明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



無学祖元の袖口から顔を出す龍龍の指は、上半身しか必要ないのに、針金の下半身を切り離さないまま。どうやらヘソ下三寸に居るもう一人の私が、出番があること予見していたのか、結局、洞窟内で面壁坐禅する蘭渓道隆のはるか背後の上空に飛ぶことになりそうである。法の雨を降らすといわれる龍は、そのために寺の天井画として描かれる。後に日本に渡り禅を広めようという蘭渓道隆に龍は良さそうである。来日前であるし、建長寺の天井画の龍は中国式に5本指なので5本指にしよう。一方円覚寺開山、無学祖元の龍も、来日前の宗時代の話しではあるが、鶴岡八幡宮の遣いという設定であるし円覚寺の天井画は日本式に3本なので3本指にしよう。

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次回の展示は新作の作品数を抑え、それに集中することに決めていた。蘭渓道隆は、実在した人物制作で、今まで得た物を全て投入する必要があった。 『建長寺物語』(高山正俊著)を読んでいて建長寺の開山、蘭渓道隆の本日のタイトルの言葉が目に留まる。噛み砕くと〝外の世界や他人のことに気を取られるな、自分を照らす光は自分自身の中にあるのだから”だそうである。その禅師を〝外の世界にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想”である私が制作している。 〝人間も草木同様自然物、肝心なものはあらかじめ備わっているはず”とずっと考えて来た私が、仏は己の内に在る、という禅宗をモチーフにするに至ったのは偶然ではないような気がするが、禅師の制作も果たして偶然なのだろうか?

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一日  


蘭渓道隆師、予定の3作品の構図決まる。 16年、深川江戸資料館における、その時点で展示できる作品を集めた中締めとなった展覧『深川の人形作家 石塚公昭の世界』がようやく終わり、しばらく何もしたくない。かといって10代以来同居を始めた母のせいで辞めていたタバコを吸ってしまう始末で、家にいたくない。近所の図書館に通った。その時、なんとなく浮世絵や古い日本画の画集ばかり眺めた。この自由さを写真作品に取り入れられないか?それが始まりだったが、その後始めた手法が、私を導き、江戸川乱歩いうところの〝現世は夢 夜の夢こそまこと”を可能にしてくれた。私は普段ボーッとしてはいるけれど、上から降って来た物を取り落としたことは一度もない。


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知り合いの編集者に東北大で地質学を学んだというのがいるので、座禅窟の制作に関して質問をしてみた。仮にそんなことはあり得ない、といわられたところで、イメージ優先。ハイそうですか、とはならないが、知っておいて悪いことはない。確かにその上空に龍を飛ばそうという人間が地質学でもないだろうが、上手な嘘をつくには、本当のことを忍ばせるのがコツであり、この虚実のバランスが大事である。〝及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“な私はまた〝感心されるくらいなら呆れられたい“私でもあり、モチーフとする人物がすでにこの世にいなかろうと、その人物がいなければ作れなかったことを思うと、人物への敬意を最重要とすべきだろう。

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被写体が完成していれば、構図は決まっているので、三脚立てて陰影が出ないよう撮影する。あとは色の調整、形の調整だけで、切り抜いて配するだけである。ピントはオートフォーカス、絞りを絞れば、どうせ切り抜くので、ファインダーの中で傾いていようと何か写り込んでいようと問題ない。いい加減なようだが、もっとも肝心な被写体を自ら作った挙句のことであるから、どうということはない。修行者にとって師の頂相は教えそのものとされる。場合によって鼻毛、耳毛まで描写される頂相を、穴の一つも開けよと見つめていると、私にも伝わって来るものがある。 夏目漱石の求めに応じ、写真師がカギ鼻やアバタを修正するような物とは全く違う次元の物である。そんな漱石像も、紙幣ぐらいなら使えるだろうけれど。

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『慧可断臂図』で壁に向かって坐禅する達磨大師の表情を見せるため、雪舟は真横を向かせ、私は振り向かせた。達磨図は星の数ほど描かれて来たが、表情が隠れるためか、律儀に面壁し、背をこちらに向ける図は見ない。面壁せずに巌窟の外を見ているのがほとんどである。2作目の達磨図は私もそうするつもりである。 しかし初めて本格的禅を日本にもたらせた蘭渓道隆師の坐禅図は、以前から考えないではなかった一手を。面壁する壁に耳ならぬ目があったなら、という試みである。面壁する人物をド真正面に扱うにはこれしかない。陰影がない世界は、巌窟の奥でも光量不足とは無縁でもある。 禅師の背後に巌窟の入り口。その向こうに広がる山々。その上空の雲の中に龍。こちらから見ると禅師の頭上に龍のように見える。実にくどいが、当該モチーフにはくどい先達に溢れている。これも陰影がないからこそであろう。タイトルにはあえて〝面壁“と入れたい。

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其の1 蘭渓道隆師の真正面図は、斜め45度の肖像を真正面を向いていただくだけで充分であり、シンプルに無背景のつもりでいたが〝及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“な私は、巌窟内。面壁坐禅の壁奥にカメラがある設定。カメラと向かい合う坐禅する禅師。肩越しに遠く深山風景。その上空には、仏法を守護する龍がうねる。巌窟の開口部分がまるで禅師の光背のように見える。 其の2 来日前、無学祖元師が寺で坐禅をしていると龍と鳩を伴った神のようなものが「我が国に教えを伝えよ」と何度も現れたという。その後、円覚寺の開山として招かれ来日し、鶴岡八幡の鳩を見て、あれは八幡の神の使いだったのだ、と悟る。禅師の背後に、うっすらと件の神が現れるのはどうか?しかしその神がどんな姿をしたどんな神なのかが判らない。すると胸の内から「思い付くのは勝手だが、大概にせい。」これは私に憑いてる神の声らしい。

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おそらくメインになる予定の『蘭渓道隆坐禅図』は面壁坐禅、つまり巌窟の奥の壁に向かって坐禅していながら、顔を見せるところが工夫を要する。最初に考えた建長寺に残る座禅窟は、そのために背景にするのは断念した。今は壁を背にする臨済宗も、その昔は禅宗の開祖達磨大師と同じく面壁坐禅であった。その達磨大師は『慧可断臂図』で面壁しながら振り向かせたし、坐禅の状態ではないので『月下達磨図』は面壁ではなく、ただ岩窟の外を眺めていることにしたい。 構図を考えてみたが、蘭渓道隆師は、真ん中に滝を流すつもりでいるが、考えたやり方で、思ったような滝になることが前提である。手のひらに乗る石ころで中国の深山を作る前もこの調子であったから、まずはやってみないと判らない。

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