明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



サンフランシスコの学校が休みの時期、毎年妹が子供二人を連れて日本の学校に通わせている。子供等も忙しいことと同情するが、空手を習ったり、クラブ活動も楽しそうである。いつでも会えると思っているうち、今日は帰る日である。 私は制作が難航していると、どちらかというと問題が打開されるまで閉じこもるタイプである。気分転換を進められるが、筋肉をマッサージして、緩んでしまうことを恐れ、ジッと勝機が訪れるのを待つ。とはいえ、甥っ子達は小遣いを期待してるだろうし、一度も顔を見ないで帰すのもと支度を始めるが、こんな時に限って集中力が高まり、難航した人形の頭部があれよあれよと完成してしまう。 私が昔買ったアルトサックスを愛用する長男のため、錦糸町のタワーレコードにて渡辺貞夫のベスト盤を買う。連中を送ったあと、母と食事をして帰宅。完成したのは気のせいではなかった。頭部さえ完成すれば出来たも同然。一般にお馴染みの角度で写すか、誰も見たことのない角度で写すか、まあどうでもよい。明日できること今日はせずである。

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輪行  


私が一度やってみたかったことに、自転車をバッグに入れ、電車やバスに乗って出かける輪行がある。着いた田舎の駅から自転車に乗るというのは、いかにも楽しそうである。やみくもに、ただまっすぐ走ってみたくもあるが、調子にのると帰りが大変である。だいたい私のような方向音痴はうかつなことはできない。しかし輪行ができれば、めげた時点で電車で帰ってくればよいのである。 昨日、ネットで海外の折りたたみ自転車の映像を繰り返し見て感心したばかりだが、近所のサイクルショップを覗いてみると、様々な機構の折りたたみ自転車があり、色とりどりである。もっとも、私の場合、カッコが良いからと撰ぶわけにはいかない。まずショップの主人に確認しなければならないのは、各機種の耐荷重であろう。ジョイント部分が心配である。 熱帯魚仲間のHが、飼い切れなくなったフラワーホーンのオスを持ってきた。夕食を一緒にとりながら、自転車雑誌を広げる。今から20数年前、Hを含む友人等とサイクリングクラブを作り、何度目かに高地にでかけ全員討ち死。坂道に点々と倒れる数台の自転車と私達。そしてクラブは自然消滅という恥ずべき過去がある。最新の自転車事情にHの目が輝く。他の連中にも、折りたたみ自転車の映像のアドレスを送りつけてやることにする。 帰宅すると往年の名レスラー、カール・ゴッチの訃報が届く。

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現在作っている人物にとりかかって数日になるが、ある程度まで行くと遠くなる。その理由が判らず難航したのだが、その理由の一つに気が付いた。その人物のある部分にホンノちょっとの“盛り上がり”を発見したのである。どうも、それが案外、その人物の表情に貢献しているようなのである。昔の写真ということと、全方向の肖像が残っているわけではないので見逃していたのだが、私にとって、たいした発見である。 その人物の肖像の需要はいまだにあるだろうが、その多くは、残された写真をそのまま使うか、それを詳細に写す、もしくはデフォルメしてイラスト化するのがせいぜいであるから、その盛り上がりの重要性など遺族も含めて誰も解ってくれそうになく、私一人が“盛り上がる”というわけである。 子供の頃、一人でいる時に考えたり思いついたことは、いったい何処にいってしまうんだろうと思ったものだが、こんな私にとってはスリリングなできごとも、他人にとってどうでもよく、ただ過ぎ去っていき、消えていくできごとなので、私の雑記にはふさわしい話である。

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一日  


中央公論adagio編集長より3号の刷り見本を受取る。合成で加えるか、最後まで悩んだ部分が意外と効いていて良かった。4号で扱う人物のポーズを珍しく決めかねていたのだが、編集長との会話でヒントをもらう。写真館で撮ったような硬い表情の写真しか残っていないので、普通にリラックスしたポーズさせるだけで面白いのかもしれない。もちろんカラー写真も残っていないし。 ひさしぶりに煮込みのK本に寄ると猫が2週間で7匹死んだという。どう考えても毒を盛られたとしか考えられない。ひどいことをする奴がいるものだが、どの猫が死んだかは聞く気になれなかった。 帰ろうとするたび常連が現れ、予定より多く飲んでしまう。食用油とそうめんをいただいて帰る。

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朝青龍が仮病で巡業を休んで非難を浴びている。相撲はスポーツと違うというところを教えていない師匠の高砂の躾がなってない。負けると礼を忘れたり、ガッツポーズもいけない。ついで、妙に弾む土俵入りも気に食わないが、横綱が闘志“むき出し”でガツガツしているのは見苦しく、ますます白鵬が立派に見えてしまう。外人力士の道を開いた、張り手の前田山の高砂が、ケガで休場中に、来日中のサンフランシスコシールズの試合を観にいったのがバレて引退させられているから、もともと躾には問題がある部屋なのであろう。 昨日は予定より飲みすぎ、早々に寝てしまった。夜中に目が覚め、枕元の人形の頭部に手を加えたのが覚えているが、再び寝てしまった。朝起きるとここ数日、難航していた部分が解決していた。たまに私の知らないところで小人が活躍してくれるようである。この人物は笑顔の写真が1カットしか残されていないのが判っている。いっそのこと笑わせてみるかと思ったりして。

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中央公論adagioのブログを見たらすでに予告が出ていたが、来月25日発行の第3号は『チャップリンと日本橋を歩く』である。それだけ聞くと突飛拍子もないテーマのようだが、それは本誌を読んでもらうとして。 表紙画像を制作中、ながびく梅雨空には閉口したが、撮影現場の情況に合わせて人形を作るため、行ったり来たりしながらイメージを擦り合わせて行くという方法をとった。初めての方法であったが、それが功を奏し、当初考えていたよりキマッタようである。 その次の号も私が担当することになるが、それなら一つ、背景に着物姿の美女を、と編集長にお願いしてみると、間髪入れず了承をいただく。このフリーペーパーの前途明るきこと確信した私であった。

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某作家を制作中だが昔の作家なので、アマチュアが気軽に写真を撮るような時代ではなく、ほとんど職業写真師の撮影で、その肖像は正面から、やや斜めといった調子である。今のところ横顔の写真は見つかっていない。あるとしたら、誰かの葬式や文士の集まりを写した、今でいうスナップ写真だろうが、見た事がないので想像するしかない。しかし大体の様子は判るもので、正面や斜めの写真から作り進めていくと、おそらくこうであったろうと思われる、横顔や後姿が自動的に出来上がっていく。もちろんそれは現代人が見たことがないイメージなわけだが、これは立体だからこその“役得”であり、完成したら、この角度から撮ってやろうと考えることは、実に楽しい。 この人物は某所に銅像が立っているようである。それが作家の存命中に、本人を目の前に作られたものなら参考にしたいが、そうでなかったら私と条件は一緒である。そんなものは相手にしない。

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早朝  


銭湯へ一人で行っても面白くないので(私は子供か?)朝まで我慢してシャワーを浴びる。すこぶる調子がよい。当たり前だと思っていたお湯の出が、今までと違って勢いがあり、心なしか柔らかく感じる。 年齢と共に、目が覚めるのが早くなった。下手をすると2、3時間しか寝ていなかったりするが、その分、生きている時間が長くなると解釈することにしている。そんな時、最近出かけるのがT屋である。夜は飲み屋で、朝は6時から10時まで、奥さんが朝食を出している。私は毎回おごって、もっとも高い焼き魚定食400円。焼魚は決まって塩鮭だが、なにが良いといって、人の家にいって朝食を食べてるような味であり、つまり家族が食べてるお櫃からお裾分けしてもらっている感じで、ご飯から何まで、チェーン店で食べる定食とはあきらかに違うところである。仕事の終わったタクシーの運転手がたむろしていることが多いが、今日はカウンターの隣りに、タオルを頭に巻いた近所の新聞販売所で働く青年が一人。ワイドショーの小柳ルミ子の再婚報道に、「これじゃ、俺が母チャンと結婚するみたいなもんでしょ」店の奥さんに盛んにいっていた。

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朝っぱらから古くなった給湯器の取替え工事。管理会社から都合はいつが良いかと訊かれていたのだが、面倒なので放っておいたのでしかたがない。以前水漏れの疑いがあり、調べた時に、何年か前に新しいのに取り替えたはずだと思ったら、すでに十五年経っていると云われ、私の方向音痴は全方向的だなと、呆れたから、いい加減古い。円筒形で大きな冷蔵庫くらいの物だが、格納されているドアのまえに段ボールなど積んであり、昨晩のうちに片付けようと思いながら、案の定、読書に精を出してしまった。読まなければならない本があるとき、私は部屋の片づけを決心すれば良い。 そんなわけで目覚ましをセットし、早朝から汗だくになり片付ける。設置は昼休みをはさみ、思ったよりかかった。「お湯が出るのは、明日の朝からになりますー」そういえば深夜電力を使って沸かす給湯器なのであった。

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幼馴染のTと合う。バックから大事そうに取り出す某企業のキャラクターグッズ。値段を聞いてビックリ。そんな物に大金を払うなら、Tの家を倉庫代わりにしてやるから私の作品を買いたまえと言うと、「作ってっところ見てるからなァ」それはどういう意味だ!私は作品に段ボールなど雑ぜていないのである。 マニアからすると、企業物だから良いのだという。確かに金型制作など金が掛っているからという話もあるが、説得力がない。元手が掛ってることと、集めたくなることに、なんの関係も無いと思うのである。企業に勤める男が愛社精神に駆られ、もしくは、その企業のファンだという人が集めるのは、まだ判る。Tのように、企業とはなんのゆかりも無く、向こうからも相手にされず、どちらかというと真逆な生き方をしている男が、“キギョウモノ”などとヌカスところが腹が立つ。貴様ァ、この口が言うか?ほっぺたをひねり上げたい衝動に駆られる私であった。

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一日  


段ボール肉まんはやらせだったそうである。さすが中国4千年と感心したのに。知人の食いしん坊の女性は、意外と美味しいのでは?などと言っていて呆れた。 ユング派心理学研究の第一人者で、京都大名誉教授の河合隼雄が亡くなった。天才ダンサー、ニジンスキーの奥さんロモラの、レズビアンの相手が宝塚の団員で、そのため、ロモラの日本語の家庭教師をしたのが若き河合隼雄だったというのは、何度書いても可笑しかったのだが。 夜新宿御苑近くで、『中央公論adagio』の打ち合わせ。来月3号用のプリントを届ける。好評なり。 私の頭に浮かぶ程度の画像は、ほぼ思い通りになる。そして放っておくと『Objectglass12』の我が偏愛する作家達のような人選になっていくわけだが、好きなものだけ作っていると、考えもしなかった人物をイメージして制作するというスリルには当然ながら欠ける。それを味わうには、他人に依頼されるしかない。私はいずれ、大嫌いな作家を依頼されるのではないかと、心待ちにしている。大嫌いな作家など、依頼されない限り作るチャンスはない。日ごろ好きな物ばかり作っている私には、大嫌いな物を制作した時の達成感がどんなものかは、未知の領域である。などといい歳をして言ってるのは、いささか問題ではある。

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結局、あれ以来晴れないまま。落語を見ている場合ではなかった。合成作業に入る。肝心な素材は出来ているので、ああだこうだと楽しい。無事収まるが、画面に色が無いので、ワンポイントに、近所に咲く路傍の一輪をデジカメにて写す。撮る前に台風で散らないかと心配していた。私がイメージする、もっともありきたりな花である。田村写真に行き、マックにて色調整のあと、ピクトロにて出力してもらう。ケーブルをガムテープで引っ張っている限り、うちのモニターも使えそうである。 帰りにひさしぶりにK本に寄る。常連のほとんどは帰っていたが、Hさんがいて、できたてのプリントを披露。私がありきたりと思った花はデイジーだそうである。「そこのパーマ屋の先に咲いてたヤツですよ」

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目が覚めると台風一過の晴天である。意気込んで撮影を始めるが、今日も大銀座落語祭に行こうと、Tさんと11時半に博品館で待ち合わせしていた。今日からは天気が良いだろうと思ったが、数日足踏みしていたうっぷんもあるし、天候だけは当てにならない。第一部 桂三木助追善公演第二部 柳昇は生きている! 面白いに決まっているが断念。 新潟でまた地震。撮影を再開し、しばらくすると一転にわかにかき曇る。間が悪い私にしては珍しく正解であった。フィルムを現像に出し、落語を観終わったTさんと銀座で待ち合わせ、頼んでいた資料を受け取り、今日の落語の話など聞きながら飲む。当然面白かったようである。 帰宅後、ネガをチェック。落語に行けなくて残念だった分、イメージ通りのネガに。擦り傷からリンパ液がジンワリ滲んでくるような満足感に満たされる私であった。

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第一部〈怪談〉人間国宝一龍斎貞水の世界「宗悦殺し」 TVでは毛があったころから見ている。連日の寝不足がたたり、会場が暗くなると眠くなってしまい、宗悦が殺されたと思ったら、すぐ化けて出てきた。例によって下から赤や青の光をあてての演出であったが、点滅まであり、それがしっぱなしなのは故障だったのだろうか。一度は生で観たかった。 第2部〈怪談〉牡丹燈籠親子リレー 入船亭扇辰「茄子娘」入船亭扇遊「お露新三郎」入船亭扇橋「お札はがし」扇橋のぼそぼそだらだらのボヤキ話しに笑う。 椅子のすわり心地が最低であった。 雨の中月島まで行き、ひさしぶりにもんじゃでもと思ったが、どこも人だらけ。以前地元の人に、某宗教団体のもんじゃ屋が大挙して攻めてきたと聞いたが。誰がこんなところでと居酒屋へ。私の子供の頃は、もんじゃは大人が食べる物ではなかった。 落語好きのTさんと相撲の話をしながら差し出争いをして疲労す。帰りの大江戸線にて、『中央公論adagio』を読む人を初めて見る。

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昨日モニターを換えたが、なんと依然として夕焼けのまま。モニターのせいではなかったようである。どうやらパソコン本体の、接続部分の具合のようだが、モニターのケーブルを横に引っ張ると色が変わる。パソコンに向うあいだ、膝で引っ張り続ける訳にも行かないのでガムテープでパソコンに止めた。これでは映りが悪いTVをひっぱたいていた時代と変わらないではないか。そもそもアナログ機械にしたって、中で何が起こっているか理解していなかった私にとっては、アナログもデジタルもないのだが。それでも、画面が波は打たなくなったので、モニターを換えて良かったという事にする。 人形が完成したが、台風のせいで撮影にかかれず。

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