明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



上半身をはだけた場合の着物の様子をを撮影させてもらったので、参考にして三島の下半身を付け足した。撮影用のつもりで上半身だけ作ったのに気が変わってしまい、まったくひどい作り方である。しかし独学者には反則もなにもないので、なんら普段と遜色ない状態で、朝方の5時にはいったん乾燥させるところまでもっていった。 日本刀を持ったヤクザが上半身を脱いで見得を切っているのである。まったくいったい何を作っているのだ、と思いながらも夜中に湧きあがる快感を抑えがたい。 ここでまた気が変わり始める。三島の上半身だけを大きく配置するつもりでいたが、作ってみたら下の方まで入れたくなってきた。となるとスペースを空けて、主役を待つばかりで待機する4人の配置も変えなければならない。いずれにしても個展『三島由紀夫へのオマージュ 男の死』で構想はあったが断念した作品がようやく形になる。 作家シリーズを最初に考えたとき真っ先に浮かんだのが、尻っぱしょりの江戸川乱歩が屋根裏でこちらを見ている図であったが、実現したのは7、8年後であった。子供の頃、頭に浮かんだイメージはどこへ行ってしまうんだろう、といつも思っていたが、何年経とうが頭の中から取り出して可視化すれば、“やっぱり在ったな”と納得し、そして終わる。

朗読ライブ

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二時にMさんのマンションの和室のゲストルームにて撮影。『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)の室内シーンはすべてこちらで撮影した。もっとも人物の撮影だけで、背景は旧高橋是清邸その他である。ついでに海岸のシーンや巨大なイシナギを担いだ漁師の若者は、こちらのマンションの駐車場で撮影した。皆さんを海辺へ連れて行って撮影する予算などないし、大事な着物のまま海に入ってもらうわけにはいかない。 本日は着流し姿のヤクザ者四人をMさん一人でやっていただく。顔は番傘で隠れるので懐のドスを握ってもらう(つもり)とか風呂敷を巻いた日本刀を持ってもらったり、それぞれポーズを工夫した。今回も奥さんが着付けをやっていただいたのでスムーズに進む。  健さんお馴染みの上半身をはだけた“死んで貰います”状態も撮影させていただいた。私の場合、記憶を引っ張り出しておおよそ作ってしまうが、裏返って垂れ下がった着物がどうなっているか私の辞書には載っていなかった。この作品、『深川江戸資料館』で展示できるのだろうか。 帰宅後さっそく作業にかかる。当初のイメージでは背中をのぞかせた三島を大きく中心に。その背景に着流し姿の四人組がGメンのように横一列に並び、その奥に白いコロナ。という画を考えていたのだが、とりあえず画像を切り抜いて四カット取り込んだら、たまたま傘の配置が面白く、四人を大きく、大小配することに変更。コロナはなし。

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伊集院静氏乾燥に入る。乾燥後に靴を作ったり細かい修正をする。今回は野球のボールを持ってもらう予定なので、手も乾燥後になるだろう。 4月の個展はテーマというものはなく、出品できる作品はできるだけ見ていただこう、という物である。手元に人形がほとんど残っていないのでジャズシリーズなどは写真だけになるかもしれないが、雑多な人物ということになる。そこで出品作それぞれに制作ノート的なコメントを横に配したいと考え、あまり長くならない程度に書いている。会場は多目的ホールである。画廊と違って広い。ここだけの話、場所を稼ぐ目的もある。 HPを改めて見ると、告知も何も数年間更新していない。更新に使っていたノートパソコンをうっかり“アルコール消毒”してしまったのがきっかけであった。プロバイダを換え、せめて個展のページくらい作りたい。何体出品できるか未定だが、出品可能となったらラインナップに順次書き加えていくようなページを作りたいと“考えて”はいる。

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 『タウン誌深川』の連載“常連席にて日が暮れる”4回目を入稿。今までは1Pの中に写真が5センチくらいであったが、次号は2Pで1Pは写真になる。常連席から観た、まだ陽のあるうちの『河本』店内を選んだ。 伊集院静氏は明日にでも乾燥に入れるだろう。今までたくさん作ってきたポケットに片手を入れて、ただ立っているポーズであるが、野球のボールを持ってもらおう、と考えている。 ようやく今週土曜日に、三島の背後に配す着流し姿の4人組みを撮影することになった。といっても撮るのは一人だが。傘で顔は隠れるが、市ヶ谷の4人に見えるよう、大きかったり小さかったり、がっしりしていたり工夫する。ポーズも懐のドスを握っていたり、4通りのポーズを考えている。今のところ東映のやくざ映画のポスター風を考えているが、浮世絵調も良いかもしれない。その場合は満月を浮かばせたいが、事が起きたのが昼間なのでその点はどうdろう。昨年、集めていた2百枚ほどの映画のポスターを処分してしまったが、こんな作品を作るつもりではなかったので惜しいことをした。

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深川江戸資料館に朗読ライブについて、ようやく全員集まり打ち合わせである。この4人の方は、じつは私の初めての出版『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)の出版記念ライブに出演していただいているのだが、その時、ほとんど打ち合わせのないまま、スライドを流し、田中完さんの朗読、嶋津健一さんのピアノで初めて披露をした。スライドの切り替えなど作者の私がやるような余地もなく、いい加減なものであったが、それが世田谷文学館での正式なライブにつながった。もちろんこのときはリハーサルをし、スライドの操作は私自身がした。評判も良かったので、いつかどこかで再演の機会を、とずっと思っていてようやく。 一方の泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)は、河本の常連に出演していただいたこともあり、ご近所限定で仲間うちだけの披露会をやっていただいた。その時は今拓也さんに朗読の録音で協力いただいた。鏡花の作品は、楽器として合うのは琵琶か義太夫三味線だろう。と早くから寛也さんに三味線をお願いしていたが、今さんはスケジュールの都合で合わず、朗読を誰にお願いするか。河童から姫神様、さらに年老いた翁までこなせる人でないとならない。これはまったくの私見であるが女性の場合、噺家だろうと弁士だろうとタカラヅカであろうと少女マンガであろうと、中年、老年の男が駄目である。なので男性しか頭になく、おかげで肝心な人を忘れていた。女流義太夫の越孝さんなら男性も素晴らしいのは舞台を何度も拝見していて知っている。  昨日神楽坂でお会いした際には、河童のくちばしはこうなっていて、とすでに河童の発音にまで思いがいたっていることを伺った。そしてなにより、周囲の、特に女性から私の河童の三郎が気持ち悪い、と連呼され続けるなか、“哀しくて愛らしい”と評していただいている。そこまでいわれては後はお任せするだけであろう。お二人の舞台は、これを観ないと他では味わえない物になるのは間違いない。何しろ“貝の穴に河童の居る事”である。

まだ暫定的なページであるが。取り急ぎ作ってみた。

https://www.facebook.com/events/162647350775889/?ref=2&ref_dashboard_filter=upcoming&action_history=null

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13時半に神楽坂の毘沙門前にて坂崎重盛さんのお招きにて鶴澤寛也さん親子と竹本越孝さんと待ち合わせ『うを徳』へ。 四谷シモンさんに久しぶりにお会いする。泉鏡花も訪れた店での朗読劇である。構成演出桑原茂夫/出演劇団唐組、久保井研、稲荷卓央、藤井由紀。チェロ、義太夫三味線、鼓の伴奏。不思議な組み合わせであるが、座敷自体の響きが良く、鏡花作品を堪能した。高野聖は私にとって初めての鏡花体験で、TVで観た高野聖を原作とした『白夜の妖女』(日活)である。月丘夢路が妖女で若い僧が葉山良二。子供の私は怪談映画のつもりで観たと思う。 鏡花は潔癖性で自分は嫌いなくせに蛇や蝦蟇やヒルに僧を襲わせて喜んでいるいる。私が手がけた『貝の穴に河童の居る事』の河童の三郎もべたべたして生臭いと書いている。 ゴールデンウイークには深川江戸資料館でこの作品の朗読ライブを上演する。越孝さんの朗読に、寛也さんの三味線に私の作品をスライドで上映。朗読であるから義太夫節とはいかないが、そこここに独特の味がでるに違いない。明日は第一部で乱歩作品でピアノを弾いていただく嶋津健一さんと朗読の田中完さんと全員が顔を合わせての打ち合わせである。 帰りの車中坂崎さんにいただいたた新刊「東京煮込み横町評判記」(中公文庫)を読む。坂崎さんと吉田類氏と二人で煮込みベスト10を選んでいて、吉田類氏のベスト5に無事『河本』ランクイン。そこへ母からメール。「琴奨菊優勝」よけいなこと教えるんじゃない!

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樋口一葉が通った伊勢屋質店は、現在跡見学園女子大学の所有になっているようである。撮影時はまだ家族がお住まいの頃で、保存されていたビリビリに破けた暖簾を撮影させていただいて復元した。撮影したのは秋であった。年の瀬に質屋では寒々しい、と私のイメージでは逢い引きの後、某所から出て来たところ、ぐらいの感じで制作したような気がする。 近所の焼き鳥屋を通りかかった時、オヤジに「手をこうやって上を見上げてよ。」自転車から降りもしないでカット。一葉の横にオヤジを並べてあげた写真は未だに店内に飾ってある。

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三島の上半身の仕上げをしながら伊集院静さんの身体部分の制作開始。同時に太宰の顔の修正。同時に進行するほうが集中しすぎを防ぐことができる。 久しぶりに見た村山槐多は、作家シリーズ二回目99年の個展でラインナップに加わったが、房総をさまよったり、『尿(いばり)する僧』ばりに放尿させたり、と当初から撮影用に作っており、展示したことがない。(たぶん) 初期の作品で、残っている頭部を見ると、最近作とは若干ニュアンスが異なるが、“青春王子”槐多の若さとあっている気がするので、そのままでいくことにした。 世田谷文学館には江戸川乱歩の愛蔵作品である槐多の『二少年図』が平井家より寄託されている。世田谷を背景に作家像を撮影して文学館に展示する際、せっかく二少年図があるならと乱歩像を『二少年図』の前に配して撮影した。館長室で一人っきりの撮影。独り占めである。記憶では乱歩像だけを撮影したと思い込んでいるが、せっかくの機会なのに槐多像を持っていかないということがあるだろうか?記憶にない。気になりだすが、フィルムを探したいのを我慢する。

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琴奨菊単独トップ。あの顔を見るとウイリー沖山を思い出す。 三島は上半身裸なので仕上げに時間がかかる。パルプの繊維が入っていて、滑らかな肌の表現には向いていない粘土を使っているせいもある。できれば今週中にでも後ろに控える着流しの4人組の撮影をしたいところである。 私の作った人物は皆故人である。存命の人物を作るとしたらどうしても依頼された場合に限る。その中でも手元に残っている作品というと伊集院静さんだけである。行きつけであるという山の上ホテルのバーを撮影し、それに合わせて造形した。作ってもしかたないので写る部分しか作らなかった。なのにもかかわらず、グラスにに入っているのは御本人愛飲の本物のウイスキーである。撮影終了後はもちろんもったいないことはしない。 存命中の人物も一人くらい出品できれば、と個展に出品してよいか担当編集者を通じ、御本人に訊いてもらったところ快諾いただき、個展の成功を祈ってます。などと過分な伝言まで頂戴した。身体部分を作らなければならない。

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ホームページのリニューアルについて、何人かの友人に相談すると、明治の新政府に置いて行かれたちょん髷ザムライのような気分になった。今の常識についていけていない。私の知っていることが古いという事だけが判った。6時に深川江戸資料館へ。居酒屋にて打ち合わせ。Nさんとは長い付き合いだが、最後は決まってブラックミュージックの話になる。  個展は有る作品を全部出品するくらいに考えておかないとスカスカであろう。撮影用に作った作品は、裏側や下半身を作っていなかったりするので、首だけ引っこ抜いて身体は捨ててしまっている。当然出品したことはないので、会期までに何体仕上げることができるだろうか。 唐獅子牡丹を背負う予定の三島由紀夫。出品できるかは場所柄微妙なところである。年末の山本キッドの試合ではコスチュームを着させられていたし、医師法違反?だかなんかで刺青師が逮捕されているという。大体深川という場所は川並というイカダ職人がいたところである。水死しても刺青で身元を判別したという。

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一日  


PCがネットに繋がっておらず、しばらくガラケーでブログを書いていたが、それもできなくなって、フェイスブックにしか書けなかったが、三島由紀夫が亡くなる10日前ごろに、唐獅子牡丹の刺青をいれようとしていたらしく、それには諸説あり、本当の刺青または『男の死』撮影用の描いただけの刺青、判然としないのだが、入れたかったのは間違いがなく、澁澤龍彦だったか、が書いている。 数年前の個展の時に、唐獅子牡丹を背中に背負った三島を考えていたが、時間もなく断念していた。その時は、市ヶ谷に向かう車中で「ヤクザ映画なら、ここで義理と人情の唐獅子牡丹が流れてくるんだが。」とみんなで歌った。ということから発想したので、まさか本当に入れようとしていたことは知らなかった。ここ数日、人と会うごとに刀を持った三島由紀夫と、先日、田村写真で、三島の顔がラグビーボール大になるほど拡大してもらったテストプリントを、見せている。みんな驚いてくれるのが面白い。  これもフェイスブックには書いたのだがここ二ヶ月ほど雨だれのような音が聴こえていて、水漏れかと思ったがそうではない。壁の奥から聴こえているようであり、ベランダから聞こえるようでもあり。昼夜、天候問わず聴こえてくる。ある日気づいたのが私の鼓動とシンクロしていることであった。たまたまだと思っていたが、本当に鼓動が聴こえていることが解った。エドガー・アラン・ポーの作品に『告げ口心臓』という作品がある。殺した人間の鼓動が聴こえてくる、という作品である。聴こえてくるのは、まさにトタンに雨だれが垂れているような音で、原因は判らないがそうと解れば、別にどうということもない。聴こえるのは右の耳だけのようである。

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HPがあまりに古くさくなりそろそろリニューアルを、と考えていたらアップロードに使っていたノートパソコンに、アルコールが沢山含まれた液体をこぼし壊してしまった。以来、更新しないまま数年経った。最近はガラケーでブログを書いていたが、文章の全体が見わたせず、誤字脱字もそのままにダラダラと書いてしまう。そうこうしたら需要がないのか、ガラケーでの書き込みが終了してしまった。書き込めるのはフェイスブックだけとなり数週間。久しぶりにネットを回復させた。しかしフェイスブック、ツイッターのキーワードを忘れてしまった。忘れてしまった事はそれ意外にも色々。 久しぶりに検索したりして過ごしている。

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