個展会期中のトークショーは、どうやら私の出番は2回目のようで、つまり出るのは一回で良い、ということである。あと数年で最初の個展から40年経とうとしている。最近は毎日駄文を書いているから何か話すことはあるだろう。しかし昨日も書いたが、初期の作品について書き残していないので定かではない。人形とカメラを両手に街で撮り出したのは永井荷風が最初ではなかったか、と思うのだが。初期の人形が小さめだったから、重量的にも有利だった。鏡花を持って金沢に行った時は、胴体を二種持って行き、首をすげ替え撮影した。友人二人と夜行バスで行ったのだが、あそこは男二人で行くようなところではなかった。 当時は主にモノクロで撮影していたが、高感度フィルムに増感による粗粒子が良かった。カラーで撮影すると人形の着彩感がどうにもならなかった。今はその嘘くささが良いと感じるから味覚と同様、見え方も変わるものである。蛸に絡まれる葛飾北斎に至っては、モノクロで制作する意味がまったくない。 私はそう見えるよう自分でやっておきながら、騙すつもりでやっていないものだから、勘違いされると、なんで判ってもらえないのだ、と思ってしまうところがある。江戸川乱歩が気球にぶら下がっている写真でさえ、あれほど粘土感丸出しで、乱歩本人があんなことをする訳ないだろ、と思っても本人の実写だ、と思いこんでしまう人はいる。だったら、一度、できるだけリアルにやってみよう、と思ったのが、いきつけの店で撮らせてもらった古今亭志ん生である。結果、志ん生が火焔太鼓を担ぐわけがないが、志ん生の実写に思われてしまう。となると、私は志ん生を撮影した、ただの写真家になってしまう。やはり投げるのも打つのも私が全部やっている、といいたい。ついでにいえば、蛸を瀬戸内海から取り寄せたのも私だし、撮影直後に喰ってしまったのも私だ、なんてブログに書いている訳である。
石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち 7月25日~9月2日
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※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub
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