襷掛けの北斎、じっと何か見つめる。何を見つめているか。それにより印象が変わる。何か生き物が良いだろう。刑死人の生首を持ち帰ってスケッチしたのは北斎ではなかったか?作るのは面白いが、私が重要視するユーモアに欠け笑えない。仮に私が追いかけている女性がいたとして、その女性が何かペットを飼っていたら、北斎と共演してみる?なんて言ってしまいそうである。その場合は、実物を見てからにしよう。ブサイクなのを連れてこられても困る。 北斎はアグラをかいているので、一旦乾燥させ、作り難いフンドシなどは、乾燥後に作る事にする。 陰影有る無しで悩むなら、いっその事、同じモチーフ構図で、2種類の作品を作っても良いかもしれない。矛と盾を別々に。陰影のある”この世“に私自身未練がある。自分で作り出した被写体にさらに陰影を与えて撮るのは、被写体を自ら創作する人間の醍醐味である。 となると、陰影無しの方では、一度挫折した浮世絵的遠近法でやってみたくなる。上手く行くかは判らないが、策が無い訳でもない。晩年は日本と西洋的表現の狭間に生きた北斎で試すのも、これも何かの縁と言えるだろう。ただ、絵のように見えるからと言って、見えるだけで、絵と写真の違いは厳然としてあり、難しいところである。