明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今出ている『タウン誌深川』の連載“明日できること今日はせず”の『猛虎図』の正体は猫のももちゃんであるが、そのコントラストが面白いと、猛虎としたものの、それが面白いのは私とももちゃんの飼い主だけなので、以降は『月下虎図』とする。思い付かなかったので連載タイトルをブログと一緒にしてしまったが、ブログを始める時の別案“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”にすべきだったか?いやちょっと長い。 表現に対してタブーばかりだったかつての西洋では、宗教にかこつけて、という画家は多いだろう。裸やラブシーンをが描きたかっただけだろ。なんて画家を散見するが、これがまた好ましく感じてしまう私である。 かくいう私も、例えば盲人の殺人者がなにやら柔らかい素材で作った女体のパーツで満ちた部屋で、なんて私が考えた訳ではなく、江戸川乱歩がそう書いているのだから、しょうがない、なんて顔をして。乱歩先生のおかげで女性の切断された脚を風船にぶら下げ、浅草寺上空を飛ばすことが出来ました、などと腹の中で感謝している訳である。 そう思って見ると日本の絵師こそ、仏教にかこつけ、描きたい放題しているように見える。それが羨ましくてしょうがなかった私が、見も蓋もなく写してしまう写真の欠点(とあえていってみる)から逃れるため陰影を削除してみたのだが、おかげで色々可能なことに気がついてしまった。龍虎どころか仙人だって可能だ、なんて思ったり。こんな始末であるから、子供がもし、ぼーっと口を開けたまま、東の空でも眺めていたら、ろくなことを考えていないのだから頭をひっぱたいたりアンモニアを嗅がせたりして、ただちに目を覚まさせるべきである。私は幼い頃、お隣のおばちゃんに、よくいわれたものである。「ぼーく、口開けてるとホコリはいるわよ」。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』連載


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一日  


来月、いよいよ背景に使う物を撮影する予定である。これは小さな人形の背景にしてこそ面白いことになるが、人間の背景に使っても当然画になる。かなり広大な場所なので、1日で撮影というのは無理である。何度も撮影することになるだろう。背景パーツとして今後の作品のイメージに大いに貢献することになるだろう。 それにしても、何故こういうアイデアは、何も考えていない時に限って降ってくるのか。今回のアイデアは母の電話で起こされ、携帯はどこだ、と頭を起こしている途中に浮かんだし、夢も観ていなかったから、まさに何も考えていない時であった。 よく思うのだが、私の場合、物心ついた時にはひな型のような物はすでにあり、どうも回りと成長の過程が違っているな、とは思っていたが、さすが我が母はそれに気がついていて、怖れ、学校に相談しては妙な施設に連れて行かれたものである。狭い下町の中で、とにかく大人しく、常識的に生きることを望んだ。おかげで回りに合わせ知ったかぶりを続け、空気を読み、その反面、好きなことを続けていることに対する罪悪感が拭えず、世間が休日である時は平日より清々しく制作できるのはそのためであろう。正月、連休、十代の頃から何か作っていた。だがしかし、生まれつきの物というのは私にはなんの責任もない。後は中からのわいて来た物を逃がさないようにしているだけで良い。釈然としないのは、何も考えていない時にしかアイデアが浮かばないことである。頭を使わないようにするにはどうすれば良いか。座禅でもすれば良いのか?寒山拾得を手掛けようという時に、妙なオチがついた。
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』連載

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町へ出たついでに図書館に寄る。日本画の技法で調べたいことがあった。私は何をしているのか。それはともかく。 そんなものを調べていれば、当然画集を見ることになる。数百年前から新しいところで明治あたりか。それもともかく。そもそも寒山拾得をやろうと思ったのは蛸に絡まれた葛飾北斎がやれたのなら、という訳だが、寒山拾得が出来るのなら、蝦蟇に乗る蝦蟇仙人や、鯉を馬のように乗りこなす琴高仙人も制作可能ということになる。実在した生身の人物を陰影をもって手掛けている限り、そこまではやれない。せいぜい勝鬨橋に絡む大蛸と円谷英二であった。考えて見ると、ジャズ・ブルースから始まって、こう見えて枝葉を伸ばすように地味に変化してきた、つもりである。それにしたって今日のところは何が蝦蟇仙人だよ、という話である。旧HP
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』


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フリージャーナリストが無事解放された。賛否両論、といっても否がほとんどのようだが。ところで私にはよく理解できないのが死の危険があることを生業にしているのに、結婚して人によっては子供までいることである。一部の登山家、冒険家もそうである。子供の頃の私は何かの調査のため人々のために危険を省みず、偉い人達だと思っていたら、ただ登っているだけだと知り、高所を好まない私は呆れかえった。なぜ連中が変態扱いされないのか私には解らないのである。“娘さんよく聞ーけよ~若後家さんだよー♪”という歌もある。家族が待っているからこそ必ず生きて帰ろうと思うのだ、とある冒険家がいっていたが、そんなことに奥さんや子供を使うなといいたい。 私は二十代で個展を一回やっただけで、命の危険さえないけれでも、人形作家を続ける危険についてすぐ判った。これは人を巻き込んではならない。もっとも結婚の何が目出度いのかさっぱり判らないのだが。私はみんながしているから私も、というところは皆無なのである。 小学生の時少年飛行兵の本を読んでいて、父の歳なら志願すれば戦争に行けたと知り、間髪いれず父の前に仁王立ちになり「何で戦争行かなかったんだよ!」。父はその時、何かのバチが当たったと思ったに違いないが、すっかり忘れていると思っていたら、後年親戚の前でバラされ、覚えてないよそんなこと、といいながら、私が子供を持ったならば、もっと酷いバチが当たるだろう。そう思った。私は運転免許を持っていないが、おかげで人を車で轢き殺す可能性はない。そういう意味では、独身者である私は、父のようなバチが当たる心配はないのである。
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昨晩文芸系の出版社社長の面接を受けてきた、という知人と会った。入社できたらいずれ私の本を、という。獲らぬ狸のなんとやら、という話だが、うかつに私にそういうことをいってはいけない。今日は朝から頭の中で様々な場面が浮かんでは消えた。 人形は人間のサイズは越えてはならないような気がする、写真は拡大できるメリットがあると書いたが、まだ撮影もしていないが、背景に使う物が私が使う場合に限り、拡大してこそ面白くなるだろう。小さな人形を人間として扱うという私の手法だからこそ、背景に使用する物こそ、それに乗じて拡大すればするほど良いだろう。 以前だったら、“背景に使う物はなんでしょうクイズ”をしたところであろう。正解者の中からささやかなプリントを差し上げたものである。抽選 方法はというと、近所の頭がくるくる回っている酔っぱらいに、何番までの好きな数字をいってみてよ、とルーレットがわりに使った。そのルーレットは相変わらずくるくるヨロヨロしている。そろそろ額から流血して救急車に乗る頃合いであろう。旧HP
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古い友人から、私が作るのを我慢しているのが可笑しい、とのメール。私は笑わすつもりはないが、付き合いが長いとそのように見えるらしい。どんな感じだというので、谷崎の美食倶楽部みたいな所に私の席が用意され、山盛りのご馳走が待っている。それを知っていながら我慢している。日に日に腹が減ってきて、それに応じて用意されたご馳走が豪華に膨れ上がっていく、そんな感じ。 これからはそんなことはなくなるだろうが、実在した人を作っていると、写真を見ながら、ある程度似せなければならず、頭部の制作は辛いだけである。頭部ができれば、身体部分の制作は、撮影のことを考えながら楽しく一気に作る。 これは二十代からの癖なのだが、身体に取り掛かる前、頭部をポケットに入れ出かける。そうすると、家に帰れば楽しいことが待っているので、飲酒でもなにをしても愉快である。また、わざと作り惜しみし、取りかからないで空腹感を演出し、さらに美味しく食べようとする場合もある。何しろ空腹であるから、集中力も快感も倍増である。私のマゾヒズム体質を利用した制作法とでもいうか。 それを考えると寒山拾得を作り始めたらどんなことになるのだろうか?
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』


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背景に使わせていただきたい場所の仲介者から先方はいつでも良いといってくれている、と聞いた。拙著を持っていってもらって良かった。中央公論Adagioで始めた背景を用意してから造形するという手法でいきたい。今度の背景は間違いない。
順序が逆というより、まだ作り初めてもいないのに、個展のタイトルだけ決めた。そのまんま『寒山拾得写真展』。まず入り口でこれは絵ではなく写真です、といっておけば、後が大分楽だろうという計算なのだが。写真という“まことを写す”という言葉を嫌い、まことなど写してなるものか、と長年いい続けてきたのに、ここへ来て、これは絵ではありません。カメラで撮影した写真です。とは、宗旨がえもいいところであるが、写真、写真いって恥ずかしくないのか、というと、これがまったく恥ずかしくない。あの時の私も私なら今の私も私である。変わりつづけてこそである。かつて憮然とした表情がカッコ良かった鈴木邦男さんの現在の笑顔を見よ。さらにカッコ良い。変わらないのは頭に浮かんだイメージを取り出して、やっぱり在ったな、と確認したい、ということであり、浮かぶ物が変われば作る物も変わるのは当然であろう。もっとも駄文のついでに書いてるからいいので、ああいっていただろう、と面と向かって指されれば多少赤面ぐらいしてみせるが。以前雑誌のインタビューでパソコン、デジタルについてボロクソにいったのを覚えていた編集者に突っ込まれたことがあったが、変われないなら生きていてもしょうがない。 と良いように言い訳してみた本日のブログであった。旧HP
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午前中から午後にかけて、区役所その他数ヵ所かまわり、なかなかてこずって、私の小津安二郎像がある古石場文化センターへ。舞踏評論家の鈴木晶先生とお会いする予定だったのだが、間に合えば、開講中の講座を拝聴させていただけるはずが、かなわなかった。センターの応接室で、最近調べているという、意外なテーマについて興味深く伺った。 2002年に、今はなき渋谷の画廊美蕾樹で、コクトー、ニジンスキー、ディアギレフによる個展をやったのは、前年に一度、パリオペラ座のダンサーの『薔薇の精』を見たことに始まる。リハーサルから観ることができたが、どう見ても中身は女性の筋肉モリモリの男が薔薇の花びらを身体にまとい跳び跳ねている。初めて見る異様な、しかし何とも不思議な世界に驚いた。終演後、コクトーの人形を持って楽屋で撮影させてもらった。彼は後にエトワールになった。この時、マニュエル・ルグリとすれ違い、私の肘がルグリにかすり、その話をしては、バレエ女子を羨ましがらせた。 そしてオリジナルのダンサー、ニジンスキーとは何ぞや、と鈴木先生の書かれた伝記を読んで、翌年個展を開いてしまった。しかもご丁寧にもオイルプリントによるという、重々の暴挙といってよいだろう。ニコラ・バタイユ(仏演出家)のブラボーの文字は芳名帳に今も残る。 幼い転がら伝記の類いを読み続けている私も、こんなに熱に浮かされることはなかった。また、そこに使われていたニジンスキーのポートレイトは何とも言い様のないものを放っていて、後に似たような感銘を受けたのは、九代目市川團十郎くらいであろう。そういえば、コロタイブ印刷による写真集『舞台の團十郎』を江東区から特別に借り受け、複写させてもらったのも、古石場文化センターのこの応接室であった。ニジンスキーの伝記はいずれ改訂版が出ると伺っている。それにしても、あの頃を思うと、寒山拾得に対するアプローチなど、大分分別がついたと思うのだが。新HP
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』

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明日先方に行くというので、被写体の仲介者に拙著二冊を渡していただくようお願いした。しかしすでに撮影して、作品に使わせていただくことも了承済みだそうで一安心。 昨日雨で中止したプリントの額装を頼みに行く。途中で銀座青銀座青木画廊に寄る。たまたま初日で、3人の作家にお会いできた。リコーイメージング銀座での個展で久しぶりにモノクロ作品を展示し、モノクロの良さを思い出した。寒山拾得も彩度を落とし二人の肌色か豊干の乗る虎に色があるくらいだろう。モノクロから遠ざかっていたのには理由がある。被写体に自分で彩色しているからである。カラー、モノクロの選択にこんな理由は二刀流ならではだろう。 まず背景を撮影し、それに主人公を合わせて配するのがパターンである。山深い風景のために思い付いた被写体なわけだが、そういえば泉鏡花の『高野聖』にも流用可能ではないか。私は目の前しか見ず、よく事前に思いつかずに残念な思いをする。しかし旅人を誘惑しては獣に変えてしまう妖しい女。さすがにご近所に人材は見当たらない。帰宅時、結局土砂降りに合う。新HP
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朝、朝食ついでにT屋に出版社から届いた『貝の穴に河童の居る事』を何冊か持っていき、『牡丹灯籠』のお米に渡した。河童の居る事では笛吹の女房を演じてもらっている。長女には女房の師匠仲間の娘を演じてもらったし三島由紀夫の『潮騒』の初枝も。大学生の末娘には牡丹灯籠のお露をやってもらっている。この一家の女性連には足を向けては寝られない。 男連には向けて寝られるけど。店のテレビで、カーネル・サンダースみたいな人が7千人しか客が入らないから仕事をしたくない、といっている。意地を張るところが間違っているのではないか。インタビュー後、去っていく後ろ姿が哀しい。午後注文を受けたプリントを引き取りに行くが、雨が降り始め、額装の依頼は明日にする。 頭の中で動き回っている寒山と拾得のコンビは当初、鴎外がいうところの唐子調で子供じみていたが、いつの間にか成長し、大人のコンビになっている。いつものように、早々に手を出していたら、私の寒山と拾得は今頃子供になっていたかもしれない。何故そうなったかは判らないが、それでいいのだ。そう思ったらそうするし、思わなくてもそうなってしまうことはあるが、それもいいのだ。私は鬱病にはなりにくいような気がする。しかし、このまま制作に取り掛からないでいると、鬱病にはならなくても、訳の判らない重い病に至る可能性がある。 一つ気になることがある。背景に使いたい物は紹介者は使わせてもらえる、といっているが、作品に使うとなると、話は違ってきはしないか。ということで、拙著二冊、特に『Objectglass12』は制作の様子を書いているので、念のため送ることにした。もっとも陰影がある時代の本だが。それに関しては直接お会いして説明したい。 母の電話で起こされ、突然浮かんだアイデアだが、これが使えるかどうかで、成否が別れかねないのである。無いものは作れば良いといっていた私も今度ばかりは。 新HP
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猛虎図や寒山拾得図に印を捺したくなるのはしかたがない。以前、拙著に捺すために印材を彫ったことがあるが、石が硬すぎ、それこそ金釘流になってしまった。自分の本に捺す分にはまあ味といえなくもない。しかし作品に捺すとなると話は違ってくる。そこでネットで印材から篆刻 用の道具を入手しやってみたのだが、改めて自分のぶきっちょさを確認して終わった。何度もいっているが、こんなことをしているのに、実にぶきっちょである。ぶきっちょが時間ばかりかけて、祈るようにして制作しているのが滲み出て、プラスに働くのではないか、と期待しているのだが。それはともかく。町のハンコ屋に作ってもらいもしたが、手透き和紙のインクジェット用紙に施された染み込み防止処理だかのせいで、絵の具でやっても上手くいかなかった。しかしどうにも諦めきれない。そこで雅号でも考えることにした。好き勝手に考えても良いものらしい。モチーフが変わるごとに変えてみたりして。 そういえば最初の個展の時、 辻村ジュサブローさんや四谷シモンさんのようにアーティスト名を付けようと一瞬考えたことがあった、しかし 初個展に見ず知らずの人が来てくれることがイメージできず、地元の幼なじみ、同級生しか浮かばず、何スカしてんだ、とからかわれるのがおちだと諦めた。 いい加減、粘土を触らず何十日であろうか。過去に何度か経験したことがあるが、しばらく休んでいたら上手くなっていたことがあったが。ところが本日、シモンさんのフェイスブックに“考えるより手を動かせ!昔臨済宗の和尚に言われたことを思い出した。”とあった。臨済宗!こ れはいかげん粘土だけでも注文しておけということか、と思ったのであった。新HP
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この辺りで寒山詩の再読を始める。同じ物でも興味が有るのと無いのでは違って見える。自分が変われば風景も変わって見える。 ジャズ・ブルースシリーズで個展出品用にテーブルの上に、ベニヤ板に壁、床、石畳など作り、それの組合せで何種かの風景を作れるようにして、そこに人形を立たせ、窓から入る外光で撮影していた。なかなか決まったので、三脚の上のカメラをそのままに明日同じ時間にもう一度撮ろう、とそのままにしておいた。翌日ファインダーを覗いたが、どうもピンと来ない。写真を撮り始め間がない私は首をかしげた。それは昨日とは私の方が変わったのだ、と気がついたのはしばらく経ってからだったろう。フットボールを見た後は赤い色が違って見える、と(かなり不正確か)寺山修司が書いていた気がする。シャッターチャンスは自分の中にある。その後、カメラの前で微動だにしない人形を撮り続けていく上で、これは良い経験となった。
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一日  


部屋が片付くまでは、人形を作り出したらそれに没頭し逃げてしまうことが判っており、次の段階に進むためにもまず片付けを、と粘土も入手しないままである。片付けの方はというと、薄皮を剥ぐように、上品な調子で進行中である。いつものように、かぶり付くように寒山と拾得に取りかからなくて良かった。薄皮を剥いでいるうち、当初のイメージから変わってきたからである。たまには品良くやるものである。 来年某所で泉鏡花関連の催事が予定されそうでもあり、今後個展会場で販売することも考え、風濤社より『貝の穴に河童の居る事』を送ってもらった。ビジュアル化されたのは初めてだろうし、今後もないだろう。通常では作者を作中に配するのだが、残念ながら鏡花の出番はなかった。その代わりに柳田 國男を河童に優しく接する“灯ともしの翁”役に起用したことが成果だった。未だに思い付いた瞬間を覚えている。立ち上がり、そのまま飲みに出掛けた。 16年に深川江戸資料館で開催されたスライドによる朗読ライブは立ち見も出るほどであったし、再演の機会を待ちたい。あの時は、今日ここで販売しないでどうする、という時に本が足りない、というミスもあったが、これで大丈夫である。 続いてリコーより2メートル超のプリント届く。うかつに拡げる訳にもいかず、リコーに全部送って2カット選んでもらった。エレベーターが開くとすぐに6、7センチの顔が数十倍に引き伸ばされた巨大な乱歩の顔が迎えるのだが、しばらくドアが開くたびギョッとしていた。
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明後日リコーから預けてあった2メートル超のプリントが帰ってくる。人形を作る立場からいうと写真は、作ったサイズより拡大ができ、違う面を見られるメリットがある。意外に思うのは、そこまで込めたつもりがないものが見えることである。私の想定外の意志をもっているように見えたり。これは拡大して始めて判った。 以前サンディエゴ写真美術館の館長デボラさんに大きくした方が良いといわれた時は意味が判らなかったのだが。今となったらなんでも拡大して、私自身が制作時には見えていなかったところを知りたくなってしまう。 そこで『寒山拾得図』をただ拡大するのではなく、いっそのこと襖絵にしたらどうだろう。ちょうどうちの襖に穴が開いてるし。 2時に東京駅のステーションギャラリーで、友人二人と待ち合わせ『横山華山展』を観る。今まで聞いたことがなかったが、目的は寒山拾得である。意外なくらいの人の入り。長尺の絵巻、風俗物など興味はない。私の欲目を差し引いたとしても、大きさ、墨の濃淡のバランス、すべてにおいて『寒山拾得図』が一番良かった。 その後地元のサイゼリヤへ。最近安いといわれる飲み屋が乱立しているが、村を出る頃に酔いが醒める村醒め、どころか飲みながら醒めていく飲み醒めばかりでどうしようもない。その点こちらはワインを何の屈託もなくもなくがぶ飲みができる。ネットで、日本在住だというラッキー・ルチアーノの末裔が褒めているインタビューを読んで我が意を得た。 溜まりに溜まった『寒山拾得』に対するアイディア、想いを彼らに思う存分語ることができた。飲み仲間であるトラックドライバーの連中がトラック、物流の話ばかりでうんざりし、興味のない話を聞かされ続ける気分を味わえ、とばかりに、嫌味を込めて寒山拾得について話したところ、欠片も覚えていないことが判明し、腹の中で胸ぐら掴んで往復ビンタをしたばかりであった。
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ブルース・ジャズシリーズの新作での個展の最後は96年のスペース・ユイである。そこで始めて写真も展示したはずだが、プロフィールを見るとその前にブルーノート東京で写真を展示したことになっている。個展準備中に話がきたのか。それはともかく、何度も書いているが、リアルな写真にはなったものの、創作の余地、発展性が見えず、実物のミャージシャンを撮影した既存の作品を模倣しているようで、翌年作家シリーズに転向した。 この時は、好きなミャージシャンを作り、ファンの気持ちで撮ってみたいと半分は実在した人物だったかもしれない。当然、既存の作品に被るようなことはしなかったつもりだが、ジョン・コルトレーンを見つめるマイルス・デイビスというのがある。これはオイルプリントだが、テーブルに2体並べて撮影していて、トレーンのテナーサックスの描く三角の隙間からマイルスの顔が覗いているのはどうか、と思い付いたつもりでいたのだが、昔どこでだったか、「これ知ってます」。といった人がいた。話の流れからして、誰かが撮影した、こんな写真を観たことがある、という風であった。既存の作品とみまごうばかり、と、作者の思惑など思いもよらず、勘違いして誉めているつもりの発言だったのだろう。と私は気にもしなかったが、ふとした時に、私が知らないだけで、こんな作品があるのではないか。と気にはなっていた。 そこでこのような作品をご存知の方がおられたらご一報お願いしたい。自分が考えたような顔をしてHPに載せているのは格好が悪い。来週拙著『貝の穴に河童の居る事』が大量に届くので、進呈させて頂きたい。 もしサックスを吹いているのが伴丈治、見つめているのが灘康次なんて場合は、むしろ知っていてパクったことにするけど。新HP
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