明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



瀬戸内海よりクール宅急便で海産物届く。昨晩サッカー観ながら、すでに気が重かったが、実物見るとさらに倍増。恨めしそうな目でこちらを見ている。念のため2匹頼んだのだが、どう考えても注文した物より大きく思える。先方は、「東京から注文したお客さん、思ったより大きいのが届いて今頃喜んでいるだろうなァ」と思っているかもしれないが。そうは思いませんでした。 朝っぱらからいきなり作業を始める気にならず。煙草を未だに吸っていたなら、天井見ながらグズグズと、小一時間はふかし続ける場面である。結局、一匹は想定を超えたサイズだったので、小さいほうを撮影することにした。
“騒動”の詳細は書かない。ただ海産物だ何だといっておきながら、無難な第二候補に変更して笑われることだけは回避できた。 私は年末に、今年の私は昨年の私が想像しなかったことをやれただろうか、と考える。少なくともこの点に関して、まだ一年の、半ばにして成してしまった。 ただしこれは実のあること、芸術性の高さなどが基準ではない。文字通りのまま、想像もしなかったかどうかであり『馬鹿々しくて想像もしなかった』でも勿論立派にクリアである。そして私の中では、むしろ芸術性の高さより、こちらの方が得点が高いのがツクヅク残念である。  撮影も済み、アダージョ8月配布号で、特集人物につぐ、準主役ともいうべき海産物を肴に、昼間のできごとを思い出さないようにして日本酒を飲んだ。残りはすべて冷凍庫へ。

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一日  


編集長がシリーズになっているDVDを持っていると聞いていたので、件の海産物のDVDをお借りすることになり、木場の喫茶店で受け取り、途中経過を報告。注文した活け締めの海産物は、私がイメージしたようになるか判らないので、もし駄目だった場合、脇役のコレが準主役に昇格します。とスーパーのビニール袋に入れてきた物をお見せする。「思ったより固いもんですね」。指ではじくと磁器のような音がする。今回はギミックだらけで、画面のそこら中で余計なことをしている。レイアウトのことがあるので、早めにデザイナーのWさんと打ち合わせたほうが良いでしょう、ということに。十月、十二月配布号の特集人物が早めに決まりそうとのこと。入稿後しばらくして、ようやく次の人物が決まるようでは効率が悪い。よく知っている人物ならともかく、伝記くらい事前に読み始めておきたいのである。
今回私はTでやりたい放題である。まさに少年時代の気持ちに戻ってしまっている。こんなことが許され続ける訳がないことは、私は良く解っている。おそらく罪滅ぼしで、次のHで苦労しなければならないだろう。 幼い頃、口を開けたままお絵描きに熱中したり、始業のチャイムが鳴っても図書室から出てこられない私に、母は将来に対する不安を感じ、大きな積み木がある施設に連れて行ったり、目を覚まそうとやかましく、頭から冷や水をかけるようなことをし続けた。おかげでチックになり、オネショが治らなかったが、今では大変感謝している。確かにあのままでは、私はとっくに鮫に喰われたり、象に踏み潰されていたに違いない。

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相変わらず雲行きが怪しいが、万が一ということもあるので撮影に出かけることにした。門前仲町で早めの昼食を済ませ駅に向かうと、パラパラ降ってきた。今日は駄目だと、諦め引き返す。深川不動の参道で4、5人のオバさんとすれ違うが、折りたたみ傘を広げながら「ちょっとの間だから」。というのを耳にした。家でゴロゴロしている亭主を残し、オバさん達だけで美味しい物でも食べようと集まったのだろうが、出掛けに天気予報をチェックしてきたに違いない。「信じましょう」。もう一度方向転換して、駅に向かう。  先日来たばかりの撮影現場に着くと、薄曇だが、絶好といっても良い状態である。オバさんを信用して正解であった。オバさん々、と連呼したが、年齢とともに、オバサンのイメージも変り、すでに私の場合、お婆さんのことを差している。 アングルは決めてある。さっさと撮って長居は無用。門前仲町へ戻って喫茶店でお茶を飲み帰宅。チェックしてみると、撮り直して正解であった。よりイメージに近い。どんな手を使っても、失敗して良かった、というところまでは持っていかないと、悔しくて我慢できない。 昨日すでに構図など決めていたので、もう動かしようがない。練りすぎた構図に、風穴を開けてくれるのは、件の海産物であろう。さっそくネットで注文。万が一のことを考え、二匹頼む。漁のタイミングもあるだろうから、数日待つことになるだろう。問題はいくら活け締めで鮮度が良いといっても、所詮死んでいるのだから、果たして撮影に使えるものなのかどうか。これは届いてみないとなんともいえない。駄目だったらすぐ食べてしまい、第二候補を使うことにする。 アダージョが出ると表紙画像とともに、雑記から制作に関した部分を抜粋したページをアップするが、その際、多少の解説を加える。始めあんな物を使うつもりだったのか、と、かなり格好の悪いことになるのは仕方がない。

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先日撮影した背景は、遠景が煙っていたので再撮を決めた。すぐにでも撮りたいが、梅雨空ではしかたがない。だったらどういう構図にするかテストしてみることにした。背景はこの感じ、と決めたカットに、仮の画像を切り張りしながら考えていた。本番にそなえて感じがつかめれば良いと簡単にやっていたつもりが、つい熱中してしまった。ところが駄目だと思っていた背景が、工夫しているうち、かえって良くなってしまった。本データは、早々に再撮を決めていたので捨ててしまっている。後の祭りであった。調整法が判ったからいいや、と負け惜しみをいっている。 撮影にも行けず、よって海産物も注文できず、海産物次第でTのポーズも変わってくる。しかたがないので撮影に使おうと思って、最初に買っておいたプラモデルを作ることにした。だがしかし、私はこれが滅法下手糞なのである。こんなものを作っているのに、といわれるが全く別の話なのである。  子供の頃、これはおそらく関東だけのものだろうが、『カタ』という遊びがあった。自転車に石膏や素焼きのレリーフの型や粘土を積んだカタ屋の小父さんが、小学校の近くの公園などに現れ、ゴザを敷いて店を開く。始めに型と田んぼの土のような粘土を買い、型に押し付け、レリーフを作る。そこに金粉、銀粉、その他様々な色の微細な粉を買って綿棒で色を着ける。それに小父さんが点数を付け、それに応じた点数をくれ、それを貯めると材料をもらえる。上手な子になると、目を見張る美しい作品に仕上げた物だが、これがまた、自分で嫌になるほど下手糞なのであった。型屋の小父さんは点数が貯まった頃、どこかへ行ってしまうのであった。さらに昔になると、『ぬり絵』というものがあったが、これがまたヒドイ。どうも初めから自分がイメージした物でないと私の場合駄目らしい。  このプラモデルを作るのは中学生以来だが、おそらくこれで3機目である。

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昨日ロケハンをしてきた。ある程度の高さが必用なので建造物に入ることになり、許可を取る必要もあるだろうと、編集長にお付き合いいただいた。こんな時は、どこから見ても社会人の編集長にお出ましいただくわけである。とはいえ高級マンションともなると、管理会社には、契約で、一切そういう依頼は受けられないことになってます、と断わられる。かと思うと、隣り合ったビルの管理人の小母さん同士が立ち話をしており、アダージョを知っていて、どうぞ々と打って変わって有り難かったり。 帰宅後チェックすると幸いなことに、事前に目星を付けていて、許可も取らずに出入りできる建物の屋上で撮った物が一番よかった。ただ湿度の高いこの季節に有りがちだが、少々遠方が煙っており、遠近感が出すぎている。今回は奥行きがでてはならない。再撮とはいえ、フレームは決まったので、人物のポーズも、それに合わせて作れるわけだが、ここまでスムースに来ると、やはり件の海産物を使いたくなってくる。当初生きたまま撮影しようと思っていたのだが、色々考えると、思った通りにはいきそうにない。だんだん弱っていくのを見ながら撮影するというのも、あとで腹中に納め成仏させるとはいえ、気が引ける。そこで鮮度を保つため、捕ってすぐに締めた活け締めの物にすることにした。それにはまず背景を撮影して、後に合成する被写体に、どんな光を当てるか決めておかなければならない。 この海産物のせいで、制作中の人物が『たこ八郎』?という知り合いがすでに二人いる。今までのラインナップを考えると、アダージョに『たこ八郎』が登場するのは、もう少し先のような気がする。

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アダージョには珍しく人気沸騰中の人物である。特集場所の大手町には、どう考えても刀を差した男を立たせる場所などない。過去の人物を取り上げるアダ-ジョではあるが、余程効果がないかぎり、安易に過去の人物を現代の風景や人物と絡ませるのは避けたいと考えていた。そこでイメージを優先させてもらい、黒船を迎え撃つために作られた第四台場あたりに龍馬、そこ現れた黒船、という図を考えてみた。 それにしても、一頃に較べれば落ち着いたとはいえ、書店に行けば未だに龍馬関連の雑誌、書籍の類が目に付き、TVでも特集番組を目にする。つまりアダージョはかなり後発ということになる。ブームの前ならいざ知らず、この期に及んで今さら龍馬に黒船でもないだろう、という気がしてきた。  大手町といえば、旧江戸城の大手門がある。龍馬は勿論、江戸城が開かれたことを知らずに死んだわけである。現代の観光客が行き来する大手門に立たせてみたらどうだろう。大手門に行ってみると、当然、ハトバスツアーや外国からの観光客が目に付く。これで決まった。アジア人の観光客が圧倒的な中、いかにもな金髪を捜した。これで黒船を作る必要もない。  いつもはできるだけ、写真に残された人物像と違う状態を心がけるのだが、逆を向いてはいるが、あえて良くあるイメ-ジに準じた。これが太平洋に面した場所に設置された銅像なら、遠くを見る目をして(単に細い目だったという証言がある)日本の行く末を見つめる龍馬像となるわけだが、立たせる場所により、一味違った感慨に耽っているように見えるかもしれない。

大きな表紙画像

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朝目が覚めると、そこは住んでいるマンションの屋上のド真ん中であった。川に囲まれたりして、高い建物が周囲にないおかげで、たかだか6階でも、まず見られることはないが、川をを隔てた運送会社の社宅からは見えただろう。射殺された人、みたいな寝相であったから、危なかった。側に置いてあった、コンビニで買ったと思しき飲み物を持って部屋に戻った。  そういえばカメラバッグがない。K本を出た時は持っていたはずだからT屋であろう。さっそく行ってみると、奥さんが、「忘れ物あれば、ここに置いてあるはずだけどないね」。そうこうして、まだ酒が抜けていない状態のHさんが降りてくる。「昨日、出掛けにカメラ忘れてるよって渡した」というHさん、そういわれれば覚えがある。となると最後の店Tであろう。Hさんは常連だし、閉店までいたので、おそらく安全である。しかし聞くとこの男も、どこかの植え込みで目が覚めたというので当てにできない。 私がここまでになることはめったにない。だが考えてみると、花見の時に、買ったばかりのコンパクトデジカメを失くしている。そして今度は先月買ったばかりのデジタル一眼レフである。これで出てこなければ「デジタルカメラなんて結局使いもんにならないよ」。と言い触らすことに決めた。そして5時のTの開店を待って電話してみると、はたして忘れ物はないという。万事休す。まさか屋上で目が覚めた時、横に置いてあったということはないか?屋上の真ん中で気がつかないわけがないが、一応見てこようと玄関に行くと、下駄箱の脇にカメラバッグが。一度玄関を開けて、カメラを中に入れ、鍵を閉めて屋上に上がったらしい。Hさんに知らせようと電話したが切っていたので「どこに在ったか訊かないでね」のメールを出したが入れ違いにHさんより「今Tに行って訊いてきたけどなかったよ」と電話。
気分も晴れ々で木場のヨーカドー109シネマズで『アウトレイジ』を観る。客席がガラガラなせいか、冷房効きすぎ。 暴力描写はさすがで、初めて知った加瀬亮、石橋蓮司、椎名桔平など良かったが、最後に生き残りそうな奴は早々に判ったし、普段良い人がやる悪い奴が、思いのほか普通。かつて『座頭市』でタップダンスをさせた監督とは思えず。

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一日  


頭部のメドが立ったので、自転車でロケハンに出かける。昼食にTラーメンに寄る、ご主人は元力士で、現陸奥親方の霧島と同期だそうだが、丁度TVで野球賭博事件のニュースをやっている。新たに名前が出た力士は、二、三日前に店に来たばかりだそうである。「人の勝負に賭けてる場合じゃないでしょ?」というと、力士は稽古が終るとヒマなんだそうで、「勝負度胸も付くし」ということであった。 撮影地に着くと、これは思ったより、撮影ポイントを見つけるのが大変でウロチョロしたが、とりあえず一ヶ所目星を付けることができた。喉が渇き、家に“カメラを置くのも面倒で”そのままK本に行く。これがいけなかった。だいたいK本のチューハイ、見た目がサイダーに似ているだけで相当濃い。喉を鳴らして飲むようなものではない。5杯飲んでも、外はまだいくらか明るかった。T屋へ行く。カウンターでは常連がサッカーを観ながら盛り上がっていた。主人のHさんの顔を見て、軽く済ませて帰るつもりだったのだが。帰ろうとすると、まだいいじゃない、とキープしてある焼酎の一升瓶から注がれてしまう。私はアルコールを注いでくれる人物は、みんな好意に満ちているように見えてしまう欠点がある。 HさんとKさんの、近所で川鵜の極太ウナギ丸呑みを目撃した、といいはるコンビと大蛇を見たといいはるHさんの長男と、永代通り添いのTへ向かう。出掛けに店を閉めたHさんにカメラ忘れてるよ、と手渡される。 この店は、Hさんにいわすとチャーハンがこの辺りで一番美味しいそうである。ただしご主人が高齢で舌が変で、当たり外れが激しいという。なるほど美味しい。そこでも相変わらずの盛り上がりで解散。翌日、あらぬ所で目が覚めることになる。

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永井荷風は女性ファンの存在を聞いたことがなかった。女性に対する扱いが原因だろうが、その点、近頃は別な解釈がなされ、女性にも再評価されているようである。小説家ではないし、荷風のような理由ではないが、Tについて女性と話す機会はまずない。今までもなかったが、これからはさらにないだろう。こればかりはいかんともしがたいことである。中学校の下校時、近所に住む同級生と、最近Tの名前を聞かないが、どうしているんだろう、と久しぶりに話題になった。そのおよそ一週間後にTは亡くなった。 頭部の方向性も決まり、ロケハンに出かけたいが、蒸し暑さにめげる。まだ首が出来ていないのだから、とどうしても首の制作に入ってしまう。 今回は、背景をどう撮るかが肝心なのだが、ほど良い高さを得るため、周辺のビルで、撮影に使える場所を見つけられるかにかかってきそうである。最近は建物にかってに入ったらまずいのだろうが、そんなことで怒られたくはない。もし適当な場所があったら、すぐ編集長に連絡することにしよう。
『私が作っているのは誰でしょうクイズ』だが、もう少し経ってから募集を始めようと思ったが、一心太助以降、すでに3名ほどいただいている。(うち正解は1名)そこで、これよりちゃんと始めることにする。『Tの件』という件名でお1人につき解答は1回。(すでにいただいた方も改めてお願いします)郵便物を受け取る場合のお名前でメールをお送り下さい。10名の方に127mm×178mmのプリントにサインをしてお送りします。ご住所は改めて伺います。10名を超えた場合は前回同様、“そうとう”厳正な抽選とさせていただきます。解答のみで結構ですが、ご意見などいただければ幸いです。 事前に知ってしまったり聞かされてしまった方は、そうにも思える、という人物を考えてお送り下さい。10名に達しない場合にボケ具合により差上げます。ささやかなプリントですが、印刷とは一味違います。

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某週刊誌に『W杯トロフィーの公式レプリカは日本人が作っていた!』と、我が家の熱帯魚が死んで、めっきり雑記の出番がなくなった、専門学校時代の友人Hの父親が載っていた。TVにも出るそうである。彼の仕事場に行くと、このトロフィーが置いてあるが、サッカーに大して興味がないので、原型から型を取って鋳造するのでなく、W杯の主催国がその度レプリカを作ると聞いて面倒なことをするもんだ、と思って見ていた。Hは父親の影響でアクセサリーの仕事をしているのだろうが、Hにいわせると、“ああいう親父を持ったおかげで、ずっと普通を目指してきた”そうである。目指してきたようにHが普通か、というと、必ずしもそうとは思えないが、目指してきたと本人がいうのだから、目論み通りにいかなかったな、と混ぜっ返す気はない。 何度かお会いしていて、誌面でトロフィーを持って破顔一笑している親父さんを見ると、Hとキャラクターが違うことは間違いがないようである。私からすると、死ぬまで息子のやっていることを理解できなかった父にくらべると、仕事について語り合える分、羨ましく感じることもあった。上手くいかないものだが、私の父は父で、私以上に私に対して不本意だったことは間違いがなく、それはいっておかないとならないだろう。しかし今の私は生まれた時からこうであり、環境の影響など、何もない中、こうなっている。つまり生まれつきなので、私に責任はない。小学校の同窓会で、あの頃のまま、ただ拡大しただけだ、といわれたが、私にいわせれば、成長にともない、人が変わっていくことが良く解らないのである。このことは、普段うかつに口にしてならない、と私が戒めている筆頭事である。もし口にする場合は、脳天気に笑顔ではなく、悩みごとのように、眉間にしわを寄せるくらいの慎重さが必用であろう。

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一日  


アダージョ用のT、おおよその顔の表情が決まる。この人物も良く煙草を銜えているが、今時は、表紙で銜えさせることはできない。私ほど作品に煙草を持たせたり銜えさせてきた人形制作者はいないだろうが、私が煙草を止めたせいで、存外気にならなくなってはいる。こういう場合は、表紙用のデータを作った後で銜えさせることにしている。 先日、カメラマンと話していて、モデルの撮影の場合、脚が重なって、一本に見えてはいけないそうで、片手が身体の陰に隠れていたのを、別に撮った手を合成させられたそうである。特にウルサイのが指で、十本見えていないとならないらしい。いずれ長さも揃えないとならない、ということで、両手を広げて大の字のようなポーズ以外、不許可になるだろう。  今日、資料を眺めていたら、ある表彰式で、Tが、過去にアダージョで制作した人物と隣り合わせに坐っている写真を見つけた。

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博打  


大関の琴光喜が野球賭博に係わっていたことが明らかになった。可哀相に、親方の佐渡ヶ嶽は泣いていた。琴光喜が大関に昇進後、二十日で亡くなった先代の佐渡ヶ嶽、琴桜のことを想って泣いていたに違いない。 解せないのは、自分が勝負の世界にいて、さらに博打をする心理である。ストレスのために手を出したのだろうが、まず力士としての自分に賭けろといいたい。力士人生など、ごく短いのだ。 私は博打嫌いで、パチンコすらやった記憶がない。この雑記では、好きなことを楽しげに書いているし、それは事実ではあるが、一方、頭ではこんな物を作っていいのだろうか、と常に罪悪感に苛まれながら制作しているので、出来るかどうか判らない物を作ろうとする性分に、ハラハラしどうしなのである。元々博打嫌いなのに、なんだこの博徒のような毎日は、というわけである。遊びに来た友人に“結構面白いだろ”なんていってるだけで生きていければ良いが、そうもいかない。粘土に向かい合い、レンズを覗いていると、そこにはスリルも恐怖も、何もかもがある。よって制作以外では、危険なことには係わりたくないし、まして人と競い合ったり、揉めたりなど、一切したくない。何かが減りそうで楽しいことさえ避けるくらいで、総力をあげてかからないと恐怖心に勝てないのである。 ただでさえ乏しい勝負運を、野球賭博で消費しているような人間は、勝負の世界に向いていないから引退すべきであろう。

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ネットのオークションで入手したものが届く。撮影用に使うつもりだが、実物を見ると思ったより様子がよい。これだけで充分という気がする。それに乗せる予定の生き物の方は、知人のカメラマンに、そんな物を表紙に使ってよいのか、といわれる始末だが、普通に食べる物だし、可笑しいから使うわけである。 ようやく頭部の制作にかかる。頭部のメドがついたあたりで、背景を撮影する。今回は特に、どのくらいの高さから撮るか、というのが重要なので、ポイントを探し回ることになるだろう。背景の撮り方で成否が決まる。背景が決まった時点で、T屋のHさんあたりに、適切なサイズの生き物を魚河岸で入手してもらい、マンションの屋上あたりで撮影したい。奇妙すぎるので、撮影しているところを人に見られるわけにはいかない。あまりに活きがいい場合、逃げ出さないよう、押さえていてもらう人か必要であろう。元気が良すぎたり、あまりに可哀相になった時に、とどめを刺す何かしら必用だし、逆に元気がない場合、火を嫌うそうなので(火を好む生物はあまり聞かないが)チャッカマンで刺激を与えることも考えている。墜落したB-29の中からアメリカ兵がでてきた時の村人のようであるが、せいぜいその日のうちに、感謝しながら腹に収め成仏させる予定である。 その撮影が大失敗した場合を考えて、粘土で作る時間も考えておかなければならないだろう。今回の作品は、あまりに要素が多く、方法を考えながら制作することになるだろうから、不確実な生き物を使うべきでないのは判っている。

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一日  


御茶ノ水に材料を買いに行くついでに、資料用のDVDを探しに行こうと神田に向かうと、途中の中古ビデオ屋で、レンタル落ちのビデオを売っていたので4本買う。今回は参考程度で、映像を途中で止めて、という使い方はしないので充分である。『徹子の部屋』に出演した寺山修司のビデオもあったので買う。夏のような暑さの中、御茶ノ水あたりの楽器屋の前を通ると、高校生の頃の気分を思い出し懐かしくなる。何を見ても昔と違って安く、良い時代である。フラフラと入ってしまいそうになるのを押さえる。  K本に行くと、近所に住み、肝臓悪いのに飲みに来る、通称“小鹿番”という爺さんが酔っ払って、女将さんに怒られている。番さんは近所で早朝、ゴルフの練習をしているそうだが、酔っ払って目が覚め、早朝と勘違いして、ゴルフクラブ持ったまま来たらしい。小学生の頃、遠足から帰って疲れて寝てしまい、起きたらまだ夜だった、あの感じであろう。K本は、こんな様子を見ながら笑って飲んでいるのが楽しいのである。下町はオッチョコチョイの、気さくなお調子者ばかりだというウソを、松竹が全国に広めたせいで、初めから馴れ々しく大きな声で喋り続ける輩が多くて困る。  久しぶりにビデオデッキを引っ張り出してくる。ビデオのパッケージに子供の頃から馴染んだ有名なカットが使われている。合成写真だが、今見るとおかしい。二人?に当たっている光が合っていない。片方は、どこに太陽があるんだ、という話である。合成の場合は、すべてに、できるだけ同じ角度で、同じような光を当てるのが基本である。だが、パッケージ写真は、もともと有り得ない状態なので、妙な感じが悪くはない。

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生物  


自転車に乗っていて、橋の上から川の様子が気になる。今度の人物は水の表現がポイントになるだろう。たまたま特集場所に川が流れていることもあるが、この人物自体が、おそらく水には悩まされたはずである。自転車を止め、しばらく川面の様子を観察した。通る人が、魚でもいるかと思うのだろう、私が見つめるあたりを覗き込んでいく。  『私が作っている人は誰でしょうクイズ』は、早々に『一心太助』という答えをいただいたが、一心太助は架空の人物のようである。なんでそう思われたか、と考えたら、“活魚のお取り寄せ”が原因のようである。ナルホド。私も混乱させることを想定しているのは確かだが、まったく本気であり、未だに生きている物を使うか自分で作るか、結論は出ていない。写真に撮るのだから、新鮮であれば、生きていなくても良さそうなものだが、こればかりは生きていなくては駄目であろう。 図書館の帰りに、KでTの資料をで飲みながら読む。ここは1人でほっといてくれるので読書に身が入る。熟読していると、そこへ少々酒の入った60代女性の二人組み。この店の上得意らしく、持ち帰り用に焼き鳥を40本注文。ビールを頼むがもう飲めない、と近所の会社のユニフォームを着た連中に注いでいる。お金が余っているのか、店が勘定は済んでいる、というのに、払ってないといいはっている。この女性のけたたましさと、それをおだてて酒をたかっているユニフォームの連中に、ムカムカしてきて耐えられず。 T屋を覗くと、主人のHさん、暗い中1人でニュースを見ていた。我々の世代はTについては、語りつくせない思い出がある。資料の本を観ながらひとしきり盛り上がる。「刺身でも食べる?」丁度私が作るか本物を使うか悩んでいる物があるという。撮影に使うため、Tを取り寄せようかと思うけど、どうだろうと訊いてみると、Mは高いけどIなら今は普通に河岸にいけば手に入るんじゃないかな、とHさん。「うまく撮れなかったら食っちゃえばいいじゃん」。今回の撮影用小物は、使用後に邪魔にならないところが良い。今頃の入荷状況を聞いてもらうことにした。こんなものを作る機会はないだろうから、せっかくなら作ってみたい気もするが、フリーぺーパーの表紙に、生きてるそれが登場したら、かなり可笑しいだろう。相変わらず、感心されるくらいなら呆れられたい私なのであった。

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