三遊亭圓朝座像制作開始。ここからは早い。人にいえないくらい早い。特に乾燥後に手がける靴がないのでさらに早い。じっと我慢の頭部制作から解放され、快感を長引かせようと余計なことをしようと思うが、できてしまう。 当時の証言だけでは良く判らない圓朝の猫背。鏑木清方が描き残してくれたおかげでニュアンスはおおよそ。すべてにおいてデフォルメしており、本物より本物らしい清方の表現力の素晴らしさ。これから怪談を語るぞ、という表情は、しばらくじっとしていなければならない当時の写真では表現できないであろう。 今年のGW中の個展について飯沢耕太郎さんが展評を書いていただいていたのを3ヶ月も経って気付くという実に申し訳ない私である。『日本の写真家には珍しい洗練された「コンストラクティッド・フォトグラフィ」として成立しているのではないかと思う。と書いていただいている。コンストラクティッドを検索してしまった。“だんだんエスカレート”はそういうタチなので、この調子で死ぬまで続く訳である。“洗練された”などといっていただく機会はないので、しばらくリンクを貼っておくことにする。
アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』
HP