PCがネットに繋がっておらず、しばらくガラケーでブログを書いていたが、それもできなくなって、フェイスブックにしか書けなかったが、三島由紀夫が亡くなる10日前ごろに、唐獅子牡丹の刺青をいれようとしていたらしく、それには諸説あり、本当の刺青または『男の死』撮影用の描いただけの刺青、判然としないのだが、入れたかったのは間違いがなく、澁澤龍彦だったか、が書いている。 数年前の個展の時に、唐獅子牡丹を背中に背負った三島を考えていたが、時間もなく断念していた。その時は、市ヶ谷に向かう車中で「ヤクザ映画なら、ここで義理と人情の唐獅子牡丹が流れてくるんだが。」とみんなで歌った。ということから発想したので、まさか本当に入れようとしていたことは知らなかった。ここ数日、人と会うごとに刀を持った三島由紀夫と、先日、田村写真で、三島の顔がラグビーボール大になるほど拡大してもらったテストプリントを、見せている。みんな驚いてくれるのが面白い。 これもフェイスブックには書いたのだがここ二ヶ月ほど雨だれのような音が聴こえていて、水漏れかと思ったがそうではない。壁の奥から聴こえているようであり、ベランダから聞こえるようでもあり。昼夜、天候問わず聴こえてくる。ある日気づいたのが私の鼓動とシンクロしていることであった。たまたまだと思っていたが、本当に鼓動が聴こえていることが解った。エドガー・アラン・ポーの作品に『告げ口心臓』という作品がある。殺した人間の鼓動が聴こえてくる、という作品である。聴こえてくるのは、まさにトタンに雨だれが垂れているような音で、原因は判らないがそうと解れば、別にどうということもない。聴こえるのは右の耳だけのようである。
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