明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




毎年大晦日は、昨年出来なかったこと、あるいは思い付かなかったことが出来たかどうか、それを考える。去年と変わらなければ、ただ一年冥土に近づいただけであり、こんな怖いことはない。 今年はたぶん始めて個展を二度やった。一つは青木画廊の三回目のピクトリアリズム展だが、それまでの二回はオイルプリントで、今回は、被写体から陰影をなくし、結果日本画的になる、というもので、長年日本画の自由さを取り入れたいと、考えていた結果が、陰影の呪縛から解き放つことにより、どんなモチーフも手掛けることが可能になったろう。思いついて一年余りでの個展であつたので、陰影ある作品が混在したけれども。写真による日本画的遠近法は、時期尚早であつた。もう一つは、銀座のど真ん中リコーイメージングで一ヶ月の個展で、作家シリーズ最初期から現在までの作品を披露出来た。昔東京の女子は、この旧三愛ビルで水着を買ったものである。 未だに続いている部屋の片付け。おかげで来年に向け弓を引き絞り、ゼンマイはフルに巻かれた状態での新年となるであろう。この巻き具合からすると、二回の個展は再び可能な気がするのだが。



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いよいよ我が家の最深部に取りかかる。これで片付けは年を跨ぐことが決定した。もっとも、片付けの初期の頃は、単に私の生き霊が励んでいたに過ぎず、実体の私はというと、〝何をしていいか判らずフラフラしていた〟ということになる。しかしここに至り本日、生まれてから一番片付けを行った日であろう。何をどうしてどうなったかは、これ以上人形作家としての神秘性を損なう訳にはいかないので書かない。 短いペッツバール型レンズやエミール・ブッシュ製アプラナートレンズと共に、ニジンスキーの後釜としてロシアバレエ団に入団した、レオニード・マシーンの直筆サイン入り写真が出てきた。筆圧高し。 夕方恒例の工芸学校時代の連中との忘年会。最近は私の地元でやる。常連客のじいさん、また酔っ払い、道端で倒れていたところを通報され、パトカーに乗ったそう。三連休は危ないと思っていたら案の定。私はオリンピックまでは持たないと踏んでいる。 二次会のカラオケの前に君等に頼みがある。うちの前にサンタの贈り物みたいな物が積んであるから、一人二つづつ持ってマンションの前に下ろしてもらいたぃ。というわけで、明日が燃えるサンタの贈り物最後の日なのであった。 門前仲のスナックでお開き。

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連日部屋の片付けばかり、一体どんな邸宅にお住まいなんですか、という話である。小学生の通信簿に〝掃除の時間、何をしていいか判らずフラフラしています。〟と書かれた私だが、一番の問題点は、その時点で私は私として、すでに完成の域に達していた、ということであろう。完成した後に自分を変えるのは難しい。 遠藤周作は〝やらなければならない事がある時、他の事をせずにはいられない人を怠け者という〟といっていたが、そういえば確かに、部屋を片付けよう、と浮かんだ、とほぼ同時に創作意欲が溢れてくる。おかげで若い頃を別にすれば、スランプらしきものはない。 作り貯まった作品を中心に出品した、初個展の翌年に個展が決まって、プレッシャーからキャンセルをお願いに行ったら、そんな若者を随分見て来たのであろう、こちらが何かいう前に上手く説得され、翌日から脱した。未だにそうだが、独学者の私はただ完成を祈るだけ、というスタイルなので、日々経験を重ねていくしかない。しかしそれはなんとも心許なく、部屋の片付けをしている場合ではないのだ、となんとも説得力のない本日のブログであった。














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母が送って来たサプリメントだかが随分出て来る。有り難迷惑というのを解しない母に、いい加減にしろよ、と大体安っぽいプラスチックに金メッキの蓋の錠剤が送られて来るたび電話したものである。しかし、楽しそうにしているのは何よりではあるが、老人ホームに居る今、蓋も開けないまま放って置いたサプリだか出て来る度、私のために、広告を見ては電話をかけ注文している姿が浮かびツンと来てしまう。この安っぽい蓋に余計シミジミさせられる。 だがしかし、年の瀬に部屋の片付け。感傷的になっている場合ではない。それよりも避けなければならないのは積んだままの本を開いて文学的になることである。今日は禁を破り、深沢七郎作『風流夢譚』のコピーをつい読んでしまった。挿絵は谷内六郎。これにより、中央公論社社長宅が暴漢に襲われ、お手伝さんが亡くなっている。推薦者の三島由紀夫はまだ身体も細く、青くなって怯えていたという。 そういえば、こんな世の中だと、昔なら日蓮宗の男が何処からともなく表れて。 いやいけない。スマホは慣れていないので、つい余計な事を書いてしまいそうになる。いや違う。何もかも部屋の片付けのせいだ。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり』樋口一葉
  

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押入の中の段ボール箱から掛け軸が覗いている_。晩年の父が、趣味の一つくらい、と習字をやっていた。ほとんど親類に持って行ってもらったはずだし、歌舞伎役者関連は、すでに安全な所に退避させたはずだが、と引っ張り出したら中野正剛。続いて竹筆で書かれた頭山満。さらに軸装されていない絹地に書かれた松井石根、内田良平の書。勿論〝ハチのムサシは死んだのさ〟ではなく、黒竜会の方であることはいうまでもない。慌てて埃をはたいて止まらなくなるクシャミ。 三島由紀夫は事件前、自らが226事件の青年将校の一人、磯辺浅一に乗り移られている、と考えていた節がある。三島制作当時入手したのが額装された皇道派の真崎甚三郎の手紙と荒木貞夫の書である。226事件の青年将校達は、この二人を担ぎ出すつもりで当てが外れる。利用しようと企んでいたのは真崎等の方で、特に事件後の真崎のすっと惚けようは酷いものであった。将校の方も早合点で詰めが甘過ぎた。 私がYouTubeで繰り返し観るのが、昔のNHK特集『交信ヲ傍受セヨ』である。立て籠もった決起将校と外部との電話の盗聴の記録である。 子供の頃映画館で観た『日本の一番長い日』で、天皇の玉音放送を阻止するため録音盤を奪うべく走り回る黒沢年男の狂気の演技が印象に残っているが、傍受の音声記録にはそんな人物は一人も出てこない。内容はともかく、まるで昼休みに会話しているかのような調子なのである。本当のこととはこういうものなのか。これでは映画にはなりにくい。私が番組の目玉だと思った北一輝の声は放送後に何者かの成り済ましであることが判明している。 本日のブログは片付けの辛さのあまり、逃避の時間稼ぎに書かれたことをお断りしておく。だったら最初にそれを書け、という話である。


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来月、深川を背景に泉鏡花を撮影することになった。鏡花は深川を舞台に、一連の〝深川もの〟と称される作品を残している。よって全国の鏡花ファンからすれは深川を聖地と呼ぶ人もいる。 何処を背景にすれば良いか。有名であっても最近刃傷沙汰があったような場所は避けるべきだし、何しろ戦災で焼け野原になった土地なので、旧いようで、所詮戦後物件だったりするから注意を要する。またデジタル的腕力をもって、目障りな物をどかしてしまってもかまわないが、必ずしも作中世界をリアルに再現すれば良いのか、あるいは、すっかり野暮臭くなってしまったものの、平然と何食わぬ顔で、現在の街を歩いてもらうか。 背景にするなら、それこそ深川不動で、成田山に縁のある成田屋〝劇聖〟九代目市川團十郎をさり気なく後ろに配するのも良いかもしれない。しかし九代目だ!となる訳もなく、面白いのは私だけであろう。わざわざ魚がいない所で釣り糸垂れて喜んでいるようなマネは、もういい加減にしないとならない。


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丸の内のフジイメージングで行われた、織作峰子さんの二人展の様子がBSで放映され、オイルプリントが映し出された。これは何ですか?と私にはミミタコの言葉が。良いですね。とも。何より安心した。大坂に巡回するそうである。 2000年のオイルプリントによる、第一回『ピクトリアリズム展』の出品作を友人のカメラマンに複写してもらったブローニーのポジフィルムが出てきた。私は昔から作ってしまうと熱が急速に覚め、何らかの形で残しておく、という発想が希薄だったが、おかげで残された。最初期作ではあるが、私の想いは既に溢れていたように見える。8×10インチフィルムと、35ミリフィルムからのイメージセッタの印刷用フィルムによる。パソコン入手から1年あまり、随分斬新なことをしていた。江戸川乱歩の背後には、緊縛されたヌードを合成している。思い出したが、ゼラチンをもっともっとと厚くしたお陰で、この乱歩は波打ったまま売ってしまった。後にはブラシの毛が着いたままの作品さえ。それでも当時の私は、デジタルと毛が着く程の超アナログ技術の融合だ、大正時代の爺ども恐れいったか、カンラカラカラと高笑いをしていた。(勿論心の中で)こんなことをしでかすのは、こんな人間なのであろう。 来年オイルプリントを、手漉き和紙に拡大プリントしてみたい。


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来年秋頃、個展の話しが漏れ伝わって来た。今の所、直接話しを伺ってはいないが、文学系で、ということらしい。今何をどうする、という段階ではないが、部屋の片付けという苦役から一時逃れるため、勝手な構想を書いてみたい。 交通局発行のフリーペーパー用だったために、思い切って出来なかった太宰治を、私だったらこうする、と昨日まで酒場で飲んだくれているところは考えていたが、たった今、太宰の横でしなだれかかりながら、太宰に胸元に手を入れられ、乳房を揉みしだかれている酌婦が浮かんだ。世が世なら、太宰に胸を揉まれてみませんか?なんていったら文学少女が殺到したかもしれないが、残念ながらこちらは粘土製である。 昨日書いたように、太宰をすっかり見直した私であったが、太宰が田舎の富裕層出の〝スカシた男〟という印象に変わりはない。昭和三十年代に東京下町に育つと、男のスカシ屋は、最も嫌われた。後で思うに、スカシたくてもスカセないヒガミ根性が含まれていたと思われるが、その頃染みついた価値観は、そう変わる事はない。よって酒場ルパンで「俺も撮れよ」といわれてシャッターを切った林忠彦のような作品ではなく、ラリッてる間にスカす間もなく酒場で同席した男に撮られてしまった感じにしたい。 そういえば、同じ林忠彦が撮った、執筆中の坂口安吾だが、部屋の様子に世間は驚いたらしいが、一体あれのどこに驚いたのかサッパリ判らない私は、駄文による時間の引き伸ばしはもはやこれまで。部屋の片付けという苦役に戻るのであった。

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太宰の首、益々良くなってきた。この人はモノトーンにしたい気がする。世の中が変わろうと、部屋の片付けが辛かろうと、作ってさえいれば、作品は良くなっていくのが何よりである。 またそんなこと始めて、誰も興味ないよ、といくらいわれようと、止むに止まれず、作らないではいられない物を作り続け披露する、それが私の渡世だと考えている。であるから、世間の堅気の世界と異なり、妻や子のために頑張るなんてことは不純なことであり、決してしてはならない。そんな生臭い物を見せては失礼であろう。 よくいった、私。以後独身である説明に使わせてもらおう。 とはいうものの、太宰は元々、嫌いだったのに、仕事で制作した人物である。心中をくり返し、自分だけ生き残ったり虫唾が走った。昔勧められて読んでみたものの、途中で投げ出した。しかし仕事となればそうは行かず、鼻をつまみながら読み、調べているうちに面白くなってしまった。小津安二郎もそうだったが、今では増村保造と好きな監督の双璧である。勿論どうにもならない人物もいた。高い所に行ったきり帰って来ない人などそうである。

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我が部屋も、オスプレイくらいなら着陸できそうな床にスペースが現れてきた。それにしても、そろそろ堪忍袋も限界に近い。許可もおり、いつでも撮ることができるはずであった撮影も来年に延期した。この借りは絶対返す。これが弓の引き絞り効果となり、来年は必ずや制作に邁進することになるだろう。  小学校の図書室で始業のチャイムが聞こえているのに本から目が離せず、それを何度もくり返し図書室を出禁になり、しまいには難聴を疑われ、耳鼻科に連れて行かれた集中力は未だ衰えを知らない。それは冬に暖房を付けず薄着のまま制作を始めてしまい、寒いと思いながら手が離せず、風邪をひくことができるくらいである。 私に部屋の片付けという、面白くも可笑しくもないことをさせている、小学校の通信簿に〝掃除の時間、何をしていいか判らずフラフラしています〟と書かれた私!お前だけは許さん。三十年もの間、一体ここで何をしでかしていたのだ。



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今日は燃えないゴミの日。 片付けの合間、一服の度に昨日出土?した太宰の首に手を加えている。一服の頻度が高いのは、多分気のせいであろう。こんな時であるから、資料などは参考にしない。最も、通常の制作時も、頭部の最終段階、最後の一日くらいは、資料など見ずに手を加えることが多い。ここに至り、見てきたようにイメージが頭に入っていなくては話にならない。 ボクサーが試合前の計量にパスし、その後は何を食べても飲んでも自由なわけで、このたった一日の吸収力は凄く、カサカサに干上がった肌に艶は戻り、体重も増え、リングに上がると、両者に階級差があるように見える場合すらある。例えが解りにくいが、何も参考にせず手を加える最後の一押しが、人形に、若干の艶のような、微妙なニュアンスを与えるような気がするのである。それは資料写真を穴の開くほど見つめ続けて来た私の結論、人物への解釈が加わる、こんな時は好調である。

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随分な量のフロッピーディスクが出てきた。そういう時代であった。あの頃は、部屋は片付けない割に、パソコン内は要らない物を、すぐに捨てていたが、要る物と要らない物の区別が付かず、動かなくなったりした。 太宰治の首が出てきた。都営地下鉄のフリーペーパーの表紙用であったが、交通局の発行ゆえ、酒、煙草は使えず、横に知人の女性に着物姿で立って貰った。しかし、植村直己の横にエスキモー犬でもそうであったが、犬だろうと、女性だろうと、
横にホンモノの純毛があると、人形の粘土製の髪の違和感が際だってしまい、太宰の時は、入稿日の朝、ベランダで手を伸ばして自分の髪の毛を撮影し、太宰に貼り付けた。 行方不明だったので、どこにも出品したことはない。久しぶりに見たら良くなっていた。そういえば、改良をした記憶がある。 さみしい風景に一人立つ、スカシた太宰と、飲酒時の駄目な太宰と、二種類作りたくなった。スカシた方はともかく、酔っぱらいは取材データ充分であるし、駄目な方は、洗面台の前で良くみかける。


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片付けをしながら、幼稚園から高校までの卒業アルバムを捨てた。バプテスト教会の幼稚園の学芸会で、エルサレムへ向かう三人の博士の一人をやった写真だけは剥がしてとっておこう、と思ったが、なかった。最も後ろ姿だったけれど、友人を笑わす事ぐらいできたはずである。ハメルンの笛吹きでは、その他大勢のネズミだったから、随分出世したものである。何年保育かで教室が分かれ、菊組、百合組、あともう一つあったが、各部屋に、それぞれの花が活けられており、百合の臭いに悩まされたのを思い出した。 先日、フェイスブックで片付け中に、「翼よ、あれが床だ!」と書いたら、思いのほかいいね。をいただいてしまったが、我がスピリット・オブ・セントルイス号は、未だ着陸スペースを求め上空を旋回中である。いい加減にしないと、燃料切れで墜落の恐れがある。

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1999年に、アーティストが一人一日づつ個展をするという展覧があり、初めてオイルプリントを発表した時のビデオが出てきた。翌2000年の『ピクトリアリズム展』の予告編のような物で、人形ばかりを被写体としたら、何だか判らないだろうと、解り安くただ撮った、みたいな作品も敢えて出品した。この時重要な出会いもあった。会場にパソコンが置いてあり、会場の様子をネット配信するという試みであった。初めてインターネット画面を見た。ワープロすら触った事がなかったが、翌年の個展では、フォトショップで合成したデータで、印刷用フィルムをネガに、オイルプリントを発表している。人形も作らないでこんな事に熱中している罪悪感から、大正時代のピクトリアリスト(多くは富裕なアマチュア)を倒す位の気概を持ってやったものである。連中と同じ事をしても勝てない。ゼラチンを厚くして階調を出やすく、デジタルも使ってやったぜ!と。デジタル時代の昨今、その反作用か、古典技法花盛りの現在であるが、二十年前にド素人が一人、孤軍奮闘、爆走していた訳である。いずれYouTuberで公開しよう。

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『タウン誌深川』新年号無事校正終わる。昨年は三島由紀夫にしようと思っていたら、地元で血なまぐさい事件が起こり、このタイミングで三島は、と、別な記事に変更した。犯人が余計な捨て台詞を残したこともあり、年始参りどころかお酉様も閑散としていた。しかし平将門じゃあるまいし、ボンクラが怨霊になるなんて話は聞いたことがないから、その点は安心して良いだろう。忘れるのが早いのが日本人の良いところだったり、悪いところだったり。正月の賑わいもいずれ戻るに違いない。 柱時計の中の機械部分が出てきた。エドガーアランポーの『落とし穴と振り』を作ろうとした残骸である。刃の付いた振り子部分のデザインも。これを実際揺らし、縛り付けられたポーの表情を恐怖に歪まそう、という企みであたったが、何故頓挫したのかは判らない。そういう都合の悪いことはブログに書かないので、私も忘れてしまう。作品自体は発表したことはあるが、ただの一人もポーのファンだ、という人に出会わなかったのは残念であった。あの独特の味は替えがたいと思うのだが。不思議に思うのは、『モルグ街の殺人』において、ちゃんと犯人にオランウータンを描いた映画、挿絵を見たことがない。世界初の推理小説という名誉ある作品にそんなはずはないだろうが。私は勿論、多摩動物園のオランウータンに剃刀を女に振り上げで貰ったのは言うまでもない。スマホで書くようになって画面が違うせいて長くなっていないか?

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