明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



F-104の3カット目は、背景から何から何まで本当の事が何一つないほど変えた。展示物に現役感を与えるというのは容易なことではない。しかし我ながら感じが出ている、と友人に送った。つまりモニターの前で今流行の“どや顔”をしていたわけである。 浜松へ行く前に、事前に不明な点を、関係サイトを運営している方に質問をしたら、丁寧にご返事アドバイスをいただいた。現役の自衛官をされているそうである。まだ伺いたいこともあり、出来立ての画像を添付してメールをお送りした。そして午後北千住に飲みに行く約束の返事をしながら、これから組み立てる予定のプラモデル『ハセガワの48分の1F-104j』の組み立て説明図を何気なく眺めていてとんでもないミスに気付いた。ズームレンズで撮影した画角の違うカットを合成するにあたり、充分調整したつもりが、私がF-104のプロポーションを大して把握せずに制作したせいで、機体の形状が違ってしまっていた。恥ずかしい物を送ってしまった、と慌てて修正して送りなおした。調子に乗るとこういうことになると反省。
北千住でK本に最近顔を出さないYさんとFさんと飲む。Fさんは三島の死の前日、西銀座あたりでトレンチコート姿の三島とすれ違ったという。当時、平凡パンチだかに楯の会の入会基準がでていて身長170センチ以上とあり、入ろうと思ったが、自衛隊に3ヶ月入隊という条件で止めたという。T屋で夜勤明けで朝から飲んでる、冗談ばかりいってるタクシー運転手のTさんは三島を先生と呼び、楯の会は170センチないので諦めたといっていた。しかし事件のメンバーに凄く小さい人がいたし三島がよけい小さく見えてしまうので避けたはず、と冗談だろうと思っていた。 Yさんは先日亡くなったスーちゃんの中学の先輩で、スクールメイツだ、というので観にいったら、なんだ田中の釣具屋の娘じゃねえか、と思ったそうである。当時の写真を見せてもらったら、まさに“足立区に鶴”。

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今日はT屋のかみさんの誕生日である。私は朝食を食べに行くと、夜勤明けのタクシーの運転手の人たちとつい飲んでしまうので、最近朝は行かないようにしているのだが、先日61歳の誕生日を迎えたS運輸を定年のKさんに、大ファンのかみさんにケーキを買って届けるので写真を撮ってほしいと頼まれている。昨年はケーキに『○○命』と書いてウケたのはいいが、その部分を旦那や子供達に食われてしまったという。浜松までF-104戦闘機を撮影にヒマなKさんと行ったおり、舘山寺温泉に泊まり、布団の中で今年はケーキに何を書けば良いか悩んでいるので、私は『結婚してください』しかないよ。とアドバイスをした。Kさんの想いとは別に、私とすれば旦那と子供たちに食われて何が面白いかである。シラフの時のKさんは恥ずかしくて書けない、などとふざけたことをいうので、それしかないよ、と焚きつけておいた。 朝行ってみると、ケーキ屋に頼んだが、字数が多いと断わられ、結局かみさんの名前にしたという。そんなこと何とでもなるだろうと思ったが、Kさんにしてみれば店頭で『結婚してください』と頼むのが精一杯だったのであろう。そして紙に“ケッケッケッ”と書いてあり下に“結婚してくださいと”書いてあった。このケッケッケッというネズミ男の笑いみたいなのはKさんの照れ隠しなのか、それにしてもと思ったら、思わずドモってしまったKさんの純情表現?だったらしい。結局、旦那や子供たちに食われて笑おうという私の目論みは失敗したのであった。その後T屋夫婦と、子供2人とKさん私、常連の総勢7人で食事に行き、大いに飲んでお開きとなった。 帰り際Kさんが来年はどうしよう、と懲りずに訊くので、次はもう『子供産んでください』しかないでしょと答えた。字数のこともあるし、来年はもっとでかいケーキにしなよ。あそこ5人も子供いるんだからさ。

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今日はKさんの甥っ子が就活のため上京し、何故か私とT屋のかみさんが焼肉を付き合うことになった。しかし今日はそのことでなく、制作について書くことにする。毎日あんな酔っ払いのオジサンのことばかり書いて、読んでいただく方に申し訳ない、と思ったら、Kさん登場の日にむしろ訪問者が多い場合があることに気付いた。なんだか判らないが、まずいような気だけはする。 浜松から帰り数日。ようやく三島を坐らせるだけの状態で1カット完成。ぱっと見にはすでに完成していると思われたが、屋内展示のマルヨンと屋外展示のマルヨンを合成しているため、当然当たっている光が違う。これの調整に随分手こづってしまった。それに左向きと右向きのマルヨンを合成することになり、細かな部品や機体に描かれた文字など左右対称ではないので、それを修正することにもなった。結局空から地面から機体まで、本当の事は一つもないような画になってしまったが、なんとも嘘くさい空気感が漂い三島がコックピットに坐るのに相応しいF-104となった。これがただ撮影してモノになっていたならこうはいかない。わざわざ作ったからこそ、の画にならなければ甲斐がないわけである。 伊集院 静さんの場合も、たんにリアルにするだけだったら御本人が被写体になれば良いことになってしまう。それをあえて作り物で、ということなので、そこは別な空気になっていなければならないだろう。私の場合、表面の質感など粘土のままである。実写に見間違えさせるために作っているわけではないので、必要がないことはしない。肝心なのはそこに居る、という感じである。それさえあればあとは必要なものはない。

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先般ブログに書いていた新作の現役作家I氏とは伊集院 静さんで、来月25日発売予定の『作家の遊び方』(双葉社)の表紙になる。 生きている人物というのは被写体として本人がいるわけだし、依頼されないかぎり作る気はない。 私は常日頃、過去の人物を作るときでさえ、彼等に作品を見てもらい、そしてウケることを夢想している。まして生きている人物なら、作られる側の意見が気になるところである。身内の女性の点数が厳しかったりして、ご先祖を制作するのとは一味違うのである。 本日発売の週間大衆、伊集院さんの連載エッセイ『それでもアホー鳥が行く』で私の制作した人形について触れていただいており“いや本人、実物よりいい男だ”と書かれているので、まずは合格、と解釈しておくことにした。

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一日  


Kさんがかつての彼女と会うために、私とT屋のかみさんまで呼び出されたのだが、結局連絡がつかず、すっぽかされた形となってしまった。しかしKさんはかみさんの大ファンなので、かえって良かったとばかりに絶好調であった。かみさんの誕生日にKさんはケーキに一言入れて持っていくのだが、昨年は「○○命」と入れて大ウケ。旦那と子供達にその部分を食われて終るというオチまでついたらしい。今年はなんていれるか悩んでいるので、私は「結婚してください」しかないよ。とアドバイスをした。この部分だけはかみさんに食べてと頼むんだよ、と。しかし今年も単なる食い物でしかない旦那と子供たちに「結婚してください」が食われることを想像して笑った。
6月の始めにプランタン銀座の人形展に出品するのだが、1体は銀座とは縁のある小津安二郎を考えている。アダージョ用に制作した作品は江東区の財団に買われたので、新たに作ることになる。風景を入れて撮影するアダージョの都合上作れなかったが、一番作りたかったのは地べたに座り込み、ローアングルで演出する姿だったので、そんなことも考えている。場合によっては写真展示も可能なようなので、プリントとしては未発表のアダージョの中から数点選んでもよいかもしれない。

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Kさんはただ女好きのモテナイ酔っ払いと思ったら、それは私の書きかたが悪い。とんでもない話である。3股かけた相手が決着つけようとKさんを挟んで会い、いき投合して4人でカラオケにいった男である。さらに浮気がばれて別れた女性が何人もいるが、その女性が結婚をして何年、何十年と経つのにKさんに会いに来る。それが一人や二人ではないのである。女性がひとたび相手が嫌になったらどういうことになるか、知ってる大人なら、これだけでただの小さなオジサンではないことが判るだろう。Kさんに何かあったら私が面倒を見る、と御主人にもらしている女性さえいるそうである。そのほとんどがKさんにとって遊びだったり、浮気がばれて別れたりしているのだが、当初はともかく怨まれることがない。Kさんもまた、相手が結婚したのに係わらずある日現れ、布団にもぐりこんできた場合を別とすれば、友達として楽しく過ごすのである。 そして明日は。30年ほど前の話であろう。付き合いはじめたのが相手が18で、数年間同棲し、Kさんとたいして齢のかわらない父親に挨拶に行き、結婚寸前までいったのに係わらず、浮気がバレて、別れた女性が会おうといってきたという。そして私に一緒に来てくれというのである。近々甥っ子が就職のことで上京するが、甥っ子と焼肉を食べに行くにも誘われているくらいで、つまり寂しがりでワイワイするのが好きでシミジミが苦手な人なのである。 それはそうと間違いないのは、Kさんと飲むようになり、あきらかに私の制作の効率が上がっていることである。今日は制作について書くはずが昨日のうちに完成してしまい、またKさんのことを書いてしまった。

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“女がいなかったら死んだほうがマシ”が口癖のKさんだが、同じような話を、私はなぜ何時間も聞いていられるのか。話といえばほとんど複数の女性にたいする願望、または想いを遂げるための作戦計画である。日常、常にそのことばかり考えているのは驚くが、定年になりさらに拍車がかかった。先日はある店の娘と、たまたま飲み屋で顔を合わせ、「Kさん毎日待ってるのに~」とハグされ、すっかりその気になってしまった。私にはたんにお愛想いわれただけに思えるのだがKさんの解釈は違う。先日浜松行きの新幹線の中で、朝からハイテンションで聞かされた話の端々には「いや結婚はしないよ」というフレーズが挟まっていたが、たった1回のハグでなんでそこまで妄想が進展するのか。鼾をかく5分前まで、その話は何度もくりかえされた。 今回の“作戦”は3回の攻撃により陥落しなければ撤退する、とKさんにしては珍しいことをいうが、ハグの効き目からして撤退はあり得ないだろう。厄介なのは、その娘から「ウチの店は安いけど二人からなの」。といわれていることである。最近は周囲からも相棒扱いされている私はKさんに「一緒に行って」と手を合わさんばかりに懇願されているのである。 本日はKさん旅の疲れが出たようで家で寝ている。私は飲みながら本を読もうと近所の居酒屋へ。カウンターの端に坐る男、ここだけの話、などと秘密めいた口調で店主と原発の話をしてる。誰に吹き込まれたかくだらない話で、相槌打つ店主が可哀そうなくらいである。気が付くとスーちゃんが死んで、なんで俺みたいな男が生きているんだ、などといっている。Kさんの話は何時間聞けてもこいつは無理。熱もなければ可愛くもなく、哀愁もなければ楽しくもない。 Kさんは「俺は女に夢をもっている」といっているが、真顔でいうものだから、初めて聞いたときは笑ってしまったが、女性に関してまさに『フーテンの寅』と同レベルといって良いだろう。寅と違うところといえば、たまにどこかへ出かけては、スッキリした顔して帰ってくるところであろうか。

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一日  


『自分は雲の上では死にたくはない、ラオスで米軍の飛行機に乗ったが、下から高射砲を打ち上げてくるのがいやでしょうがなかった。飛行機が落とされて死ぬのは、自分で死を選択することにならないからだ。自分は自分の死を選択したいのだ。』 広報館の展示は着座できる機種は屋内に展示されており、照明が不自然だし、階段が設置されており、そのままでは単に展示物である。見等合わせにフライトスーツにヘルメットを被ったKさんに乗ってもらい何カットか撮影したが、幸いマルヨンは屋外にも展示しており、そのKサン付きで飛び立つ前の姿が完成した。昨日の疲れで途中何度か寝てしまったが、操縦桿だけは握ったままの私であった。もちろんそこにはいずれ三島由紀夫に坐ってもらうので、Kさんにはどいてもらわねばならない。忘れた頃に同じ手口で捕まる詐欺師で、騙す相手にジェット戦闘機から電話し、カメハメハ大王の末裔とエリザベス女王の双子の妹の間に生まれたと称する『クヒオ大佐』を思い出した。背景を1カット早々に完成したので飲みに行くと、元気を取り戻したKさんがブルーインパルスのキャップをかぶりウナギパイを配っていた。

そこへ携帯にキャンディーズのスーちゃん死亡のニュース。 私が初めて買ったアイドルのレコードがキャンディーズで高校一年であった。地元の中学ではアイドル好きの同級生を蛇蝎の如くに馬鹿にしコケにし、貴様等こういうのを聴け!とドアーズなどを無理強いしていた私であったが、突然キャンディーズにはまった。近所のレコード屋にいくと、顔なじみの店員のお姉さんに「ツエッペリン入ったわよ」といわれ無言で回れ右。地元の友人の目を恐れ、こそこそと隣町まで買いにいったのであった。好きだったのはランちゃんだったが。

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23:49 from goo
浜松まで、ジェット戦闘機F-104を撮影に行ってきました。 #goo_diaghilev http://blog.goo.ne.jp/diaghilev/e/68f29152f797d0cf28f6b2378f48e3ed
by k_ishizuka on Twitter

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朝起きて広間で朝食をとり屋上の露天風呂へ。山奥の秘湯ではないので、浜名湖が一望といっても生垣や柵で目隠しされている。いつか某温泉にいったおり、はるか彼方の山から望遠レンズで撮る人間がいると聞いたからしかたないだろう。誰もいない露天風呂に仰向けに浮かび、青空を舞うトンビの腹を見上げる。 相棒Kさんのハイテンションは酔っ払っているゆえであり、覚せい剤と一緒で、その間も確実に体力は消耗している。風呂に入りぐったり。若いといっても60歳である。大人しくてこちらとしては丁度良いのだが。一休みしてタクシーで『航空自衛隊 浜松広報館』へ。 三島由紀夫は自衛隊で、当時の最新鋭音速ジェット機、『F-104栄光』(以下マルヨン)に乗っており、三菱エンピツと称された機体を男根に例えたエッセイを書いている。ここはそのマルヨンを展示しているだけでなく、コックピットに着座できることになっていて、今回はただそれを撮影するためだけに来ている。家族連れの順番待ちなどまっぴらなので、こんな日を選んだ。まっ先に展示している格納庫に行く。ここは一組に一人、パイロットスーツやヘルメットなど貸してくれるので、160センチと、三島と身長がほぼ一緒のKさんに着てもらい、物差し代わりにコックピットに坐ってもらうつもりである。ところが係りの女性がマルヨンは土日以外は着座できないという。何をいっている!こちらは事前に電話で確認しているのだ。問答するだけ無駄である。行ってみると鎖がかけてある。ほかの戦闘機が良くて、これだけ土日の意味が判らない。そばにいた説明担当の男性係員にいって鎖を外してもらう。当たり前である。 こういう展示会場にありがちだが、なんで蛍光灯や白熱灯など、ゴチャゴチャと様々な色温度の光を当てているのかさっぱり判らない。おかげで後処理が面倒である。一通り撮影し、地続きの浜松基地から飛び立つジェット機を眺めた。昼過ぎにバスで浜松駅。食事して東京へ。行きとは別人のKさん。哀しげなやつれ顔に変化している。広報館で買ったブルーインパルスの刺繍の入りキャップを、広いオデコを出して浅く被っているので、それじゃ競馬場のオジさんだよ。ちゃんと被ったほうが良いよ、といって別れた。

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朝8時に東京駅行きバス停で待ち合わせのはずが、7時にT屋のかみさんよりKさんがすでに来て飲んでいると電話。行ってみると昨日遅くまで飲み、醒めないまま本日に突入して超ハイテンション。飲み過ぎないでといったじゃないの、といいたいところだが、一緒に飲んでいたのが私だからいえない。ここから新幹線の車中、ずっと続く女性の話。相変わらずの話なのだが、最近新しいネタが増えたのがやっかいである。 今回浜松の自衛隊広報館に撮影に行くのが目的なのだが、Kさんの状態を考え、行くのは明日にし、とりあえず舘山寺温泉に行く。映画のセットのように人の気配がまるでない。浜名湖を眺め、かろうじて開いていた店でうな重を食べる。ロープウェイに乗り、展望台で眺める景色は絶景。眼下の遊園地には、まったく人の気配がなく、なのに稼働中の観覧車や、無人で水しぶきを上げるウォータースライダーみたいな乗り物が不気味。することもなく3時頃ホテルにチェックイン。閑散としている館内。さっそくフロントでコンパニオンの様子を訊くKさん。呼べないことはないが、とまったくお勧めできない感じのホテル側。フィリピンパブが一軒あったが昨年潰れたという。Kさんをなだめて露天風呂へ。夕食は部屋で。早めに用意してもらう。この間もずっとKさんの女性の話が途切れることなく続いたことはいうまでもない。 舘山寺から数キロの所に、Kさんの昔の同僚が住んでおり、連絡して会うことになった。私も一緒に、というが、気を使うのもいやだし、旧交を温める邪魔もしたくないので遠慮した。むしろ数時間は静かに一人飲んでいられるわけである。 11時過ぎに楽しそうに帰ってきたKさん。帰り際、かつての同僚は涙を流して喜んでいたという。Kさんの周りは暖かい人ばかりなのである。それは来たかいがあったねェ、とシミジミする間もなく再開するKさんの柔らかい話。就寝までの一時間の間に5回くりかえされた。

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朝T屋に行くとS運輸を定年のKさん。私は明日、浜松まで撮影に行くが、Kさんもヒマなので一緒に行くことになっている。私は一人旅は好きではないし、それなら身長160センチで三島と身長が近いKさんに、撮影時に物差し代わりになってもらおうというわけである。ついでに浜名湖の舘山寺温泉で一泊しようということになった。オヤジが二人で浜名湖の夕陽眺めてムード出すこともないが、どうせなら露天風呂を、ということになり予約する。Kさん例によって、ニコニコしながらコンパニオンも、と小指を立てる。何をいっていやがる。ただでさえ、2、3カットのために浜松へいくのである。以前のように人形を捧げ持って現場で撮影するなら、一旅行で何カットもモノにできるが、今はもっぱらアダージョで始めた、背景に合わせて後に人物を造形するという手法である。労多くしてモノにできる作品数は少ない。しかしこう毎日のようにKさんが登場すると、ブログのカテゴリーにKさんというのを作るべきではないか、というくらいである。本日はたいして打ち合わせの必要もないのに2回も顔をあわせた。  異常な寂しがり屋のKさんだが、酒場で隣の女性と親しくなると、つい太股に手が行く。それがたとえ深川警察の婦警だろうと。(婦警とは知らなかったのだが)婦警もただ笑っていたというから、徳というものであろうか。店主がウチはそういう店じゃないよといっても、周囲がセクハラだよといっても、Kさんは一向に納得しないが、酔っ払ってしまえば別に女性じゃなくても、たとえば密林で保護した親のいない小猿にあてがう、何かに毛布を巻きつけ保温した物。とりあえずあれでも良いのではないか。毛布にしがみついている小猿がニコニコしたら丁度あんな感じである。そう思うと婦警でさえ怒らないのも判るというものである。

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陶芸の専門学校生時代、アパートの隣室に住んでいた鳥羽在住の同級生Sさんに久しぶりに電話する。子育ても一段落し陶芸を再開し、忙しくしているという。私が酒ばかり飲んでみんなで騒ぐものだから、でていってしまったが、3つほど年上の彼女には大変お世話になった。当時11PMで伊勢の秘宝館が紹介されており、かなりユニークな経営者が紹介されていた。翌日隣でお茶をご馳走になっているとき、その話をしようとしたら、皆までいうなとばかりに私を制し、「あの人私のオジサンなの」。後にさらに発展し、エロスの館『国際秘宝館』として有名になった。今は潰れたが、展示物がB級アート扱いされ、いつか展覧会に出品されていた。 連絡したのは撮影に使う物を探していたからだが、見つかり次第連絡をもらうことに。
昨年まで同じマンションに住んでいたYさんから、地元の北千住で飲もう、と誘われていた。昼の2時からやっているという店へ行くと、大手ゼネコンのMさんが昨日K本からハシゴして、どこかで顔をぶつけたらしく、目の下を腫らしていた。まったく覚えていないという。帰宅後に“誰か”にやられたんじゃないかとYさんと笑う。その店は生のサバなどがあり、何を食べても美味しく安い。氷なしのホッピーを飲む。中身が大五郎でなく亀甲宮ならさらに良かったが。隣に若い女性の3人組。一人ショートカットで煙草をスパスパやっているボーイッシュな娘がおり、足を広げてパサパサとしているが、二十代の私が好きだったタイプである。Yさんはレズだろうというが、それはこのタイプを解かってない。しかしなぜかおそらく父親がいないのである。だいたい不思議とつねにそうであった。 店を出てYさんに地元を案内してもらう。路地を行くと飲み屋だらけ。目移りするが、もう一軒。ここも大当たり。小父さん二人が伏目がちにもくもくと働いている。悪いはずがない。狭いカウンター席を譲り合い、狭い地域のマナーの良さ。途中からTさんも合流し、もう一軒。地元のMさんと馬鹿話ししながら帰る。

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津波といえば近所に『波除碑』なる東京都指定文化財の津波警告の碑が2つある。一つは洲崎神社内。もう一つは平久橋のたもとである。 これをおおよそ結んだあたりは江戸時代は波打ち際であり、房総半島まで見えたという。碑は特に平久橋のほうは戦災その他で原型を止めていないが、寛政3年(1791)の高波で多数の死者が出て、江戸幕府は一帯5467余坪(1万8041平方メートル)の土地を買い上げ、永久に居住禁止区域とした。碑のあたりは多数の遺体が流れ着いたらしい。平久橋はごく近所で、織田裕二がいつか橋の上でロケしているのをベランダから双眼鏡で眺めた、という距離にあるが、泉鏡花の『葛飾砂子』にもこの碑が出てくる。橋の名前こそ現在とは違うが、門前仲町の方から船に乗り、碑を船から眺めながら海に出て洲崎遊郭に遊びにいく、というようなシーンだったと思うが、鏡花が我がマンションの前を横切って洲崎に向かう映像が生き々と目の前に浮かんだ。 今度の津波では、昔立てられた津波警告の碑を守り、より上にしか住まずに無事だった地域が紹介されていたが、こちらの碑はより上も下もなく、ひたすら平らに埋め立てが進み、海岸ははるか遠くとなった。

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一日  


まだ薄暗い早朝、木場公園に桜を撮りに行く。乳母車を押すお母さん軍団もおらず良い気分である。桜は大分散ったが、まだ使える。良い光線具合の所を撮影する。雪は逃したが桜は確保した。そのまま散歩していると大勢の人がラジオ体操をしている。通り過ぎようとしたら飲み屋でよく顔を合わせる館長から声をかけられる。毎朝走っているようで汗を滲ませ体操中の様子。区の施設の館長らしいが何かは知らない。昔ストリッパー清水ひとみの追っかけだったことは知っている。 帰宅後昨日ゼップ東京の会場で購入したジョニー・ウィンターの初期作品5枚組み2500円を聞きながら、撮影したデータのチェック。高校生の時からどれだけ聴いてきたことか。男だったらこのぐらいやりたいものだと思わせてくれる。クラプトンの数倍は好きである。妹尾みえさんから友人のJOJO澤渡さんがCDをプロデュースすると聞いたのでメールすると、ついでにジャケット撮影を頼まれる。JOJOさん自身のファーストアルバムも私が撮影している。従兄弟が磁石会社を営んでおり、最強の磁石を作っているという。以前『ほこ×たて』という番組を観ていたら、その磁石の反発力に対抗して磁石を接着してみせる、というアロンアルファと対決して惜しくも破れ、くっついていた。 夜、錦糸町にて母と食事。

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