写真や西洋絵画になく、浮世絵、古典的日本画にある自由を写真に取り入れられないか、と考えたが、それで何をしようとしていたのか。具体的な用途を思い描い
ていた記憶はない。中締めといえる個展が終わり、しばらく図書館に通っては、浮世絵、日本画を眺め、その自由さを羨ましく眺めていた記憶がある。何をきっかけにそうしていたか思い出せない。 一つもしや?と思ったのが、長塚京三が北斎を、宮﨑あおいが娘のお栄をやったドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』その中で北斎が西洋画を見て「見たまんま描いていやがる。」といった。見たまんまが大嫌いな私は、そのセリフがよほど気に入ったか、当ブログで何度も引用した覚えがある。ひょっとしてあの北斎のセリフがきっかけじゃあるまいな?調べたら、図書館通いの一年後のドラマだった。 どうでも良いことだが〝何だか判らないけどやりたくなってしまいました“実際そうでもバカみたいである。熟慮、熟考の末、計画通りやりました。という演技プランをつい立ててしまうのであった。