踏みにじられ躙られた。本当のお祭りだつた。私に飽かれつくしてゐた前庭が、別世界に変つたのであつた。神輿は隈なく練り廻され、潅木はめりめりと裂けて踏まれた。何が起こつてゐるのかさえ私には弁へがたかった。』『何の力が、かれらをこのような衝動に駆つたのか、のちのちまでも私は考へた。それはわからない。あの数十人の若者が、何にせよ計画的に、私の門内へ雪崩れ込まうと考へたりうすることがどうしてできよう。』

手なづけられた仕事師の頭はともかく、三島の祖母が神輿のルートを変えさせたことに、若者達はずっとムカついていたと思うのだが?『私を目覚(おどろ)かせ、切なくさせ、私の心をしらぬ故苦しみを以って充たした。それは神輿の担ぎ手たちの、世にも淫らな・あからさまな陶酔の表情だった。・・・・・・』だとしたら当然そんな表情になるだろう。
http://blog.goo.ne.jp/diaghilev/e/ac8b6224aa9ae42e574dbebd148fcf35

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




渡辺温像は開催日当日の完成で、昨日は人が多く、結局写真が撮れずじまいだったのでプリント2作品をアップした。オキュルスでは11月25日の三島由紀夫の命日より個展が決まっている。江戸川乱歩以来5年ぶりである。命日のスケジュールが急遽キャンセルになり決めたこともあるが、隔月であるアダージョに携わっていた4年の間に、個展に向けてのペース配分の感覚に狂いが生じている。渡辺温制作に思いの外時間を費やしたこともあり、来月は修羅場になりそうである。背景が完成した作品はあるが、例によって背景にあわせて制作するので、肝心の主役は未だ不在である。展示できる像は数点であろう。 本日はドラゴンを作るかどうかで悩んだ。何だそれは、という話だが、もちろん三島関連である。作ることになるので、妙なことは思いつかないでもらいたい。もし作ることになったら小学校の学芸会用に八岐大蛇を作って以来かもしれない。悪戯描きではキングギドラなどいくらでも描いたが。

渡辺温オマージュ展出品中プリント作品

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




6時頃オキュルスに到着すると、オープニングパーティーは思ったとおりすし詰め状態。Kさん等地元の連中と外でワインをいただく。見たことがある顔を散見するが、とにかく人が多く挨拶もままならず。結局自分の作品の前にたどり着くこともなく『中央公論Adagio』で主な文章を書いていた藤野さんと、専門学校で18からの友人Hと居酒屋へ。 藤野さんとはアダージョの打ち上げ以来である。当初3年の予定が4年続いたということだそうで、お互い手探り状態だった創刊時や苦労したことなど懐かしく話す。 たまたま三人とも同い年だったが、そんなことより、知り合いで私に負けず劣らず方向音痴の男、というと浮かぶのは実はこの二人なのである。藤野さんは常に磁石を持ち歩いており、始めは取材用のプロのツールくらいに思っていたが、ある日個室がごちゃごちゃと区切られた、潜水艦の内部みたいな居酒屋で打ち合わせしていたとき、トイレに立った藤野さんが帰ってきたと思ったら目の前を通り過ぎたのを見て、私はピンときて、ひょっとして御同類? 方向音痴の男だけが3人集まることはまずない。なにしろ音痴の感覚を解説せずに済むのだから話が早い。つまり、普通はこういう話に至った場合、音痴で失敗したエピソードを披瀝することになるのが常だが、全員音痴となれば、その必要はない。Hは方向音痴に関してかみさんに随分ないわれようで、私に一度弁護してくれというが、やなこった。子供とかみさん乗せて運転するお前が悪い。一方の同じくライターの藤野さんのかみさんは、逆に一度確認して以来、そのことにはまったく触れないという。 結局3人の共通点は、道を間違えたら戻ってやりなおせば済むことだ、という性格のようである。じゃなかったら心安らかに方向音痴のままでいられる訳はない。しかしこの態度が助手席に坐るHのかみさんの神経に触ることも良く判るのである。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




オマージュ展初日にようやく搬入する。Kさんが手伝ってくれた。スペースを開けておいていただいたところに設置していると、隣の竹本健治さんも温作品の中から『赤い煙突』を出品していた。昼頃地元に帰り、とりあえずビールで乾杯。吸い込みがやたら良いが、寝不足と疲れで眠くなり帰宅。 それにしても渡辺温の作品集『アンドロギュノスの裔』は素晴らしい。この時代にこの出版は快挙といえるだろう。すでに増刷が決まったようである。 私が最も本を読んだのは中学時代で、読む物がなくなると中井英夫編纂の百科事典をそうとしらず読んでいたが、あの時代に温を読んでいたらどんなに良かったろう。本を読んでばかりの私に父は呆れていたが、理工系の父から聞いた唯一の読書体験は子供の頃読んだ『十五少年漂流記』だったのは亡くなった日の雑記にも書いた。もっとも、父がうかつにも捨て忘れていたであろう、ヴァンデ・ベルデの『完全なる結婚』を物置で発見し、旧仮名使いで酷い紙質のそれで中学生の私はたいそう勉強したのであったが。 しばらく寝て8時過ぎにT千穂に行き、Kさんと再び乾杯。この夏猛暑を避けてヨーカドーで日中を過ごしていたKさんだが、図書館に行けば涼しいのに、といっても読書を一切しないので常にヨーカドーであった。ところでKさん小説って何を読んだことがあるの?と聞いてみたら、しばらく考え、一冊だけ買って読んだことがあるよ。『十五少年漂流記』。ズッコケる私。それも18歳だったという。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




台風直撃ということで、プリントだけラボで引き上げオキュルスへ、と思ったが、結局中井英夫オマージュ展同様、当日搬入ということになった。しかし最期の粘りが葡萄エキスの一絞り、という感じで、雰囲気が変わるのはいつものことである。最期の一絞りだけあって最期にしか絞れないのが玉に瑕。某デザイナーには、プロなんだからサッサと済ませて後は遊ぶものだ、とよくいわれたが、最期まで粘らないと絞れないからしかたがない。 あとはゆっくり着彩を仕上げればよい。気になっていることといえば、小耳にはさんだKさんの「ドリンクパーティーどうする?」と誰かにいっていたセリフである。あれはひょっとして『渡辺温オマージュ展』のオープニングパーティーのことではないのか?なんだドリンクパーティーというのは?まあ良い、いざとなったら徹底的に他人のフリをする。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


KさんよりT屋一家四人を連れてサイゼリヤに食事に行くので来て、とメール。昼時でもあり、作業を一段落させて乾燥機にかけていくと、すでにワインが大分空いていた。必ず私が誘われるのは、ご主人は私にまかせて、自分はファンのかみさんと話しこむためらしい。さっきまで店で散々話していただろうに。私からすればKさんはかみさんに任せて御主人と話すのでむしろ良いのである。Kさん医者へ行っても原因不明の膝痛が相変わらずだが、痛み止めを飲んで治った気でいる。「どう考えても女の生霊が祟ってるからお祓いしかないよ」。子供達も帰り、Kさんが何を喋っているのか誰にも判らなくなった頃お開き。 渡辺温は、前面は当初撮影するつもりだったので出来ているが、帽子を後ろ手に持たせるため、その辺りを作って完成となる。仕上げに入る。そこへ酔っ払ったKさんより電話。どこそこで飲んでるから来てくれという。横に女の子がいるからとかいっているが、どうせ酔っ払いのデマかせだし、搬入が迫っていて出かけるわけがない。Kさんの横に全盛期のグレース・ケリーでもいない限り、動かざること山の如しである。それにしてもおじさんの寂しがりは悲痛でさえある。明日は飲みすぎと膝の痛みでダウンであろう。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


  


夕方『8×10カメラな仲間たち写真展2011』のオープニングに出かける。入り口ドアを開ける前にすでに酒臭い。アナログな装置でジャズが流れる中、様々な技法やレンズを使用した作品を見ることができる。盛況である。25日まで。 地元に帰り、たまたま古書店に寄り昭和二十年代の『近代百年史』を買う。明治6年の参議分裂以後の大久保利通時代を扱った号。各地に起こった不平士族の叛乱には『佐賀の乱』『秋月の乱』『萩の乱』などあるが三島が『奔馬』で扱った『神風連の乱』。錦絵などでなんとなく様子を思い込んでいたが、決起前に藤崎八幡宮に集う神風連の絵が載っており、それでは兜こそかぶらず烏帽子であったが、全員鎧を着けている。廃刀令をきっかけに立ち上がった神風連。電線の下を通る時は鉄扇で頭を防護し、洋装の人物とすれ違っては、懐から塩を出して清めたというラストサムライである。この時代に火付け用の武器に刀、槍のみで鉄砲に立ち向かい、あたりまえのように一日で壊滅する。それにしても明治九年に鎧?イヤだ。鎧など絶対作りたくない。その気持ちのままT千穂で飲酒してしまう。 

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




当初懸念していたように私はなんでも具体的に作るので、渡辺温の作品をテーマにというと、野暮ったくなってしまう。そこで本人を作中に登場させるものと、させない物を平行して進めていたが、結局登場させない作品を選んだ。私はどちらかというと、もっともっと、と過剰になる傾向がある。作ったものは見せたいし、多い分には足りないよりいいだろう、と宴会の酒じゃあるまいし、というところがある。よって2種の方向で進めていたのであった。出品作は2点。1つは『赤い煙突』。少女が窓から見た景色。隣の洋館の三本の煙突。そのままである。少女は登場させず、かわりに窓辺に水色のリボンを置いた。もう1つは温の遺品のシルクハットを入れた作品。デビュー作の『影』の中で、主人公が描いていた絵のタイトルから『情婦役の歎き』とした。温が愛用したという藤製のステッキは棺に入れたというので、以前作った物を壁に立てかけ完成。朝である。 パッタリと寝たところで、玄関のベルがけたたましく。Sさんがまた採りたての野菜を持ってきてくれたらしい、が起きることができず。元大工で、間もなく80になるSさんには、日曜も祭日もなく、昼も夜もない、という私のような渡世は、いったところで理解されない。野菜の入ったスーパーの袋をドアノブにかけてくれてる音がする。ああまた、ゴーヤや、まるでプラスチックのようにパリパリしたピーマンが食えるのか、と思いながら寝続けた。午後三時までにラボに持っていけば、オマージュ展前日に間に合う。

渡辺温オマージュ展
《アンドロギュノスの裔》
2011年9月22日(木)~10月2日(日)

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




最近ご無沙汰であったT屋の朝定食を食べに行く。毎朝のようにKさんからお誘いのメールが着るが、定年を迎え、暇を持て余している人と一緒に朝から飲むわけに行かない。久しぶりである。 カウンターの向うにカレンダーがある。私はカレンダーは無用の暮らしで、日曜祭日もないので、休みが多いのに慌てる。これから人形を完成させ撮影、そしてデータをラボに出してプリントしてもらうわけだが、休みがあればその分遅れる。Kさんは膝が痛いので医者に行くといって、いつものようにすずめがついばんだみたいに肴をほとんど残して帰る。私もこうしてはいられない。目玉焼き定食を食べ、帰ってラボに確認すると、まあなんとかギリギリ。仕上げに入る。 夕方Kさんからメールが着て、医者でも膝の痛みの原因は判らなかったようだが、今日は大人しくしているそうである。若いつもりでも毎日のように朝晩飲み歩いていればどこかガタはくる。「そのうち膝が腫れてきて、目や口ができてきて、どこかで見たような女の顔になって喋りだすよ」。Kさん相手に馬鹿なこといってる場合ではない。仕上げに集中する。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




妹の滋子の証言によれば温は『ヴァガボンド・タイ』なるものを着用したらしい。めぼしい知人に聞いてみたが誰もどんな物か知らない。おそらく『ボヘミアン・タイ』というクタッとしたリボン状のネクタイではないかと想像した。いかにも、という感じである。温の姪のオキュルスの東さんに伺うとと、たぶんボヘミアン・タイであろうとの返事をいただいた。 写真に残っておらず、しかし目撃談その他で事実として残る、こういうことこそやらないとならない。 写真が1カットしか残っていないブラインド・レモン・ジェファーソンを作った時のことを書いたが、盲目のレモンは辻々に立って演奏し、ギターのネックにぶら下げたブリキのカップに金を集めた。何セントだろうと音で聞き分けたらしい。家に帰り、ウィスキーを女房が盗み飲みしたことも、瓶を振ればその音で判ったという。残された写真にはブリキのカップはぶら下っていなかったが、この目撃談により、確実な情報であろう、とぶら下げた。こういうところに創作のかいがある。誰も知らないからといって創ってよいところと創ってダサくなることはあるように思う。 さらに温は藤のステッキを愛用したらしい。先日愛用のシルクハットを撮影させていただき、プリント作品に登場させるつもりだが、ステッキは棺に収めたと伺った。私は『中央公論アダージョ』第3号で『チャップリンと日本橋を歩く』を手掛けた。本棚を見上げると、何かちょこっと見えるのだが、あれがその時制作したステッキではないだろうか。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ