明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



初期の手持ちで人形を撮影していた時代の作品を久しぶりに眺めてみると案外面白いが、この時代のモノクロ作品が良い、といってくれる人はいるが、私からすると来日したミュージシャンが昔の曲ばかりリクエストされ、それより最新アルバムを聴いてくれ、という感じがある。目が慣れていないせいもあるだろうが、なんといっても最新作が一番でなければならない。と思ってやってきた。しかし20年も経つと、私に弟でもいて、そいつの作品を見ているような感じがして、今弟のやり方でやってみたらどうだろう。という気が湧いて来た。なにしろ被写体と背景に、現場の同じ光が当たっているので、当たり前に臨場感がある。 昔は鏡花を持って金沢に、寺山持って青森まで出かけたものだが、本日知人とメールのやり取りをしていて、某所に撮影に行ってみたいという気がして来た。この方法だと1回で、最低でも10カットはモノにできるだろう。鏡花の時のように、一つの頭部に、複数の身体を持って行き、事前にロケ地に見当さえつけておけば、個展1回分の撮影は可能ではないか。と獲らぬ狸のなんとやら、である。昔はじっとりと人形制作に時間をかけた分、撮影はとっとと撮り歩く(人形片手に結構恥ずかしいので、すぐに立ち去る)このリズムが良いバランスだったのだが、今は1カット制作にやたらと時間がかかり、リズムもへったくれもあったものではない

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

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石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

展評銀座青木画廊
『ピクトリアリズムⅢ』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub

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2016年の『深川の人形作家石塚公昭の世界』で展示できるだけの作品を並べた。すでに諸手を上げて作りたい、という作家はいなくなりつつあった。当時ブログでこれで中締めとしたいと書いていた覚えがある。7月25日からの個展は、合成などやっていなかった頃のモノクロ作品が中心である。両方ともいただいた話だが、たまたまいままでを振り返るような展示である。 昨年のいつだったか、次の何かが起こるとしたらそろそろだろう、などと書いていたら数ヶ月後に始めたのが陰影を取り去った手法であった。自分では行き当たりばったり常に無計画のつもりでいたが、18年に及ぶ身辺雑記、ブログを斜め読みしてみると、私なりの筋道がありそうである。人間も草や木と同じ自然物、腹の中にわき起こることに従っていれば間違いがない。 今日は書き始めは、三島由紀夫の男の死のシリーズのラストカットについて書くつもりでいたのに。ブログは間違いなく行き当たりばったりである。でなかったら、ほとんど何も起こらない毎日、やっていられない。いってみれば、惚けたように制作に没頭し、開いた口から流れ出た涎の如きものである。

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リコーの個展の出品内容が大分決まって来た。田村写真に保存されていたプラチナプリントも出品が決まる。全く忘れていたが、覚えている事がある。プラチナプリントというと、耐久性はあるし、立派な作家が手掛ける立派な印画法というイメージがある。まったく私の偏見であるが、立派中の立派、アンセル・アダムスなど大の苦手である。写真というとどうしても男性的な部分が突出するジャンルと思え、好きな作家には女性作家が多い。田村写真でプラチナプリントをお願いする機会があり、どうせプラチナならプラチナには普通しないような立派になり様がない物を、と企んだ点だけが記憶にある。そこでお願いしたのが江戸川乱歩の『人間椅子』。同じく乱歩の、巨大な尻に囲まれた盲目の殺人鬼『盲獣』。『怪人二十面相』などであった。プラチナの人間椅子。それだけで喜んでいた。 以前、近所で飲み会があり、鯨を食べよう、と房総からブロックで入手。そこへドジョウ汁を持って来た人がいた。地球上に何人人がいるのかは知らないが、今胃袋の中に鯨とドジョウが入っているのは、ここにいる我々だけであろう、なんてことが無性に嬉しいのである。

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陰影  


葛飾北斎の凄いところの一つに動体視力がある。波もそうだが二羽の鳥の絡み合うようにして飛ぶ躍動感。それに比べ西洋人の動体視力はかなり劣ったのか走る馬の脚の動きなど前足後ろ脚が揃っている絵など、むしろどうやって見たらあのように見えるのか。それも論争になった、というから相当なものである。マイブリッジがカメラを並べて連続写真を撮っている。 その北斎も西洋の遠近法、陰影法を研究し、晩年取り入れていったが、北斎自身がいうように、もう少し時間があったら、というところであろう。 陰影と遠近感覚はセットになっており、陰影のある画面に日本的遠近法を取り入れようとして、グループ展の出品作を二度差し替えるという醜態を演じ討ち死にしたのは昨年であった。無理はある程度予想はしていたが、行灯の灯りによってゲンセンカンの女に陰影を与える誘惑に勝てなかった。結局青木画廊の個展には陰影のみのゲンセンカンの女、とした。では陰影がなければ、日本的遠近法は可能か、というと、見る側が写真と思って見るからよほど歪ませないと効果が出ないことも判っている。虎を見たことがなかった日本人の虎の味を出すため猫を使ったが、写真という西洋由来の物に、かつての日本の常識を。 話はそう簡単ではない。

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7月25日からの個展会場であるリコービル(旧三愛ビル)はある程度の年齢の女性はあそこで水着を買ったとみんないう。私の子供の頃は三菱マークのイメージで、なんといってもプロレスである。幼い頃の記憶で不確かなのだが、少年レスラーが活躍する『チャンピオン太』という漫画が原作のドラマがあった。悪役レスラーが普通の生活者であることなど思いもしなかった頃である。そのドラマでたまたまなのか毎回だかは判らないが、最後に力道山が太と並んで、太に対してだか、お茶の間のちびっこに対してだったか、なにやら説教臭いことをいった記憶がある。記憶の中では背後に三菱のマークが映っていた気がするのだが。あれが三愛ビルのマークだとしたら、どこで撮影したのか良く判らない。昔過ぎで曖昧な記憶であるが、最初にこの話をいただいた時に浮んだのは力道山であった。 何度か書いたことがあるが、私の場合、励もうとしたことが身に付かず、知らないうちに記憶された事ばかりが役に立つ。私の父は大のプロレス好きであり、亡くなる前、スポーツ新聞を手に見舞いに行った。プロレスの話題が尽きると話す事はもうない。そんな訳で、物心着く頃には私もプロレス好きになっていた。私は人体デッサンなど勉強したことはないが、幼い頃からのお茶の間プロレス観戦のおかげで、あらゆる人種の様々な体型の、非日常的ポーズが頭に入っている。これが基礎となっているのは間違いがない。

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身辺雑記を始めたのはHPを立ち上げた2000年であるから、それ以前のことは記憶に頼るほかないのだが、これがもう見事に忘れている。1996年『SPACE YUI』の最後のジャズシリーズで始めて写真も展示した。写真があれば、今までのように人形が多くなくても個展が可能だと判り、翌年、6体の人形と写真で初の作家シリーズの個展をやったが、この2年間の制作量は、物理的に考えて不思議である。まして日本人を作るのが始めてだったので澁澤龍彦など、何度脚を切断しただろうか。しかしそもそも自分の中に収蔵されている記憶を頼りに作って来たので、黒人などより日本人の記憶の方が比べ物にならない程在る訳で、日本人のプロポーションに、すぐ順応することはできた。今では誰でもやっているスマホ片手にフィギュアや縫いぐるみを街中で撮影を、フィルムカメラで始めてやったのはおそらく永井荷風であろう。20年前はまだ遊郭跡が残っていた近所の洲崎などで撮り歩いた。金沢で泉鏡花も撮影したが、この時は友人と2人で行った。鏡花は和服なので、片脚を鷲掴みして、国定忠次の刀のように捧げ持つことは出来なかった。3脚を支えに友人に持ってもらった。おかげで私の腕以上に人形との距離が取れたので、金沢の背景を広く入れられた。七月二十五日からのリコービルでの個展は、この21年前の作品が多く展示される予定である。私がモノクロームを止めた理由である製造中止になった印画紙コダックエクタルアの色調が再現されていそうなのがなによりである。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

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作家シリーズは中学高校、せいぜい20代前半の読書体験が元になっている。もともとは読み返さずともイメージが蓄積されている作家で始めた。なので次誰を作ろうか?などと考えるくらいなら、たいした対象ではないということになる。もともと急に思い付いて、やらずにいられなくなり、というのがパターンである。頭を使わなければ使わない程良い物はできる。頭はせいぜい、こんな物を作ってはいけない、と悩むぐらいにしか使えないし、たいていそれすらの役にも立たない。こんな物を作ってはいけない、と悩んだ蛸に絡まれている葛飾北斎も、そう悩んでいると思い込んでいただけで、実は作る理由を捜して悩んだ、というのが正しいだろう。 最近風景写真家の剽窃が問題になっているらしいが、同じ所にいって撮影すれば似たような作品になるのは当然だろう。写真とはそういう物である。自分の私有地、作った場所でもないのに権利を主張するのは私には理解ができない。私が陶芸家を目指していた頃、カメラマン志望の友人に「お前があの娘を可愛く育てた訳でも風景を雄大にした訳でもないだろう」とケンカをしたものである。そのバチがあたって被写体を自ら作るハメになっている。理由は何度も書いているので改めて書かないが、女性は実物を撮影することに決めており、何処の誰だ?という素人ばかり起用するのも誰も作品として誰も撮っていないから、という理由も大きい。中学時代、江戸川乱歩と同時期に熱中したのが谷崎潤一郎であったが、最初にヌードの周辺に配した作品を制作して以来、ほとんど手つかずなのは女性モデルの不在である。『潮騒』の初江なら、素朴で健康的で可愛いければ良いが、谷崎作品となるとそうもいかない。『鍵』の夫人役に良さそうな女性を知った。例によって一般人なので、性急に事を進める訳にはいかない。

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展評銀座青木画廊『ピクトリアリズムⅢ』

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

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最近眠気が取れず調子が変である。疲れが出ているのかもしれないが、12時前に寝るなんてありえないことだったのだが。トイレに立って目が覚めモニターの前に、ところがまた眠くなって、というのを朝までに3回繰り返したりする。今まで二度寝ができないタイプだったはずがどうしたことか。 明るくなった頃に夢を観た。このぐらいの時刻になると、夢の中の私の考えることは普段の私と。あまり変わらないリアルなものである。閻魔様だか誰かに、お前の写真の代表作4点を答えろ、と問われた。一作はジャズ、ブルースシリーズから、と考え、私ならでは作品を、とモノクロームの悪魔を十字路で待つロバート・ジョンソンか、カラーのブラインド・レモン・ジェファーソンのどちらかだな。2点目は作家シリーズから気球にぶら下がった江戸川乱歩『帝都上空』。3点目はというと、近作から、特に女性に気持ち悪いと賛同をまったく得られない『蛸と画狂老人葛飾北斎』を選んだ。普段食ってるくせに気持ち悪いもないもんだ、と思うのだが。 ところが4点目がなかなか出てこない。夢の中では小一時間悩み続け、閻魔様だかが、イライラしているのが判る。どうしよう、と思ったが笑顔で目が覚めた。4点目ができない限り、死なないシステムなんだ、ということに気が付き、こいつは良いことが判った、そうはいくか、代表作などまだまだ先のことだぜ、と笑った気がする。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

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先日、キーボードが突然暴走を始めブログに間が空いた。その間に88か9になる母のいるホームに行ってきた。電話では毎日のように話しているが、久しぶりに娑婆に連れ出し、妹が日本に帰るたび行っていた寿司屋に行く。母と同居した頃は何かと出かけては遅くまで帰ってこない、その他、迷惑をかけられたが、すっかり落ち着き、息子の目から見て、ボケてる要素は見られない。思い込み、勘違いは数々あるが、それはそう思っているならそれでいい、とこちらがあえて訂正しないせいでもある。ホームに入る前の3ヶ月の入院で、コルセットで身動きできずにいたが、それでもボケずに耐え切った。私にも一度やった「どちら様ですか?」という得意のボケたフリでずいぶん驚かせていたらしい。 ホームに入った当初こそ色々いっていたが、他の年寄りを世話したり、揉めているのを間に入ったり、と母に言わせると職員に感謝されているという。それがどうも日々充実感を感じている理由のようである。ずっとここに居たいいう。母は本来人のことばかり気にかけている世話焼きであり、妹がホームステイで海外で世話になったこともあり、本当は、留学生の面倒を見るようなことをしたかった、と聞いたことがある。もっとも職員も、母がおだてれば木に上るタイプだと心得ているようで、そのたびに野菜ジュースをくれる、と数リットル溜め込んだのを私によこす。「いらないなら断ればいいじゃないか」「だってタダなんだから」。「一日ひとつ飲みなさい。いつまでたっても親だねぇ」。なんて自分でいっている。かつて、二人で回転寿司にいったとき、私と互角に食べるので、私にもう一皿食べろ、でないと同じ数食べたとブログでいいふらすだろ、といっていた母もすっかり小食になった。それでも、一時は痩せていたが、すっかり元に戻った、リハビリはイケメンの療法士のせいでがんばっているようだが、シルバーカーはハンドルにヒジを付いてそろそろ歩く状態であった。

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石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

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飯沢耕太郎さんに2015年のハスノハナ『ピクトリアリズムⅡ』2016深川江戸資料館『深川の人形作家 石塚公昭の世界』についで青木画廊の『ピクトリアリズムⅢ』について展評を書いていただいた。 写真が発明され、しばらくして写真の記録性からより表現性に、という時代になり、盛んになったのが絵画的なピクトリアリズムである。それも時代が進みリアリズムの時代になり、絵画を模倣した古臭い表現とみなされ廃れていった。近年はデジタルの反作用で古典技法を手がける作家が増えてきた。しかしかつて絵の具を使ったり、ソフトフォーカスを使ったり、印象派的ということで絵画主義と称されたが、その後絵画は多様な表現がなされるようになったし、今では絵画的ということ自体に無理がある。現在手がけている作家も、おそらく自分達がピクトリアリストだ、と自覚して制作して人は皆無に違いない。 私はオイルプリントを紹介するためにHPを立ち上げた。十年くらいはトップページに“ピクトリアリスト”と謳っていたが、オイルプリントに反応も質問も一切ないので、どうせ意味は通じないだろう、と削除した。しかし、最近制作している陰影のない作品は、何しろ作っている本人が絵にしか見えない場合があるから、ピクトリアリストの資格は十分であろう。ピクトリアリストがいなくなった今こそ名乗るのも良いかもしれない。ややこしいのは、かつてのピクトリアリズムと違って日本画調であることである。なにしろこれを始めた遠因というのが、いい加減、西洋的なるものにウンザリしていたことにある。 昨今、浮世絵の西洋絵画に与えた影響について様々言われるようになったが、浮世絵見て「陰影なんか描かなきゃ良かったんだ!」という昨年の私のような西洋画家は少なからずいたはずである。お天道様1灯の西洋と違って我が国には便所にまで神様がいる。

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石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち 7月25日~9月2日

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

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先日、三島由起夫は初の 書き下ろし小説『仮面の告白』ですでに全部書いてしまっている。と書いた。三島の死後、同性愛やその死についてあの作品をまったくの創作だと思いこんでいるかのように論じている人達が、不思議でしょうがなかった。三島の事件の決行日11月25日については様々論ぜられ、陰暦で換算すると吉田松陰が刑死した10月27日にあたる、という説もある。 大蔵省を9ヶ月で止めて、編集者に宛てた手紙に、初の私小説で、ボードレールのいわゆる死刑囚にして死刑執行人たらんとするものです。11月25日を起筆と予定し、題は『仮面の告白』というのです。と書いていたのに今さら気がついた。新たに作家として生まれ変わりを期した『仮面の告白』の起筆日を死ぬ日に決めていた、とすると、吉田松陰云々という少々回りくどい話に比べるとすっきり解りやすく三島らしくもあるのではないか。 三島が変名で会員制同性愛雑誌に書いた『愛の処刑』(昭和35年)は三島とおぼしき毛深い体育教師が生徒である少年に見守られながら切腹して死ぬ、という、この時点でこうやって死にたい、と書いてしまっている、と驚いたが、これを読んで盾の会会員はショックではないのだろうか、と鈴木邦男さんにお聞きしたことがある。すると「連中は本なんか読みませんから」。と笑っておられた。確かに三島は文学青年なんか嫌いだったけれども。

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北斎  


昨年4月から始めた陰影を無くした写真作品は、とりあえず成果はあった。今後もこのシリーズは続けて行きたい。ただせっかく自分で立体作品として陰影を作ったのをあえて消す行為なので、その陰影をさらに強調した作品を作って気分的バランスをとって行きたい。となると、新作にも関わらす、まだ陰影のない作品しか制作していない葛飾北斎の、以前から考えていた画室での北斎を制作してみたい。厄介な頭部はすでにある。 北斎と娘のお栄の画室での様子は弟子の一人、露木孔彰が「北斎お栄居宅図」を描き残しており、北斎美術館でもそれを元に再現した実物大の像がある。しかし身長180センチの感じは出ていないし、うつむいていて顔が見えない。 北斎という人は自分をキヤラクター化し、時に自虐的に演出するユーモアの持ち主である。掛け布団を身体に巻き付けるようにくるまり、傍らに陶製の尿瓶を配した戯画も描いている。こんな物を見せられると、私を挑発しているとしか思えないのである。晩年は北斎、お栄ともに西洋の陰影法を研究していた。そんな所をリアルに描いてみたい。 この世界的な巨匠、海外で北斎像を作るようなおっちょこちょいは出て来ないとは思うが、世界は広い。北斎自身をテーマに描くアーテイストも出て来ないとも限らない。生まれも近い出身であるし、日本人を作って幾年月、後塵を拝する訳にはいかない。もうここまで来ると何作ろうと、アンドレ・ザ・ジャイアントを前に、「やっていいんですか?」と周囲に訪ねた前田日明のように、遠慮することは何一つない。もっとも先日、頭山満や杉山茂丸なんて、依頼されたという“体”でなければ作りませんよ、と某氏に話したばかりであるが。

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トークショーは7月と8月の2回に決まった。7月の方はお二人にやっていただけるようだが、私もそんな日に顔を出さない訳にはいかないだろうし、状況によっては多少は参加しないとならないだろう。しかし、先日書いた針のムシロ的な、ネットで配信までされた過酷なトークショーを体験しているし、リコービルは円筒形なので、人がすべて目の前というわけでもないだろう。 人前といえば、高1の時に何校か集まり、江戸川公会堂でコンサートがあり、中学時代の仲間と出場することになった。当時のことだから、CSN&Yやフリー等のコピーバンドが多かったが、我々のバンドは私の提案のせいで、上達が妨げられてしまっていた。というのは当初はビートルズなどを齧っていたところに私が、オリジナルをやろう、オリジナルならビートルズより上手い。この辺の発想は今と全く変わらないが、加えて子供であったから始末が悪い。コピーをしてこそ上達がある。しかも中に惚れた腫れたのという軟派な曲ばかり作る奴がいて、こんなの恥ずかしくて歌えるか、と自分で作った曲は自分で歌う、という決まりが出来てしまった。とここまで書いて、この流れだと私がどんな曲を作り歌ったか触れない訳にいかなそうなので、人前の話に戻すと。今日はきっと緊張するだろう。台所にあった瓶からコップ1杯注いで、目をつぶって飲み干し出かけた。しかしどういう訳だかなんの変化も起きず。結局は照明で客席がまったく見えないので、どうということはなかったが、反動でリラックスし過ぎ、後で録音を聴いたら、ヘタクソな我々がチューニングの時間だけは一番長かった。

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フェイスブックを見ていたら、ご近所ネタの投稿で、川のウナギの写真を見た。『ホントだった?』 何年か前の話であるが、カラオケ帰りの明け方、近所の川で極太のウナギを川鵜が丸呑みしているのを見た、という話を聞いた。何しろ私の知っている範囲で、たちの悪い酔っ払いワースト2と3のコンビだったからはなから信じられない。そもそも一人は、その親父を含めて家族自体が大蛇を見たとか、河童を見たとかいう有様であったから、二人が飲みながら気炎を上げれば上げるほど眉唾臭くなる。 もともとは近所の小名木川の名はウナギから来ていると聞いたことがあるし、昔は獲れたことは知っていたが。私が30年前に深川方面に越して来た時、ルアー釣を始めた頃で、夜中に40センチくらいのフッコ(小型のスズキ)を釣って、歩いていた酔っ払いに記念に撮って貰った写真がどこかにあるはずだが、キャッチアンドリリースなど性に合わず、食べようとしたが東京湾ならまだしも、川に入り込んだ魚は臭くて食べられたものではなかった。食えない魚は釣る気にはなれない。それでもハゼを釣る人はいたものだが、産卵場所不足とかで最近は釣れないらしく、めっきり減った。昭和30年代の隅田川の匂いがまだ鼻の奥に残っている私からするとはるかにマシではあるのだが。 一人の酔っ払いは、それなら釣ってやる、といきまいていたが、釣れたという話は聞いていない。しかし写真を見てしまうと、連中の話は本当だったのかもしれない。一人はすでに郷里に帰ってしまっているし、本当だとしても、普段の不行跡で信用されないあんたらが悪い、ということにしておく。
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個展会期中のトークショーは、どうやら私の出番は2回目のようで、つまり出るのは一回で良い、ということである。あと数年で最初の個展から40年経とうとしている。最近は毎日駄文を書いているから何か話すことはあるだろう。しかし昨日も書いたが、初期の作品について書き残していないので定かではない。人形とカメラを両手に街で撮り出したのは永井荷風が最初ではなかったか、と思うのだが。初期の人形が小さめだったから、重量的にも有利だった。鏡花を持って金沢に行った時は、胴体を二種持って行き、首をすげ替え撮影した。友人二人と夜行バスで行ったのだが、あそこは男二人で行くようなところではなかった。 当時は主にモノクロで撮影していたが、高感度フィルムに増感による粗粒子が良かった。カラーで撮影すると人形の着彩感がどうにもならなかった。今はその嘘くささが良いと感じるから味覚と同様、見え方も変わるものである。蛸に絡まれる葛飾北斎に至っては、モノクロで制作する意味がまったくない。 私はそう見えるよう自分でやっておきながら、騙すつもりでやっていないものだから、勘違いされると、なんで判ってもらえないのだ、と思ってしまうところがある。江戸川乱歩が気球にぶら下がっている写真でさえ、あれほど粘土感丸出しで、乱歩本人があんなことをする訳ないだろ、と思っても本人の実写だ、と思いこんでしまう人はいる。だったら、一度、できるだけリアルにやってみよう、と思ったのが、いきつけの店で撮らせてもらった古今亭志ん生である。結果、志ん生が火焔太鼓を担ぐわけがないが、志ん生の実写に思われてしまう。となると、私は志ん生を撮影した、ただの写真家になってしまう。やはり投げるのも打つのも私が全部やっている、といいたい。ついでにいえば、蛸を瀬戸内海から取り寄せたのも私だし、撮影直後に喰ってしまったのも私だ、なんてブログに書いている訳である。

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