明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



なぜ何かを作るかというと、頭にイメージが浮かぶからで、養老孟司は“人間は頭に浮かぶ物を作るように出来ている”という。何故浮かぶか、については判らない。食べたい物が自然に浮かぶ感じに近い。小学校入学と同時に図書室の人物伝をかたっぱしから読み耽り、また力道山の頃からプロレスを、64年の東京オリンピックに釘付けになったのも人の姿形に魅せられたていたからであろう。そういえば始めて女性の脇毛を見たのはソ連の投擲選手タマラ・プレスであった。つまり物心ついた頃には人間が最も興味のあるものとなっていた。 何故私は私なのか。来年個展40周年を迎えるにあたり、いくらか核心に近付きつつある気がしている。これは実在した作家を作っていたら、そうは感じなかったろう。現在手掛けているモチーフは、本日も朝、寝惚けながら、なんということをやっている、とめげながら目が覚めたが、覚めてみれば、生き物である私が作りたくなったものだ、良いも悪いもあるか、となっていた。横尾忠則さんいうところの成り行きとしかいいようがない。

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鉄拐仙人は、かなり古く登場した仙人である。老師に会いに行くに際し、口から分身である魂を吐き出し向かう。弟子に、七日経って帰らなければ抜け殻である身体を焼くように言い置いて行く、しかし弟子の母親が危篤になり、六日目に焼いて母親のもとに帰ってしまう。しかたなく鉄拐は傍らの脚の悪い乞食の死体に乗り移り蘇る。今日調べていたら、その後、結局脚の悪い乞食として、その後の渡世を生きたらしい。術など使い、横着するからだ、という話である。今のところ鉄拐仙人を最初に完成させたいと考えている。脚が悪いので鉄の杖をついているから鉄拐という。なのに木の杖をつくいい加減な鉄拐仙人像も多い。 いい加減ではない、といえば蝦蟇仙人に本物のガマガエルを使う件だが、幼なじみに金魚のことをメールするついでに、撮影中、蛙を押さえていてくれ、と頼んでみたが、ゴム手袋使っても良いから、といっても断られた。お互い、カエル、ザリガニ、虫達から見れば,アウシユビッツの極悪コンビに見えたことであろう。通称首切りバッタというのがいて,女の子の服の背中に噛みつかせ、引っ張ると、首だけが背中に。バカなバッタといったのは私だが、一匹じゃつまらない、といったのはお前だったはずだ。

 



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江戸時代の絵草紙に、虎に乗った仙人を見つけた。豊干禅師と紛らわしい。その仙人は東照宮の陽明門にもいる。夫婦の虎に二匹の子虎がいたが、母親は殺され、不憫に思った鄭思遠(ていしえん)は二匹の子虎を飼うことにし、それを見た父虎は鄭思遠のもとに現れ以来、鄭思遠を乗せ、子虎は仙薬や衣服を運んだ。鄭思遠に拾われた二匹の子虎が寒山と拾得に見えなくもなく紛らわしい。 食料がほぼ尽きたので砂町銀座へ買い出し。帰宅すると粘土が届いていた。食料があり、粘土もある。他に何がいるというのか。これさえあれば問題はない。明日からもう一段ギアを入れ、明日中に次のターゲットも決めたい。 我が家の水槽は寒山拾得の出演メンバーを模した連中を集めるつもりが予定を外れ、カオス状態。まさか仙人だらけになるとは思わず。飼い主の状態を反映するらしい。



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葛飾北斎もそうだが、絵しか残っていない人物は想像で作れるので完成は早い。特に禅とともに頂相(ちんそう、ちんぞう)と呼ばれる僧の肖像画を残す習慣も入って来た。一休の場合は、数体の木造も残されていて、一休の遺髪、髭を植えた穴も開いている。肖像画の傑作、鏑木清方の三遊亭圓朝像と比べても、まったく遜色ないが、清方の昔の思い出、印象を描いたという圓朝像に比べると、絵画と木造の矛盾が少なく、本人を目の前に描いたと思われる。圓朝の時は、写真と画の印象が違うので、清方が有り得ないだろう、と圓朝の性格を深読みし過ぎ、圓朝評を探しては読んだが、どうやら清方は写真より、自らの印象を優先したことを納得した。そう思えば身体のバランスも変である。しかしこれによって表現というものを改めて考えさせられた。とはいうものの、本人に会ったこともない私が制作する場合は、かつてなデフォルメは避けるべきだろう。今のモチーフはタガを外して清々しい。   三十数年通木場の煮込み屋が存続していたなら、今晩辺り、一休の頭部をポケットに入れ飲みに行くところであろう。興味のない人物の頭部を見せ付けられ続けた常連は迷惑だったろう。まあ一休の場合は、ほんとはこんな爺さんだった、とひとしきり盛り上がれたかもしれない。 



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芭蕉庵は、怪獣映画の縮尺でいうと、怪獣ではないけれど、大映の『大魔神』くらい、おおよそ人間が20メートルくらいになるのではないか。あの大きさが怖かった。今の怪獣は大きすぎて自然災害の怖さに近い。兵器の発達上仕方のないことであろう。サンダとガイラも怪獣としては小型のサイズ感がリアルであった。ガイラが人間を咀嚼し、洋服を吐き出す所など、あのサイズでないとあの嫌な感じはでなかったろう。 予定では明日、明後日位に、屋根から下の部分の外壁は完成させたい。同時に文机なども作っている。普段堅い物を削ることはないので、カッターの刃で充分だが、さすがに切り出し刀を使っている。何度か指を切り、血を滴らせているち大分慣れてきた。庭石など本物を使ってみたいが、河原にでも探しに行くべきだろうか。芭蕉庵は三軒の存在が確認されているようだが、二間だつたりそれぞれのようだが、制作中なのは一間のワンルームで押入などの収納もない。どうやら作られたイメージという訳ではなく、芭蕉は質素な侘びた生活を好んだ人物のようである。 人に説明しようと家の間取りを描こうとすると、しばしば紙面からはみ出る私が作るのであるから、ついアドリブというか行きたりばったりとなり、構造を含めた屋根は予定より後回しになってしまった。家からスムーズに出すためにも、屋根は固定せず、別々に運んで現場で固定したい。藁、茅葺きが、程よい縮尺の素材を思い付かず板葺きにしたので、所々ペンペン草を生やして、侘び住まいの演出に使ってみたい。来週は内装にも取り掛かりたい。



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芭蕉庵は当初の予定よりサイズダウンしたことにより、古池まで作ることができそうである。思ったイメージで作れるのかは、まだ判らないが、作ったことがない物は常にこんな調子であり、お馴染みであって、どうということはない。東屋などを建てている映像など観ているが、実際と違い、屋根は後回しにするべきであろう。 さっそく金魚飼育が役にたった。庵と芭蕉の樹、古池を独立して作り、現場の状況に合わせレイアウトを変えられるようにするつもりだが、その間を鑑賞魚用の砂、小石、各種で埋めようと考えた。池は樹脂を使おうと考えているが、庵をちょっとでも高くして、周囲を砂で埋めて隠せば、池を少しでも地面より低く見せられる。催事により、設置場所を変える場合にも状況に合わせてレイアウトを変えればよい。砂の掃除は必要となるけれども。我が家の水槽は砂を使っていないが、入れようか、と各種の砂を見ていたところであった。掃除を考えて、入れるのは止めたが。 これで、寒山拾得制作に向け、金魚を眺め暮らす、という自分でも良く判らない奇策に対しての罪悪感がちょっと減った。こういう屁理屈を重ね、二年後の個展会場では、始めからこうなることを計算して金魚を眺めていたのだ、計画通りである。という顔をする予定である。 新潮社の森鷗外作品の朗読CDの中の『寒山拾得』を聴きながら水槽を眺めた。金魚により役割が決まっているので目で追いながら聴く、これは想像以上に面白い試みである。勝手に泳ぎ回る寒山や拾得を眺めながら、朗読に合わせて、想像力でこちらが脳内に物語を描いて行く。私という特殊な想像力による変換装置をお貸しできない以上、あまり他人様にはお勧めしない鑑賞方法だが。

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幼稚園の頃からの幼馴染みのYと、小学4年で同じクラスになり、彼の影響で熱帯魚を始めた。中学の飼育部で、予算を多く撮り過ぎ、非難の的になり、その風向きを変えようと、熱帯魚の丸呑みショーを企画し、見事に失敗して、涙目の部長を残し二人逃げた話しは書いた。江戸川の金魚の 養殖場に入ってしまって叱られたり。彼とは随分会っていないが、熱帯魚からんちゆうに転向したという話をかすかに憶えていた。彼は地元で美容院を経営しており、美容学校時代は友達のよしみでパーマ他随分実験台になった。店の名前は私が考えたので、検索して店に電話をしてみたが、このご時世、早仕舞いだそうで、何度かかけて、今日ようやく通じた。引っ越ししたことや、お互いの近況、親のこと、話すことは山々あれど、そんなことよりまずは金魚である。 彼は椎間板ヘルニアのせいで水替えができなくなり、十年前に止めたという。数年前にたまたまあった時は、私が金魚に興味がなかったので、らんちゆうを止めた話は出なかった。 彼はらんちゆうの愛好会に入っていたことは知っていたが、実は優勝を果たし、しまいには審査員もやっていたそうである。ユーチューブによると、一般の愛好家のように、店で市販の金魚を飼って育てるというレベルではないことは知っていたので、教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと知り、家からレモンを持ってきて水槽に絞ったYが、と感慨深かった。近いうちに会って金魚の他、学芸会や飼育部、その他で、我々のしでかしてきた様々について語り合うことにした。

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ホテイアオイは咲いても一日のようで、咲いたらお仕舞いだそうである.季節が終わり、ただの大量のゴミと化した池の光景を思い出した。花が咲いたのが、小学生のアサガオ以来。考えてみると先日書いた、前半生で苦手な物を後半生で克服の一種、と言えなくもないが、調子に乗って観葉植物など買うと、何でも枯らしていた、かつての二の舞となるだろう。ホテイアオイが咲いたからといって花が好物と転じた訳でもなく、早くもゴミと化した姿を想像している有様である。興味がある物とない物の差が甚だしいのは今に始まったことではない。 水槽内の金魚は、一応役柄に応じて色など違う金魚を選んだせいで、寒山や拾得、豊干その他、相応に見えている。性格も違うし、かといって、連中の興味は餌だけであって、彼等にとって、私はただの給餌装置であろう。さすがに哺乳類と違って勘違いをさせられないで済む。 森鴎外作品の朗読CDを注文した。そろそろ彼等にも具体的に妄想を描く補助になってもらいたい。といっても、凡百の寒山拾得図が肥満体型であっても、寒山詩の序文にあるように、痩せたみすぼらしい男二人にしたい。コロコロとした水槽内の連中のようにしたくもあるが、ゲラゲラ笑いながら何処かへ行ってしまうようなキャラクターには向いているからである。しかし、そう書いてある以上、それを曲げることは出来ない。松尾芭蕉を門弟の描いた肖像画だけを参考に制作したように、やって良いことと悪いことがある。

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小学生の時に、同級生の影響で熱帯魚飼育を始めた。得にジャック・デンプシーというかつてのヘビー級ボクサーの名前がついた魚にはまり、以来、シクリッド科のブルーの輝きにはまったのだが、この種は光の縄張り意識が強く、混泳が難しい。色々飼うには水槽の数が必要になる。繁殖もさせたが、求愛行動が激しく、メスのヒレがボロボロになったりした。それを考えると金魚は、新たに仲間に加えても、以前からいたような顔をして、一緒に餌に食らいついている。なので、次から次へと飼いたくなってしまうのだが、その分換水の頻度も高くなり、水槽内が過密になると、それに応じて成長も止まってしまう。 寒山拾得の出演メンバーも決まり、これで落ち着くことになるだろう。どうしてもということになればベランダのトロ 舟がある。しかし本来金魚は上から眺めるものらしいが、私にはその良さがわからないのであった。 昔はお岩さんのように見えていた金魚の肉瘤が、色とりどりのキャンディに見えるようになってしまってからは、正面の顔がまた可愛い。やはり水槽で眺めたい。 水に隔てられているせいで、犬猫の飼い主のようにキャッキャキャッキャと親バカぶりを発揮すふことなく、ただ無表情に金魚の動きを追うだけだが、気がつくと半沢直樹が残り15分になっていたりするので気をつけなければならない。 そういえば幼稚園からの付き合いで、熱帯魚を飼うきっかけになった友人が、金魚に転向し、らんちゆうを増やしているのを思い出した。子供の頃、二人で江戸川の養殖場を見つけ、それはただの水田に金魚がいっぱいいるだけに見えて、入ってしまって叱られた。彼は教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと聞きかじり、家から持って来たレモンを水槽に絞った。三年程前に、たまたま地元で会ってお茶を飲んだが、まだらんちゆうを続けているだろうか。久しぶりに連絡してみたい。

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実は昨日、もう1人見つけてしまった。閭丘胤(りよきゆういん)が、寒山と拾得を訪ねて国清寺を訪れた時に対応に出た僧侶、道翹である。これで昨日のアイアンコメットのような、その他大勢でない一匹を向かい入れることができることになる。一応バランスを考えて決めている。最初に閭丘胤のつもりで買ってきた桜東錦が、あまりに可愛らしく、拾得に昇格させたが、そこで閭丘胤役を新たに金魚坂で選びんだ中国産のショートテール琉金が、プラチナホワイトの胴体にセロファンみたいな深紅が品が良く、役人風情にするにはもったいないな、と思っていた。なのでこれを国清寺の道翹にして、もう一匹、閭丘胤役を導入ずることにした。 しかし空気が読めない官吏だからといって、あえて不細工なのを選ぶことは止めた。選んでいて張り合いがないし、拾得が可愛いから、とコントラストをつけるために相方の寒山は、同じ桜東錦ではあるが、体型から雰囲気を違え、あえて不細工な顔を選んで、後悔したからである。オスメスの違いが未だに良くわからないからしかたがないが、拾得のスカート、いや尾びれの中に頭を突っ込むように追い回している。間違いがあってはいけないが、だとしたら、不細工なのを選ぶべきではなかった。なので、ボンクラ官吏調の閭丘胤だからといって、ボンクラを選ぶことは避けたい。水槽内に居ない柄から選んでみたい。こうなると、寒山詩を読み進めて行けば、さらに登場人物が得られるかもしれない。 先週半沢直樹を見ようと15分まえから気を付けていたのに、金魚を眺めていたら、残り15分になっていたが、本日は無事に見ることができた。

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先日クリニックに行った時、あまりに眠く立ちくらみがひどく、寝てばかりいたのは薬が合わないせいもあるかと、と相談したのだが、漢方的には、梅雨時にはありがちな症状だそうである。確かに梅雨が開けとともに上向いてはいる。 芭蕉庵については、そのサイズでは、玄関から外へ出すのは不可能で、どうやら屋根を外しても、ベランダから降ろすことになりそうである。しかし約1メートルというのは、私の作った芭蕉が室内にいたり、傍らに立っていたりするにはどうしても必要なサイズである。それは私の芭蕉像を生かすためであり、それは芭蕉の表情を生かすためである。着衣、ポーズそのすべてが頭部、そして表情を生かすたに作っている。なので写真作品の場合は、表情を生かすために、背景を左右反転させることも辞さない。もちろん反転しても不自然にならない背景にかぎるのが。 当初後ろ半分をカットすることを考えたが、やはり何割かカットした方が良さそうである。360度作るということは、それを眺めるためにさらにスペースが必要になる。そこで最初に考えたように、後ろは会場の壁面で塞ぐようにして背後には周り込めないような展示することを提案している。手が届く範囲を越えると、生来の空間把握能力の欠如が顔を出し始めるので注意を要する。

ウチの寒山拾得達
。この餌くれ攻撃に負けて餌をやっていると連中は長生きしない。ようやく節度を持った餌やりをしているが、この様子を眺めながら食事するとき、意地悪な看守の如き心持ちする。

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今にして思えば5月の『三島由紀夫へのオマージュ展 椿説男の死』は、コロナ禍のその後の状況を考えると、延期せず決行して本当に良かった。ハードル間隔を突然変えたら.保っていた歩幅がガタガタになっていただろう。お陰でそれまでのスピードを保ったまま、ゴールを駆け抜けることができ、寒山拾得に見立てた金魚の水槽は眺めている。水槽の金魚を二年間眺め暮らし、寒山拾得展に備える、なんてことを本気で考えてはいなかっただろう。60センチの水槽内に金魚を揃えているのは、確かに寒山拾得の制作のためだが、他にどんな策があるというのか?後は寒山詩集を読むくらいしか思い付かない。といいながら、満更悪い策ではないだろう。とどこかで思っている。 日曜日が最終日の江東区文化センターのグループ展は、どうもメンバーの方々には出品作『E嬢像』が私が作った人形と思われていたようである。私はほとんど女性を作らず男性ばかり作っている。様々な理由を申し述べて来たが、同じ手法、同じサイズで男女を同じ土俵に上げられる気がまったくしない。男性漫画家には、男のキャラクターにはバリエーションがあるのに、女は皆同じような顔なんて人がよくいる…。あれは私には良く判る。逆に女性の漫画家は、中年男が宝塚見たいで冴えない。まあ色々事情がある。 文化センターを出たところで、先日センターの金魚をいただいた管理者の方に声をかけられる。そして見た目はトウモロコシの軸みたいな、盧材をいただく。素焼きの焼き物状の物で多孔質で、そこにバクテリアが住み着き、水を浄化するという。帰宅後、洗濯用ネットを買いそれを詰め込み水槽へ、さらにいただいたペットボトルのバクテリア溶液を投入。子供の頃はバクテリアのことなど知らず、バクテリアを単なる汚れだと思い、水道水の塩素で死滅させていた。


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金魚の餌はせいぜい1日1、2回で良く、やり過ぎないのが長生きさせるコツなのだが、魚を飼うのが久しぶりなこともあり、ついほんの一つまみを何度も、これは良くない。隠れて眺めても、エサを欲しがりじたばた。 小学生の頃は、友人宅によばれる時は、母が他所様でガツガツしたらみっともない、と食事してから送り出されたのを思い出す。 その母は最盛期は80キロ超級を誇ったが、私がおっぱいを吸い過ぎ、お腹が減っ たからだ、とすべて私のせいにしていた。それはともかく。水槽内の寒山拾得、豊干がピッタリだったことから、全体のイメージが決まって来た。虎はともかく、まもなくキャストがすべて決まるだろう。 豊干禅師こと青文魚は中国から輸入されたらしい。そう思うと、黒い体色も僧衣のように見え、僧衣の下から透けるいぶし銀がなんともいえない。地味で一匹だったら飼う気はしない、といっていたが、今は一番見ている。 本日ちょっとした打ち合わせを済ませ、ホームセンターに材料を探しに。ついでに、ついペットショップへ。そういえばもう一人、閭丘胤(りょ きゅういん)がいた。説話の始まりは役人である閭丘胤が、頭痛に困っていたところに豊干という旅の僧が現れ、閭丘胤の頭に含んだ水をプッと吹き掛けると頭痛が治ってしまう。そこから話は始まり、最後に、なんとも置いてきぼりな空気にさらされて終わる。その閭丘胤を忘れていた。と思ったら、かわいい金魚を見つけた。これで本当にすべての登場人物が決まったのではないか。後は、石や流木で中国の山中を模してレイアウト。 私はどうも二年後の寒山拾得展のため、毎日この60センチ水槽内の金魚を眺め暮らすことにより活路を見いだそうと、どうも本気で考えているようである。寒山拾得で個展をやる、などという人間の考えることは良くわからない。

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ここ2、3週間どうも体調が悪い。異様に眠かったり、立ち眩みがする。どうしても外に行かなければならないときは、立ち上がって行動する前に、椅子に座り、しばらく安静にしてから立ち上がらないと目眩がしする。今日は、数ヶ月ぶりに、ホームの母の顔を見に行くことになっている。面会は30分と決められている。いつもと違い、梅干しやら何やら食材の持ち込みは禁止されているので、面会時間内に食べられるものだけとなる。ただ一つとなると90の母は鶏唐である。行って見ると"息子と会うのに頬っぺた赤く塗り過ぎだろ?'"多少痩せたが、かつて80キロ超級であった母からするとスマートになったと、相変わらずであった。 行きは駅からタクシーで行ったが、中途半端な所に、江戸時代から続く金魚屋があるので信用金庫で休んだりしながら寄って見た。まだ暫定的だか、うちの赤や白の寒山拾得とのバランスを取るために、赤白以外の豊干禅師が欲しい。店内を何度も回り、埼玉県産と書かれた青文魚というのにした。体型はオランダ獅子頭で体色はまさにいぶし銀。一匹だったら地味で飼う気にはならないが、寒山と拾得と豊干と考えると良さそうである。大きさといい、渋さも豊干にふさわしいだろう。休み休み帰る。携帯ショップへ。修理したら、スピーカーが駄目になって帰って来た。また修理である。幸いショップを変えて正解であった。従業員に誠意を感じ好感が持てる。 普段から1日1仕事の私が、母、金魚、スマホと三つもこなしてヘトヘト。 しかし目論見通り、豊干が加わりコンピとは思えなかった寒山と拾得どのバランスが取れて満足。豊干に拾われたから拾得というそうだが、常にホウキを持っている。ミニチュアのホウキを入手することにする。いずれ水槽内にホウキを。


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ここ最近、体調が今ひとつである。眠くて眠くてしようがない。なんだか金魚に餌をやっては寝ているという感じである。無呼吸症候群を疑っているのだが。 個展の頃、面倒になり外食に頼ったが、検査の結果、数値があからさまに悪くなって、自炊に戻した。引っ越し以降、数値が良く、何をしましたか?といわれるくらいであったが、悪くなるのは簡単である。 芭蕉庵の制作も、潤沢に制作時間があるわけではないので、構想だけは錬らなくてはならない。出来れば古池も作りたいところである。一つ策が浮かんだのだが、どうも予算がかかりそうで、そこまでして、という気もしないでもない。スペースの関係上、作るとしても庵のすぐ側に古池という事になるだろう。 とりあえず、届いたばかりの作業机の上で作ることになるが、芭蕉を置いてみて全体のサイズを決めるが、かなりな大きさになりそうである。部屋から出すことを考え、屋根は取り外し可能にしなければならないだろう。カラオケ屋をやろうとして機械が部屋に入らなかった荒井注の轍を踏んではならない。 といいながら、本日考えたのが、おそらく私の死後も展示されると思うが、法隆寺五重塔の大工の落書きみたいな。某かしてみたい。それが露見するのが修理の時なのか、処分される時なのか、それは判らないが、現場で目にした連中に“おいおい何だよこれは”とひとしきりウケたいものである。 しようがねエなあ。最初に考える事がこれかよ。とあくび一つ。

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