明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先週、煮込みの『K本』にTさんこと蕃茄山人氏をお連れし、常連の流れに巻き込まれ、2次会となったが、階下のYさんは、自転車ごと他所の玄関に突っ込みながらケガもなく、大いに盛り上がった。蕃茄さんが、この日のことを“フェリーニの夜”とブログに書いていた。焼酎、亀甲宮のせいで、頭が幻想味を帯びてしまったのかもしれないが、常連がゾロゾロ2次会に向う様は、確かに子供の頃観た、大映映画の百鬼夜行じみていた。フェリーニの夜のことをYさんに言うと、「うん、たしかにヴィスコンティの夜じゃない」 Yさんが玄関に突っ込み、いい大人が大勢で、ヘラヘラしながら謝ったわけだが、ヘラヘラの中に大手建設会社のMさんもいた。2次会では、蕃茄さんの対面に座り話していたというのに、今日K本に行ったら、2次会どころか、あの日K本に来たことも覚えていないという。「土曜日来れなかったからと思って、今日来たんだけどさ。帰ったらカミさんに訊いてみよう」みんな呆れたのであった。 

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久しぶりに、デザイナーの北村武士さんに会う。『Objectglass12』は、出だしこそ、どこに行けば置いてあるのかと思われたが、最近は数週間平積みされている書店があったり、情況が良くなってきたようである。 タイトルのオブジェクトグラス12は、北村さんの命名である。何度も説明を受けているのだが、つねに酒の席なので、途中から右の耳から左へ抜けていってしまい、未だ人に説明できるほどに至っていない。今のところ、意味を訊ねられることはないので、不都合はないし、意味は判らないが、訊ねる気にもならない。というところが、タイトルとしては良いのではないだろうか。 “百年たったらその意味わかる”といったのは寺山だが、北村さんデザインの寺山修司『仮面画報』(平凡社)はいまだに版を重ねているし、古くならない。

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常連  


先週、常連の中に、2軒目に行く途中、ヨソ様の家に自転車で突っ込み、怒られてた人がいて、どこかぶつけて痛くしていないかと5時過ぎに『K本』にいくと、大丈夫だったらしく、今日はすでに帰ったという。なにしろ営業時間が4時~8時の店である。 常連客というのは、奥の常連席に、壁とカウンターに挟まれるように座るわけで、隣りの人とも、前を向いたまま話すことが多く、丁度銭湯に浸かって話しているような感じである。これからの季節は、明るい中飲むことになり、ますます銭湯の一番風呂の如しである。テレ屋には、そっぽを向いたまま話すのも良い。 今日は良くみかける、農水省の若いのが来ていたが、何事もなかったように愉快に飲んでいた。安部首相は「慙愧にたえない」とコメントしていたが、慙愧は、残念という意味だと思いこんでいる感じであった。

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出がけに、芸術新潮6月号が届く。インタビューが文楽太棹の巨匠・鶴沢清治。良いタイミングである。 『Objestglass12 』の評が掲載されており、“酔狂な行為”とある。自分では「ダテやスイキョーでやれるかよ」といっているわりに、人にいわれると悪い気はしない。“街角で挙動不審な男をみかけても、温かく見守ってあげてください”としめられていた。先日の六本木での撮影時、小学校教師の視線はかなり刺さった。 たまたまTVで文楽をやっていたが、娘の声色を解説では可愛いと言っていたが、お爺さんでは、こちらの想像力不足か、かなり苦しい。その点、越孝さんは可愛らしく。名曲のさわりということであったが、お二人共に熱演であった。古典芸能で、これは私でも知ってると思った場合、由利徹のコントだったかも、とつい思ってしまう。 帰りに、国立在住のTさんを、煮込みの『K本』へお誘いする。常連オールスターズの流れに吸収され、2軒目へ。幸か不幸か、ディープな体験をさせてしまった。無事帰れただろうか。


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黒人の人形を作っていた頃、何年かに一体、作っていたのがボクサーである。すべて顔を殴られ、腫らしていたわりには、偉そうな顔をしていた。自分が負けと思わなければ、負けたことにならないというテーマであったが、思えば随分、あきらめの悪い話である。 まだボクシングが、今のように12ラウンドでなく、15ラウンドだった頃は、KOで試合を止めるのが遅かった。大場政夫などは、現在だったら、逆転できずに終わった試合もあったろう。レフェリーは、まだやれるという選手や、観客を納得させるために、大げさに抱きかかえ、ホラ、一人で立っていられないではないか、とKOを宣告するわけである。 筋骨たくましい男性像を作るのは楽しいことだが、そんな人物が作家の中にも、いないことはない。ちょっと筋肉の量をサービスしている感じはあるが、なにしろ、常に本人に見せるつもりで制作している私なのである。

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一日  


『中央公論adagio』がヤフーオークションで320円で5冊も落札されていた。送料を入れると460円である。 銀座の伊東屋に買い物に行くついでに、青木画廊に寄り、中央公論新社に2号用のプリントを届ける。前回、2回目だというのに迷ってしまい、そこに京橋郵便局のバイクが通ったので、京橋2丁目を訪ねたら知らないとヌカした。あいつは京橋郵便局員をかたるコスプレオヤジだったのだろうか? ロビーにあったポスターを見て、滝田樗陰(ちょいん)は中央公論の編集長だったのかと、あらためて。 歩いて帰る。

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港区の某所にて撮影する。例によって、片手に人形、片手にカメラの“名月赤城山撮法”である。場所は小学校の塀に面した裏門横。警備員がこちらを見ている。撮影をはじめて間もなく、学校内から射るような視線を感じる。カメラを構えたまま横目で見ると、赤いジャージ姿の若い女教師がこちらを見ている。今日はあいにく一人の撮影なので、誰かのせいにするわけにはいかない。確かに怪しいかもしれないが、学校にカメラを向けているわけではないし、警備員の目の前である。しかし、何か疑問を持たれた場合、私は、この状態を、なんと申し開きをするのであろうか。とっととシャッターを切り終了する。 田村写真に寄り、久しぶりにチャーリーパーカーのダイアル版を聴く。これを聴いて、私は昔、血迷ってアルトサックスを買ってしまったのだが、あのサックスは、今ではアメリカに住む、妹の中学生の長男が使っている。 帰宅後TVを観ていて花王のCMに矢野沙織というアルトサックス奏者が映り驚く。あの中学生が私の忠告どおり海外で修行し(某日10参照のこと)こんなことになったらしい。パーカーの影響を受け、パーカーと同じく、SAVOYからアルバムまで出している。

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6時に打ち合わせだが、まだ時間があるということで4時過ぎに『K本』に行く。たまに見かける『泥の河』のプロデューサー氏と、小谷承靖監督、峰岸徹さんがみえる。階下に住むYさんに、ここで飲むとは聞いていた。小谷さんは世田谷文学館で、私の作品を観たことがあるそうで、今度植草甚一展をやるそうだと話されていた。隣りの常連が、それにつられてジャズの話を私に始めた。やたら古い話を知っている。以前、門前仲町にあった『タカノ』の話などしていると、横にいた、いつもガス屋の作業服を着ている男が、オーディオに数千万かけたという。音楽音痴のオーディオマニアみたいなので適当に聞く。帰ろうと戸を開けたところで、Yさんが峰岸さんに声をかけてくれた。殺されるフンドシ姿のヤクザ役が迫力があったと思い、つい「サード観てました」これではTVシリーズでも観ていたようだなと思う。よけいな事を言ってしまったが、私がフンドシ姿の男を制作中のせいであろう。

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6月、銀座青木画廊の『眼展』に出品する作品を制作中である。男の筋肉の場合、幼稚園時代から、プロレスを毎週観続けたおかげで、微妙なところ以外は、なにも参考にしないで作ることができる。これはプロレス好きだった父に感謝しなくてはならない。 私は励んだものは何も身に付かず、知らないウチに身に付いたものだけを利用して生きている。ということは、ボンヤリと生きているしかない。何かについて切磋琢磨しようと企んだところで、その時点でおおよそ無駄になることが決まっているからである。しかしボンヤリしていたって、何かは取り入れ続けているのだから、良しとしている。何を取り入れているのか自覚が無いので、自他共にボンヤリしているということになってしまうのが、辛いだけである。

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午後、六本木アマンドの前で『中央公論adagio』編集長、編集者のHさんと待ち合わせ、付近を探索しながら撮影することに。強風だし日差しは強いしと、人形をカラーで撮るには適当とはいえない一日であったが、相手が物言わぬツクリモノゆえ、画面の中に、多少のハプニング、不都合を取り入れるくらいの気持ちで撮ることが必要である。この塩梅が微妙なのだが。 片手に人形、片手にカメラの撮影は、人ごみのなかでは、大変恥ずかしい状態である。ビジネスマン然とした編集長と歩いていれば、私が単に奇妙な人物でなく、何か事情があって、こんな仕事をしているように見えるのではないだろうか。しかし、いつの間にか撮影に夢中になってしまい、気が付くと、邪魔をしてはいけないという配慮からか、二人は離れたところから、私の撮影を眺めているのであった。 都営地下鉄の駅から無くなると、補充をしていた創刊号も、大分無くなってきたそうである。

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向田邦子、着彩に入る。抱えた猫は、ブルーに見えたり銀色に見えたりという毛色の持ち主だが、粘土に塗装では、どだい無理な話である。お茶を濁す。 依頼仕事の面白さは、自分では作ろうと思いつかないものを作れるところである。となると、その醍醐味を最大限、味わおうとするなら、大嫌いな人物を依頼されることであろう。嫌いな人物といっても、様々な理由があるが、作家の中には2,3冊読んだが、とても我慢できなかったという人物もいる。それではその人を作りたくないかというと、自ら進んで作るわけにはいかないが、頼まれれば物凄く作ってみたい、ということはあるのである。だいたい頼んだ人のせいにできるところが、ある意味では大変気楽である。

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人形の芯に盆栽用のアルミ線を使っているのだが、次の作品を始めようと思ったら切らしていたので、西葛西の日曜大工センターに行く。駅から汗をかきながら歩き、到着してみると、工事をしていて跡形も無い。しかたがないので、あたりの金物屋に訊くがどこにも置いていない。一度帰宅し、ネットで検索。銀座方面に出ようと思っていたので、デパートの園芸店を探す。昔、デパートの屋上といえば、ペットショップと園芸店と決まっていたものだが、どこも撤退してしまったらしい。イライラしながら、ネットで探してようやく注文。明日届くようだが、もうがまんできない。いつもの太さではないが、南砂町のドイトにあったので、再び出かける。作りたくて鼻息が荒くなっている。発情し、血に飢えた財津一郎の如し。こうなると誰も私を止める事はできない。帰宅後、粘土に襲いかかるように始める。この快感は、喉が渇いたあとのビール一杯の比ではない。完成した首を持ち歩くのは、ワザと自分を焦らして、爆発的に取り掛かるためでもある。

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連休中は、どこへも出かけないことが多いが、今年は向田邦子を作っていた。初めて手がける実在した女性は、仕上げを残し完成は近い。 午前中、階下に住む、映画関係者のYさんから、清澄通りの三野村ビルで撮影をしているので来ないかと電話。連休中も商船大学内で撮影していると連絡があったが、雨が降っていたので行かなかった。三野村ビルの持ち主は昔、三井の重要な人物だったらしいが、重厚な素晴らしい建築であった。ヤクザ映画その他、『華麗なる一族』でも使われたそうである。隣接して懐かしい雰囲気の空き地もあり、つい「ボール取らせて下さーい」と言いたくなった。映画は昭和40年代の話らしいが、最近は、なにかと団塊の世代がテーマになっている。私などの世代からすると、目の上のタンコブのような世代である。

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制作中の向田邦子に抱えさせている猫が、ピューマのようである。猫の出来が良い、などと言われるのはマッピラではあるが、向田邦子にピューマは、さすがにまずい。もう少し何とかしたいものである。 資料として借りている向田の出演ビデオ『徹子の部屋』を観る。たしかに、話している姿にも、独特の魅力がある女性である。まさか向田邦子が、たった1歳、年上のヒトになるとは思わなかったが、オバサンと思って作るのと、1つ年上のヒトと思ってつくるのでは、大変な違いがある。少なくとも年下になる前で良かった。実際は知らないが、父親の血をひいた癇癪もちのイメージがある。「私が今、なんで怒っているのか解ってないんでしょ」と言われがちな私は、こんなしっかりした女性は、どちらかというと苦手である。 午後、近所の喫茶店で、『Objectglass12』について、産経新聞の取材を受ける。

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