明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



個展ではパンフレットを作るそうで、全部ではないが、三島に関しては、画像と共に小説内の抜書き程度は載せたい。個展椿説男の死は、モチーフの多くは、初の書き下ろし長編にして、その起筆日、11月25日に自決している仮面の告白から多くのモチーフを得ている。三島を知るには、そのほとんどをすでに書いてしまっているともいえる作品である。しかし仮面の告白を読んだことのない人にとっては、なんで三島が肥桶転がし糞尿運搬人の姿でいるのか、ドラゴンに噛み砕かれているのか、意味がわからないだろう。前回、キャプションはある程度作品に添えてはいたが、文字が小さかったこともあるだろうが、読んでいる方は少なかった。多少は?根拠があって作っている程度のことはお知らせしなければならないだろう。パンフレットに加えて、会場には制作ノート的なキャプションも添えることになっている。すでにこの世にいない三島にウケることしか考えずに制作してきて、いざ発表の段になり、我に返って慌てて言い訳を用意しなければならない、といったところである。 会場でそんな物は読まされて、面倒だという方も作品に能書きなど無用という方々もいるだろうが、モチーフがあまりに特殊なのでご容赦願いたいところである。 太宰は下駄こそまだ履かせていないが、明日にでも仕上げを済ませ着彩に入り早々に撮影しパンフレットに間に合わせたい。

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三島をモチーフにした作品は、ふげん社のおかげでやり尽くすことができそうである。三島に関しては最初からこれ以外に、やりたいことは何一つとしてない。 実は一つイメージしていた作品がなくはなかった。サーカスという小品で、サーカスの少年と少女。団長の企みで少年は落馬して死ぬ。三島の好物の王子の死である。何年か前から、相手の綱渡り芸人の少女役を探していたが、乱歩の目羅博士の不思議な殺人で、友人を月光の下、首を吊らせてビルにぶら下げたことがあるので、綱渡りの少女を下から撮ることも可能であろう。その人選も難航したし、サーカスは撮影禁止だったりして、どうデッ上げるか、考えてはいた。しかしここまで来ると、どうも弱い気がして二の足を踏んでいた。やり残した、と後悔しやしないか、という気分があったが、ここへ来て、愛の処刑の新たな構想が湧いて、だったらこちらの方が収まりが良い。しかも細かなことは描かず象徴的な絵にしよう、と。この作品は、自身を想定したであろう、毛深く逞しい体育教師と少年しか登場人物はいない。今になれば、切腹をそそのかし、その苦悶の表情に、先生のその顔か見たかったんだ、としがみつく少年こそ三島自身であったろう。以前も書いたが、一人身近に美少年がいたものだから、考えたことは、あったが、作中では美少年風ではあるが、三島が好きなのは、全く違って、文学とは無縁で、逞しい、ヤクザや兵隊や、汚穢屋や、神輿を担ぐ若者である。 ところがつい最近のことなのだが、イメージが浮かび、愛の処刑がラインナップに加わり、後は割腹中の三島を配すれば完成である。サーカスは好きな作品ではあったけれど、愛の処刑が加わるのであれば、話が違ってくる。愛の処刑では教師が割腹するので、割腹する三島がそのまま使えてメデタシでもある。

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DM  


三島の弓張月は雪が降っている。今頃降っても遅い。背景は作ってしまった。最後に雪を降らせるだけである。三島が扮する(私にさせられているのだが)武藤太(ぶとうだ)は悪党であるから主に青や黒により隈取りを入れることになったが、当然三島に見えない。以前、やはりインフルエンザが流行っていて、睨まれると風邪ひかない團十郎を、フリーペーパーの表紙に進言し、建替え直前の歌舞伎座の屋根に正義の味方、暫こと鎌倉権五郎景政を九代目で作ろうとして、その隈取にせっかく作った顔が埋もれてしまうのに耐えられず、助六に換えた私だが、今回は三島だらけであるから、一人だけ誰だか解らなくても我慢しなければならない。ここまで三島にやらせてしまうと虚実も夜の夢もあったものではないが、まだ残バラ髪を人形用の髪を使うか、あえて粘土で作って芝居がかったカツラ調にするか迷っている。人形用を使うなら脇毛と胸毛もそうするかどうか。何しろ三島自慢の胸毛である。悩むに値はするが何をやっているんだ私は、と半分は思うのである。しかしそういいながら、甘美な孤独感と共に快感物質が胃液の逆流が如くに湧いてくるのであった。 DMが出来上がって来た。とりあえず表面を。5月9日土曜日は飯沢耕太郎さんとのギャラリートークも予定している。もちろん諸状況かんがみてということになるが。まだ作る物が山積で、いったいどうするのだ、というところまで至っていないが。





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椿説弓張月で三島に打ち込まれる竹釘は、昔は建物に多用されていたようで、鉄釘では腐食してしまうところ、竹釘はしっかり残ことが多いそうである。私のことであるから、もっともっと、と三島を責め苛んでしまいそうだが、竹釘ではないが煤竹の10センチ程の和菓子用楊枝をヤフオクで落札した。自分で竹を削って色を塗って、と考えていたが、煤竹となれば、すでに貫禄が付いている。釘の数だけは芳年の弓張月の責め場を超えてやろう。 いよいよ三島に歌舞伎調メイクを施す。何でもなりたがり、映画ではチンピラヤクザや剥製、唐突に切腹する武士や将校、しかしさすがの三島も歌舞伎の舞台には立たず、自分の代わりに身体を鍛えた映画俳優を拷問の挙げ句に殺される場面に代役を立てた。 今回の椿説男の死では、三島がなりたくてもなれなかったことをやってみたが、三島を糞尿運搬人にしたり、意味不明な方もいるだろうから、三島がなりたいと書いていることが分かるように、その部分を抜き書きしている。もちろん言っても書いてもいないものもあるけれど。 本人がやりたくてやった本家、男の死は、むしろ三島文学とは関係がなく、ただ三島が好きなタイプの本など読まず、身体は立派な男達になって死んでいるだけである。であるから、本家の男の死は、今頃出ても誤解を生むだけであろう。直後に出ていたらどうだったろう。また割腹だけで首を切断しなかったとしたら、どうだったろう。いずれにしても後世に様々な物を残していった。挙げ句には私のような人間も現れる始末である。

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一日  


テレビがないので、スーパーの空になった棚など見ないで済んでいる。近所の巨大スーパーは特になんの変化もないように感じられるのだが。個展の5月頃はどうなっているか判らないが、今から考えても仕方がない、ただ作るだけである。 太宰は隣の部屋のちゃぶ台に立っているのを見ると、30メートル向こうに太宰が立っているように見える。インバネスから覗くタバコを持つ左手を作る。下駄を履く予定の足は写らないので、仕上げは後日に。明後日には弓張月の三島、太宰の着彩に入れるだろう。撮影が終わり次第、三島の首を外して、割腹する三島を完成させ、愛の処刑となる予定である。何れも背景はあらかじめ作ってあるので完成も間近である。後は画室の葛飾北斎を完成させ、背景の撮影、最後に松尾芭蕉の制作である。芭蕉は背景は何も凝ったことはせず、平面的な背景にただ居るだけとなる予定である。

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太宰  


食料や制作材料の購入以外ほとんど家を出ない。個展が近いせいもあるが、おおよそこんな感じである。引っ越し以来、三食ほぼ自炊だが、生野菜はキャベツを刻んだもの以外は自分で用意したものは昔から食べる気になれないが、ここぞとばかりに野菜炒めなど野菜をゴリゴリいわせて食べている。店ではそんな野菜炒めは食べられない。 太宰にはマフラーを巻いている。これには実利的理由もある。着物で胸元などはだけていると、首を動かす訳にはいかないが、マフラーを巻いておけば、首の差し込み部分が隠れる。今後、太宰には微妙な角度で微妙な表情を醸してもらわないとならない。 それにしてもあれだけ嫌った太宰だが、久しぶりに部屋に置いておきたい気もする。なんていいながら、そんなことはしたことがない。古今亭志ん生は志ん生聴きながら一杯やって眺めよう、と考えていたが、結局は他人のように見えて、私ゆえんの、私の成分で出来ているのであるから、そんな気にはならないのであった。 森鴎外を作った時、作ったところで文豪調にしかやりようがなかろう、みたいな顔だし、有名な脚気論争のこともあり、陸軍軍医総監の、派手な礼装をさせれば面白いかと思ったが、軍服特に礼服となれば、結局はエライ人になってしまった。あの顔に羽飾りのついた礼帽を被せれば多少面白がれたかもしれないが、せっかく作った頭の形が隠れるのが忍びなく、手に持たせてしまった。 ところで太宰は、女を横に、だらしなく酔っ払わせようなんて企んでいたこともあったが、どうも酒はそれほどのエピソードもなく、むしろ意地汚いのはその食いっぷりだったようで、あまり面白くない。結局隣の部屋のちゃぶ台の上に立っている太宰治は、なんだかスッとして薄ら格好良いじゃぁねぇか、となんだか鴎外に続き、やられてしまった感が残る結果となった。

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出品作をそろそろ選んでいきたい。といっても、私の頭は画廊の図面をいくら眺めたところで何も浮かばないように出来ている。そもそも私にとって、図面や地図は見ているふりをするものである。今回はすべて和紙によるプリントということで、旧作にしても印象が変わるだろう。最近和紙ばかりで、プリント用紙が滑面で艶がある理由が判らなくなっている。 太宰仕上げにかかる。首はどこへ行った?見たら弓張月用に首を外された三島の胴体に突っ込んでいた。切腹中のフンドシ姿の三島の胴体に太宰の頭。ちょっと笑って作業を続ける。ここまで来ると単に作業なので、ユーチューブで落語や映画を聴きながら。マフラーをほんのちょっとなびかせた。裸ではそうは行かないが、多少首には遊びがあって、上下左右わずかながら向きを変えられる。このほんのちょっと変えることにより表情が変わり、案外饒舌となり、撮影のしようがある。立体の、しかも人物像を撮影する面白さ醍醐味がこにある。物にはすべて表情というものがあるが、なんといっても表情といったら人間である。 そう思うと、太宰はやりようが相当ある顔をしている。特に何が浮かんでいる訳ではないが、苦労させられたぶん、ただであっさりと許すことはできない。かつて木場の居酒屋の名店、河本で永井荷風を手持ちで撮影したように、いずれ片手に人形、片手にカメラでちょっと街をうろつきたくなった。

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三島由紀夫へオマージュ展椿説男の死は、複数展示するものはあるものの、タイトルとしては以上となる予定である。『潮騒』『金閣寺』『憂國』『F104』『神風連の乱』『エレベーターボウイ』『竜に殺される王子』『神輿』『黒蜥蜴』『昭和残侠伝唐獅子牡丹』『日輪は赫奕(かくやく)と昇った』『汚穢屋』『椿説弓張月』『ボクサー』『愛の処刑』『からっ風野郎』 三島は好きな人物に憧れ続けた人である。私が彼になりたい。その心情を察し、制作した作品である。その点に関しては、初の長編書き下ろし、仮面の告白ですでに表明し、その起筆日に自決した。私の作品は彼になりたい願望を、幼い時から最後まで持ち続けた人物であることを知らなければ、理解され難いであろうけれど、作者を作品世界に登場させる作家シリーズの中で、最も、作者本人を登場させる意味があった。これ以外に三島でやりたいことは一つもなく、このまま行けば今月中に完結させることができそうである。


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先日電気ポットをいただいた。以来、朝目が覚め、手を伸ばしてスウィッチを入れ、まずお茶を飲むという、私にしては優雅なことをしている。それのどこが優雅だ、という話であるが、個展に向けて殆ど山賊が如き日常である。睡眠時間を削るため、寝床に本をばらまいて寝心地を悪くする、あれはもう止めたけれど。 弓張月の三島は細かな仕上げにかかる。残バラ髪用に人形用の髪を注文したが、それを使うとしたら、脇毛、胸毛はどうするべきか。今まで胸毛は鉛筆で描いていたが。もしくは粘土で芝居がかったカツラ調にするか。太宰はインバネスの仕上げ、足元の修整に入る。この2体を今月中に撮影まで持って行きたい。割腹中の三島は、以前作った物に修整を加えた。展示したことがないので、これを出品するつもりだが、神風連の乱に、甲冑つけて撮影したが、今回は特に考えていなかったので、愛の処刑の体育教師にするのはどうか。作中、筋骨たくましい教師に、切腹をけしかけながら、先生素敵、先生のその顔が見たかったんだ。という生徒。実際は、牡丹の彫物でもした本など全く読まない、ならず者にそういいたいのは三島の方である。それはともかくとして、私なりの愛の処刑が可能かどうか、試してみている。


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午前中に洗濯を済ませ、窓を開けたまま制作。世間も休みである。こんな日は罪悪感もなく、清々しく進む。今更罪悪感も何もないものだし、好き勝手にやっているようで、そこはかとない何物かは常にある。小学生の時、始業のチャイムが鳴っているのに本から目が離せず。あんな感じが常にある。度々くり返し、図書室出禁になった。チャイムが鳴っているのに縛られ苦痛にうめく三島を作る私。せめて天気くらい良い方がいい。 それにしても、三島の男の死を展示をするタイミングでようやく太宰が完成に向かう。たまたまだが妙な感じである。三島の男の死開催に、三島に面と向かって嫌いだといわれ心中死した太宰が彩りを添えることになった。今回は人形展示は4体の予定だが、いずれも未展示の作品にすることにした。 未着色の三島をシュミレーションとして、弓張月の背景に合成し、作業を進める。私の作風の変化を予見していたかのようなデジタルな時代である。念写の能力がないのに比喩でなく念写が可能になったのは何よりである。私の頭に浮かんだのはこれだったんだ。ということができる。子供の頃、頭に浮かんだイメージは何処ヘ消えてしまうのか、と本当に悩んだものである。 三島にぺーパーをかけ、仕上げ着彩し、縄で縛り撮影すれば椿説弓張月も完成となる。そういえば、太宰も展示するのだから、写らないところは作らないというわけにはいかない。完成を急ぐことにする。

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太宰は足元はまだ形にはなっていないが、一カット目はとりあえず足元は必要がない。足元以外の仕上げを進める。後ろ手に縛られ苦悶の表情の三島由紀夫。私はいったい何をやっている?というときにこそ、溢れ出る快感物質。知に侵されぬ肉の持ち主が苦しみもがく姿を幼い頃から夢見る三島。王子様が竜にかみ砕かれ死ぬ絵本をくり返し読むが、そのたび生き返るところが気に食わない。その部分を手で隠して読む幼い三島由紀夫。根っからである。私が彼でありたい三島の願い通り、竜にかみ砕かれる三島も作った。王子の着衣も三島の描写通りにした。怪獣など作ったのは小学生以来であったが、それを屋上で青空背景に撮影しているとき、私は一体何をしている? 実在した人物を制作する場合、作家の想像力にかこつけ、それに乗っかり、思わぬ場面を作ることができる面白さがあり、そういう意味では江戸川乱歩と三島由紀夫は私にとって双璧であろう。ただし、三島はその快楽を提供してくれるのは、豊富な死の場面に限る。三島の文学世界をただ絵にすることなど考えもせず、男の死というモチーフしか思い浮かばない。 それを思うと、私がそのモチーフの殆どを選び制作した初の書き下ろし長編仮面の告白の起筆日、11月25日を最後の日に選んだ三島。自衛隊員の怒号も三島の悲劇の死の演出の一つだと私は思う。仮に隊員の中に一人でも先生私もご一緒します!なんて隊員がいたなら、エンディングが台無しになっていただろう。バルコニーの上から、そんな男を見つけたら、どうすれば良いか。そんなおっちょこちょい対策など当然三島は考えていただろう。見なかったことにして、演説を早く切り上げ、最後の場面を急げば良いだけの話である。実際、予定よりだいぶ早めに切り上げている。

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花見  


友人二人と恒例の花見。満開にはまだ遠かったが、コロナに対抗してのアルコール消毒が主目的である。これで例によって、深く深呼吸し、5月7日から3週間の個展に向けて深く静かに潜航に入る。 9日にはトークショー、オープニングレセプションも決まった。先のことであるからと今の段階ではそれどころではないが、一昨年、東雅夫さんにお相手頂きトークショーなるものを始めてやったが、控室で、観客の方々を路傍の石と思い込むという作戦で挑んだが、先頭の方が目の前数十センチという有様で、ドアを開けたとたんこのセコい作戦は砕け散った。 捕らわれ縄に巻かれる予定の三島は展示する訳でもなく、一カットだけのため作っており、写る所しか作っていないので、今日の天気でほとんど乾いていた。 備忘として書いてみると、来週中に、この三島の着彩を済ませ撮影、太宰の仕上げに入り、出来れば着彩までは済ませたい。その間も北斎の仕上げを進め、来月できるだけ早く、画室と想定している場所の撮影。最後に芭蕉の身体の制作。写真作品としてはオーソドックスな日本画風に背景なしで、せいぜい芭蕉の木、場合によっては古池を配すか?割腹中の三島は完成間近で首を切断、先に完成させる弓張月の三島に使用中。着衣の場合は首を引っこ抜き、他の身体に流用できるが、裸の場合それが出来ずに仕方なく切り取り使用する。それというのも割腹の三島の写真作品としての構想に迷い、先に弓張月に首が回ってしまったという訳である。上手く行くかは判らないが、三島の最後のカットは愛の処刑の割腹する体育教師になるかもしれない。

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三島の弓張月は、ト書きに雪が降っていると書かれていたことが発覚。昔読んだ記憶が正しかった。先日までそうだと思っていたし、昨日打ち上げたばかりの満月をひきづり降ろした。何しろ月光の影響はどこにも及んでいないので、どうということもない。降る雪は最後にまた、円朝の蝋燭や人魂の火と同じく筆で描きたい。『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』の監督が、死の呪縛から彼を解き放ち、生きている三島を見ることが今回の映画のテーマでした」と答えている。私の場合は死の呪縛で生き生きしている三島が良いのだが。昔の侍にはそんな人間がいくらでも居たはずである。70年にそれを見せられた衝撃であった。 私は映画からっ風野郎のチンピラヤクザと黒蜥蜴の剥製役を見たせいで呆れて三島を読むのが遅れたが、本日もからっ風野郎を観て、号泣したいのをいつも我慢しているとメモに残した三島を改めて愛おしく思うのであった。

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作家シリーズも随分長くやってきた。単なる挿絵ではなく、本人を作中に登場させて来たが、作品よりも三島そのものが主役という、今回はそのウエイトが大きい。そこへ持ってきて制作中の弓張月は、三島が死の一年前に手掛けた歌舞伎であり、挫折の英雄為朝に自らをなぞらえ、一年後のバルコニーの場の、まるでリハーサル、シュミレーションの如き趣きがある。 私の側からいえば、ここ数年手掛けてきた陰影のない、石塚式ピクトリアリズムとしても、浮世絵、日本画の自由さに嫉妬し、始めたその役どころを、まさに浮世絵調で、ここぞとばかりに果たすことになるだろう。そう思うとこの作品が、たまたま現時点での一到達点を示す作品になりそうである。はたからみれは、単に写真で浮き世みたいなことをやりたいだけだと思われるかもしれないけれど、ここへ至る道筋がある。お誂えのモチーフをよく見つけた、と自画自賛。 曲亭馬琴の原作ではどんな柱に縛られたかよく分からない。北斎の挿絵では柱がないようだし、芳年は素っ気ないT字形の杭である。三島版では擬宝珠のある欄干とある。それならば江東区内にいくらでもある。今月中に撮影して来よう。この場面は昼間だと思っていたが、夜のようである。しかし、月を浮べればただちに夜になるところが浮世絵である。背景こそ多少暗くするものの、主役はそのまま。昼も夜もない。 三島の残バラ髪は、芝居がかった歌舞伎のカツラ調にすることも考えているが、いずれにせよ人形用の毛髪を注文する。河童に使って以来二度目である。

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三島の顔は左右非対称である。記憶違いであったら申し訳ないが、本人が便所のスリッパだか下駄のようといっていた。しかし多少曲がった顔、特に顎のせいで、常に歯を食いしばっているような、意を決しているようなニュアンスが醸し出されている。そんなことを考えながら縄で縛られている三島を制作している。作りながら、縛る縄はリアルな麻縄ではなく、ちょっと芝居がかった、太めの真っ白な縄が良いかな、と思う。現場には白縫姫と数人の腰元しかいない訳だが、それでもただグルグル巻きではなく、やはり芝居がかった、お白洲の罪人のような縛り方で、主君を売った裏切り者感を出したい気もする。何しろ私の眉間にレンズを当てる念写なのであるから、あくまで私がルールブックである。 上手い嘘を付くにはホントを混ぜるのがコツである。幼稚園児の私が、台風の日に佃の渡し船の絵を描いていて、母が止めるのも聞かず、マンホールの蓋の東京都のマークを確認しに行ったのも、煙突の東京都のマークはリアルにしたかったからだろう。そういう意味では、三島ご自慢の腹筋が、その顔同様左右非対象のところはちゃんとしたい。そしてある誰かがそれに気付き、こいついい加減なことばっかりやっているようで、妙なところは見ていやがる。なんて感心しているところを想像し、一人ニヤける訳である。

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