明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



作っている物が嘘八百のせいで、本物の風景が合わなくなり、ついに中国の深山も、自分で作ることになった。泉鏡花 を抱えて滝を撮りに行き、暗くなって雨に降られ、滑って転んで眼鏡をなくしたりしていたのが懐かしい。 必要のない物は身につけるべきではない、学べば学ぶほど良いというほど人には時間はない。 若い頃、田村写真の田村氏のプリント作業を観て、私には田村氏に何が見えているのかさっぱり判らなかった。これは向いていない。すぐプリントは辞めた。また私が写真的技術、教養を身に付けたなら、いつかそれが私の足を引っ張ることになる。こういう勘はヘソ下三寸のもう一人の私は鋭い。まさか陰影を削除することになるとは思わなかったが、結局写真という文脈ではイメージを頭の中から取り出すのは無理だったということであろう。 先日YouTubeで某和尚の法話で、寺が不便な山深いところに作られるのは、宗教が時の権力と結びつくとロクなことがないからだ、と聞いた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




頂相(師が弟子に与える肖像画)や頂相彫刻はおおよそ曲彔(きょくろく)という椅子に座っている。なので蘭渓道隆と無学祖元二人の禅師は坐禅姿にしてみた。次の展示でメインとしたいので、お二人の写真作品は、出来れば最低長辺1メートル以上、またB 0プリントにしたい。顔のサイズを実物大もしくはそれ以上にしてみたいと考えている。私自身が見たい。無学祖元師は元寇(蒙古兵)に剣を向けられ微動だにせず。と、正面座像は袖から金龍、膝上に蒼い鳩。また円覚寺の山号瑞鹿山は、仏殿開堂落慶の折、無学祖元師の法話を聞こうと白鹿が集まったという逸話による。白鹿を配するのも良い。 創作日記より闘病記の方が面白ぇ、なんて輩がいるが、あの激痛がなぜか雲散霧消。これは災難避け半僧坊のご利益だ、拝むより作ったほうがご利益がある、なんていっていた。激痛で月一のクリニックにも行けずに3週間近く薬が飲めなかった。なのに検査するとHbA1c初の6.0。これは半僧坊の完成を急ぐべきなのではないか?

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




本日も痛みは消えたままである。しかし何をした訳でないのに、油汗をかく激痛が消えたということは、またぶり返す可能性を考えると恐い。確かに数年前も、今回も、朝何気なく起きたら始まった。 突然激痛が消えたのは日頃の行いが良いからだ、とはさすがに思わず、そもそも長年の行いに対するバチが当たったと考えるべきであろう。仰向けに寝たまま建長寺の開山様を仕上げたのは気になるけれど、座ることが出来ず、せいぜい手に持てる首 を仕上げることしか出来なかった。それに6センチの頭部に数ヶ月かかったのは、マムシにタコ足の如く、しつこく粘ってのことであるから、許してもらえるだろう。独学我流者である私の主なる武器は、始めた当初から、ただただ完成を祈るだけである。もし見た人に何か伝わることがあるとしたら、それしかない。それに何とか納得出来る所までに至ったのは、仰向けになりながらであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日、整形外科で医師と触れたのは脚の状態を見るために脚を少し伸ばした。それは家でもやっていたことで、しかも2回軽くやっただけである。これは硬いと。坐骨神経痛に苦しんで約三週間。特に2週間は仰向けのまま。普段、私の都合など全く考慮せず、あれやれこれやれと、思いついては、いってくる、ヘソ下三寸にいるもう一人の私も、激痛の前には、すっかり鳴りをひそめていた。 大きな声ではいえないが、○患者が処方される痛み止めまで飲んで効果なく、高校の友人の医師に頼んだ薬は今日届いた、激痛で行けなかった月一度のクリニックに特別に受付てもらった。幸い思ったほど結果は悪くなく、痛みに耐えるのはカロリーを使うのか3キロ体重減。原因は寝不足か。 形成外科の先生がゴッドハンド、あるいは特別なスペックを持っていないとしたなら、後は災難避けの霊力を持つ、新作、半僧坊のご利益しか考えられない。この半僧坊は、神経痛の痛みにも効く?ただし、効くまで3週間、それまでの生活態度を反省させるために設けた期間らしい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




坐骨神経痛、3週は経ったろうか。安静にしていたら快方に向かうと思っていたが、むしろ悪くなっている。昨晩も痛くて寝られず。当初杖を突いてたどたどしくも買い物に行けたが、今や數歩歩くと激痛が走る。知人が近くまで行くので、タクシー拾って近所の形成外科まで連れて行って来れるという。しかし立つだけで激痛が走り、これは無理だと断りのメールを出そうとしたが、ゴールデンウィーク中、ただ激痛に耐えて天井眺めて過ごすのか、と思うとやはり行こうと。激痛に耐えながら、後ろの座席で横になるしかない、知人に助手席に移動してくれるよう頼んだ。タカシーの中で斜めになってイテテテ、と〝遠藤幸吉“の如し。待合室で油汗を浮かべて痛さに耐えているのは私だけである。まずは脚の調子を。ストレッチなどまるでしないので、当然「大分固いですね。」レントゲン。痛さで寝返りもままならず。結果「MRIを撮らないと判りませんが狭窄症の可能性があります。」待合室に戻り、処方箋を出してもらう。今回期待したブロック注射はなし。薬局で薬を受け取り通りに出ると?アレ痛くない。歩いて帰る。あの先生は病を治すSPECの持ち主か?これを書いている時点でまるで痛みなし。レントゲン写真を見ている。こんなことがあろうはずがない。明日の朝が心配ではある。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




半僧坊は、写真作品は雷鳴轟く荒天の中、帆柱のてっぺんにすっくと立っている予定だが、展示する立体像の方は火伏せの神ということで、火焔に囲まれた中で刀印を結んでいる所にしたい。不動明王のような火焔を書き割り状に、前後に3つほど置きたい。そうなるとスムースな台では合いそうもないので、けやきだかの自然木をスライスした板を入手した。しかし花台や盆栽の台か何かだったのか、透明な固いウレタンだかエポキシが分厚く塗られており、ほとんどリンゴ飴の如しである。これでは興醒めである。剥離剤が良いのか、アイロンで熱を加えるべきか。いずれにしても、神経痛抱えてゴールデンウィーク中にやるようなことではない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日ちょっとだけ無理したら、鈍痛で寝られなかった。医者に行くのはゴールデンウィーク明けを覚悟しなければならない。 先日も書いたが、独学我流のくせに、根拠のない身の内から湧き出る声を信じて来た。自分で不思議なくらい無条件で信じられたというのは、お目出度いというしか言いようがないかもしれないが、そのおかげで、何でその状況で笑っていられるのだ、と呆れられてしまうのだが、ほとんど仰向けに寝ていながら、すぐ側に、本日における、人生上の最突端といえる蘭渓道隆像があり、立像も作る可能性があるので、ちゃんと接着していない首に手を伸ばし、取り外しては眺めれば悪い気はしない。まさにお目出度いが、自給自足で作った物を食べて腹一杯と喜んでいるのに近いかもしれない。まぁこんな小さい首に数ヶ月かけたのだから、それなりの効果があって貰わなければ困る。人によっては貯金通帳眺めて神経痛の痛みに耐えてる人だっているだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




寝ている分には痛み止めも要らないが、立ち上がり歩くと相変わらず激痛が走る。これが怪我をしているような痛みなので嫌になる。 中締めとなった深川江戸資料館の『深川の人形作家 石塚公昭の世界』は8年前のゴールデンウィークてある。こんなタイトル恥ずかしい、と反対した覚えがある。深川はトレンドだそうだが、いや恥ずかしいのは〝石塚公昭の世界“の方だったのだが。この個展では、先日十数年ぶりにお会いしたデボラ・クロチコさんにいわれた、写真作品というより拡大した方が良い、とわれたのを初めて実現したという意味があった。ただでさえ粘土感丸出しの作品が、アラが目立つだけだと思ったが、会場が広いので、やることになった。実際目にすると、そこまで作った覚えはなく、フランケンシュタイン博士ではないが「It's alive!」不思議であった。 僅か6センチほどの蘭渓道隆師の首も、人間大に拡大した時、ヘソ下三寸に居るもう一人の私の本当の意図を知ることになるのではないか?残念だが、性能イマイチの表層の脳は、見るまでさっぱり判らない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




坐骨神経痛、工芸学校の同級生も結構患ったようである。ロクロなど長年やっていて良い訳はないだろう。いくらか楽になった気がする。蘭渓道隆の首は、仰向けのまま目の前十数センチで仕上げたが、それが功を奏したことにしておく。蘭渓道隆の頂相あるいは頂相彫刻についての研究について読む。七百年の間に様々試みられて来たが、本人に会ったことがなければ私と条件は一緒である。建長寺には経行図という歩く姿を描いた肖像画があるそうだが、ポーズの違う身体だけ作り、首をすげ替え撮影するという何十年もやってきた方法を取るのも良いだろう。6センチほどの首に何ヶ月もかかってしまったが、出来てしまえばこちらの物である。上を向こうが振り返ろうが、うつ向こうが自由自在である。このために数ヶ月かけている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




建長寺の蘭渓道隆の木像は、没後すぐに作られたようだが、垂れ気味の目こそ共通だが、目の大きさ骨格まで違う。制作者は現在国宝である肖像像は観ているはずである。何故こういうことが起きるのか。菅田将暉主演の『ミステリという勿れ』で整君はいう。〝真実は一つではなく、人の数だけある“その他数体ある彫刻は、どこにも共通点が見出せない物もある。私はあくまで生前描かれた肖像画がもっとも真実を伝えている、と判断し制作したが、建長寺のサイトに載っている木像とは違ってしまうわけだが、こればかりは致し方ない。今までやって来たようにやるしかない。それに元にした肖像画はよその寺ではなく建長寺の収蔵品である。 もう一人円覚寺の開山無学祖元は、絵画でなく円覚寺の木像を元にした。笑っている訳ではないが、口角が上がって、伝え聞く人がらが伝わって来るようである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




教わらなくとも初めから知っていることがある。頭で考えることがことごとくハズし続け、根拠はないけれど、湧き出る物に従った方が結果が良い。どうやら人間も草木同様の自然物、肝心な物はあらかじめ備わっているようだ。となると〝考えるな感じろ“ということにもなり、レンズをさらに外に向けずに眉間に向けるようになる。仏は己の内に在る、という禅的モチーフに至ったのは、自然な流れだ、と考えている。 そもそも自分そのものが自然物なのだから、そこに寺山修司いうところの〝どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない“これで充分。自然の中で暮らす必要など全くない。狐か鳴いたり、4キロ四方人家がない所に暮らした経験からすると、想像力に関しては、むしろ低空飛行のままであった。 坐骨神経痛で仰向けのまま、大覚禅師こと蘭渓道隆師の頭部、ようやく満足。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




数ヶ月蘭渓道隆師の〝あの感じ“が何故出ないのか、ほんの数ミリ眼球を前に出してようやく。改めて陰影のないフラットな絵画から立体を起こす、というのは、頭にある情報のストックを動員し、推理創作するしかない。 高度な技術、表現から宗より携え来日したと思われていたが、今では日本で描かれたとされている。この肖像画も、私が禅宗の頂相、あるいは頂相彫刻が人像表現の究極と思うに至った理由の一つである。本人を前に平面に写したであろう絵師その他関係者、七百年後に、それをまた立体に戻そう、なんて輩が現れるとは考えもしなかったろう。こう言っては何んだが、作家であれば気を悪くするとしてもファンやご遺族であろうが、本格的禅を日本にもたらせた禅師、しかも建長寺の開山となると趣はだいぶ違う。制作中の像をを持って建長寺の門をくぐる2日前、寝ていたら胃液が上がって来て目が覚め吐いた。悪い物でも食べたか?と思ったが、どうやら我がヘソ下三寸のもう一人の私は、自分で思っているよりナイーブらしい

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




坐骨神経痛は痛み止め飲んでも、一時的な物をだとのことで、まずはストレッチだそうで、YouTube観ながら、そろそろと。散歩嫌いで安静にしているのが何より、という訳で、普段ストレッチなどしない。バチが当たったということだろう。次回の展示に対する、今の段階での予定をまとめる。こうしてみると『Don’t Think, Feel!寒山拾得展』は寒山拾得や道教的仙人など、架空の話しが中心で、三島由紀夫から、の大転換であったが、創作の余地が多く楽しかった。 中国の深山風景 をどうするのか策がないまま。個展一月前。手のひらに乗る石ころで標高数千メートル級風景をこなし、達磨太子の面壁座禅する巌窟も作った。創作の余地が多くなると、実景を写した背景がむしろ違和感を生じる。 自分を表現する、という意味においては、外側にレンズを向ける写真は比喩的で、詩的なる物も解さない私には向いておらず、思い余って眉間にレンズを当てることになった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


昨日、田村さんのお父さんの杖を借りたので、買い物に行くが激痛走る。ひどい炎症を起こしているような、脚に切り傷を負い、出血しているかのようである。痛みが多少楽になる姿勢というのが、その都度変わるのが厄介である。医者にも行けず。鎮痛剤を飲んで横になっている分にはなんとか。 その代わりとはとても言えないが、蘭渓道隆師、ほぼ完成といいながら数ヶ月。何か納得が出来ないままだった。こんな時必ず原因がある。眼球の位置が想定より前にあることにようやく気づく。陰影がないと、フラットなので、位置が合ってるように見えても、想像力てま穴埋めする必要がある。 浮世絵の役者絵美人画は、皆同じように見えていたのが、実は個性を描き分けていることが判るようになると、それを見分け、楽しんだ江戸庶民の文化度に感心した。あれが陰影削除に至る分岐点だった気がする。 次回展示、時期など未定だが、開催場所だけようやく決まる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




坐骨神経痛真っ只中、田村写真の田村さんの車で代官山のTSUTAYAへ。十数年前、作品を見ていただいたサンディエゴ写真美術館、現名誉館長のデボラ・クロチコさんにお会いする。 日本人は出自不明な物に対し目に明かりが灯らないことがずっと身に染みて来た私が、アメリカ人の専門家に〝ユニーク“を連発いただいた嬉しさは未だに忘れられない。今回はその後に始めた手漉き和紙による陰影のない〝石塚式ピクトリアリズム“作品だけをお持ちした。 何が嬉しいといって、私が今のモチーフに至った、その変化を評価いただいたことである。人間変われるうちが華、毎日が人生上の最突端のつもりでやって来た。 一休禅師が〝門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし“と正月の京の街を、竹竿にシャレコウベを掲げ、家々を回った。そこにまとわりつく鴉。タイトル『初鴉』長辺1メートル超の作品が手荷物としてアメリカへ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ