明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



江戸川乱歩の御令息、平井隆太郎先生が逝去された。 それまで黒人ばかり作っていた私は一年で作家シリーズに転向した。個展のタイトルを乱歩が色紙によく書いた『現世は夢 夜の夢こそまこと』の後半部分を使いたかったし、乱歩制作の許しも得たい。隆太郎先生に葉書か手紙かをお送りしたところ、快く承諾いただき、個展にも来ていただいた。乱歩が気球にぶら下がった『帝都上空』のプリントを差し上げたが、乱歩邸が立教大の物になるまで、ずっと乱歩の机の上に置かれていた。 その後ご家族がまだお住まいだった頃から、乱歩邸には撮影やTVの撮影で何度もお邪魔した。 一度例の土蔵で乱歩の人形と隆太郎先生にならんでもらい“二探偵図”として撮影しようと、先生に持ってもらうためのピストルを前日に入手していたが結局言い出せず、撮影はしたものの、ポケットから出すには至らず。 やはり初個展に来ていただいた方から、先生に「面白いあんちゃんですよ。」と聞いて行った、と後に聞いた。 ご冥福をお祈りいたします。

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三島が喜びそうな死に方は、『仮面の告白』の以下の文章を読めば良く判る。私のイメージの元はこれであった。『希臘の兵士や、アラビヤの白人奴隷や、蛮族の王子や、ホテルのエレヴェーター・ボオイや、給仕や、与太者や、士官や、サーカスの若者などが、私の空想の凶器で殺戮された。私は愛する方法を知らないので誤って愛する者を殺してしまふ・あの蛮族の刧掠者のやうであった。地に倒れてまだぴくぴく動いている彼らの唇に私は接吻した。』『そこで私はいつになっても、理智に犯されぬ肉の所有者、つまり、与太者・水夫・兵士・漁夫などを、彼らと言葉を交わさないやうに要心しながら、熱烈な冷淡さで、遠くはなれてしげしげと見ている他はなかった。』 それにしても死の寸前、自ら魚屋になって、魚ぶちまけ、包丁を腹に刺して死んでいるところを撮らせていたとは畏れ入る。その代わり私は三島が幼い時に目撃し、「私が彼になりたい」「私が彼でありたい」という欲求にしめつけられたという糞尿汲取人にお望みどおりしてあげたが、倒した肥桶からこぼれるのは大量の血液だ、と思い付くまで不覚にもちょっと時間がかかってしまった。石塚版『男の死』を修正している。私の悪い所は作ってしまうと放ったらかしにしてしまうことである。震災の影響で、三島の命日に画廊にキャンセルが出て、そこから寝床に本を敷いて、寝心地悪くして睡眠時間を削って間に合わせた。近々田村写真で大きなプリントを試すことになっているが、この中からも、と見ているうちに気になるところを修正しはじめ、良くなった。 三島を制作するにあたり、せっかく関の孫六の模造刀を入手したのだから、窓に映った己の姿を見ながら振り回すだけでなく、いちおう“三本杉”の刃文もついているから撮影に使いたい。

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一日  


先日光通信の工事があった。ところが事前に工事の連絡がなかったので、と管理人に断られたとNTT。何をやっているんだとショップへ。若い店員「ホントですねぇ?」「おかしいですよねぇ?」ちょっと待った。なにそのひとごとみたいな感じ。あなたの会社の対応が悪いといっているわけよ。一味でしょ君は。最近はこういうのが多いのだろうか。近所の不動産屋でもまったく同じで、ひとごとのような言い方で、「困りましたよねー」。なんなの?しかも今タメグチになりそうだったろ? 結局ネット回復は先のことに。 三島由紀夫へのオマージュ『男の死』はなんとか完成させようと考えている。三島に関しては、これ以外やりたいテーマは私にはない。本日三島が御輿を担いで恍惚として死んでいる。という作品を完成させた。御輿は深川の祭りを何年も前に撮影している。御輿を担ぐ男達の中に三島を合成したが、必ず問題となるのが髪の毛である。本物の髪がすぐ横にある場合、粘土製の紙は違和感がある。あれは『中央公論アダージョ』の表紙を担当していて太宰治を作った時。横に着物姿の女性を並べた。おかげで太宰のいかにも粘土の髪がヘンである。入稿日の朝、たまりかねてベランダから頭を突きだし、我が頭を撮影し髪を貼り付けた。植村直己も同様であった。こっちの場合は横に配したのは、毛は毛でも犬であったが。 先日NHKに写真を提供した番組はETV特集。土曜の夜11時『米兵捕虜を使った生体解剖事件の真実』である。母校に生体解剖を持ちかけた男の写真である。想像していたとおり、破傷風で死んだこの男に責任を擦り付けたらしい。遺族が出てこないのは当然であろう。 野坂昭如が亡くなった。高校の時、担任がお前らは国語がダメだ、と放課後朗読させられたのが『真夜中のマリヤ』であった。たしか当時通販で野坂のレコードが売られていて、レコードのレーベル部分の穴がなく、かけるとき、穴の部分に刺して開けるバージンレコードというのがあった気がする。

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先日友人の訃報が届き、以来アルコール過ぎてしまったようだ。相変わらず二日酔いはしないが。 花の写真を撮ったが、あまりに作りが安っぽいので出番がなかったレンズの色が大変良い。これは河本のカウンターの花を撮っていて気づいたのだが、おかげで方針が変わってしまって、河本の写真は最初から色調整のし直しをするはめになった。そもそも店内の窓を照らす信号機の色が綺麗だ、などと言い出したのも、このレンズのせいである。 花の写真はポストカードなどになるそうだが、入れる名前を昔活躍した某プロレスラーの初期のリングネームを拝借することにした。 今書いていて思い出したが、最初の個展の時、どうせやるなら、とアーティストネームを真剣に考えた。それがまた力士の四股名を拝借した物だったから、何十年経っても考えることには変わりがないようである。結局、個展に来るであろう幼馴染みや友人に、そんな名前でどういう顔していれば良いのだ、と止めてしまった。

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河本の周辺には信号機が多い。夜外観を撮る場合、どうしても赤信号でシャッターを切ることになる。他の色では少々寒々しい。一方店内の場合、ガラスが信号各色に染まり、ステンドグラスのような発色で、なかなか綺麗に写る。こちらは店内の暖色系蛍光灯のせいか、青や緑が映える。なので時に信号が変わるのを待ってみたりして。醤油で煮しめたような昭和な店内に信号機によるカラフルなガラスは独特な効果を醸している。 深川図書館へ。暖房が効きすぎて暑くてしょうがない。しかたがないので、人が出入りして外気が入り、多少ましな一階のソファーで読む。来年個展を予定している深川江戸資料館へ。レクホールの展示している状態を見ようと思っていたら終わっていた。開けてもらって空の状態を見てみたが、記憶以上に広い。展示できる作品を全部、といってはみたものの。個展の会期中にある、スライドを上映しながらの朗読ライブ。そのホールも見せてもらった。230席。GWあたりは集客が難しいと聞く。今年の個展で身を持って感じたばかりである。告知も早めに始めよう。 先日水木しげるが亡くなった。子供の頃から好きであったがゲゲゲより『墓場の鬼太郎』である。世の中可愛いもので溢れている。特に女性は「美味しそう」と同じ調子で「可愛い々」と連呼しているが、せめて妖怪やお化けの類いくらい怖くて不気味なものとして存在していて欲しいものである。二部に予定している『貝の穴に河童の居る事』の朗読をしていただく女流義太夫の竹本越孝さんからは“悲しいほど可哀想で愛らしい河童に思いをかけてみます”といっていただいている。本来『フランケンシュタイン』や『ゴジラ』だって(愛らしいかはともかく)そんな物語だったはずである。

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