明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



泉鏡花は掛け軸状の縦横比の作品を想定していたが、同じサイズの手透き和紙にプリントしてもらう。すると両サイドが空いてしまうし鏡花も小さくなってしまう。結局『鏑木清方三遊亭円朝図へのオマージュ』と同じ比率にして並べられるようにした。ついでに余計なことを思いついた。 夏目漱石は昨年、神奈川近代文学館の漱石展に出品していたので、江戸深川資料館の個展用に、急遽着物で座布団バージョンを作った。まだ撮影していないのでこちらを、と思ったが、着物に座布団が3人になってしまう。そこで思いついたのが、座る漱石に、本物の猫をまとわせてみたらどうか。さっそく近所で猫を飼っている方に訊いてみると、ウチの猫は抱いたり膝の上に、ができない猫だけど、試しに撮ってみたら、ということに。タウン誌深川連載の写真も今号は近所の人の背中だし、幽霊含め、被写体調達は御近所ばかりである。 三遊亭円朝旧蔵の幽霊画の名品と共に1ヶ月展示いただいた千駄木の全生庵に搬出に出かける。良い経験をさせていただいた。今回発見された鏑木清方のお菊は今回だけの展示だそうである。記念に展示状態を撮らせていただいたが、せっかく良い所を、と思ったのに、ピントは合わない露出はヘンだわ。後ろに控えている皆さんの総意ならしかたあるまい。ヘタクソを幽霊のせいにしてみた。(原因ホントに解らず)


※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※a href="http://misorogi.nonc.jp/">みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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掛け軸のような縦横比の画面に座布団に座る泉鏡花。上空には満月。手には陶製兎。そんな絵をはるか昔考えたが、当時はアナログの時代。2度焼きしたり、プリントの田村政実氏には迷惑をかけた。 時代が変わり、20数年ぶりにリベンジしよう、と昨晩から最初期に制作した泉鏡花を撮影。おおよそ完成。次は夏目漱石か永井荷風のどちらかにしたい。 書店に『別冊太陽 夏目漱石の世界』。私はことあるごとに漱石は“ワシ鼻”である、といってきた。あの有名なポートレイトを撮った写真師は判明している。写真師がクライアントにかってに修正をほどこすとは考えられない。そもそも漱石はあばた顔であったから、そのくらいはいわれなくても修正したかもしれないが、さすがにワシ鼻は本人に黙って修正はしないであろう。つまり漱石が指示したことになる。そんなこと気にするくらいだから胃ぐらい悪くなる。 マツコデラックスが“額から鼻が生えてる”と整形疑惑の芸能人を評していたが、漱石がまさにそれで、トレードマークといってよいだろう。この件に関しては何度も描いているので漱石のデスマスクはワシ鼻であった、とだけいっておく。日本国が発行した紙幣に使われた写真自体が修正施されており、今更私がいったところで焼け石に水である。別冊太陽の横尾忠則さんの絵もちゃんと額から生えているし。私はワシ鼻を生かすべく、ちょっと斜めから撮りたい。


※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品。
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。



















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鈴木邦男さんは『強い日本、強い憲法を作ろう、軍備を増強しろという男性は、自分たちのテリトリーに踏み込まれるのが怖い。女性に対してもそうです。企業でも政治の世界でも女性がどんどん強くなって、活躍するのを恐れている。昔は親父がしっかりしていて、お母さんはおおらかに支えて、子どもはお父さんの言うことをよく聞いた、それこそが日本の家庭だと言う。復活せよと訴える。女性天皇反対も同じ構図でしょう。右傾化って、要は男性化なんです。』とおっしゃっている。男性化社会に迷惑しているのは何も女性に限ったことではない。小学生以来、私のような人間の生きにくい感じは、根元はそこにあると思っている。せめて陸上競技あたりで女が男の記録を抜いて「ざまあみろ」といってみたいと常々。 昔、白人女性が黒人になりすまし、白人家庭にメイドとなって潜入する、という本を読んだことがある。昔の事なので記憶は曖昧だが、ほとんどの白人主人は黒人メイドである彼女にのしかかってきた。白人男性は、黒人男性に我が白人女性が寝取られてしまう、という妄想に苛まれており、それが差別の根本にある、というような内容だったような気がする。もちろん、それがすべてではないだろうが、女性が活躍するのを恐れている、というのと似たようなものであろう。私などは女性が強い方が男は楽じゃないの?と思ってしまうのだが。どうせたいした内容ではないし。いや男が、ということではなく私がということである。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品。
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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刺青  


三島由紀夫『昭和残侠伝』はほぼ完成し、返す刀で泉鏡花の撮影に入るつもりであったが、なんとも三島から去り難く、未練がましくいじいじしていたら眠くなって寝てしまった。今回の三島は、女刺青師、彫Sが描いてくれた唐獅子牡丹によるところが大きい。数年前から構想はあったが、刺青をどうしようか、打開策がなかったのが、本職に直接描いてもらう、ということで昨年ようやく実現した。私は三島の背中のどこかに彫Sの名前を入れたら、といったが私の作品だから、と遠慮して足の裏に。 刺青師には医療の資格が必要、などと、妙な裁判の最中。刺青業界も微妙時期であるし、業界自体も保守的であり、私の個人的な印象だが、あまり目立つことはしたくないようである。昨年の深川江戸資料館の個展『深川の人形作家 石塚公昭の世界』には担当者の判断で無事出品できた。もっとも人形に絵が描いてあるだけだから問題があるはずもない。まして粋と鯔背の本場深川だし。しかし今時は何にでもクレームが来る。せっかく作って出品出来ず、だけは避けたくて一応確認した。来月13日からの丸善の人形展にはプリントを出品する。丸善も念のため確認済みである。 数年前に三島が様々な状態で死んでいる『男の死』の個展をやるさい、妙な連中を恐れて画廊2カ所に断られている。そんな訳がないだろう。もちろんそんなクレーマーは一人も現れず、それどころか鈴木邦男さんに来ていただいてしまったくらいである。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品。
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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三島由紀夫の身長は“警察発表”によると、確か162センチだったと思うが、実際会った人の証言だと、もっと小さく感じたそうである。『薔薇刑』を撮影した細江英公ともなれば、工夫して撮影しているのが判るし、『からっ風野郎』(大映)撮影時に三島を散々虐めまくった監督の増村保造も、特に女優と並んだ場面ではアングルなど工夫している。そう思うと、底上げした靴を履いていたとはいえ、楯の会の入隊資格に身長制限をもうけ、自分より大きいのばかり集めたのはどういう心境なのか。奥さんの条件には自分より背の低いことを入れていたが。 三島像を制作する時、撮影など後々のことは後で考えるとして、できるだけ正確なバランスで作ったつもりだが、写真作品ともなると、なにしろ私は三島自身にウケることを想定しながら制作しているし、背景に配してみると、事実はさておき、格好良くバランスを案配することになる。 顔を正面を向かせながら、なおかつ背中の唐獅子牡丹を見せるため、唐獅子牡丹を大きく背景にしてみた。小さな背中によくぞ細かく描いてくれたものだが、大きくすればその繊細な雰囲気は失われてしまうので、いっそ迫力を重視してみた。画面に入れた唐獅子牡丹のタイトル文字は、小学四年が最終学歴の私の書道能力では無理、と知人から送ってもらったフリーフォントを加工して使ったが、昭和残侠伝の文字は、高倉健主演の東映ポスターの文字を手本に一晩かけて自分で書いた。 手にする刀は模造刀なれど、関の孫六“三本杉”であることはいうまでもない。気付いてくれなさそうなことは、こうしてここで自分でいう。


※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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三島由紀夫で私の好きなエピソードに、三島35歳、馬込にある自邸の建築に際し、設計を担当した建築家は“初対面で必要な部屋や何かを聞いたあと出たのが、ヴィクトリアン王朝のコロニアル様式である。私はそこで率直に『良く西部劇に出てくる成り上がり者のコールマン髭を生やした金持ちの悪者が住んでいるアレですか』と聞いてみた。そしたら何と即座に『ええ悪者の家がいいね』ときた。これで私は完全に敗北して、本気でやってみようという気になったのである。”こういうところが私はたまらないのである。 背中に唐獅子牡丹の刺青を背負った三島を撮影。去年の個展に出品した作品は始めからヤクザ映画のポスター風に、と考えていたので、平面的な背景に陰影、立体感のある三島を切り貼りした。映画のポスターはそうしたものであるから、違和感があろうとそれで良かった。この時は背中の唐獅子牡丹を見せるために顔は横顔がかろうじて見える程度であったが、本職の刺青師に描いてもらった刺青は肩から胸にもあるし、私の場合、人形は顔が命であるから、顔を良く見せるためには、背景の風景の左右を反対にするくらい平気である。なので今回は前を向かせた。タイトルは映画そのまま『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』である。背中で泣いてる肝腎の唐獅子牡丹も勿論生かした。私が何故、唐獅子牡丹にこだわっているかは、下のSEACHでブログ内を唐獅子牡丹で検索していただければ、くどくどと書いているので判っていただけるだろう。三島は自決直前、実際にかただ撮影用かは定かではないが、刺青を入れることを考えていたのは間違いない。 相変わらず、ひたすら三島にウケることばかり考えている私である。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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夕方母のいるホームに行き、3ヶ月ぶりに髪を切ってやる。同居以来そうしてきた。米寿のお祝いのつもりで寿司屋に行こう、と約束していたが、やはり三ヶ月の入院は大きく、歩けるといっていたが、結局無理であった。3年前の同居の頃は、杖代わりにカートを片手に、それなりのスピードで何処までも出かけていたが、それが両手で支えるシルバーカーに代わり、さらに次第にハンドルに肘をつき牛歩の如くに。そこへ3ヶ月の入院となったので無理もないだろう。昔から車椅子を子供に押されるのだけは嫌だ、といっていたが。今日のところは、ただ散髪ということで。先日深川江戸資料館の展示に来てくれた今拓哉、岩崎宏美ご夫婦の写真を見て喜んでいた。 昨日全生庵の幽霊画を見て、見る側の想像力にゆだね、やり過ぎないことだ、と思ったのだが、私の一番苦手なのがこれである。思いついた物をみんな描かないと気が済まない。しかし新版画の川瀬巴水も版木の彫師に文句をいわれるくらいくどいのは判っているが止められない、といっている。確かにその描写には、描かずにはおれない感が漂ってはいる。 ところでくどいといえば、改めて撮影しようとしているのが、三島由紀夫に、さらに唐獅子牡丹の刺青を背負わせた作品である。ここで私のモットーだかヘキだか“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”を炸裂させたい訳だが、しかしいくらやろうと、御本人の“やり過ぎ感”を追い越す事はないので、こんなに甘えられる対象はいないのである。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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来月13日からの丸善の人形展に出品する写真作品に誰を被写体にするか決められないまま、塩浜の倉庫から、三島由起夫、泉鏡花、永井荷風、夏目漱石を持って帰った。人形自体を出品するかは未定。 3時に木場でMさんと待ち合わせ、千駄木から全生庵の『幽霊画展』へ。行ってみたら部屋の入り口で私の円朝像がまず迎えるように入ってすぐに置かれていた。円山応挙、伊藤晴雨、鏑木清方作品と同部屋とは恐れ多いことである。 牡丹灯籠を手がけたばかり、つい技術的な部分を観察してしまう。女の執念を描く幽霊画は、やり過ぎず、見る側の想像力にゆだねることが肝腎のようである。 前妻が後妻を妬んで修羅と化し、荒れ野で後妻の白骨を杖で打ち壊す「骨を打つ修羅」(作者不詳)。昨年も印象に残ったが、説明書きを読むと、前妻が後妻を、と伝わっている、ということで詳細は明らかではないらしい。杖を振り上げる前妻、あばらの浮いた胸を露出しているが乳房はないし乳首すらない。そう思うと髪こそ長いが、この体格、顔は男ではないのか?つまり前妻が後妻の骨を、ではなく、旦那がかみさんの骨を叩き割っている図ではないのか?私はそう解釈した。Mさんに同意を求めると先日孫が生まれたばかりのMさん。苦笑いを浮かべるばかりであった。恨まれるのが、何も男ばかりと限られたものではないだろう。 受付の女性は昨年、未完成の圓朝の頭部を持って見に来たことを憶えていただいており、たまたま世田谷文学館での展示も見ていただいたそうである。 暗い真夜中も私の円朝はこの幽霊達と共に1ヶ月同じ部屋で過ごしたのだな、と思ったら奇妙な感慨が。ヘンな物連れて帰って来ないでくれよ。


※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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docomoに行き、明らかに生き物に踏み潰された形跡のあるタブレットを修理に出した。「ウチのチビに踏まれまして」。そんなもんウチにいないけど。区役所からの書類が見当たらない時は、「認知症の母に捨てられてしまいまして」。もう3ヶ月ウチにいないけど。 その母より電話。ホームでは、周りは認知症の酷いのばかりで、このフロアで話しが通じるのは5、6人だ、といっている。毎日、何が盗られた盗まれたという騒動があるという。「聴こえるでしょ?」確かに何か騒いでいる。しかし母はこの程度のことには動じないので実に助かる。 ヨーカドーの文房具売り場で習字用筆と半紙を買う。来月出品予定の作品に筆文字を入れてみようと思ったのだが、書道といえば、託児所代わりに幼稚園児の時に習字塾に入れられ、最初にいろはのいの字を11と書いて以来、小学4年まで習った。それだけである。漢字5文字を書くのに朝までかかった。その中の“残”の字が特に難しく、時間の5割はかけたろう。 女郎蜘蛛の刺青を入れている女性から今の進行具合の画像が届いた。女郎蜘蛛は黄色い色が入ると俄然女郎蜘蛛らしくなる。谷崎の『刺青』の主人公のように背中一面ではないが面積が大きく迫力がある。 刺青の業界は社会的に圧迫されているようだが、業界内部の体質自体も旧臭く封建的なようである。そんなものぶっ壊してしまえ、といいたいが、私自身、もし先生や師匠がいたら、間違いなく師の影を踏まず、一生頭が上がらずに終わるタイプである。そう思うと独学者で良かった。だいたい博物館でも行けば、親から子へ、師匠から弟子へ伝わり、だんだん良くなって行くはずが、必ずしもそうなってはいないので、気にすることはない。ただしとてつもなく時間を要するので、ヘキだかタチだか、何らかの事情がないと独学の孤独に耐えることは難しいだろう。一生は案外短いみたいだし。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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三島由紀夫の死の数日前、『男の死』の出版契約を交わした後のタクシー車中だったか、企画者である薔薇十字社の社主内藤三津子さんは三島がフと洩らした「右翼の奴ら見ていろ」というような言葉を聴いている。内藤さんは「三島さんは右翼なんじゃないの?」と思ったそうである。三島は世間に楯の会の活動が玩具の軍隊などと揶揄され笑われている事は充分承知していた。それがあの衝撃の死によって世間は動揺した。当時の週刊誌、新聞、出来るだけ集めて読んでみて衝撃が相当な物だった事が判る。私は予期していた、なんて評論家もいるが狂気の沙汰、という政治家や、見当違いな論調ばかりで微動だにしなかったのは澁澤龍彦くらいである。ところが私は三島がその後さらにもう一つオチ?を用意していたのが『男の死』の出版だったと考えている。あの死の直後に、世間をあざ笑うように魚屋に扮した三島が腹に出刃包丁腹に刺して魚をぶちまけていたり、ヤクザがリンチで殺されている姿を見るのである。この“二の矢”のために三島は自決の数日前まで撮影していた。私は石塚版『男の死』を制作しながら未刊に終わった三島の無念を想った。そして『仮面の告白』の中で幼い三島が“彼になりたい”と願った糞尿配達人の青年に三島をならせ、肥桶の糞尿ならぬ血液をぶちまけ死んでいる場面やドラゴンに噛み砕かれているシーンは『これは御本人がやる訳にはいかないでしょ?』と制作した。 ところで、昨日ブログに載せた226の青年将校に扮した作品は映画『憂国』撮影中「血が足りないもっと!」といった三島のためにこれでもか、と血みどろにしたのだが、久しぶりに観て、いくらリアルにやろうと、光と影のあるこの世に在るかのように制作していては、とどかない、あるいは達成できない物がある。と改めて感じた。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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三島由紀夫は死の1週間前まで魚屋が腹に包丁刺して死んでいたり、体操選手が吊り輪にぶら下がって射殺されていたり三島の趣味炸裂の状態を演じ、篠山紀信に撮らせ、自決直後に薔薇十字社から『男の死』は出版されるはずだったが、奥さんの意向により出版されなかった。私はそれを知らず三島の様々な死に様を作ったら三島にウケるだろう、と考えた。『男の死』の企画者元薔薇十字社社主内藤三津子さんに許可をいただいて三島が言及した、もしくは作中の人物になって死んでいるという個展を開いた。 実は私の当初のイメージは、江戸川乱歩や三島など“その筋”の人達が愛した月岡芳年の『英名二十八衆句』いわゆる血みどろ絵、無惨絵として知られる物であった。しかし“身も蓋もない”写真という方法ではとても表現できない。たとえば切腹シーンを制作した時、映画『憂国』で三島がやったように豚の臓物を使用したが、三島本人が映画でやるなら、また絵ならいいだろうが、写真になると身も蓋もなく、暗くして誤摩化した。すでにあの頃から写真というものの不自由さに私は苛立っていた。板東妻三郎の『雄呂血』の一場面のように、三島がざんばら髪で捕り的に囲まれ、梯子やさす又などで血だらけで取り押さえられているところなど、絶対三島にウケるぜ、と思ったが写真で描くのは無理と断念した。しかし陰影のない、あの世界に持ち込めれば、可能ではないか、と考えている。

ああ身も蓋もない。これじゃ本物の血じゃないですか。後の掃除が大変だったよ(噓)


※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。



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『牡丹灯籠』が出来たということは、私がビビリまくり、触るのも嫌だった丸髷のカツラを使って時代物もある程度やれるということである。例えば谷崎潤一郎の『刺青』も、これが現代物であったら、と思ったものだが、可能であろう。 被写体として撮らせてもらおう、と思っていた刺青を入れた女性が、突如大きな女郎蜘蛛を入れ始めた時、これは谷崎の刺青をやれ、ということだろう、と思った。こんな偶然はよく起こるが、上から降って来たボタモチは、砂を被って海底でじっとしているアンコウのように確実に逃がさず捕えることが大事である。これだけは外したことはないが、そのかわり風まかせ海流まかせ行き当たりばったりである。完成さえしてしまえば、始めに立てた計画通り、こうするつもりだったのさ、なんて顔をすれば良い。私のブログを読んでいる人など少ない。 深川江戸資料館のイベント最終日は、トイレの調子が良くないので部品を買いにコーナンに行ったついでに7時頃顔を出してみた。昨日は6時から9時の夜の部だけでも1200人の入場者だという。到着したら、向こうからお米と『貝の穴に河童が居る事』や三島の『潮騒』で初江をやってくれた長女のAちゃん。子供を連れている。肝腎のお露、末娘のAちゃんはサークルが忙しく観にこれなかったそう。それで良い。新三郎を求めカランコロン。げに恐ろしきは女の執念。嫁入り前の娘のする顔ではない。 今回は芝居の稽古で行けないかも、といっていた今拓也さんと奥さんの岩崎宏美さんが来てくれたそうだが、その時の写真が、私の円朝像の脇にちゃっかり飾ってあった。


※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。

HP

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一日  


宅配便に起される。ジャパネット。母である。中身も確かめずに受け取り拒否。止めないなら携帯を取り上げるぞ、とメール。すでにホームには、何か届いても受け取り拒否するよう伝えてある。知人のお袋さんのように、冷蔵庫が茄子で一杯なんて話しを聞いているから、まだマシではあるが。受け取り拒否は、配達人には迷惑であろうが、すんなり持って帰ってくれるのを知って助かっている。ポストに入ってしまう物は事情をいって送り返す。膝が痛いのは判るがコラーゲンなど飲んで効く訳がない。オットセイや虎のペニスだとかおっちょこちょいが多い。だったら禿げたら狸の毛でも飲んでいれば良い。 江戸深川資料館のイベントは1日8、9百人の人出だったそうで本当の観光場所になっている。明日20日が最終日。搬出は21日だが、一旦預かってもらい、後日作品を保管している倉庫まで行ってもらい、9月の人形展に出品する写真作品用の作品を出して来ようと考えている。とりあえず二三人。誰を被写体にするかである。まず背中に唐獅子牡丹の三島由起夫は最近の手法で撮り直してみたい。 特に日本画のようにするのが本来の目的ではないが、最初から判ってもらおう、とあれもこれも、とやるのは得策ではないのは経験上解っている。人に伝える、というのは簡単なことではない。ならばあえて、まずは日本画風になる手法である、と、泉鏡花、谷崎潤一郎、夏目漱石、古今亭志ん生あたりで、と考えてみたり。“正義が勝つには時間がかかる” by森田健作。別に正義でもなんでもないけど。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

HP

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養老孟司だったか、人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている、というようなことをいっていたが、脳がそのようにできているのなら、私の親不孝もその仕組みのせいで、私は何も悪くないということにはならないだろうか。 20代に、最初に作り始めた架空の黒人のシリーズで個展をという話があることは書いたが、冗談じゃない、酔狂な人がいるもんだよな、と友人にいうと、意外にも全員がやるべきだ、という。私としてはこう見えても、歩みを止めず、少しずつやって来たつもりであったから、友人等が、作家シリーズに転向してからは、面白くないのを我慢していたのか?といささか凹んだのだが、いや乱歩は好きでも荷風はいまいち、ということもあるだろう。扱う人物が趣味に合うかによる、という。慰められている気があまりしないが。 先日読んだつげ義春の『無能の人』では、壊れたカメラを修理し、これは儲かる、とカメラ商に転向したり、あげくには多摩川で拾った石を売る。私と無能の人の行動様式には違いがないように思われた。身につまされる迷惑な名作である。 それはともかく。冒頭の脳の仕組みは私に『寒山拾得』の拾得が持つ竹箒をそろそろ作り始めろ、といっている。谷中の全生庵が中国の寒山寺と同じ臨済宗の禅寺であると知った時、こう来たか。これはもうしょうがない、と観念した。そこへさらに鏑木清方のお菊さんが1世紀ぶりに現れ「あんたはそれでいいのよー清方先生がそういってるわー」。私にはそう聴こえてしまうのであった。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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幽霊  


新発見の鏑木清方作『茶を献ずるお菊さん』は、1906年、三遊亭円朝の七回忌法要が営まれた際に絵はがきの図柄として使われた後、所在不明になっていたそうである。それがオークションに出品されていたのを某画廊が入手したらしい。なんたる奇遇。私は“何か持ってる”といいたくなるが、某ハンカチピッチャーは「あんなこといわなければ良かった」。といっていたから私も止めておこう。 江戸深川資料館に出品中の円朝は、本当は明治の高座を再現するため、二本の燭台だけでなく、火鉢や、その上の鉄瓶まで用意してあったのだが、高座に見立てた花台が会場に持って行ったらあまりに狭く、燭台と扇子だけにしてしまった。湯飲みくらいは、と思ったが、予定が狂って扇子を加えたにとどまった。10日で展示が終わるので、扇子だけでも全生庵に持っていっても良いだろう。 牡丹灯籠の幽霊制作が非常に面白く、振り上げた拳がなかなか下ろせないまま、すでに涼しくなったというのに素材として幽霊を撮影した。発表する予定のない物は作ってはならない、とキツく戒めてはいるが、まあ、しかたがない。そのままでは使えないが、いずれ機会があったら完成させよう。仕上げに入れる鬼火はまだまだいくらでも出番を待っている。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

HP

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