明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今年も馬鹿々しいことしか書けなかった雑記である。  界隈からは益々出なくなり、展覧会は、階下のYさんに連れられていった横尾忠則さんの展示と、田村写真の田村さんと行った野島康三展だけであった。今年はまだ2つ行っただけマシだったかもしれない。まだまだ色々見て勉強すべきだと思いながら、他人の作品見て感心しているなら自分の中から何が出てくるか、それをまず探求すべきだろう、という余裕の無さから、つい足が向けられないでいる。またこの単調な生活は、作る以外の楽しいことをすると、作る楽しみが減ってしまうのではないか、という妙な恐怖感のせいもある。作ること以上の快楽はない、と物心ついたときにすでに知ってしまうと、こんなことになってしまう。  この雑記では、できるだけそんな制作について書こうとこころがけているが、酒ばかり飲んでいる、という印象も与えているかも、と飲酒しながら書いているが、一つにはK本にくわえて、朝の6時からやっているT屋に行く機会が増えたせいもあるだろう。朝、昼、晩と一日3回行ってしまったこともあった。酒を勧められると断われない、という私の性格もいけない。勧めてくれるのは、私にたいする好意、と感じてしまうのである。良く考えたら、あちらは御商売なのである。良く考えるまでもないが。もっともT屋の主人Hさんなど、ほとんど友人の域にあるし、あの酔っ払った嬉しそうな顔を、つい観にいってしまうのである。 私の場合、相変わらず二日酔いはしないし、酒に飲まれることもなく、検査しても「お酒の方は?」と医者に尋ねられるくらいで、つまり何の痕跡もでない、という幸せな状態で2010年を迎るわけである。

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アダージョ2月配布用の人物、未だ制作に入らず。当時の関係者の描いた画は残っているが、昔のもので、かなりデフォルメしている。おおよそこんな顔だったろう、ということは想像がつくが、写真を参考にすることなく勝手に作れるので時間もかからないだろう、と踏んでいる。それと、その人物の像を作るにあたり、これだけは読んでおく必要があろう、という本を急遽アマゾンで取り寄せ、読み始めている。どれだけ反映されるかどうかは判らないが、読んでおいた、ということが重要である。泉鏡花で初めて着物を制作したとき、しばらく家の中で着物で過ごしたが、己が姿を鏡でみて参考に、ということは全くなく、私は着物を着たことがある。ということが肝心なのである。それと似たようなものであろう。作るのは読み終わってからにする。  ネットは回復したというのに、気分転換にネットカフェに行き、『仁義なき戦い』第一作など観てしまう。帰りに立ち飲み屋で一杯やっていると、常連客が女将に持ってきたケーキをお裾分け。目の前に軟骨やボンジリの塩焼きがあったが、アルコールも効いてきたところで、初対面の客に礼をいっていただくことにした。 後は自宅で本読みながら飲むとしよう、とスーパーで買い物をしているとT屋のHさん。立ち飲み屋で今まで私が飲んでいたと聞いて探しに来たらしい。結局、かごに入れた物を戻し、また立ち飲み屋へ。何でこのスーパーにいると思ったのだろう。妙な勘が働く男である。  同じ行を何度も読んでしまう頃、明日は何処で蕎麦を食べようと思いながら就寝。

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一日  


夕方、カメラに三脚をかついで自転車で撮影に行く。数百年前の人物を現代の背景に配するのは妙なものなので、ただそのまま撮ってもつまらないだろう。上手くいくか判らないが、時間差を付けた2カットを重ねてみようと思っている。本来こういう撮影はデジカメのほうが適しているのだろう。前回見ておいた撮影ポイントに到着すると、大きなバイクが違法駐車していて邪魔。地元の催事だかの旗まで立っている。出直すことにする。今日は時間による光線の変化をおおよそ把握することができた。明け方撮影する方法もあるかもしれない。帰りにドジョウの『伊せ喜』で暖まろうかと思ったが、先日来たばかりなので清澄白河駅横の『でいご』に行く。何年ぶりだろうか、昔の店は味があったが、今はビルの中。出て来るものは変わらない。泡盛を飲みながら出がけに田村写真のHさんが送ってくれた『コウザの魂』が届いていたので読む。落語ネタ、プロレス風味というミニコミで、どういう動機で作られているのか良く判らないが、笑わすためというなら充分笑った。豚豆(腎臓)の炒め物、豚の尻尾の煮付け。子供のおちんちんを食べているようである。これは骨まで食べられる。沖縄そばを食べて帰る。帰宅後寝てしまったが、強い酒を氷も水も入れず、短時間でグッと飲る。これが一番身体に良いのは間違いがなく、自宅では常にこの調子である。リズムを自分で作れ、睡眠が深いので短時間の睡眠で充分。寝覚めも良い。薄めた酒で、長時間ダラダラ飲るのが一番無駄だが、外で人と飲む時は、出来るだけ為にならない馬鹿話で、無駄に過ごすのが目的であるから、それはそれで良いのである。そういう意味では、近所の煮込み屋K本は、常連が為になることなど一言も口にするものか、という人ばかりなのが良い。

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一日  


木場で恒例の友人等との忘年会が終った。最近は近所でばかり飲んでいるので、始発まで外で飲むことはないが、川口から来た連中に付き合い朝まで飲んだ。10時間は飲んだことになる。10代からの付き合いなので、こんなことも良くあったものだが。 来年の正月は、飲んだり作ったり、ということになるだろう。富岡八幡に初詣に来る、という友人あれば出て行って飲んで、帰っては飲んで制作する。先日森下賢一さんから52度の『文君酒』というのを2本いただいた。部屋に広がる芳香。これを芳香ととるか臭いととるかは見解の分かれるところであろう。一本は階下のYさんに、ということだったが、やんわりと拒否されてしまった。だったら私がいただくことにする。 世間が休んでいるときに制作するのは、じつに良い気分である。これは私の中に、どこかお天道様に申し訳ない、という気分があるからであろう。本来ヒトガタを作るということは、人目はばかる行為である。私がこれだけ喜んで作っているのだから、歴史など調べずとも判る。そうに決まっている。 正月は天気が良いし、人出は少ないので、それを利用して何か撮れないか、と毎年思うのである。車道の真ん中に三脚を備え、などということも場所によっては可能であろう。といいながら、あと一回、まだ未定の飲み会の連絡を待っている私であった。

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プロバイダから新しいIDが送られてきた。これで再設定しなければいけないはずだったが、何事も無かったようにネットに繋がっている。どういうことかと思うが、今週中はプロバイダに電話したくない。とりあえずメールをチェックした。なにしろ今月3日からのメールであるから、大変な状態である。その間、友人の父親が亡くなっていて慌てたが、そのメールはすべて済ませた後にくれたメールであった。  午後、昨日レンズを頼んでおいた近所の老舗の眼鏡店に、手持ちの眼鏡の部品を持っていった。妹がアメリカから持ってきてくれたフレームは、いきなり作りが悪くなっていた。これもリーマンショックの影響だろうか。中国辺りで作らせることにしたのだろう、中国で作ってアメリカ人がチェックするとしたら、ロクなことはない。初めて取り寄せた時はマルコムXと一緒だ、と喜んだら、北爆のジョンソン大統領もかけててガッカリという、つまり1865年創業の、ごくポピュラーなメーカーだったわけだが、以来何本も使ってきたが、部品を、まだ良かった頃の、壊してしまったフレームから外して替えて貰うことにした。以前は日本で扱う店はなかったが、こんな作りになってしまったところで、扱う店ができていた。作る連中が一緒でも、日本人が中に入れば、左右のツルの長さが違う物を売りつけられることはないだろう。  K本で飲んでいると森下賢一さんがみえ、居酒屋の話になる。江東区に森下さんが居酒屋で3本の指に入る(5本だったかもしれない)という店があるという。伺うと、何が美味いというわけではないらしいが、とにかく雰囲気、居心地が良いらしく、居酒屋の宝、とまでおっしゃっていた。森下さんがそこまでいうとは。そ、それは凄い。思わず店名をメモったのは、いうまでもない。良い居酒屋は次々姿を消していくと嘆かれていたが、その多くは後継者の問題であろう。門前仲町のDの親仁さんが亡くなったことも教えられた。閉店時間になると、酔っぱらった親仁が、ラジカセでビリー・ホリデーを大音量で流すのを何度も聞いたが、店の雰囲気に合わない曲に、確かに追い出し効果はあったが、ビリー・ホリデーが一番好きだといっていたから、意地悪のつもりはなかったらしい。泥酔して、腹を矢で射抜かれた武士のような状態で壁にもたれ、ウットリしていたのを思い出す。

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人は15歳くらいの時に好きだったものが一生好きだそうだが、そういう意味では、私にとっての小説家は、江戸川乱歩に谷崎潤一郎ということになるだろう。特に谷崎は、中学の授業中にも隠れて読んだが、たとえ先生に見つかっても文豪なのだから、とたかをくくっていたが、結局この間までハナを垂らしていたような同級生の前で『卍』を朗読させられ、関西弁に対する嫌悪感を払拭するには、漫才ブームを待たなければならなかった、ことは拙著『Objectglass12』(風涛社)にも書いた。 この谷崎は2体目である。1体目は作家シリーズとして2作目で、パソコンなど触ったこともなく、合成など考えもしなかった頃の作品で、実物のヌードと絡ませることしか思いついておらず、そのため今見ると、かなり小さい。そこで2体目は意識して大きく作ってみた。坐っていて約40センチ。  撮影場所は人形町『よし梅』の芳町店の座敷である。谷崎の隣りは、乱歩の『人形椅子』を制作したとき、閨秀作家“佳子”役をやっていただいた義太夫三味線の鶴澤寛也さんである。当初水天宮あたりを谷崎と歩いているところを考えたが、屋外では、せっかくの三味線奏者というところが生かせないので、屋内の設定に変更した。義太夫には谷崎も『蓼食う虫』で触れている。撮影準備中、店の方に床の間に一輪の椿を生けていただいたので、撮影方針はすぐに決まった。配布は本日からだが、おかげで新春号として相応しい表紙になった。谷崎のロイド眼鏡と羽織の紐は実物を合成した。
(この谷崎像は、来月1月8日(金)~11日(月)江東区古石場文化センターにて展示予定)

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美談  


ある人物の長年続けてきた仕事が、ようやく花開きつつある。という話を聞いた。やりたいことしかできない、収入の無い旦那を奥さんが支えつづけ、ついに実を結んだ、ということだそうである。やりたいことを貫いた旦那に、ひたすら耐えた妻。このような美談はよく耳にするし、感心することしきりの皆さんであったが、私はそうかもしれないが、違うかもしれない、と思うのである。一見良い奥さんのようだが、男を駄目にするのも、このタイプではないか、という気がするのである。奥さんが支えたおかげで、この程度の花に終わってしまった。ということはないのだろうか。物凄くあるような気がするのは、私のヘソがまがっているせいなのであろうか。

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眼鏡  


妹がアメリカから帰るというので、眼鏡のフレームを頼む。帰るたびに頼んでいるような気がするが、飲んで帰って、かけたまま寝たり、適当に放っておいて壊してしまうのである。物に対する愛着が長続きせず、大事にするのは初めだけなのである。 妹のほうも慣れていて、いつものだろうと、昔からあるメーカーの型番もいつもどおり注文してくれた。ところが、まだメールが使えていた2週間ほど前、送られてきたものが、つるの部分の長さが左右違っていたので送り返したとメールが着た。古くからあるメーカーでも、末端の作っている連中の程度が悪いのであろう。左右の長さの違うものを取り付けるとは、どれだけ馬鹿が作っているのだと思うのだが。そこでちがう代理店から送らせたということであったが、また電話があり、こんどは指定したのとは違う色のを送ってきたという。ついでに頼んだクリップオンのサングラスも、私は茶色でいいといったのだが、それはフレームに合わない、と妹がいったほうが来たという。今度取り替えたら、間に合わない、というし、そのたびに郵便局まで取り行ってもらうのも面倒だろうから、それでいいということにした。そのフレームは前回頼んで、あっという間に壊し、やはりただの黒にしようと思っていたのだが、その前回の物と同じ物になった。 日本人に比べれば、アメリカ人は気持ち悪いほど不器用だし、昼休みのチャイムが鳴ると、締めてる途中のネジもそのままにして、不味い食事に出かけてしまうような連中であろう。日本人と違って暗算だってロクにできず、指を使って計算しているような連中に決まっている、といいたいところだが、残念ながらせっかくの日本人なのに、私もかなりのものなので、この辺にしておく。

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一日  


昨晩鯰を食べたせいか、地震で目が覚める。 朝食の後、ネットカフェにて映画を観ながら検索。そろそろ人物像制作にかからないといけないが、生前、その人物にかかわり、面識のあった人物が少なくとも3人、肖像画を残している。以後数百年にわたり、それをもとに後世の人物により、デフォルメや勝手な?解釈を加えられながら描き続けられてきたわけだが、私も当然、その3人の人物の作品を元に制作すべきであろう。そしてかってなことをするわけである。  図書館に一日いてK本に寄り、長谷川穂積VSアルバロ・ペレス戦を観るため、スーパーで酒の肴を買う。若者が5、6人これから飲み会のようで、一人の女の子が中心になって買い物をしている。男の子たちは、ワンカップのコーナーで「俺これにする」とそれぞれ一本づつ選んでいる。私が君等の頃は、いつか押し入れの中に、鏡割りに使うような樽酒を常備し、好きなときに飲んでやる、と夢見たものだが。なんともスケールの小さな若者たちである。  それにしても長谷川の強いこと。レベルが違う。最近は早い回に倒すのでダメージもなく、まだまだいけそうである。ジュニアやスーパーの付かない、しかも歴史と伝統のあるバンタム級というところに、また価値がある。昔から長谷川のような強豪が来日しては、実力差を見せつけられ続けたのだな、と妙に感心する。はやくラスベガスで試合をしてほしい。
また登山家の事故である。何度も書いているが、高所を好まない私としては、あの類の登山は異常な変態行為にしか思えず、なぜ切腹マニアのように変態扱いされないのかが不思議である。とんだ親不孝者共だが、人形制作など、いくらやったところで死ぬことにはならない。その点私の親にとっては、不幸中の幸いといったところであろう。

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先日思いついた撮影場所だが、なにしろ数百年前の人物なので、私の腕力では現代の風景に入れることは難しい。夜ならどうか、と再度出かけてみたが結果は同じであった。  6時にTさんと、高橋(たかばし)のドジョウ屋、『伊せ喜』に行く。最近ご無沙汰だが、以前は、楽しみなどない梅雨の時期、小雨の中清澄庭園にでかけ、日本各地から運ばれた石の濡れた様子など眺めながら、園内を一回りし、『伊せ喜』のドジョウで一杯やって帰ってくるのが、唯一の楽しみであった。本日もさっそく、開いておらず、頭も骨も丸のままの丸鍋に菊正宗。昔は魚屋の店先で、樽の中で生きたドジョウを売っていたものだが。呼吸のためか、上下に行ったり来たりするのを見ているのが子供には面白かった。  ドジョウも相変わらず良かったが、冬限定らしい鯰鍋。これがまたオツであった。すき焼仕立てで、卵にくぐらせ食べる。当然川魚特有の匂いがあるが、そもそもドジョウを食おう、という人間には問題にならず気に入った。妙に腹持ちの良い魚である。寒い間にもう一度食べたい。

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探索  


自転車でアダージョ背景撮影場所を探索。特集人物の銅像もあったが、東京都だか区だかが作った物にロクなものはない。 某施設に行くと、特集人物に詳しい方がいて、色々伺うことができた。近所の文化センターから事前に連絡しておいてもらったので話が早い。ある川に目星を付けていたのだが、伺ってみると、見当違いだったことが判った。史実に忠実にしたほうが面白い場合と、しないほうが良い場合があるが、その匙加減が難しい。あまりに昔の人なので、現代の風景の中にどう立たせるべきか。施設内で販売していた人物の肖像集を購入。各時代の絵師が思い思いに描いている。私としても条件は一緒。なんとなく老人であれば良い。ただし着衣、持ち物は定番ともいうべき物が決まっていて、これは外せない。これを外せばただ老人ということになってしまう。帰りにさらに探索し、ひとつ候補地を見つける。  夕方新小岩にて忘年会第2弾。ライオンのごとくにモツを食す。第3弾はドジョウの予定。 

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一日  


アダージョ2月配布号は、いつか来るとは思っていたが、ついに写真すら残っていない時代の人物である。画は残っているが、それだって100年後に描かれた物だったり、それぞれの時代の絵師が、自分のイメージで描いているので、一つとして同じものはない。背景になる特集場所も、本日ようやく決まったが、地形も変わり、都営地下鉄駅どころか、その時代の風景など、爪の先ほども残っていない。特集場所は動かしがたいとなれば、その人物がどこに立っていようと、時代は合わない変わった画になることは初めから決まっている。なんだこれは?といっているうちに本文にはいってくれれば、私としてはいいわけだが、今のところ画も浮かんでいない。明日は自転車に乗って現地を廻ってみるつもりでいる。
インターネット開通がいつのなるのか判らない。まったくむかつくプロバイダだが、初めから設定する面倒を考えると、他所に蔵変えしちまえ、ということもできず。なによりメールが使えないのが困る。本日もネットカフェだが、夜のほうが煙草臭くないようである。

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数ヶ月前から決まっていたK本の常連との忘年会。某大手建設会社部長Mさんのマンションのゲストルームである。ここは新年会以来だが、なにしろ眺めが良い。だいぶ出来上がった新東京タワーも観える。今回は奥さんを連れてきた人もいたので10人くらいだったか。メインはキムチ鍋とちゃんこ鍋だが、担当するのは奥さん連ではなく、T劇勤めのIさんと舞台俳優の今拓也さん。自宅では二人とも、かなりの割合で炊事をしているらしい。差し障りがあるかもしれないので割合は書かない。実に手際が良く、奥さん連もただ感心して眺めている。私なども、もちろん出る幕なく、みんなで持ち寄った珍味でただ飲んでいるだけである。  しょっちゅう顔を合わせてるメンバーだが、K本の常連ということ以外共通点もなく、馬鹿々しい話で終始するのは、あいかわらずである。違いといえば、いつもだったらKさんが絶妙なタイミングで下ネタが入るところ、奥さんと同席で不発。いいたいのを我慢している表情が可笑しい。最後にHさんが午前中、餅つき大会でついたばかりの餅を鍋に投入。始めこそ、感心して眺めた眺望も最後は目にも入らず堪能し、あっという間の片付け後、帰り際、すでに新年会の相談であった。

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一昨日、プロバイダの話では、明日には新しいIDが送られてきて、設定すればすべて復旧するはずだったが、今朝電話がきて、なんとかの手続きを、という。さらに10日から2週間かかるという。話が違うではないか。確認すると先日の男である。そもそも一番初めに出た男が、頼みもしないことをNTTに依頼したのが間違いの元なのだが、昨日、その説明までしたのに判っていなかったらしい。これで1週間前の振り出しに戻ったことになる。これにはさすがに頭に来た。昨日と違い、向こうからかけてきたので何分いくら、は関係がない。声も大きくなり、少々標準語とは趣の異なる、東京の下町の方言を交えてお話しさせていただいた。だがしかし、私のいいところであり、そうでもないところなのだが、酒の醒めるのも早いが、怒りが醒めるのもやたら早い。ここで怒っても、事が早く進むでなし、と思ったら、ただちに正しい標準語に戻ってしまった。
ということで再びネットカフェである。煙草の臭いは耐え難いものがある。天上は山吹色に染まっている。さらに迷路のような状態で、トイレから席に戻るのに行ったり来たり。火事になったら、方向音痴には厳しい。それにしてもメールが使えないので、今ごろ忘年会の予定が入っているのではないかと思うと、気が気ではない。

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ここ1週間ほど、インターネットにアクセスできない状態になっている。プロバイダーに連絡すると、数日お待ちください、というので、しかたなく待っていると、NTTから工事は来週何日に、という連絡が来た。なんだ工事というのは?料金設定など説明するので、ただ数日前の状態に戻したいだけだと説明すると、プロバイダがNTTに頓珍漢な依頼をしたらしい。この数日はなんだったんだ。というわけで、本日早速プロバイダに連絡し、名前は忘れたが、お宅のトンチキ野郎がとんだヘマをしでかして、というような意味のことをいったのだが、どこ吹く風。そうだ。文句をいったところで、これ自体に何分、何円かかるのであった。もういい。とにかく設定を戻してくれというと、お客様のなんとかIDが、という。保存したデータを見ると、私ががそれだと思い込んでいたIDとは別の物だったことが判り、再発行ということになる。それも明日の発送である。  発端はちょっとしたことだったのだが、私自身のミスもなくはない。嘘はほとん書かないが、都合の悪いことも書かないことになっている身辺雑記なので、詳しいことは書かないでおく。幼馴染のTよ。死んでるんじゃないかと思った、って電話してくるんじゃない!確かに携帯電話も、どこへ行ったか最近見ていないのだが。ところで一度入ってみたいと思っていたインターネットカフェでこれを書いているが、煙草臭いことを除けば、気分転換に来てみるのも良いと判った。

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