明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



大型スーパーに食材を買い物に行くと、つい母に、と考えてしまう。最後の2年ほどはホームが誤嚥を恐れ、大したものは持って行けなかった。一緒に買い物に行っていた頃、嬉しそうに食品の棚をを見上げる表情が思い出される。 父の時も涙一つこぼれなかったが、昔から男が一人工作する姿にツンとくるところがあった。父とも通った大工センターに材料を買いに行ったら、そのイメージは日曜大工好きの父のイメージだったのだ、とフイに気付いて、亡くなって随分経っているのに涙が止まらず、買い物どころでなく帰ったことがある。そう思うと、母が亡くなり2ヶ月が過ぎ、そろそろ危ない頃である。一番危険なのは、あの嬉しそうな買い物中の母の顔だろう。こう書いていても危ないので、スーパーでカミさんに、ただついて歩いている使い物にならなそうなダンナが邪魔臭い、ということで終わっておく。
 


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一日  


入院時に、ベッドで上半身を起こしていると前日からの腰痛が消えたので、退院後、すぐにアマゾンで角度をつけられるマットを入手した。ところが寝相は悪い方ではないのだが、朝になるとずり下がって寝ている。しょうがないな、と寝直したら心温まる夢をみて寝坊した。自然光で蒙古兵を撮影。曇天の灯りでイメージより柔らか過ぎる。そうこうしたらクリニックの定期検診の時間が迫り、そのままにして出かける。結果全て問題なし。軽く祝杯をあげる。 毎日ブログを書いていて心臓の手術をした、なんていうと、間を開けにくい。心温まる夢の話を書こうにも、時間が経つと、なんで心温まったかさえ判らず。タイトルも付け難いほど何もない日のタイトルは大体“一日“である。



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昨年暮れからの一連の出来事で、死に対する恐怖が大分薄れた気がするのは昨日書いた通りだが、そうなった理由の一つに、痛いも苦しいもなく逝った母の死に顔がある。12月27日早朝まだ暗い中病院に駆けつけた時はまだ温かかった。正月に入ることと、火葬場が混んでいたこともあり、すぐに斎場の冷蔵室に入ったが、そのため、火葬の日は10日以上経っているのに母は全くそのままだった。元々シワが少ない方だったが、深いシワがなくツルツル艶やかで、あまり間近でしげしげと眺めるものだから、横で妹が呆れていたが、あれは死ぬなんて大したことないわよ、という母からの最後のメッセージだったと理解している。



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月一のクリニック定期検診。母もそうだったが、椅子に長時間座っていると、膝から下が浮腫む。そこで心臓の検査を、ということになった。いやこれはそうではなくて、と思ったが、紹介された病院に行って、冠動脈2本に不具合が見つかった。自覚症状がまったくなかったので運が良かった。このままでいたら岸部一徳得意の、心筋梗塞の発作をいずれ起こしていただろう。昨年末、タウン誌の連載に、私の死生観に影響を与えた一休禅師について書いたが、初の入院について触れたので、ホームの母に心配させても、と退院してから見せるつもりが知らずに逝った。 区の定期検診で安心している連中に、それじゃ絶対見つからないぜ、と島帰りの悪党のようにアドバイスしているが、区の定期検診といえば、小学生のように、おじさんがパンツ一丁で並ばされる、とずっと思い込んでいたので、冗談じゃない、と様々な不具合の発見が遅れた私であった。



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昨年の暮れ27日に母が亡くなり、私も冠動脈の手術などでずっと落ち着かなかったが、新作の大覚禅師(蘭渓道隆)立像の仕上げも進み、今日は落ち着いて一日過ごした。のんびり仕上げをしながらカレイの煮付けを作る。いつもならアクも味のうちとばかりに適当にやるところだが丁寧に取り、一度冷まして味を染ませる。寒くもあり、昼から燗酒。 昨年スマホで撮影した母の映像や、ノートに書かれた何気ない書きつけなど未だ見る気にはなれないでいる。春ごろだったか、どさくさに紛れて母に感謝を伝えたことがある。多少呆け気味だからいえたことで、そうでなければ照れ臭くていえない。「感謝してるんだ。」母は笑っていた。



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昨晩は隣の老人のイビキがうるさくて困った。起きてる時は弱々しげだが、寝入った途端〝さぁ行け進軍!敵は我がものぞ”調。 午前9時にオペ室に。前回同様、カテーテルは手首からと聞いたので、鼠蹊部の剃毛はなしだ、と思っていたら術中の排尿に備えて、全開オーブンのまま何やら装着される。もう目を閉じ、まな板の上の貝に徹する。さすがに検査と違って長く、圧迫感など様々あったが無事終了。また流れる天井見ながら運ばれる。ベン・ケーシーのオープニングである。   本日のオペ室にはベン・ケーシーを知ってる人などいなかったろう。 ステントというものを入れると聞いていたが、バルーンによる拡張のみで体内には何も残っていないという。もう一刻も早く帰って大覚禅師と法然上人を作りたい。母の葬儀でアメリカから帰った妹にとって私は近所で酒飲んでグウタラしながら趣味の粘土細工をしているように見えるらしい。



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当初の目標が一休禅師のカットで達したので、部屋の片付けとギターの修理。   中学生の時、親戚の納屋に打ち捨てられていたのをもらって来た60年代の国産ビザールギターで、愛着が拭えず、同じ機種を再び入手し使っている。YouTubeで目にするB、C級ブルースマンやアフリカのミュージシャンが手にするかつての日本製安ギターが実に格好良く見える。音もまた個性的である。 一番好きなことを仕事にし、2番目を趣味とする。別のいい方をすれば、長時間やっていて苦にならないことを仕事にし、2番目を趣味とする。ギターは30分も弾いていればやることはなくなる。おかげで不可解で奇妙なくらい上達しないままである。もう一つ加えるなら、思い通りに行かず途中挫折に終わろうと、まったく苦にならないことを趣味にするのが良い。



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久しぶりに地元の幼稚園からの友人と話した。私は中身が昔から変わらない。これが久しぶりに会う友人を戸惑わせることを知っているので気を付けているが、彼は独身で美容室を経営するせいか、相変わらずの調子で話せる。彼の家に遊びに行った時、弟を抱えたお母さんがお宮参りに出かける所に出くわしたのを覚えているが、その弟が還暦だというし、お母さんも今年亡くなったそうである。脊椎狭窄症を患って彼は来年店をたたむという。美容学校時代、パーマの練習台にさせられ酷い目にあったことを思い出した。店名は私の命名である。技術に自信はあっても、センスが時代に付いていけないという。そう考えると私の場合は、見る人にどう見えるかはともかく、新作が未だ人生上の最突端だ、と思えるのは座頭市のセリフとは真反対に〝良い渡世だなぁ“と思うのだが、目が慣れておらず新鮮に見えているだけかもしれないけれど。



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初の入院は検査のつもりだったが、事に向かうエレベーター内で付き添いの看護師に「検査ですか手術ですか?」「まぁ手術です。」経験者から痛くないことは聞いていた。痛くなければどうということはない。とはいうものの、台に固定されながら、映画『フランケンシュタイン』の雷鳴轟くシーンが浮かぶ。助手が最低のボンクラであった。手首からパイプ掃除のワイヤーが繰り出されるような気配。2度ほど胸苦しい感じがあった。帰りはストレッチャーに乗せられながら天井眺め『ベン・ケーシーのオープニングだ!』 一休の『狂雲集』を読んで、一皮剥けた顔で退院の予定は、そう簡単に剥けなかった。明日は燃えるゴミの日である。



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今夜はスーパームーンだそうだが、まるで興味がない。夜道を歩いていて今夜は皆既月食だったな、と思いながらも見上げないくらいである。なのに夜空を描く時は、隙間があると、つい満月を掲げたくなる。訳の判らない空間に地球が浮かんでいるなんて考えたくない。昔は死ぬことと宇宙の果てについて考えないようにしていたが、死については、無邪気に作りたい物を作っていると、もっと怖い〝作りそびれ“があるので、それを避けるために寿命のことを意識する年頃になって来たので普通に馴染みのテーマとなった。夜空は相変わらず見上げない。例外といえば室内から、窓越しに見る月は安心である。



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最近の怪獣映画がずっと気にいらなかったのは、近代兵器に対応させるためだろう、巨大になり過ぎ、宇宙怪獣ならともかく、地球上の成分で出来ている以上、あの大きさ、動きはありえないだろう。なので過去の話にするしかないと思っていたので、戦中の話にしたゴジラは納得であった。ところで。 最近の大谷翔平の打って走る姿を見ていると、巨大怪獣と同様のことを感じてしまう。特にこちらは地球上でも日本の成分で出来てる生物なので、その大きさスピードに、余計違和感がある。しかしこちらはノンフィクションなので、しょうがないから、ただ唖然として笑っているけれど。



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久しぶりにコロナ明けの母のいるホームへ。取り寄せたサバの塩辛を持って行く。まぁ元気ではあった。帰りに敷地内で転ぶ(私が)しばらくボンヤリ歩くのは止めよう。タクシーに乗ると水分補給用レモンフレーバーのペットボトルを2本もらう。いや一つで、と遠慮したのだが。 MさんTさん、舞台合間の今拓哉さん4人で飲み会。人と飲むのは久しぶりである。家では相変わらず生のままのスピリッツで短時間で済ませ、近所のテーブルに味の素が置いてある定食屋で、黙って1人で飲むという、本来の状態に戻っている。元々私はこうであり、今はなき木場の河本の数十年が特別であった。毎日好きなことしているので、気分転換などまったくしたくない。思えば幼い頃夢見た、王様に石の塔に幽閉され、算数宿題しないで良いから好きなことだけやっておれ、が実現している。数週間は神経痛で天井見て暮らしだけれど。 記憶に間違いがなければTさんに、ヤクルトのエースの母親が焼いたという卵焼きを頂いて帰る。甘く懐かしい味。

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昨日、整形外科で医師と触れたのは脚の状態を見るために脚を少し伸ばした。それは家でもやっていたことで、しかも2回軽くやっただけである。これは硬いと。坐骨神経痛に苦しんで約三週間。特に2週間は仰向けのまま。普段、私の都合など全く考慮せず、あれやれこれやれと、思いついては、いってくる、ヘソ下三寸にいるもう一人の私も、激痛の前には、すっかり鳴りをひそめていた。 大きな声ではいえないが、○患者が処方される痛み止めまで飲んで効果なく、高校の友人の医師に頼んだ薬は今日届いた、激痛で行けなかった月一度のクリニックに特別に受付てもらった。幸い思ったほど結果は悪くなく、痛みに耐えるのはカロリーを使うのか3キロ体重減。原因は寝不足か。 形成外科の先生がゴッドハンド、あるいは特別なスペックを持っていないとしたなら、後は災難避けの霊力を持つ、新作、半僧坊のご利益しか考えられない。この半僧坊は、神経痛の痛みにも効く?ただし、効くまで3週間、それまでの生活態度を反省させるために設けた期間らしい。


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坐骨神経痛というものらしい。昨晩はほとんど痛くて寝られなかった。数年前になった時も、朝起きたら痛みが走った。脚の中でビリビリと炎症が起きてるような痛みである。元々腰痛持ちではあったが、椅子に座ると楽だったが、今回は椅子に座ると一番痛く、先日タクシーに乗って後悔した。まあ様々なバチが当たったといわれても仕方がない。仕方ないので寝転がったまま、半僧坊を削ったり、調べ物をする。ある思い付きをしたが、神経痛のおかげだ、という気はさすがにしない。

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夜、江東区古石場文化センターへ。小津安二郎の地元で、映画に特化したセンターである。小津コーナーには、私の小津像も収蔵されている。『影武者』の家康役から黒澤映画常連俳優の油井昌由樹さんを担当者に紹介する。いずれ講演会など行われるだろう。15の時、油井さんのアウトドアショップ、スポーツトレインに、まだどこにも売っていなかったバンダナを買いに行った。「UFOの写真見せてやるよ。」キャンプ用品で捏造したものだったが。85年油井さん司会の深夜の美術番組『美の世界』(日本テレビ)に出ることになり、その話をしようと思ったら『影武者』オーディションに受かって司会が榎本了壱さんとマリアンに。音声が社員だったスゥインギンバッパーズの吾妻光良さんだった。83年の2回目の個展に2人で見えて、勝った負けた、とやっていた。DMのチャーリー・パーカーのサイズで賭けていたらしい。このパーカーは当時写真家長濱治さんの所へ。長い旅路の果てにどいう訳か権現様を作っている私である。 油井さんはあれだけ出演して一度も黒澤にNGを出されたことがないそうだが、陰影を排除する手法を用いる私に印象的だったのは『どですかでん』で短い撮影期間に、晴天表現のため、黒澤は地面に影を描いたそうである。

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